糺す【弐】《タダス【ニ】》
こんにちは。
更新しますがギリギリラインがあります。
苦手な方はご注意下さい。
名を呼ばれた気がして悧羅は重苦しいながらもゆっくりと目を開けた。ぼんやりと見え始めた場は宮ではない。見たこともない天井だが、自分が布団に寝せられているのは背中に当たる感触で何となく分かった。目を開けたは良いが瞼を開けていることさえも辛くて又目を閉じようとすると、悧羅!、と名を呼ばれた。聞き慣れた声と覗き込むようにして見下ろしてくる紳の顔が見える。紳?、と声を出したつもりだったが掠れて声にならず、ただ唇が動いただけだったようだ。
「…良かった、目ぇ開けてくれた…」
ぼんやりとした視界の中で大きく肩を落として息をつく紳の姿が見えた。額からかなりの速さで精気が送り込まれ続けているのも感じる事ができて、無理をしてくれるな、と腕を動かそうとしたのだが身体も重くて動かせない。
何がどうしたのであったか?
大きく息をつきながら思い出そうと悧羅は努める。身体の重さと鈍く続く痛みとで気を抜けばまた目を閉じてしまいそうになるが、ああそうであった、と犬神の事を思い出した。悧羅を狙っているのであれば、と自分を餌にしたまでは良かったが思いの外、深傷を負わされてしまったのだ。思い出すと鈍く続く痛みも重苦しい身体の事にも合点がいった。送り込まれ続ける精気に身体を委ねてみるが余程身体が欲しているのかどれだけ送り込まれても身体が楽にならない。このままでは紳を枯渇させてしまいそうだ。灼けつきそうな喉からどうにか、もう良い、と声を絞り出すが枯れた声で言われても紳は首を振るばかりだ。
仕方あるまいな、ともう一度大きく息をついて背中の蕾に気持ちを集める。横たわっている悧羅の背中から仄かな虹色の光が迸り始めて紳が、悧羅!、と諌めた。声は届くがこれ以上紳を疲れさせるのは悧羅にとっても好ましいことではない。全てを開かせるつもりは無いが身体の状況では開いてしまうかもしれない。だがそんなことなど構うことはない。背中が熱く熱を持って身体中に精気が巡っていくのを感じる。左肩や右足から腹にかけて続いていた鈍い痛みも少しずつ退いて消えていく。ふう、と息をつくと灼けつくような喉の痛みも消えていた。紳、と名を呼ぶとようやく声が出た。
鉛のように重苦しかった身体も先刻よりは軽くなっている。寝たままで両の指を動かしてみると痺れは残っているが動かすことが出来て、とりあえず安堵する。身体を起こそうとすると紳がそれを押し留めた。
「まだ寝てて」
呟くように言った紳の顔は今にも泣き出しそうだ。腕を伸ばしてその頬に触れると空いた手で強く握り返してくる。
「すまぬ…。危うい目に合わせてしもうた…」
ゆっくりと伝えると大きく首を振る紳の目から大粒の涙が溢れ出た。頬に当てたままの手に紳の涙が伝って、すまぬ、ともう一度悧羅は詫びた。額に当てられた手からはまだ紳の精気が流れ込んできている。背中がまだ熱いのは感じているので、悧羅の身体に応じてゆっくりと華開いているのだろう。開き終われば身体に十分な精気は戻るはずだ。
「…もう大事ない故、そう泣いてくれるな。紳が枯渇してしまっては妾は居た堪れぬ…」
伝う涙を拭う手の痺れも取れ始めている。足や手の指も冷たかったが血が巡って温かくなるのも感じ取れた。それでも紳は首を振りながら精気を送り込む事をやめはしない。
「…居なくなってしまうかと思ったじゃないか…!なんで…、何でこんな無理したの…っ!」
咽び泣きながら言う紳に悧羅は、すまぬ、と微笑むしか出来ない。悧羅が意識を手放している間、不安で不安で仕方なかったのだろう。逆であれば悧羅もそうであったはずだ、とは思ったけれどこうするしかなかった。華が三つ残っていることもあり生命を取られる事はないと踏んでいたのだが、際どいところであったようだ。
「ほんに、すまなんだ…」
もう一度詫びると紳が大きく首を振った。涙で滲んではいるが悧羅の顔には赤みが刺し始めている。一番の危うさはどうにか脱っしたようだ。連れて戻った時には噛まれた場所からの血は止まらないし、千切れかけた左腕と右脚もどんなに精気を送り込んで治癒の術式を行使しても繋がらなかった。悧羅だけを置いていくのは身を切られる思いだったが一度宮に戻って大蛇の玉を持ってきて身体に取り込みながら精気を送り込み続けてようやく血止めだけは出来たのだ。青ざめて真っ白になっていく顔から冷たさだけが伝わって500年前、腕の中で冷たくなっていく悧羅の姿と重なった。
頼むから目を開けてくれ、と祈るような気持ちで名を呼び続けて何百回と経ってから目を開けてくれたのだ。溢れ出る涙を温かさを取り戻した悧羅の指が拭ってくれてやっと紳は大きく息をついた。ここは?、と尋ねられて、自分の邸だ、と応える。あの状態の悧羅を宮に連れ帰る事など出来なかった。悧羅が最後に紳の名を呼んだのも宮には戻るな、という事だと分かっていたからだ。本当なら里に戻ることも悧羅は拒んでいたのかも知れない。犬神は既に悧羅の血の臭いを覚えているはずだ。血の臭いを辿れば入り口近くまでは迫ってくるだろう。一時的にその場に結い留めたとはいえ、長く持つとは思えない。里を危うくするかもしれないとは考えないでも無かったが、悧羅を留めるには里に帰って大蛇の玉を使うより他に考えが及ばなかったのだ。宮に居たのも一瞬であったから子ども達や女官達には気づかれずに済んだ。妲己だけは血の臭いで気取ったかもしれないが出てくる前に紳が宮を出たので会うことなく戻ってこれた。会っていたら間違いなく付いて来ていただろうし、子ども達にも知られていたかもしれない。それだけは避けたかった。
「紳の邸を血で汚してしもうたな…」
大きく息をついて苦笑する悧羅に、そんなこと気にしている場合ではない、と紳は嗜めた。悧羅の血であれば汚されたなどと思うはずもないのだから。落ち着き始めた悧羅に紳はもう一度尋ねる。
どうしてここまでの無理をしたのか、と。
うん、と苦笑して悧羅は紳を見た。
「あれは妾を壊すために作られたと言うておった。何よりあれの気配が強すぎておった故大国に他に埋められたままの犬の首がおるのかすらもわからなんだ。…ならば妾を餌にすれば口を滑らすやもしれぬと思うたのだ」
「だからってここまで無理しなくても…。死ぬとかだったんだよ?本当に危なかったんだ」
それにも悧羅はうん、と苦笑した。悧羅自身もここまで深傷を負わされるとは思っていなかった。対峙した時に畏怖は感じたが、まだどうにかなるだろう、と思っていたのは事実だ。
「少しばかり甘うみておったに…。妾の失態じゃ。許してたも」
「…無事だったんだから良いって言いたいけど、もうあんなのは嫌だ。悧羅が居なくなったら俺は何のために生きればいいのさ…?この際だからはっきり言っておくけど、俺は悧羅が死んだら後を追うからね」
「…そのような淋しいことを言うてくれるでない」
困ったような顔をする悧羅に紳は首を振る。悧羅のために生きる、と500年前に決めたのだ。悧羅が生きている限りは紳も生きるが、悧羅が居なくなってしまっては生きている価値も目的も失ってしまう。契った後でもその思いは何ら変わっていない。紳は悧羅のためだけにいるのだ。
「それを淋しいと思ってくれるなら、もうこんな無理はしないって約束して。俺を置いてどこにも行かないって」
頬に当てられたままだった手を両手で包んで紳が願った。承知した、と微笑む悧羅の包んだ手に紳は額をつけてもう一度大きく嘆息する。その姿に目を細めて、ほんにすまなんだ、と悧羅が僅かに身体を起こした。華の精気が巡ってはいたがやはり身を起こすとまだ目が眩む。
「いいから寝てて」
優しく言われるが悧羅は微笑んで首を振った。背中の蕾がどうなっているのかも気にはなるところなのだ。紳にそう伝えると何も纏っていない悧羅を胸で支えてから長い髪を寄せる。悧羅が自分の意思で華を咲かせた事はない。里を移した時も必要な分だけ自ずと華開いた。確かめると一つの蕾がいつもよりも膨らんではいたが開いてはいない。ほっと安堵して髪を下ろす代わりに悧羅を抱き寄せた。そこから精気を送り込むと、紳、と嗜められる。
「大蛇の玉を獲ってるから、俺は大丈夫。華は開いてないよ。一つ膨らんではいるけどね」
そうか、と胸に身体を預ける悧羅に布団をかけて包む。華が開くほどの精気は必要ない、ということだろう。それは紳で賄えるということでもある。元々民達から預けられた玉は悧羅のためのものだ。今まで懐妊してくれた時にしか使っていなかったが、今回ばかりは仕方ないだろう。むしろ今使わずにいつ使うというのか。紳以外から精気を獲らないと決めている悧羅に受け入れてもらえるのは自分だけなのだから。まだ沢山残しておいたのは倖だった。紳の胸に顔を擦り寄せて、ふう、と安心したような息をつく悧羅に少し眠るように伝えるが首を振っている。
「深傷を負った甲斐はあったえ?」
悧羅の言葉はもう掠れてはいない。どういうことだ?、と問うと悧羅は小さく笑ってあれは口を滑らせた、と呟いた。それに紳はきょとりとしてしまう。あの時紳は悧羅を護ること、安全な場所まで逃げることを最優先にしていた。結果として悧羅の能力でどうにかここまで戻ってこれたが、あれが何を言っていたのかなど憶えていない。唯一覚えているのは、鬼を里を悧羅を壊す、と言っていたことだけだ。
「何か言ってたっけ?」
尋ねると悧羅はますます紳に身体を預けた。どうしてもまだ目の前が眩んてしまう。紳の衣が戻ってきたままであることは気づいていたけれど、今はこの腕に包まれていたいのだ。
「滑らせたであろう?同胞全てを喰らい尽くし人を喰らいて力を高めた、と」
ああ、と紳も思い出す。悧羅よりも優位に立ったと思ったのであろう犬神は確かにそう言っていた。紳にはそれどころでは無かったが、悧羅はその言葉を引き出したかったのだろう。
「あれが大国の地で姍寂が作ったものを全て喰ろうでしもうたというたは間違いはないであろうよ。宮廷に猩々を放ち餌を求めて寄り集まった同胞を喰ろうて能力を強めたのであろうな。…それもまた蠱毒の法の卑しいところであるのう。それだけでは飽き足らず宮廷の人の子を喰ろうておったのだろう。…金華猫までらおったのは予想外であったが、死骸になっていた者たちの中には金華猫に当てられた者もおりそうだ」
話しながらも息をつく悧羅に、本当に少し休んで、と紳が願うが、このままがいい、と言われてしまう。やれやれ、と息をつく紳を悧羅が仰ぎみて微笑んだ。
「この腕の中以上に安らげる場などありはせぬ」
「また、そんな事言って…。まだ駄目だよ?さっき目が覚めたばっかりでしょうが」
悧羅を包む布団を直しながら紳がその身体を叩く。とんとん、と優しく叩くが胸に顔を当てたままで悧羅は首を振った。
「精気を送り込んでくれるのであらば紳に包まれる方が良い。其方がほんに傷ついておらぬかも妾は知りとうて堪らぬのじゃ。…ならぬかえ?」
小さく首を傾げて聞く悧羅に紳は肩を落とすしかない。悧羅の身体が心配なのだがこんなに近くで可愛らしい顔をされて乞われては抗えるわけがないではないか。見上げる悧羅に軽く口付けると紳は諦めたように笑った。
「本当に仕方のない女だよね。…こんな時まで俺を沸らせちゃうんだから」
でも待って、と笑いながら紳は諭すように言いながら悧羅の髪を梳く。せめて湯の支度をしてからね、と笑うと悧羅は少し頬を膨ませた。
「そんな顔しないの。すぐだから。それまでゆっくり休んでて」
額に口付けると致仕方ないの、と悧羅も小さく息をついた。うん、と頷いてから紳は悧羅の身体を布団に横たえた。
「ほんにすぐじゃな?そう待たせておくれでないよ?…紳が側におってくれねば淋しゅうてかなわぬ…」
紳の手を握って言う悧羅にうん、と笑ってもう一度口付けてから紳は立ち上がって部屋を出ていく。紳が居なくなってしまった部屋に静けさが戻る。身体の気怠さは残っているけれど、目覚めた時ほどではない。だが、こんな形で紳の邸に入る事になるとは思ってもいなかった。紳の邸の庭には近隣の童達が集まって遊んでいることが多い。悧羅も子ども達が幼い頃はよく連れてきて庭先で遊ぶ童達と遊ばせていた。縁側に腰掛けて子ども達の遊んでいる姿を見守ってはいたが、中に入ることまでは無かったのだ。邸を含め、この辺りの土地は紳の物で悧羅と契ってからも紳は手放してはいない、とは言っていた。部屋を見渡してみると手入れをしていたのだろう。痛んでいる箇所も見当たらない。
思い出の場所だから、と言っていたけれどそれでも務めの間をぬって手入れをするなど手のかかる事だっただろう。ころり、と布団の中で身体を返してから、大きく息をつく。背中の蕾はまだ熱さを放っている。少しずつ華からの精気が流れ出すのが感じ取れた。開くまでは無くとも紳が送り込まない間は華の精気が必要だということなのだろう。
ふう、と身体に巡る精気に身を任せながら紳が早く戻ってきてくれる事を願う。手指や足先に残っていた痺れも消えている。犬神を縫い付けている呪も長くは持たない。出来るだけ早く身体を癒やさなければならないのだ。何よりも紳に包まれたいのが本心なのだけれど。気を抜くと微睡みそうになるが眠っている刻が惜しい。もう一度大きく息をついていると、からり、と戸が開かれた。顔だけを戸に向けると紳が入ってきている。ほっと安堵して近づいてくる紳に手を伸ばすと、本当にもう、と苦笑しながら手を取りながら悧羅の横に座った。握った手に口付けると悧羅が両腕を広げて求めてくる。もう、と苦笑しながら布団の中に滑り込んで紳は悧羅に深く口付けた。広げられていた両腕が紳の背中に廻されて、それだけで紳は沸ってしまう。
自分の衣を脱ぎ捨てて肌と肌が触れ合うと、もう堪えようがなかった。慈しんで触れる手や重なった肌からも精気は送り込み続けながらゆっくりと悧羅の身体を開く。まだ気怠さは残っているだろうが、それでも紳に応えて甘い声を上げながら昇っていく悧羅を抱きとめていると身体を労ってやることも出来なくなる。
「ごめん、優しく出来ないかもしれないよ?」
腕の中で荒れた息と甘い声を上げる悧羅に詫びてから、紳は悧羅の中にゆっくりと入り込んでいく。入り込む紳に合わせて悧羅の口から甘い声が上がるがそれを口付けて塞ぐ。奥まで入り込んで唇を離して少し動くとますます甘い声が紳の耳に届いてくる。その声でまた沸ってきて紳は動きを速めた。
「…やっぱり優しく出来ないや、ごめんね?」
苦笑しながら悧羅の手を布団に縫い付けて言う紳を腕の中から艶かしく潤んだ目が見つめてくる。詫びた紳に首を振って応える悧羅に笑いながら、甘い声を出す唇を啄むように吸い上げた。時折動きを止めると、嫌だ、とでも言うように悧羅が首を振って乞う。
本当に困らせるのが上手い。
苦笑して紳は乞われるままに動きを速めた。喘ぎが大きくなって反り返り始める悧羅を強く抱きしめると、紳、と何度も名を呼ばれる。困らせられてばかりでは紳も堪らない。あれだけ心配をかけられたのだから、少しくらいは意地悪をしてもいいだろう。乞う悧羅に、今日は駄目、と言うと縫いとめた腕を振り解こうともがく。駄目だよ?、ともう一度伝えて片手で悧羅の手を縫い止めて空いた手で身体を強く抱きしめながら反り返る身体を逃がさないように留めた。どんどんと動きを速めると堪えきれずに一際大きな喘ぎを上げて悧羅の身体がびくりと震えた。それでも紳は動きを止めない。何度も名前を呼ばれるが、その度に、駄目、と伝える。嫌だ、と訴える悧羅に一度だけ軽く口付けると、もっと、と乞われる。
「駄目。今日はちゃんと聞かせて?」
潤んだ目で見ながら首を振り続ける悧羅に苦笑しながらひたすらに悧羅の中をかき回すと幾度も身体が跳ねて幾度も果てていくのが分かる。いつもなら名を呼ばれるのは悧羅が果てる前に口付けを乞う時だ。だが今日ばかりは紳は悧羅の願いを拒み続ける。果てる度に甘い声が聞こえて、ますます紳を沸らせるには十分だった。
「俺もそろそろ駄目かもよ?」
縫いとめていた手を放して両腕で悧羅の細い身体を抱きしめると、紳の頬が優美な手で包まれる。引き寄せて深く口付けてくる悧羅が愛おしくて堪らなくなる。また身体が反り返りそうになって悧羅が唇を離した。代わりに紳の首に腕が廻されて悧羅の身体が大きく震えて反り返った。本当に無理かも、と伝えた紳に悧羅が強く抱きついてくる。逃げ出そうとする身体を紳から離れないように強くしがみついていると大きな官能が込み上げてきた。速まる紳の動きに応えるように悧羅の声もますます甘くなり、奥深くで紳が果てると共に悧羅の身体も大きく跳ねて果てた。果てた悧羅のまだ奥に紳が入り込むと堪らないように小さく声を出す悧羅にようやく紳は深く口付けた。くったりとした身体を抱きしめながら口付けを繰り返すと、悧羅の手が紳の頬を包む。
唇を離すと荒れた息の中から悧羅が、もう一度、と囁いてくる。悧羅の中からまだ出ていない紳にはその顔と声だけで沸るには十分だ。
「身体が辛くなるよ?…それにまた意地悪しちゃうかもしれない。いいの?」
唇が触れる距離で囁くと、よい、と悧羅も囁く。
「妾は紳のもの。紳の好きなようにすれば良い。どれほど妾を虐めてくれてもよい故、もう一度紳を妾にくりゃれ」
頼む、と悧羅が願うとくすくすと笑いながら紳が悧羅に深く口付けた。悧羅の中に入り込んだままで沸らされて、誰が否と言えるだろう。それがこの世で一番大切で一番愛おしい者からの願いなら尚更だ。
「どれだけでも俺をあげるよ。しっかりと受け止めてね」
「当たり前ではないか。紳がくれる者を妾が取りこぼすものか」
うん、と微笑んで紳はまた悧羅を慈しむ手を動かし始めた。
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さらりとした衣擦れの音で紳と悧羅は薄らと目を開けた。悧羅の身体にはまだ気怠さが残っているがそれは犬神に負わされた傷のためではない。もう駄目だ、と言う紳に幾度も願って情を交わし続けてもらったからだ。気怠いながらも心地良い微睡みの中で衣擦れの音が近づいてきて小さく吐息をつきながら悧羅は身を起こす。紳も続くように身を起こして目を擦ると悧羅の背後に穏やかな微笑みをたたえた王母が立っていた。え?、と慌てて膝を着こうとしたが紳も悧羅も何も纏っていない。良い良い、と笑う王母に軽く礼をして紳は悧羅と自分を布団で包んだ。そのまま悧羅を引き寄せて腕の中に収める。
「…また何もこのような場にまで降りてこずともよいものを…」
腕の中から苦笑する悧羅の前に膝を着いて王母はふっくらとした手で悧羅の額に触れている。すまなかったな、と言う王母は紳を見ている。目を見開く紳に王母は頭を下げた。
「恐しかっただろう?娘がおらぬようになるのではないか、と。私が少しばかり無理をさせてしまったようだ」
詫びる王母に焦って紳は頭を上げてくれるように願う。
「とりあえず無事だったからいいのです。…本当に手を離れていたらどうであったかは分かりかねますが、今は良いのです」
腕の中の悧羅を抱きしめて紳が伝えると、そうか、とすまなそうな顔をして王母が頭を上げた。と、同時に悧羅の身体がぶるり、と震えた。悧羅?、と声をかけようとして背中から光が放たれていることに気づく。仄かな光だが見たことのある光に紳はまた慌てて悧羅の華を確かめた。膨らんでいただけの蕾がゆっくりと開き始めて虹色の光が鮮やかになってくる。王母様!、と責めるような紳の声に、まあ待て、と王母は笑っているばかりだ。
仕方なく黙って見守る紳の前で一つの華が開いて朝露が滴っている。滴った露が二つ小さな新しい蕾に姿を変え始めた。灼けるような痛みが走って悧羅が顔を顰めると、しばし堪えよ、と王母が笑ったままだ。ふう、と大きく息をつくと、そうだ、と王母がまた笑う。紳が見守る目の前で姿を変え始めた蕾はしっかりとその姿を現した。これって、と言葉を失う紳の腕の中で灼けつく痛みから解かれて悧羅は大きく息をついて紳の胸に身体を預けた。王母も悧羅の額から手を離して大きく頷いた。
「どうだ?」
言葉少なに聞かれて、悧羅は苦笑するしかない。
「…なかなかにせんないことをしてくれるものだの…。妾の背に全て華を刻むつもりかえ?」
「なんの。これはお前を危うい事にしてしまった詫びだ。…まさかここまでの無茶をする娘とは思うていなかったがな」
ほんに私の考えの及ばぬ事をする、と苦笑する王母は悧羅の頬を撫でた。華が開かれた事で身体に残っていた傷の痛みは無くなった。あまり刻を置きたくなかった悧羅にとってはありがたい事だったけれど、紳は驚きを隠せない。だが、まだ悧羅を紳から奪うつもりは王母にはなさそうだった。それだけは確かに伝わって紳は大きく息をついて胸に預けられた悧羅の身体を抱きしめた。
「掴んだものは離すでないよ?娘は早いうちに全てを糺すつもりであろうからな。…まあ、ちと難儀しておるようだが、昨夜のような無理はせずともよいだろう。尾は掴んでおるようであるしな」
「あれ以上のことが起きてしまってはさすがに私は王母様を恨んでしまうやもしれません」
紳が悧羅の代わりに応えると、王母も、そうであろうな、と苦笑している。ほんにすまなかったな、ともう一度紳に詫びる王母に紳は頷いた。それに微笑んで王母はゆっくりと立ち上がった。
「お前が娘の伴侶で良かった、とこれほどに思った日はないな」
二人に背を向けながら、そうであった、と王母が立ち止まった。
「娘、名を与えよ。それに応じるだろう」
現れた時と同じように衣擦れの音だけを残して王母が薄くなるようかのように消えていった。姿が見えなくなって紳は大きく息をついて肩の力を抜いた。
「悧羅、大丈夫?」
腕の中の悧羅を声をかけると、なんともまあ、と小さな笑いが聞こえた。
「ほんに唐突なお方じゃて。…せっかく紳と微睡んでおったというに…」
「そういう問題じゃないでしょ、華増えちゃったじゃないか」
減ったわけではないなら良いではないか、という悧羅に、またそんな簡単に、と紳は嘆息するしかなかった。だが悧羅は、名か、と次の事を考えているようだ。外は明るくなりかけていたが動くのは夜になってからだろう。ふう、と息をついて紳は悧羅を引き寄せた。
「まだ、刻あるよ。もう少し休もう」
布団に横になりながら微笑む紳の背中に悧羅が腕を廻した。
「そうであらば、もう一度妾に紳をくりゃれ」
「いいよ、どれだけでもあげるって言ったでしょ?」
笑いながら紳は悧羅に深く口付ける。今夜がまた昨夜と同じようにならないことだけを祈りながら二人はまた睦み合い始めた。
お楽しみいただけましたか?
ありがとうございました。