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糺す【拾】《タダス【ジュウ】》

こんにちは。

更新いたします。

戻って来たばかりの荊軻(ケイカツ)(ツト)めの場の(ツクエ)には(ユカ)に転がらんばかりの文書(モンジョ)の山が(キズ)かれていて、部屋の戸を開けるなり大きく肩を落としてしまった。とりあえず戸から転がり出た物や(ユカ)にまで()らばった文書(モンジョ)をきちんと(ツクエ)に置くところから始めて、最初の文書(モンジョ)を開いたのは里に戻った二日後(フツカゴ)の事だった。部屋中が文書(モンジョ)で埋まってしまい、それを(ナガ)めながら(イク)(ジカン)があるとはいえこれはあんまりではないか、とも苦笑せざるを()なかった。それでも里に戻って来たのだという実感(ジッカン)もあり(ウレ)しくもあった。


(タイ)の事は(シン)(アズ)けていた 枉駕(オウガイ)の方はあまり変わりが無かったようで、戻った翌日(ヨクジツ)からいつもの(ツト)めに入れていた。一つばかり変わっていたのは隊士達(タイシタチ)()だった。紳に(アズ)けていたほんの三月(ミツキ)の間に何があったのか鍛錬(タンレン)手合(テア)わせをするとその質が変わっていることが分かって(オドロ)いてしまった。居ない間に何があったのか(タズ)ねてみても、隊士達(タイシタチ)一様(イチヨウ)に、地獄(ジゴク)です、と青ざめるばかりだ。余程(ヨホド)(キビ)しい鍛錬(タンレン)を受けたのだろうが質の()がっていた若い隊士達(タイシタチ)には良い薬になったようで、枉駕(オウガイ)は紳に礼を言った。ついでに何をしてくれたのか(タズ)ねたが紳の(コタ)えは何にもしてない、というものだった。


「ただうちの隊士達(タイシタチ)鍛錬(タンレン)(クワ)えてね。後は打ち込みと俺との手合(テア)わせくらいだよ?」


「それにしては伸びておるような…。隊士達(タイシタチ)地獄(ジゴク)を見た、と言うておりましたよ?」


苦笑する枉駕(オウガイ)に、何それ、と紳は声を上げて笑う。


「あれくらいで地獄(ジゴク)なんて言っててどうすんの。悧羅(リラ)を護らなきゃいけないのに護られる(ガワ)に廻って胡座(アグラ)かいてちゃ駄目(ダメ)だろ?その(アタ)りはちょっと(キビ)しめに言っといたけど」


軽く肩を(スク)めて紳は笑っているが隊士達(タイシタチ)のげんなりとした顔を思い出すとつい枉駕(オウガイ)は苦笑してしまう。


「何なら鍛錬(タンレン)の時はうちの(タイ)一緒(イッショ)でもいいかもね。うちの奴らも気合いが入るし」


それは良い考えですね、と枉駕(オウガイ)是非(ゼヒ)(タノ)んだ。隊舎(タイシャ)に戻ってそう隊士達(タイシタチ)に伝えると、何てことをしてくれたのだ、と()められたが三月(ミツキ)でこれだけ伸びたのだ。まだまだ()(シロ)があるということだろう、と(サト)すとどうにか()みこんだようだった。枉駕(オウガイ)()と言った事で近衛隊(コノエタイ)武官隊(ブカンタイ)合同(ゴウドウ)での鍛錬(タンレン)が当たり前になってしまったのだが、鍛錬(タンレン)()の当たりにした時にはまた苦笑してしまった。


確かに隊士達(タイシタチ)地獄(ジゴク)というだけはあったのだ。(イシズエ)となる体力作りから始まり隊士達(タイシタチ)同士で打ち合わせ、最終的に紳と手合(テア)わせを行う。紳対隊士達(タイシタチ)全員での手合わせなのでかなり有利(ユウリ)なはずなのだが(カス)ることさえ出来ずに()(タオ)されている。倒されたままでいることも許されずに一刻(イッコク)の間それを繰り返し、ようやく四半刻(シハントキ)休息(キュウソク)を与えられて、隊士達(タイシタチ)はその場に座り込んでしまうものが多かった。しばらく休むとまた鍛錬(タンレン)が始まり、終わったら終わったで見廻(ミマワ)りに出される。先に見廻りに出ていた者たちも同じように(キタ)えられ、一日が終わって武官隊隊舎(ブカンタイタイシャ)に戻った時には皆ぐったりと重い身体(カラダ)を引きずっていた。あまりの面白(オモシロ)さに枉駕(オウガイ)が声を上げて笑ってしまうと、隊士達(タイシタチ)からじろりと(ニラ)まれてしまった。


「…笑い事じゃないんですよ…、これをよく近衛隊(コノエタイ)はこなしているなと思っていたのに…。隊長(タイチョウ)が戻られたから終わったと喜んでいたんですから」


(ツクエ)()()した者や椅子(イス)に身体を投げ出している者達から声が上がって、すまん、と枉駕(オウガイ)は笑いを(コラ)えるしかなかった。


「だが紳様に鍛錬(タンレン)をつけてもらえるなど近衛隊(コノエタイ)でもないのだから光栄(コウエイ)なことだぞ?」


「…それは分かっておりますけどね…」


大きく嘆息(タンソク)する隊士達(タイシタチ)もそれは十分に分かっている。近衛隊隊長(コノエタイタイチョウ)であるという事は里で(オサ)()ぐ実力の持ち主という事だ。(オサ)側近護衛(ソッキンゴエイ)(マカ)されるからにはそれ相応(ソウオウ)の実力が(トモナ)わねば(ツト)められない。それでも(オサ)との能力(チカラ)()は大きいが実質(ジッシツ)里の中での二番手に(ミト)められる。特に紳は200年前に行われた闘技(トウギ)で当時の近衛隊隊長(コノエタイタイチョウ)瞬倒(シュントウ)するほどの能力(チカラ)を持っている。その紳に鍛錬(タンレン)をつけてもらえる事はこの上ない(ホマレ)なのは分かっているが日々ここまで疲弊(ヒヘイ)させられては(ツト)めにも(サワ)りが出てしまう。


「紳様はもともと能力(チカラ)()けておられるのでしょうから、我々(ワレワレ)一介(イッカイ)の鬼にはついていけないところもあるのですよ」


また夜が明ければ地獄(ジゴク)が始まる、と(ナゲ)隊士達(タイシタチ)(コラ)えていた笑いがまた出てしまう。笑いながら、そうではないぞ?、と枉駕(オウガイ)は一つ間違(マチガ)いを(タダ)した。何がですか?、と起き上がれない隊士達(タイシタチ)の中から声が上がる。


「紳様は元からあれほどの強さであったわけではない、という事だ」


そんなわけがないでしょう、と声が上がるがそれにも、いや?、と枉駕(オウガイ)は笑った。紳が近衛隊(コノエタイ)入隊(ニュウタイ)したのは悧羅(リラ)(オサ)として立った後だと聞いている。それまでは特に何をするでもなく過ごしていた、と言っていた。近衛隊(コノエタイ)入隊(ニュウタイ)後もすぐに頭角(トウカク)を表した訳でもない。それなりに使える者がいる、と当時の近衛隊隊長(コノエタイタイチョウ)から話を聞いたのは(オサ)が立って100年が()った頃だった。ひたすらに稽古(ケイコ)を積み(オノレ)研鑽(ケンサン)能力(チカラ)を高めていったのだろう。隊士達(タイシタチ)の言うように元から(ヒイ)でていた訳ではないのだ。もしもそうなのであれば若者達(ワカモノタチ)を集めて闘技(トウギ)を毎年のように行っていた先代(センダイ)(オサ)の時から目をつけられていたはずなのだ。紳が近衛隊隊長(コノエタイタイチョウ)()まで(ノボ)りつめるまでそれから200年を(ヨウ)している。その間に御殿医(ゴテンイ)である咲耶(サクヤ)から医術(イジュツ)(マナ)診療所(シンリョウジョ)まで開いているのは(オドロ)きだが、そこまでするには何かしらの強い思いがあったのだろうことを(オモンバカ)ることは出来た。


「何かしらの目的と(オノレ)研鑽(ケンサン)結果(ケッカ)が今の紳様なのだろうよ。お前たちを(キタ)えて(クダ)さるのも強くあれ、ということだ。()(ゴト)を言っている(イトマ)があるのなら(ナン)なくこなせるように(ツト)めてみろ」


笑いながら言う枉駕(オウガイ)に、分かりましたよ、と渋々(シブシブ)とした返事が降ってくる。枉駕(オウガイ)にしても(オサ)を少しでも護れるような隊士(タイシ)(ソダ)つのは喜ばしい。同時に自分も慢心(マンシン)していてはならない、とも思った。時には隊士達(タイシタチ)に混じって紳と手合わせを(ネガ)うのも枉駕(オウガイ)自身のためにも良いだろう。武官隊隊長(ブカンタイタイチョウ)としての(ニン)(タマワ)っているのだ。その(ツト)めに見合(ミア)うだけの研鑽(ケンサン)は積んでおかなければ、紳に(キタ)えられている隊士達(タイシタチ)に追い抜かれてしまっては恥辱(チジョク)になる。そうならないために鍛錬(タンレン)研鑽(ケンサン)()かさないようにしているが、昼間見た紳との実力差は明確(メイカク)だった。


今の紳は近衛隊隊長(コノエタイタイチョウ)としてだけでなく(オサ)である悧羅の伴侶(ハンリョ)でもある。六人の子の父でもあるが、なにより悧羅を護るために今も研鑽(ケンサン)を続けているのだろうと思われた。枉駕(オウガイ)にも(ツレアイ)や子はいるから護らねばならない者がいてくれる事で(オノレ)が強くあらねばならないという気持ちは分かる。分かるが紳はそれが誰よりも強いように見えるのだ。


それだけ(オサ)を何よりも大切に(イツク)しんでおられるからなのだろうがな。


仲睦(ナカムツ)まじい二人の姿を思い出しながら枉駕(オウガイ)隊士達(タイシタチ)に起きて(ヤシキ)に戻るように声をかける。帰るのも億劫(オックウ)だと言いながら隊舎(タイシャ)を出て行く隊士達(タイシタチ)を見送ってから枉駕(オウガイ)隊舎(タイシャ)を出た。(トキ)には枉駕(オウガイ)自身も早く(ヤシキ)に戻って(ツレアイ)(イツク)しんでもよいだろう。小さく笑いながら荊軻(ケイカツ)の元に一日の(シラ)せを持って行く。


戸を(タタ)くと中から荊軻(ケイカツ)の、どうぞ、という声が聞こえたが何やら疲弊(ヒヘイ)しているようだった。戸を開いて中に入るとその声の意味が分かって枉駕(オウガイ)は苦笑するしかない。山のように積まれた文書(モンジョ)の中に()もれるように(ツクエ)に向かっている荊軻(ケイカツ)はかろうじて頭が見える。


自分や隊士達(タイシタチ)よりも大変な奴がここにいた。


中に入りながら、見えなくなってるぞ、と揶揄(カラカ)うと、(ウルサ)いですよ、と不機嫌(フキゲン)な声が(カエ)ってくる。


(シラ)せでございましょう?変わりなければその(アタ)りに置いておいて下さいませ」


顔は見えないながらも声だけは聴こえて、はいよ、と枉駕(オウガイ)近場(チカバ)に積まれた文書(モンジョ)の山の一つに持ってきた(シラ)せを置いた。


「今日は早めに上がろうと思ったのだが…。お前はまだ(ツト)めを続けるのか?」


戸の(ソバ)から声をかけると、戻れると思いますか?、と(ギャク)(カエ)されてしまう。まあ無理であろうな、と笑ってみるが戸の(ソバ)からは動けない。少しでも動けば文書(モンジョ)の山に身体が当たって(クズ)してしまいそうだからだ。山のように積み重ねられた文書(モンジョ)荊軻(ケイカツ)(トトノ)えたのだろうから、(クズ)してしまっては何と()められるかわかったものではない。しかしよくもまあたった三月(ミツキ)でこれだけの(シラ)せが()まるものだ、と部屋の中を見渡(ミワタ)しながら枉駕(オウガイ)嘆息(タンソク)する。


「これはそう易々(ヤスヤス)片付(カタヅ)きはせんだろうて。(アワ)てずとも良かろう?…というか部下にも(マカ)せてはどうなのだ?」


(ワタクシ)が目を通した後であれば部下に(マカ)せても良いのですがね。(シラ)せを(ワタクシ)(ゾン)じておかねば後々(ノチノチ)(コマ)ったことになるやもしれませんから。それでは(ワタクシ)の立場、というものが()るぎますので…」


「それは分かっておるがな」


山積みになった文書(モンジョ)の中で頭だけが見える荊軻(ケイカツ)に、(アマ)(コン)を詰めるな、と言ってみるが性分(ショウブン)だろうから無理だろうと思われた。


「これでも(オサ)が半分ほど持っていって下さっておりますからね。その(オサ)にも枉駕(オウガイ)と同じことを言われましたので、本日はこの文書(モンジョ)(シマ)いに(イタ)しますよ」


「ならば良いが…。は?(オサ)自室(ジシツ)もこうなっておられるのか?」


悧羅が持っていったと聞いて枉駕(オウガイ)流石(サスガ)(アセ)ってしまった。だが荊軻(ケイカツ)はけろりとして、そうですよ、と言うばかりだ。


三月(ミツキ)(シカ)らなかったのですから、少しばかりはお手伝いいただきませんと。(コン)を詰めるなと(オオ)せならば持っていって下さいまし、と申しましたら笑っておられました。お部屋の(トナリ)(ハコ)ばせましたのでお二人のお部屋は大事(ダイジ)ございませんよ」


当たり前のように言ってのける荊軻(ケイカツ)枉駕(オウガイ)はまた苦笑(クショウ)するしかない。そんなことを悧羅に言えるのは荊軻(ケイカツ)しかいない。


「昼間は紳様もお(ツト)めですし、御子方(オコガタ)学舎(マナビヤ)隊士達(タイシタチ)と共に動かれますでしょう?よろしいではないですか」


軽く言ってのけながら荊軻(ケイカツ)は目を通していた文書(モンジョ)を巻き取った。目を通し終えた文書(モンジョ)を入れている木箱(キバコ)に入れると、やれやれ、と椅子(イス)から立ち上がって大きく伸びをする。一日座り通しであったので身体の彼方此方(アチラコチラ)から音が鳴る。ようやく()もれていた荊軻(ケイカツ)の顔が見えて枉駕(オウガイ)もほっと安堵(アンド)した。頭しか見えていない時には憔悴(ショウスイ)仕切っているかとも思ったのだが、なかなかに(オダ)やかな笑顔が見えたからだ。


(オサ)にお(シラ)せする手間(テマ)(ハブ)けますし何某(ナニガシ)かあれば(ワタクシ)(オオ)せになりますでしょう。日々(シラ)せは届きますのでこのままでは(ワタクシ)の部屋が文書(モンジョ)()()くされてしまいますからね」


文書(モンジョ)隙間(スキマ)()うように枉駕(オウガイ)の元まで歩いてきて、では戻りましょうか、と荊軻(ケイカツ)(ツト)めの場の(アカリ)を吹き消した。良いのか?、と一応(イチオウ)(タズ)ねる枉駕(オウガイ)に、はい、と荊軻(ケイカツ)微笑(ホホエ)む。


(ワタクシ)三月(ミツキ)ほど(ツレアイ)や子達を(ホウ)っておったようなものでございますからね。御機嫌(ゴキゲン)をとっておかねば後々(ノチノチ)(オソロ)しいのです」


笑う荊軻(ケイカツ)に、(ワレ)と同じだな、と笑いながら二人は場を後にしてそれぞれの(ヤシキ)に戻ることにした。



荊軻(ケイカツ)達が(ツト)めの場を後にしたほんの(ワズ)かの(ノチ)(シラ)せを持ってきた紳は場の(アカリ)が消えていることに気づいて文書(モンジョ)だけを中に入れた。積み重ねられた文書(モンジョ)の山に苦笑しながら近場の山に置いて戸を閉めてから宮に戻る。(ムカ)えてくれた磐里(バンリ)加嬬(カジュ)に変わりは無かったか(タズ)ねると、つつがなく、と返ってきて安堵(アンド)した。先に湯に行こうかとも思ったが悧羅は?と聞くと二人が小さく笑っている。


「お(ツト)めをなさっておいででございます」


(ツト)め?、と聞き返しながら二人と共に自室に向かうと自室の(トナリ)で、こちらに、と言われた。紳が夜伽(ヨトギ)(ニン)()いていた時に与えられた部屋だ。


「何でここ?部屋じゃ駄目(ダメ)なの?」


首を(カシ)げる紳に、開ければ分かる、と二人は笑っている。ふうん、と言いながら戸を開けて見えた景色(ケシキ)に紳は、何これ、と目を丸くした。自室と同じ程度(テイド)の部屋の広さはあるはずなのにそこには天井(テンジョウ)に着くのではないかというほどの文書(モンジョ)の山が(イク)つも出来ている。先程(サキホド)(シラ)せを届けた荊軻(ケイカツ)の部屋よりも、ともすれば文書(モンジョ)の数が多い。部屋が広い分荊軻(ケイカツ)のように(ツクエ)まで()まって姿が見えない、という事はないがそれでも目を見張(ミハ)る程の多さだ。


「お昼間、荊軻殿(ケイカツドノ)(コン)を詰められないように、と申し上げに行かれましたら(シカ)られてしまわれたそうでございますよ。ではお手伝い下さいまし、と」


「それで、こういうことなわけね」


苦笑しながら部屋に入ると二人が戸を閉めてくれた。随分(ズイブン)と読み(フケ)っているようで戸が開けられたことにも悧羅は気づいていないようだ。いつもならほんの少しの物音にも耳を()ましているのに(メズラ)しい、と小さく笑いながら紳は悧羅の名を呼んだ。その声でようやく悧羅が文書(モンジョ)から視線を(ハズ)した。紳を見ると、おや、と笑いながら(フデ)を置いている。


「お(モド)りやし。…もうそのような(ジカン)であったのかえ?」


「うん。少し早く帰ってきたけどね。…すごい事になってるね」


悧羅の前に座って自分の膝に乗せながら紳は笑ってしまう。座るとまた文書(モンジョ)の山が高く見える。音も(サエ)ぎられているような厚さに、これでは多少(タショウ)の音にも気づかないはずだ、と納得した。


三月(ミツキ)(シカ)らなかったのだから、手伝えと言われての。あまりにも数が多かった(ユエ)、半分ほど(ハコ)ばせた。荊軻(ケイカツ)の元には日々(シラ)せが届くであろうからの。(ワラワ)で見れる事ならば良いであろ」


紳の膝の上で軽く伸びをしている悧羅に軽く口付けてから、それにしても、と紳はもう一度部屋を見渡(ミワタ)した。


「半分以上でしょ、これ?容赦(ヨウシャ)ないなぁ」


「それが荊軻(ケイカツ)であるからの。(サカ)らわぬ方がよろしかろう」


確かに、と紳も笑うしかない。荊軻(ケイカツ)枉駕(オウガイ)が居ない間、確かに(シカ)られはしなかったが遊んでいたわけではない。紳も武官隊(ブカンタイ)(アズ)けられた手前(テマエ)、しっかりと(ツト)めに出ていたし、悧羅には王母(オウボ)からの(ニン)(クダ)っていた。荊軻(ケイカツ)は自分が居ない間に紳達が寝所(シンジョ)(コモ)っている(ジカン)が多かったのだろうと思っているかもしれないが、全く(コモ)れていないのだ。紳としては(コモ)りたかったのだが、なかなかに(ムズ)かしかった。


「俺たちが(コモ)ってたって思ってるんだろうなあ」


くすくすと笑う紳に、そのようだ、と悧羅も笑っている。


(イナ)と言うも面倒(メンドウ)であった(ユエ)。そう思っておるならばそれで良い。なれどこれだけの物を荊軻(ケイカツ)だけに(マカ)せるのもしのびないでな」


「まあ、そうだね。今(シラ)せを持っていったけど部屋の中足の踏み場もないもん。でも荊軻(ケイカツ)も帰ってたみたいだよ?」


膝の上の悧羅を抱きしめながら伝えると、それは良いことだ、と胸に頭を(アズ)けられる。この様子では食餌(ショクジ)()っていないのだろう。少しばかり(ツカ)れているような悧羅の背中を優しく(タタ)いて(ネギラ)うと小さな笑い声が届いた。


「では(ワラワ)もここまでにしようかの。子どもらも戻っておるのであろ。紳も食餌(ショクジ)()らねばな」


「悧羅もね」


もう一度口付けてから二人で部屋を出て磐里(バンリ)加嬬(カジュ)食餌(ショクジ)を頼むと丁度(チョウド)子どもたちも食餌(ショクジ)()っている、と言われた。子どもたちのいる部屋に入ると、元気なままの皓滓(コウサイ)灶絃(ソウゲン)玳絃(タイゲン)とぐったりしている媟雅(セツガ)忋抖(カイト)啝珈(ワカ)の姿が見えて二人は小さく笑ってしまう。上の三人の姿はこの三月(ミツキ)見慣(ミナ)れている。紳が武官隊(ブカンタイ)近衛隊(コノエタイ)両方(リョウホウ)(アズ)かったので鍛錬(タンレン)もより(キビ)しくなっているのだ。どうやら今日も(キタ)われたようだ、と笑いながら場に座ると下の子どもたちが二人の膝に座り始める。妲己(ダッキ)哀玥(アイゲツ)も悧羅に()り寄ってきてそれぞれの頭を()でていると、隣で紳が笑いながら上の子どもたちに声をかけている。


「早く()って早く寝ないと明日がもたないぞ?」


揶揄(カラカ)うような紳の言葉に、勘弁(カンベン)してよう、と啝珈(ワカ)(ナゲ)いている。


精気(セイキ)()りに行く気力(キリョク)もないのにい」


「…俺、今佟悧(トウリ)(オソ)われたら抵抗(テイコウ)できないかも…」


大きく溜息(タメイキ)をつく双子に紳は苦笑(クショウ)するしかない。まだまだ(ジョ)の口なんだぞ?、と笑っている紳の前に食餌(ショクジ)と酒を乗せた(ゼン)が運ばれてくる。悧羅の前にも(ゼン)が置かれると膝に乗っていた子どもたちもそれぞれの場に戻って食餌(ショクジ)()り始めた。


父様(トウサマ)も同じように動いてるのに…。むしろ私たちより多く動いてるよね?私たちは見廻(ミマワ)りで交代(コウタイ)できるけど父様(トウサマ)鍛錬(タンレン)の付け通しでしょ?その上、時々(トキドキ)診療所(シンリョウジョ)(ノゾ)いてるよね。…(ツカ)れてないの?」


大きな溜息(タメイキ)をついて媟雅(セツガ)(ハシ)を置く。(ツカ)れすぎてどうにも食餌(ショクジ)()る気になれない。置かれている茶を(スス)るのが精一杯(セイイッパイ)だ。本当なら帰ってすぐに眠りたいくらいなのに、紳はにこにこと笑って媟雅(セツガ)達を見ている。


「まだまだこれくらいじゃ疲れなんてしないよ。(タイ)して動いてもないしな」


悧羅が()いでくれた酒を飲みながら言う紳に、(ウソ)でしょ、と三人が肩を落とした。その姿があまりに可愛(カワ)いらしくてつい悧羅が笑ってしまうと、母様(カアサマ)、と(タシナ)められてしまう。


「おや、すまぬ。近頃は妾に手合(テア)わせを望む気力(キリョク)もないようじゃの」


小さく笑い続ける悧羅に、そうなの?、と紳も笑っている。


「戻ったら悧羅と手合わせしてるって思ってたのに。じゃあもう少し(キビ)しくしても良さそうだね」


そのようだ、と笑い合う紳と悧羅に、勘弁(カンベン)してよお、と啝珈(ワカ)がまた(ナゲ)く。おやまあ、と笑いながらも三人を見る悧羅の目は柔らかだ。


「紳もそれ以上の鍛錬(タンレン)を積んで今があるのじゃ。しっかりと(マナ)ぶがよろしかろうよ」


食餌(ショクジ)(ハシ)を付けながら(サト)すように悧羅が言うと、父様(トウサマ)は最初から強かったんじゃないの?、と媟雅(セツガ)が首を(カシ)げている。そんなわけないだろう?、と酒を呑みながら紳は声を上げて笑った。


「強くならなきゃ悧羅の(ソバ)に近づけなかったから、血反吐(チヘド)吐くまで(キタ)えたんだよ。元々のらりくらり過ごしてたからな。お前たちよりしんどかったぞ?」


笑う紳に、ああそうか、と忋抖(カイト)が言う。


父様(トウサマ)母様(カアサマ)を護りたいって目標があったんだもんね。そりゃ血反吐(チヘド)吐くまでやるよね」


(オサナ)い頃に、護りたいものがあるなら強くなれる、と紳に言われたことを思い出して忋抖(カイト)(ハシ)を置いた。里を移した直後で悧羅が伏せった時だったと思う。漠然(バクゼン)と悧羅を護らなければ、と幼いながらに思ったが父母の間にあったことを知った今では紳の覚悟(カクゴ)相当(ソウトウ)のものであったことはわかっているつもりだ。


「護りたいものかあ…」


ぽつりと(ツブヤ)いた忋抖(カイト)に、(アセ)るな、と紳は笑った。


「お前たちはまだまだ成長途中だろ?最盛期(サイセイキ)になれば身体の成長も止まるだろうけど、それまでまだ十年以上はかかるだろうから。それまでに見つけるのも(ムズ)かしいだろうしな。日々の鍛錬(タンレン)に慣れてきたら自分でまた別に鍛錬(タンレン)を詰めばいい。そこそこでいいならそれもそれだ。でも何か大切なものができた時に護りたいって思うなら、強さは持ってて(ソン)はないだろうけどね」


「そうは言われてもね、父様(トウサマ)母様(カアサマ)の子ってだけで変に期待(キタイ)されるんだもん」


(ホオ)(フク)らます啝珈(ワカ)媟雅(セツガ)小突(コヅ)いた。それを二人に言ったところで困らせるだけだ。別にそう思われていても仕方がないのだし、媟雅(セツガ)達も紳と悧羅の子であることを(ホコ)りに思っている。だからこそ()ずかしい真似(マネ)は出来ない。


「おやまあ、そのような事気にするでないよ?其方(ソナタ)らは妾たちの子だがそれぞれに思いもあろう?気負(キオ)わずとも思う道を進めばよいだけじゃて」


のう?、と悧羅が紳に言うと、うん、と隣で紳も笑っている。


(ミョウ)期待(キタイ)がかかるのは仕方ないけどな。それに(マド)わされる必要はないよ。でも一つ言えるのは俺たちの子なんだから鍛錬(タンレン)次第(シダイ)で伸び(シロ)は他の奴らよりもあると思ってるけどね。まだまだお前たちに俺も負けるわけにはいかないから用心はするけどさ」


簡単(カンタン)に言ってくれるよね、と肩を落とした忋抖(カイト)だったが、あれ?、と紳を見た。


父様(トウサマ)、今の言い方だと今でも鍛錬(タンレン)してるってこと?宮で見た事ないけど…」


「そりゃするよ。一応(イチオウ)これでも里の二番手ってことになってるんだし、そう易々(ヤスヤス)と悧羅の(ソバ)(ハベ)る奴を出すわけにいかないでしょ。宮では確かにしないかな。ここは俺にとって(ヤス)らげる場所だから」


へえ、と言う忋抖(カイト)が今度連れて行ってくれ、とせがむ。


「別に良いけど面白(オモシロ)くないぞ?ひたすら黙々(モクモク)とやってるだけだからな」


苦笑する紳に、そんな姿が見たいの!、と忋抖(カイト)が言う。数多(アマタ)隊士達(タイシタチ)相手に(ナン)なく大刀(ダイトウ)一本であしらって、息も切らさない紳がどんな鍛錬(タンレン)をしているのか見てみたいのだ。いつもなら自分も行く、と言い出す媟雅(セツガ)啝珈(ワカ)は、今の鍛錬(タンレン)にもう少し慣れてからで良いと()している。


「でもそんな元気があるなら佟悧(トウリ)に教えておこうかな。今なら夜這(ヨバ)いかけれるぞって」


え?、と(アセ)忋抖(カイト)に笑いながら悧羅も、それは良い、と揶揄(カラカ)うと、駄目(ダメ)だって!、と忋抖(カイト)が叫んだ。


「そんなこと言ったら本気で来るから!本気で俺が(アブ)ないから!()きつけたら(ウラ)むからね?!」


本当にやめて、と哀願(アイガン)する忋抖(カイト)にその場の皆が笑ってしまう。


哀玥(アイゲツ)(タノ)むよ?俺が夜這(ヨバ)いかけられないように護ってよ?」


悧羅の側に(ハベ)っていた哀玥(アイゲツ)が小さく笑いながら忋抖(カイト)にすり寄った。お任せを、と擦り寄られて忋抖(カイト)哀玥(アイゲツ)を抱きしめる。


「俺の味方はおまえだけだよお」


くそお、と(ナゲ)忋抖(カイト)の姿にまた皆で笑ってしまった。

日常回ですね。

しばらく続きますが、ゆっくりと進めていきます。


お楽しみいただけましたか?

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