厭悪《エンオ》
遅くなりました。
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晴明が作った人形は月が昇ると自ずから矜焃と荽梘の姿に転じた。悧羅が何を命じるわけでも無いが鬼の姿に転じると矜焃の邸に向かう。先に集まっているであろう者達に怪しまれないようになのか、別々の方向から回り込んで場に向かったり、先に邸についていたりと行動は様々だったが、これも晴明の術が優れているからだろう。
佟悧が持ってきてくれた文書の裏を荊軻や枉駕が執っている間に怪しまれないように人形は動かして置いたのだが、その効果は大きかった。
戻ってきた矜焃と荽梘に仲間は喜び、やはり長など大したことはない、と自分達の力や考えが正しいのだと一層思い込んだ。その中で、僅かに疑念を持っていたのは参謀として場にいる姍寂だった。偽りのモノかもしれない、と集まる者だけが知っている言の葉をぶつけてみたが二人とも飄々と応えた。詰問を受けたにしても拷問を受けたにしても二人がこの言葉を吐くとは思えなかった。それでもやはり疑念は拭えなかったけれど、日々気を張って見ていても姍寂の知り得る二人と何ら変わらなかった。
話し方、手合わせの仕方、時折みせる相手への態度にも違和感は見られなかったし仲間達が散った後には気取られないように邸まで付いてみたが中では父母の遺骨を前に泣く二人の姿しか見えなかった。
「必ずこんな世は終わらせる」
呟くように絞りだされた声に長への恨みが募っているのを感じて、ようやく姍寂は肩に入っていた力を抜いた。それはいつも二人が言っている言葉だったからだ。
最初に長というものに疑念を抱いたのは矜焃だった。里が移された十年前を境に、事あるごとにぽつりと呟くようになった。里を移すという絶大な力を見せられて尚何故そう思うのか、と尋ねた姍寂に、力だけで良いのであれば誰でも良いはずだ、と吐き捨てるように矜焃が言った。
「自分も長も一本角だ。力の差など鍛錬でどうとでも埋められるはずだ」
遠くを見つめながら拳を握る矜焃に、そんなものかしらね、と姍寂は笑って聞いていた。姍寂は二本角だ。生まれ落ちた時から一本角とは能力の差が顕著にある。どんなに鍛錬を積んでもそこは埋められないが、一本角の持ち主達であれば鍛錬を積むことで長に近づけるのかもしれなかった。少なくとも矜焃はそう信じて疑っていないのだ。
二本角の姍寂はとうの昔に一本角と張り合う事など諦めている。持って生まれた能力の差は変わらないのだ。最低限の鍛錬はするが自分の身を守る程度でいい。その代わり学を極めることに研鑽した。生まれ持った能力は異なれど知識や学問であれば自分の努力だけでどうにでも上に行くことができる。優秀な成績をおさめていれば、文官から声がかかることも稀ではない。実際に文官として務め役職についている者の中には二本角も多くいる。体術を極める武官や近衛隊では、役職に就くのは一本角でなければならないが、文官ではその才を認めてもらうことができるのだ。
とはいえ姍寂は地位や名誉には興を持てない。一本角と二本角の能力の違いも生まれた時からそうであったから、別に疑念を持つこともなく過ごしてきた。だが、矜焃の言葉が、少しずつ姍寂の心に汚泥のように積もり始めた。最初はほんの少しの違和感としてしか感じていなかった。幼い頃からの友である矜焃を見ていれば飽きることもなかったし、妙な考えをするのもいつものことだった。
穏やかな里で穏やかに慎ましく過ごしていければ良いと思っていたはずなのに、矜焃と共にいる内に毎度のように聞かされて、ついには汚泥が心の外に漏れだした。確かに、と思うようになったのだ。
何故産まれ落ちた時から能力の差があるのか。
何故長というものが世襲もなく何処かに産まれ落ちるのか。
そもそも何故長というものが必要なのか。
秀でた能力を持つ者が要るというのならば矜焃の言う通り鍛錬で力を蓄え実力のある者が頂点に立つべきではないのか。
そうだ、おかしいのだ。
この世の理すべてが。
漏れだした汚泥は心だけでなく身体すべてを覆うようになるまで刻はそうかからなかった。その頃から少しずつ矜焃の元に同じような考えを持つ者が集い始めた。一人二人と増え始め、少しずつ集う者達も増えていく。歳の頃は矜焃と同じくらいのものもあれば歳上の者、まだ若い者もいたが、それぞれが一様に長とは何なのだ?、という疑念を鍛錬にぶつけた。
さすがに数が多くなってきて、このままでは力を蓄える前に里に知られてしまうかもしれない、矜焃からそう言われて姍寂がそれらの者達の事をまとめることになった。他にも適任がいるのではないか、と姍寂は言ったけれど、お前以上の者はいない、と言われて嬉しくもあった。
「とにかく力を蓄えるまでは長や里に知られてはいけない。俺たちはただ長というものを見直したいだけなのだ。当代の長などか弱そうな鬼女。里を移すような能力があるのは認めざるを得んが、俺たちよりも闘いに秀でた力があるとは到底思えん」
笑って言う矜焃の顔は自信に満ちていた。ならば自分はその矜焃の手助けをしよう、と姍寂は決めた。別に姍寂自身が長に私怨があるわけではない。ただこの世の理がおかしいと思うだけだ。集った者の中には長に対しての私怨で動いているものも少なからずいたが、目的はなんであれ皆が同じ方向を向いているのであればそれで良いのだ。
集った者たちに間者がいないかそれも怪しいと思えば調べたが杞憂に終わった。その間にも数は増えていく。名と居くらいは、と文書に記しておこうかとも考えたけれど、何かあったときに証となるものを残しているのは危うい。姍寂の頭の中で整えておく方がいざという時のためにはいいだろう。数が増えるにつれ、誰からともなく『誅芙蓉』と言う声が上がった。鍛錬の時の掛け声のようにすぐに仲間内に広がったそれは、いつしか集う際に使う言の葉にもなった。
『誅』といえば『芙蓉』と返す。またはその逆もあった。同じ言の葉では漏れ出た時にすぐに調べあげられてしまう。単純に反対にする事だけでも、紛らわすには十分だ。『誅』には討ち滅ぼす意を含め『芙蓉』は当代の長に咲いている蓮の意がある。要は長を殺して場を奪い、正しい世の理へ導こうというものだ。
鬼たる者強くあるべし。ならばやはり強さこそが鬼本来の姿でありその最足るものが最強の名のもとに里の要となるべきだった。だが数が増えても長の身辺を伺い知る事はできない。
「何か考えはないのか?」
矜焃に聞かれて姍寂は動いた。容易い話、長に近しい立場にある者をこちらの間者としてしまえば良いだけだ。しばらくどれが良いか見て廻ったがさすがに重鎮と呼ばれる荊軻、枉駕、栄州には近づくことさえできない。民達に近しく接しているのは長の逑である紳だったが、おいそれと近づけばすぐに見破られてしまうだろう。御殿医の咲耶にも会ってみたが、何より医術に秀でた一本角だ。呪の類にも詳いと思われた。
どうしたものかしらね、と悩んでいたところに良い者を見つけた。いつも同じ食餌処に来て、いつも同じ席に座る。その顔に姍寂は見覚えがあったのだ。近衛隊副官の達楊。隊長である紳は長が懐妊や子を産み落とすと必ず隊を一時的に離れる事は周知されている。その間近衛隊を任される副官であれば長に近すぎず遠すぎず丁度よかった。
名を上げた達楊の事など調べ上げるのには何ら苦労はなかったし、まずはその食餌処で達楊が座る席に達楊への呪を組み込んだ。捕らえるなり情を交わすなり直に接すれば話も早いのだが、気取られて失敗してはならない。接触するのは達楊が気づかぬ内に呪が身体を覆ってからの方が良かった。一月は様子見、二月経って身体全体を呪が覆ったことを確かめてから姍寂は達楊に接した。
すでにとろりとした目をしていた達楊を堕とすのは容易かった。情を交わそうと近づいた姍寂の言葉に達楊は逆らう事なくついてきた。情を交わしながら呪の最後を組み込んで姍寂は笑いが止まらなかった。逑さえいるであろうに、近衛隊副官であろうと一本角であろうと、たかが二本角の姍寂の呪にさえ抗えない。
本当に大した事はないではないか、と込み上げる笑いを抑えきれなかった。
だが、情まで交わして手に入れた道具だというのに大した報せも持ってこない。知っている事など姍寂でさえ知っている程度の事だ。もう少し良い報せをと命じるが、これといった報せは得られない。余程、長の身辺のことは漏らされていないのだろう。護られ過ぎているのだ、異様な程。
ともすれば護られなければ長として立ってもいられないのだろう。
そう思えばますますと長とは何だ、という思いが大きくなった。周囲の強い鬼達に護ってもらって長として立っているのであれば、やはり矜焃の言う事は正しい。得られたことを矜焃に伝えると、やはりな、と声を上げて笑っていた。
「そんな事だろうと思った。術に長けて里を動かすほどの能力はあるのだろうが、こと闘いにおいては護ってもらわねばならないなど。そんな者が里の要として長などという座についているからおかしくなるのだ」
やり直さねばな、と笑う矜焃に姍寂も、そうね、と笑った。
「面白いものもあるようだしな」
闘技の報せを示しながら笑う矜焃に、出るのか?、と尋ねると、当然だ、と拳を握った。
「齢の縛りがあるようで十七以上の者はみな出ると言っている。止める道理もない。自分の力試しにもなるだろうからな」
「ふうん。私には関わりはないわね」
「まあ、そう言うな。お前には仲間たちの力を見ていてもらわねばならん。出ても良いのだぞ?」
笑う矜焃に、嫌よ、と姍寂は苦笑した。
「どうせあんたが勝つんでしょ?」
「分からんぞ?荽梘とて計り知れぬほどの私怨を持っておるからな。下手を打てば俺もやられるだろうさ」
思ってもいないことを、と苦笑する姍寂だったが、闘技の結果はなかなかだった。多くの仲間達は最初の篩で落とされたが、仲間内の一本角達は順当に勝ち上がる。矜焃や荽梘が勝ち上がるのは当たり前だと思っていたが、なかなかに筋の良いものもいる。まだ、事を起こすには早い時期だろうが鍛錬を続けていれば間違いなく矜焃、荽梘に並んでくるだろう。
思惑通り勝者は矜焃、二番手は荽梘に収まり、やはりこの程度の能力しか穏やかな里に慣れてしまった鬼達は持たないのだと嘲笑してしまう。一つだけ違ったのは長だった。勝利の褒美として手合わせを願った矜焃と荽梘に三番手であった鬼も同じ願いを乞うて始まったそれは、姍寂が見ても驚愕してしまうものだった。鍛錬場に降りたった長を伴侶である紳が諌めているようだったが、笑って三人に向き合った長が何と話していたのかまでは観衆の端にいた姍寂には聞き取れなかった。ただわかったのはその力だ。
加減するという意なのか両腕を組んだ長に三人がかりで挑んでいるにも関わらず言葉の通り手も足も出せていない。力こそ全てと思っている矜焃と荽梘の頭に血が上っているのは遠目からでも明らかだった。頭に血が上ると見境が無くなるのは二人だけでなく仲間内の悪いところだ。笑みを絶やさずに蹴りだけで翻弄された二人は確実に自分を見失っていた。
手合わせという名目であったのに、すでに二人は長を殺しにかかっている。二人の鬼火が鍛錬場を瓦礫の山に変えて行くが、観衆には埃一つ被さってはこない。いつのまにか張り巡らされた長の結界が観衆を護っている。土埃と爆炎と爆風で何が起こっているのかも分からなかったけれど、土埃が晴れた場には地面に蹴り落とされて為す術なく吐血する矜焃と荽梘の姿があった。
なんだ?何が起こったというのだ?
周りの重鎮達がやったのか、と見回したが重鎮たちは皆結界の外にいる。
ではこの状況は長がやったとでも言うのだろうか?
見つめるその先で矜焃と荽梘はますます動けなくなっている。長が何かしらの術を行使しているのは間違いがない。仲間内でも最強の部類に入る二人があの痩身の鬼女に易々とやられようはずもない。やはり術か、と姍寂は連れ去られていく二人の姿を見送った。けれどいっかな戻ってこない二人の安否を知るために達楊には新たな命を下した。
『二人の居場所を突き止め救い出せ』
刻はそれなりに要したが、思ったよりも早く二人を取り戻した事で一旦は安堵することができた。この二人が居なくては今まで画策してきた事も一からやり直さねばならなくなったからだ。達楊から聞き出した幽閉場所へも赴いたが特におかしなところは見当たらなかった。拷問を受けた後の乾いた血もあり二人の臭いも残っていた。四肢を縛る鎖や枷も残っていたが、それには鬼としての能力を封じる呪がかけられていた。
鬼二人を詰問するのだから当たり前だな、と場を後にしながら姍寂は苦笑した。戻ってきた二人にどのようなものであったのか尋ねると、自嘲した表情が返された。どうもこうも、と笑う二人が話したのは文官長荊軻の恐ろしさだった。
「日頃あまり目立たない者のほうが恐ろしいものだな。淡々と矢で射られ続けたわ」
「どうにかこの事は吐かずに済んだがな。長が出てきてやりすぎだ、と諫めていた。それで助かったのもあるが、やはり甘いやつだ」
自分達を解放して後がどうなるかもわかっておらぬ愚か者だよ、と不敵に話す二人に、そうなのか、と姍寂は頷いた。
「手合わせも力に屈したというよりは術によって俺たちが能力を出せなかった、という方が正しいな」
うん、と荽梘も同意している。
「術さえ使えなくすれば何という事もないただの鬼女よ。あれさえ居なくなれば私のモノに近衛隊隊長もなるだろうよ。対峙した時も思ったが美しさも私のほうが秀でているし、いなくなれば墜とすことも容易いさ」
楽しみだ、と笑う荽梘に、お前は本当に私怨で動くやつだ、と矜焃が笑っている。
「私がここにいるのは全てあの方を手に入れるためだと言っていただろう?たかが長というだけで全てを持っていかれてたまるものか。長であれば全てを手に入れられるのであれば私がそうなるのさ」
くっくっと笑う荽梘に矜焃と共に肩を落として、まあそれでもいいさ、と二人は鍛錬に混じった。連れ帰ってきてくれた達楊にはしばらくいつも通りに過ごしておくように命じておいた。いつも通りとは調べは進めておけ、という事だ。二人が戻ってすぐに事を起こすのは難しい。確実に二人には監視の目が光っているはずだ。
「…しばらくは用心しておいた方がいいと思うけど?鍛錬は続けるの?」
「鬼が鍛錬するのは当たり前の事だろう?いつもと変わらぬ行動をしておかねば余計に訝しむだろうよ。それにおかしな行動をする者がいればお前や皆が気づかないはずもないだろう?」
認められては満更でもない姍寂もそこまで言われては是と言わざるを得なかった。確かに鍛錬の場の近くや矜焃や荽梘の邸も周囲に見知らぬ者がいたならば誰であろうと気づくことは出来る。既に仲間内の顔は全て見知っているのだから入り込むのは難かしい。闘技を見て矜焃の思いに賛同するものが現れても、今は受け入れるべきではない。間者の可能性が否定できない限りはしばらくこの仲間達のみで動いていたほうが危険は少ないだろう。
それから五日。月がもう直ぐ半分になろうとしても矜焃と荽梘も周りに異変はなく、集まって鍛錬する者達にも変わりはなかった。ようやく肩の力が抜いた姍寂は後に後悔することになる。
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時は少しばかり遡って宮に移る。
佟悧が持ってきた文書は荊軻に預けられた。人形が効力を失うまではあと六日ある。その間に記された者達を隠密に監視せよ、と悧羅の命を受け荊軻と枉駕が動いた。隊士達を大きく動かしては気取られるので初めから命を下していた武官隊と近衛隊の少数の隊士達がそれを担う。紳も動きたがったが悧羅の伴侶として顔が割れている。目立つことになるので控えてもらえるように荊軻が頼んだ。子ども達も参加したがったけれど、こちらもまた顔を知られているので控えるしかなかった。
粛々とその日が近づく中で、一番の問題は咲耶だった。紳が事情を舜啓に内密に言付けて、しばらく宮で佟悧を預かると言ったのだが、その日の内に診療の体裁で咲耶が宮にやってきた。佟悧を見つけるなり走り寄って頭を力一杯殴った咲耶を紳と忋抖、舜啓の三人がかりで止めなければならなかった。
「あんたって子は!最近なかなか帰ってこないと思ったら勝手にこんなことしてたの!?」
殴られた頭を、いったあい、とさする佟悧の目には薄らと涙が浮かんでいる。加減も無く殴られたのだから当たり前だ。だってぇ、と頬を膨らませた佟悧に、だっても何もあるか!、とまた殴りかかろうとする咲耶を必死に三人が止めた。
「悧羅ちゃぁん」
助けて、と言わんばかりに佟悧が悧羅の背中に隠れた。苦笑する悧羅も咲耶の気持ちはよく分かる。自分の子が自分の伺い知らぬところで危ういことをしていたのだ。親としては胆が潰れるような面持ちだろう。咲耶の行動も佟悧を思えばこそだ。
「まあ、無事であったのだから大目にみてやってたも。妾の事を思うてのことだったようであるしな」
抑えこむ三人を引きずりながら悧羅の側に般若のような顔で寄ってくる咲耶を悧羅が両手を挙げて制した。
「幾らあんたのためだっていっても、せめて一言親に言うべきでしょう!」
「だって母さんに言ったら何処から私が母さんの子だって分かっちゃうか分からないじゃない。ただの里の診療所に務めてるってしときたかったんだよ」
「それにしたって、どんだけ危ないことなのか分かんなかったの?」
悧羅の背中に張り付いて顔だけ出した佟悧に咲耶がくってかかる。分かってたよぉ、と顔を沈めていく佟悧に、分かってない!、と咲耶が一蹴した。
「やるなら舜啓に任せるべきでしょう!三年も前からってあんたが十六、十七の頃でしょう?!そんな子どもがこんな危ないことして!」
「兄さんじゃ駄目だったんだよ。兄さんが悧羅ちゃんと仲良いのはみんな知ってるし。すぐにバレちゃう。私だったから良かったの!むしろ私でないとできなかったの!」
それに子どもじゃない!、と佟悧も咲耶に向かって声を張り上げた。
「母さんが私と同じ歳のときはどうだった?思い出して見てよ。もう一人前に動いてたでしょ?」
言われて咲耶も動きと言葉を止めるしかなかった。確かに自分が佟悧の歳の頃は診療所で診察もしていたし、精気を獲りに人の子の里にも行っていた。もっと言えば精気を分け合うために情を交わすこともあった。昔を思い返して、咲耶は大きく息を吐いた。確かに子どもだ子どもだと思っていたが、佟悧には咲耶の診療所の手伝いもさせている。咲耶が思っていたよりも昔に大人になっていたのかもしれない。舜啓が歳の割にしっかりしているので甘えている娘だと思っていたけれど、自分で考えて自分で動いた。結果として、それは正しく悧羅を護ることにつながった。
「…まあ、そうね…。いつのまにか大人になってたって事か」
振り上げていた拳を降ろして、もう一度大きく息を吐くと身体を抑えている三人に、もう大丈夫、と伝える。ようやく自由になって咲耶は悧羅の横に座った。
「佟悧が持ってきたものはあんたの役に立つの?」
聞かれて悧羅は笑顔で頷く。
「それがなければいっかな事は進まなんだったであろうて。持ってこられた時は妾も胆を抜かれたがな。頭だけ抑えたとて中身を逃さばまた同じことが繰り返されたであろう。妾らの気付かぬ内に佟悧がいち早く動いておってくれた賜じゃ」
そっか、ともう一度咲耶は嘆息して佟悧の頭を今度は撫でた。悧羅の役に立ちたかったのか?と尋ねると、うん、と返ってくる。
「佟悧は悧羅ちゃんの子も同じでしょう?悧羅ちゃんが困る事になるかも知らないって思ったら身体が動いたの。危ないのも分かってたけど、どうしようも無くなったら母さんにも父さんにも兄さんにもちゃんと言うつもりだったよ?」
うん、と咲耶は頷いて今度は佟悧を抱きしめた。とにもかくにも無事で良かった、と安堵する。佟悧も、勝手してごめんなさい、と謝っている姿に微笑んでいると、咲耶怖いよ、と媟雅、忋抖、啝珈が苦笑している。いつもあんなもんだよ?、と舜啓は笑っているがその舜啓も紳から聞かされた時は、はあ?、と声をあげてしまった。そんな事も知らずに暢気に宮で寛ぐ佟悧に呆れ返ったのは言うまでもない。
「とりあえず、しばらく佟悧は宮で預かるけどいいか?一斉に粛清するつもりだけど、取り逃したりしたのが出たら危ないからね。ちゃんと大丈夫ってなったら帰すから」
紳が悧羅の横に座りながら咲耶に言うと、それは良いけど、と佟悧から身体を離した。
「でもまたこんな勝手されちゃ困るから、舜啓も一緒に預かってくれない?どうせ悧羅に稽古つけてもらう約束もあるみたいだし、近くで見張ってないと何しでかすか分かんないから」
え?、俺も?、と名を出された舜啓に、何か文句でもあんの?、と咲耶が一喝する。
「ございません」
項垂れる舜啓を笑って見やりながら、じゃあ決まりだな、と紳が悧羅を見た。
「そうだの。ここほど安い場もあるまいよ。妾らがおらぬ時は妲己がおるに。おいそれと入ってもこれぬしな」
頼むわ、と咲耶が言い紳と悧羅が、任されよう、と頷く。ところで、と悧羅は佟悧を見た。
「褒美は何が良いかきめておるのか?」
悧羅の言葉に佟悧が顔を輝かせる。決めてるけどね、と言いながら指を唇に当ててみせた。
「全部無事に終わったらお願いするよ」
悪戯な笑みに、なんであろうかの?、と悧羅も笑った。
いろいろありまして遅くなりました。
すいません。
明日はもう少し進められると良いのですが。
お楽しみいただけましたか?
ありがとうございました。