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動く《ウゴク》

良いお天気ですね。

うちの子どもたちは、良い天気すぎるよ!となぜか怒っております。

佟悧(トウリ)から(アズ)かった文書(モンジョ)から、荊軻(ケイカツ)はまずそれぞれの名と(キョ)が正しいかを調べさせた。(シン)枉駕(オウガイ)(シン)()て初めからその(ニン)()かされていた数名の隊士達(タイシタチ)は丸一日でそれらを調べ上げ荊軻(ケイカツ)(シラ)せを持ってきた。周りに気取(ケド)られないよう普段(フダン)(ツト)めも行いながらであるのに、その速さに荊軻(ケイカツ)は満足するよりない。全ての名と(キョ)だけでなく顔をまで(アラタ)めたと言われた時には、あまりに無謀(ムボウ)ではなかったかと(タシナ)めたけれど隊士達はけろりとしている。


(オサ)が里に()りられるようになられてからは、我々(ワレワレ)民達(タミタチ)に困っておることなどはないか、と(タズ)ねるようになっておりましたので。話しておりますれば向こうから近付いて(マイ)りました。(オサ)はどうしておられるのか、と。つつがなく、と(コタ)えておきましたが(オサ)の周囲の状況(ジョウキョウ)を知り()たいのが見え見えでございました」


一応(イチオウ)間諜(カンチョウ)のつもりだったのでしょう、と隊士達は皆可笑(オカ)しそうに笑った。


「あのように見え見えで来られては笑いを(コラ)えるのが大変でした。あの程度の者たちが集まっているのだとしたら、(オサ)が出られるまでもございませんよ」


思い出してまた笑い始める隊士達に、決して気取(ケド)られないで下さいよ、と荊軻(ケイカツ)(ネン)を押した。笑うのは(カマ)わないが此方(コチラ)の動きを知られるわけにはいかないのだ。それには、承知(ショウチ)しております、と隊士達が頭を下げる。


「それに今回ばかりは(オサ)に出ていただかねばならないのですよ。不穏(フオン)の芽は早く()っておくにこしたことはございません。それにこれは(オサ)に対しての冒涜(ボウトク)でもありますから、絶対的な力の差を見せつけて畏怖(イフ)でも植え付けなければ、また同じような(オロ)か者が出てくるかも知れませんからね」


やれやれ、と息をつく荊軻(ケイカツ)に、なるほど、と隊士達も納得した。あとは数にして一万程の不穏(フオン)の芽をどうやって()りとって行くのか、が問題だ。人形(ヒトガタ)から()た事としては、仲間である事を示す(コト)()があること、鍛錬(タンレン)にくる者はその日によって様々であることが分かっている。毎回全ての鬼が集まってくれていれば良いものを、ばらけていては一度に全てを()らえることは(ムズカ)しい。だが、逆を言えば数が(ワズ)かに減っても疑われないということだ。(コト)()についても佟悧(トウリ)から聞いたものと一致(イッチ)した。『誅芙蓉(チュウフヨウ)』とはなんとも烏滸(オコ)がましい。


そして、この人形(ヒトガタ)がまた面白(オモシロ)いものであった。荊軻(ケイカツ)(アズ)かっているのだが夜になると矜焃(キョウカク)荽梘(スイカン)の姿に(テン)じ朝になるとまた荊軻(ケイカツ)(オサ)めている場に勝手に戻っている。荊軻(ケイカツ)()()()(マジナイ)には(ガク)が深い方だが一度晴明(セイメイ)に作り方を聞いておきたいものだ。もしもまたこのような(オロ)か者共が出てきた時に役に立つ。その頃には晴明(セイメイ)はいないだろうからまた(タヨ)る、というわけにはいかないだろう。晴明(セイメイ)のような面白(オモシロ)い者が出てきていれば話は別だが、あれ程の稀有(ケウ)な存在はそうそう出て来はしない。


とりあえず、これまでの事を(オサ)である悧羅(リラ)(シラ)せておくよりない。隊士達を帰して荊軻(ケイカツ)(ツト)めの場を出た。庭を歩いて宮に(ツウ)ずる戸を開け中に入る。迷う事なく廊下(ロウカ)辿(タド)ると悧羅の自室に(ツナ)がる廊下(ロウカ)に出た。自室の前で声をかけると、入りゃ、と(オダ)やかな声がした。戸が閉められていたので(シン)とまた(コモ)っているのかとも思ったがどうやら違ったようだ。戸を開けて中に入ると悧羅と妲己(ダッキ)(クツロ)いでいる。どうやら微睡(マドロ)んでいたようで目を(コス)る悧羅に、お(ツカ)れでございますか?、と声をかけながら荊軻(ケイカツ)三尺(サンシャク)ほど離れた場に()した。


「…このところ、(ネム)りが(アソ)うての…。なに、大事(ダイジ)ない」


小さな欠伸(アクビ)をする悧羅の姿に荊軻(ケイカツ)は少しばかり胸が痛んだ。この500年、(タミ)への粛清(シュクセイ)を行わなければならないとなると悧羅は必ず心を痛める。どうにか別の(サク)は無いかと考えてしまうことも知っている。(ツネ)に考え続けるため結果として(ネム)っていてもすぐに目を覚ましてしまうのだ。そしてそれは粛清後(シュクセイゴ)もしばらくは続く。後悔(コウカイ)自責(ジセキ)(ネン)にかられ、都度(ツド)()せていくのを荊軻(ケイカツ)は何度も見ている。そうせざるを得ないとはいえ、悧羅にとって粛清(シュクセイ)という名であっても民達(タミタチ)(ミズカ)らの手で(シイ)するのは苦痛でならないのだ。だからといって、悧羅はその役目を放棄(ホウキ)しようとはしない。(メイ)じれば、荊軻(ケイカツ)であれ、枉駕(オウガイ)であれ、(シン)であれ迷う事なく粛清(シュクセイ)に向かうというのに、(ヨゴ)さなくても良い手を悧羅は(ミズカ)(ヨゴ)す。まるで、その犠牲(ギセイ)の上に自分は立っているのだと言い聞かせるような姿で。


(トキ)が悪うございましたね。出直して(マイ)りましょうか?」


小さな嘆息(タンソク)と共に荊軻(ケイカツ)が言うが悧羅は、よい、と笑った。


其方(ソナタ)達が難儀(ナンギ)しておるに(ワラワ)が眠っておってもやるせないでな。何か分かったのであろ?」


問いかけに(ウナズ)荊軻(ケイカツ)に、(シバ)()て、と妲己(ダッキ)に子ども達を呼びに行かせている。悧羅の上の子ども達は今回の粛清(シュクセイ)同伴(ドウハン)することになっている。悧羅の(オサ)としての重圧(ジュウアツ)責務(セキム)、その苦渋(クジュウ)を知っておきたいのだという。


ほんとうに大きくなられた、と媟雅(セツガ)懐妊(カイニン)した時の悧羅の姿を思い浮かべて荊軻(ケイカツ)は小さく微笑(ホホエ)んだ。あの頃から悧羅の姿は変わらないが、美しさだけは日を追うごとに増している。目の前に座す悧羅を見て、少しお()せになられましたね、と荊軻(ケイカツ)が目を細めると、いつものことであろ、と悧羅は苦笑した。


「まあ、そうではございますがね…。あまり思い(ナヤ)みなされますな」


無駄(ムダ)なことだろうとは思うがそう声をかけると、分かっておる、と悧羅は苦笑を深くした。すでに六人の民の命が失われているのだ。悧羅が心を痛めていないはずなどない。しかも矜焃(キョウカク)荽梘(スイカン)亡骸(ナキガラ)は、まだそのままにしている。悧羅としては早めに(トムラ)ってやりたいだろうが、人形(ヒトガタ)を動かしている以上、亡骸(ナキガラ)を動かすわけにはいかなかった。小さく嘆息(タンソク)していると妲己が子ども達を連れて入ってきた。媟雅(セツガ)忋抖(カイト)啝珈(ワカ)。それに佟悧(トウリ)までいる。四人が悧羅の一段下に座り、妲己が悧羅に(ハベ)るのを見やって荊軻(ケイカツ)はこれまで分かったことを(シラ)せ始めた。


佟悧(トウリ)の持ってきた文書(モンジョ)(シル)されていた者たちの名と(キョ)、顔まで確かめたこと。

数にして一万程度であるが、全てが一同(イチドウ)(カイ)さないこと。

人形(ヒトガタ)に対しては疑念(ギネン)を持つ者は今のところいないこと。

荊軻(ケイカツ)達楊(タツヨウ)(ツウ)じて流した(イツワ)りの幽閉場所(ユウヘイバショ)に現れた者のこと。

そして、『誅芙蓉(チュウフヨウ)』の(コト)()


(イツワ)りの幽閉場所(ユウヘイバショ)に現れたのは二本角の鬼女(キジョ)一人でございました。予測(ヨソク)ではありますが、それが姍寂(サンジャク)という者でございましょう。中を確かめておったようですが、(ワタクシ)のかけた(マジナイ)には気がつけなかったようですね。…さもありなん、といったところですが…」


どんなに自分が(スグ)れているとはいえ一本角の荊軻(ケイカツ)周到(シュウトウ)にかけた(マジナイ)に、二本角の鬼が気付けるはずもない。それをかけたのが他の一本角であるならば気取(ケド)られることもあるだろうが、荊軻(ケイカツ)(ホドコ)した(マジナイ)に気づけるのは、悧羅や枉駕(オウガイ)(シン)くらいのものだろう。


荊軻(ケイカツ)(ホドコ)した(マジナイ)に気づけるものなどそうおらぬであろ。荊軻(ケイカツ)文官長(ブンカンチョウ)(ニン)じておるが(ユエ)に、前線(ゼンセン)に出るは少ない。其方(ソナタ)(マコト)能力(チカラ)を知るものなど数えるほどであろうて」


くすくすと笑いながら、それにしても、と悧羅は嘲笑(チョウショウ)した。


「『誅芙蓉(チュウフヨウ)』とは…。なかなかに気の()いた(コト)()じゃの。だれが言い出したのやら」


笑いを深くする悧羅に、誰かはわからないんだよね、と佟悧(トウリ)が考え込んだ。


「いつからかそういう言葉が仲間内で流行(ハヤ)りだして、鍛錬(タンレン)の時だけじゃなくて仲間だって確かめるための(コト)()になっちゃってたもん」


そうですか、と荊軻(ケイカツ)(ワズ)かに肩を落とした。言い出した者を突き止められたならばその者から粛清(シュクセイ)したかったが、これは無理のようだ。嘆息(タンソク)する荊軻(ケイカツ)の前で、どんな意味なの?、と忋抖(カイト)が悧羅に聞いている。


「『(チュウ)』はそのものを悪人(アクニン)とし殺す、または(ツミ)を問うようなことだな。『芙蓉(フヨウ)』は母の身体(カラダ)に咲いておる(ハス)の別の呼び方じゃ。(ユエ)に『誅芙蓉(チュウフヨウ)』は(ワラワ)罪人(ツミビト)(ダン)じ殺す、と言う意であろう」


()いてやる悧羅に荊軻(ケイカツ)(ウナズ)く。その意味がわかるからこそ烏滸(オコ)がましいと吐き捨てたくなるのだ。


「何よ、それ。母様(カアサマ)がそいつらに何かしたっていうならそう思われても仕方ないかも知れないけど、身体(カラダ)(ケズ)って民達(タミタチ)(タメ)頑張(ガンバ)ってるのに…」


憤慨(フンガイ)する媟雅(セツガ)に、こればかりは分からぬよ?、と悧羅が(サト)す。


(ワラワ)が民達のため、と思うてしたこともそれらのものには()らぬことだったやもしれぬ。里を安寧(アンネイ)安泰(アンタイ)にするためには無慈悲(ムジヒ)な事もせねばならなんだ。その親類縁者(シンルイエンジャ)であるならば(ワラワ)自身を(ウラ)んでおったとしても仕方のないことじゃ。荽梘(スイカン)のように、(ワラワ)(シン)(ウバ)った、という考えを持つものもおるだろう。何より(オサ)というものに疑念(ギネン)を持っておるのであろうよ」


「それぞれに思いはありましょうが、矜焃(キョウカク)のように力のみで民達を護れるか、と聞かれれば応えは(イナ)です。何を考えていたのかは()らえてみれば分かりましょう。もしかすれば本当に里を思って仲間になっておる者もおるやもしれませぬしね」


期待(キタイ)してもいないが一抹(イチマツ)可能性(カノウセイ)として荊軻(ケイカツ)は言っておいた。一番気に(サワ)るのはその言葉だが、一万の鬼を()らえる問題もある。二本角相手であれば、一本角一人で一騎当千(イッキトウセン)となるが、相手の中には一本角も混じっている。闘技(トウギ)(フルイ)にかけられた者たちもいるだろうが、矜焃(キョウカク)荽梘(スイカン)を上に押しやるために実力を出していなかったかも知れない。


どちらにせよ油断(ユダン)して()()がすことがないようにしなければ、また同じような考えのものを集めて悧羅に(キバ)()こうとするだろう。そうなればまた悧羅が心を痛めてしまう。


考える荊軻(ケイカツ)に、一万かぁ、と啝珈(ワカ)(ツブ)やいた。


「みんな集まってくれたら楽なのにね。そしたら(カコ)って(ツカ)まえられるのに」


「じゃあ、佟悧(トウリ)が言ってみようか?集まるように姍寂(サンジャク)に言ったら集まるかもしれないよ?」


手を挙げた佟悧(トウリ)を悧羅が、それはならぬ、と(タシナ)めた。


「これ以上佟悧(トウリ)(アヤ)うい目に遭わすわけにはゆかぬ。しばらく顔を出しておらぬ佟悧(トウリ)がゆけば(アヤ)しまれるであろ?そのような事をいえば(ナオ)(コト)じゃて」


えぇ、駄目ぇ?、と(ホオ)(フクラ)ませる佟悧(トウリ)に、ならぬ、と悧羅が(ネン)を押す。何かあった時に護れるように宮に(トド)め置いているのだ。そこまでしているのに(アヤ)うい目に合わせるわけにはいかない。何かあれば咲耶(サクヤ)に合わせる顔も無くなってしまう。


「ですが、どうされますか?数千であれば隊士達(タイシタチ)でどうにかできたのですが万となりますれば、隊士達全てを動かしても取り逃すことも考えられましょう?」


少しばかり考える悧羅に荊軻(ケイカツ)が言うと、数は大したことではない、と笑っている。いやいや、と荊軻(ケイカツ)を含めたその場の全員が手を振った。問題にならない数であるはずがない。一本角、二本角合わせて一万の数だ。その(チカラ)も分からない。どんなものでも数が増せば脅威(キョウイ)になるのだ。


「ほんに数はたいしたことはないのじゃ。…荊軻(ケイカツ)其方(ソナタ)佟悧(トウリ)の持ってきた文書(モンジョ)をしたためなおしておるのであろ?」


それが当たり前のように聞かれて荊軻(ケイカツ)は、一応(イチオウ)は、と応えた。佟悧(トウリ)から(アズ)かった文書(モンジョ)所狭(トコロセマ)しと文字が(シル)してあり、一万の数をどうにか一巻(ヒトマキ)文書(モンジョ)におさめてあった。隊士達に名と(キョ)を確かめさせる前に、それを整えておかなければ間違(マチガ)いが起こりそうだったのだ。したため直した文書(モンジョ)三巻(ミマキ)になり、それを確かめるために使った。


「其方がしたためを(アヤマ)るとは思うておらぬが、その者たちが(イワ)くの地に(オモム)くのを確かめるは出来るかえ?」


「…数日いただければできるかと(ゾン)じます。全ての者がその数日の内に動けば…でございますが」


ふむ、と悧羅はまた考えこむ。だが仲間内でも(カク)となる矜焃(キョウカク)荽梘(スイカン)が戻ってきているのであれば間違いなく一度は動くだろう。


人形(ヒトガタ)が動くはいつまでじゃ?」


「あと五日(イツカ)ほどでしょうか。すこしばかり短く考えれば四日(ヨッカ)と思うておかれたほうが良いかもしれませぬね」


「そうか…。では二日じゃ。確かにその場に(オモム)いておるという事を確かめや」


は、と荊軻(ケイカツ)は頭を下げて部屋を辞し、すぐに悧羅の(メイ)で動けるように支度(シタク)を始める。残された子ども達は、悧羅が何をしようとしているのか分からずにいた。母様(カアサマ)、と媟雅(セツガ)に呼ばれて悧羅は苦笑した。話してやらねばわかるはずもないのだ。心配そうな子ども達に楽にするように伝えて、悧羅も妲己(ダッキ)にもたれかかった。


母様(カアサマ)、数は大したことないって言ったけど一万だよ?どうやって()らえるつもりなの?」


媟雅(セツガ)(タズ)ねられて、悧羅は、うん?、と笑う。何容易(タヤス)いことだ、と笑って子ども達を見た。


「先に逃げられぬようにしておけば良いだけの話じゃ」


「逃げられないようにって、どうやって?」


きょとりとして聞く啝珈(ワカ)に悧羅は逆に(タズ)ねた。


其方(ソナタ)たちならばどういたす?一万という数は忘れておきや。一対一の勝負(ショウブ)の時に、相手の姿を追うためにはどうすれば(ヨロ)しかろうか」


悧羅の問いかけに子ども達がしばらく考えに(フケ)る。相手の姿が見えなくても自分がその位置を把握(ハアク)するためにすること、相手が逃げるかもしれないと思って(タタカ)う時に最初に行うことは何か。


俺だったら、と眉根(マユネ)を寄せながら考えて忋抖(カイト)が声を発した。


「俺だったら逃げられる時の事を考えて、最初に気づかれないように(マジナイ)をかけるかな。追うことに(ヒイ)でた(マジナイ)なら、相手にも気取られる可能性は低いし掛けられる可能性も高い。気配(ケハイ)辿(タド)れる範囲(ハンイ)に逃げ込まれたら追えるけど、それを越えられたら逃しちゃうから。その分(マジナイ)をかけておけば、どこにいても(テノヒラ)の上だよね」


忋抖(カイト)の応えに、そうか、と媟雅(セツガ)啝珈(ワカ)(ウナズ)いている。佟悧(トウリ)(カイ)ちゃん(スゴ)いじゃん、と()めている。確かにそれが一番確実に相手を逃がさない方法だ。学舎(マナビヤ)でもそれは最初に(ナラ)ったことだった。


忋抖(カイト)の応えに、そうじゃな、と(ウナズ)いて(サラ)に悧羅は問いかける。


「では一対一ではない時はどうする?相手を確かめる(スベ)がその場ではない時じゃ。まずはどう動くがよろしかろうか?」


また子ども達が考え始めて、今度は媟雅(セツガ)が口を開いた。


「その場で分からないなら一旦(イッタン)持ち帰るかな?そこから相手がどんな者なのか見極(ミキワ)めて間違いなく対象(タイショウ)だって確信(カクシン)が持てたら動き始める」


「それは何故(ナニユエ)であろうか?」


「相手を絶対に間違っちゃだめだから」


啝珈(ワカ)が応えると、そのとおりじゃ、と悧羅は微笑(ホホエ)んだ。里には民が多くいる。移した当時は十万だった民も今では二十万に(セマ)る。同じ名の者もいるだろうし、似た姿のものもいるだろう。だからこそ間違うことは許されない。


「そこまでわかれば(ワラワ)が何をしようと思うて荊軻(ケイカツ)(メイ)じたかも分かるであろ?」


にっこりと微笑(ホホエ)まれて、まさか、と言ったのは佟悧(トウリ)だった。


「…まさか、と思うけどさぁ…。悧羅ちゃんその調べた民に間違いがなかったら、一万の民に向けて(マジナイ)をかけるつもりなの?」


「そのつもりじゃよ?」


何か可笑(オカ)しいか?、と聞かれて子ども達がまた、いやいや、と手を振った。後ろで悧羅を支える妲己だけが面白(オモシロ)そうに笑っている。


「何言ってんの?母様(カアサマ)。一万だよ?一万!そんな大勢(オオゼイ)相手に追ったり()らえたりする(マジナイ)をかける?それも相手に気取(ケド)られないように?無理(ムリ)でしょ、そんなの?」


(アワ)てたような忋抖(カイト)の姿に悧羅は声を上げて笑ってしまう。何、なんということはない、と笑いながら言う悧羅に子ども達は唖然(アゼン)としてしまう。


「数などどうでも良いことじゃ。()()()()一万程度の数であろ?こうして座っておることよりも容易(タヤス)い。なればこそ決して(コト)なる者を()らえることがないように荊軻(ケイカツ)(メイ)をだした(ユエ)()()が間違うとは思うておらぬが念には念をいれねばならぬでな」


込み上げる笑いを(コラ)える悧羅にあんぐりと口を開けてしまう子ども達に妲己が言う。


(アルジ)であれば里の民達全てに(マジナイ)を掛けるなど赤子(アカゴ)の手を(ヒネ)るよりも容易(タヤス)いことなのですよ”


悧羅と一緒になって笑っている妲己に、でもどうやって?、と啝珈(ワカ)が聞く。(マジナイ)をかけるならばその者の姿を見なければならないはずだ。少なくとも啝珈(ワカ)は姿の見えない者に(マジナイ)を掛けることなどできない。


荊軻(ケイカツ)のしたため直した文書(モンジョ)があれば良い」


悧羅の応えにますます分からなくなって子ども達は頭を(カカ)えた。(ナヤ)む子ども達が面白(オモシロ)くて、悧羅はますます笑う。


荊軻(ケイカツ)が確かめ終わったならばやってみせる(ユエ)、待っておれ。そう(ジカン)はかからぬであろ」


納得(ナットク)のいかなかった子ども達だったが、それ以上聞いても分かりはしない、とどうにか飲み込んだ。見てみなければ分からないこともある、と思っていたのだが悧羅から二日を与えられていた荊軻(ケイカツ)は隊士達と共に(ミズカ)らも土地の視察(シサツ)という名目(メイモク)各里(カクサト)(オトズ)れ、(アラタ)めて(シル)し直した文書(モンジョ)に間違いがないことを確かめた。悧羅にそれを伝えたのは、もらった二日よりも半日ほど早い夜のことだった。


「さすがじゃの荊軻(ケイカツ)


さも当然(トウゼン)のように言う悧羅に、少しばかりは難儀(ナンギ)しましたよ、と荊軻(ケイカツ)は苦笑した。調べた文書(モンジョ)を悧羅に手渡(テワタ)すと三巻(ミマキ)文書(モンジョ)を悧羅は(ユカ)に広げた。荊軻(ケイカツ)らしい達筆(タッピツ)でしたためられたそれに悧羅は、ふうっと息を吹きかける。見守る子ども達の前で文字であったものが文書(モンジョ)から浮き上がり、もこもこと動いたかと思うとそれぞれが小さな紫の人形(ヒトガタ)になる。ともすれば、よいしょよいしょと動く人形(ヒトガタ)に、いきや、と悧羅が手を叩くとその場に(ウゴメ)いていた一万の人形(ヒトガタ)が消えた。


母様(カアサマ)、と声をあげる啝珈(ワカ)に、まあ待ちや、と悧羅は微笑んで白紙になった文書(モンジョ)をまた床を広げ直した。


「少しばかりみておりゃ」


白紙の文書(モンジョ)指差(ユビサ)されて子ども達が見ていると、所々(トコロドコロ)にまた荊軻(ケイカツ)の字が浮かんでくる。一つ二つと浮かび上がり最後には全ての文書(モンジョ)に最初に広げられた時に見た姿が(ヨミガエ)った。それを確かめて文書(モンジョ)を巻き取り始める荊軻(ケイカツ)をよそに、子ども達は、何したの?、と悧羅に聞く。見ての通りじゃ、と笑う悧羅に、わかんないからきいてんの!と子ども達は頭を(カカ)えた。文書(モンジョ)を巻き取る荊軻(ケイカツ)はくすくすと笑っている。まあ、見て分かるものでもないだろう。やれやれ、と悧羅も苦笑している。


荊軻(ケイカツ)が全て正しいと申したのでな。その者に向けて(マジナイ)(ハナ)った」


「それは分かるけど、どうやって?」


説明になってない、と言われて悧羅は苦笑を深めた。


荊軻(ケイカツ)達は顔を知っておっても妾は知らぬな。だが、()()にはその者の名と(キョ)(シル)してあった。生誕(セイタン)の日もわかれば(ナオ)(ヨロ)しいのだが…、まあ、それは良いであろ。要は妾は知らぬが名と(キョ)さえ分かればその者に向けて(マジナイ)はかけられる、ということじゃ。文字が人形(ヒトガタ)になったであろ?あれはその者に()くための姿じゃ。文書(モンジョ)白紙(ハクシ)に戻ったは、文字が(マジナイ)として動いたからでの。人形(ヒトガタ)と同じ者に()いたならその(アカシ)として、また文書(モンジョ)文字(モジ)として現れる。荊軻(ケイカツ)(シル)した三巻(ミマキ)文書(モンジョ)には空きはなかった(ユエ)、見事に皆に()いてくれたようじゃな」


なんのことはない、と笑う悧羅に子ども達はまた呆気(アッケ)にとられた。容易(タヤス)く言っているが数人に(マジナイ)を掛けるだけでもかなりの精気(セイキ)を必要とする。それを一度に一万、まるで呼吸でもするかのように悧羅はやってのけた。しかも妲己は里の民全員でも悧羅には容易(タヤス)いと言う。すっごい、と漏れ出す感嘆(カンタン)を子ども達は止めることができない。


「でも母様(カアサマ)、身体は平気なの?こんなに一度に(マジナイ)かけて…。(ツラ)くない?」


心配する啝珈(ワカ)に、大丈夫だ、といったのは子ども達を笑いながら見ていた紳だった。


「俺がいるんだから。見たとこ、そんなに能力(チカラ)を使ってないし俺だけで十分に(イヤ)せるさ」


当たり前のように悧羅を背後から抱きしめて精気(セイキ)を送り込み始めながら言う紳に子ども達も安堵(アンド)する。確かに紳がいて悧羅の精気(セイキ)枯渇(コカツ)させることはさせないだろう。それで、時折(トキオリ)寝所(シンジョ)から出て来なくても何をしているのかがわからないほど三人も子どもではない。


「…ほんとうに父様(トウサマ)って母様(カアサマ)のためにいるんだね」


(アキ)れたような媟雅(セツガ)の言葉に紳は、当然(トウゼン)だ、と笑っている。その姿は微笑(ホホエ)ましくもあったけれど500年、悧羅以外を求めなかった父の気持ちはまだよくわからない。それは忋抖(カイト)啝珈(ワカ)も同じだった。あのさ、と忋抖(カイト)がおずおずと口を開いた。言い(ヨド)むなど(メズラ)しい忋抖(カイト)に、どうした?、と悧羅が微笑(ホホエ)む。


()()が全部終わったらさ、父様(トウサマ)母様(カアサマ)の事、聞かせてくんないかな?」


忋抖(カイト)の言葉に文書(モンジョ)を巻き取っていた荊軻(ケイカツ)の手が止まり、尾を振っていた妲己も顔を(ソム)けた。悧羅を抱きしめる紳の腕も少しばかり(コワ)ばり、真っ直ぐに視線を向けられた悧羅も目を大きく見開く。


「…いやぁ、それはどうかなぁ…?」


紳が苦笑しているが悧羅を抱きしめる腕には力が込められる。


「多分だけど大変なことがあったんだってのは分かるんだ。500年精気(セイキ)()る相手を作らなかったなんて、俺が考えてもおかしいもん」


「まあ、そりゃあそうだろうけどよ?色々あるんだって」


頭を()く紳に、だからその色々が知りたい、と忋抖(カイト)が食らいついた。


「知ったからって誰に言うとかでもないんだよ。ただ、どうしてそこまでっていう疑問(ギモン)を晴らしたい。何聞いたって動じないって約束するから」


忋抖(カイト)の言葉に媟雅(セツガ)啝珈(ワカ)も知りたい、と言い出す。荊軻(ケイカツ)(ダマ)って文書(モンジョ)の片付けを続けていると、大きな溜息(タメイキ)が紳と悧羅から聞こえた。


「…軽蔑(ケイベツ)するかもしれないぞ?」


「しないよ。できるわけもない。何が二人にあったとしても今の姿を知ってるから。俺たちは父様(トウサマ)母様(カアサマ)の子どもに生まれた事を(ホコ)りに思ってる。何を聞いたってそこは変わらないよ」


そうか、と(ツブヤ)いて紳は悧羅を見た。悧羅もまた大きく嘆息(タンソク)している。


「…紳がよいなら、(ワラワ)異論(イロン)などない」


小さく震える悧羅の手を紳は(ニギ)って子ども達から隠した。もう一度大きく溜息(タメイキ)をついて、分かった、と承諾(ショウダク)する。


「…でも本当に面白(オモシロ)い話なんかじゃないぞ?そこは覚悟(カクゴ)しとけよ?」


はい、と返す三人の子ども達を見やってから、まずは、と悧羅が荊軻(ケイカツ)を見る。人形(ヒトガタ)は?、と問うと二日後には、と返ってきた。それに(ウナズ)いて悧羅は(メイ)(クダ)す。


「二日後の()(コク)に動く。(シン)()る者たちを集めておきや」


(ウケタマワ)りました、と荊軻(ケイカツ)はその場に深く平伏(ヘイフク)した。

お話第二の山場?になりますでしょうか。

お楽しみいただけましたか?


ありがとうございました。

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