動く《ウゴク》
良いお天気ですね。
うちの子どもたちは、良い天気すぎるよ!となぜか怒っております。
佟悧から預かった文書から、荊軻はまずそれぞれの名と居が正しいかを調べさせた。紳と枉駕の信を得て初めからその任に就かされていた数名の隊士達は丸一日でそれらを調べ上げ荊軻に報せを持ってきた。周りに気取られないよう普段の務めも行いながらであるのに、その速さに荊軻は満足するよりない。全ての名と居だけでなく顔をまで検めたと言われた時には、あまりに無謀ではなかったかと嗜めたけれど隊士達はけろりとしている。
「長が里に降りられるようになられてからは、我々も民達に困っておることなどはないか、と尋ねるようになっておりましたので。話しておりますれば向こうから近付いて参りました。長はどうしておられるのか、と。つつがなく、と応えておきましたが長の周囲の状況を知り得たいのが見え見えでございました」
一応は間諜のつもりだったのでしょう、と隊士達は皆可笑しそうに笑った。
「あのように見え見えで来られては笑いを堪えるのが大変でした。あの程度の者たちが集まっているのだとしたら、長が出られるまでもございませんよ」
思い出してまた笑い始める隊士達に、決して気取られないで下さいよ、と荊軻は念を押した。笑うのは構わないが此方の動きを知られるわけにはいかないのだ。それには、承知しております、と隊士達が頭を下げる。
「それに今回ばかりは長に出ていただかねばならないのですよ。不穏の芽は早く刈っておくにこしたことはございません。それにこれは長に対しての冒涜でもありますから、絶対的な力の差を見せつけて畏怖でも植え付けなければ、また同じような愚か者が出てくるかも知れませんからね」
やれやれ、と息をつく荊軻に、なるほど、と隊士達も納得した。あとは数にして一万程の不穏の芽をどうやって刈りとって行くのか、が問題だ。人形から得た事としては、仲間である事を示す言の葉があること、鍛錬にくる者はその日によって様々であることが分かっている。毎回全ての鬼が集まってくれていれば良いものを、ばらけていては一度に全てを捕らえることは難しい。だが、逆を言えば数が僅かに減っても疑われないということだ。言の葉についても佟悧から聞いたものと一致した。『誅芙蓉』とはなんとも烏滸がましい。
そして、この人形がまた面白いものであった。荊軻が預かっているのだが夜になると矜焃と荽梘の姿に転じ朝になるとまた荊軻が納めている場に勝手に戻っている。荊軻もその手の呪には学が深い方だが一度晴明に作り方を聞いておきたいものだ。もしもまたこのような愚か者共が出てきた時に役に立つ。その頃には晴明はいないだろうからまた頼る、というわけにはいかないだろう。晴明のような面白い者が出てきていれば話は別だが、あれ程の稀有な存在はそうそう出て来はしない。
とりあえず、これまでの事を長である悧羅に報せておくよりない。隊士達を帰して荊軻は務めの場を出た。庭を歩いて宮に通ずる戸を開け中に入る。迷う事なく廊下を辿ると悧羅の自室に繋がる廊下に出た。自室の前で声をかけると、入りゃ、と穏やかな声がした。戸が閉められていたので紳とまた籠っているのかとも思ったがどうやら違ったようだ。戸を開けて中に入ると悧羅と妲己が寛いでいる。どうやら微睡んでいたようで目を擦る悧羅に、お疲れでございますか?、と声をかけながら荊軻は三尺ほど離れた場に座した。
「…このところ、眠りが浅うての…。なに、大事ない」
小さな欠伸をする悧羅の姿に荊軻は少しばかり胸が痛んだ。この500年、民への粛清を行わなければならないとなると悧羅は必ず心を痛める。どうにか別の策は無いかと考えてしまうことも知っている。常に考え続けるため結果として眠っていてもすぐに目を覚ましてしまうのだ。そしてそれは粛清後もしばらくは続く。後悔と自責の念にかられ、都度痩せていくのを荊軻は何度も見ている。そうせざるを得ないとはいえ、悧羅にとって粛清という名であっても民達を自らの手で弑するのは苦痛でならないのだ。だからといって、悧羅はその役目を放棄しようとはしない。命じれば、荊軻であれ、枉駕であれ、紳であれ迷う事なく粛清に向かうというのに、汚さなくても良い手を悧羅は自ら汚す。まるで、その犠牲の上に自分は立っているのだと言い聞かせるような姿で。
「時が悪うございましたね。出直して参りましょうか?」
小さな嘆息と共に荊軻が言うが悧羅は、よい、と笑った。
「其方達が難儀しておるに妾が眠っておってもやるせないでな。何か分かったのであろ?」
問いかけに頷く荊軻に、暫し待て、と妲己に子ども達を呼びに行かせている。悧羅の上の子ども達は今回の粛清に同伴することになっている。悧羅の長としての重圧や責務、その苦渋を知っておきたいのだという。
ほんとうに大きくなられた、と媟雅を懐妊した時の悧羅の姿を思い浮かべて荊軻は小さく微笑んだ。あの頃から悧羅の姿は変わらないが、美しさだけは日を追うごとに増している。目の前に座す悧羅を見て、少しお痩せになられましたね、と荊軻が目を細めると、いつものことであろ、と悧羅は苦笑した。
「まあ、そうではございますがね…。あまり思い悩みなされますな」
無駄なことだろうとは思うがそう声をかけると、分かっておる、と悧羅は苦笑を深くした。すでに六人の民の命が失われているのだ。悧羅が心を痛めていないはずなどない。しかも矜焃と荽梘の亡骸は、まだそのままにしている。悧羅としては早めに弔ってやりたいだろうが、人形を動かしている以上、亡骸を動かすわけにはいかなかった。小さく嘆息していると妲己が子ども達を連れて入ってきた。媟雅に忋抖、啝珈。それに佟悧までいる。四人が悧羅の一段下に座り、妲己が悧羅に侍るのを見やって荊軻はこれまで分かったことを報せ始めた。
佟悧の持ってきた文書に記されていた者たちの名と居、顔まで確かめたこと。
数にして一万程度であるが、全てが一同に会さないこと。
人形に対しては疑念を持つ者は今のところいないこと。
荊軻が達楊を通じて流した偽りの幽閉場所に現れた者のこと。
そして、『誅芙蓉』の言の葉。
「偽りの幽閉場所に現れたのは二本角の鬼女一人でございました。予測ではありますが、それが姍寂という者でございましょう。中を確かめておったようですが、私のかけた呪には気がつけなかったようですね。…さもありなん、といったところですが…」
どんなに自分が優れているとはいえ一本角の荊軻が周到にかけた呪に、二本角の鬼が気付けるはずもない。それをかけたのが他の一本角であるならば気取られることもあるだろうが、荊軻が施した呪に気づけるのは、悧羅や枉駕、紳くらいのものだろう。
「荊軻が施した呪に気づけるものなどそうおらぬであろ。荊軻は文官長に任じておるが故に、前線に出るは少ない。其方の真の能力を知るものなど数えるほどであろうて」
くすくすと笑いながら、それにしても、と悧羅は嘲笑した。
「『誅芙蓉』とは…。なかなかに気の利いた言の葉じゃの。だれが言い出したのやら」
笑いを深くする悧羅に、誰かはわからないんだよね、と佟悧が考え込んだ。
「いつからかそういう言葉が仲間内で流行りだして、鍛錬の時だけじゃなくて仲間だって確かめるための言の葉になっちゃってたもん」
そうですか、と荊軻が僅かに肩を落とした。言い出した者を突き止められたならばその者から粛清したかったが、これは無理のようだ。嘆息する荊軻の前で、どんな意味なの?、と忋抖が悧羅に聞いている。
「『誅』はそのものを悪人とし殺す、または罪を問うようなことだな。『芙蓉』は母の身体に咲いておる蓮の別の呼び方じゃ。故に『誅芙蓉』は妾を罪人と断じ殺す、と言う意であろう」
解いてやる悧羅に荊軻も頷く。その意味がわかるからこそ烏滸がましいと吐き捨てたくなるのだ。
「何よ、それ。母様がそいつらに何かしたっていうならそう思われても仕方ないかも知れないけど、身体を削って民達の為に頑張ってるのに…」
憤慨する媟雅に、こればかりは分からぬよ?、と悧羅が諭す。
「妾が民達のため、と思うてしたこともそれらのものには要らぬことだったやもしれぬ。里を安寧、安泰にするためには無慈悲な事もせねばならなんだ。その親類縁者であるならば妾自身を恨んでおったとしても仕方のないことじゃ。荽梘のように、妾が紳を奪った、という考えを持つものもおるだろう。何より長というものに疑念を持っておるのであろうよ」
「それぞれに思いはありましょうが、矜焃のように力のみで民達を護れるか、と聞かれれば応えは否です。何を考えていたのかは捕らえてみれば分かりましょう。もしかすれば本当に里を思って仲間になっておる者もおるやもしれませぬしね」
期待してもいないが一抹の可能性として荊軻は言っておいた。一番気に障るのはその言葉だが、一万の鬼を捕らえる問題もある。二本角相手であれば、一本角一人で一騎当千となるが、相手の中には一本角も混じっている。闘技で篩にかけられた者たちもいるだろうが、矜焃と荽梘を上に押しやるために実力を出していなかったかも知れない。
どちらにせよ油断して取り逃がすことがないようにしなければ、また同じような考えのものを集めて悧羅に牙を剥こうとするだろう。そうなればまた悧羅が心を痛めてしまう。
考える荊軻に、一万かぁ、と啝珈が呟やいた。
「みんな集まってくれたら楽なのにね。そしたら囲って捕まえられるのに」
「じゃあ、佟悧が言ってみようか?集まるように姍寂に言ったら集まるかもしれないよ?」
手を挙げた佟悧を悧羅が、それはならぬ、と嗜めた。
「これ以上佟悧を危うい目に遭わすわけにはゆかぬ。しばらく顔を出しておらぬ佟悧がゆけば怪しまれるであろ?そのような事をいえば尚の事じゃて」
えぇ、駄目ぇ?、と頬を膨ませる佟悧に、ならぬ、と悧羅が念を押す。何かあった時に護れるように宮に留め置いているのだ。そこまでしているのに危うい目に合わせるわけにはいかない。何かあれば咲耶に合わせる顔も無くなってしまう。
「ですが、どうされますか?数千であれば隊士達でどうにかできたのですが万となりますれば、隊士達全てを動かしても取り逃すことも考えられましょう?」
少しばかり考える悧羅に荊軻が言うと、数は大したことではない、と笑っている。いやいや、と荊軻を含めたその場の全員が手を振った。問題にならない数であるはずがない。一本角、二本角合わせて一万の数だ。その力も分からない。どんなものでも数が増せば脅威になるのだ。
「ほんに数はたいしたことはないのじゃ。…荊軻、其方佟悧の持ってきた文書をしたためなおしておるのであろ?」
それが当たり前のように聞かれて荊軻は、一応は、と応えた。佟悧から預かった文書は所狭しと文字が記してあり、一万の数をどうにか一巻の文書におさめてあった。隊士達に名と居を確かめさせる前に、それを整えておかなければ間違いが起こりそうだったのだ。したため直した文書は三巻になり、それを確かめるために使った。
「其方がしたためを誤るとは思うておらぬが、その者たちが曰くの地に赴くのを確かめるは出来るかえ?」
「…数日いただければできるかと存じます。全ての者がその数日の内に動けば…でございますが」
ふむ、と悧羅はまた考えこむ。だが仲間内でも核となる矜焃と荽梘が戻ってきているのであれば間違いなく一度は動くだろう。
「人形が動くはいつまでじゃ?」
「あと五日ほどでしょうか。すこしばかり短く考えれば四日と思うておかれたほうが良いかもしれませぬね」
「そうか…。では二日じゃ。確かにその場に赴いておるという事を確かめや」
は、と荊軻は頭を下げて部屋を辞し、すぐに悧羅の命で動けるように支度を始める。残された子ども達は、悧羅が何をしようとしているのか分からずにいた。母様、と媟雅に呼ばれて悧羅は苦笑した。話してやらねばわかるはずもないのだ。心配そうな子ども達に楽にするように伝えて、悧羅も妲己にもたれかかった。
「母様、数は大したことないって言ったけど一万だよ?どうやって捕らえるつもりなの?」
媟雅に尋ねられて、悧羅は、うん?、と笑う。何容易いことだ、と笑って子ども達を見た。
「先に逃げられぬようにしておけば良いだけの話じゃ」
「逃げられないようにって、どうやって?」
きょとりとして聞く啝珈に悧羅は逆に尋ねた。
「其方たちならばどういたす?一万という数は忘れておきや。一対一の勝負の時に、相手の姿を追うためにはどうすれば宜しかろうか」
悧羅の問いかけに子ども達がしばらく考えに耽る。相手の姿が見えなくても自分がその位置を把握するためにすること、相手が逃げるかもしれないと思って戦う時に最初に行うことは何か。
俺だったら、と眉根を寄せながら考えて忋抖が声を発した。
「俺だったら逃げられる時の事を考えて、最初に気づかれないように呪をかけるかな。追うことに秀でた呪なら、相手にも気取られる可能性は低いし掛けられる可能性も高い。気配を辿れる範囲に逃げ込まれたら追えるけど、それを越えられたら逃しちゃうから。その分呪をかけておけば、どこにいても掌の上だよね」
忋抖の応えに、そうか、と媟雅と啝珈も頷いている。佟悧は忋ちゃん凄いじゃん、と褒めている。確かにそれが一番確実に相手を逃がさない方法だ。学舎でもそれは最初に習ったことだった。
忋抖の応えに、そうじゃな、と頷いて更に悧羅は問いかける。
「では一対一ではない時はどうする?相手を確かめる術がその場ではない時じゃ。まずはどう動くがよろしかろうか?」
また子ども達が考え始めて、今度は媟雅が口を開いた。
「その場で分からないなら一旦持ち帰るかな?そこから相手がどんな者なのか見極めて間違いなく対象だって確信が持てたら動き始める」
「それは何故であろうか?」
「相手を絶対に間違っちゃだめだから」
啝珈が応えると、そのとおりじゃ、と悧羅は微笑んだ。里には民が多くいる。移した当時は十万だった民も今では二十万に迫る。同じ名の者もいるだろうし、似た姿のものもいるだろう。だからこそ間違うことは許されない。
「そこまでわかれば妾が何をしようと思うて荊軻に命じたかも分かるであろ?」
にっこりと微笑まれて、まさか、と言ったのは佟悧だった。
「…まさか、と思うけどさぁ…。悧羅ちゃんその調べた民に間違いがなかったら、一万の民に向けて呪をかけるつもりなの?」
「そのつもりじゃよ?」
何か可笑しいか?、と聞かれて子ども達がまた、いやいや、と手を振った。後ろで悧羅を支える妲己だけが面白そうに笑っている。
「何言ってんの?母様。一万だよ?一万!そんな大勢相手に追ったり捕らえたりする呪をかける?それも相手に気取られないように?無理でしょ、そんなの?」
慌てたような忋抖の姿に悧羅は声を上げて笑ってしまう。何、なんということはない、と笑いながら言う悧羅に子ども達は唖然としてしまう。
「数などどうでも良いことじゃ。たかだか一万程度の数であろ?こうして座っておることよりも容易い。なればこそ決して異なる者を捕らえることがないように荊軻に命をだした故。あれが間違うとは思うておらぬが念には念をいれねばならぬでな」
込み上げる笑いを堪える悧羅にあんぐりと口を開けてしまう子ども達に妲己が言う。
“主であれば里の民達全てに呪を掛けるなど赤子の手を捻るよりも容易いことなのですよ”
悧羅と一緒になって笑っている妲己に、でもどうやって?、と啝珈が聞く。呪をかけるならばその者の姿を見なければならないはずだ。少なくとも啝珈は姿の見えない者に呪を掛けることなどできない。
「荊軻のしたため直した文書があれば良い」
悧羅の応えにますます分からなくなって子ども達は頭を抱えた。悩む子ども達が面白くて、悧羅はますます笑う。
「荊軻が確かめ終わったならばやってみせる故、待っておれ。そう刻はかからぬであろ」
納得のいかなかった子ども達だったが、それ以上聞いても分かりはしない、とどうにか飲み込んだ。見てみなければ分からないこともある、と思っていたのだが悧羅から二日を与えられていた荊軻は隊士達と共に自らも土地の視察という名目で各里を訪れ、改めて記し直した文書に間違いがないことを確かめた。悧羅にそれを伝えたのは、もらった二日よりも半日ほど早い夜のことだった。
「さすがじゃの荊軻」
さも当然のように言う悧羅に、少しばかりは難儀しましたよ、と荊軻は苦笑した。調べた文書を悧羅に手渡すと三巻の文書を悧羅は床に広げた。荊軻らしい達筆でしたためられたそれに悧羅は、ふうっと息を吹きかける。見守る子ども達の前で文字であったものが文書から浮き上がり、もこもこと動いたかと思うとそれぞれが小さな紫の人形になる。ともすれば、よいしょよいしょと動く人形に、いきや、と悧羅が手を叩くとその場に蠢いていた一万の人形が消えた。
母様、と声をあげる啝珈に、まあ待ちや、と悧羅は微笑んで白紙になった文書をまた床を広げ直した。
「少しばかりみておりゃ」
白紙の文書を指差されて子ども達が見ていると、所々にまた荊軻の字が浮かんでくる。一つ二つと浮かび上がり最後には全ての文書に最初に広げられた時に見た姿が蘇った。それを確かめて文書を巻き取り始める荊軻をよそに、子ども達は、何したの?、と悧羅に聞く。見ての通りじゃ、と笑う悧羅に、わかんないからきいてんの!と子ども達は頭を抱えた。文書を巻き取る荊軻はくすくすと笑っている。まあ、見て分かるものでもないだろう。やれやれ、と悧羅も苦笑している。
「荊軻が全て正しいと申したのでな。その者に向けて呪を放った」
「それは分かるけど、どうやって?」
説明になってない、と言われて悧羅は苦笑を深めた。
「荊軻達は顔を知っておっても妾は知らぬな。だが、ここにはその者の名と居が記してあった。生誕の日もわかれば尚宜しいのだが…、まあ、それは良いであろ。要は妾は知らぬが名と居さえ分かればその者に向けて呪はかけられる、ということじゃ。文字が人形になったであろ?あれはその者に憑くための姿じゃ。文書が白紙に戻ったは、文字が呪として動いたからでの。人形と同じ者に憑いたならその証として、また文書に文字として現れる。荊軻の記した三巻の文書には空きはなかった故、見事に皆に憑いてくれたようじゃな」
なんのことはない、と笑う悧羅に子ども達はまた呆気にとられた。容易く言っているが数人に呪を掛けるだけでもかなりの精気を必要とする。それを一度に一万、まるで呼吸でもするかのように悧羅はやってのけた。しかも妲己は里の民全員でも悧羅には容易いと言う。すっごい、と漏れ出す感嘆を子ども達は止めることができない。
「でも母様、身体は平気なの?こんなに一度に呪かけて…。辛くない?」
心配する啝珈に、大丈夫だ、といったのは子ども達を笑いながら見ていた紳だった。
「俺がいるんだから。見たとこ、そんなに能力を使ってないし俺だけで十分に癒せるさ」
当たり前のように悧羅を背後から抱きしめて精気を送り込み始めながら言う紳に子ども達も安堵する。確かに紳がいて悧羅の精気を枯渇させることはさせないだろう。それで、時折寝所から出て来なくても何をしているのかがわからないほど三人も子どもではない。
「…ほんとうに父様って母様のためにいるんだね」
呆れたような媟雅の言葉に紳は、当然だ、と笑っている。その姿は微笑ましくもあったけれど500年、悧羅以外を求めなかった父の気持ちはまだよくわからない。それは忋抖も啝珈も同じだった。あのさ、と忋抖がおずおずと口を開いた。言い淀むなど珍しい忋抖に、どうした?、と悧羅が微笑む。
「これが全部終わったらさ、父様と母様の事、聞かせてくんないかな?」
忋抖の言葉に文書を巻き取っていた荊軻の手が止まり、尾を振っていた妲己も顔を背けた。悧羅を抱きしめる紳の腕も少しばかり強ばり、真っ直ぐに視線を向けられた悧羅も目を大きく見開く。
「…いやぁ、それはどうかなぁ…?」
紳が苦笑しているが悧羅を抱きしめる腕には力が込められる。
「多分だけど大変なことがあったんだってのは分かるんだ。500年精気を獲る相手を作らなかったなんて、俺が考えてもおかしいもん」
「まあ、そりゃあそうだろうけどよ?色々あるんだって」
頭を掻く紳に、だからその色々が知りたい、と忋抖が食らいついた。
「知ったからって誰に言うとかでもないんだよ。ただ、どうしてそこまでっていう疑問を晴らしたい。何聞いたって動じないって約束するから」
忋抖の言葉に媟雅と啝珈も知りたい、と言い出す。荊軻が黙って文書の片付けを続けていると、大きな溜息が紳と悧羅から聞こえた。
「…軽蔑するかもしれないぞ?」
「しないよ。できるわけもない。何が二人にあったとしても今の姿を知ってるから。俺たちは父様と母様の子どもに生まれた事を誇りに思ってる。何を聞いたってそこは変わらないよ」
そうか、と呟いて紳は悧羅を見た。悧羅もまた大きく嘆息している。
「…紳がよいなら、妾に異論などない」
小さく震える悧羅の手を紳は握って子ども達から隠した。もう一度大きく溜息をついて、分かった、と承諾する。
「…でも本当に面白い話なんかじゃないぞ?そこは覚悟しとけよ?」
はい、と返す三人の子ども達を見やってから、まずは、と悧羅が荊軻を見る。人形は?、と問うと二日後には、と返ってきた。それに頷いて悧羅は命を下す。
「二日後の子の刻に動く。信に足る者たちを集めておきや」
承りました、と荊軻はその場に深く平伏した。
お話第二の山場?になりますでしょうか。
お楽しみいただけましたか?
ありがとうございました。