表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
122/204

糺す《タダス》

こんにちは。

今日も暑いですね。


残酷描写が続き増す。苦手は方はご注意ください。

里が夕闇(ユウヤミ)(ツツ)まれる前に悧羅(リラ)は全ての出入りの結界(ケッカイ)強固(キョウコ)にし、里全体を(ミズカ)らの結界(ケッカイ)(オオ)った。十年()りに現れた悧羅の結界(ケッカイ)民達(タミタチ)(オドロ)いたが、何かしら良くないことが起こっているのかもしれないと感じていた。この十年、(ヤス)らげる場所だと思っていたのに何が起こっているのか分からない。それでも誰一人(ダレヒトリ)として(サワ)ぐ事が無かったのは悧羅へ向けられた(シン)によるものだった。


(オサ)無意味(ムイミ)に自分たちを不安にさせるわけが無いのだ。


その一つの真実(シンジツ)だけが民達の心の安寧(アンネイ)(タモ)つことが出来ているのだ。唯一(ユイイツ)不安があるとすれば民達を護るために悧羅がまた自分を(ケズ)るような無理をしないか、ということだけだった。(タミ)あればこその(オサ)だ、と言う悧羅は民達のためであれば自分がどれほど(イタ)もうとそれを(カエリ)みない。500年前からその姿を見ているからこそ民達は(イノ)る。


決して(ミズカ)らを(ケズ)ることがないように、と。


八月(ヤツキ)前に起こった粛清(シュクセイ)でも悧羅は自分を(ケズ)っている。身体(カラダ)だけではなく、心も(ケズ)っているのは分かっている。姿が見えなくなって心配した民達のために降りてきてくれた悧羅は、また()せていた。その姿で心を痛めながらも(イソ)がしくしていたのであろうことはよく知る事ができた。だが、(ソバ)(シン)がいる姿を見た者は二人の姿に安堵(アンド)したのは事実だ。けれど、これ以上身体も心も(ケズ)る事があれば、と()らぐ結界(ケッカイ)を見ながらまた祈る。


どうか御壮健(ゴソウケン)であられるように。


夕闇(ユウヤミ)が押し寄せて(ヨイ)(テン)じ始めて民達はそれぞれの(ヤシキ)へ戻りはじめた。宵闇(ヨイヤミ)に落ちていく里の周りで悧羅の結界(ケッカイ)だけが(ホノ)かに紫の光を(ハナ)っていた。



結界(ケッカイ)を張り終えた悧羅は一息(ヒトイキ)をついて現世(ゲンセ)へと(ツナ)ぐ門への道を(シン)(イダ)かれて進んでいた。今回ばかりは(アブ)ない、と紳には同行(ドウコウ)(コバ)んだのだが、それを許す紳ではない。(アブ)ないなら(ナオ)の事ついていく、と(カタク)なに退()かない紳に仕方(シカタ)なく悧羅も折れるしかなかった。これまで王母(オウボ)からの(ニン)には紳は必ず共に行っている。それは悧羅にとっても有難(アリガタ)い事でもあるのだが、本当に今回ばかりは巻き込みたくはなかった。悧羅にも何が起こるか分からないからだ。

現世(ゲンセ)(ツウ)ずる門の前で紳が、(カイ)(トナ)えると堅牢(ケンロウ)門扉(モンピ)がゆっくりと両側(リョウガワ)に開かれる。そこを通ると真っ白な雲を(クグ)るように進むと背後で門扉(モンピ)の閉じる低い音が聞こえた。そこからはただ真っ直ぐひたすらに霊峰(レイホウ)沿()うように(クダ)っていく。


眼下(ガンカ)に人の子の住まう(ヤシキ)(アカリ)がぼんやりと見え始めると、紳はそこから大国(タイコク)の中心に向かって()けだした。出来るだけ中心に近い場の門を通ってきたはずなのだが、それでも半刻(ハンコク)ほど()けてようやく豪奢(ゴウシャ)で横に長い宮廷(キュウテイ)が見えた。そこで初めて悧羅が紳の腕の中から身を起こした。紳、と名を呼ばれて()けるのをやめた紳にも悧羅が動いたわけがわからないでは無かった。幾度(イクド)か来たことのあるその宮廷(キュウテイ)は前に見た時とは違う気配(ケハイ)(タダヨ)わせている。


豪奢(ゴウシャ)であることは変わらないのだがまるで黒々とした(ケムリ)でも立っているかのように二里(ニリ)は離れているこの場にも異様(イヨウ)気配(ケハイ)が伝わってくるのだ。その気配(ケハイ)は長い宮廷(キュウテイ)全体を包んで、見る者が見れば(マユ)(ヒソ)めるだろう。


「…これはまた禍々(マガマガ)しいのお…」


「あんまり近づきたくはないよね。ここからでもびりびりくるよ」


腕の中の悧羅を抱きしめる腕に力を込めて紳も苦虫(ニガムシ)()む。どうやら悧羅の懸念(ケネン)は当たってしまったようだ。どうする?、と問うと、行かねばなるまいよ、と悧羅が小さく嘆息(タンソク)する。確かに宮廷(キュウテイ)に近づかなければ何が起こっているのか確かめることは出来ない。けれど、どうしても身が(スク)む。紳の中の生存本能(セイゾンホンノウ)とでもいうのだろうか。近づいてはならない、と警告(ケイコク)しているかのようだった。


大事(ダイジ)ない。何があろうとも其方(ソナタ)だけは(ワラワ)が護る」


「それって反対だよね?俺が悧羅を護らなきゃならないんだよ?」


見上げた悧羅に苦笑しながら口付けて紳は歩みよるように少しずつ宮廷(キュウテイ)までの距離(キョリ)(チヂ)めて行く。近寄れば近寄るほどに(スク)む身体を(フル)い立たせて進むと、異臭(イシュウ)が鼻に突き始めた。単なる異臭(イシュウ)ではない。肉の(クサ)(ニオ)いと独特(ドクトク)の血の混ざった(ニオ)いに嘔気(ハキケ)をもよおしそうだ。前にここに来たのは三月(ミツキ)ほど前のことだ。その三月(ミツキ)の間に何があったというのか。


進め、という意識と裏腹(ウラハラ)に止まりそうになる足を必死(ヒッシ)に動かして紳は進む。気を抜けば(キビス)を返して逃げ出したくなるくらいの、それは狂気(キョウキ)だった。背中に伝わる冷たい汗を感じながら宮廷(キュウテイ)屋根(ヤネ)の上に着くと悧羅が腕の中から降りようとする。駄目(ダメ)だ、と言うが悧羅は首を振る。


「紳から離れぬと(チカ)(ユエ)


絶対だよ?、と言う紳に悧羅が大きく(ウナズ)く。悧羅としても紳から離れて動いたとして紳に何かあっては(タマ)らない。分かった、と大きく息をついて紳が悧羅を腕の中から降ろした。そのまま手を(ツナ)いで()いた手には背負(セオ)っていた大刀(ダイトウ)(ニギ)る。


「どこから調べる?」


(タズ)ねると悧羅は少し考えているようだ。本来ならばこの(ニオ)いの元から(サグ)らねばならないだろうが、あまりにも禍々(マガマガ)しい。下手(ヘタ)刺激(シゲキ)して退路(タイロ)()たれるのは()けたい。


「中からにした方が良いであろうな」


言われて紳は悧羅と共に窓の一つから宮廷(キュウテイ)の中に入った。天井(テンジョウ)に近い場所を辿(タド)りながらもその中が異様(イヨウ)であることが見てとれた。人の声も気配(ケハイ)もしないのだ、()()()()()()()。代わりにあるのは静寂(セイジャク)時折(トキオリ)聞こえる(ネコ)のような鳴き声だけだ。屋根にいた時よりも腐臭(フシュウ)は弱くなったが、血の(ニオ)いだけは強くなっている。


(ダレ)もいないの?まったく気配(ケハイ)がしない」


「この血の(ニオ)いでは望めぬかもしれぬな」


小声(コゴエ)で話しながら進んで近場(チカバ)に見えた戸に近付いて悧羅がそれを少し開いた。途端(トタン)に血の(ニオ)いが強く流れ出して紳も悧羅も一瞬(イッシュン)顔を(ソム)けた。息を止めるように部屋の中を確かめると、見るも無惨(ムザン)光景(コウケイ)が広がっている。


大きな部屋は天井(テンジョウ)(ユカ)(カベ)も血が飛び散りべっとりと肉片(ニクヘン)が張り付いている。悧羅が開けた戸にも暗くて分からなかったけれど血が張り付いていた。()いかけなのか、そこで意識的(イシキテキ)に止めたのかはわからないが何十もの人であっただろう残骸(ザンガイ)が見えた。ふう、と息をついて悧羅は戸を閉める。代わりに廊下(ロウカ)に出て鬼火(オニビ)を一列に(ハイ)すると、そこに面した部屋の戸には血が張り付いているのを確かめる事ができた。長い廊下(ロウカ)のあちこちにも死骸(シガイ)が横たわっている。


「なかなかに壮絶(ソウゼツ)じゃな」


鬼火(オニビ)を自分と紳の横に一つずつ残して消しながら悧羅が(ツブヤ)く。紳もただ(ウナズ)くしかなかった。鬼の紳が思うほどに、この光景(コウケイ)残虐(ザンギャク)だ。(ニギ)った手に力が込められて紳は悧羅を見る。悧羅の顔も(クモ)ってはいるが、まだしっかりと前を向いていた。進んでみるか、と手を引かれて紳も続く。どこまでも長く続く廊下(ロウカ)を進むと死骸(シガイ)(マタ)がねばならない事もあった。多くあるはずの部屋の前を通ると、血の匂いと腐臭(フシュウ)がする。この宮廷(キュウテイ)の中で生きているものなどいないだろう事だけがひしひしと伝わって、どれほどのモノなのだ、と紳はまた背中に冷たい汗が伝うのを感じた。長い廊下(ロウカ)をひたすらに進んで最奥(サイオク)一際(ヒトキワ)大きな戸の前で二人は足を止めた。


朝廷(チョウテイ)の場に続く戸に手をかけてゆっくりと横に開くと強い酒の(ニオ)いがした。中は(ホノ)かに(アカリ)が残っているのかぼんやりとしているが(ウカガ)い知るには十分だった。広い部屋の中にいるのはひしめき合うほどの数の真っ赤な顔をした(アヤカシ)だ。(タル)に入った酒を()びるように飲んでは横になり、飲んでは(サワ)いでいる。戸を開けた紳と悧羅に近くにいたモノは気づいたようだが()にも(カイ)していないようで酒盛(サカモ)りを続けていた。猩々(ショウジョウ)で間違いないようだった。おい、と一番近くに居た猩々(ショウジョウ)に紳が声をかける。酒でとろりとした目でそれが紳と悧羅を(トラ)えたが、ただ笑って酒を飲んでいる。


「お前たちは(ダレ)に集められた?そのモノは何処(ドコ)にいる?」


(タズ)ねる紳に(サル)のような笑い声が響く。猩々(ショウジョウ)知恵(チエ)(トボ)しくとも人語(ジンゴ)(カイ)するはずだ。もう一度(タズ)ねると高らかな笑いと共に上を指さした。


【皆死ぬぞ?皆死ぬぞ?きゃっきゃきゃ、きゃっきゃきゃ。皆死ぬぞ】


耳につく笑い声を上げながら()()が言うと、次々と周りの猩々(ショウジョウ)達も同じように叫び始めた。


【皆死ぬぞ!皆死ぬぞ!愉快(ユカイ)愉快(ユカイ)だ、皆死ぬぞ!】


一斉(イッセイ)に上を指しながら叫び続ける。この!、と()りかかろうとした紳を悧羅が(セイ)した。何十何百とひしめきあう猩々(ショウジョウ)の中に官吏(カンリ)(コロモ)皇帝(コウテイ)(コロモ)(マト)ったモノが目に入っている。叫び続ける猩々(ショウジョウ)達は人形(ヒトガタ)から全身赤い毛に(オオ)われた(サル)のような姿に(テン)じ始めている。


【皆死ぬぞ!皆死ぬぞ?愉快(ユカイ)愉快(ユカイ)だ、皆死ぬぞ!?】


(オド)りだしそうなほどの笑い声と共に酒をあおってはまた叫ぶ。


「これに(カモ)うておることはない。…上、か…」


叫び続ける猩々(ショウジョウ)達に背を向けて悧羅は紳の手を引いて歩き出した。あまり近づきたくはないが確かめねばならない。少し離れた場所の(マド)から顔だけを出すと強い異臭(イシュウ)(フタタ)び鼻をついた。そこから外に出て屋根へと()び上がる。猩々(ショウジョウ)達の指さした場所からは四丈(ヨンジョウ)ほどの距離だが真っ直ぐに見つめる先には黒々とした()()(ウゴメ)いている。何をしているかは見ずとも二人には分かった。()()(ウゴメ)くたびに黒々とした禍々(マガマガ)しい気配(ケハイ)が大きくなってゆくのだから。


「…どうやら一つ二つではなかったようじゃな…。全てがここに集まってくれておるならばよろしかろうが、まだおるやもしれぬ。近寄ってきたとて()()()われて(シマ)いだろうがの…」


大きく肩を落として悧羅は紳と(ツナ)がれた手に力を込めた。これ以上()わせては本当に手に余るようになる。…今でさえ手に余るほどの気配(ケハイ)(ユウ)しているのは肌で感じるが、だからといってこのままにするにはあまりに(アヤ)うい存在だ。一間(イッケン)ほど間合いを詰めると(ウゴメ)く陰の前に黄金(コガネ)色をした(ネコ)が1匹天を(アオ)いでいる。口を大きく開けて天に浮かぶ月から精気(セイキ)を吸っているようだった。


金華猫(キンカビョウ)…」


(ツブヤ)いた悧羅の目の前で金華猫(キンカビョウ)眉目秀麗(ビモクシュウレイ)な男の姿(スガタ)(テン)じたが、すぐに隣に紳がいることに気づき次には妖艶(ヨウエン)な美女に(テン)じる。二人を相手に次々に男になり女になりを()り返す金華猫(キンカビョウ)に悧羅は小さく舌打ちをせざるを得なかった。


まさかこんなものまでいるとは思っていなかった。


とすれば、宮廷(キュウテイ)の中で()()らかされていた死骸(シガイ)の中には金華猫(キンカビョウ)によって殺された者もいたのかもしれない。不敵(フテキ)な笑みを浮かべながら(テン)じ続けるその後ろで(ウゴメ)いていた陰が動きを止めた。ゆっくりと振り向いた()()の視線に(トラ)わらて、ほんの一瞬紳と悧羅の呼吸が止まった。血走った大きな()りあがった目の前からは狂気(キョウキ)しか感じない。獅子(シシ)(コウベ)ほどもある大きさの()()はやはり犬神(イヌガミ)と化した犬の(コウベ)だ。


悧羅を見留(メトド)めると大きな口をにたり、と開いたその姿は首から下がない。紳や悧羅の場からしっかりと確かめることは出来ないが、今まで(ウゴメ)いていたそれの下には見えるだけで三体の犬の(コウベ)がある。一息に全てを()らっているようではなく、所々()われた犬の(コウベ)達は一様(イチヨウ)に『殺せ』と哀願(アイガン)している。


一体何体のモノを作っていたのか。


これまで何十何百の(アヤカシ)対峙(タイジ)してきた悧羅でさえ息を止めてしまうほどの禍々(マガマガ)しさだった。今()()()っているものが大国(タイコク)で作られたモノ全てであればよいが、もしもまだ残っているのだとしてもこの場には現れてはくれないだろう。それらを見逃(ミノガ)してしまっては第二、第三のモノが出てきてしまう。けれど、これほどのモノが居てはその気配(ケハイ)(ツカ)むことすら(ムズカ)しいと思われた。


(ツナガ)れたままの紳の手をもう一度強く(ニギ)ると、これまずいよ、と小さく(ツブヤ)く声がした。それに(ウナズ)きはするがこのまま戻るわけにもいかない。大きく息をついてから悧羅は真っ直ぐに犬神(イヌガミ)を見た。


(ワラワ)(ゲン)がわかるかえ?」


言葉と共にゆらり、と犬神(イヌガミ)(コウベ)()れる。大きな口を開けて(ハシ)から血を(シタタ)らせながら、それはゆっくりと金華猫(キンカビョウ)の横まで浮いてきた。一間(イッケン)まで近づいたそれの腐臭(フシュウ)が強くなり、にたりと笑う口から血の(ニオ)いが流れてきて紳も悧羅も顔をしかめてしまう。


【お前のその(ツノ)…、その能力(チカラ)…、鬼だな】


浮いたままの犬神(イヌガミ)(コウベ)から低く(ウナ)るような声がした。|如何(イカ)にもと目を細めて応える悧羅に、そうかそうか、とにたりにたりと笑いを深めながらそれは悧羅を上から下まで(ナガ)めやっている。ふふふ、と(アヤ)しく笑いながら()めるように見られては余り気の良いものではない。紳も悧羅を獲物(エモノ)(サダ)めたようなそれの視線に苛立(イラダ)ちを(カク)せずにいつでも大刀(ダイトウ)()れるように(カマ)えた。


【お前、名は何という?】


ずり、と悧羅との間を()めながらそれが聞いた。悧羅だ、と応えると、そうかそうか、とまたにたりと笑う。


「お前は何のために作られた?この地におるのはお前が最後か?」


(オク)することをせずに悧羅が(タズ)ねるが犬神(イヌガミ)(コウベ)は応えない。ただにたり、と笑いながらずりずりと二人に近づいてきて紳は思わず大刀(ダイトウ)切先(キッサキ)をそれに向けた。この間合(マア)い以上、悧羅に近づかせるわけにはいかない。びたり、と切先(キッサキ)を向けられても(ナオ)それは(ヒル)んだ様子(ヨウス)さえ見せず、当てられた切先(キッサキ)を、べろりと()めた。もう一度()う、と悧羅が静かに声を出す。


「お前は何のために作られた?この地におるのはお前が最後か?答えよ」


静かに響く声にそれは少しだけ目を細めた_________と思った。次の瞬間(シュンカン)に紳は悧羅に突き飛ばされて(ツナ)いでいた手が離れる。それまで紳が立って居た場所に犬神(イヌガミ)(コウベ)が見えた。そこから血飛沫(チシブキ)が上がる。


「悧羅!!」


叫んで大刀(ダイトウ)を振るうのとそれが紫の鬼火(オニビ)(ツツ)まれて燃え上がるのが同時だった。大刀(ダイトウ)(カス)める刹那(セツナ)、それは後ろに飛びのいた。ぶるり、と顔を振って鬼火(オニビ)を払いながら、けたけたと笑っている。悧羅!、と走り寄ると左肩から腕にかけて鮮血(センケツ)(ホトバシ)っているのが見てとれた。()い千切られてはいないが傷が深い事はすぐにわかる。()みつかれた肩を押さえる悧羅を紳が(カイナ)に収める。


身を引けば肉ごと()い千切られていただろう。それが無かったのは紳が払った大刀(ダイトウ)と悧羅の鬼火(オニビ)から犬神(イヌガミ)(ミズカ)退()いたからだ。収めた腕の中で悧羅の血が自分の(コロモ)()み込んでくるのを感じた。沸々(フツフツ)(イカ)りが()き上がって犬に()りかかろうとした紳を、待ちや!、と悧羅が止める。腕の中に視線を落とすとすでに青くなりつつある顔で悧羅が首を振った。だけど!、と叫ぶ紳にもう一度悧羅が首を振る。


【こんなものか】


犬神(イヌガミ)の声がして紳は咄嗟(トッサ)に悧羅を抱き寄せる腕に力を込めた。


(コワ)せと言うからにはどれほどの者かと思っておれば大した事もない】


口の周りに付いた悧羅の血を()めながら犬神(イヌガミ)はけたけたと大声で笑っている。まあ、味は悪くない、とにたりとまた大口を開ける犬神(イヌガミ)の周りに無数(ムスウ)の悧羅の鬼火(オニビ)が現れるのを見て紳も同様に鬼火(オニビ)を出す。


「…やはり、お前を作ったのは女かえ?()(シゲ)る葉と同じ色の髪をした鬼の女であろう…」


問う悧羅の息が(ミダ)れている。止血(シケツ)(ジュツ)を使っているのに血が止まらない。小さく舌打ちして悧羅は犬神(イヌガミ)(ニラ)みつけた。それがどうした、と犬神(イヌガミ)がまたけたけたと笑う。


【誰が()どもを作ったのかなどどうでも良い事だ。()どもは壊せ、と願われた。鬼を、里を、悧羅という鬼女(キジョ)を。ならば壊すまでのことだ。お前が悧羅だというのなら探す手間(テマ)もない。…ここで()ろうてやろうぞ】


遠吠(トオボ)えのような(ウナ)りを上げる犬神(イヌガミ)に紳も悧羅も苦虫(ニガムシ)()まざるを得なかった。


姍寂(サンジャク)…!


死してまで悧羅に(キバ)()くなどとは…!


ようやく八月(ヤツキ)前の粛清(シュクセイ)(キズ)()えかけていた悧羅にまだ苦しみを与えるのか!?


ぎりっと歯軋(ハギシ)りをして紳は悧羅を抱きしめる腕に力を込めた。大口を開けて(マバタ)きの間に二人の間合いを詰めてくる犬神(イヌガミ)無数(ムスウ)鬼火(オニビ)が降り(ソソ)いだ。爆炎(バクエン)爆風(バクフウ)が舞う中で紳は一足(イッソク)に空へ()け出した。どうせ効いてはいないのは分かっている。であれば今すべきは悧羅の安全を確かなものにする事が最優先(サイユウセン)。燃え上がる二色の鬼火(オニビ)から目を離すことなく空へ()びあがった紳の眼前(ガンゼン)に犬の顔があった。


速い!、と身を(カワ)そうとした紳の身体がもう一度(ハジ)かれる。腕の中から悧羅が離れてしまって、思わず紳が悧羅!と叫ぶ。その視界の中で悧羅の右足から腹にかけて()らいつく犬神(イヌガミ)の頭が映った。持っていた大刀(ダイトウ)をそれに向かって投げつけると(カス)める寸前(スンゼン)犬神(イヌガミ)が悧羅から離れた。同時にぐらりと(カタム)く悧羅の身体を抱きとめて紳がその名を呼ぶ。(コロモ)が引き裂かれて(アラ)わになった足や腹の肌から大量の血が流れだしている。もう一度名を呼ぶと、大事(ダイジ)ない、と力ない声がした。どこがだよ!、と叫びながら悧羅を抱きしめて紳は目の前の犬神(イヌガミ)(ニラ)みつけた。


「…紳は…、(キズ)ついてなど…おらぬかえ…?」


絶え絶えの息の中から(タズ)ねる悧羅に紳が抱きしめる腕に力を込める事で応える。


「なんで(カバ)うの!逆でしょ!?」


泣きたくなるような悧羅の現状(ゲンジョウ)(フル)えが走る。このまま出血し続ければ如何(イカ)に悧羅といえど体力が持たない。考えたくもない思いが心を()ぎって紳の背中を冷い汗が流れた。犬神(イヌガミ)はまた口の周りについた悧羅の血を美味(ウマ)そうに()めている。


「…紳が、傷つくのは…()えられぬ…」


「一緒だよ!」


叫んではみるがこの場からどう()げれば良いかの(サク)が浮かばない。紳の速さでは容易(タヤス)く追いつかれてしまうのはもう分かった。かといってこちらの()めも全く()(カイ)していない犬神(イヌガミ)は高らかに笑った。


【何だ?()()を傷つけられたくないのか?ならばそちらから()ろうてやろうか?】


どちらにせよ()らうのだから、と()えた犬神(イヌガミ)()うように、だが素早(スバヤ)く二人の頭上(ズジョウ)から大口を開けて()らいつこうとする。


まずい!


(セマ)犬神(イヌガミ)の顔に出せるだけの鬼火(オニビ)を出してぶつけながら紳は今度は悧羅から離されないようにしっかりと抱きとめて後ろに退()がった。近すぎる場での爆炎(バクエン)爆風(バクフウ)も相まって犬神(イヌガミ)との間は開いたが、もうもうとした(ケムリ)()()くようにして(ヨダレ)()らした犬神(イヌガミ)の顔がまた(セマ)ってきた。くそ!、と舌打ちしつつ悧羅に(オオ)(カブ)さろうとすると眼前(ガンゼン)にあったはずの犬神(イヌガミ)の顔が横に飛んだ。腕の中の悧羅が()まれて千切(チギ)れかけた右脚で犬神(イヌガミ)の顔を()り飛ばしたのだ。犬の顔と共に鮮血(センケツ)が紳の顔の前に流れていく。


「何やってんの!足!痛めてるんだよ?!」


叫ぶ紳の声は悧羅に届いていたのかすら分からない。(イタ)る所から血を流している悧羅が紳の腕の中で咳込(セキコ)んだ。押さえた手の間から血が(シタタ)って吐血(トケツ)していることを紳が知る。あれだけの広い範囲(ハンイ)()らいつかれているのだ。臓腑(ゾウフ)が傷ついているのは当然のことだ。蹴り飛ばされたことに少しばかり驚いたような顔をしながら、それでも犬神(イヌガミ)面白(オモシロ)そうに笑っている。


【そのようになってまで、それを傷つけられたくはないのか?鬼とは冷徹(レイテツ)冷酷(レイコク)残酷(ザンコク)なものだと思っていたのだがな。この程度(テイド)能力(チカラ)しか持たぬ(アヤカシ)を壊すために()どもは作られたのか?なんともふざけたものだ】


嘲笑(チョウショウ)するように大きく血走った目を細めて犬神(イヌガミ)(ウナ)る。


【どれほどのものかと思うて同胞(ドウホウ)()らいつくし、人を()ろうて能力(チカラ)を高めたというのに何の(タワム)れにもならぬな】


こんなものなど自分で壊せば良かったものを、と吐き捨てるように言う犬神(イヌガミ)はにたり、と口を(ユル)めている。またくる!、と紳が身構(ミガマ)えると腕の中から力なく名を呼ばれた。離せ、とでも言われるのだろう。聞くまでもなく紳は、(イヤ)だ、と首を振った。これ以上悧羅が傷ついては紳が共に来た意味がない。元々(モトモト)(チギ)る前は、いつでも悧羅の(タテ)になると決めていたのだ。逆に護られてばかりでは(タテ)になるなどという話でもないではないか。


【そのように共におりたいのであれば、一度に()ろうてやっても良いのだぞ?どちらにせよ女は長くは持たぬだろう?()どもは死肉(シニク)(コノ)まぬ。やはり生きたまま()らうが良い声も聞けて愉悦(ユエツ)(ヒタ)れるのでな】


口の(ハシ)から(ヨダレ)を大量に()らしながら、良い声を聞かせてくれ、と笑う犬神(イヌガミ)の顔がまた横に飛んだ。紳に抱きしめられたまま悧羅が動いて右の顔を蹴り飛ばしたのだ。動くたびに呼吸が(アラ)くなり笛音(テキオン)のような音がし始めている。


「もう、動くなって!ほんとにやばいって!」


紳が悧羅に言うがそれは首を振って(コバ)まれた。ここまで()めた真似(マネ)をされてその上紳にまで手を出そうとするなど、悧羅にとってこれほど(ユル)(ガタ)いことなどない。自分を(エサ)にすれば口を(スベ)らすのではないか、と考えていたのだが(スベ)らせるまでに随分(ズイブン)深傷(フカデ)()わされてしまった。血を流しすぎているせいか視界(シカイ)(カス)んでくる。千切(チギ)れかけた左腕と右脚はすでに(シビ)れている。


(エサ)にするには多すぎたな。


蹴り飛ばした犬神(イヌガミ)(ウナ)りを上げているがその姿も(オボロ)に見える。けれど知りたい事は口を(スベ)らせてくれた。知りたい事は知れたのだ。一度退()いて身体を(トトノ)えたいが悧羅の血の(ニオ)いを覚えた犬神(イヌガミ)はどこまでも追ってくるだろう。であれば、残された手立(テダ)ては追えない程の深傷(フカデ)()わせることしかない。この身体でどこまで出来るかは悧羅にも分からないが紳を傷つけられることも、里を壊されることにも容易(タヤス)()などといえるはずもない。悧羅は里を民達(タミタチ)を護るためだけの(オサ)なのだから。


紳、ともう一度悧羅は喘鳴(ゼンメイ)の中から名を呼んだ。


駄目(ダメ)だよ!何があろうともう離さないからね?!」


身体に廻された腕に力が込められたのが伝わって、違う、と悧羅は(ツブヤ)いた。その(ワズ)かな言葉を()んすだけでも咳込(セキコ)んで血を吐いてしまう。喀血(カッケツ)なのか吐血(トケツ)なのかさえもう悧羅にも分からない。


「…(ワラワ)が、(タオ)れぬよう…(ササ)えておいてたも…」


は?、と聞き返そうとした紳に応えず悧羅は走った。瞬時(シュンジ)犬神(イヌガミ)の後ろを取ると右腕で(ナグ)り飛ばす。飛んだ犬神(イヌガミ)を追うと今度は千切(チギ)れかけた左脚でその右顔を蹴り飛ばした。血が舞うが(カマ)くことなく追いかけると犬神(イヌガミ)が大口を開けた。躊躇(タマラ)うことなく右足を口の中に突っ込むと犬神(イヌガミ)(キバ)が足に食い込んだ。それに(マユ)一つ動かさずにそのままの勢いで悧羅は犬神(イヌガミ)の頭を宮廷(キュウテイ)の庭へと蹴りつける。後頭部(コウトウブ)に当たった衝撃(ショウゲキ)犬神(イヌガミ)の口が大きく開いて悧羅の足に喰い込んでいた(キバ)が離れた。


口の中から足を引き抜いて間髪(カンパツ)()けずに二つの鬼火(オニビ)大刀(ダイトウ)呪符(ジュフ)(テン)じさせる。起きあがろうともがく犬神(イヌガミ)頭上(ズジョウ)にもう一度飛び上がって、勢いをつけて(ヤイバ)に付けた呪符(ジュフ)ごと降りてくる悧羅を()らおうと口を開けて待っていた犬神(イヌガミ)の口に突き立てて地面と()いつけた。


【何だ?動けぬ!?】


大した者ではない、と悧羅を()めていた犬神(イヌガミ)には起こったことが呑み込めないようだ。喘鳴(ゼンメイ)を繰り返す悧羅に、もう無理するな!、と紳もさすがに止めに入った。


そう長くは持たないだろうが、一先(ヒトマ)ず傷と体力を(イヤ)(ジカン)くらいは(カセ)ぐことはできるだろう。このまま里に戻るわけには行かないから、大国(タイコク)何処(イズコ)かに身を隠さなければならないけれど、都合(ツゴウ)が良いかも知れなかった。


()いつけた大刀(ダイトウ)から手を離して、一度退()く、と悧羅は犬神(イヌガミ)喘鳴(ゼンメイ)の中から伝えた。


退()こうが退()くまいがお前は()どもに()られるだけだ。それがほんの少し()びたに過ぎないぞ】


けたけたと笑う犬神(イヌガミ)の声を聞きながら悧羅は紳の胸にぐったりと倒れ込んだ。大量に血を流した上に能力(チカラ)行使(コウシ)してしまった。閉じていく(マブタ)を止めることができない。意識を手放す前に、紳、と呼ぶと、分かってる、と返ってきた。その言葉に安堵(アンド)して悧羅は(シズ)むように意識を手放した。

一丈は約三km

一間は約1.8mです。ご参考までに。


お楽しみいただけましたか?

ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ