辛酸《シンサン》
ギリギリラインがありますので、苦手な方はご注意下さい。
十四の者と一つの頭を捕縛して枉駕と荊軻は辺り一面に広がる血の海と骸の山を眺めて大きく嘆息した。出来るだけ手を汚すな、という悧羅の命で二人も隊士達も襲いかかってくる者、逃げ出そうとする者だけにその刃を振るった。数にしては数百、多く見積もって千といった所だろう。あとの九千余りを悧羅は一人で粛清した。感情を出すことをせずただひたすらに命を刈り取っていくその姿を見るのは、実に300年ぶりだった。刈り取った命をその身に背負うように返り血を浴びながら粛々と長の務めを果たす姿は悼ましく、見ている荊軻や枉駕の方が胸を締め付けられる。
300年前まではまだ里も落ち着かず若い鬼女である悧羅に対して先代の業を背負わせようとする輩も多くいた。その都度、粛清という名の下に民達の命を刈り取る悧羅は決して術や鬼火で焼き払おうとはしない。悧羅であればわざわざ体術や武具を使わずとも瞬きの間に消し去る事ができるのだが、必ずその手で肉を切り裂きにいく。その手で命を奪った者たちが確かに居たのだとその身に刻むように。当時から荊軻や枉駕に出来るだけ手を汚すな、と言っていたがそれも変わってはいなかった。
久しぶりに見る悧羅の姿はやはり哀愁と懺悔と哀悼に満ちていた。苦悩もあるだろうに、迷うな、と自分に言い聞かせるように刃を振るう悧羅の姿を見ながら荊軻に護られながらも襲いかかってくる者たちを斬り捨てる媟雅と忋抖、啝珈が小さく、母様、と呟いた声が哀しそうだった。そしてそれは悧羅の伴侶である紳も同様だったようだ。紳が近衛隊隊長に就いた時には里は平穏に向かっていた。故に粛清を行う悧羅の姿を見るのは初めてのことだ。助力に向かおうとする紳の腕を枉駕が掴んで止めた事で、悲痛な表情をしながら悧羅の姿を見守ることにしたようだった。
散り散りになり逃げ惑う者たちを集めて刈り取った者たちの返り血を浴びる悧羅に、長って重いんだね、と子ども達がぽつりと言うと、紳も無言で頷いていた。
捕縛を隊士達に任せ、頭だけになった姍寂に背を向けた悧羅はしばらくの間、自分が刈りとった骸の山をじっと見つめて動かず、口も開かなかった。その背中を見ていることしか出来ないでいる紳と子ども達に枉駕が、これが常であったよ、と伝えると何とも悼ましい顔をしていた。
荊軻も又、小さく息をついて紳の肩を叩いた。
「後始末はお任せくださいませ。…まずは長をお頼み申し上げます」
頷く紳に微笑んで、長、と荊軻は声をかけた。ゆっくりと振り向いた悧羅に疲れを癒すように伝えると困ったような小さな笑いが聞こえた。紳様、と荊軻が促すと紳が悧羅に歩み寄ってその身体を抱き上げた。汚れる、と降りようとする悧羅を黙ったまま抱きとめて、あとは頼む、と言い残すと翔け上がっていった。共に行くものだとばかり思っていた子ども達が残っていることに首を傾げた荊軻に、最後まで手伝う、と言葉が返ってきた。予想に反した言葉であったが、そうですか、と柔らかく微笑んで荊軻は隊士達の中に混ざるように伝える。小さく、だがしっかりと頷いた三人が隊士達と共に後始末をしている姿を見守る。
「…本当に大きくなられたな」
共に子ども達を見守る枉駕が隣に立って呟いた。そうですね、と荊軻も同意する。悧羅の背負う重責、苦渋、辛酸。それを目の当たりにして彼らが何を思い何を得たのかは、この姿を見れば明らかだった。
「…長はまた、ご自分を責められるであろうな」
それにも荊軻は、そうですね、と応える。だがこれまでとは違うことがある。
「ですが、紳様がおられます。長が私共の知らぬ所でお一人で泣かれておられるなどということは、もうございませんよ」
「そうだな。…そうあって欲しいものだ」
大きく息を吐いて枉駕は空を仰いだ。
今頃は宮に着いているだろうか。
もう刈り取った命の重さを脱いでくれているだろうか。
紳が翔けて行った方角を見つめながら、どうか長の悼みが少しでも和らいでいてくれることを祈るしかなかった。
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返り血で真っ赤に染まった悧羅の身体を抱いて紳は宮へと降り立つと、待ち構えていたような磐里と加嬬の姿があった。紳と悧羅を見留めると深く礼を取って、露天の支度を整えております、と言葉少なに伝えてくれる。これまでも同じ姿を何度も見てきているからだろう、と紳も頷いてそのまま中庭を突っ切って露天へと入る。
露天の洗い場でようやく悧羅を降ろすと、返り血で重くなった衣を剥ぎ取った。ずっしりとした衣はともすれば悧羅の身体よりも重かった。剥ぎ取ったそばから衣を投げ捨てて肌を露にするがそこにあるはずの透けるようないつもの白い肌は無かった。あるのは返り血で染まった赤黒い肌。その姿に眉を寄せて紳は自分の衣も手早く脱ぎ去ると、悧羅の手を引いて洗い場に座らせた。
「自分でできる」
苦笑したような悧羅の声に、駄目だ、と言い置いて何度も何度も湯を掛けて悧羅の身体に纏わりついた返り血を洗い流す。何十回と繰り返してようやくいつもの紫の髪が見え始めた。身体も同じように清めてやっと知っている悧羅の姿が見えて紳は大きく息をついた。紳のしたい様にさせていた悧羅が白さを取り戻した手を嗅いでいるのを見て、どうしたの?、と紳も自分を清めながら尋ねる。無意識に粛清の後に行っていたことをしてしまった事に悧羅は、いや、と小さく笑って今度は自分で身体を清め始める。
「…血の臭いがな…。残っておるような気がしただけじゃ」
自分の身体を清める手を止めて紳は悧羅の身体に顔を近づけた。紳?、と身体を清めながら悧羅が名を呼ぶ。それには応えずに顔を離して、大丈夫だよ、と紳は悧羅の頭を撫でた。顔を近づけても血の臭いなどせず、ただいつもの悧羅の甘い匂いがするだけだ。そうか、と小さく笑いながらも悧羅は自分の身体を清めながら知らぬ内に身体に残った臭いがないか確かめてしまう。
粛清の後も望まぬ夜伽を繰り返していた時もそうだった。どんなに清めても身体から浴びた血の臭いや、抱かれた男の匂いが立ち昇る気がするのだ。それを感じる度に苦痛と後悔とで込み上げてくる嘔気もつきまとって、夜な夜な妲己にしがみついていた。思い出しながら身体を清めていると紳が悧羅の手を取った。首を傾げる悧羅に、やりすぎだよ、と紳が哀しい顔をしている。何のことか分からない悧羅の手から手拭いを奪いとって紳が湯を掛けてくれた。
よく見ると身体中真っ赤になっている。どうやら思い出して昔のように力をいれていたらしい。赤くなった身体を見ながら苦笑してしまう悧羅の身体にふわりとした手拭いがかけられた。乾いたそれで髪を拭いていると寝間着を着た紳が悧羅の身体を拭き始めた。粗方の水気を拭き取って、まだしっとりと濡れている悧羅の身体を寝間着で包むとそのまま抱き上げる。
「まだ濡れておるに」
持っていた手拭いも奪い取られて苦笑する悧羅に紳は、いいの、と小さく笑う。寝間着に袖も通さずぐるりと巻いた悧羅を自室まで運んで紳はそのまま寝所に悧羅を横たえた。自分の寝間着を脱いで横たえた悧羅を包んでいた寝間着を捲ると赤くなった肌に自分を重ねる。水気の取り切れていない悧羅の頭を撫でると髪が冷たくなっていた。
きょとり、として紳を見る悧羅に深く口付けて、その細い身体を強く抱きしめた。
「大丈夫。血の臭いなんてしないよ。俺が好きな悧羅の匂いしかしない」
唇を離す代わりに額をつけて紳が言うと、悧羅が困ったように微笑んだ。紳も微笑みながら悧羅を抱きしめる腕に更に力を込める。悧羅が余計なことを考えなくて済むようにそのまま慈しみ始めた。まだ粛清の名残で強ばったような悧羅の身体を緩ませるように、いつもよりも大切に、いつもよりも丁寧に想いを注いでいく。
次第に緩んだ悧羅を見ながら中に入り込むと紳を沸らせる悧羅の声が耳に届く。紳の動きに合わせるように悧羅もゆっくりと昇っていくのが分かって、自分だけのものだ、という思いが紳に降り積もる。
甘い声も紳に応えて潤む目も顔も。
荒れる息の中から名を呼ばれて紳はくすりと笑いながら悧羅に口付ける。それは果てる前に必ず悧羅がせがむことだからだ。口付けたまま動きを早めるとくぐもった甘い声と共に悧羅の身体がびくりと大きく震えた。そのまま唇を離さずにますます動きを速めると、堪え切れないように再び悧羅の身体が跳ねて大きく反りあがる。無意識の内に逃げようとする悧羅を強く抱きしめて引き留め、ようやく唇を離すとくぐもっていた甘い声がはっきりと聞こえた。その甘すぎる声に紳も堪えきれずに悧羅の中で果てる。奥深くで吐き出されて震える悧羅の身体を抱きしめ直すとくったりとその身を紳に預ける悧羅がいた。
それを笑って見やりながら紳は悧羅に軽く口付けて汗で顔に張り付いた髪を梳いてやる。悧羅の息が少し整ってから紳は気になっていたことを尋ねた。
「いつもあんな風にしてたの?」
はて?、と悧羅がきょとりとする。
「粛清か?…まあ、そうだの。手を汚すは妾だけで良いからの。とは言え、少しばかりは皆の手も汚してもらわねばならぬのじゃがな」
息を整えて小さく笑う悧羅に、そっちじゃないよ、と紳が言う。粛清の事を聞かれたとばかり思っていた悧羅は、またきょとりとしてしまう。
「そのあとのことだよ」
「そのあと?」
良く分からずに悧羅は考えを巡らせた。自分の手で粛清した骸を眺めていたことだろうか?この骸の上に自分は立っているのだと、目に焼き付けていることを紳は言っているのか?
「…殺めた数くらい忘れてはならぬからの…」
応える悧羅に、それも違う、と紳が苦笑している。
「身を清めることだよ」
ようやく紳が教えてくれて悧羅は、それかえ、と苦笑するよりない。無意識の内に血の臭いを嗅ぎ赤くなるほど身体を擦る悧羅を見てしまったのだ。紳が不可思議に思うのは当たり前のことだろう。小さく息を吐いて、そうだの、と悧羅は苦笑を深めた。
「どうしても血の臭いや滑りが残っておるように思えてな。ついやり過ぎてしまう。驚かせてしもうてすまなんだ」
紳の頬に触れて微笑む悧羅に、粛清の後だけ?、と何かを見透かしたような声が降った。少しばかり目を見開く悧羅に、教えて?、と紳が乞う。どうやら誤魔化しは効かないようだ、と悧羅は大きく嘆息した。
「…紳と夜伽を交わす前までは情の後はそうしておった。…とはいえ血が流れるまで洗い清めておったは初めの200年ほどであったな。紳が妾の元に来てくれる前は少しばかり落ち着いておったに」
「…やっぱりそうだった…」
応えた悧羅に紳は大きく息をついて深く口付けた。細すぎる身体を強く抱きしめて唇を離すと悧羅の肩に顔を埋める。
「…ごめん…」
顔を埋めたままで絞り出すように詫びる紳の背中に悧羅が腕を廻した。気にするでない、と柔らかな声で悧羅が言うが顔を埋めたまま紳は頭を振る。悧羅は無意識に行っていたのだろうが、紳の目には自分が手を離した後の悧羅がそこに見えたのだ。夜伽の後に泣きながら一心不乱に身体を清めていたであろう悧羅の姿が見えて、やはり手を離すべきでは無かったのだ、と心が痛んだ。
「俺があの時悧羅の手を離さなかったら、あんな思いさせずにすんだのに…。本当にごめんな…」
詫び続ける紳に悧羅は、過ぎたことだ、と笑った。それでも詫びる紳の名を悧羅が呼ぶ。
「妾を見てたも」
乞い願うように悧羅が言うとようやく紳が顔を上げた。後悔の色が浮かぶ紳の目を見つめて悧羅はその頬を包む。そのまま引き寄せて口付けた。
「過ぎたことを気に病んでくれるな。今こうしておれることの他に倖なことなどない。紳は違うておるのかえ?」
問われて紳は大きく頭を振った。こうできることだけを願っていたのだ、と伝えると、同じじゃよ、と悧羅が笑う。
「妾とて紳の腕に包まれる日が来ることを夢見ておったに。十年前に誓うたであろ?ここからまた始めようではないか、と」
うん、と今度は紳から悧羅に口付ける。
そうだった。
過ぎてしまったこと、紳が悧羅にしてしまったことは変えられない。だからこそ里を移したこの場所で、あの湖に瓜二つの場所で二度目の契りともいえる誓いを交わしたのだ。
「全て終われば子ども達が紳と妾のことを聞きたいと乞うておったでの。紳も思い悩んでおったのであろうの。…気づいてやれなんだな」
すまぬ、と微笑む悧羅に紳ははっとする。粛清という悧羅が一番苦しむことをさせた後に癒すどころか心配をかけてしまっているではないか。
何やってんだ、と紳は唇を噛んだ。
粛清を行う前にどれほど悧羅が悩み苦しんでいたのかを知っているのは紳だけだ。護るべき民達の命を自らの手で殺めることに心を痛めて飲み込めず泣く悧羅を自分が支えるから大丈夫だ、と抱きしめたのではなかったか?
一万近い民達を術も鬼火も使わず、自分の手だけて殺めて返り血も避けない悧羅の姿に、その命を忘れずにいるためなのだ、という強い思いが契りの疵から流れ込んだ。残った者たちを隊士達が捕縛している間も悧羅は静かに自分が殺めた後の骸を見つめ続けていた。粛清という名であれど苦しくて悔しくて自責の念に潰されてしまいそうな背中だった。
一刻も早く癒やさなければ悧羅が落ち着いて泣くことも出来ないと思って全速力で翔け戻ってきたのに、紳の方が慰められ癒されているなど、逑としてどうなのだ?
はあ、と大きく溜め息をついて紳はもう一度、ごめん、と詫びた。
「だから詫びてくれるな」
笑う悧羅に、そっちじゃないんだ、と紳が苦笑した。おや?、と首を傾げる悧羅の額を優しく撫でる。
「やりたくなくてそれでもやらなきゃならなかった悧羅の気持ちを置き去りにしてた。俺が支えなきゃいけなかったのに、逆に支えられた。ごめんな」
額に口付ける紳に悧羅は、それが逑というものであろう?、と優しく微笑む。そうだね、と返して紳は、だから、と続けた。
「だから今度は俺が悧羅を支えるよ。…我慢してたろ?もう泣いていいよ。俺しかいないんだから、思いっきり甘えていい」
悧羅の頬を両手で包むと、じわり、と悧羅の目に涙が浮かぶ。
「こっちが先だったのに…。ごめんな」
微笑む紳の顔がどんどん滲んで、悧羅ははらはらと涙を流し始める。
「…もう、良いのかえ…?」
「うん。もういいよ」
「…もう、甘えてもよいのか?」
「どれだけでも。半分は俺が背負うんだから隠さなくていいんだよ」
そうか、と呟いて悧羅は強く紳に抱きついた。
_______________________________ 刹那。
悧羅の鳴き声が響く。
どうしてもっと他の手立てを探せなかったのか。
どうしてもっと早くに気づいていなかったのか。
そうすれば一万もの若い民達を手にかけることなどしなくても良かったはずなのに。
何より、悧羅が殺めた者の家族に何といって詫びれば良いのだ。
「どうしたらよかったのだっ!」
紳にしがみついて泣きじゃくる悧羅の身体を紳は子どもをあやすように撫で続ける。
「これしかなかったんだよ。これが最良だった。悧羅だけの業じゃないよ。俺の業でもあるんだから、背負いすぎちゃだめだ」
何度も何度も諭すように紳は言い続けた。
大丈夫だ、と。
「俺がいる。誰が何を言っても俺が悧羅を信じてる。大丈夫だ」
繰り返すように言い聞かせてどれくらいの刻が経ったのかはわからない。泣き叫んでいた悧羅の声が徐々に小さくなって小さくしゃくりあげ始めた。それでも腕の中から出すことをせずに、紳はその細い背中を撫で続ける。しゃくりあげていた声も止んで、そっと悧羅の顔を覗くと泣き腫らした目は閉じられていた。泣き声の代わりに小さな寝息が聞こえて、紳はもう一度悧羅を抱きしめ直した。どうやら泣き疲れてしまったようだ。だがきっと眠りは浅いだろう。近頃の悧羅はほんの少しの物音や、夢見の悪さなどでしっかりと眠れてはいないようだった。
きっと今夜はもっと悪夢に魘される。
その時に、また大丈夫だ、と紳は言ってやらねばならない。悧羅から血の臭いなどしないのだ、と慈しみながらまた眠りにつかせてやらなければならない。それまでは悧羅と共に自分も休んでおこう、と悧羅の髪に顔を埋めて紳も目を閉じた。
そして紳の予感は正しかった。小さな物音だけでなく、魘されて弾かれたように目を覚ましてしまう悧羅を都度引き止めて、紳はその身を自分の物にした。大丈夫だ、と繰り返しながら情を交わすとその疲れで悧羅は微睡む。それを数回繰り返した頃には外はもう明るかった。結局あまり眠ることの出来なかった悧羅をもう一度最後に自分のものにして、またしばらく共に休むと目を覚ました時に陽は高く昇っていた。
先に目を覚ました悧羅が起き上がると紳がそれを引き止めるように動いた。掴れた腕に手を当てると紳がゆっくりと目を開ける。
「もう少し寝ておればよろしかろうに。紳も妾のためにあまり眠れておらなんのであろ?」
起き上がって悧羅を引き寄せる紳に声をかけると、悧羅もでしょ、と悧羅に口付ける。
「眠るなら一緒に眠ろうよ。…どうせまだ後始末してるだろ」
「…であるならば手を貸さねばなるまいよ。妾が行って参る故、紳は休んでおりや」
笑う悧羅に、それは駄目、と紳が布団に押し倒した。ぽすり、と布団に戻されると同時に悧羅は深く口付けられる。
「悧羅は頑張ったんだから、ゆっくりしてていいの。俺が悧羅が居ないと眠れないの知ってるでしょ?少し一緒にゆっくりしようよ。話があるなら乗り込んでくるって」
笑いながら腕の中に包まれて精気を送られると、悧羅が大きく息をついた。ほらまだ疲れてる、と笑う紳も欠伸をしている。悧羅に付き合って起きては情を交わして眠るを繰り返したのだから紳の方が疲れているだろうに、と苦笑しながら悧羅は目を閉じた。すぐに微睡みが悧羅と紳の身体を包む。ようやくまとまった眠りにつけるようだ、と思う悧羅の意識は深く沈んでいった。
次に目を覚ました時はすでに部屋は暗くなりかけていた。先に目を覚ましたのは紳だったようだが、悧羅が起きるまでは、と抱きしめておいてくれていたようだ。
「少しは眠れたみたいだね」
目を開けた悧羅の額に口付けて言う紳に、其方がおってくれたからであろうな、と悧羅が言うと破顔している。湯でも使いに行こうか、と誘われて悧羅も頷いた。悪夢に魘されたことと、起きるたびに情を交わしていたのだ。汗で少しばかり身体が気持ち悪かった。寝間着に袖を通して自室を出ると夜風が心地良く肌を撫でていく。湯殿に向かって歩いていると、縁側に座る子ども達が見えた。紳と悧羅を見つけると走り寄ってくる皓滓、灶絃、玳絃を二人は抱き止める。妲己も悧羅を見つけると走り寄ってきて、ご無事で何より、と擦り寄ってきた。その頭を撫でながら、変わりはなかったか尋ねる。
悧羅と紳がいない間の護りは妲己に任せていた。間諜をしていてくれた佟悧を護ることはもちろんだが、下の子ども達三人を置いていくことになるからだ。
“案じられていたことは何一つとしてございませんでした。主は、その…”
言葉を濁す妲己に、紳がおったに、と笑うと、ならばよしでございますね、と尾を振っている。うん、と頷いていると紳が上の子三人の近くまで歩いている。眠れたか?、と聞く紳に、ぐっすりとね、と媟雅、忋抖、啝珈が笑って応えた。
「後始末まで手伝ってきたから戻ったの明け方だったけどね」
話す啝珈の側に皓滓と妲己を連れて歩み寄ると、お疲れ様、と悧羅を子ども達が労った。後始末までしてくれたのか、と苦笑する悧羅に、それくらいはね、と三人は笑っている。
「難儀であっただろうに」
「母様ほどじゃないから大丈夫だよ」
媟雅が悧羅を労るように言った。そこには身体的なものだけではなく、心の事も含めたのだがそれも悧羅には伝わったようで、すまぬな、と微笑みが返ってきた。ううん、と首を振りながら、そういえば、と思い出したように忋抖が言う。
「荊軻さんが母様起きたら教えてって言ってた。俺ちょっと行ってくるよ。母様達、湯を使いたいでしょ?ゆっくり来てもらえるように伝えとく」
手を振りながら立ち上がる忋抖に佟悧も付いていく、と言い出している。宮から出るな、と言っておいたので外に出たいのだろう。いい?、と聞かれて、荊軻の場までなら、と悧羅は許しを出した。やったぁ!、と喜ぶ佟悧は忋抖の腕に自分の腕を絡ませて歩いていく。後ろ姿を見送っていると、早く入っておいでよ、と媟雅と啝珈が紳と悧羅から弟達を引き取ってくれる。行こうか、と紳に手を引かれて悧羅も共に湯殿に向かう。
早めに身体を清めて湯を使っていると、紳が苦笑しだす。
「佟悧の欲しがってる褒美ってもしかしたらさぁ」
湯に浸かって悧羅を膝に乗せながら笑う紳に悧羅も苦笑する。それは悧羅も何とはなしに気づいたことだ。
「あながち間違うてはおらぬやもしれぬな。さて忋抖が何というやら」
「契るとかの話じゃなければ喜ぶかもね」
それを知らされるっていうのも変な話だけど、と小さく笑い続ける紳と共に悧羅は湯から上がって新しい寝間着に袖を通した。自室に戻ると加嬬が待ってくれていた。寝所を整えてくれた後そのまま待ってくれていたのだろう。鏡台の前に座った悧羅の髪の水気を丁寧にとって、櫛削ってくれる。軽くまとめてくれてくれた加嬬に礼を言っていると紳が上衣を持ってきた。
「皆に会うんだったらちゃんと着ててよ」
おやおや、と悧羅が笑うと加嬬も笑っている。
「旦那様は長のお身体を見せる事が嫌でたまらないのですよ」
「そらそうでしょ。俺以外に見せるなんてありえないよ。寝間着姿だって見せたくないんだよ、本当は」
頬を膨らませる紳から上衣を受け取って羽織ると悧羅は立ち上がった。紳と共に廊下に出ると、もう待ってもらってるよ、と忋抖が立ち上がった。続くように媟雅と啝珈、佟悧まで立ち上がって悧羅は加嬬に下の子ども達の事を頼んだ。
「妲己も共にゆくのであろ?」
“無論”
粛清の場にはついていけなかったのだ。どのような事があったのか、それによってこれから悧羅がどのように苦しむのかを妲己は知っておきたかった。擦り寄る妲己を撫でると、行こうか、と紳が悧羅の手を取った。
15時くらいから落ちるように爆睡してしまいました。
もう少し早く更新できる予定だったのですが。
まだまだ頑張ります。
お楽しみいただけましたか?
ありがとうございました。