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糺す【漆】《タダス【シチ】》

おはようございます。

更新します。

姍寂(サンジャク)(ヤシキ)であった場所は(スデ)更地(サラチ)となり新しい草花(クサバナ)芽吹(メブ)き始めていた。所々(トコロドコロ)に残る焼き(ハラ)われた(ヤシキ)の残りが()み進める()の下で(カワ)いた音を立てる。荊軻(ケイカツ)はそこを歩きながら何か手掛(テガ)かりはないものか、と周囲(シュウイ)見渡(ミワタ)した。焼き(ハラ)ったのは八月(ヤツキ)も前のことなので今更(イマサラ)何か見つけられるとは思っている(ワケ)でもないのだが何かせずにはいられないのだ。


あまりに周到(シュウトウ)過ぎる、と悧羅が言った言葉が頭を()ぎる。


言われてみれば確かにそうだ、とも思う。闘技(トウギ)での矜焃(キョウカク)荽梘(スイカン)に始まり八月(ヤツキ)前の姍寂(サンジャク)一件(イッケン)、そして今回の大国(タイコク)での騒動(ソウドウ)姍寂(サンジャク)までは一気(イッキ)に進んだ、といった感じであったが落ち着いた頃に起こった大国(タイコク)犬神騒動(イヌガミソウドウ)時期(ジキ)見計(ミハカ)らったように段取(ダンド)りが良すぎるような気がした。落ち着いた頃合(コロアイ)で次の問題が起きてくる。今こうしている間にもナニモノかが次の一手(イッテ)を打つために動き出しているかも知れない。後手(ゴテ)に廻ってしまっている自分が(ナサ)けなくて荊軻(ケイカツ)(オノレ)()じるしかない。


随分(ズイブン)(オダ)やかなこの(トキ)()れてしまっていたようだ。


人の子の国にいた時は(ツネ)に気を張り(オサ)である悧羅(リラ)片腕(カタウデ)としてどんなに小さな(イサカ)いでも見落とす事など無かった。少し目を離せば荊軻(ケイカツ)達の進言(シンゲン)も聞かずに(ミズカ)ら動いてしまう悧羅の身体(カラダ)(イト)うには()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。


だが今回はどうだ?、と荊軻(ケイカツ)苦虫(ニガムシ)()む。全てが相手側(アイテガワ)(テノヒラ)の上で動かされてしまっている。共に大国(タイコク)に降りることは許されなかったが、(シン)の言葉から想像(ソウゾウ)するに王母(オウボ)からの(ニン)遂行(スイコウ)するためにかなりの無茶(ムチャ)を悧羅がしたのだろうことは読み取れた。


これまでいつもそうであったように。


民達(タミタチ)を護るためであるならば悧羅は(オノレ)身体(カラダ)がどれだけ(キズ)つこうが、どれだけ(アヤ)うい中に()ちようがそれを(カエリ)みない。自分以外の者も手が(ヨゴ)れるのは出来るだけ少なくあって欲しいと願うが(ユエ)に、(オサ)でありながら前線(ゼンセン)に立ってきていた。それは民達の暮らしを護る、隊士達(タイシタチ)の手を(ヨゴ)させないという()の他に、早く能力(チカラ)枯渇(コカツ)させて(オサ)という忌々(イマイマ)しい呪縛(ジュバク)から(オノレ)()(ハナ)ちたかったからだということも、()()()を知っている荊軻(ケイカツ)には分かっているつもりだった。(シン)(チギ)ってからは(オノレ)(サイワイ)も少しばかり考えてくれるようになっていたので安堵(アンド)していたのは(イナ)めない。


(サイワイ)(ツカ)んでも無理(ムリ)をされるのは変わらないのですね。


炭化(タンカ)した(ヤシキ)の一部を踏んでいるとふと小さな笑いが出てしまう。今の里があるのは悧羅(リラ)が身を(ケズ)って苦渋(クジュウ)辛酸(シンサン)も全てを背負(セオ)ってくれていたからに(ホカ)ならない。()えて()えて()()いてやっと(ツカ)んだ小さな(サイワイ)まで(コワ)(ウバ)わんとするモノが(ダレ)なのかは分からないが、(コワ)されてなるものかと荊軻(ケイカツ)はまた小さく笑った。


悧羅(リラ)(キバ)()くものが何であれ、それはすべからく荊軻(ケイカツ)にとっての(テキ)だ。里の中にこれ以上悧羅に反旗(ハンキ)(ヒルガエ)す者がいない事を(イノ)りたいが可能性(カノウセイ)だけは頭に(トド)めて置かなければならないだろう。


何処(ドコ)誰方(ドナタ)であれ、必ずや後悔(コウカイ)させて差し上げましょう」


小さく(ツブヤ)荊軻(ケイカツ)の身体を(スズ)しい風が()でていく。これまで後手(ゴテ)に廻ってしまったけれど鬼神(キジン)(テキ)に廻すということがどういうことを(シメ)すのか、よくよくその身に(キザ)みつけてやりましょう、と心に強く決めた荊軻(ケイカツ)久方(ヒサカタ)ぶりに鬼の本性(ホンショウ)(シタガ)うことにした。炭化(タンカ)した(ヤシキ)の場を廻って見たが気になる物は見当たらない。容易(タヤス)痕跡(コンセキ)を残すようなモノではないだろうとは思っていたので、予想(ヨソウ)範疇(ハンチュウ)だ。


近隣(キンリン)民達(タミタチ)への質疑(シツギ)隊士達(タイシタチ)(マカ)せてはいるが、ふと目に見えた場に立つ(ヤシキ)に行ってみようと思い立つ。辺境(ヘンキョウ)の土地ではあるがそれなりに(ヤシキ)の数は多い。隊士達(タイシタチ)だけで廻るにはなかなかに(ジカン)(ヨウ)するだろう。()を進めようとして、何故(ナゼ)荊軻(ケイカツ)躊躇(チュウチョ)した。


()き過ぎている、と理性(リセイ)が自分を(イマシ)めたのだ。それが分かってつい苦笑する。


そうだ、()いて(コト)仕損(シソン)じては何にもならない。悧羅もゆっくりと事を進めようと言っていたではないか。それはゆっくりとではあるが確実(カクジツ)にナニモノかの(クワダ)てを(クズ)せ、ということだ。思っていたよりも頭に血が(ノボ)っているようだ、と荊軻(ケイカツ)は小さく息を吐いた。目に()まった(ヤシキ)へ行くことをやめてもう一度姍寂(サンジャク)(ヤシキ)であった場を(メグ)る。足元に時折(トキオリ)()れる大きめの(スミ)を蹴りながら進んでいると、爪先(ツマサキ)にこつりと(カタ)いものが当たった。石か何かだろうか、と思いながら爪先(ツマサキ)でその部分の(スナ)(ツチ)(ハラ)ってみると光る物が見え始める。しゃがみこんで手で土を(ハラ)うと(ベニ)色の(カザ)りが姿を現した。少し()けてはいるものの荊軻(ケイカツ)(テノヒラ)に小さく乗るそれには優美(ユウビ)()りと一見(イッケン)して高価(コウカ)な物だと分かる(ギョク)()()まれている。その()りも(ギョク)も里にはない物だ。姍寂(サンジャク)が持つには身の(タケ)に合わない、と(イブカ)しむ。何より鬼火(オニビ)で焼き(ハラ)った業火(ゴウカ)の中で形を(タモ)っている事にも(オドロ)きだ。


たまたま鬼火(オニビ)から(ノガ)れられたのか?

だが荊軻(ケイカツ)は少しばかり土を()って見つけ出した。とすれば元から()められていたのだろうか?

それとも(ヤシキ)が焼き(ハラ)われた時に()まってしまったのか?


考えられることは山のようにあるが、(カザ)りをよくよく(ナガ)めていると(ワズ)かに(ケモノ)の匂いもする。哀玥(アイゲツ)がいた(ヤシキ)ではあるから多少(タショウ)獣臭(ケモノシュウ)がして当然(トウゼン)だとも思われたけれど、よく分からないままに荊軻(ケイカツ)はそれを(タモト)に入れながら立ち上がった。


よく分からない事ならば調べるだけだ。里にはない技物(ワザモノ)であればそこから何か(ツカ)めるかもしれない。ただの杞憂(キユウ)であるかも知れないが宮に入る時には(フウ)じておいた方が良いだろう。得体(エタイ)の知れぬモノが相手なのだから、おいそれと悧羅の(フトコロ)に入れるわけにはいかない。出来れば早く片付(カタヅ)けてしまいたいが、とまた(ハヤ)りそうになる気持ちを(オサ)えこんで荊軻(ケイカツ)は地を()って空を()け出した。この場に長く(トド)まっていてはどうにも(ハヤ)る気持ちが()いてきてしまう。隊士達(タイシタチ)(マカ)せた方が今の荊軻(ケイカツ)よりは幾分(イクブン)冷静(レイセイ)だろう。自身の(ツト)めの場に戻りながら、こんな気持ちは(ナガ)らく(ワス)れていた、ともう一度自嘲(ジチョウ)してしまった。


(タモト)仕舞(シマ)っていた(カザ)りに封呪(フウジュ)(マジナイ)(ホドコ)して宮に降り立つとそのまま自身の(ツト)めの場に入ると、よう、と枉駕(オウガイ)が待っていた。おや?、と笑いながら戸を閉めて中に入ると、何処(ドコ)に行っていた?、と(タズ)ねられる。


姍寂(サンジャク)(ヤシキ)(アト)まで。何といいますかじっとしておれなかったものですから」


苦笑する荊軻(ケイカツ)に、気持ちは分かるがな、と枉駕(オウガイ)苦笑(クショウ)している。随分(ズイブン)と待っていたのか茶を()れて(クツロ)いでいた様な枉駕(オウガイ)荊軻(ケイカツ)にも茶を()れて(ツクエ)に置いてくれた。


「お前は(ハヤ)ると(ワレ)よりも周りが見えなくなりがちだからな。…とはいえ(ワレ)も少しばかり(ハヤ)っておるからお前のことを()めは出来ぬがな」


()れてもらった茶を受け取りながら、そうですね、と荊軻(ケイカツ)椅子(イス)に座る。大きく嘆息(タンソク)する荊軻(ケイカツ)を見ながら枉駕(オウガイ)椅子(イス)を持ってきて(ツクエ)(ハサ)んで座った。


「お互いに少しばかり気を張り過ぎておるやもしれんな。…これほどの事だ。気を張らぬほうが可笑(オカ)しいのだが、(アセ)ったとて見落としては何にもならぬ。(オサ)のお考えを聞いてまだ一月(ヒトツキ)()っておらぬのだから」


「それは分かってはいるのですがね。(オサ)慎重(シンチョウ)に、と言われている()も頭では分かっているのですが…」


言葉を切った荊軻(ケイカツ)の先の言葉は枉駕(オウガイ)にも分かっている。これまで(オサ)(ソバ)に共に500年(ツカ)えてきたのだ。何よりも(タツト)ぶべき存在である悧羅にこれ以上の辛酸(シンサン)を感じて欲しくはないのだろう。だが今はとにかく情報(ジョウホウ)を集めるしかないのだ。隊士達(タイシタチ)からの(シラ)せでも大きな変化がないのが余計(ヨケイ)に気持ちを(ハヤ)らせているのは(イナ)めない。まだ調べは続いているが、姍寂(サンジャク)の妹だと枉駕(オウガイ)が言われていた者について分かることが少ないのだ。


若い二本角(ニホンヅノ)鬼女(キジョ)だった。

葉の様な緑の髪が長く揺蕩(タユタ)っていた。

どちらかと言えば温厚(オンコウ)性分(ショウブン)で、挨拶(アイサツ)をすれば返すが余り(ヤシキ)から出ることも少なかった。

そのため姿を見た者自体が少なく知っていることも(ホトン)ど無い、というのが今上がってきている(シラ)せの全てだ。


(アマ)りにも知り得る事が少なすぎる、とは枉駕(オウガイ)も感じている。まるで意図(イト)して(オノレ)の存在を知られない様に動いているようにも見えるのだ。まるでこうなる事を分かっていたかのような動きに苛立(イラダ)つのは荊軻(ケイカツ)だけではない。


「ここまで調べを続けてそれなりの情報が得られないということは初めてでございますよ。いつもの小さな(イサカ)いであれば何処(ドコ)からか(ホコロ)びが出るものなのですがね」


(カカ)わる者が多ければ多いほどにな。だがここまで知らぬ者が多いということはやはり単体(タンタイ)で動いておったのやもしれん。矜焃(キョウカク)にしろ荽梘(スイカン)にしろ姍寂(サンジャク)にしろ共に動いていた者達は多かったからな。そうなれば自分たちの力を過信(カシン)して口を(スベ)らす者が出てくるものだ。独断(ドクダン)や一人で動いておられれば尾を(ツカ)むのも一朝一夕(イッチョウイッセキ)にはいかんだろうよ」


(ウナズ)荊軻(ケイカツ)枉駕(オウガイ)は苦笑を(カク)せない。荊軻(ケイカツ)がそれを分かっていないはずがないのだ。それでも(ハヤ)ってしまうのは仕方(シカタ)がない。里の者なのかそうで無いのかも分からず、姍寂(サンジャク)縁者(エンジャ)の可能性も低いのであれば出入りの門に新たな(シバ)りをかけることも(ムズ)かしい。(ゲン)に出入りの門はそのままなのだ。容易(タヤス)く出入りできる者であれば、今この時も里にいるかもしれない。


(ミョウ)なものが持ち込まれたり新しく作り出そうとすれば哀玥(アイゲツ)が分かると言ってあったろう。あれも元は(ノロイ)であるからな。風格(フウカク)はかなり(コト)なったが生まれが同じであれば引き合うものがあるのかもしれんしな」


「そうですね。ゆっくりと確実に仕留(シト)めなければなりません。ですが今回で全て終わらせたい、と思ってしまうのですよ。(オサ)がやっと(ツカ)まれた(サイワイ)(コワ)されてしまっては(タマ)りませんから」


大きく肩を落とす荊軻(ケイカツ)に、そうだな、と枉駕(オウガイ)も笑う。それも同じだ、と笑う枉駕(オウガイ)荊軻(ケイカツ)はまた肩を落として見せた。


「とりあえずゆっくりと粛々(シュクシュク)と進める事にしようでは無いか。相手側も(ワレ)らが(カン)ずいたことは知っておるだろうからな。(ハヤ)りすぎて(ワレ)らが足元を(スク)われては何にもならん」


同じ考えを笑って言われて荊軻(ケイカツ)は苦笑するしかない。それは分かっているのだ、分かり過ぎるほどに。深く腰掛(コシカ)けていた椅子(イス)から身を起こして、で?、と荊軻(ケイカツ)枉駕(オウガイ)(タズ)ねる。荊軻(ケイカツ)が戻るまで待っていた、ということは何かがあったのかと思ったのだが、枉駕(オウガイ)特段(トクダン)何も、も笑っている。


「お前が(ハヤ)り過ぎておらんか(クギ)を刺しに来ただけだ。あとはとりあえずこの事は一旦(イッタン)置いておいて晴明(セイメイ)に会いに行ってみないか、と(サソ)いに来たというのもあるがな」


晴明(セイメイ)の所にですか?また何故(ナゼ)?」


姍寂(サンジャク)一件(イッケン)では世話(サワ)になったからな。(オサ)は行かれておるが(ワレ)らは行っていなかっただろう?久方(ヒサカタ)ぶりに友に会うのも気が(マギ)れて良いのでは無いか、と思ってな。どうだ?」


どうだ?、と言われてもと荊軻(ケイカツ)は小さく笑う。今のこの状況(ジョウキョウ)で里を離れるのは少しばかり(ハバカ)られる。(オサ)の側を離れることにも不安(フアン)が残るのだ。晴明(セイメイ)に会いたく無いわけでは無いけれど、今ではなくても良い様にも思えてしまう。そう伝えると、(オサ)は良いと言われたぞ、と枉駕(オウガイ)が笑った。


「もう(オサ)にまで(タズ)ねられたのですか…」


(アキ)れて嘆息(タンソク)する荊軻(ケイカツ)の前で、お前が居ない間にな、と枉駕(オウガイ)は笑った。実を言えば荊軻(ケイカツ)が余りにも気を張り詰めているのを感じ取っていたので休息(キュウソク)を取らせたい、と悧羅に進言(シンゲン)しに来たのだ。同じように感じていたようで、ならば晴明(セイメイ)の元へ行ってはどうか、と悧羅が(アン)を出したのだ。里の中に居ればどうしても気持ちはそちらの問題に向かってしまうだろうし、休めと言ったところで(ツト)めの場に出てくるのはわかっている、と。であれば里から一時(イチジ)離れて友と酒を()()わしてゆるりとして来い、と笑われてしまった。何より晴明(セイメイ)も人の子だ。後で後でと思っていたら定命(ジョウミョウ)(ムカ)えてしまうかも知れない。人の子の一生(イッショウ)など枉駕(オウガイ)達からすれば(マバタ)きの間のことなのだ。


「ついでに()の国を見聞(ケンブン)してこいと(オオ)せだったぞ。(オサ)晴明(セイメイ)の元へ行かれた時は見聞(ケンブン)する(イトマ)も無かったようだからな。身体を(イト)えと伝えてくれとも()うておられた」


目の前で豪胆(ゴウタン)に笑う枉駕(オウガイ)荊軻(ケイカツ)は苦笑するしかない。悧羅までそう言ってくれているのであれば甘えるしか無いだろう。確かにまとまった休息(キュウソク)もこの所取ることもできていなかった。特に矜焃(キョウカク)荽梘(スイカン)の事があってからは次々に起こる問題や後始末(アトシマツ)王母(オウボ)(ニン)で悧羅が里を離れる事も多かった為荊軻(ケイカツ)(ツト)めを離れるわけにはいかなかったのだ。


「ですが私達(ワタクシタチ)が二人とも場を()けては、王母様(オウボサマ)からの(ニン)(オサ)(クダ)ったときに護りが手薄(テウス)になりましょう」


首を(カシ)げた荊軻(ケイカツ)に、それも(アン)ずるなと(オオ)せだ、と枉駕(オウガイ)が手を振って見せた。


大国(タイコク)(チョウ)も捨ておけ、と(モウ)されたらしいからな。しばらくは大きな事は(クダ)らぬだろうと笑っておられた。何より哀玥(アイゲツ)も護りに(クワ)わったのだから(オサ)が無理をなされる事もなかろう」


「確かにそれは言えますね…」


分かりました、とようやく首を(タテ)に振った荊軻(ケイカツ)に、よし、と満足して枉駕(オウガイ)は立ち上がった。お前を出汁(ダシ)に使った甲斐(カイ)がある、と笑う枉駕(オウガイ)にどこまで本気で言っているのかと荊軻(ケイカツ)は笑うしか無い。


「すぐすぐというわけにはいかないでしょうが、近いうちには甘える事に(イタ)しましょう」


「そうしてくれ。(ワレ)らがおらぬ方が(オサ)(ジカン)を気にせず紳様(シンサマ)と過ごす事もできようしな」


わはは、と笑う枉駕(オウガイ)に、確かにそうですね、と荊軻(ケイカツ)も同意する。荊軻(ケイカツ)枉駕(オウガイ)など重鎮達(ジュウチンタチ)(ソロ)っていては毎朝の朝議(チョウギ)もある。二人が場を離れれば栄州(エイシュウ)も休めるだろうし、結果的に(シン)悧羅(リラ)(ジカン)も増えるだろう。それは荊軻(ケイカツ)にとっても喜ばしいことだ。


「…(オサ)(スス)められたのはそれが大きな要因(ヨウイン)ではないでしょうね?」


くすり、と笑うと、さてどうだかな、と枉駕(オウガイ)が笑いながら部屋を出て行った。何にせよ自分のことを心配しての事なのだろうという事は痛いほど伝わって荊軻(ケイカツ)はもう一度深く椅子(イス)に身体を(アズ)けた。枉駕(オウガイ)だけでなく悧羅にまで心配をかけていたようで申し訳なくもある。自分で思っていたよりも(ハヤ)っている気持ちは()れ出していたようだ。やれやれ、と小さく自嘲(ジチョウ)しながら(ツクエ)の引き出しを開けて小さな木箱(キバコ)を取り出す。(カラ)木箱(キバコ)(タモト)仕舞(シマ)っていた(カザ)りを入れて(フタ)を閉めると、その上から(サラ)封呪(フウジュ)(マジナイ)をかける。木箱(キバコ)(ツクエ)(ハシ)に置いて(フデ)を取り、手早(テバヤ)呪付(ジュフ)をしたためると木箱(キバコ)の口を(フサ)ぐように貼って引き出しに仕舞(シマ)う。


これだけ入念(ニュウネン)封呪(フウジュ)(ホドコ)しておけばおいそれと誰かに(ウバ)われることはないだろう。荊軻(ケイカツ)(ツト)めの場に入れる者は(カギ)られているが、だからこそ用心(ヨウジン)しなければならない。容易(タヤス)く入り込まれる可能性も考えなければならないが、もしもここに入り込める者が荊軻(ケイカツ)達が(サガ)しているものなのだとしたら…。


余り考えたくは無い事ですがね、と一人で小さく(ツブヤ)きながらもう一度椅子(イス)に身体を預けて荊軻(ケイカツ)天井(テンジョウ)(アオ)いだ。晴明(セイメイ)に会いに行く前に(カザ)りの事は悧羅にだけは伝えておいた方がいいだろう。目立った事だとは思っていないけれどどんなに小さなことでも何かしらに引き合うことも考えられるのだ。(ツクエ)に置かれた()めた茶を飲み干して荊軻(ケイカツ)は立ち上がると部屋を出た。庭を通って宮に通じる道を通り大きな戸の前で()を止めた。からり、と戸を開いて中に入り決められた通りの廊下(ロウカ)辿(タド)って進むとすぐに悧羅の自室に(ツナガ)廊下(ロウカ)に出る事ができる。中庭を見ると忋抖(カイト)哀玥(アイゲツ)手合(テア)わせをしていた。いち早く荊軻(ケイカツ)見留(ミトド)めて哀玥(アイゲツ)が動きを止めて軽く礼を取ってくれる。忋抖(カイト)も気付いたようで動きを止めて荊軻(ケイカツ)を見ると、にっこりと笑った。近頃(チカゴロ)ではますます紳に似てきている。啝珈(ワカ)忋抖(カイト)が並んでいると若いころの紳と悧羅を見ているようで目を細める者も多いのだ。


母様(カアサマ)荊軻(ケイカツ)さん来たよ」


縁側(エンガワ)に向かって声を掛けながら哀玥(アイゲツ)の頭を()でている忋抖(カイト)に礼を言うと何でも無いように肩を(スク)めている。その仕草(シグサ)さえも紳にそっくりだ。忋抖(カイト)啝珈(ワカ)が産まれた時の里の(サワ)ぎまで思い出されて小さく笑いながら荊軻(ケイカツ)忋抖(カイト)に声を掛けた。


「今日は見廻りはよろしいのですか?」


くすくすと笑いながら(タズ)ねると、行ってきたよ?、と縁側(エンガワ)に近づきながら忋抖(カイト)が応えた。


近衛(コノエ)と一緒に廻って来たんだけど隊舎(タイシャ)に戻ったら父様(トウサマ)が今日は母様(カアサマ)の所に行く(イトマ)が作れないから、哀玥(アイゲツ)と一緒に(ソバ)にいろって言うんだもん。妲己(ダッキ)がいるから大丈夫だって言うのにきかないんだ。仕方ないから二人で戻ってきて母様(カアサマ)鍛錬(タンレン)見てもらってた」


腰掛(コシカ)けた忋抖(カイト)背後(ハイゴ)の戸は悧羅の自室だ。その戸は大きく開かれている。そこから見ていたのだろう。


「ですが、(オサ)はお部屋の中でしょう?」


「部屋の中からだって母様(カアサマ)には関係ないよ。甘い所目掛(メガ)けて庭の石ぶつけてくるもん。俺も哀玥(アイゲツ)(アザ)だらけだよ。追いかけっこも(ツカ)まえられないしね」


な?、と前に座っている哀玥(アイゲツ)()でながら笑う忋抖(カイト)荊軻(ケイカツ)は笑いを(カク)せない。確かに悧羅であればその程度(ワケ)はないだろう。だが悧羅直々(ジキジキ)鍛錬(タンレン)を付けてもらえるなど里中の民達(タミタチ)(ウラヤ)ましがることだ。光栄(コウエイ)な事ですよ、と言うと、分かってるよ、とまた忋抖(カイト)は笑っている。


哀玥(アイゲツ)母様(カアサマ)(ソバ)に居たいだろうしね。俺にとっても哀玥(アイゲツ)にとっても良い事だったよ」


笑っている忋抖(カイト)背後(ハイゴ)衣擦(キヌズ)れの音がした。見やると悧羅が微笑(ホホエ)みを浮かべて立っている。座ったままの忋抖(カイト)の頭を撫でる悧羅に荊軻(ケイカツ)が軽く立礼(リツレイ)した。


(ワラワ)忋抖(カイト)哀玥(アイゲツ)とゆるりと過ごすはしばらく無かったでの。良い(ジカン)であるよ」


くすくすと笑う悧羅に撫でられて()(クサ)そうにはにかむ忋抖(カイト)の顔が愛らしくて荊軻(ケイカツ)は又笑ってしまう。身体は大きくなっても母である悧羅を敬愛(ケイアイ)する気持ちは変わらないのだろう。思えば(オサナ)い頃から忋抖(カイト)は悧羅に付いていることが多かった。


(ナン)ぞあったのかえ?先程(サキホド)枉駕(オウガイ)其方(ソナタ)休息(キュウソク)をと言うたに許したところであったが」


忋抖(カイト)の頭から手を離して荊軻(ケイカツ)に向き直る悧羅に微笑まれて、はい、と短く荊軻(ケイカツ)は応えた。(セキ)(ハズ)そうか?、と言う忋抖(カイト)に、若様(ワカサマ)であればよろしいかと、と荊軻(ケイカツ)が笑った。


「ただ、この場のみのお話にして(イタダ)きとうございます。…紳様にはお伝え(イタ)しますが…」


うん、と(ウナズ)忋抖(カイト)の後ろで妲己(ダッキ)が部屋を出てきて悧羅の横に(ハベ)った。中に入るか?、と言われるがそう(ジカン)がかかる話ではない。この場で良い、と伝えてから荊軻(ケイカツ)姍寂(サンジャク)邸跡(ヤシキアト)で見つけた(カザ)りについて悧羅に(シラ)せる。


「何のことは無いかも知れませんがとりあえず(ワタクシ)(ツクエ)封呪(フウジュ)(ホドコ)して仕舞(シマ)っております。あまり知られずにおりました方が良いかとも思いましたので…」


言葉を切った荊軻(ケイカツ)()を悧羅は()()る。ここにいる者以外では紳にしか伝える気がない、ということだろう。他の重鎮達(ジュウチンタチ)にも内密(ナイミツ)に、ということだ。


「余り考えたくは無い事だがな…。よいであろ。紳には(ワラワ)から伝えよう。忋抖(カイト)も良いな?」


「もちろん。誰にも言わないよ。母様(カアサマ)(アブ)ない目に合うの嫌だしね」


姉や弟妹(テイマイ)にも言わない、と言う忋抖(カイト)荊軻(ケイカツ)も、そのように、と(ウナズ)いた。


(アカ)(カザ)りで(ケモノ)(ニオ)い…。哀玥(アイゲツ)、何やら(オボ)えはあるかえ?」


聞かれた哀玥(アイゲツ)は静かに首を振った。


小生(ショウセイ)辻道(ツジドウ)から()りだし(ヤシキ)に移したはあの者でございます。小生(ショウセイ)(ツボ)に入れられ封呪(フウジュ)を掛けられておりましたので、気配(ケハイ)は分かりますがそれが誰の物か、とは分かりかねます”


うん、と(ウナズ)くと悧羅も少し考え始めた。


姍寂(サンジャク)が持つには高価(コウカ)過ぎる、というのもの…。(ダレ)ぞから(オク)られた物やも知れぬし、父母の物かも知れぬしな。(コタ)えを()くことはあるまいよ。其方(ソナタ)(キビ)しく封呪(フウジュ)を掛けたのであらば易々(ヤスヤス)とは(ヤブ)れまい」


微笑んだ悧羅に、(オソ)れいります、と荊軻(ケイカツ)も小さく笑う。荊軻(ケイカツ)(ガク)(マジナイ)(ワザ)(ヒイ)でているのは悧羅だけでなく周知(シュウチ)の事だ。その上で宮のある場には幾重(イクエ)にも悧羅の(マジナイ)(ホドコ)されている。容易(タヤス)く入り込めるような場でも無いのだ。それよりも、と悧羅が苦笑しながら荊軻(ケイカツ)を見た。


其方(ソナタ)、ほんに少しばかり休みゃ。枉駕(オウガイ)と共に晴明(セイメイ)()うてくるがよろしかろう。気を張り詰めてばかりおっては(オダ)やかで正しい応えも見つかるまいよ」


「それはそうなのですが…。色々と考えてしまいますと没入(ボツニュウ)してしまいますもので…」


困ったように笑う荊軻(ケイカツ)に、それが其方(ソナタ)なのだがの、と悧羅は笑っている。


其方(ソナタ)沸々(フツフツ)(オコ)ってくれておるは分かるがな。有難(アリガタ)いとも思うておるが、其方(ソナタ)(タオ)れられてしもうては容易(タヤス)く運ぶことも運ばぬようになってしまうでの」


くすくすと笑われて荊軻(ケイカツ)は頭を()いた。


休息(キュウソク)って大事だよ。ちょっと休むと見えてなかったものが見えてきたりするもんね。…って父様(トウサマ)の受け売りなんだけどさ。俺の目から見ても荊軻(ケイカツ)さん働き過ぎだよ。ちゃんと休まないと母様(カアサマ)を護ってくれる鬼が少なくなるのは困ると思うよ?」


ねえ?、と哀玥(アイゲツ)を撫でながら忋抖(カイト)にまで言われて、ますます荊軻(ケイカツ)は頭を()いて苦笑してしまった。


若様(ワカサマ)にまで見透(ミス)かされておっては何ともお()ずかしゅうございますね。すぐすぐとは(マイ)りませんが(オサ)のお言葉に甘えようと思っておりますよ」


「そうしてたも。(ワラワ)もよろしゅうに、と言うておったと(ツタ)えておくりゃ」


(ウケタマワ)りました、と笑いながら頭を下げて荊軻(ケイカツ)は場を()した。宮を出ながらも小さく笑いが出てしまう。やはり自分が思っていたよりも(ハヤ)ってしまっていたらしい。悧羅や枉駕(オウガイ)だけでなく忋抖(カイト)にまでそう思われていたとは(ナサ)けない。これでは紳や栄州(エイシュウ)だけでなく(シラ)せにくる隊士達(タイシタチ)にも気取(ケド)られていたかも知れなかった。


自分では冷静だと思っていたけれどまだまだのようだ。


悧羅や枉駕(オウガイ)の言葉に甘えて(ナツカ)しい友と共に過ごせばまた心も(オダ)やかさを取り戻すだろう。そうとなれば、と(ツト)めの場に入りながら早めに溜()まった(ツト)めを片付(カタヅ)けようと荊軻(ケイカツ)椅子(イス)腰掛(コシカ)けて文書(モンジョ)を開き始めた。

とても良い天気です。


お楽しみいただけましたか?

ありがとうございました。

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