糺す【玖】《タダス【ク】》
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荊軻と枉駕は晴明の邸に滞在しながら夜毎倭の国を見聞して廻った。昼間でも良かったのだが妖達が動き出すのは夜が更けてからの方が格段に多い。諍いを起こすつもりもないので、ただどういった妖達が、この十年で倭の国で能力を伸ばしているのかが知りたかった。能力を溜めたモノが王母の場に近づくことは好ましくはないし、知らぬ内に足元を掬われるような事があってはならないからだ。
倖にも二人が鬼神だと知ると大概の妖達は友好的であったから話をする事も容易かった。その中でも多く聞かれたのが大国から渡って来たという九尾狐の話だ。
「処刑されたと見せかけて逃げ出していたようだ。しばらく大国に身を隠していたようだが、次の狙いを倭に決めたようで今は弱った能力を戻すために死肉を喰らっている」
その昔の九尾狐と同じモノなのかは分からないが、とも言う妖達に確かにと荊軻も枉駕も納得せざるを得ない。転生なのか新しいモノなのかは分かっていないがいつの時代にも九尾狐は大妖として名を馳せている。以前荊軻が調べた鬼の史実の中でもその名はよく目にしていたのだ。
「どちらにせよ私共の里に害を及ぼさねば捨て置いてよろしいでしょうね」
「九尾狐といえば朝廷に入り込み皇帝や帝を誑かすのであろう?こちらに渡ったのもそれが目的だろうな」
考えが一致した事で荊軻と枉駕は別の地を廻り始める。彼方此方で様々な妖達の情報を得ながら見聞を続け、気づいた時には十年前に里が有った筈の場まで行き着いた。里が有った場所は大きく抉り取られ何処からか水が流れ込み広大な湖になっていた。人の子の国を四つに分断していた霊峰も無くなった事で国同士の行き来も容易くなったのか、人の流れも多い。人の子の数も少しばかり増えているようだ。
交流のあった北の国のことは気にはなったけれど、平賀永之介が死んだ後も荊軻達が居なくなっていても何も変わらず暮らしを築いている姿が見えて二人は安堵する。鬼の里が無くなった事で東西や南の国などは喜んだかもしれないが、北の国の人の子はよく鬼達に懐いていたし、悧羅から受ける恩恵にも心から感謝しているのを知っていたからだ。その恩恵を突然に奪われてどうしているのか、と気になっていたのだ。
「…姿は見せぬ方が良かろうな」
少し増えた北の国の人の子の姿を見ながら言う枉駕に荊軻も頷いた。ここで姿をみせればまた悧羅からの恩恵があると勘違いさせてしまうだろう。見える顔には当時幼子だった者たちの面影もある。人の子が自らの力で前へ進もうとしているのならばそれが一番良い事なのだ。せめて息災にしている事を見る事が出来ただけでも悧羅への良い手土産になるだろう。ほんの十年前まで住んでいた場を懐かしみながら、本当に人の子は勝手に増えるものだと二人はまた別の場を見るために翔け始めた。
夜が明け始める頃には晴明の邸に戻り、また夜が更けると見聞に廻る。荊軻と枉駕が二人同時に里を空ける事など無かったが、その甲斐はあった。同時に同じモノを見て話す事で互いの考えを交わることもできた。見聞する事も時には休んで晴明や集ってきた妖達と酒を酌み交わしていても色々な話が聞けた。夜叉というモノには出くわすことはそうそう無いらしいが、鬼達の様に人型をしている、ということらしかった。蛙も言っていた通り直に動かなくとも話は入ってくるようで見かけたらしいと言われる場にも二人は行ってみたのだが結局姿を見る事は叶わなかった。
そうして倭の国を廻り終わる頃には里を空けて三月が経ってしまっていた。滞在している晴明の邸も雪を白く覆われて久しく感じていなかった季節を肌で感じた。
「随分と長居をしてしまいました」
そろそろ御暇致します、と伝えた荊軻に、また近い内に、と言いながらその夜は皆で酒を酌み交わすことにした。
「しばらくしたら俺も唐へ渡ることになりそうだ」
酒を呑みながら言う晴明に、唐?、と枉駕が首を傾げた。うん、と頷きながら晴明は小さく笑っている。
「海を渡った先に大きな大陸があるだろう?そこの事なのだが、倭の国では学べないこともあるからな。陰陽道はあちらから渡ったものだ。少しばかり技を磨きにいこうと思ってな」
おや、と荊軻が苦笑した。希代の術師と言われながらもまだ学ぶのか、と笑う枉駕に、なんの、と晴明は笑っている。
「…あまりよろしくない術者も出て来ているからな。それこそ俺と変わらぬ能力を持ちながら好き放題している輩もいる。能力は使う者次第で善きことにも荒ぶることにもなり得るものだ。牽制…、とまでは言えないだろうが何某かあってから敵わなかった、では話にならんだろう?」
「お前と変わらぬ、というのは面白いな。晴明ほどの者はそう現れぬと思っていたが、すでに居るとは興を持ってしまうでは無いか」
苦笑する枉駕に、やめておけ、と晴明は手を振った。
「あまり善い者ではない。俺も会う事はそうないが、…そういえば大分前にお前たちのことを聞かれたな」
思い出したように言いながら晴明は酒を呑み続けている。私共の事をですか?、と首を傾げる荊軻に、うん、と晴明は頷いた。
「あれはどれくらい前であったかな…。まだお前たちに見えた者達も多くいた頃だったから五、六年位前になるか。元々野に下っている奴なのでな、噂を聞きつけて俺に聞きに来た、といった感じだがな。すでにお前たちはこの地には居なかったし、会うたことはあるが何処におるかは知らんと言っておいた。偽りではないし、教えたい奴でもない」
「晴明がそれ程までに嫌悪するほどの者なのですか?」
「あまり関わりたくない、と言った方がいいな。昔から善い思いは抱いていないし。お前たちの事を知れば良からぬ事を考えるのは目に見えている。関わらぬ方が良いぞ」
辟易したように酒瓶を振る晴明に、そうしておきますよ、と荊軻は笑った。だが大国に晴明が来るとは思っても居なかった。今の大国に来た所で朝は整っていないのではないだろうか、とも思うが口には出さずにおく。悧羅が王母の任で大国の宮廷を正したのは三月前のことだ。正したとはいえ巣食っていた妖達は捨て置いているそうだから、そう易々と整っているとは考え難い。…もしかしたら荊軻達が居ない間に何かしら行っているのかも知れないが、海を隔てたこの場ではそれを知ることは出来ない。
「唐に渡る、ということは朝廷に行くのか?」
同じように考えていたのだろう。枉駕が尋ねると、いいや、と晴明は首を振った。朝や官吏になどは興味はない。
「伯道上人という方がおられるそうでな。文を出したら一時預かってもよい、と返事を頂だいた。道教でも名を知れたお方だからな。一時なりとも弟子にしてもらえるのであれば海を渡るのも面白いだろう?」
なるほど、と笑いながら船で渡るのですか?、と聞く荊軻に、いいや、と晴明は更に笑っている。
「妖達には空を翔けてくれるモノもいる。朧車が乗せて行ってくれると言うから甘えるつもりだ。…まあもう少し暖かくならねば俺も凍えてしまうのは嫌だしな」
「お前らしい」
笑いながら新しい酒瓶から酒を煽りながら、そういった道士がいるのであれば会ってみたいとも荊軻は思う。大国であれば下るだけでよい。姍寂の一件についても晴明が師として仰ぐような者ならば何かしら知っているかもしれないからだ。
どちらにせよ晴明が大国に渡って、また倭の国に帰ってからの方が望ましい。例え晴明が友とはいえ王母の治める場にいれるわけにはいかないのだ。万が一入ったとして呼び込んだ荊軻だけが罰を受けるならば良いが、きっと悧羅にもその責は問われる。これ以上の苦渋を悧羅に与えるわけにはいかないのだ。考える荊軻の耳に、ところで、と枉駕の声が響く。
「野におる陰陽師とはそれなりに数がおるものなのか?」
「何だ?興を持つなと言っただろう?」
新しい酒瓶を手に取る枉駕を呆れたように眺めながら晴明が溜息をついた。
「別に興を持ったわけではない。お前程の能力を持ちながら野に下ったままという者も珍しいのではないか、と思ってな。名ぐらい知っておいても損はなかろう?こちらに擦り寄ってきたとしても用心できるでは無いか」
くすくすと笑う枉駕に、確かにそうですね、と荊軻も同意する。実を言えばそういう者が居るということさえも知らなかった。陰陽師はすべからく帝に仕えたり人の子のために能力を振るうものだと思っていた。だが晴明の言い方ではそうでは無いようだ。良からぬ事を考えたり、他者を陥れたりすることに秀でているのだろう。それでも晴明と変わらぬ能力を有しており、かつ荊軻達鬼神に興を持っているのだとしたらいつか擦り寄ってくるかもしれない、とは考えておかねばならないだろう。悧羅であればそれが善き者が企みを抱いている者なのかは一目見れば分かるだろうが、精気を獲りに人の子の場へ降りた一介の鬼であれば騙されるかもしれない。
それは荊軻も枉駕にも言える事だ。
用心するにこしたことはないのは確かだった。
「…まあそうだな。根本的に陰陽師というものは宮仕えの役人という立場なのだが。そいつは播磨国から来ていてな、そこには宮仕えをしていない在野の術師が多くいる。播磨法師というのだが、そいつはそこの首魁だ。俺よりも歳の頃は上だな。もう老齢に近い。名を蘆屋道満という」
何処に居るかは知らんぞ?、と言う晴明の横で、枉駕が酒瓶を揺らしている。何やら考え込んでいるような枉駕に荊軻も晴明も眉を顰めた。
「…何か思うところでもあるのか?」
尋ねる晴明に枉駕は、うん?、と天井を仰いだ。聞かれたくないことでもあるのだろう、と晴明も思い直して、厠に行ってくる、と部屋を出て行く。戸が閉められて晴明の気配が遠くなってから、枉駕?、と荊軻が声をかける。返事の代わりに、可笑しいとは思わんか?、と枉駕が荊軻を見た。
「倭の国の妖達の力の崩れといい、先だっての一件といい…。加えて晴明が大国に渡る。晴明ほどの能力を持つような術者は我ら鬼に興を持っておって、何より我らが探しても妖達の噂になっておるような九尾狐や夜叉には見えていない」
「まあそうですが…。たまたま、ということもございましょう?」
そうだがな、と枉駕は苦笑している。
「晴明のように稀有な者であるならば、我らのように懇意にしておる妖達がおるのではないか、と思うたのだよ。ただそれだけの事だ」
…そう。それだけの事なのだ。だがここでその名を聞いた事も、荊軻や枉駕が長く倭の国で見聞を広げる事になったことにも何かの意志があるのだとすれば気に留めておく必要があると思っただけだ。
「枉駕の言わんとすることは分かりますよ。そうであれば困った事になりますが、私共が倭の国におることを知った上で息を潜めているのだとすればなかなか厄介でございますね」
「ただの小さな懸念だ。だが名くらいは知っておいた方がよかろうよ」
蘆屋道満ね、と苦笑を深めてまた酒を煽り始めた枉駕はそれ以上を語ろうとはしなかった。晴明の気配も近づいていたし、真意も分からぬ者にばかり気を取られていても仕方がない。ゆっくりと蛙や晴明から話を聞きながら粛々と追い詰めて行けばいいのだ。焦って答えを見つけ出そうとしても、容易く進むとは思ってもいないし何より自分が荊軻に慌てるな、と言った手前枉駕が急くわけにはいかない。
「長には様々な土産話も出来た事だし喜んでいただけるだろう。俺もそろそろ里が恋しくなってきた」
「それは私も同じですよ。こんなに長らく長のお側を離れたこともございませんでしたし、里がどうしておるか少しばかり心配もしておりますから」
嘆息しながら酒を呑む荊軻に、枉駕が声をあげて豪快に笑って見せた。
「お前の懸念は長と紳様がこれ倖と寝所に籠っておられぬかどうかだろう?あながち間違うてはおらぬかもしれぬがそれはそれで里が安泰である、ということだ。良いではないか」
「そうですがね。あのお二人は見境を無くされることもしばしばなのでたまには叱らねばならないのですよ」
それがお前の役目だからな、と笑う枉駕が盃を差し出して来たので荊軻もそれに自分の盃を当てた。陶器の当たる音がして、焦らず行こう、という枉駕に荊軻も頷く。
「何事も全ては我らが長のためだ。長の倖は我らが護らねば。長が我らのために身を削ってこられた分、還していかねばならぬのだからな」
笑う枉駕に大きく頷いて荊軻も酒を煽る。500年前に自分が認めた者に間違いはなかった、とほんの少し荊軻は心の中で自分を褒めた。
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長らく滞在した晴明の邸に後ろ髪を引かれる思いを抱きながら別れを告げたのは、それから七日後の事だった。蛙や晴明からの話を聞きに、そう間を空けずにまた会いにくる事にはなるのだが、それでも別れは辛いものがあった。会いにくるとはいえ二人で降ることはそうないだろうし、今日までのように三人で酒を酌み交わす機会はもう訪ずれないかもしれないのだ。荊軻や枉駕のように晴明は長寿では無いし、まだ矍鑠としていても次に会う時はまた歳を重ねて老いているだろう。晴明が定命を迎えるまでには数える程しか会えないと思えば、やはり人の子の一生などほんの僅かな刻でしかないと思えてならない。
晴明が定命を迎えれば、これほどに気の合う人の子も現れないだろう。だが、それはそれで善いことなのかもしれなかった。永く生きれば生きるほど見送る者も多くなる。里でもそうだが懇意にしている者たちが先に天へ還るのを見送るのはそれなりに淋しいものなのだ。それが世の理とはいえ。悧羅が里を移し人の子との関わりを断った事には、そういう意もあったのかもしれない。
思えば長として立って500年、紳が側にいるようになるまで悧羅は極力親しい者も作らなかった。長という立場もあったけれど、里に降りて民達と触れあえば気の合う者も出ただろう。それをしなかったのは出来るだけ心を凍てつかせて最期の刻が来ても悲嘆する者が少なくあるように、と思っていたのかも知れなかった。今でこそ護るべき民達と触れあい気を許す者たちも増えてはいるが、単に紳の力が大きい。紳が居なければ今も尚、そのままの姿で倖も掴めていなかっただろう、と思えばやはり紳が居てくれて良かったと思うより無かった。
さて、その長はどうしておられるだろうか、と二人で笑いながら倭の国から離れた場所で門を開き中に入ったのは晴明の邸を出立して三日が経っていた。特段倭の国からでも門は開けるのだが、均衡が崩れつつある妖達や鬼に興を持っている道士がいると聞かされていたので、極力離れた場で開いたに過ぎない。瀑布のように流れ落ちる雲の手に抱かれるように門を潜ると背後で門の閉じる音がした。弾かれ無かった事に安堵して先を進むとしばらくして見覚えのある里の灯が見え始める。里にも宵が迫っているようだが、変わりのない里の姿とそれを臨むように立つ悧羅の宮を見て、二人はまた安堵した。悧羅や紳が居て里に何かしらの異変があるとは思っていなかったけれど、それでもやはり何処かで不安ではあったのだ。
「変わらぬようですね。何よりです」
笑う荊軻に枉駕も頷いて一先ず二人は宮へと翔ける。戻った事を報せに、という名目もあったが何より二人が一刻も早く悧羅の姿を見たかったのだ。その思いは二人が思っているよりも大きかったようで知らぬ間に翔ける速度が上がっていることに気づいて二人は共に苦笑するしかなかった。宮を囲む堅牢な門扉を越えて、悧羅の住まいである宮への戸を開き中に入る。そう宵も更けていないのだから、まだ紳と悧羅も寝所に入ってはいないだろう。宮の中に入って慣れた順序で廊下を進むと悧羅と紳の自室の前の廊下に出た二人は視線の先に穏やかに微笑んで立っている悧羅を見て思わず走り寄ってしまった。
二人が門を潜った気配がして宮に向かってくることも分かった悧羅が待っていてくれていたのだろう。立って待っていた悧羅の前に伏して礼を取ると、お戻りやし、と柔らかな声が二人を包んだ。
「長らく里を空けてしまいまして申し訳ございません」
伏したままの荊軻と枉駕に、くすくすと悧羅の鈴を転がすような笑い声が届く。楽にしや、と言われて顔を上げると悧羅が自室に入るように促した。それはさすがに辞すと、おや、と笑いながら悧羅が縁側に腰掛けた。開け放たれていた部屋の中から、何だよ入らないの?、とこれまた久しぶりに聞く紳の声がして濡れた髪を拭きながら寝間着姿の紳が出てくる。お帰り、と笑われて二人も、お久しゅう、と礼をとった。悧羅の隣に座った紳を見ながら変わらない二人にほっと息をつく。
「少しばかりは休めたかえ?」
微笑んだままの悧羅に聞かれて枉駕が、とても、と笑う。そうかえ、と笑いながら言う悧羅が、里も変わり無かった、と教えてくれた。
「其方達のこと故、休めと言わねば休まぬのでな。気が紛れたのであればそれが一番よろしい。…晴明も変わりなかったかえ?」
「はい。長がよろしゅうに、と申しておられたと伝えましたところ、本当に喜んでおりましたよ」
その姿が容易く浮かんだのだろう。おやおや、と悧羅が笑みを深くした。紳と共に礼に行った時は長居も出来ず礼を言う刻も限られていた。少しばかり老いた晴明がいつまで生きておられるだろうか、とも僅かばかり気にはなっていたのだ。息災でいてくれているのなら、それで良い。そう遠くない日に別れる日が来るとしても、だ。
「して、倭の国はどうであった?其方達の事だ。ついでとでも言うて彼方此方見聞して廻ったのであろう?」
「休めって言ったのに見聞してちゃ休みにならないよねって悧羅と話してたんだけど、二人のことだからじっとはしてないでしょ?」
悧羅だけでなく紳にまで見透かされて荊軻も枉駕も苦笑してしまった。確かに休め、と言われて行ったのに結局は夜な夜な見聞に廻っていたのだから務めをしている事と変わりはなかったかもしれない。
「ですが里を離れて古き友と酒を酌み交わせたのですから、十分な休息でござったよ」
足を崩しながら笑う枉駕に紳が笑っている。ならいいけど、とまた髪を拭き始めた。紳と悧羅に見聞した倭の国の事と妖達の均衡が自分達が居なくなってから崩れているようだ、と枉駕が話すと、うん、と悧羅が頷いている。大国から渡った妖の影響の少なからずあるのだろう、と伝えるとまた頷いている。
「さもありなん、といったところであろうの。此方に手を出さねば何ということもない。人の子の世に巣食う妖達の事は何某かあれば王母が言うてくるであろうからの」
言ってこないとしても先手を打たなければならないのだが、と思いながら悧羅は先を促すした。三月も里を離れていた二人がそれだけしか得てきていないとは思っていないのだ。
「しばらく後に晴明が大国に渡るそうでございます。朝に用があるではなし伯道上人なる道士に何やら学びにくるとか。…それと晴明と同格の術師がおる、とも申しておりました。役人としておらず野に下った者だ、と。晴明はあまり関わりたくない、とも申しておりましたね」
荊軻の報せに、へえ、と興を持ったのは紳の方だった。紳も晴明の陰陽師としての腕は認めている。妖達と懇意にしたいという稀有な者ではあるが人の子国にいた時は晴明以上の術者は居ないと思っていたほどだ。だからこそ、姍寂の一件を収めるために晴明に式神を作ってもらえれば、と案をだした。それは面白いのう、と悧羅は笑っているが紳には面白いとは思えない。何かしら少し引っかかってしまう。
「面白くはないでしょ?」
笑う悧羅を嗜めるが、そうか?、と笑うばかりだ。
「だって晴明みたいな奴なんでしょ?悧羅を嫁にしたいって言い出したらどうするの」
揶揄うように言っては見たが紳が不安に思うのはそこではない。晴明と同格の術者がいる事自体は紳達にとってはどうでも良いことだ。牙を剥かれようが鬼である紳達にとってはただの人の子と変わらない。気になるのは晴明のような者が晴明と同じように妖達と通じていた場合だ。荊軻と枉駕の話ではあまり良い印象を持つことは出来ない。倭の国の妖達の均衡が崩れている事といい、大妖と呼ばれる妖達が自分達と入れ替わるように倭の国に渡ったことといい時期が重なり過ぎているようにも思うのだ。
「渡った妖達に会うことは叶いませんでしたが、何かしらの噂があれば妖の世は蛙爺が、人の子の世は晴明が教えてくれる、と申してくれましたから。…尋ねるためには幾度か降りねはなりませんが、それは私か枉駕が務めます」
「それはまた…。危ういことに巻き込まねばよいがの。じゃが、晴明の元に降りるは其方達にはよろしかろうて。あと何度見えることが叶うかなど分からぬでな。大事に致さねばの」
そうでございますね、と荊軻と枉駕も大きく頷いた。二人がそう思いながら帰ってきたことも悧羅は慮ってくれたのだと思うと嬉しくもある。
「ほんに人の子の一生など妾らにとれば瞬きの間のようなもの故。晴明が大国に渡ってまで師と仰ぐ道士がおるのであらば、どのような者なのか気にもなるところじゃな。妾らの知らぬ事も知っておるやも知れぬしの」
「でも人の子とは余り関わりたくないんでしょう?俺たちの存在が知れるのも好ましくないって言ってたじゃない」
悧羅の頭に手を乗せて紳が言うと、そうだな、と悧羅も苦笑している。道士が道士足る目的は不老不死の仙人になる事だ。王母の場や悧羅達が居を構えていることが知れれば如何に修行を積んでいても、この場に興を持って善からぬ事を考えるかもしれない。そうならないように悧羅達がいるのだが、同じような考えを持つ者が集えば面倒になるだろう。その時はその時で応じるだけなのだけれど。
「それと北の国など元々里があった場の近隣は少しばかり数が増えて穏やかでございましたよ」
考えに耽っていた悧羅に荊軻が伝えると、悧羅はそれはよろしいことだ、と笑ってみせる。
「何より其方達が戻ったことが何よりじゃ。務めは溜まっておろうが妾らに刻はゆるりとある。ゆるりゆるりと歩もうかの」
くすくすと笑う悧羅に、そうでございますね、と大きく頷きながら護られている感覚が二人を包んだ。還ってきたのだ、と深い感慨に浸かりながら二人は三月の間にあったことをゆっくりと話して聞かせることにした。
今日もメンテナンスに気づかず…。
もう少し早く更新できる予定だったのですが、申し訳ありません。
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ありがとうございました。