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糺す【参】《タダス【サン】》

こんにちは。

更新します。

さて、と悧羅(リラ)(シン)の腕の中から身を起こした。外は(スデ)夕闇(ユウヤミ)が押し寄せてきている。王母(オウボ)(モド)った後も紳と(ジョウ)()わし続けていたので結局(ケッキョク)二人が休み始めたのは()が高くなってからだった。庭先(ニワサキ)に集まり始めた童達(ワラベタチ)の笑い声を(ネム)り歌にしながら眠った悧羅も身を起こしたは良いが目を(コス)ってしまう。悧羅の動きで目を()ました紳も、よいしょと身体(カラダ)を起こしている。身体は?、と起きるなり(タズ)ねてくる紳に悧羅は苦笑(クショウ)せざるを()ない。傷一つなく(ナオ)っていることは(イヤ)というほど確かめたはずではないか。小さく笑う悧羅を見ながら紳も、身体の中のことだよ、と苦笑している。


気怠(ケダル)さは残っておるがの。犬神(イヌガミ)()わされたからではないようだえ?」


微笑む悧羅の(ヒタイ)に、なら良いね、と紳が引き寄せて口付けた。うん、と微笑む悧羅を抱き上げて、じゃあ湯を使おう、と湯処(ユドコロ)に連れて行く。初めて入る紳の(ヤシキ)の中をきょろきょろと見ながら抱かれている悧羅に紳は笑っているばかりだ。


庭先(ニワサキ)までは何度も来てたんでしょ?入れば良かったのに」


進みながら笑う紳に、そういうわけにもいかぬであろ、と悧羅は言う。紳の(ヤシキ)は紳のものであって悧羅が断りもなく踏み入れてよい場ではない。


「思い出もあると言うておったろう?知らずに踏み入れて(ケガ)してはならぬと思うてな」


湯処(ユドコロ)に着いて悧羅を降ろしながら、なにそれ、と紳は声をあげて笑っている。夜中に火を付けたままだったので少し(ヌル)くなった湯を悧羅に掛けると(カワ)いて張り付いていた血が流れて湯が赤く染まった。幾度(イクド)か湯を掛けてやってから手拭(テヌグ)いを使って身体を清め始めると悧羅は、自分で出来る、と笑っている。


「いいからさせて?っていうか、何でそんなに気を(ツカ)って(ヤシキ)の中に入らなかったの?」


悧羅の身体を丁寧(テイネイ)に清めながら(タズ)ねると少し困ったような顔をしている。何と言葉を選んで良いのか分からないのだ。少しばかり考えてから首を(カシ)げている悧羅に湯を掛けてから抱き上げて湯に()ける。自分の身体を清めながら(コタ)えを待っていると、(ツブヤ)くような声がした。


「…ここには紳の大切な思い出が()まっておるのであろ?(ワラワ)の知らぬ紳の思いじゃろうて…。容易(タヤス)く踏み入れてはならぬであろうからの…」


悧羅の言葉に紳はまた声を上げて笑う。自分の身を清めてから、湯に()かるがそう広くない湯船(ユブネ)では二人で入ると(セマ)くなってしまう。いつも通り悧羅を膝に乗せるが、それでも(セマ)い。宮の湯殿(ユドノ)に慣れてしまったようだ、と紳は苦笑を隠せなかった。背後から悧羅を抱きしめて湯から出てしまった悧羅の肩に湯を掛けながら、あのね、と紳は話しかけた。


「俺の思い出は悧羅のことばっかりなんだよ。ここで悧羅を想ってずっと宮を見てた。それだけの事だよ。それに、それを言うなら俺は宮に入ってる。宮には俺の知らない悧羅の思い出があるだろう?踏み込んじゃ駄目(ダメ)だって悧羅が言うなら俺だって悧羅の思い出に踏み込んでるじゃないか。悧羅が俺の(ヤシキ)に入ってくれるなら俺が悧羅を想って過ごしていた(ジカン)(ムク)われるんだ。どんどん入ってくれて良いんだよ」


「そうなのかえ?…ならば時には手入(テイ)れをしに入ることにしようかのう。紳一人では大変であろう?」


「そんなこと悧羅にさせられないよ」


笑う紳に、妾がしたいのだ、と悧羅が言う。紳の大切な場所であるのなら、悧羅も共に大切にしたい。(ミズカ)らの手で整えることで紳の想いを()み取れるような気もするのだ。


「じゃあ、たまには(マカ)せようかな。一緒に手入(テイ)れをするっていうのも昔みたいで楽しいかな」


「そうだの。そうさせてたも」


小さく笑っている悧羅の背中の華と新しい(ツボミ)に口付けると、さあ行こうか、と悧羅が紳の胸に身体を(アズ)けた。本音(ホンネ)を言えばずっとこのまま過ごしたいが、縫いつけた犬神(イヌガミ)はそろそろ動き始めるだろう。少し急いで片付(カタヅ)けた方がよい事柄(コトガラ)だ。余り(ジカン)をかけると死骸(シガイ)となっていた宮廷(キュウテイ)(ムクロ)の山を()うだけ()ってより力を高めるだろう。悧羅を格下(カクシタ)だと思っていても犬神(イヌガミ)目的(モクテキ)は鬼を里を(オサ)である悧羅を(コワ)すことだ。力を(タクワ)えてここに近寄(チカヨ)られては困る。


この場には(マモ)らねばならない民達(タミタチ)(イト)おしい紳も大切な子ども達もいるのだ。


(コワ)されてなるものか、と小さく(ツブヤ)いた悧羅を紳が強く抱きしめた。紳とて同じ思いだ。腕の中に容易(タヤス)く収まる細い身体で重圧(ジュウアツ)背負(セオ)う悧羅を(ササ)えてその重責(ジュウセキ)苦渋(クジュウ)辛酸(シンサン)も半分にするために悧羅の(ソバ)に紳はいるのだから。


「…昨日みたいな無茶(ムチャ)だけはしないって約束してよ?あんなの何度もされたら俺の(シン)(ゾウ)(イク)つあっても()りないからね?」


承知(ショウチ)しておるよ。…昨夜のような無茶はせぬ。知りたい事は知れたのだから」


ならいいけど、という紳に、大事(ダイジ)ない、と悧羅は笑う。


「あれは昨夜の事で(ワラワ)を下に見てあるであろうからの。…こちらも(アラ)たなモノを手にすることができそうであるし…」


(アラ)たなモノ?」


湯で顔を洗いながら悧羅が、うん、と(ウナズ)く。名を考えよ、と言われてもそう容易(タヤス)く思いつくものでもない。やれやれ、と小さく吐息(トイキ)をつきながら肩を落とす悧羅を心配そうに紳が抱きしめた。


「ほんに大事(ダイジ)ない(ユエ)(アン)ずるでないよ」


(ヤワ)らかく紳に伝えて悧羅は振り向いて微笑んだ。振り向いた悧羅に口付けてから、じゃあ行こうか、と紳も覚悟(カクゴ)を決める。深く(ウナズ)く悧羅を抱き上げて湯船(ユブネ)を出た。姍寂(サンジャク)呪縛(ジュバク)から悧羅を()いてやるために歩を進めると決めて。




____________________________________


月が高く(ノボ)る頃になって紳と悧羅はまた大国(タイコク)宮廷(キュウテイ)屋根(ヤネ)に降り立った。湯から上がった二人が脱衣場(ダツイバ)に行くと何故(ナゼ)二組(フタクミ)(コロモ)が用意されていた。どちらも悧羅が粛清(シュクセイ)の時に(マト)うような漆黒(シッコク)(コロモ)であったが、(スソ)に小さく悧羅の華が(キザ)まれていた。何で?、と(イブカ)しむ紳に、(タワム)れと()びであろうよ、と悧羅が苦笑すると紳も納得したようだった。()びであればもう(モラ)ったというのに、と笑いながら(コロモ)(ソデ)を通すと、さらりとした心地良(ココチヨ)肌触(ハタザワ)りがした。と、同時に何やら(マジナイ)が組み込んであるのが伝わってくる。


「これってさぁ、(マモ)りの(マジナイ)だよね?」


確かめる紳に悧羅も(ウナズ)く。悧羅のしたことに余程(ヨホド)(キモ)を冷やしたのだろう。もしかしたらこれは紳に対する()びなのかもしれない。悧羅が手を離れていたらどうであったか分からない、と直々(ジキジキ)に言っていたのだから。紳にそう伝えると、そうか、と笑って(コロモ)を整えていた。


「じゃあ有難(アリガタ)(タマワ)るとしますかね」


そうして(コロモ)を整え終わった悧羅を抱いて紳は里を出た。そして今、また腐臭(フシュウ)(タダヨ)宮廷(キュウテイ)に降り立ったのだ。手を(ツナ)いで屋根を進みながら昨夜犬神(イヌガミ)を縫いつけた中庭を見下(ミオ)ろすが、そこに犬神(イヌガミ)の顔は無かった。屋根を()って中庭に降りると大刀(ダイトウ)()(クダ)かれ、呪符(ジュフ)は焼け落ちている。


「やはり甘かったようだの…」


苦笑して、さて何処(ドコ)に行ったかのう、と(マワ)りを見廻(ミマワ)すと頭上(ズジョウ)から殺気(サッキ)を感じて二人は素早(スバヤ)く飛びのいた。今まで立っていた場所からもうもうと土埃(ツチボコリ)がたっている。(ウナ)り声と土煙(ツチケムリ)の中に真っ赤に光るぎょろりとした(マナコ)が二人を(ニラ)んでいた。


()りもせずにまた()われに戻ってきたのか?】


()うように地をずりずりと進んできながらげらげらと笑っている犬神(イヌガミ)の大きな口には見えるだけで何十もの人の身体であったであろうものが()まっている。宮廷(キュウテイ)の中にあった(ムクロ)だけかと思っていたが、一部に道服(ドウフク)が見えて悧羅も紳も(マユ)(ヒソ)めた。どうやら宮廷(キュウテイ)内の(ムクロ)だけでは()()らず大国(タイコク)を廻って能力(チカラ)の大きな道士(ドウシ)まで()らって(オノレ)(カテ)としていたらしい。


悧羅にとれば人の子などはどうでも良いが、道士(ドウシ)()らいに行ったということは犬神(イヌガミ)道士(ドウシ)(ツナ)がってはいない、と考えてもいいだろう。死骸(シガイ)となった人の子を()らうよりも、能力(チカラ)の強い道士(ドウシ)を一人二人()らった方が(ミズカ)らの能力(チカラ)回復(カイフク)にも増強(ゾウキョウ)にも影響(エイキョウ)が強い。それを分かっているからこそ道士(ドウシ)(ネラ)ったのであれば、それなりに知恵(チエ)もつけているようだ。


【そのまま逃げておれば()どもから向かってやったというのに。であれば鬼も里もお前もすべからく(コワ)してやれたものを。ちと遊びすぎておったようだな】


にたり、と笑う犬神(イヌガミ)の口の(ハシ)からぼとりと肉片(ニクヘン)(イク)つか落ちた。口の中に残っていた人であったものを咀嚼(ソシャク)してごくりと飲み込むと、犬神(イヌガミ)の顔が一回り大きくなって腐臭(フシュウ)血生臭(チナマグサ)さが鼻をつく。禍々(マガマガ)しさも増した犬神(イヌガミ)がまた、けたけたと笑う。


【あれだけ痛めつけたのにもう()やしてくるとは、まがりなりにも鬼なのだな】


弱いというのに、と嘲笑(チョウショウ)する犬神(イヌガミ)に悧羅は首を(カシ)げてみせるだけで言葉を発しない。(トナリ)の紳が(ハヤ)らないように(ツナ)いだ手にだけ力を込めた。悧羅の思惑(オモワク)通り犬神(イヌガミ)は確実に悧羅を格下(カクシタ)だと思ってくれているようだ。これ以上都合(ツゴウ)の良いことなどない。そのまま下に見られていた方が動きやすい。


【だがお前の血肉(チニク)はまこと美味(ビミ)であった。お前全てを()らわば()どもの能力(チカラ)(サラ)に強くなるだろうな】


にたりにたりと、笑いながら近づいてくるが悧羅は微動(ビドウ)だにしない。()うように近づいてきた犬神(イヌガミ)は悧羅の眼前(ガンゼン)で飛び上がり大きく口を開けた。


【骨の一つも残さぬぞ!】


悧羅の頭を犬神(イヌガミ)(オオ)い尽くそうとした時だった。犬神(イヌガミ)の頭が左に吹き飛んで宮廷(キュウテイ)の壁を(ヤブ)っていく。がらがらと(クズ)れる瓦礫(ガレキ)の中から勢いよく犬神(イヌガミ)が飛び出して、(ウナ)りと()えを上げながら紳と悧羅に(オソ)いかかってきた。(キバ)が紳に届く刹那(セツナ)、また左に吹き飛んで宮廷(キュウテイ)の壁にぶつかった。がらがらと音を立てて(クズ)れる瓦礫(ガレキ)の中から()い出ながら、なんだ?、と犬神(イヌガミ)が目を見開いた。見えた先では悧羅が細く白い(アシ)をゆっくりと降ろしている。


【…何だ?お前ごときが()どもを()ったのか!?】


血走(チバシ)った目を大きく見開いて、そんなはずはない、と犬神(イヌガミ)は思い直した。昨夜あれだけ痛めつけたのだ。(タイ)した能力(チカラ)も無く()みついて肉を()(ウデ)(アシ)(ハラ)さえも千切(チギ)れんばかりに痛めつけた。息も()()えになりながら、必死(ヒッシ)一撃(イチゲキ)で自分を地に縫い付けて()げていったのだ。その場で呪符(ジュフ)(ヤブ)って追いかけても良かったが、どちらにせよ鬼の里も(ツブ)さなければならないのだ。であれば、()げた先を突き止めてしまえば全てが片付(カタヅ)くと思ってあえて(ニガ)した。悧羅の血の(ニオ)いは(オボ)えたし場を突き止めるなど容易(タヤス)い。


いたぶるだけいたぶって()ろうてやろう。


(オソ)(フル)え上がっているだろう鬼女(キジョ)の肉を確かに()らうために(サラ)なる畏怖(イフ)を与える目的で能力(チカラ)の強い人の子を()って能力(チカラ)を高めていたのだ。


だが、何なのだ?


明らかに自分の方が能力(チカラ)は上のはずだ。(アカシ)鬼女(キジョ)は昨夜、自分に手も足も出なかった。今目の前にしていても自分の方が(カク)は上だと思える。どんなに()いて傷を(イヤ)したとて受けた負荷(フカ)は残っているはずなのだ。何一つ自分より(ヒイ)でていなかった鬼女(キジョ)に自分が二度も()り飛ばされたなど信じることが出来ようはずもない。


…そうだ。ただ(ウン)が良かっただけなのだろう。彼奴(アヤツ)にこの様なことが出来るはずがないのだ。そうに違いない。


にたり、と笑って今度は目に止まらぬ(ハヤ)さで紳と悧羅の背後(ハイゴ)を取る。


鬼女(キジョ)の弱みはこの男だ。こちらから()えば鬼女(キジョ)の心など容易(タヤス)く折れるだろう。


紳の背中に()らいつこうとした犬神(イヌガミ)の頭が今度は上から地に叩きつけられてその勢いで、ぼこりと地に穴が()く。押しつけられるように地中(チチュウ)()め込まれて思わず犬神(イヌガミ)の口から苦悶(クモン)の声が()れた。頭の骨が(キシ)む音がして、口から血が流れ出た。(チガ)う、と穴から()い出ながら犬神(イヌガミ)は思う。()いでた先では悧羅が紳の(ホオ)に触れて笑っている。


(ワラワ)の紳に傷をつけようなど(タワ)けたことを()そうと思うからじゃ。紳に手出(テダ)しはならぬ、と言うたはずだえ?」


()い出てきた犬神(イヌガミ)微笑(ホホエ)みながら言う悧羅の姿に歯軋(ハギシ)りが止まらない。


こんなはずはないのだ。あり得るはずがないのだ。


地に作られた同胞(ドウホウ)を全て()らった自分は、組み込まれていた蠱毒(コドク)の法もその身に(ウツ)している。それぞれの同胞(ドウホウ)(タクワ)えていた(ノロ)いの(モト)となる人の思いも全て自分の物にしたのだ。ナニモノよりも強いのが自分であるはずなのだ。(ノロ)いとして作られたが、自分は神の(クライ)にいるのだ。


それがどうして、ただの鬼女(キジョ)にこの様な目に遭わされている?


ぎりぎりとなる()をもう一度大きく開いて犬神(イヌガミ)怒号(ドゴウ)のような咆哮(ホウコウ)を上げた。血走(チバシ)った目をこれ以上ない程に見開(ミヒラ)いて、(フタタ)び紳と悧羅の真下に動く。下から二人まとめて()らいつこうとするが右頬(ミギホホ)衝撃(ショウゲキ)が走ってまた宮廷(キュウテイ)の壁に叩きつけられた。頬骨(ホオボネ)(クダ)ける音と共に犬神(イヌガミ)(ハゲ)しく咳込(セキコ)んだ。馴染(ナジ)みのある血の味がして顔を起こしながら、やはり何かが(チガ)う、と犬神(イヌガミ)は悧羅を見た。(ミダ)れた(コロモ)(スソ)を紳が直しているのが見える。


「もう、あんまり肌出さないでっていつもお願いしてるのに」


笑いながら悧羅に口付けている紳も昨夜とは違う。あれほど自分に(オソ)れて鬼女(キジョ)傷付(キズツ)くたびに泣き出しそうになっていた姿など(マボロシ)であったかのように余裕(ヨユウ)雰囲気(フンイキ)なのだ。


【…何があったというのだ、あれほどに痛めつけたというのに。お前達は同じ者なのか?】


ぼたぼたと血が流れ出す口から疑念(ギネン)の言葉が飛び出した。咳込(セキコ)犬神(イヌガミ)に紳と悧羅が視線を返す。にっこりと微笑(ホホエ)んでいる二人はやはり昨夜とは違う。くすくすと笑い合いながら、悧羅が犬神(イヌガミ)を白く長い指で指し示した。


其方(ソナタ)(ワラワ)()()()()の者だと思うておったのかえ?」


【…何を言う。()どもに()(スベ)も持たなかった弱きモノが!】


血を吐きながらずりずりと距離(キョリ)(チヂ)めると目の前から紳が消えた。消えた、と認識(ニンシキ)したと同時に頭頂部(トウチョウブ)から(スルド)い痛みが走って視線だけを向けると大刀(ダイトウ)を突き立てている紳が見えた。は?、と目を見開くとそのまま一直線(イッチョクセン)大刀(ダイトウ)犬神(イヌガミ)の頭を(ツラヌ)いて地に(トド)められ、頭の上に乗ったままの紳が笑っている。


「なに?ゆっくり動いたんだけど追えなかったの?」


笑いながら犬神(イヌガミ)の頭を蹴って紳は悧羅の横に戻る。頭に血が昇るのが分かって思いきり顔を振って犬神(イヌガミ)大刀(ダイトウ)(クダ)いた。そのまま動こうとしたが上から紳に踏みつけられてまた地中(チチュウ)深くに()められてしまう。ぐしゃり、と骨が(クダ)けてその日二度目の咆哮(ホウコウ)犬神(イヌガミ)は上げた。取り込んでいた能力(チカラ)(タギ)らせて()った傷を(イヤ)しにかかる。禍々(マガマガ)しい気配(ケハイ)と共に穴から飛び出してきた犬神(イヌガミ)に紳と悧羅は笑っている。


【どういうことだ!】


(ウナ)犬神(イヌガミ)に悧羅は小さく笑って、知りたい事は知れた、と言い(ハナ)った。何だと?、と聞き返す犬神(イヌガミ)の傷がどんどんと()えていくのにもたじろいでいる様子(ヨウス)はない。それどころか、分からぬのか?、と悧羅は笑うばかりだ。


「この地に作られた犬神(イヌガミ)となる蠱毒(コドク)がどれだけあるか知りとうての。其方(ソナタ)(ワラワ)より上である、と思わば吐くやもしれぬと思うてな。(アン)(ジョウ)吐いてくれたは(ウレ)しゅうあったえ?」


は?、と目を見開く犬神(イヌガミ)に紳が伝える。


「悧羅の思惑(オモワク)は分かったんだけどね。あんなに無茶(ムチャ)するとは思ってなかったんで、俺はちょっと(アセ)ったんだけどさ。止めて聞くような(ヒト)じゃないもんで」


左手に着いた(チギ)りの疵痕(キズアト)を見せながら紳は声を上げて笑った。昨夜悧羅が何かを知ろうとして能力(チカラ)(オサ)えているのは(チギ)りの(キズ)から流れ込んで来ていたので知っていた。邪魔(ジャマ)をしてはならないとは頭では分かっていたのだが、やはり目の前で悧羅が傷付(キズツ)くと冷静(レイセイ)でいられるはずもない。冷静(レイセイ)さを()けば自身の能力(チカラ)も十分にだせなくなる。常日頃(ツネヒゴロ)から鍛錬(タンレン)でも冷静(レイセイ)さを()くな、と隊士達(タイシタチ)にも言っているが実際(ジッサイ)に感情に支配(シハイ)された紳は自分に苦笑するしかない。何よりあれほどの深傷(フカデ)()うまで無茶(ムチャ)をするとは考えてもいなかったのだから仕方(シカタ)ないだろう。腕の中で血を流し続ける悧羅の身体が気になりすぎて紳も実力の半分も出せなかったのは(カエリ)みる必要があるけれど、これは悧羅が悪い、と思うことにした。


「やっぱり悧羅が傷付くと冷静(レイセイ)じゃいられなくてね。ちゃんと相手してやれなくてすまなかったな」


ひらひらと手を振って笑う紳に犬神(イヌガミ)は、ぎりりと歯軋(ハギシ)りするのを止められなかった。


【あえて弱く見せていた、とでも言いたいのか?あれほどまでに()どもの足元にも(オヨ)ばなかったお前達が!】


「そういうておるに。…まあ、思うていたよりも深傷(フカデ)()わされたは(マコト)であるがな。少しばかり(アヤ)ううはあったようだえ?」


首を(カシ)げる悧羅に、少しじゃないよ!、と紳が(タシナ)めている。


「本当に(アブ)なかったんだからね?どれだけ俺が心配したと思ってるの?」


(タシナ)められた悧羅は、すまなんだ、と紳に向かって笑っている。


「本当にこんなの最後にしてよね?もう嫌だよ、冷たくなっていく悧羅を抱きしめて走るのは」


二回もこんな目に遭うと思わなかった、と嘆息(タンソク)する紳の(ホオ)に悧羅が()れる。その手を取って引き寄せて口付ける紳と悧羅に、ふざけるな!、と犬神(イヌガミ)()えた。咆哮(ホウコウ)爆風(バクフウ)となって二人を(ツツ)むが()(カイ)していないように口付けを止めない姿に(イカ)りが止まらない。大口を開けて頭上(ズジョウ)から()みつこうとすると、真正面(マッショウメン)から紳の(コブシ)が顔に()り込んだ。吹き飛んだ先で頭を起こす犬神(イヌガミ)に、邪魔(ジャマ)するなよ、と笑いながら紳は悧羅を抱きしめている。


おやまあ、と苦笑する悧羅も、その(ヒタイ)に口付ける紳も犬神(イヌガミ)のことなどただの虫だとしか思っていないようだ。


【ふざけるな!ふざけるな!ふざけるな!!こんな事があってなるものか!!お前達など()どもの(エサ)となるはずだ!!()どもはお前達を(コワ)すために生み出されたのだ!!】


叫ぶ犬神(イヌガミ)に、知っておる、と悧羅が小さく嘆息(タンソク)した。


「…どこまで(コワ)れておったのやら…。どこまで(オノ)が心のままに動いておったのやらも分からぬがの。なれど、それも今となっては知り得ることなどできぬ。…ほんに(アワ)れと言うしかあるまいな…」


其方(ソナタ)もの、と嘲笑(チョウショウ)されて、(アワ)れだと!?、と犬神(イヌガミ)が目を細めた。


(アワ)れであろ?…其方(ソナタ)姍寂(サンジャク)に作られて(ワラワ)らを(コワ)すと申しておるが、()()しか目的(モクテキ)がないのであろ?()()其方(ソナタ)の思いなどあるまい?ただ、(コワ)れて(ワラワ)らを(ノロ)うた姍寂(サンジャク)の思いに(マド)わされておるだけじゃて」


何を言う!、と叫ぶ犬神(イヌガミ)の声は苦痛の声に(ツブ)れた。頭に(ニブ)い痛みが走る。視界に入っていたはずの紳がいつのまにか犬神(イヌガミ)の頭を踏みつけていた。また地中に押し込められそうになって渾身(コンシン)の力を込めて踏み(トド)まる。あれ?、と苦笑しながら紳が犬神(イヌガミ)の頭の上で跳ねてもう一度()みつける。ますます押し込められそうになるのを、歯を食いしばって(コラ)える。


「おお、頑張(ガンバ)るじゃないか」


笑いながらもう一度踏みつけて紳は悧羅の横に戻った。


「さて、どう(イタ)す?其方(ソナタ)(スデ)に感じておるであろ?如何(イカ)に人を()ろうて能力(チカラ)をつけようとも紳にも(ワラワ)にも(カナ)わぬ、と」


ゆっくりと悧羅が犬神(イヌガミ)に近付きながら(タズ)ねる。再び身体に()めた能力(チカラ)で傷を()やしながら顔を起こすと目の前に悧羅が立って犬神(イヌガミ)を見下ろしている。見下(ミクダ)すな!、と(ウメ)くが悧羅は(マユ)一つ動かすことはない。


()どもは神だぞ!お前のようなただの鬼などに()どもが(オト)るはずなどないのだ!】


叫ぶ犬神(イヌガミ)の顔を紳が踏みつける。誰がただの鬼だって?、と苦笑しながら足を離すと犬神(イヌガミ)の顔が(ツブ)れている。神ねえ、と笑う紳がしゃがみ込んで犬神(イヌガミ)の顔を持ち上げた。知らねえの?、と嘲笑(チョウショウ)されて、何がだ!?、と血を吐きながら犬神(イヌガミ)(ウナ)る。


「俺達も神なんだよ。普通の鬼じゃねえんだ。お前を作った姍寂(サンジャク)は鬼だけどな。(ツノ)の数が違うだろ?」


気付けよ、と笑いながら紳は持っていた犬神(イヌガミ)の頭を投げ捨てた。


【お前達が神だと?ふざけたことを言うな!()どもが神なのだ!()どもほどの能力(チカラ)を持たねば神にはなれぬのだ!!】


「だからお前今俺たちに手も足も出せてないじゃないか。それとも能力(チカラ)の差も分からないほどの(オロ)かモノなの?」


【それはお前達が何かしてきたからだろう!でなければこのような事があるはずがないだろうが!】


叫ぶ犬神(イヌガミ)に、駄目(ダメ)だこいつ、と紳が指を差しながら肩を(スク)めた。ほんにのう、と悧羅も笑いながら犬神(イヌガミ)をまた見下ろした。


見下(ミクダ)すなと言っているだろう!下賤(ゲセン)な鬼の分際(ブンザイ)で、()(ホド)を知れ!()どもの前では()して(ヒカ)えよ!】


やれやれ、と嘆息(タンソク)する悧羅は本当に何処(ドコ)までも(アワ)れだ、と(ツブヤ)いた。


「確かに其方(ソナタ)は神を(カン)しておるな。なれど妾らも(カミ)(カン)しておるのじゃ。鬼神(キジン)というのじゃが、其方(ソナタ)程度の(カク)の低い神には(ゾク)さぬ」


(カク)が違うとでも言いたいのか!】


叫んで悧羅に()みつこうとする犬神(イヌガミ)をもう一度紳が踏みつけた。


「悧羅に近づくなって」


へこんでしまった鼻から血が流れ出して犬神(イヌガミ)は目を閉じてしまった。分からぬ奴じゃのお、と肩を落として悧羅は、もう一度、其方(ソナタ)(アワ)れじゃ、と目の前の犬神(イヌガミ)に視線を落とす。すでに傷を(イヤ)能力(チカラ)さえもないのだろう。紳に蹴られた傷も()えることなく血を流し続け、それでも血走(チバシ)った目で悧羅を(コワ)すだけの為に動いている犬神(イヌガミ)には脅威(キョウイ)畏怖(イフ)も感じない。禍々(マガマガ)しさは残っているけれど、それにも慣れてしまっていた。


「やはり妾を里を民達(タミタチ)(コワ)さんとする思いは変わらぬか?」


静かに(タズ)ねる悧羅に、それをせずして何のための()どもだ!、と叫ぶ犬神(イヌガミ)に、そうか、と悧羅は苦笑した。


「ならば(イタ)(カタ)あるまいな」


【何がだ?!】


けほり、と軽く咳込(セキコ)犬神(イヌガミ)を悧羅がゆっくりと指さしてくる。


「妾は(オサ)であるからの。里や民達を護らねばならぬのだ。其方(ソナタ)(ガイ)()さぬ、と制約(セイヤク)出来るのであれば(アワ)れな其方(ソナタ)に生きる(スベ)をやろうかとも思うたのだが…。望まぬのならば全てを(メッ)さねばならぬ。…(ユル)してたもれ」


(ヤワラ)かに言われて、犬神(イヌガミ)()えた。


()どもを(メッ)するなど(タワ)けた事を!】


「せめてもの(ナサ)けじゃ。妾の手ではなく同胞(ドウホウ)の手にかかって()くがよろしかろう」


同胞(ドウホウ)?、と目を開いた犬神(イヌガミ)の前で、悧羅は(ササヤ)くようにその名を呼んだ。


「…哀玥(アイゲツ)…」


声に呼応(コオウ)するように悧羅の鬼火(オニビ)が一つ意図(イト)せずに現れて大きくなる。その中からぬるり、と姿を現したのは八月(ヤツキ)前に王母(オウボ)(アズ)けた犬神(イヌガミ)だったモノだ。呼び出しに(オウ)じた哀玥(アイゲツ)と名付けられた()()は出てくるなり悧羅の目の前にいた犬神(イヌガミ)を一口で飲み込み、くるりと姿勢を返すと悧羅の前に()した。


顔は犬体躯(カラダ)(オオカミ)漆黒(シッコク)の毛並みだが()だけが白い(ヘビ)だ。伏した姿は四尺三寸(ヨンシャクサンスン)ほどだろうか。へえ、と驚きながら見ている紳が面白(オモシロ)そうな声を上げた。


「これがあの犬神(イヌガミ)?何か神格化(シンカクカ)してない?」


伏したままの犬神(イヌガミ)の前に膝をつきながら、王母(オウボ)(ソバ)におればそうなるであろうよ、と悧羅は苦笑する。哀玥(アイゲツ)と名を呼ぶと、ゆっくりと身を起こして座った姿は悧羅と視線が同じくらいだ。その目の下に一つ(ハス)の華が小さく咲いている。


“名を(タマワ)光栄(コウエイ)(ゾン)ずる。これより先、小生(ショウセイ)(アルジ)悧羅様の御為(オンタメ)だけに動く忠実(チュウジツ)(シモベ)。何なりと(メイ)じられよ”


(タノ)む、と微笑みながら哀玥(アイゲツ)の頭を()でると目を細めている。姍寂(サンジャク)(ヤシキ)から持ち帰った時のような禍々(マガマガ)しさは消え失せて、どこか柔らかささえ感じさせる。目の下の(ハス)について(タズ)ねると、王母(オウボ)から(ギョク)(タマワ)った、と応えが返ってきた。


(アルジ)(ソバ)におりたいのであれば、と”


そうか、と微笑む悧羅に、どうぞご命令を、と哀玥(アイゲツ)が頭を下げた。うん、と(ウナズ)いて悧羅は命じる。


大国(タイコク)の地を廻り姍寂(サンジャク)が残したモノがないか確かめてきや。其方(ソナタ)であれば気配(ケハイ)を追えるであろ?」


御意(ギョイ)のままに”


一度伏して(ヒカ)えてから哀玥(アイゲツ)は姿を消した。その姿を見送って紳がまた、へえ、と苦笑している。


「新しいモノってこれのことだったの?」


よいしょ、と悧羅を抱き上げて地を蹴って()けだしながら紳が(タズ)ねる。


「名を考えろ、と言うておったからの。そういうことなのであろう、とは思うておったのだが。あれほどに変化しておるとは思うておらなんだえ」


風になびく髪を押さえて苦笑する悧羅に紳も笑っている。


「顔だけよりも子ども達は(コワ)がらなさそうだ。妲己(ダッキ)機嫌(キゲン)が悪くなるかもしれないけどね」


確かにそうだ、と笑いながら紳と悧羅は里へ戻る道を辿(タド)った。

悧羅の犬神さん再登場です。

これからもぼちぼち出てきます。


姍寂編がここで終われば良いのですが。

お楽しみいただけましたか?


ありがとうございました。

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