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後始末《アトシマツ》

遅くなりましたが更新します。

悧羅(リラ)(シン)と子ども達を(トモナ)って部屋に入ると、すでに荊軻(ケイカツ)枉駕(オウガイ)栄州(エイシュウ)(ソロ)っていた。待たせたか?、と声をかけながら三人の横を通り過ぎて場に()すと、いいえ、と枉駕(オウガイ)(コタ)えた。紳が悧羅の横に座り、子ども達も座すと、重鎮(ジュウチン)である三人が深く平伏(ヘイフク)する。


「まずは、昨夜の粛清(シュクセイ)のお(ツト)め、つつがなく済みましたこと心よりお(ヨロコ)び申し上げます。(オサ)におかれましては御健勝(ゴケンショウ)にあらせられますか?」


荊軻(ケイカツ)の言葉に悧羅は小さく笑った。身体はどうもない、とだけ言うと三人が顔をあげて居住(イズ)まいを正した。そうでござろうな、と大きく嘆息(タンソク)する栄州(エイシュウ)に他の二人も肩を落とす。(イタ)し方の無かった事こととはいえ約一万の(タミ)の命を(ミズカ)らの手で(アヤ)めたのだ。心の(キズ)は深いだろう。ともすれば、まだ(ヤイバ)()るって相手の肉を()()感触(カンショク)が手に残っているかもしれない。()びた(オビタダ)しい量の返り血の(ニオ)いに(ナヤ)まされているかもしれないのだ。


これまでの粛清のたびにそうであったように。


(オサ)のお心の(イタ)み、いかばかりかと(オモンバカ)ってございます。あまりお心をお痛めになられませぬよう」


その言葉にも悧羅は小さく笑った。そう容易(タヤス)()えるはずもないのは皆分かっているだろうが、それでも悧羅を思ってくれている事は痛いほどに伝わる。だが、悧羅が苦しみ続ければこの場にいる皆まで心を痛め続ける。多少の無理はしても早めに飲み込まなければならないだろう。


「少しばかり(ジカン)をくれるならば飲み込めよう。其方(ソナタ)らも思いつめるでないよ?」


小さく息をつきながら言う悧羅に、御意(ギョイ)、と三人が頭を下げた。


「お疲れではございましょうが、(オサ)もお気になさっていることと思いますので後始末(アトシマツ)についてをお話ししておきましょうか」


苦笑しながら言う荊軻(ケイカツ)悧羅(リラ)(ウナズ)いて、皆に楽にするように言う。長い話になりそうだ。固くなり過ぎていてはまとまる話もまとまらないだろう。それぞれが楽にする中で悧羅も妲己(ダッキ)に身を預けると顔を()り寄せてきてくれる。妲己も悧羅の心持(ココロモ)ちが心配でならないのだ。妲己の好きなようにさせていると、まずは、と荊軻(ケイカツ)が口を開いた。


「昨夜()らえた者たちにつきましては数は十と四。それに(コウベ)のみの姍寂(サンジャク)を合わせまして十と五でございます。すべて()()()幽閉(ユウヘイ)しております。とはいえ、まだ調べを始めておるわけではございませんので今回の事に関しては何とも申し上げられませぬけれど、皆、茫然自失(ボウゼンジシツ)といったところですね。(アバ)れる者、(ワメ)く者などはまだ出てきておりません」


そうか、と悧羅が(ウナズ)くと、ただ、と枉駕(オウガイ)嘆息(タンソク)する。


「やはり茫然自失(ボウゼンジシツ)とは言いましても、(オサ)御力(ミチカラ)については衝撃(ショウゲキ)(カク)せてはおりませんな。甘く考えておったのだろうから思い出しては震えておる、と言うたがよろしいかもしれませんがね」


捕縛(ホバク)して枉駕(オウガイ)荊軻(ケイカツ)幽閉場所(ユウヘイバショ)に押し込んだのだが抵抗(テイコウ)はしないものの皆一様(イチヨウ)に、何だあれは、と繰り返して(ツブヤ)いていた。(クサリ)(ツナ)いだ(カセ)をはめる間も時折(トキオリ)(ツブヤ)いては震える、を繰り返す。(オサ)能力(チカラ)も見抜けぬとは、と枉駕(オウガイ)はそれらの姿に嘲笑(チョウショウ)するのを止められなかった。


「その内、軽薄(ケイハク)真似(マネ)をしたものよ、と思い知るであろうな」


小さく笑いながら白い(ヒゲ)を撫でて栄州(エイシュウ)は満足そうに大きく(ウナズ)いた。そう長い事も持つまいよ、と枉駕(オウガイ)が言うと、そうであろうな、と栄州(エイシュウ)が苦笑する。荊軻(ケイカツ)枉駕(オウガイ)の手に掛かって詰問(キツモン)という名の拷問(ゴウモン)を受けるのだ。どんなに自分に自信がある者でもそう長い事理性(リセイ)(タモ)てはしないだろう。


「しばらくは枉駕(オウガイ)(ワタクシ)(アズ)かります。新たな事が分かれば朝議(チョウギ)でお(シラ)せすることになろうかと。一応(イチオウ)申し上げておきますがその身のまま帰る、ということはありませんので。(ヨロ)しゅうございますね、(オサ)?」


(ワラワ)がならぬと申しても其方(ソナタ)らは()と言わぬであろ?(マカ)(ユエ)好きに(イタ)すがよろしかろうよ」


(ヨウ)は生きて()の目を見せることはない、ということだ。すでに一万の民の命を(ウバ)っている。残った者が命乞(イノチゴ)いをしたとしてそれを見逃(ミノガ)してしまえば(ウバ)った命も浮かばれない。まして悧羅を(シイ)するという明確(メイカク)な目的をもって集まっていた者たちだ。おいそれと(ツミ)を問わずに解放(カイホウ)することは出来ないだろう。


「…ここで(ワラワ)(ユル)すと言わば、また同じようなことを起こす者たちもおるであろうからの。始めたからには粛々(シュクシュク)とせねばなるまいな…」


小さく嘆息(タンソク)する悧羅の手を(シン)がそっと(ニギ)った。子ども達も振り向いて、母様(カアサマ)、と心配そうにし、妲己も少しばかり尾を動かして悧羅の身体に巻きつけた。紳の手を(ニギ)り返しながら、子ども達に、大事(ダイジ)ない、と悧羅は笑って見せると、重鎮(ジュウチン)達も静かに大きく(ウナズ)いた。


「それから一万の(ムクロ)でございますが、勝手(カッテ)な事とは思いましたが焼き払ってございます。その場に置いておくもならず、かといって里の中に持ち帰るも(ムズ)かしゅうございましたものですから。ご容赦(ヨウシャ)くださいませ」


仕方(シカタ)あるまいて、と悧羅はまた小さく息をついた。里に入れるにしてもどこに置いておくかが問題になる。何より朝になって積まれた(ムクロ)の山を見て、安寧(アンネイ)に目覚めた民達(タミタチ)驚愕(キョウガク)混乱(コンラン)してしまうだけだろう。だが焼き払った、という事は骨も残っていないということだ。


せめて遺骨(イコツ)くらい返してやりたかったけれど、それも無理になってしまった。


遺骨(イコツ)くらいは返してやりたかったがの…。返されても家族が受け取るか(イナ)かは分からぬがな」


少し顔を悲痛で(ユガ)めた悧羅の手を(サラ)に強く紳が(ニギ)って、仕方ないよ、と(オダ)やかに笑って見せた。


「多分、悧羅が遺骨(イコツ)遺体(イタイ)を返したいと思っても、残された者は受け取らないんじゃないかって俺は思うよ?自分たちの知らないところで自分の家族が(オサ)(シイ)そうとしていた、それどころか本気で(ヤイバ)を向けた。それを知ったら悧羅に申し訳なさ過ぎて家族だとも思いたくなくなるんじゃないかな?」


(オサ)に顔向けできない、と(ナヤ)苦悩(クノウ)するのは目に見えておりますな。紳様の(オッシャ)る通りでございましょうや」


そうかも知れぬな、と悧羅も紳の手を(ニギ)り返した。落ち着いているように見せていても紳は悧羅の手が小さく震えて冷たくなっている事をわかっている。皆には気取(ケド)られないようにしてはいるが、身体も小さく震えているのだが妲己が包んで隠してくれていた。


「では、この(タビ)一件(イッケン)(タズサ)わった者たちの家族にどう(シラ)せをどう(イタ)すかなのですが…。どう誤魔化(ゴマカ)しても最後には(マコト)の事が分かるでしょう。何より一万の民です。急に姿をくらました、と申すも(ムズカ)しゅうございましょうね」


「真実を(シラ)せるしかないのではないか?この(タビ)の事に関わった者たちの縁者(エンジャ)のことくらい、荊軻(ケイカツ)殿は調べ終わってあるのであろう?」


当たり前のように栄州(エイシュウ)荊軻(ケイカツ)を見た。確かにそれは最初に佟悧(トウリ)から(アズ)かった文書(モンジョ)を調べるときに確かめてある。父母が健在(ケンザイ)なのか、健在(ケンザイ)でなければ兄弟姉妹(キョウダイシマイ)がいるのか、もしくはすでに(ツレアイ)を持っているのか。生きて返すことの出来ない者たちを(イツク)しむ者達に悧羅が(シラ)せを送りたがるだろうと読んでいたからだ。


「確かめてはおりますが、(ユカリ)のあるものだけに(シラ)せても、(ホカ)にも(シタ)しくしておりました者もおりましょうし。…とは言いましても数が(オオ)ございますので…、隠し通すにはかなり難儀(ナンギ)するかと思われます」


「確かにな。居なくなった者の縁者(エンジャ)内密(ナイミツ)に伝えたとて、どこからか疑念(ギネン)の声は上がるだろうさ」


荊軻(ケイカツ)の言葉に枉駕(オウガイ)も同意する。急に一万の民が姿を消せば(ワラベ)であろうとおかしいことに気づくはずだ。これまでの粛清(シュクセイ)では、不穏(フオン)な動きがあることを里の民達(タミタチ)も聞き(オヨ)ぶことは出来ていたので、ただ粛清(シュクセイ)を行ったと下知(ゲチ)を下すだけでよかった。けれど、今回はまだ噂話(ウワサバナシ)としても上がっていない。話を聞いた事がある、という者も一握(ヒトニギ)りだろう。


「そういうことでございますから、心苦(ココログル)しくはありますが(オサ)下知(ゲチ)(クダ)していただくがよろしいかと(ゾン)じます。()の者たちの名を出すのはお(イヤ)でございましょう?」


(タズ)ねられて悧羅は(ダマ)って(ウナズ)いた。だれがその中にいたのかなどは縁者(エンジャ)さえ知っていればいい。名を広く伝える事で縁者(エンジャ)たちが暮らしにくくなるのは悧羅の望むところではないのだ。


「そうでございましょうね。であれば『誅芙蓉(チュウフヨウ)』の名の(モト)(オサ)(シイ)(タテマツ)ろうとする者たちが動く前に私共(ワタクシドモ)が気づいたため粛清(シュクセイ)した、と下知(ゲチ)をお(クダ)しくださいませ」


「…それしかないのであれば(ワラワ)(カマ)わぬよ。なれど…」


考え込む悧羅に、分かっております、と荊軻(ケイカツ)は小さく笑った。


縁者(エンジャ)には(ワタクシ)枉駕(オウガイ)(ジカ)(シラ)せに(マイ)ります。…決して自害(ジガイ)などせず、(オサ)()びたい思いがあるのであれば、生きて(ツカ)えよ、と申せばよろしいのでしょう?」


荊軻(ケイカツ)の言葉に悧羅は小さく笑った。よく分かっておるではないか、と微笑(ホホエ)む悧羅に、500年もお(ソバ)におるのですよ?、と荊軻(ケイカツ)は笑っている。


「とはいえ、一万の民達の縁者(エンジャ)(タズ)ねて廻るのは少しばかり(ジカン)がかかるだろうな。その間に何かしら感づいて(ミョウ)な考えを起こさねばよいが」


心配そうな枉駕(オウガイ)に、じゃあ、と忋抖(カイト)が手を挙げた。


「俺たちにも手伝わせてもらえないかな?姉様(アネサマ)啝珈(ワカ)も一緒に動けば少しは早まるんじゃない?…母様(カアサマ)だって早く(シラ)せてやりたいはずだしね」


おや、と栄州(エイシュウ)荊軻(ケイカツ)が微笑んだ。確かに子ども達三人が(クワ)わってくれれば早く片付くだろう。まして子ども達が悧羅が自害(ジガイ)などするなと言っている、と伝えれば民達にも悧羅の思いが強く伝わるはずだ。


願ってもない申し出でございますね、と荊軻(ケイカツ)が悧羅と紳を見ると、いいよ、と紳が(コタ)えている。


「こいつらも悧羅がどういうものを背負(セオ)っているのか知りたいって言ったんだ。最後まで手伝いたいだろう。荊軻(ケイカツ)枉駕(オウガイ)の指示で使ってやってくれ」


ね?、と紳が悧羅を(ノゾ)きこむ。


「紳が(ユル)すのであれば(ワラワ)が何を申すものか。我儘(ワガママ)を申せば、(ワラワ)直々(ジキジキ)(マイ)りたいところではあるがの。それをして(ワラワ)が頭を下げるはならぬでな」


「うん。それは駄目(ダメ)。すごく(ユズ)って悧羅が直々(ジキジキ)に行くのを許せても頭を下げるのは駄目だね。悧羅を(シイ)そうとした者たちの命を(ウバ)っていても悧羅が頭を下げちゃいけない。それが最良(サイリョウ)だったんだから(オサ)として堂々(ドウドウ)と立ってていいんだよ」


頭をぽん、と撫でられて悧羅は苦笑した。(オサ)である悧羅が行った事を民達に()びてしまっては、だれについて行けばいいのか民達も悩んでしまうかもしれない。何を(オコナ)ったとしても、それに違う道があったにせよ悧羅が選んで動いた。それが一番正しいのだと毅然(キゼン)として立っていなければならない。それが里の(カナメ)(オサ)である悧羅の(ツト)めの一つだ。


「そうであれば御子(オコ)方のお力をお借りいたしましょう。あの場に同行(ドウコウ)した隊士達(タイシタチ)(マカ)せるには()(オモ)うございましょうからね」


難儀(ナンギ)であろうが(タノ)まれてくりゃれ。なんであれば下知(ゲチ)一文(イチブン)()しても(カマ)わぬぞ?二日(フツカ)待って帰ってこなければ粛清(シュクセイ)されたと思え、との」


提案(テイアン)する悧羅に、それはやめた方がよい、と栄州(エイシュウ)(セイ)した。


「その間に枉駕(オウガイ)殿や荊軻(ケイカツ)殿、それに御子(オコ)方が縁者(エンジャ)全てを廻れるとは(カギ)らぬ。ともすればその日が来れば無為(ムイ)自害(ジガイ)する者がでるやもしれんでな」


そうか、と悧羅は肩を落とした。栄州(エイシュウ)の言うことは正しいのだろう。では悧羅にできる事はやはり紳の言う通り毅然(キゼン)として感情を押し殺し立っていることだけだ。


今までがそうであったように。


委細(イサイ)承知(ショウチ)した。其方(ソナタ)達に(マカ)すとしようて」


小さく溜息(タメイキ)をつくと、それでいい、と紳が微笑(ホホエ)んだ。


「本当は俺も動いた方が良いんだろうけど、今は悧羅を優先(ユウセン)させてもらいたい。いいかな?」


荊軻(ケイカツ)達を見ながら言う紳に、それが一番です、と枉駕(オウガイ)が笑っている。それ以上に優先(ユウセン)すべきことなどございませんよ、と荊軻(ケイカツ)が言うと紳は皆に礼を言っている。


「あとは、矜焃(キョウカク)荽梘(スイカン)亡骸(ナキガラ)じゃな。父母はもう自害(ジガイ)してしもうておるにそれぞれの(ヤシキ)埋葬(マイソウ)してやってたも」


悧羅の願いに荊軻(ケイカツ)が、小さく頭を下げた。


「すぐすぐとは(マイ)りませぬが、必ずや(オサ)(オオ)せの通りにいたします。もうしばらくご辛抱(シンボウ)下さいませ」


荊軻(ケイカツ)としては全ての者から調べを終えるまで矜焃(キョウカク)荽梘(スイカン)亡骸(ナキガラ)埋葬(マイソウ)するつもりはない。捕縛(ホバク)した者たちの収監(シュウカン)場所は個々にしているが、どちらか二人の亡骸(ナキガラ)が見えるようにしている。(カク)し事や虚言(キョゲン)をいえばこうなるのだ、という事を(キザ)みつけるためだ。地下のため(スズ)しくはあるが、二人の身体は腐敗(フハイ)が始まっている。肉が(クサ)っていく(ニオ)いと、目の前の亡骸(ナキガラ)の姿を見せる事で心から折っていこうとしているのだ。


無慈悲(ムジヒ)真似(マネ)程々(ホドホド)にするように(メイ)じようとして悧羅は思い止まった。ここまで無慈悲(ムジヒ)な事をしているのだ。今更(イマサラ)の事でもあるし、荊軻(ケイカツ)たちが慈悲(ジヒ)をかけないのは全て悧羅のためだからだ。もう一度、(マカ)せた、と言うと、(ウケタマワ)りました、と荊軻(ケイカツ)(ウヤウヤ)しく頭を下げた。



その翌日になって悧羅(リラ)下知(ゲチ)(クダ)した。紳が悧羅の(ソバ)を離れたがらないため、近衛隊副官(コノエタイフクカン)達楊(タツヨウ)下知(ゲチ)を持って各里を(メグ)った。


誅芙蓉(チュウフヨウ)の名の(モト)に妾を(シイ)さんとする動きがあったため妾(ミズカ)粛清(シュクセイ)した。その数一万』


下知(ゲチ)を聞いた誰もが青ざめて絶句(ゼック)し、中には膝をつく者まで出た。粛清(シュクセイ)が行われたことにも青ざめたが、(オドロ)くべきはその数だ。一万もの民が悧羅を(シイ)するために集まっていたなどと聞かされては、まさか自分の縁者(エンジャ)にその様な(オロ)かな事を考えていたものがいるのではないかと(フル)え上がる。何よりも『誅芙蓉(チュウフヨウ)』の言葉が(オソ)ろしい。そして皆は思い出す。


あの闘技(トウギ)の場で勝利した矜焃(キョウカク)荽梘(スイカン)異様(イヨウ)なまでの(オサ)に向けた敵意(テキイ)殺意(サツイ)を。


明らかにおかしかった。民達のために(ミズカ)らの身を(ケズ)って共に苦渋(クジュウ)辛酸(シンサン)()めてきてくれた(オサ)の姿を知っている者であるならば、あのような願いは決してしない。感謝(カンシャ)こそすれ敵意(テキイ)殺意(サツイ)(イダ)くなどあり得ないことだ。


どれほどの思いで(オサ)が里を支えてくれていたと思っていたのだ?、と民達の胸中(キョウチュウ)に『誅芙蓉(チュウフヨウ)』などと(オロ)かな事を言っていた者たちへ向けての軽蔑(ケイベツ)侮辱(ブジョク)の思いが(クスブ)り始めた。本当に(オロ)かな(モノ)達がいたものだ、と吐き捨てるように言った声がどの里でも聞かれたが、それ以上は誰も何も言わなかった。いや、()()()()()()のだ。


(オロ)か者達が何を考えていたのかなどどうでもいい。


民達の心に次に浮かんだのは粛清(シュクセイ)を行った(オサ)である悧羅の胸中(キョウチュウ)だ。あの優しい(オサ)の事だ。(タト)え『誅芙蓉(チュウフヨウ)』などという言葉を(カカ)げて自分を(シイ)するために集まっていた者たちだとしても、その命を(ウバ)ったことに心を痛めているに違いない。一千、二千の数ではなく一万もの民だ。


民の暮らしあらばこその(ワラワ)だ、と悧羅は以前言ってくれた。その悧羅が(ミズカ)ら護ってきた民達を(アヤ)めたのだ。


そうするしかなかったのだろうな、と誰もが思いを()せた。今は一万であったとしても気づくのがまだ遅ければ(オロ)か者達の数はますます(フク)れ上がっていたかもしれない。これで済んで良かったと思うべきだ。思うべきなのだが、どうしてそんな考えを持つ者が出てきたのかという疑念(ギネン)を感じてしまう。


矜焃(キョウカク)荽梘(スイカン)も、鬼()る者強くあるべし、力、強さこそ全てだ、と言い(ハナ)っていた。それは当たり前のことだ。鬼として生まれ落ちた時から、(ツノ)の数での能力(チカラ)の差はあれど強くあらねばならない。けれどそれは決して(ミズカ)らのためではないのだ。自分と周りの大切な者を護るため、ひいては(オサ)である悧羅を護るために強くあらねばならない。だが、あの二人からはそんな思いは微塵(ミジン)も感じられなかった。ただ(オノレ)のためだけの強さを求めているように見えた。


きっと集まってい立って者たちも同じ様な考えだったのだろう。


500年前の姿などもう里のどこにもない。十年前には十万だった民の数も悧羅が里をこの地に移してから二十万に迫っている。

若い者たちが増えて()()()の里の姿、民の思いを知らない者たちからすれば平穏(ヘイオン)安泰(アンタイ)している里が当たり前のことだろう。


だからなのかもしれない、と民達は愚考(グコウ)する。今がどれほど恵まれているのか知らないから、ここまで(ウルオ)わせるために悧羅と民達がどれほど耐えてきたのか知らないから簡単に(シイ)して(オサ)に成り代わろうという愚行(グコウ)(イタ)ったのではないだろうか?やれやれ、と民達は一様(イチヨウ)に大きく溜息(タメイキ)をついて肩を落とした。


力だけで(オサ)めようとするなど、先代(センダイ)と同じだ。それではまた何十万という民の命が無為(ムイ)(ウバ)われるだけ。里は荒廃(コウハイ)し食べるものも着る物もなく()れ果てていくだけだというのに。自分たちが悧羅を(シタ)っているのは命の重さを知ってくれているからだ。悧羅の(シアワセ)を心から喜ぶことができるのも、どれほどに耐えてきてくれているかを知っているからこそだ。


あまり心を痛めてくれるな、と悧羅に思いを()せながら民達は散っていく。夜になった時には、今の里がどれほど恵まれているのか自分の子ども達に話す必要があるようだ、と思いながら。だからせめて自分の縁者(エンジャ)にそのような(オロ)か者がいないように、と願うしか無かった。




_____________________________________


下知(ゲチ)を持って各里を(メグ)達楊(タツヨウ)から大きな混乱(コンラン)はなかった、と(シラ)せを受けた荊軻(ケイカツ)はひとまず胸を撫で下ろした。多少の混乱はあるのではないかと心配していたのだが、どうやら杞憂(キユウ)に終わった様で安堵(アンド)する。昨夜に悧羅への(シラ)せを終えた後に枉駕(オウガイ)と共に粛清(シュクセイ)に向かったが、重要だと思われるような新たな事は分からなかった。何よりまだ(オビ)えきっていて話にならない、と言う方が正しいだろう。


まあ、仕方がないことですがね、と荊軻(ケイカツ)は小さく嘆息(タンソク)するよりない。同じ幽閉場所(ユウヘイバショ)には腐乱(フラン)を始めた矜焃(キョウカク)荽梘(スイカン)の姿があるのだ。全ての者たちからその姿が見えるように収監(シュウカン)しているのだ。(ニオ)いも相まって、いつか自分もああなるのだとでも思っているのだろう。


せめて心が(コワ)れる前には少しばかりの情報は吐き出してもらいたい。一番(カク)に近いと思われる姍寂(サンジャク)には荊軻(ケイカツ)(マジナイ)(ホドコ)しているので首だけになってもまだ生き続けている。荊軻(ケイカツ)が満足するまでは(マジナイ)()く気はないし、そう簡単に『死』という安寧(アンネイ)を与えてやろうとも思ってはいない。


粛清(シュクセイ)の場で悧羅に言い(ハナ)っていた言葉に憤慨(フンガイ)したのは枉駕(オウガイ)だけではないのだ。荊軻(ケイカツ)とて同じこと。悧羅に向けて(ヤイバ)を向けた姍寂(サンジャク)の首を紳が()ねていなければ枉駕(オウガイ)荊軻(ケイカツ)がやっていただろう。


例え悧羅がそれを望まなくても、だ。


だがとにもかくにも今回の(ケン)(タズサ)わった者たちの縁者(エンジャ)(ヤシキ)を廻らねばならない。今日も枉駕(オウガイ)と悧羅の子ども達と分けて回ったが、まだ半分も廻れていない。どこに行っても平伏(ヘイフク)して、(オロ)か者を出してしまったことを()びられてしまうので、それなりに(ジカン)を要してしまうのだ。枉駕(オウガイ)荊軻(ケイカツ)にさえそうであるのだから、子ども達に(シラ)せを届けられた者たちは申し訳がない、と号泣(ゴウキュウ)してしまうらしい。


自分たちのために立ってくれている悧羅の子ども達が粛清(シュクセイ)(シラ)せをもってくるなど考えもしていなかったことだろう。それでも早めに終わらせなければ宮に(トド)めている佟悧(トウリ)(ヤシキ)に帰してやることも出来ない。悧羅にとっては子ども同然の佟悧(トウリ)なのだ。確かな(アン)じを()なければ(ヤシキ)に戻すことを(ヨシ)とは言わないだろう。佟悧(トウリ)の身を(アン)じるが(ユエ)舜啓(シュンケイ)までも宮に(トド)められている。


本当は自分の心を整えるだけで精一杯(セイイッパイ)のはずでしょうにね、と息をついて荊軻(ケイカツ)は深く椅子(イス)にもたれかかった。


どんなに(ジカン)がかかったとしても粛清(シュクセイ)(シラ)せを持っていくのは自分の他に枉駕(オウガイ)と子ども達でなければならない。悧羅の側近(ソッキン)としての二人と子ども達が(シラ)せることで、決して自害(ジガイ)などするなと悧羅が(セツ)に願っていることも伝わるというものだ。一介(イッカイ)隊士達(タイシタチ)に預けたとしても、言葉の重みが違うだろう。


本当にどこまでいっても民のことしか考えないお方だ。


暗くなった外を窓を通して見やりながら、(ホノ)かに揺れる宮の(アカ)りを目にとめる。


もう少しご自分の事も(イタワ)ってくださればよいものを。


苦笑してしまうが、それが悧羅の()り方なのだとも分かっている。初めて会った時の事が思い出されて荊軻(ケイカツ)は小さく笑った。

あの時水をもらわなければ荊軻(ケイカツ)事切(コトキ)れていただろう。

あの時悧羅の(ソバ)でその行いを見ていなければ、ここまでの忠誠(チュウセイ)(チカ)えていたかも分からない。

一歩(イッポ)()み込めば事切れ(コトキ)れていただろう気怠(ケダル)さの中で見聞きしていた悧羅の行いと言葉。その全てが明君(メイクン)になるだろうことを荊軻(ケイカツ)は感じざるを()なかったし、そしてそれは間違いでは無かった。


多くの苦渋(クジュウ)辛酸(シンサン)を共に乗り越えて行くたびに、この(オサ)(クダ)してくれた天に感謝(カンシャ)を伝えてしまっていた。悧羅のためであるならば、どんな非情(ヒジョウ)真似(マネ)をするのも荊軻(ケイカツ)にとれば苦痛ではない。


それでもあの頃よりは悧羅は(オダ)やかでいれるだろう。

どんなに苦しくても悧羅が望むことさえ(アキラ)めていた(サイワイ)が周りにあるのだ。それを与えてくれた紳も悧羅の苦しみを分けて感じてくれているだろう。であればこそ荊軻(ケイカツ)(アン)じることなどないのかもしれない。


くすり、と笑って荊軻(ケイカツ)粛清(シュクセイ)(タズサ)わった者たちの名が(シル)してある文書(モンジョ)を開いた。巡り終わった者たちの名を消していきながら、明日はもう少し進めねば、と自分に言い聞かせた。

いつも読んでくださってありがとうございます。

切ない話が続きますが、もう少しお付き合いくださいませ。


お楽しみいただけているならば嬉しいです。

ありがとうございました。

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