糺す【陸】《タダス【ロク】》
おはようございます。
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朝になって数日振りに会えた紳と悧羅に皓滓、玳絃、灶絃は顔を綻ばせて走り寄り抱きついてきた。上の子ども達、媟雅に忋抖、啝珈はさすがに抱きついたりはしなかったけれど、紳と悧羅の無事な姿に胸を撫で下ろした。それは妲己も同じであったようで前日の朝に会ってはいたものの悧羅の側から離れようとはしない。
「そのように淋しゅうあったのかえ?」
微笑む悧羅の膝の上に玳絃、灶絃が座り、だって全然会えてなかったもん、と頬を膨らませている。宮に戻ってからも二日間、紳と寝所に籠っていたから確かにしばらく会えてはいなかった。まだ幼さの残る三人が淋しがるのは致し方ないことだろう。膝に座った二人を優しく抱きしめながら、すまなんだな、と詫びると、いいよ、と二人が声を合わせて応える。
「母様はお怪我とかしなかった?」
膝の上から二人に聞かれて、大事ない、と悧羅は応えるしかない。わざととはいえ大怪我をしたなどといえば心配をかけてしまうだろうし、もう癒えてしまった傷だ。傍らで妲己と紳が少しだけ耳を動かしたけれど知らずにおれるのならばそのままでいいこともある。小さく笑う悧羅に、やれやれ、とでも言うように二人が小さく息をついたのが分かったが、悧羅は苦笑するしかなかった。
「じゃあもう一旦大国に降りるっていう王母様の任は終わったって事でいいの?」
紳と悧羅を囲むように座っている上の三人の中から忋抖が尋ねたが、それには悧羅は困ったように小さく笑うしかない。それを見た忋抖が、まだなんだね、と嘆息した。
「どうであるかは分かりかねる、といったところじゃ。用心だけは致すがな」
「片付けば良かったのにねえ」
唇を突き出しながら肩を竦める啝珈に、紳も悧羅も苦笑する。今回の事で全てが片付けば良い、と思っていたのは二人も同じだったが得てして物事とはそう上手く進まないものだ。致仕方あるまいよ、と安心させるように微笑む悧羅に、あんまり無理しないでよ、と媟雅が声を掛けた。その媟雅の雰囲気がこれまでより柔和になっている事に紳も悧羅も気づいたが言葉には出さない。媟雅が何か言ってくれば聞くけれど、こちらからどうなのだ?、と聞かれるのも媟雅の性分からすれば好まないだろう。何より紳も分かってはいる事ではあるが聞きたくない、という気持ちの方が勝るのだ。
「無理などは致さぬよ。それよりも、其方達に見えさせたい者がおるのだが…」
微笑みながら応えていると中庭に、すとりと降り立つ音がして悧羅は言葉を切った。宮に戻るとすぐに里やこの広大な王母の場を見廻るために哀玥は出て行った。少し休め、と言ったのだが早めに悧羅に報せを上げたかったのだろう。案じていただくには及びません、と闇に溶ける様に消えて行ったのだ。足音からして哀玥が戻って来たのだろう。
良い頃合だった、と一番戸に近い啝珈に戸を開けてくれるように紳が頼むと、はぁい、と軽く立ち上がりながら部屋の戸を開けた啝珈が、え?、と止まっている。見知らぬ気配に悧羅の傍らで妲己も体躯を起こし始めた。その背中に手を置いて案ずるな、と悧羅が宥めるが体躯は起こしたままだ。止まったままの啝珈に紳がまた促すと気を取り戻したように戸を大きく開けてくれた。
そこでようやくその場の者にも中庭が見えて紳と悧羅以外が目を見開いている。妲己が立ち上がって低く唸りだしてしまったので悧羅はそれを制した。
「哀玥、これへ」
悧羅に名を呼ばれた哀玥は座っていた大きな体躯を起こすとおずおずと悧羅達のいる部屋に入ってくる。戸の前で止まろうとしたが悧羅が笑って自分の前を叩いた。ですが、と躊躇う哀玥に、良いから、と悧羅は笑ってもう一度自分の前を叩く。諦めたように部屋に入って悧羅の前まで進む哀玥を子ども達も妲己もじっと見つめている。何しろ異形なのだ。今まで見たことのない姿なのだから凝視してしまうのは仕方ない。
大きな黒い体躯は狼のようだが頭は犬。悧羅の前に座って小さく尾を振っているがそれは白い蛇なのだ。だが悧羅は臆することなくその頭を撫でている。悧羅の膝の上に乗ったままの玳絃と灶絃は目を丸くしたまま固まってしまっているのだが紳までも手を伸ばして、お疲れ、と労っている。
「其方達に見えて欲しゅうあったはこれじゃ。哀玥と名付けた。これより先、妲己の様に妾や其方らを護ってくれよう。仲良うにするのだよ」
悧羅の方に向けていた体躯を媟雅達に向けて哀玥が礼を取った。
“哀玥と名を賜りました。姫君、若君方に拝謁出来ましたこと嬉しゅうございます”
子ども達に礼を取った後、哀玥は妲己に向き直る。妲己殿、と名を呼んでまた礼を取る。
“異形の姿故、信に置けぬと思いまするがよろしゅうに”
目を細めて低く唸っていた妲己だったが哀玥の目の下に小さな蓮の華がある事に気づいて悧羅を見る。王母じゃ、と悧羅に微笑まれて、なるほど、と妲己も唸るのをやめた。確かに同じ妖だが嫌な気配は感じない。悧羅に仕える妲己がからこそ分かるが強い忠誠心が垣間見える。悧羅や子ども達に害さず、忠誠を誓っているのであれば妲己に異を唱える事などない。
“我こそよろしゅう頼む。共に主の御為に尽くそうぞ”
尾を振りながら、歓迎する、と言う妲己の前ではすでに哀玥の背を物珍しそうに玳絃、灶絃が撫で始めている。皓滓は少しばかり固まったままだが、忋抖は面白そうに、へえ、と顔を輝かせながら頬杖をついていた。紳が哀玥に子ども達や妲己の名を教えると、もう一度深く礼を取った。そんな姿にますます目を細めて忋抖が哀玥を呼ぶと、首を傾げながら前まで動いた。触っていた玳絃、灶絃が、ああもう、と追いかける様に悧羅の膝の上から立ち上がって哀玥の背中にしがみつき始めた。
ふうん、と目の前に座った哀玥を見ながら忋抖がその頭を撫でる。母様、と何やら決めたように呼ばれて悧羅が忋抖を見ると、にこにこと笑っている。
「母様の側にいない時は哀玥、俺に貸してくれない?」
おや?、と不思議そうに首を傾げる悧羅に忋抖は笑いながら哀玥を撫で続けている。心地良いようで目を細めている哀玥も忋抖を気に入っているようだ。
「どうせ里の事とか宮の中の事とか教えないといけないでしょ?俺が教えるよ。何だか気も合いそうだしね」
「…哀玥が良いなら妾は構わぬよ?妲己も下の子らにまだ手がかかるでの」
やった!、と喜びながら忋抖は哀玥に、いい?、と尋ねている。戸惑ったように悧羅を見る哀玥に、好きなように、と悧羅が笑うと大きく頷いた。
“主の命が下りました時はそちらに動きますが、若君が小生をお望みであらば御側に”
「それは妲己も一緒だから分かってるよ。俺より母様を先に考えてくれないと俺も困るしね。じゃあ、よろしくな」
笑いながら頭をくしゃりと撫でられて哀玥は甘えたような声で鳴いている。哀玥も忋抖を気に入ったようだが、玳絃、灶絃から、兄様ずるぅい、と言われている。早いもの勝ちだよ、と笑う忋抖に頬を膨らませて、いいなぁ、と言う玳絃、灶絃を妲己が咥えて背に乗せた。
“若君方は我で堪えていただきませぬと、我が淋しゅうなりますぞ”
尾で二人を包みながら言う妲己に、ごめんなさぁい、と二人が抱きついている。忋抖に撫でられている哀玥を側に座っている媟雅と啝珈も撫でるのを見やって紳の膝から皓滓も降りて撫で始める。見た目よりもふわりとした毛並みであった事に驚いたようだったが、尾の蛇が口を閉じたのを見て安心もしたようだった。
「また賑やかになったね」
子ども達から解放された悧羅の手を取って紳が笑うと、悧羅も大きく頷いて微笑んだ。そのようだ、と笑う悧羅の額に軽く口付けてから手を引いて立ち上がる。そろそろ朝議の刻だ。哀玥が確かめて来た報せも聞かないとゆっくりと休ませる事も出来ないだろう。荊軻達にも哀玥を見えさせなければならない。立ち上がった悧羅が妲己と哀玥を呼ぶと二人を触っていた子ども達も媟雅や啝珈の元に動いた。二人を伴って朝議の場に入るまでに紳が重鎮達の事を哀玥に伝えている。荊軻と枉駕には会ったことはあるが栄州には初めて会う事になる。とことことついてくる哀玥に、案ずるな、と悧羅が優しく伝えた。
場に入った悧羅達を見て重鎮達は目を見開いたがとりあえず何も言う事なく伏して礼を取っている。いつものように悧羅と紳が座り悧羅の背後に妲己が侍る。どうしようか迷っている哀玥に悧羅が自分の左隣を叩いて、ここが其方の場じゃ、と笑った。嬉しそうに尾を振って示された場に座した哀玥を撫でてから悧羅は重鎮達に顔を上げるように伝える。頭を上げた三人から、まずは、と荊軻が口を開いた。
「王母様よりの御務め滞こおりなく御済ませになられましたこと、お疲れでございましたと申し上げます」
それには苦笑した悧羅にまだ何かある事は分かったけれど、慣例通りの礼を三人が取る。悧羅が里や朝議を離れていた間には何も問題は無かったと聞かされて善と言うと荊軻も肩の力を抜いたようだ。
「して、そちらは?」
疑念に耐えられなかったのだろう。枉駕が哀玥に視線を向けて悧羅に尋ねると、会うたことはあるはずだがの、と悧羅は笑っている。どちらにせよ哀玥の事を伝えなければ、その先の話は出来そうもない。
「妾の眷族となった。あの時の犬神じゃて。哀玥と名付けた故、よしなに頼む」
悧羅の言葉と共に哀玥が頭を下げると荊軻と枉駕が目を見開いた。栄州だけは直に見えた事は無かったので首を傾げているばかりだが見えた事のある二人にとっては信じられないほどに風格が変わっているのだ。
「…本当にあの犬神なのでございますか?」
うん、と微笑む悧羅が面白そうに二人を見ている。紳も同じような思いを抱いたので二人の気持ちはよく分かってしまい苦笑を隠せなかった。
「王母に預けて賜った故、犬神というよりは…狗神かのう」
白く長い指で空に字を書きながら悧羅は笑っている。
「妾の側におらぬ時は忋抖が貸してくれと言うておるでの。事が片付けば忋抖と共にある事が増えるであろうがの。いたく気にいっておるようであったに」
はあ、と呆気に取られている二人を横目に栄州だけが笑っている。
「良いではないか。長の護りが固くなるのは良い事だ。見たところ妲己と変わらぬほどの能力はありそうだしの」
「それはそうでございますが…。あまりにも風格が違いすぎておりまして、何とも信じ難い」
目を丸くしたままの枉駕を見ながら紳と悧羅は笑ってしまう。初めて見えた時の禍々しさを知っているからこそ信じられない気持ちは分からないでもない。だがこの少しの刻を共にしただけの紳と悧羅には哀玥が信に足るものである、と十分に感じることができていた。紳や悧羅に対する姿や子ども達、妲己に対する姿を見てその気持ちはより強くなった。
「信に足ると思うておる故。余程王母に躾られたのであろうや」
くすくすと笑いながら哀玥を撫でていると、そういうことでございますれば、と荊軻も枉駕も大きく頷いて息を吐いた。
「では、大国についてお伺いしてもよろしいですか?」
荊軻に促されて悧羅はあったことを手短に話して聞かせる。
「今あった朝は終いになるであろうがそれも世の理の流れであらば致し方あるまいて。宮廷や大国に住まう妖達については仇為さねば捨て置いてよろしかろう。姍寂の作りしモノについては哀玥が大国を廻って滅してくれたに、それはそこで終いじゃな」
言葉を切って小さく嘆息する悧羅に三人が眉を顰めた。それはそこで、という事は他に何か気になる事がある、という事なのだろう。
「確かにそれ以上人の子の理に触れるはならぬであろうな。だが、長は何を気にしておられる?」
栄州が尋ねると、うむ、と悧羅が言葉を濁した。その手を握って紳が後を引き継ぐ。
「悧羅はね、今回のことが姍寂だけでした事じゃないって思ってるみたいなんだよ。誰かがまだ裏で動いてるんじゃないかって心配してるんだ」
は?、と三人が目を見開く。困ったような悧羅が哀玥を促すと低い声が響き始める。
“小生を作りし者は葉の色の髪の鬼でございます。ただ、あの者が小生への貢ぎを怠った故、這い出して縁者を喰うたのですが邸におったのは父母と思われる二体のみでございます。もう少し歳若い女子がおったはずなのですが見当たらないのです”
それは、と荊軻が息を呑んだ。あの時の邸の状況からでは骸が幾つあったのかなど知れようはずもなかったのだ。枉駕から聞くに父母と妹が居たという事であったので、そこにある骸だったモノはその三人だと思っていた。確かめようにも飛び散った肉片と夥しい血で部屋は汚れていたし骨も砕かれていたので埋葬することも叶わず邸ごと焼き払うしかなかった。
哀玥に視線を向けると申し訳なさそうに項垂れているが、悧羅は、気に病むな、とその背中を撫でている。
“あの者の縁者であれば小生が気配を辿れます。主にお許しを賜りまして里やこの地を廻り巡りましたが、おりませぬ”
「…やはりそうであったか」
小さく嘆息する悧羅に、はい、と哀玥が応えた。うん、と頷いて悧羅は枉駕を呼ぶ。
「其方しかその者を見た者はおらぬのだが、どのような者であったか覚えはあるかえ?」
尋ねられた枉駕は少し考える。姍寂を預かる、と伝えに行った時父母は泣いていたが妹と名乗る者はどうであっただろうか?その場に居たことは居たが気配が薄かったようにも思う。それも今考えれば、の話なのだけれど。
「…姍様と同じ葉の色の髪が揺蕩っていた女子であったと覚えております。二本角の鬼女でありましたが、姍寂の事を伝えても余り動じていないように見えたような…。今思えば、でございますが…」
なるほどの、と栄州が息をついた。
「であれば、真に縁者であったかさえも疑がわしいの」
「そうでございますね。里の者たちの名簿があるわけでもございませんし…。そういう事に長けており、かつ誰かに知恵をつけられておるならば入り込むことなど容易い事でございましょう」
荊軻もまた大きく嘆息して、してどうお考えなのですか?、と悧羅を見る。悧羅も少しばかり考えているようだ。
「あまりにも周到過ぎる、とは思うておる。哀玥を作ったは姍寂で間違いはないのだが、大国にはそれとはまた別にに十体の犬神が作られておった。…その他に蟲を使った蠱毒もあったという。それらを作ったのは姍寂の気配と思いが残っておった故に哀玥が辿れたのだがな。…もしも、との話としてその者が壊れかけていた姍寂を拐かし様々なモノを作らせたのだとすれば、その者の気配を追うは難しかろうな」
「ですが直に関わらずとも知恵と手を貸せば僅かながらでも気配は残りますものでございましょう?」
それが、と哀玥が口を開いた。
“呪法は作ったモノとの制約を結ぶのです。例え知恵を貸していても手を出さなければ制約を結んだ事にはなりませぬ”
少しでも手を貸せば異なるのですが、と言う哀玥に、とすれば、と荊軻が後を引き継ぐ。
「そのような者がおったと考えることと致しまして、まずはどのような者であったのかを調べなければなりませんね。哀玥が場を見ても気配を辿れぬのであれば里にはもう居ない、と思っておったほうがよろしいでしょう」
であろうな、と悧羅も頷く。粛清から八月も経っているのだ。里を出奔していると考えていて間違いは無いだろう。だが里の者であったなら出入りすることは容易い。姍寂の縁者であったならば弾くことも出来ただろうが、もしも縁者でなかったとしたらそれもまた難しくなる。悪意を持っている者全てを弾くという手もあるが、ただ戯れであったとすればそれに掛かるとも思えない。
「でもさ、どうしてそこまでってのが俺は引っ掛かるんだよね。矜焃や荽梘みたいに力とか私怨とかがあるなら分かるよ?姍寂も元は矜焃の思いに賛同して…ってのも分かる。だけどその裏にいる者が居たとして何で里や悧羅を執拗に狙うんだろう?」
頬杖をついて言う紳に、確かに、と重鎮達も大きく頷いた。
「倭の国におった時は人の子に関わりを持っておった故、人の子が長に反旗を翻すということは考えられようがの。こちらに里が移ってからはそう関わりを持たれておられぬ。であれば何であろうのお」
大きく嘆息しながら考えを口に出す栄州に、私怨ではないのか?、と枉駕がぽつりと呟くように言った。何に対しての?、と聞く荊軻に枉駕が考え込んだ。
「…いや、ただふとそう思っただけなのだが。特段決め手があるわけでもない。だが長を相手に痕跡も残さず次から次へと手を打っているというのがな。如何ともし難い」
「周到に隠れている、ということなのでしょうか?余程知恵のあるモノと手を組んでいるのかもしれませんね。…失礼ながら長、恨みを買うているという覚えはございますか?」
小さく笑いながら聞く荊軻に悧羅も苦笑するしかない。
「思い当たりが多うてどれかは分からぬな。それは其方も知っておろうに」
笑う悧羅に、まあそうでございますね、と荊軻も笑う。500年の間に無慈悲な事を行わねばならない事もあった。それによって持っていた地位や名誉などが地に堕ちた者も多かった。その者達の縁者であれば悧羅に恨みを抱いている者もいるかもしれない。
「長にだけ、というのももしかすれば異なるやもしれぬぞ?我ら鬼全てということも考えられようし、荽梘のように紳様や長に個別に、ということも考えられようて」
穏やかな笑みを浮かべて髭を撫でる栄州に、また俺?、と紳も苦笑するしかない。
「逆もあるやも」
笑ったままの栄州に、なるほど、と紳も笑うしか無い。要するに今まで悧羅と夜伽を交わした者の中に紳に私怨を持っている者がいるかもしれない、と言いたいのだろう。
「ですが枉駕が見えたのは鬼女だったのでしょう?とすれば長への恨み辛みの方が…」
うん、と悧羅が小さく頷いて息をついた。身体を妲己に預けると柔らかい尾が悧羅を包んでくれながら、その、と妲己が口を開いた。
“それはほんに女子なのですか?そこまで周到に知恵を付けておるものであれば化けることも出来るのでは?”
妲己の言葉にきょとり、としたのは悧羅だけでは無かった。その場の皆がきょとり、とする。その考えは無く枉駕や哀玥の報せ通り鬼女だと思っていたからだ。
「…妲己、其方今とんでもないことを言うてくれたえ?」
身を起こそうとする悧羅を引き止めるように妲己の尾が抱き留めた。悧羅が疲れている事も歩くことも覚束ないことも言葉にはしないが分かっている。王母の任ではなく紳の手によるものだとも分かっているので何も言わないだけだ。引き留められるままに身体を預けて悧羅が苦笑しながら部屋を見ると紳も三人の重鎮達も考えこんでいる。
「妲己の言う事もあり得るやもしれませぬな。化ける、となれば本当にそれなりのモノと手を組んでいるのか、そのモノ自体が別のモノであったのか…。よくよく考えて動かねばなりますまいよ」
やれやれ、と悧羅は肩を落とした。何にせよ今しばらくは気が抜けそうに無いようだ。
「姍寂の縁者を辿るにしても気を張らねばならないようですね。私共が邸に入り哀玥を持ち帰った事も知られておると思っておった方が良いようですし。まあ、同じモノとは思えぬかも知れませぬが」
ちらりと見られて哀玥が小さく頭を下げた。
“小生が覚えておる気配がそのモノであれば、とは思うておりますが。妲己殿が言われる通り化けておったのであれば気配も変えておったと思うておったが良いでしょう。となれば小生の覚えておるモノもどこまで確かなものか…”
お役に立てず、と項垂れた哀玥を悧羅が呼んで膝を叩いた。え?、と目を見開く哀玥がおずおずと頭を悧羅の膝に乗せると優しくその頭を撫でてくれる。気に病むな、と撫でられて哀玥は目を細めた。
「哀玥が悪いわけではない。何より大国の任が滞りなく済んだは哀玥がきてくれたからであるしの。…どちらにせよ尾を見せたは計略の内やもしれぬ故、打てる手は打たねばなるまいよ」
そうでございますね、と荊軻も大きく頷いた。
「まずは姍寂の妹と名乗っていたモノについて調べてみましょう。近隣の者達ならば容姿など覚えておりましょうから」
「動く奴も限った方がいいかもね。民達に無駄な心労かけるのは悧羅も嫌でしょ?」
握られたままだった手に力が込められて、悧羅も、そうだの、と小さく笑った。大きく動いても相手は気取っているだろうから問題はないが民達の暮らしを騒がしてしまうのは望むところではない。
「では粛清の時に動いた者たちを動かしましょう。少数ですが枉駕も紳様からも信に足るとされておる者達でございますれば大事ございませんでしょう。里に張っておられる結界はどうされますか?」
「…解いてもよろしかろう。張り続けておっては民達も心穏やかでは過ごせまい」
言いながら哀玥を撫でていた手を一度休めて、ひらりと手を振る。里を覆っていた悧羅の結界の気配が消えたのを場の全員が感じ取った。
「そう容易く全てが明らかになるとは思うておらぬ。ゆっくりと参らねば足元を掬われるやもしれぬでな。大国ほどの大事はしばらくは起こらぬ、と思うておりたいが…」
「それは俺も願うよ。無茶ばかりするからね、悧羅は。俺の心の臓がどれだけあっても足りなくなるよ」
隣で嘆息する紳に、すまぬ、と苦笑する悧羅を見て、余程胆を冷やすようなことがあったのだろう、と重鎮達は紳の胸中を慮る。元々無茶な事をしてきていたのは500年側に居た三人は嫌というほど知っている。それでも、紳と共にいるようになってからは落ち着いた方だと思っていたのだが、今回ばかりはそうで無かったようだ。
「お気持ちはお察ししますよ」
苦笑しながら言われて紳は、良かったよ分かってくれて、と笑っている。
「では長の仰せの通り気を抜かずゆるりと進めて行くとしましょう。次はこちらから先手を取れるように致しませんと舐めてばかりおられても矜持が保てませぬのでね」
何やら含んだ物言いの荊軻に場に居た者が小さく笑う。どうやら穏やかながらも静かに怒っているようだ。任せる、と笑う悧羅に荊軻が静かに頭を下げた。
さて、誰が誰を?、というお話になってきました。
お楽しみいただけましたか?
ありがとうございました。