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煩慮《ハンリョ》

遅くなりました。

更新します。

誅芙蓉(チュウフヨウ)』の動きが収まり一万の民達(タミタチ)が減ったけれど、里は特段(トクダン)変わりなく動いていた。民達も暮らしの中でいつも見かけていた顔がないことに気づくこともあったけれど、()()()()()()()()()()()、と(ダレ)詮索(センサク)などせず日々を過ごした。一歩間違っていれば自分の縁者(エンジャ)がそうなっていたのかもしれないのだ。ただ、幸運(コウウン)だったに()ぎない。それよりも残された者たちの胸中(キョウチュウ)(オモンバカ)れば、おいそれと聞けることでもない。それを噂話(ウワサバナシ)として面白可笑(オモシロオカ)しく話すことは(オサ)である悧羅(リラ)も望みはしないはずだ。


一万の(マモ)るべき民達を(アヤ)めた悧羅自身が一番心を痛めているはずなのだから。


そう思えばこそ悧羅の事が気にかかって仕方(シカタ)がない。これまで二月(フタツキ)に一度は里に()りては民達と他愛(タアイ)もない話をし童達(ワラベタチ)(カコ)まれていた悧羅は騒動(ソウドウ)以降(イコウ)姿を見せる事が無くなっていた。あれほど(シアワセ)そうにしておられたのに、と思うと胸が()めつけられそうになる。姿を見る事が出来なくなって、民達は里を(メグ)隊士達(タイシタチ)に悧羅は壮健(ソウケン)であるのか、と(タズ)ねるのが日課(ニッカ)になっていた。隊士達(タイシタチ)(コタ)えは、御壮健(ゴソウケン)だ、というものだったけれどやはり心配になってしまう。


長く悧羅とともに里で暮らして来たのだ。出てこないのは、まだ粛清(シュクセイ)したことに(ナヤ)(クル)しみ後悔(コウカイ)自責(ジセキ)(ネン)()られているのだろうと思ってしまう。


またお()せになられているのではないだろうか。


元々(モトモト)痩身(ソウシン)の悧羅は、(ナヤ)み苦しむとますます()せ細る。それも長く里で暮らしている者からすれば幾度(イクド)となく見てきた姿だ。窮地(キュウチ)を乗り越えるたびに悧羅の美しさは増したけれど、すぐに手折(タオ)れるのではないかと思うほどの(ハカナ)さも垣間見(カイマミ)える。(ツレアイ)を持って子にも恵まれたがその雰囲気(フンイキ)だけは変わらない。美しさは年を重ねるごとに増して、(カサ)なるように(ハカナ)さも増した。それはあの細い双肩(ソウケン)に自分たちの命を乗せてくれている重責(ジュウセキ)からだろう。


()せになられていても良いから、お姿を見たい。


民の誰もがそう思い、隊士達に願い出たのは粛清(シュクセイ)から八月(ヤツキ)()った頃だった。里を見廻(ミマワ)る隊士達を(ツカ)まえては、とにかくお姿が見たい、どうしているのか心配なのだ、と言われ続けて隊士達(タイシタチ)も困ってしまった。一介(イッカイ)の隊士達がおいそれと(オサ)である悧羅に謁見(エッケン)できるはずもなく、伴侶(ハンリョ)である近衛隊隊長(コノエタイタイチョウ)(シン)に伝えておくから、とその場を(シノ)ぐしかない。だがあまりの民達の哀願(アイガン)の強さに、ついには見廻(ミマワ)りすること自体が困難になり、ついには荊軻(ケイカツ)が悧羅に、里に降りてくれ、と懇願(コンガン)することになってしまった。


朝議(チョウギ)の場で唐突(トウトツ)に言われた悧羅は、きょとりと首を(カシ)げた。確かに近頃(チカゴロ)降りることが出来なかったが、それは他にしなければならない事があったからだ。犬神(イヌガミ)(アズ)かる、と持っていってしまったままの王母(オウボ)からの(ニン)や、粛清(シュクセイ)を行った時に人形(ヒトガタ)を作ってくれた晴明(セイメイ)への礼、子ども達や舜啓(シュンケイ)との手合(テア)わせなどが(オモ)たるものであったが、どれも一朝一夕(イッチョウイッセキ)に終わらせる事ができるものではなかったのだ。


特に王母(オウボ)は、これ(サイワイ)面倒(メンドウ)な事を押し付けてきて大国(タイコク)の地に降り立ったのも一度や二度ではない。妖退治(アヤカシタイジ)だけならまだしも、宮廷(キュウテイ)(モグ)りこんでいる(アヤカシ)まで牽制(ケンセイ)しろと言われては、数日続けて大国(タイコク)に降りなくてはならないこともあった。悧羅が動く時には(シン)当然(トウゼン)共に動く。隊士達から民達の願いは聞いて伝えてはいたが、その(ジカン)余裕(ヨユウ)が悧羅にはなかっただけなのだ。


王母(オウボ)にしてみれば動かしていた方が悧羅が余計(ヨケイ)な事を考える(ジカン)が減るだろう、と笑っていたがそれにしても多すぎる、とは紳には口が()けても言えようはずもなかった。


「なんぞあったのかえ?」


横に(ハベ)妲己(ダッキ)に身体をゆったりと(アズ)けたままで悧羅に(タズ)ねられると、どうしたもこうしたも、と枉駕(オウガイ)が肩を落とした。


何処(ドコ)に行っても(オサ)御壮健(ゴソウケン)か、お顔を拝謁(ハイエツ)したいのだと懇願(コンガン)されておりまして。見廻りさえつつがなく運ぶ事が出来ないのですよ」


おや、と小さく笑う悧羅の前で栄州(エイシュウ)が声を上げて笑っている。皆心配しておるのだろう、と栄州(エイシュウ)は笑うが枉駕(オウガイ)荊軻(ケイカツ)にとっては笑いごとではない。


「紳様もお聞き(オヨ)びになっておられたでしょう?日を追うごとに民達の不安は(ツノ)るばかりのようで…。このような騒動(ソウドウ)などお二人の(チギ)りと(オサ)御懐妊(ゴカイニン)慶事(ケイジ)()ろした以来(イライ)のことでございますよ」


大きく嘆息(タンソク)する荊軻(ケイカツ)に紳も笑うしかない。


「そうは言っても悧羅も(イソガ)しくしてたんだし…。たまには休息(キュウソク)とらせないとって強くは言えなかったんだよ」


肩を(スク)めて苦笑する紳に、それは存知(ゾンジ)ておりますが、と荊軻(ケイカツ)もまた肩を落とした。それを笑って見やっている悧羅に、とにかく里に降りてくれ、と訴える。


「確かに長いこと()りておらなんだの。里を失念(シツネン)しておったわけではないのじゃが…。では(ノチ)ほど()りるとしようかの」


くすくすと笑う悧羅は八月(ハチツキ)前からすれば、少しばかり()せている。(イク)ら忙しく動いていても、まだ時折(トキオリ)(ウナ)されて目が覚めることもあるからだ。その都度(ツド)紳が、大丈夫だ、と言い聞かせて眠ってはいるが(ツカ)れも(アイ)まって、近頃(チカゴロ)では(ショク)も細くなっていた。細くなった分(ハカナ)さと美しさは増していたけれど、(サワ)れば手折(タオ)れそうな悧羅が紳は心配で(タマ)らない。


「何も今すぐじゃなくても…。少し休んでからでもいいんじゃないの?」


「そういうわけにもいかぬであろうよ?荊軻(ケイカツ)枉駕(オウガイ)の顔を見い。どうにも困っておるようであるし、(ワラワ)とて里の民達がどうしておるのかは気になっておったに。少しばかり顔を見せらば民達も安堵(アンド)いたそう」


身体(カラダ)気遣(キヅカ)ってくれる紳の気持ちは嬉しいが、隊士達の(ツト)めにまで(サワ)りがあるのは(コノ)ましいものではない。悧羅が降りることで民達が安堵(アンド)してくれるのであれば安いものだろう。


「紳とて(ツト)めにゆけば隊士達から()めたてられるやもしれぬしの。其方(ソナタ)が苦しゅうなるは(ワラワ)は望まぬ(ユエ)に」


「それは俺だって同じなんだけど…」


小さく息を吐いた紳だったけれど混乱を(シズ)めるためには悧羅が降りるしかないとは分かっている。(サイワイ)にも精気(セイキ)はまだ十分に悧羅に(ユズ)っているので顔色や気怠(ケダル)さを感じてくれていない事が救いだ。仕方ないね、と紳が承諾(ショウダク)すると荊軻(ケイカツ)枉駕(オウガイ)の顔が輝いた。


「とりあえずのお姿だけでも拝謁(ハイエツ)できれば収まりましょう。長居(ナガイ)なさってくださいまし、とは申しあげませんので」


ほっと胸を撫で下ろす荊軻(ケイカツ)に、うん、と悧羅は(ウナズ)いた。とはいえ降りれば長居をしてしまうものなのだが、里の全てを廻るとなれば一つのところにそう長くはいれないだろう。


(ワラワ)(ジカ)に見ずとも見たものから話は廻るであろうからの。少しばかり民達と触れ合うように(ツト)めてくる(ユエ)。隊士達には、もうしばらく()えてくりゃるよう言うてたも」


すぐにでも伝えまする、と(ヨロコ)(イサ)んで枉駕(オウガイ)は場を()していく。まだ朝議(チョウギ)も閉めておらぬのに、と苦笑する栄州(エイシュウ)に悧羅も苦笑するよりない。


「それだけ困り果てておったということであろうよ」


笑いながら他に何かあるか、と荊軻(ケイカツ)を見ると、急ぎではございませんが、と笑っている。


「里を少しばかり整えようと思うております。こちらに移って十年になりますが民達の数も増えて(マイ)りました。水路(スイロ)や道を整えた欲しいという民達の声もございますし、大掛(オオガ)かりになるとは思いますが。民達の(ヤシキ)もそう整然(セイゼン)とは建っておりませんのでね。痛んでおる箇所(カショ)もございましょうでしょうから。あまり急がずゆっくりと、と思っておりますがお許しいただけますか?」


くすりと笑いながら、良いように(イタ)せ、とだけ悧羅は応える。確かに民の数は増えているし、このまま何事もなく里が安泰(アンタイ)であってくれるならば多少の整えは必要だ。(カリ)に悧羅が(イナ)と言ったとしても荊軻(ケイカツ)の頭の中には広げた(サイ)の里の形がすでにあるだろう。広げる最中(サナカ)で民達の(ヤシキ)が痛んでいないか見てくれるのであれば、悧羅に言うことは何もない。


(ウケタマワ)りました」


深々と平伏(ヘイフク)して朝議(チョウギ)を閉めると荊軻(ケイカツ)栄州(エイシュウ)が連れ立って場を出ていった。二人を見送ってから悧羅も立ち上がると紳と妲己も続く。


「本当に行くの?もう少し休んでからでも…」


悧羅の手を取って歩きながら紳が心配そうに(ツブヤ)いた。苦笑しながら、大事(ダイジ)ない、という悧羅に、でもさ、と返ってくる。


「俺が今日ばっかりはついて行けないし…。明日とかならさ、一緒に行けるんだよ」


「ちいと廻ってくるだけじゃて。妲己(ダッキ)もおるに(アン)ずることなどあるまいて」


悧羅が大国(タイコク)に降りることや、(アヤカシ)牽制(ケンセイ)が増えたこともあり紳もなかなか近衛隊(コノエタイ)としての(ツト)めが行えていない。隊長(タイチョウ)である紳の優先責務(ユウセンセキム)は悧羅の側近護衛(ソッキンゴエイ)であるから(ツト)めを()たしていないことにはならないが、やはり時折(トキオリ)隊舎(タイシャ)に顔を出さねばならない。気がけて顔を出すようにはしていたが、枉駕(オウガイ)が言っていたように隊士達の(ツト)めに(サワ)りが起こっているのなら今日ばかりは顔を出さなくてはならない。それでも(タト)え妲己が共に行くと言っても悧羅一人で里に下ろすのは(ハバ)かられる。でもなぁ、と考え込む紳を悧羅も妲己も笑って見るばかりだ。


(ワレ)がおるのだ。(アン)ずることなどあるまい”


くっくっと笑う妲己に、それはそうなんだけどね、と紳は肩を落とした。問題は紳が悧羅の(ソバ)に居ない時に混乱している里に降ろすことが心配でならないだけなのだ。


「じゃあさ、降りてもいいけど昼前には俺のところに来てよ。それまでには粗方(アラカタ)終わらせとくから、そこからは一緒に廻ろう?」


名案(メイアン)だと言わんばかりの紳に悧羅も妲己も声を上げて笑ってしまう。結局共に行くのではないか、と妲己に笑われても、だって心配でしょ、と紳は動じない。


「それでは朝の内に廻れるは(カギ)られてしまうのう、妲己や?」


“やれやれ、と申すよりありませぬな。先に辺境(ヘンキョウ)から廻りましょうや”


尾を振りながら言う妲己に悧羅も笑う。自室に入るとようやく紳が手を離して、無理しないように、と言い置いて(ツト)めに出ていった。後ろ姿を見送りながら、ほんに甘い、と苦笑して悧羅も支度(シタク)を整える。子ども達は学舎(マナビヤ)に行ってしまっているし、昼間の宮は静かなものだ。そういえば、妲己と二人で出かけることも無くなっていたように思う。

紳と(チギ)りを()わした後は何処(ドコ)に行くにも紳と共にであったし、子ども達が生まれてからは妲己は子ども達のほうにかかりきりだった。


妲己としては悧羅の(ソバ)にも居たかったのだろうが、子ども達にせがまれては(イナ)といえなかったのだろう。宮の中で一番子ども達に甘いのは妲己なのだから。


久方(ヒサカタ)ぶりに二人の(ジカン)を楽しもうかの?」


支度(シタク)を整えて妲己の頭を撫でると、嬉しそうに尾を振りながら()り寄ってくる。笑いながら共に自室を出て磐里(バンリ)加嬬(カジュ)に出てくる、と伝えると二人も心配そうな顔をした。悧羅が疲れているのを二人とも知っているからだ。


「お疲れでございましょうに…。旦那様(ダンナサマ)は共にゆかれないのですか?」


心配する二人に昼頃には隊舎に寄る、と言うと少しばかり安心したようだった。すでに中庭に降りて体躯(カラダ)を大きくしている妲己にひらりと乗ると、お早いお戻りを、と二人が頭を下げた。わかっておるよ、と笑うと妲己が()け始める。その速さに悧羅は小さく笑ってしまう。余程(ヨホド)(ウレ)しいのか妲己の尾は振られ続けている。


「あまり急ぐこともあるまいよ?」


背を撫でながら言うが鼻唄(ハナウタ)でも歌いだしそうな妲己はますます()ける速さを上げた。


久方(ヒサカタ)ぶりに(アルジ)をお乗せできたのです。(ハヤ)るのも仕方ありますまい。(イソ)ぎ廻らばその分、(アルジ)とともに微睡(マドロ)むこともできましょうや”


悧羅と二人で出かけるなど数十年振りのことだ。妲己としてもゆっくりと味わいたいが、悧羅の身体を心配していないわけではない。だが、民達を(アン)じる悧羅が(ツカ)れを()めていても無理をして顔を見せにいくというのだ。(イナ)と反対したとしても聞きはしないだろう。で、あれば早めに廻り終えて早めに宮に戻り休ませたいと思うのだ。


妲己が()ければ辺境(ヘンキョウ)までなど(マバタ)きの間しかかからない。背の上から里の街並みを(ナガ)()ろすと荊軻(ケイカツ)(シラ)せていた様子を(ウカガ)い知ることができた。確かに民達が増えるたびに少しずつ広げて来た里は辺境(ヘンキョウ)に行くに連れ水路(スイロ)も道も整っているとは言い(ガタ)い。


これではまた里を広げたとしても民達の暮らしが不便(フベン)なく(タモ)てるとは言い(ガタ)い。広がるにしても道と水路(スイロ)を整えて民の住む集落(シュウラク)を動かした方が良さそうだ。上から見ているだけでは民達の(ヤシキ)に痛みがかるのかどうかまでは見て取れない。(オダ)やかな里の気候とはいえ()(シズ)めばそれなりに冷える。痛んでいる(ヤシキ)では寒さも(シノ)げないだろう。しばらくすれば(ジカン)をかけて街中(マチナカ)を見に行く必要がありそうだ。


考えていると、すぐに一つ目の里に着いた。妲己が降り立った音に民達が一斉(イッセイ)に振り向いて、その背に乗っている悧羅を見つけると(アワ)てて走り寄ってくる。長様(オササマ)!、と大人も童達(ワラベタチ)も寄ってきて妲己の背中から降りる悧羅を取り(カコ)んだ。抱きついてくる童達(ワラベタチ)を受け止めながら、周りを取り囲む民達に悧羅は遅くなったことを()びた。


「とんでもございません。御健勝(ゴケンショウ)にあらせられるお姿を拝謁(ハイエツ)できまして安心いたしました」


「このところ(イソ)がしゅうにしておったに。(オソ)うなってすまなんだ。(ワラワ)(アン)じてくれておったと聞いておる。(ウレ)しゅう思うえ」


しがみつく童達(ワラベタチ)の頭を撫でながら民達に悧羅は微笑(ホホエ)む。困っていることはないか、と続けて(タズ)ねるが、今のところは、とどこか安堵(アンド)したような民達の声がした。何かあればすぐに隊士達に申し伝えるように言い残して悧羅は、また来る、と妲己の背に乗った。


長様(オササマ)もう行っちゃうの?」


(サミ)しそうな童達(ワラベタチ)に笑顔を向けて手を伸ばして頭を撫でる。


「他の里の民達も妾を案じてくれておる(ユエ)、姿を見せねばならぬ。全ての里を(メグ)らねばならぬのでな、すまぬが(ワズ)かな(ジカン)しかおれぬのだ。またゆるりと(マイ)ると約束するでな。(ユル)してたもれ」


絶対?、と不安そうな目をする童達(ワラベタチ)に、必ずじゃ、と笑うと、うん、と仕方なさそうに童達(ワラベタチ)が妲己から離れた。もう一度、すまぬな、と声をかけると妲己が()け始めた。そのまま近隣(キンリン)の里を巡り辺境(ヘンキョウ)の里から里の中頃(ナカゴロ)の里を全て廻る頃には、()は高く昇っていた。何処(ドコ)の里でも最初の里のように民達から安堵(アンド)の声が聞かれ、童達(ワラベタチ)からは後ろ(ガミ)を引かれるような眼差(マナザ)しを受けてしまった。中には()せてしまった悧羅を見て泣き出すものもいて戸惑(トマド)うこともしばしばだった。


“思ったよりも(ジカン)がかかってしもうたようですね。彼奴(キャツ)が落ち着かずに待っておることでしょうて”


悧羅を背に乗せて近衛隊隊舎(コノエタイタイシャ)に向かいながら妲己が苦笑した。なかなか現れない悧羅を待って鬱々(ウツウツ)としていることだろうことは、考えなくとも分かることだ。過保護(カホゴ)過ぎるのであるよ、と頭を撫でられて、仕方ありますまいよ、と妲己が笑う。妲己も紳が悧羅を(イツク)しんでいるのは十分に分かっている。それでも、()()()()通り紳が悧羅にしたことは忘れてはいない。媟雅(セツガ)忋抖(カイト)啝珈(ワカ)に真実を話した時も(ソバ)に居たが、まだ紳が十分に傷を持っていることは伝わっている。それでも許してくれるな、という紳との約束を妲己は守っている。


少しは許してもいいのだがな、と笑いながらも妲己はそれを口に出さずにおいて里の中心にある近衛隊隊舎(コノエタイタイシャ)の前に降り立った。待ち望んでいたのだろう。紳が妲己が降り立つ音と共に隊舎の中から飛び出して駆け寄ってきた。まだ妲己の上に乗っていた悧羅に(カイナ)を広げると、笑って悧羅がその腕の中に舞い降りる。腕の中に収まった悧羅を抱きしめながら紳が、お疲れ、と(ネギラ)った。妲己にも、大変だったろ?、とその背中を撫でながら言う紳に妲己が軽く尾を振った。


「二人とも昼餉(チュウショク)も取っていないんじゃないか?一緒に食べに行くか?」


昼餉(チュウショク)!、と妲己がますます尾を振る。悧羅としてはあまり空腹ではないのだが悧羅を乗せて里中(サトジュウ)()け廻った妲己には()らせたい。腕の中から悧羅を出して(ヒタイ)に口付けてから紳が手を(ニギ)った。(ツナ)いだ手をそのままに歩き出して紳は隊舎の戸を開き中にいる隊士達に、昼を摂ってくる、と声をかけた。奥にいる隊士達には悧羅の姿は見えなかったようだが開けた戸の正面にいた隊士は青ざめて膝をついた。その姿に中の隊士達も戸まで走ってきて悧羅を見留(ミトド)めると次々に膝をついている。良いから立て、と笑う紳の言葉でどうにか隊士達は立ったが皆久しぶりに見る悧羅の姿にほっとしている。


難儀(ナンギ)をかけたようですまなんだな。里を廻ってきた(ユエ)(サワ)ぎも(チイ)そうなろうて」


微笑みながら言う悧羅に隊士達が頭を下げる。じゃあ、ちょっと行ってくるからな、と笑う紳の後ろで、あれ、悧羅?、と声がかかった。悧羅を名で呼ぶ者など少ない。二人で振り向くと妲己を撫でている舜啓(シュンケイ)がいた。(メズラ)しいね、と笑う舜啓(シュンケイ)に近づくと子どものように悧羅に抱きついてくる。おいおい、と苦笑する紳には目もくれず、ちょっと()せたよね?、と心配そうに悧羅の顔を(ノゾ)き込んでいる。


「紳が無理させてんじゃないの?大事にしてくれるのは良いけど、寝る(ジカン)くらいあげてよね」


揶揄(カラカ)舜啓(シュンケイ)の頭を小突(コヅ)いて紳は、やかましい、と笑っている。


何処(ドコ)か行くの?」


「民達が心配してたからね、悧羅と妲己で辺境(ヘンキョウ)から廻ってくれてたんだよ。昼餉(チュウショク)()っていないみたいだから、中心の民達に悧羅を見せるついでに一緒に食べようと思ってね。行くとこだ」


そっか、と舜啓(シュンケイ)が笑う。少しは食べてよ、と悧羅の頭を撫でて舜啓(シュンケイ)隊舎(タイシャ)の中に入って行く。どこまでも過保護(カホゴ)な者が多い、と小さく笑う悧羅を引いて紳は妲己にも声を掛けて歩き出した。里の中を歩く(タビ)に民達から、長様(オササマ)、と声が上がる。それに、変わりないか?、と(タズ)ねながら悧羅は紳に引かれるまま足を止める事が出来なかった。止まれば最後、民達に(カコ)まれてしまうことが紳には分かっていたから足を止めないのだろう。


隊舎から然程(サホド)遠くない食事処(ショクジドコロ)に迷うことなく紳が悧羅と妲己を連れて入る。食事処(ショクジドコロ)に入った悧羅に中にいた者たちが(オドロ)きの余り(ハシ)を落とし始めている。すまぬ、と()びる悧羅と、そのままで、と笑う紳に民達も心を落ち着かせるように(ツト)めた。


窓側(マドギワ)一角(イッカク)に悧羅を座らせて紳はさっさと注文(チュウモン)を始めている。(マド)は開け(ハナ)たれているので遠巻(トオマ)きではあるが、外から悧羅を見る民達の姿があった。


「これならわざわざここを廻らなくても悧羅の姿を見せることができるね。早く帰って休んでてもらわないと」


悪戯(イタズラ)に笑いながら(ツクエ)頬杖(ホオヅエ)をつく紳に、やれやれ、と悧羅も笑う。そう言うことか、と笑う妲己の前に肉と桃の入った皿が置かれた。紳の前にも(ボン)に置かれた食事が並べられ、続いて悧羅の前にもよく冷やされた果実(カジツ)が置かれた。


「これくらいなら食べれるでしょ?」


あまり(ショク)の進まない悧羅の事は分かっている。食事処(ショクジドコロ)(サソ)ったけれど食べることは出来ないだろうことも分かっていた。であれば、(ツカ)れを溜めている悧羅を早く(イヤ)す為に里に降りている(ジカン)を短くしたかった。悧羅を食事処(ショクジドコロ)に連れてくるのは目立つけれど、一度に沢山(タクサン)の民達に悧羅を見せる手段(シュダン)としては良いだろう。くすり、と笑って果実(カジツ)に手をつけ始める悧羅を前にして、そういえば、と紳が言う。


「二人でこんな食事処(ショクジドコロ)に入るなんて初めてだね」


「そういえばそうだの。500年前ならばあり得たかも知れぬが、其方(ソナタ)がまた(ワラワ)の元に来てくれたは妾が(オサ)になってからであるからの。そう容易(タヤス)く里の食事処(ショクジドコロ)に来るなどならなんだからな」


笑う悧羅の口に果実(カジツ)を自分の(ハシ)(ハサ)んで差し出しながら紳は嬉しそうだ。


「まるで逢引(アイビ)きみたいだね?」


(チギ)りを結んでからも日々は速く過ぎて、子ども達が出来てからというもの2人でゆっくりと出掛けることもできていなかった。それは(シアワセ)な事ではあるのだが、普通の民達のように、恋仲(コイナカ)の者同士(ドウシ)のようには過ごせていなかった。紳が差し出した果実(カジツ)を口にする悧羅を見ながら、ここが人目(ヒトメ)のある場所で良かった、と苦笑する。そうでなければ、自分の差し出した物を当たり前のように食べてくれる可愛(カワイ)らしい姿を見せられて自分を(タモ)ててはいなかっただろう。


(ウレ)しそうに笑う紳の姿を見ながら、悧羅はくすりと笑った。


「時には二人でこうして出掛けるのもよいやもしれぬな。ゆるりと外で其方(ソナタ)と過ごすもよろしかろうて。何やら気恥(キハ)ずかしゅうもあるがのぉ」


「…だから、そういうこと言わないの」


我慢(ガマン)しなきゃならないんだからね、と苦笑する紳に悧羅は首を(カシ)げた。


「紳が言い出したのではないかえ?」


「そうなんだけどね、…帰るまでは(コラ)えなきゃならないからさ」


おや?、と手元(テモト)果実(カジツ)を紳に差し出しながら悧羅は肩を(スク)めた。差し出した果実(カジツ)を紳が口にするのを見ながら悧羅はその(ホオ)に触れた。


(ワラワ)には(コラ)えるな、と言うに其方(ソナタ)(コラ)えてばかりじゃのう」


口にした果実(カジツ)(アヤ)うく(ノド)()めそうになって紳は咳込(セキコ)んでしまった。おやおや、と苦笑しながら席を立って紳の横に動くとその背中をさする。咳込(セキコ)む紳を、大事(ダイジ)ないのか?、と言う悧羅に、うんうん、と(ウナズ)くがなかなか(セキ)が止まらない。食事処(ショクジドコロ)にいる民達も心配そうに紳を見ながら、その背中をさすっている悧羅に目を細める。どうにか(セキ)(シズ)めて背中をさすってくれている悧羅の手を取って(トナリ)に座らせた。


「…そういうことじゃないんだけどねぇ」


苦笑しながらも人目(ヒトメ)(ハバカ)らず悧羅に深く口付ける。食事処(ショクジドコロ)の中の者達も、窓の外から二人を見ていた者達もその姿を見て笑顔になる。


やはりこの二人はお変わりがない。


それだけで民達は安堵(アンド)する。しばらく見ることの(カナ)わなかった悧羅は少し()せているけれど、紳が(ソバ)にいる(カギ)り民達が心配するようなことは起きないだろう。(クチビル)を離してはまた口付けるを繰り返す二人を見ながら、くすくすと笑いながら民達は視線を(はず)すことにした。

日常回ですね。

しばらくは穏やかなお話が続けば良いのですが。


お楽しみいただけましたか?

ありがとうございました。

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