糺す【捌】《タダス【ハチ】》
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晴明の元に懐しい友からの式が届いたのは周りの景色が時折降る雪で白く化粧を始めようか、という頃だった。いつものように務めを終えて邸に戻ると門扉の上に小さな群青色をした鳥が停まっていた。手を挙げるとぱたぱたと飛んで晴明の指に停まると鳥が姿を消して代わりに一通の文が現れた。広げてみると達筆で流れるような文字がしたためられている。内容としては、近いうちに久方ぶりに酒を酌み交わしたい、というものだ。こちらから返答することが出来ないのが残念ではあったが、十年ぶりに会えるとなれば晴明の心も踊るというものだ。
邸に入って身の廻りの支度をさせている式に部屋と大量の酒の支度を命じる。数ヶ月前に会えた枉駕は一瞬であったし、事が一段落したと礼を言いに来てくれた悧羅と紳も長居は出来なかった。けれど、文にしたためられているのは、晴明さえ良ければしばらく滞在したい、という喜ばしいものなのだ。迷惑だなどと誰が思うだろう。十年前に突如として消えた鬼の里が無事であることは荊軻からの式で知っていた。けれど幾度尋ねてみようとしても何処に移ったのかさえ分からず、こちらから式を飛ばすことも出来なかった。荊軻達の気配を辿れば、とも思って幾度かは試してみたのだがすべからく戻って来たことは無い。途中で気配も消えていたから、式自体が辿りつけず阻まれたのだろうことは読み取れた。
人が入り込んではならぬ場ということか。
それだけが確かなものとして分かって晴明は探すことを諦めた。この十年、時折一方的に来る文で友達が変わりなく過ごしているのは分かったし、何より唐突ではあるが先の枉駕のように、ひょっこりと姿を見せてくれることもあったからだ。会う度に老けこんだな、とも言われたが長く姿形が変わらぬ鬼達の方が面白い生きモノなのだ。
小さく笑いながら湯を使って少し肌寒くも感じる縁側で身体を休めていると宵が更けてくると共に、いつものように妖達が集い始めてくる。其々に酒盛りを始めこれまたいつものように蛙爺が跳ねるように現れて晴明の横に座ると勝手に酒を呑み始めた。
「爺、懐かしい者達が来てくれるそうだぞ」
ずんぐりとした姿に向けて晴明が言うと、おや、ときょろりとした目を細めて蛙がふぉっふぉっと笑い出した。
「それはお前の機嫌が良いわけじゃ。なれど、長様がおいで下さったのもつい先日のことでは無かったか?」
何事かあったのか?と問われたが、ただ酒を酌み交わしに来るらしい、と晴明は笑いながらそう遠くない日に見えることの出来た悧羅の姿を思い出す。変わらない、という言葉は似合わないだろう。姿形は変わらなかったけれど儚げな美しさは十年で更に増していた。初めて見えた時も、帝を堕とした時も美しいと思ったが姿が見えた瞬間に膝を折るほどに悧羅は美しかった。ほんの少し痩せたようにも思えたが、紳と共に立つ姿に倖なのであろうことが垣間見えて微笑ましくもあった。晴明が作った式が役に立ってくれた、と礼を言われた時は天にも昇る気持ちになり容易く墜ちた晴明に苦笑する紳が目を覚まさせてくれなければ、また数日は自分を取り戻せなかっただろう。
見えた刻はそう長くはなかったけれど、姿を見れて言葉を交わせただけで晴明には何よりの褒美だった。自分が生きている間であれば、どんな事にも使ってもらって構わない、という晴明に悧羅は笑っていた。使ってもらいまた姿を見たいという気持ちが伝わったのだろうとは思ったが、隠す事でもない。この十年で晴明にも妻子が出来たが妖達の集うこの邸には入れていない。別宅で過ごさせているのは晴明自身が妖達と通じていることを知られたく無かったこともあるが、悧羅達鬼神の存在を隠しておきたいからかも知れなかった。
先代の帝が身罷ってからも十年の月日が経っている。あの時悧羅に墜とされた官吏や内裏の者たちも随分と数が減った。あの時以来、悧羅達を見ていない者の中には夢であったのではないか、と言い出す者までいる。だがそれでいいのだろう。悧羅達にとっては手を出されたから姿を見せただけであって人の子の手が関われない場に移り健やかに過ごせているならばそれが一番良いことなのだから。仮に晴明が悧羅達と通じている事を知ってしまう者が出れば、また良からぬことに巻き込んでしまうだろう。鬼神という存在自体が手に入れたくなるほどの魅惑的なものなのだ。あの美しい鬼長が苦しむことは晴明の望むところではない。
懐かしみながら蛙と酒を呑んでいると、俄かに辺りが騒がしくなる。来たか、と空を仰ぐと音もなく二人の鬼が庭に降り立った。月明かりに照らされながらも晴明を見留めて二人が歩み寄ってくる。肘掛けに預けていた身体を起こして晴明も笑って二人を迎えた。
「お久しゅうございますね、晴明」
柔らかな笑顔を浮かべて荊軻がすぐ側で立ち止まった。続くように枉駕も止まって手を挙げている。まずは、と荊軻が頭を下げた。
「先だっては助力を頂き礼を申しあげておきますね。さすがは晴明の作りし式神でございました」
にっこりと笑って頭を上げた荊軻に、やめてくれ、と晴明は笑う。
「堅苦しいことこの上ない。俺は友の願いと長殿のお役に立てたのならそれでいい。長殿もわざわざお越し下さったのだぞ?これ以上の褒美があるか?」
くすくすと笑いながら蛙が空けた場に座るように促すと、確かに、と二人が笑って勧められるままに縁側に腰掛けた。二人に酒と盃を持ってくるように式に命じると余り待たせることなく二人の手元に酒が置かれた。それぞれに注ぎあいながら酒を酌み交わし始めると、本当に久しいですね、と荊軻が呟くように言う。
「枉駕は先だって来てくれていたがな。色々と忙しいのだろう?俺たち人にとっては十年は長いがお前たち鬼にとれば一呼吸の間だろうよ」
変わらない二人の姿に晴明が苦笑する。本当に何一つ変わらないのだからそう思うのは仕方ない。
「これでも少しばかりは長い刻でございましたよ。突然に姿を消したので案じておってくれたのでしょう?」
「それはな。だが長殿の為さることだ。何の意もなく姿を消すなどとは思っていなかったし、お前も文をくれたからな。こちらから出すことは出来ないようであったので諦めたが、こうして又会えたのだ。何ということもないぞ」
そうですか、と笑う荊軻の横で、お前は見るたびに老いていくな、と枉駕が笑いながら酒を煽っている。さっさと一瓶空にして次の酒を頼んでいる姿に、これ、と嗜める荊軻の姿も十年ぶりに見ることができた姿だった。
人の子の世に鬼の里があった時はよくこうして三人で酒を呑みながら話したものだった。
「老いるのは人である限り仕方ないだろうよ。あの時の者たちももう殆どが黄泉の国に渡ってしまったからな。今ではお前たちのことを覚えている者も少ない。俺はまだ迎えが来ていないだけのことだ」
「人の子の一生というのは短すぎるものだな。その中で思い出されることも限りがあろうて。我らのことを忘れるのもまた仕方のない事であろうな」
そういうことだ、と晴明も頷いた。
「この小さな頭にどれだけのものが残せるものか。得てして人というものは己に都合の悪いことから忘れていくようにできているからな」
自分の頭を小突きながら言う晴明に、我らとて変わらぬよ、と枉駕は苦笑した。
「倖な事に包まれておるとそこに至るまでに何があったのかなど考えなくなるものだ。特に若い者たちが増えれば増えるほどに、老いた者たちは天に還る。当たり前にあるものが当たり前過ぎて学ぼうともしなくなるものだ」
何やら含みのある物言いに晴明が僅かに眉を上げた。式神を作って欲しいと乞われた時もその理由は問わなかったが何やら面倒な事が起こっているのだろうということは分かった。だが多くを語らない枉駕から何かを聞き出すことなど考えもしなかったし、言わないということは晴明がそれ以上関わることは許されないものだということだということも分かっていた。
けれど、今の枉駕の物言いは晴明に何があったか尋ねろ、と言われているような気がした。もしくは晴明から何かを引き出したいのかもしれない。眉を上げたまま、何があった?、と晴明は尋ねた。
「他愛もない事ですよ」
枉駕の代わりに応えた荊軻に、そうか、と苦笑すると枉駕も、そうだな、と苦笑している。
「他愛もないことだが刻が移ろうということはこういうことなのか、と近頃よく思うばかりだな」
苦笑したままで酒を呑み続ける枉駕がやけに淋し気に見えたがそれ以上聞く事を晴明は止めた。話したければ話すだろうし、口に出したくない事なのかも知れない。
「ところで、倭の国はこの所どうなのですか?ここはそう変わりありませんが」
荊軻も酒瓶を空にして近くにいた式に代わりを頼みながら話題を変えた。
「長も見聞したいと仰せなのですが何分お忙がしゅうにしておられまして。晴明のことも気に掛けておいででしたよ」
それは身に余るな、と笑いながら晴明も新たな酒を持ってくるように命じる。
「あいも変わらず、といった所だな。妖たちも変わらず出るし、この所は陰陽師が重宝されている。星を読んだり易を占じたりとな。病まで妖の仕業だとして祈祷もさせられる。なかなかに秀でている者たちも出てきているぞ?」
「それは善い事なのでしょうかねえ…。同じ妖としましては調伏されるのも余り喜ばしいことではないですが」
どうであろうな、と晴明は新しい酒を受け取りながら笑った。
「人を喰らうモノもいるからな。まあ、殆どが死肉や、その心の臓を狙っているモノなのだが、やたらと近頃はそれが多い。夜叉を見ただの九尾狐を見たなどともいうものもおるし、倭の国での妖の理も崩れておるのだろうて」
ほう、と興を持ったように枉駕が目を細めた。枉駕達が人の子の国にいた頃は、死肉を狙うモノは少なかったように覚えている。少なくとも里の近くでそういった真似をするモノはいなかった。それは悧羅が近隣の人の子の里に恩恵を与えていたのも大きいだろう。
「前から死肉を狙うモノはおったのか?」
「まあおるにはおったな。その辺りは爺に聞いたが早かろうよ」
酒を煽って晴明が蛙を呼ぶと、ぴょこぴょこと跳ねるようにして三人の前まで歩いてくると大きな頭を軽く下げた。
「お久しゅうございますな。また眉目秀麗な方々に見えることが叶いまして嬉しゅうございますぞ。長生きもするものでございますな」
ふぉっふぉっ、と笑う蛙に荊軻も枉駕も笑いが隠せない。蛙の方こそ変わりがないように見えるからだ。
「長様にも先だって見えることが叶いました。あいも変わらず美しゅうて、伴侶の紳殿が羨ましゅうござった。睦まじさも変わらぬようで安堵致しむしたぞえ」
目を細める蛙に晴明が自分の座っている場を少し開けると、よいしょ、と跳ねて腰掛ける。懐から煙管を出して吹かし始めると、何ぞお聞きになりたいことでも?、と煙を吐き出して輪を作りながら蛙が尋ねた。
「懐かしい匂いだな」
その昔ほんの一時ではあったが悧羅が嗜んでいたことをふと思い出して枉駕は小さく笑った。長として立って100年ほどは悧羅は煙管を嗜んでいた。民達からの里を落ち着けた事に対する礼として献上された物だったので民達の気持ちも汲んでのことだったのだろうが身体に合わなかったようで、そこ100年ほどで止めてしまっていた。今でも煙管自体は朝議の場に飾ってあるが、紳は悧羅が嗜んでいたことすら知らないだろう。ただの調度品だと思っているかも知れない。やはり長く生きていると思い出すことも少なくなるものだ、と自嘲しながら枉駕は蛙の吐き出す煙を眺めた。
「爺もお変わりなさそうでよろしゅうごさいました。…今晴明に倭の国は如何かと聞いておったところなのですよ。妖の世でも何か変わりがございますか?」
荊軻の問いに蛙は目を細めながら煙をふかし続けている。そうでございますねえ、と少しばかり考えてからまた煙をふかす。
「…鬼神様方がおられた頃に比ぶれば僅かばかり荒ぶっておるやも知れませぬなぁ。晴明のような稀有な者は出てきておりませぬが術者の技が磨かれれば妖の能力も伴って上がるものでございますからの。そう易々と調伏されては妖の住む場がのうなってしまいますのでな」
「確かにそれはそうでしょうね。妖が悪で陰陽師が善というのは人の子の考えでございましょう。妖はただ生きるために行っている事なのでしょうから」
荊軻の同意に蛙は満足そうに目を細めて、左様、と応えた。縁側の端で煙管を叩いて煙草草を出すと又新しい物を詰めて火をつける。
「お聞きになりたいのはそういうことではござらんのでしょう?」
小さく笑われて、敵いませんね、と荊軻は苦笑する。
「これでも鬼神様方よりは長く生きておりますのでな。…死肉を喰らうモノは前々からおりましたぞ。ただ生きるために腹が空いたから、というところでございますがな。人の子の心の臓などは能力を高めるには良いモノですからな」
「そういうものなのか?」
きょとりとして尋ねる枉駕に蛙は大きな頭を縦に振って見せた。
「鬼神様方は死肉に喰らいつくなどという下賤なことはなさらないのでしょう?長様も言うておられたが少しばかりの精気を奪うだけでよい、と。どのように為さるのかは爺の考えは及びませぬ。それはあまりにも高等な技でございますしの。多くの妖は直に喰らいついて血肉と共に精気を喰らうもの」
へえ、と目を丸くする枉駕に、哀玥もそうであったでしょう、と荊軻が言うと、確かに、と頷いている。あの異様な光景に戦慄したのはほんの八月前の事だ。直に血を啜り肉を喰らう姿は悍ましいというしかなかった。
「…ただ、近頃はそういったモノの中でも能力と知恵をつけているものが多ございますな。大国から逃げてきた九尾狐もさることながら、それが夜叉と手を組んでおるとも聞きかじっておりますな。あとは讙や混沌、狐仙も共にいる、と。九尾狐について大国から渡ってきたのでしょうよ。九尾狐に関しては大国でかなり能力を削がれたようでございますからの。今は蓄えるために息を潜めておりますが戻ればまた何かしら企てましょうや」
「また、稀有なモノばかりが渡ったのだな。倭の国の妖の均衡が崩れてしまいそうではないか」
盃に注ぐことも面倒になって酒瓶のまま酒を煽りながら言う枉駕に、長いものには巻かれるものですよ、と荊軻が言う。
「左様。鬼神様方がおられた時は息を潜めておったモノ達が頭角を出し始めた、というてもよろしいでしょうな。加えて大国の九尾狐といえば世界に名が轟く大妖でございますからな。阿るモノも多かろうて。丁度入れ違いのように渡ってきましたのでな」
新しい煙をふかしながら蛙はまた目を細めた。それだけ強大な存在だったのだ、鬼神というモノたちは。その場にいるだけで他の妖を牽制していた。知恵のあるモノ程息を潜めて機会を伺っていたのだ。自分たちが思う存分に暴れられる機会を。そしてそれは唐突に訪れた。絶好の機会に欲のまま人を喰らっているモノも少なくない。それらが手を組み何をしでかそうとしているかまでは分かりかねるが、蛙としては巻き込まれたくないのが本音だった。
長く生きてはいるが大きな能力は持ち合わせていない。ただ長く生きただけで多少の知恵と処世術に長けただけだ。晴明を弟子に出来たことも長く生きていられることの一つの歯車だったのかもしれない。
そういえば、と蛙は思い出したように煙管を叩いた。
「夜叉なるものは女子で角があるそうですぞ。見えたことはございませんがな」
角?、とその言葉に引っ掛かりを覚えたのは荊軻だけではなく枉駕もだった。角を有する妖はそれなりに多くいるから特段珍しいことではない。獣の形をした妖の中にも角を持っているモノはいる。
「角と聞けば鬼神様方を一番に思い出しましたがな。どうやら違うようでございますよ。夜な夜な人の死肉を求めておるようですからの」
「確かにそれは私共とは異なりますね。夜叉というモノに私も見えたことはございませんし。どんなモノかも分かりません。長ならば識はあられるでしょうがね」
荊軻が嘆息すると蛙は、ふぉっふぉっと笑い出した。
「長様は妖にして妖に非ず。元より格が違いますからな。何が起ころうとも大事に至らすようなことには為さらんでしょうや」
「それはそれで私共は胆を冷やすばかりなのですよ」
そうでございましょうなあ、と蛙は笑ったままだ。
「できれば誰にも見せず危うい目に合わさず己がものだけにしておきたいと逑殿も思うておられるのでは?あれほどの方でございますからな」
「紳様はそうされたいのだろうがな。長は自ら出ばらねば気の済まぬお方故」
「それが長様が長様足る所以でございましょうや。その様なお方だからこそ御二方も永きに渡り仕えておられる。…爺でよろしければ何やら懸念があらばお伝え致しましょう。時折降りて頂けるならば、ですがな」
にっこりと笑う蛙には何から何まで見透かされているようだ、と荊軻も枉駕も小さく笑ってしまう。妖には妖の世で動きがあれば伝わる事も多いのだろう。例えそれが海を隔てていたとしても噂として流れ込むものだ。荊軻達が今居る場も蛙には知れているのかもしれない。ただ容易く手を伸ばせる場ではないので口に出さないだけなのだろう。降りてくれれば、という言葉には蛙は入れない、という意も込められていたように二人は感じた。
だが確かに妖の世の情報に通じている蛙が動いてくれるならば様々な事柄を知れる。
「爺が危うくなるのではないか?」
申し出は嬉しいが自分たちよりも老いて能力も弱い蛙に情報を集めてくれ、とは言い難い。案じる枉駕に、なんの、と蛙は笑って見せた。
「これだけの年寄りになりますとな、勝手に噂は流れ込んでくるものなのですよ。爺が動くこともなく、ですな。長様は人の子の世には関を持たれぬ方がよろしい。ですが、妖達の動きは存じておられたほうが尚よろしい」
ふぉっふぉっ、とまた笑い出す蛙はもう決めてしまった様だった。黙って見ていた晴明も何が何やら分からないが荊軻や枉駕、果ては悧羅が何かしらの事柄を気にして動いているのは感じ取れた。で、あればしばらく滞在したい、と言ってきた友の思惑も分かった気がした。
「人の世の事は俺が見ておこう。何を懸念しておるかは聞かんがな。爺に伝えておけばお前たちが爺に会いに来た時、何かしら答えを導くことができるやもしれんからな」
おや、と笑う荊軻がまた新しい酒を頼んでいる。
「では礼をしませんと」
笑いながら言われた晴明は、要らぬわ、と声を上げて笑った。
「礼というなら俺が生きている間にこのように酒を酌み交わしに来てくれ。どうせあと二、三十年もすれば俺も黄泉の国に渡るだろう。十年毎ではあと二、三度しか会えぬ。それでは淋しいからな」
確かにな、と枉駕は苦笑したがすぐに思い直す。
「我達と酌み交わすだけで良いのか?お前が長に見えたいと言わなど拍子が抜けるな」
小さく笑う枉駕に、俺もまだ生きたいのでな、と晴明は苦笑した。余り悧羅に会いたいなどと言っていれば本当に紳に殺されるかもしれない。そう言うと荊軻も枉駕も声を上げて笑い出す。
「それはそうだな。あのお二人に入り込もうなどと思う者はおらぬだろうが、あまり長に会いたいなどと言っておいては紳様の逆鱗に触れるからな」
「でしょうね。逆鱗に触れるだけなら良いのですが…、しばらく出て来られなくなりますのでね」
それが困るのですよ、と嘆息してみせた荊軻に晴明も枉駕も笑い初めてしまう。笑い事ではないですよ、と嗜める荊軻だったが悧羅と紳が睦まじくしてくれているのは嬉しいのだ。ただ、最近は特に紳が悧羅を離さない事が増えている。大きな事が片付いたとはいえまだ警戒しなければならない時なのだ。いつ何があるか分からないこの時であるからこそ、何かあった時にまた寝所に踏み入れることは避けたい。先日でさえ情を交わしたばかりで姿を現した悧羅の姿は艶めかしいものがあったのだから。哀玥の事があったから気を保てはしたが、そうでなければ理性が飛んでしまっていただろう。
「私共の長は艶かしすぎて本当に困るのですよ。これ以上それが増してしまわれたらと思うと時折自分が恐ろしくなる時もありますよ」
大きく溜息をつく荊軻に、晴明と枉駕がきょとりとしている。
「お前でもそういうことがあるのだな」
驚いたように目を丸くしている晴明に、私も男でございますからね、と荊軻は笑って酒を煽った。共に悧羅を500年支えてきた枉駕も驚いたようだったがすぐに笑みをたたえた。近頃の悧羅の艶やかさは日に日に増して来ている。それが紳の手によるものなのだとは分かっているが確かに持っていかれそうにならないわけでもないのだ。同じ男として紳が羨ましく思うこともある。気持ちは痛いほどに分かる、と言い置いて酒を煽る荊軻に枉駕が言う。
「お前がそのようになったら紳様より先に俺が首を撥ねてやるから安じておけ」
笑う枉駕に、頼みます、と言う荊軻と共に晴明は懐かしい話を肴にその夜を楽しんだ。
メンテナンスの通知に気づかず、書いたものを消す所でした。
危なかったです。
ちゃんと通知は読まないと、と反省しております。
遅くなりましたが、お楽しみくだされば嬉しいです。
ありがとうございました。