糺す【拾】《タダス【ジュウ】》
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戻って来たばかりの荊軻の務めの場の卓には床に転がらんばかりの文書の山が築かれていて、部屋の戸を開けるなり大きく肩を落としてしまった。とりあえず戸から転がり出た物や床にまで散らばった文書をきちんと卓に置くところから始めて、最初の文書を開いたのは里に戻った二日後の事だった。部屋中が文書で埋まってしまい、それを眺めながら幾ら刻があるとはいえこれはあんまりではないか、とも苦笑せざるを得なかった。それでも里に戻って来たのだという実感もあり嬉しくもあった。
隊の事は紳に預けていた 枉駕の方はあまり変わりが無かったようで、戻った翌日からいつもの務めに入れていた。一つばかり変わっていたのは隊士達の質だった。紳に預けていたほんの三月の間に何があったのか鍛錬で手合わせをするとその質が変わっていることが分かって驚いてしまった。居ない間に何があったのか尋ねてみても、隊士達は一様に、地獄です、と青ざめるばかりだ。余程厳しい鍛錬を受けたのだろうが質の下がっていた若い隊士達には良い薬になったようで、枉駕は紳に礼を言った。ついでに何をしてくれたのか尋ねたが紳の応えは何にもしてない、というものだった。
「ただうちの隊士達の鍛錬に加えてね。後は打ち込みと俺との手合わせくらいだよ?」
「それにしては伸びておるような…。隊士達は地獄を見た、と言うておりましたよ?」
苦笑する枉駕に、何それ、と紳は声を上げて笑う。
「あれくらいで地獄なんて言っててどうすんの。悧羅を護らなきゃいけないのに護られる側に廻って胡座かいてちゃ駄目だろ?その辺りはちょっと厳しめに言っといたけど」
軽く肩を竦めて紳は笑っているが隊士達のげんなりとした顔を思い出すとつい枉駕は苦笑してしまう。
「何なら鍛錬の時はうちの隊と一緒でもいいかもね。うちの奴らも気合いが入るし」
それは良い考えですね、と枉駕は是非と頼んだ。隊舎に戻ってそう隊士達に伝えると、何てことをしてくれたのだ、と責められたが三月でこれだけ伸びたのだ。まだまだ伸び代があるということだろう、と諭すとどうにか呑みこんだようだった。枉駕が是と言った事で近衛隊と武官隊の合同での鍛錬が当たり前になってしまったのだが、鍛錬を目の当たりにした時にはまた苦笑してしまった。
確かに隊士達が地獄というだけはあったのだ。礎となる体力作りから始まり隊士達同士で打ち合わせ、最終的に紳と手合わせを行う。紳対隊士達全員での手合わせなのでかなり有利なはずなのだが擦ることさえ出来ずに伏し倒されている。倒されたままでいることも許されずに一刻の間それを繰り返し、ようやく四半刻の休息を与えられて、隊士達はその場に座り込んでしまうものが多かった。しばらく休むとまた鍛錬が始まり、終わったら終わったで見廻りに出される。先に見廻りに出ていた者たちも同じように鍛えられ、一日が終わって武官隊隊舎に戻った時には皆ぐったりと重い身体を引きずっていた。あまりの面白さに枉駕が声を上げて笑ってしまうと、隊士達からじろりと睨まれてしまった。
「…笑い事じゃないんですよ…、これをよく近衛隊はこなしているなと思っていたのに…。隊長が戻られたから終わったと喜んでいたんですから」
卓に突っ伏した者や椅子に身体を投げ出している者達から声が上がって、すまん、と枉駕は笑いを堪えるしかなかった。
「だが紳様に鍛錬をつけてもらえるなど近衛隊でもないのだから光栄なことだぞ?」
「…それは分かっておりますけどね…」
大きく嘆息する隊士達もそれは十分に分かっている。近衛隊隊長であるという事は里で長に次ぐ実力の持ち主という事だ。長の側近護衛を任されるからにはそれ相応の実力が伴わねば務められない。それでも長との能力の差は大きいが実質里の中での二番手に認められる。特に紳は200年前に行われた闘技で当時の近衛隊隊長を瞬倒するほどの能力を持っている。その紳に鍛錬をつけてもらえる事はこの上ない誉なのは分かっているが日々ここまで疲弊させられては務めにも障りが出てしまう。
「紳様はもともと能力に長けておられるのでしょうから、我々一介の鬼にはついていけないところもあるのですよ」
また夜が明ければ地獄が始まる、と嘆く隊士達に堪えていた笑いがまた出てしまう。笑いながら、そうではないぞ?、と枉駕は一つ間違いを正した。何がですか?、と起き上がれない隊士達の中から声が上がる。
「紳様は元からあれほどの強さであったわけではない、という事だ」
そんなわけがないでしょう、と声が上がるがそれにも、いや?、と枉駕は笑った。紳が近衛隊に入隊したのは悧羅が長として立った後だと聞いている。それまでは特に何をするでもなく過ごしていた、と言っていた。近衛隊に入隊後もすぐに頭角を表した訳でもない。それなりに使える者がいる、と当時の近衛隊隊長から話を聞いたのは長が立って100年が経った頃だった。ひたすらに稽古を積み己を研鑽し能力を高めていったのだろう。隊士達の言うように元から秀でていた訳ではないのだ。もしもそうなのであれば若者達を集めて闘技を毎年のように行っていた先代の長の時から目をつけられていたはずなのだ。紳が近衛隊隊長の座まで昇りつめるまでそれから200年を要している。その間に御殿医である咲耶から医術も学び診療所まで開いているのは驚きだが、そこまでするには何かしらの強い思いがあったのだろうことを慮ることは出来た。
「何かしらの目的と己の研鑽の結果が今の紳様なのだろうよ。お前たちを鍛えて下さるのも強くあれ、ということだ。泣き言を言っている暇があるのなら難なくこなせるように努めてみろ」
笑いながら言う枉駕に、分かりましたよ、と渋々とした返事が降ってくる。枉駕にしても長を少しでも護れるような隊士が育つのは喜ばしい。同時に自分も慢心していてはならない、とも思った。時には隊士達に混じって紳と手合わせを願うのも枉駕自身のためにも良いだろう。武官隊隊長としての任を賜っているのだ。その務めに見合うだけの研鑽は積んでおかなければ、紳に鍛えられている隊士達に追い抜かれてしまっては恥辱になる。そうならないために鍛錬や研鑽は欠かさないようにしているが、昼間見た紳との実力差は明確だった。
今の紳は近衛隊隊長としてだけでなく長である悧羅の伴侶でもある。六人の子の父でもあるが、なにより悧羅を護るために今も研鑽を続けているのだろうと思われた。枉駕にも逑や子はいるから護らねばならない者がいてくれる事で己が強くあらねばならないという気持ちは分かる。分かるが紳はそれが誰よりも強いように見えるのだ。
それだけ長を何よりも大切に慈しんでおられるからなのだろうがな。
仲睦まじい二人の姿を思い出しながら枉駕は隊士達に起きて邸に戻るように声をかける。帰るのも億劫だと言いながら隊舎を出て行く隊士達を見送ってから枉駕も隊舎を出た。時には枉駕自身も早く邸に戻って逑を慈しんでもよいだろう。小さく笑いながら荊軻の元に一日の報せを持って行く。
戸を叩くと中から荊軻の、どうぞ、という声が聞こえたが何やら疲弊しているようだった。戸を開いて中に入るとその声の意味が分かって枉駕は苦笑するしかない。山のように積まれた文書の中に埋もれるように卓に向かっている荊軻はかろうじて頭が見える。
自分や隊士達よりも大変な奴がここにいた。
中に入りながら、見えなくなってるぞ、と揶揄うと、煩いですよ、と不機嫌な声が返ってくる。
「報せでございましょう?変わりなければその辺りに置いておいて下さいませ」
顔は見えないながらも声だけは聴こえて、はいよ、と枉駕は近場に積まれた文書の山の一つに持ってきた報せを置いた。
「今日は早めに上がろうと思ったのだが…。お前はまだ務めを続けるのか?」
戸の側から声をかけると、戻れると思いますか?、と逆に返されてしまう。まあ無理であろうな、と笑ってみるが戸の側からは動けない。少しでも動けば文書の山に身体が当たって崩してしまいそうだからだ。山のように積み重ねられた文書は荊軻が整えたのだろうから、崩してしまっては何と責められるかわかったものではない。しかしよくもまあたった三月でこれだけの報せが溜まるものだ、と部屋の中を見渡しながら枉駕は嘆息する。
「これはそう易々と片付きはせんだろうて。慌てずとも良かろう?…というか部下にも任せてはどうなのだ?」
「私が目を通した後であれば部下に任せても良いのですがね。報せを私が存じておかねば後々困ったことになるやもしれませんから。それでは私の立場、というものが揺るぎますので…」
「それは分かっておるがな」
山積みになった文書の中で頭だけが見える荊軻に、余り根を詰めるな、と言ってみるが性分だろうから無理だろうと思われた。
「これでも長が半分ほど持っていって下さっておりますからね。その長にも枉駕と同じことを言われましたので、本日はこの文書で終いに致しますよ」
「ならば良いが…。は?長の自室もこうなっておられるのか?」
悧羅が持っていったと聞いて枉駕も流石に焦ってしまった。だが荊軻はけろりとして、そうですよ、と言うばかりだ。
「三月叱らなかったのですから、少しばかりはお手伝いいただきませんと。根を詰めるなと仰せならば持っていって下さいまし、と申しましたら笑っておられました。お部屋の隣に運ばせましたのでお二人のお部屋は大事ございませんよ」
当たり前のように言ってのける荊軻に枉駕はまた苦笑するしかない。そんなことを悧羅に言えるのは荊軻しかいない。
「昼間は紳様もお務めですし、御子方も学舎や隊士達と共に動かれますでしょう?よろしいではないですか」
軽く言ってのけながら荊軻は目を通していた文書を巻き取った。目を通し終えた文書を入れている木箱に入れると、やれやれ、と椅子から立ち上がって大きく伸びをする。一日座り通しであったので身体の彼方此方から音が鳴る。ようやく埋もれていた荊軻の顔が見えて枉駕もほっと安堵した。頭しか見えていない時には憔悴仕切っているかとも思ったのだが、なかなかに穏やかな笑顔が見えたからだ。
「長にお報せする手間も省けますし何某かあれば私に仰せになりますでしょう。日々報せは届きますのでこのままでは私の部屋が文書で埋め尽くされてしまいますからね」
文書の隙間を縫うように枉駕の元まで歩いてきて、では戻りましょうか、と荊軻が務めの場の灯を吹き消した。良いのか?、と一応尋ねる枉駕に、はい、と荊軻が微笑む。
「私も三月ほど逑や子達を放っておったようなものでございますからね。御機嫌をとっておかねば後々恐しいのです」
笑う荊軻に、我と同じだな、と笑いながら二人は場を後にしてそれぞれの邸に戻ることにした。
荊軻達が務めの場を後にしたほんの僅かの後に報せを持ってきた紳は場の灯が消えていることに気づいて文書だけを中に入れた。積み重ねられた文書の山に苦笑しながら近場の山に置いて戸を閉めてから宮に戻る。迎えてくれた磐里と加嬬に変わりは無かったか尋ねると、つつがなく、と返ってきて安堵した。先に湯に行こうかとも思ったが悧羅は?と聞くと二人が小さく笑っている。
「お務めをなさっておいででございます」
務め?、と聞き返しながら二人と共に自室に向かうと自室の隣で、こちらに、と言われた。紳が夜伽の任に就いていた時に与えられた部屋だ。
「何でここ?部屋じゃ駄目なの?」
首を傾げる紳に、開ければ分かる、と二人は笑っている。ふうん、と言いながら戸を開けて見えた景色に紳は、何これ、と目を丸くした。自室と同じ程度の部屋の広さはあるはずなのにそこには天井に着くのではないかというほどの文書の山が幾つも出来ている。先程報せを届けた荊軻の部屋よりも、ともすれば文書の数が多い。部屋が広い分荊軻のように卓まで埋まって姿が見えない、という事はないがそれでも目を見張る程の多さだ。
「お昼間、荊軻殿に根を詰められないように、と申し上げに行かれましたら叱られてしまわれたそうでございますよ。ではお手伝い下さいまし、と」
「それで、こういうことなわけね」
苦笑しながら部屋に入ると二人が戸を閉めてくれた。随分と読み耽っているようで戸が開けられたことにも悧羅は気づいていないようだ。いつもならほんの少しの物音にも耳を澄ましているのに珍しい、と小さく笑いながら紳は悧羅の名を呼んだ。その声でようやく悧羅が文書から視線を外した。紳を見ると、おや、と笑いながら筆を置いている。
「お戻りやし。…もうそのような刻であったのかえ?」
「うん。少し早く帰ってきたけどね。…すごい事になってるね」
悧羅の前に座って自分の膝に乗せながら紳は笑ってしまう。座るとまた文書の山が高く見える。音も遮ぎられているような厚さに、これでは多少の音にも気づかないはずだ、と納得した。
「三月も叱らなかったのだから、手伝えと言われての。あまりにも数が多かった故、半分ほど運ばせた。荊軻の元には日々報せが届くであろうからの。妾で見れる事ならば良いであろ」
紳の膝の上で軽く伸びをしている悧羅に軽く口付けてから、それにしても、と紳はもう一度部屋を見渡した。
「半分以上でしょ、これ?容赦ないなぁ」
「それが荊軻であるからの。逆らわぬ方がよろしかろう」
確かに、と紳も笑うしかない。荊軻と枉駕が居ない間、確かに叱られはしなかったが遊んでいたわけではない。紳も武官隊を預けられた手前、しっかりと務めに出ていたし、悧羅には王母からの任も下っていた。荊軻は自分が居ない間に紳達が寝所に籠っている刻が多かったのだろうと思っているかもしれないが、全く籠れていないのだ。紳としては籠りたかったのだが、なかなかに難かしかった。
「俺たちが籠ってたって思ってるんだろうなあ」
くすくすと笑う紳に、そのようだ、と悧羅も笑っている。
「否と言うも面倒であった故。そう思っておるならばそれで良い。なれどこれだけの物を荊軻だけに任せるのもしのびないでな」
「まあ、そうだね。今報せを持っていったけど部屋の中足の踏み場もないもん。でも荊軻も帰ってたみたいだよ?」
膝の上の悧羅を抱きしめながら伝えると、それは良いことだ、と胸に頭を預けられる。この様子では食餌も摂っていないのだろう。少しばかり疲れているような悧羅の背中を優しく叩いて労うと小さな笑い声が届いた。
「では妾もここまでにしようかの。子どもらも戻っておるのであろ。紳も食餌を摂らねばな」
「悧羅もね」
もう一度口付けてから二人で部屋を出て磐里と加嬬に食餌を頼むと丁度子どもたちも食餌を摂っている、と言われた。子どもたちのいる部屋に入ると、元気なままの皓滓、灶絃、玳絃とぐったりしている媟雅、忋抖、啝珈の姿が見えて二人は小さく笑ってしまう。上の三人の姿はこの三月で見慣れている。紳が武官隊と近衛隊、両方を預かったので鍛錬もより厳しくなっているのだ。どうやら今日も鍛われたようだ、と笑いながら場に座ると下の子どもたちが二人の膝に座り始める。妲己と哀玥も悧羅に擦り寄ってきてそれぞれの頭を撫でていると、隣で紳が笑いながら上の子どもたちに声をかけている。
「早く食って早く寝ないと明日がもたないぞ?」
揶揄うような紳の言葉に、勘弁してよう、と啝珈が嘆いている。
「精気を獲りに行く気力もないのにい」
「…俺、今佟悧に襲われたら抵抗できないかも…」
大きく溜息をつく双子に紳は苦笑するしかない。まだまだ序の口なんだぞ?、と笑っている紳の前に食餌と酒を乗せた膳が運ばれてくる。悧羅の前にも膳が置かれると膝に乗っていた子どもたちもそれぞれの場に戻って食餌を摂り始めた。
「父様も同じように動いてるのに…。むしろ私たちより多く動いてるよね?私たちは見廻りで交代できるけど父様は鍛錬の付け通しでしょ?その上、時々診療所も覗いてるよね。…疲れてないの?」
大きな溜息をついて媟雅は箸を置く。疲れすぎてどうにも食餌を摂る気になれない。置かれている茶を啜るのが精一杯だ。本当なら帰ってすぐに眠りたいくらいなのに、紳はにこにこと笑って媟雅達を見ている。
「まだまだこれくらいじゃ疲れなんてしないよ。大して動いてもないしな」
悧羅が注いでくれた酒を飲みながら言う紳に、嘘でしょ、と三人が肩を落とした。その姿があまりに可愛いらしくてつい悧羅が笑ってしまうと、母様、と嗜められてしまう。
「おや、すまぬ。近頃は妾に手合わせを望む気力もないようじゃの」
小さく笑い続ける悧羅に、そうなの?、と紳も笑っている。
「戻ったら悧羅と手合わせしてるって思ってたのに。じゃあもう少し厳しくしても良さそうだね」
そのようだ、と笑い合う紳と悧羅に、勘弁してよお、と啝珈がまた嘆く。おやまあ、と笑いながらも三人を見る悧羅の目は柔らかだ。
「紳もそれ以上の鍛錬を積んで今があるのじゃ。しっかりと学ぶがよろしかろうよ」
食餌に箸を付けながら諭すように悧羅が言うと、父様は最初から強かったんじゃないの?、と媟雅が首を傾げている。そんなわけないだろう?、と酒を呑みながら紳は声を上げて笑った。
「強くならなきゃ悧羅の側に近づけなかったから、血反吐吐くまで鍛えたんだよ。元々のらりくらり過ごしてたからな。お前たちよりしんどかったぞ?」
笑う紳に、ああそうか、と忋抖が言う。
「父様は母様を護りたいって目標があったんだもんね。そりゃ血反吐吐くまでやるよね」
幼い頃に、護りたいものがあるなら強くなれる、と紳に言われたことを思い出して忋抖も箸を置いた。里を移した直後で悧羅が伏せった時だったと思う。漠然と悧羅を護らなければ、と幼いながらに思ったが父母の間にあったことを知った今では紳の覚悟が相当のものであったことはわかっているつもりだ。
「護りたいものかあ…」
ぽつりと呟いた忋抖に、焦るな、と紳は笑った。
「お前たちはまだまだ成長途中だろ?最盛期になれば身体の成長も止まるだろうけど、それまでまだ十年以上はかかるだろうから。それまでに見つけるのも難かしいだろうしな。日々の鍛錬に慣れてきたら自分でまた別に鍛錬を詰めばいい。そこそこでいいならそれもそれだ。でも何か大切なものができた時に護りたいって思うなら、強さは持ってて損はないだろうけどね」
「そうは言われてもね、父様と母様の子ってだけで変に期待されるんだもん」
頬を膨らます啝珈を媟雅が小突いた。それを二人に言ったところで困らせるだけだ。別にそう思われていても仕方がないのだし、媟雅達も紳と悧羅の子であることを誇りに思っている。だからこそ恥ずかしい真似は出来ない。
「おやまあ、そのような事気にするでないよ?其方らは妾たちの子だがそれぞれに思いもあろう?気負わずとも思う道を進めばよいだけじゃて」
のう?、と悧羅が紳に言うと、うん、と隣で紳も笑っている。
「妙な期待がかかるのは仕方ないけどな。それに惑わされる必要はないよ。でも一つ言えるのは俺たちの子なんだから鍛錬次第で伸び代は他の奴らよりもあると思ってるけどね。まだまだお前たちに俺も負けるわけにはいかないから用心はするけどさ」
簡単に言ってくれるよね、と肩を落とした忋抖だったが、あれ?、と紳を見た。
「父様、今の言い方だと今でも鍛錬してるってこと?宮で見た事ないけど…」
「そりゃするよ。一応これでも里の二番手ってことになってるんだし、そう易々と悧羅の側に侍る奴を出すわけにいかないでしょ。宮では確かにしないかな。ここは俺にとって安らげる場所だから」
へえ、と言う忋抖が今度連れて行ってくれ、とせがむ。
「別に良いけど面白くないぞ?ひたすら黙々とやってるだけだからな」
苦笑する紳に、そんな姿が見たいの!、と忋抖が言う。数多の隊士達相手に難なく大刀一本であしらって、息も切らさない紳がどんな鍛錬をしているのか見てみたいのだ。いつもなら自分も行く、と言い出す媟雅と啝珈は、今の鍛錬にもう少し慣れてからで良いと辞している。
「でもそんな元気があるなら佟悧に教えておこうかな。今なら夜這いかけれるぞって」
え?、と焦る忋抖に笑いながら悧羅も、それは良い、と揶揄うと、駄目だって!、と忋抖が叫んだ。
「そんなこと言ったら本気で来るから!本気で俺が危ないから!焚きつけたら恨むからね?!」
本当にやめて、と哀願する忋抖にその場の皆が笑ってしまう。
「哀玥頼むよ?俺が夜這いかけられないように護ってよ?」
悧羅の側に侍っていた哀玥が小さく笑いながら忋抖にすり寄った。お任せを、と擦り寄られて忋抖が哀玥を抱きしめる。
「俺の味方はおまえだけだよお」
くそお、と嘆く忋抖の姿にまた皆で笑ってしまった。
日常回ですね。
しばらく続きますが、ゆっくりと進めていきます。
お楽しみいただけましたか?
ありがとうございました。