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辛酸《シンサン》

ギリギリラインがありますので、苦手な方はご注意下さい。

十四の者と一つの(コウベ)捕縛(ホバク)して枉駕(オウガイ)荊軻(ケイカツ)(アタ)り一面に広がる血の海と(ムクロ)の山を(ナガ)めて大きく嘆息(タンソク)した。出来るだけ手を(ヨゴ)すな、という悧羅(リラ)(メイ)で二人も隊士達(タイシタチ)(オソ)いかかってくる者、逃げ出そうとする者だけにその(ヤイバ)()るった。数にしては数百、多く見積(ミツ)もって千といった所だろう。あとの九千(アマ)りを悧羅(リラ)は一人で粛清(シュクセイ)した。感情を出すことをせずただひたすらに命を()り取っていくその姿を見るのは、実に300年ぶりだった。()り取った命をその身に背負(セオ)うように返り血を()びながら粛々(シュクシュク)(オサ)(ツト)めを果たす姿は(イタ)ましく、見ている荊軻(ケイカツ)枉駕(オウガイ)の方が胸を()め付けられる。


300年前まではまだ里も落ち着かず若い鬼女(キジョ)である悧羅に対して先代(センダイ)(ゴウ)背負(セオ)わせようとする(ヤカラ)も多くいた。その都度(ツド)粛清(シュクセイ)という名の(モト)民達(タミタチ)の命を()り取る悧羅は決して(ジュツ)鬼火(オニビ)で焼き(ハラ)おうとはしない。悧羅であればわざわざ体術(タイジュツ)武具(ブグ)を使わずとも(マバタ)きの間に消し去る事ができるのだが、必ずその手で肉を切り裂きにいく。その手で命を(ウバ)った者たちが確かに居たのだとその身に(キザ)むように。当時から荊軻(ケイカツ)枉駕(オウガイ)に出来るだけ手を(ヨゴ)すな、と言っていたがそれも変わってはいなかった。


久しぶりに見る悧羅の姿はやはり哀愁(アイシュウ)懺悔(ザンゲ)哀悼(アイトウ)に満ちていた。苦悩(クノウ)もあるだろうに、(マヨ)うな、と自分に言い聞かせるように(ヤイバ)()るう悧羅の姿を見ながら荊軻(ケイカツ)に護られながらも(オソ)いかかってくる者たちを()り捨てる媟雅(セツガ)忋抖(カイト)啝珈(ワカ)が小さく、母様(カアサマ)、と(ツブヤ)いた声が(カナ)しそうだった。そしてそれは悧羅の伴侶(ハンリョ)である(シン)も同様だったようだ。紳が近衛隊隊長(コノエタイタイチョウ)()いた時には里は平穏(ヘイオン)に向かっていた。(ユエ)粛清(シュクセイ)を行う悧羅の姿を見るのは初めてのことだ。助力(ジョリョク)に向かおうとする紳の腕を枉駕(オウガイ)(ツカ)んで止めた事で、悲痛(ヒツウ)な表情をしながら悧羅の姿を見守ることにしたようだった。


()()りになり逃げ(マド)う者たちを集めて()り取った者たちの返り血を()びる悧羅に、(オサ)って(オモ)いんだね、と子ども達がぽつりと言うと、紳も無言で(ウナズ)いていた。


捕縛(ホバク)を隊士達に(マカ)せ、(コウベ)だけになった姍寂(サンジャク)に背を向けた悧羅はしばらくの間、自分が()りとった(ムクロ)の山をじっと見つめて動かず、口も開かなかった。その背中を見ていることしか出来ないでいる紳と子ども達に枉駕(オウガイ)が、これが(ツネ)であったよ、と伝えると何とも(イタ)ましい顔をしていた。

荊軻(ケイカツ)も又、小さく息をついて紳の肩を叩いた。


後始末(アトシマツ)はお任せくださいませ。…まずは(オサ)をお(タノ)み申し上げます」


(ウナズ)く紳に微笑んで、(オサ)、と荊軻(ケイカツ)は声をかけた。ゆっくりと振り向いた悧羅に(ツカ)れを(イヤ)すように伝えると(コマ)ったような小さな笑いが聞こえた。紳様、と荊軻(ケイカツ)(ウナガ)すと紳が悧羅に歩み寄ってその身体を抱き上げた。(ヨゴ)れる、と降りようとする悧羅を(ダマ)ったまま抱きとめて、あとは(タノ)む、と言い残すと()け上がっていった。共に行くものだとばかり思っていた子ども達が残っていることに首を(カシ)げた荊軻(ケイカツ)に、最後まで手伝う、と言葉が返ってきた。予想(ヨソウ)(ハン)した言葉であったが、そうですか、と柔らかく微笑んで荊軻(ケイカツ)は隊士達の中に混ざるように伝える。小さく、だがしっかりと(ウナズ)いた三人が隊士達と共に後始末(アトシマツ)をしている姿を見守る。


「…本当に大きくなられたな」


共に子ども達を見守る枉駕(オウガイ)が隣に立って(ツブヤ)いた。そうですね、と荊軻(ケイカツ)も同意する。悧羅の背負(セオ)重責(ジュウセキ)苦渋(クジュウ)辛酸(シンサン)。それを()の当たりにして彼らが何を思い何を()たのかは、この姿を見れば明らかだった。


「…(オサ)はまた、ご自分を()められるであろうな」


それにも荊軻(ケイカツ)は、そうですね、と(コタ)える。だがこれまでとは違うことがある。


「ですが、紳様がおられます。(オサ)私共(ワタクシドモ)の知らぬ所でお一人で泣かれておられるなどということは、もうございませんよ」


「そうだな。…そうあって欲しいものだ」


大きく息を吐いて枉駕(オウガイ)は空を(アオ)いだ。


今頃は宮に着いているだろうか。

もう()り取った命の重さを脱いでくれているだろうか。


紳が()けて行った方角を見つめながら、どうか(オサ)(イタ)みが少しでも(ヤワ)らいでいてくれることを(イノ)るしかなかった。





___________________________________


返り血で真っ赤に染まった悧羅の身体を抱いて紳は(ミヤ)へと降り立つと、待ち(カマ)えていたような磐里(バンリ)加嬬(カジュ)の姿があった。紳と悧羅を見留(ミトド)めると深く礼を取って、露天(ロテン)支度(シタク)を整えております、と言葉少なに伝えてくれる。これまでも同じ姿を何度も見てきているからだろう、と紳も(ウナズ)いてそのまま中庭を突っ切って露天(ロテン)へと入る。


露天の(アラ)い場でようやく悧羅を降ろすと、返り血で重くなった(コロモ)()ぎ取った。ずっしりとした(コロモ)はともすれば悧羅の身体よりも重かった。()ぎ取ったそばから(コロモ)を投げ捨てて肌を(アラワ)にするがそこにあるはずの()けるようないつもの白い肌は無かった。あるのは返り血で染まった赤黒い肌。その姿に(マユ)を寄せて紳は自分の(コロモ)も手早く脱ぎ去ると、悧羅の手を引いて洗い場に座らせた。


「自分でできる」


苦笑したような悧羅の声に、駄目(ダメ)だ、と言い置いて何度も何度も湯を掛けて悧羅の身体に(マト)わりついた返り血を洗い流す。何十回と()り返してようやくいつもの(ムラサキ)の髪が見え始めた。身体も同じように清めてやっと知っている悧羅の姿が見えて紳は大きく息をついた。紳のしたい様にさせていた悧羅が白さを取り戻した手を()いでいるのを見て、どうしたの?、と紳も自分を清めながら(タズ)ねる。無意識(ムイシキ)粛清(シュクセイ)の後に行っていたことをしてしまった事に悧羅は、いや、と小さく笑って今度は自分で身体を清め始める。


「…血の(ニオ)いがな…。残っておるような気がしただけじゃ」


自分の身体を清める手を止めて紳は悧羅の身体に顔を近づけた。紳?、と身体を清めながら悧羅が名を呼ぶ。それには応えずに顔を離して、大丈夫だよ、と紳は悧羅の頭を()でた。顔を近づけても血の(ニオ)いなどせず、ただいつもの悧羅の甘い(ニオ)いがするだけだ。そうか、と小さく笑いながらも悧羅は自分の身体を清めながら知らぬ内に身体に残った(ニオ)いがないか確かめてしまう。


粛清(シュクセイ)の後も望まぬ夜伽(ヨトギ)を繰り返していた時もそうだった。どんなに清めても身体から()びた血の(ニオ)いや、(イダ)かれた男の(ニオ)いが立ち(ノボ)る気がするのだ。それを感じる(タビ)苦痛(クツウ)後悔(コウカイ)とで込み上げてくる嘔気(ハキケ)もつきまとって、()()妲己(ダッキ)にしがみついていた。思い出しながら身体を清めていると紳が悧羅の手を取った。首を(カシ)げる悧羅に、やりすぎだよ、と紳が(カナ)しい顔をしている。何のことか分からない悧羅の手から手拭(テヌグ)いを(ウバ)いとって紳が湯を掛けてくれた。


よく見ると身体中真っ赤になっている。どうやら思い出して(ムカシ)のように力をいれていたらしい。赤くなった身体を見ながら苦笑してしまう悧羅の身体にふわりとした手拭(テヌグ)いがかけられた。(カワ)いたそれで髪を拭いていると寝間着(ネマギ)を着た紳が悧羅の身体を()き始めた。粗方(アラカタ)水気(ミズケ)を拭き取って、まだしっとりと()れている悧羅の身体を寝間着(ネマギ)(ツツ)むとそのまま抱き上げる。


「まだ()れておるに」


持っていた手拭(テヌグ)いも(ウバ)い取られて苦笑する悧羅に紳は、いいの、と小さく笑う。寝間着(ネマギ)(ソデ)も通さずぐるりと巻いた悧羅を自室まで運んで紳はそのまま寝所(シンジョ)に悧羅を横たえた。自分の寝間着(ネマギ)を脱いで横たえた悧羅を(ツツ)んでいた寝間着(ネマギ)(メク)ると赤くなった肌に自分を(カサ)ねる。水気(ミズケ)の取り切れていない悧羅の頭を()でると髪が冷たくなっていた。


きょとり、として紳を見る悧羅に深く口付けて、その細い身体を強く抱きしめた。


「大丈夫。血の(ニオ)いなんてしないよ。俺が好きな悧羅の(ニオ)いしかしない」


(クチビル)を離す代わりに(ヒタイ)をつけて紳が言うと、悧羅が困ったように微笑んだ。紳も微笑みながら悧羅を抱きしめる腕に(サラ)に力を込める。悧羅が余計なことを考えなくて済むようにそのまま(イツク)しみ始めた。まだ粛清(シュクセイ)名残(ナゴリ)(コワ)ばったような悧羅の身体を(ユル)ませるように、いつもよりも大切に、いつもよりも丁寧(テイネイ)に想いを(ソソ)いでいく。

次第(シダイ)(ユル)んだ悧羅を見ながら中に入り込むと紳を(タギ)らせる悧羅の声が耳に届く。紳の動きに合わせるように悧羅もゆっくりと(ノボ)っていくのが分かって、自分だけのものだ、という思いが紳に降り積もる。


甘い声も紳に(コタ)えて(ウル)む目も顔も。


荒れる息の中から名を呼ばれて紳はくすりと笑いながら悧羅に口付ける。()()()果てる前に必ず悧羅がせがむことだからだ。口付けたまま動きを早めるとくぐもった甘い声と共に悧羅の身体がびくりと大きく震えた。そのまま(クチビル)を離さずにますます動きを速めると、(コラ)え切れないように(フタタ)び悧羅の身体が()ねて大きく()りあがる。無意識(ムイシキ)の内に逃げようとする悧羅を強く抱きしめて引き留め、ようやく(クチビル)を離すとくぐもっていた甘い声がはっきりと聞こえた。その甘すぎる声に紳も(コラ)えきれずに悧羅の中で果てる。奥深くで吐き出されて震える悧羅の身体を抱きしめ直すとくったりとその身を紳に預ける悧羅がいた。


それを笑って見やりながら紳は悧羅に軽く口付けて汗で顔に張り付いた髪を()いてやる。悧羅の息が少し整ってから紳は気になっていたことを(タズ)ねた。


()()()()()()()()()()()()?」


はて?、と悧羅がきょとりとする。


粛清(シュクセイ)か?…まあ、そうだの。手を(ヨゴ)すは(ワラワ)だけで良いからの。とは言え、少しばかりは皆の手も(ヨゴ)してもらわねばならぬのじゃがな」


息を整えて小さく笑う悧羅に、そっちじゃないよ、と紳が言う。粛清(シュクセイ)の事を聞かれたとばかり思っていた悧羅は、またきょとりとしてしまう。


()()()()()()()()()


「そのあと?」


良く分からずに悧羅は考えを(メグ)らせた。自分の手で粛清(シュクセイ)した(ムクロ)(ナガ)めていたことだろうか?この(ムクロ)の上に自分は立っているのだと、目に焼き付けていることを紳は言っているのか?


「…(アヤ)めた数くらい忘れてはならぬからの…」


(コタ)える悧羅に、それも違う、と紳が苦笑している。


「身を清めることだよ」


ようやく紳が教えてくれて悧羅は、それかえ、と苦笑するよりない。無意識(ムイシキ)の内に血の(ニオ)いを()ぎ赤くなるほど身体を(コス)る悧羅を見てしまったのだ。紳が不可思議(フカシギ)に思うのは当たり前のことだろう。小さく息を吐いて、そうだの、と悧羅は苦笑を深めた。


「どうしても血の(ニオ)いや(ヌメ)りが残っておるように思えてな。ついやり過ぎてしまう。(オドロ)かせてしもうてすまなんだ」


紳の(ホオ)()れて微笑む悧羅に、粛清(シュクセイ)(アト)だけ?、と何かを見透(ミス)かしたような声が降った。少しばかり目を見開く悧羅に、教えて?、と紳が()う。どうやら誤魔化(ゴマカ)しは効かないようだ、と悧羅は大きく嘆息(タンソク)した。


「…紳と夜伽(ヨトギ)()わす前までは(ジョウ)(アト)はそうしておった。…とはいえ血が流れるまで(アラ)い清めておったは初めの200年ほどであったな。紳が妾の(モト)に来てくれる前は少しばかり落ち着いておったに」


「…やっぱりそうだった…」


(コタ)えた悧羅に紳は大きく息をついて深く口付けた。細すぎる身体を強く抱きしめて(クチビル)を離すと悧羅の肩に顔を(ウズ)める。


「…ごめん…」


顔を(ウズ)めたままで(シボ)り出すように()びる紳の背中に悧羅が腕を廻した。気にするでない、と(ヤワ)らかな声で悧羅が言うが顔を(ウズ)めたまま紳は頭を振る。悧羅は無意識(ムイシキ)に行っていたのだろうが、紳の目には自分が手を離した後の悧羅がそこに見えたのだ。夜伽(ヨトギ)の後に泣きながら一心不乱(イッシンフラン)に身体を清めていたであろう悧羅の姿が見えて、やはり手を離すべきでは無かったのだ、と心が痛んだ。


「俺があの時悧羅の手を離さなかったら、あんな思いさせずにすんだのに…。本当にごめんな…」


()び続ける紳に悧羅は、過ぎたことだ、と笑った。それでも()びる紳の名を悧羅が呼ぶ。


(ワラワ)を見てたも」


()(ネガ)うように悧羅が言うとようやく紳が顔を上げた。後悔(コウカイ)の色が浮かぶ紳の目を見つめて悧羅はその(ホオ)(ツツ)む。そのまま引き寄せて口付けた。


「過ぎたことを気に()んでくれるな。今こうしておれることの(ホカ)(サイワイ)なことなどない。紳は(チゴ)うておるのかえ?」


問われて紳は大きく頭を振った。こうできることだけを願っていたのだ、と伝えると、同じじゃよ、と悧羅が笑う。


「妾とて紳の腕に(ツツ)まれる日が来ることを夢見ておったに。十年前に(チコ)うたであろ?()()()()()()()()()()ではないか、と」


うん、と今度は紳から悧羅に口付ける。


そうだった。

過ぎてしまったこと、紳が悧羅にしてしまったことは変えられない。だからこそ里を移したこの場所で、あの(ミズウミ)瓜二(ウリフタ)つの場所で二度目の(チギ)りともいえる(チカ)いを()わしたのだ。


「全て終われば子ども達が紳と妾のことを聞きたいと()うておったでの。紳も思い(ナヤ)んでおったのであろうの。…気づいてやれなんだな」


すまぬ、と微笑む悧羅に紳ははっとする。粛清(シュクセイ)という悧羅が一番苦しむことをさせた後に(イヤ)すどころか心配をかけてしまっているではないか。


何やってんだ、と紳は(クチビル)()んだ。


粛清(シュクセイ)を行う前にどれほど悧羅が(ナヤ)み苦しんでいたのかを知っているのは紳だけだ。護るべき民達(タミタチ)の命を(ミズカ)らの手で(アヤ)めることに心を痛めて飲み込めず泣く悧羅を自分が(ササ)えるから大丈夫だ、と抱きしめたのではなかったか?


一万近い民達を(ジュツ)鬼火(オニビ)も使わず、自分の手だけて(アヤ)めて返り血も()けない悧羅の姿に、その命を忘れずにいるためなのだ、という強い思いが(チギ)りの(キズ)から流れ込んだ。残った者たちを隊士達が捕縛(ホバク)している間も悧羅は静かに自分が(アヤ)めた後の(ムクロ)を見つめ続けていた。粛清(シュクセイ)という名であれど苦しくて(クヤ)しくて自責(ジセキ)(ネン)(ツブ)されてしまいそうな背中だった。


一刻(イッコク)も早く()やさなければ悧羅が落ち着いて泣くことも出来ないと思って全速力(ゼンソクリョク)()け戻ってきたのに、紳の方が(ナグサ)められ(イヤ)されているなど、(ツレアイ)としてどうなのだ?


はあ、と大きく溜め息をついて紳はもう一度、ごめん、と()びた。


「だから()びてくれるな」


笑う悧羅に、そっちじゃないんだ、と紳が苦笑した。おや?、と首を(カシ)げる悧羅の(ヒタイ)を優しく()でる。


「やりたくなくてそれでもやらなきゃならなかった悧羅の気持ちを置き去りにしてた。俺が支えなきゃいけなかったのに、逆に支えられた。ごめんな」


(ヒタイ)に口付ける紳に悧羅は、それが(ツレアイ)というものであろう?、と優しく微笑む。そうだね、と返して紳は、だから、と続けた。


「だから今度は俺が悧羅を支えるよ。…我慢(ガマン)してたろ?もう泣いていいよ。俺しかいないんだから、思いっきり甘えていい」


悧羅の頬を両手で(ツツ)むと、じわり、と悧羅の目に涙が浮かぶ。


「こっちが先だったのに…。ごめんな」


微笑む紳の顔がどんどん(ニジ)んで、悧羅ははらはらと涙を流し始める。


「…もう、良いのかえ…?」


「うん。もういいよ」


「…もう、甘えてもよいのか?」


「どれだけでも。半分は俺が背負(セオ)うんだから(カク)さなくていいんだよ」


そうか、と(ツブヤ)いて悧羅は強く紳に抱きついた。


_______________________________ 刹那。


悧羅の鳴き声が響く。


どうしてもっと他の手立(テダ)てを(サガ)せなかったのか。

どうしてもっと早くに気づいていなかったのか。

そうすれば一万もの若い民達を手にかけることなどしなくても良かったはずなのに。

何より、悧羅が(アヤ)めた者の家族に何といって()びれば良いのだ。


「どうしたらよかったのだっ!」


紳にしがみついて泣きじゃくる悧羅の身体を紳は子どもをあやすように()で続ける。


「これしかなかったんだよ。これが最良(サイリョウ)だった。悧羅だけの(ゴウ)じゃないよ。俺の(ゴウ)でもあるんだから、背負(セオ)いすぎちゃだめだ」


何度も何度も(サト)すように紳は言い続けた。


大丈夫だ、と。


「俺がいる。誰が何を言っても俺が悧羅を信じてる。大丈夫だ」


繰り返すように言い聞かせてどれくらいの(ジカン)()ったのかはわからない。泣き叫んでいた悧羅の声が徐々(ジョジョ)に小さくなって小さくしゃくりあげ始めた。それでも腕の中から出すことをせずに、紳はその細い背中を撫で続ける。しゃくりあげていた声も止んで、そっと悧羅の顔を(ノゾ)くと泣き()らした目は閉じられていた。泣き声の代わりに小さな寝息(ネイキ)が聞こえて、紳はもう一度悧羅を抱きしめ直した。どうやら泣き(ツカ)れてしまったようだ。だがきっと眠りは浅いだろう。近頃(チカゴロ)の悧羅はほんの少しの物音や、夢見(ユメミ)の悪さなどでしっかりと眠れてはいないようだった。


きっと今夜はもっと悪夢(アクム)(ウナ)される。


その時に、また大丈夫だ、と紳は言ってやらねばならない。悧羅から血の(ニオ)いなどしないのだ、と(イツク)しみながらまた眠りにつかせてやらなければならない。それまでは悧羅と共に自分も休んでおこう、と悧羅の髪に顔を(ウズ)めて紳も目を閉じた。


そして紳の予感は正しかった。小さな物音(モノオト)だけでなく、(ウナ)されて(ハジ)かれたように目を覚ましてしまう悧羅を都度(ツド)引き止めて、紳はその身を自分の物にした。大丈夫だ、と繰り返しながら(ジョウ)()わすとその疲れで悧羅は微睡(マドロ)む。それを数回繰り返した頃には外はもう明るかった。結局あまり眠ることの出来なかった悧羅をもう一度最後に自分のものにして、またしばらく共に休むと目を覚ました時に()は高く(ノボ)っていた。


先に目を覚ました悧羅が起き上がると紳がそれを引き止めるように動いた。(ツカマ)れた腕に手を当てると紳がゆっくりと目を開ける。


「もう少し寝ておればよろしかろうに。紳も妾のためにあまり眠れておらなんのであろ?」


起き上がって悧羅を引き寄せる紳に声をかけると、悧羅もでしょ、と悧羅に口付ける。


「眠るなら一緒(イッショ)に眠ろうよ。…どうせまだ後始末(アトシマツ)してるだろ」


「…であるならば手を貸さねばなるまいよ。妾が行って(マイ)(ユエ)、紳は休んでおりや」


笑う悧羅に、それは駄目(ダメ)、と紳が布団(フトン)に押し倒した。ぽすり、と布団に戻されると同時に悧羅は深く口付けられる。


「悧羅は頑張(ガンバ)ったんだから、ゆっくりしてていいの。俺が悧羅が居ないと眠れないの知ってるでしょ?少し一緒にゆっくりしようよ。話があるなら乗り込んでくるって」


笑いながら腕の中に包まれて精気(セイキ)を送られると、悧羅が大きく息をついた。ほらまだ(ツカ)れてる、と笑う紳も欠伸(アクビ)をしている。悧羅に付き合って起きては(ジョウ)()わして眠るを繰り返したのだから紳の方が疲れているだろうに、と苦笑しながら悧羅は目を閉じた。すぐに微睡(マドロ)みが悧羅と紳の身体を包む。ようやくまとまった眠りにつけるようだ、と思う悧羅の意識は深く(シズ)んでいった。


次に目を覚ました時はすでに部屋は(クラ)くなりかけていた。先に目を覚ましたのは紳だったようだが、悧羅が起きるまでは、と抱きしめておいてくれていたようだ。


「少しは眠れたみたいだね」


目を開けた悧羅の(ヒタイ)に口付けて言う紳に、其方(ソナタ)がおってくれたからであろうな、と悧羅が言うと破顔(ハガン)している。湯でも使いに行こうか、と(サソ)われて悧羅も(ウナズ)いた。悪夢に(ウナ)されたことと、起きるたびに(ジョウ)()わしていたのだ。汗で少しばかり身体が気持ち悪かった。寝間着(ネマギ)(ソデ)を通して自室を出ると夜風(ヨカゼ)心地良(ココチヨ)く肌を撫でていく。湯殿(ユドノ)に向かって歩いていると、縁側(エンガワ)に座る子ども達が見えた。紳と悧羅を見つけると走り寄ってくる皓滓(コウサイ)灶絃(ソウゲン)玳絃(タイゲン)を二人は抱き止める。妲己(ダッキ)も悧羅を見つけると走り寄ってきて、ご無事(ブジ)で何より、と()り寄ってきた。その頭を撫でながら、変わりはなかったか(タズ)ねる。

悧羅と紳がいない間の護りは妲己に(マカ)せていた。間諜(カンチョウ)をしていてくれた佟悧(トウリ)を護ることはもちろんだが、下の子ども達三人を置いていくことになるからだ。


(アン)じられていたことは何一つとしてございませんでした。(アルジ)は、その…”


言葉を(ニゴ)す妲己に、紳がおったに、と笑うと、ならばよしでございますね、と尾を振っている。うん、と(ウナズ)いていると紳が上の子三人の近くまで歩いている。眠れたか?、と聞く紳に、ぐっすりとね、と媟雅(セツガ)忋抖(カイト)啝珈(ワカ)が笑って応えた。


後始末(アトシマツ)まで手伝ってきたから戻ったの明け方だったけどね」


話す啝珈(ワカ)の側に皓滓(コウサイ)と妲己を連れて歩み寄ると、お疲れ様、と悧羅を子ども達が(ネギラ)った。後始末(アトシマツ)までしてくれたのか、と苦笑する悧羅に、それくらいはね、と三人は笑っている。


難儀(ナンギ)であっただろうに」


母様(カアサマ)ほどじゃないから大丈夫だよ」


媟雅(セツガ)が悧羅を(イタワ)るように言った。そこには身体的なものだけではなく、心の事も含めたのだがそれも悧羅には伝わったようで、すまぬな、と微笑みが返ってきた。ううん、と首を振りながら、そういえば、と思い出したように忋抖(カイト)が言う。


荊軻(ケイカツ)さんが母様(カアサマ)起きたら教えてって言ってた。俺ちょっと行ってくるよ。母様(カアサマ)達、湯を使いたいでしょ?ゆっくり来てもらえるように伝えとく」


手を振りながら立ち上がる忋抖(カイト)佟悧(トウリ)も付いていく、と言い出している。宮から出るな、と言っておいたので外に出たいのだろう。いい?、と聞かれて、荊軻(ケイカツ)の場までなら、と悧羅は許しを出した。やったぁ!、と喜ぶ佟悧(トウリ)は忋抖の腕に自分の腕を(カラ)ませて歩いていく。後ろ姿を見送っていると、早く入っておいでよ、と媟雅(セツガ)啝珈(ワカ)が紳と悧羅から弟達を引き取ってくれる。行こうか、と紳に手を引かれて悧羅も共に湯殿(ユドノ)に向かう。


早めに身体を清めて湯を使っていると、紳が苦笑しだす。


佟悧(トウリ)()しがってる褒美(ホウビ)ってもしかしたらさぁ」


湯に()かって悧羅を膝に乗せながら笑う紳に悧羅も苦笑する。それは悧羅も何とはなしに気づいたことだ。


「あながち間違(マチゴ)うてはおらぬやもしれぬな。さて忋抖(カイト)が何というやら」


(チギ)るとかの話じゃなければ喜ぶかもね」


それを知らされるっていうのも変な話だけど、と小さく笑い続ける紳と共に悧羅は湯から上がって新しい寝間着(ネマギ)(ソデ)を通した。自室に戻ると加嬬(カジュ)が待ってくれていた。寝所(シンジョ)を整えてくれた後そのまま待ってくれていたのだろう。鏡台(キョウダイ)の前に座った悧羅の髪の水気を丁寧(テイネイ)にとって、櫛削(クシケズ)ってくれる。軽くまとめてくれてくれた加嬬(カジュ)に礼を言っていると紳が上衣(ウワゴロモ)を持ってきた。


「皆に会うんだったらちゃんと着ててよ」


おやおや、と悧羅が笑うと加嬬も笑っている。


旦那様(ダンナサマ)(オサ)のお身体を見せる事が嫌でたまらないのですよ」


「そらそうでしょ。俺以外に見せるなんてありえないよ。寝間着姿(ネマギスガタ)だって見せたくないんだよ、本当は」


(ホオ)(フク)らませる紳から上衣(ウワゴロモ)を受け取って羽織(ハオ)ると悧羅は立ち上がった。紳と共に廊下(ロウカ)に出ると、もう待ってもらってるよ、と忋抖(カイト)が立ち上がった。続くように媟雅(セツガ)啝珈(ワカ)佟悧(トウリ)まで立ち上がって悧羅は加嬬に下の子ども達の事を頼んだ。


「妲己も共にゆくのであろ?」


無論(ムロン)


粛清(シュクセイ)の場にはついていけなかったのだ。どのような事があったのか、それによってこれから悧羅がどのように苦しむのかを妲己は知っておきたかった。()り寄る妲己を撫でると、行こうか、と紳が悧羅の手を取った。

15時くらいから落ちるように爆睡してしまいました。

もう少し早く更新できる予定だったのですが。


まだまだ頑張ります。

お楽しみいただけましたか?

ありがとうございました。

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