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追及《ツイキュウ》

残酷描写があります。

苦手な方はご注意下さい。

とんとん、と石畳(イシダダミ)を降りる音がして矜焃(キョウカク)荽梘(スイカン)はそれぞれうっすらと目を開けた。周囲に(アカ)りはなく自分たちが何処(ドコ)に収められているかも分からない。身体(カラダ)に当たる岩肌(イワハダ)だけがいつも冷たくそして痛かった。身体を動かそうにも両の四肢(シシ)は岩肌に固定(コテイ)され自由が()かない。能力(チカラ)を使おうとすれば、固定されている()(クサリ)から吸い取られてしまう。何よりも悧羅(リラ)から受けた(キズ)がどんどんと痛んで仕方なかった。幾日(イクニチ)こうしているのかはもう分からないが、一定(イッテイ)(ジカン)を置いて石畳(イシダダミ)を降りてくる者たちのことは分かった。


また始まってしまう、と矜焃(キョウカク)は近づいてくる衣擦(キヌズ)れの音と(ホノ)かな(アカ)りが揺れるのを(ボウ)っとする目で見やった。衣擦(キヌズ)れの音と(アカ)りが自分の数尺(スウシャク)前で止まって矜焃(キョウカク)は重い頭を(ワズ)かに上げた。格子(コウシ)の先から、おや、と(オダ)やかな声が聞こえて思わず大きな体躯(タイク)(フル)え出すのを矜焃(キョウカク)は止めることができなかった。格子(コウシ)(ジョウ)を開けて身を(カガ)めるようにしながら入って来たのは文官長(ブンカンチョウ)荊軻(ケイカツ)武官隊隊長(ブカンタイタイチョウ)枉駕(オウガイ)だ。


手に持っていた(アカ)りを手近(テヂカ)な所に置いて、二人が矜焃(キョウカク)眼前(ガンゼン)にまで歩み寄った。お目覚(メザ)めでしたか、と微笑(ホホエ)みを浮かべる荊軻(ケイカツ)矜焃(キョウカク)身体(カラダ)がますます大きく震えだす。あまりの震えに歯が鳴り出すのを止める事も出来ない。


「少しは何か話す気になったか?」


震える矜焃(キョウカク)嘲笑(チョウショウ)しながら枉駕が静かに(タズ)ねる。視線を枉駕に返そうとするが、目の前の荊軻から矜焃(キョウカク)は目を離せない。決して巨躯(キョク)でもなく(オダ)やかに話すこの荊軻(ケイカツ)矜焃(キョウカク)(オソ)ろしくて(タマ)らない。全身から冷たい汗が噴き出して荒れ始める息を矜焃(キョウカク)は必死に押し殺した。


()()()(トド)められて幾度(イクド)荊軻に(オソ)ろしい目に()わされたかわからない。眉根(マユネ)一つ、(オダ)やかな口調(クチョウ)も変えずに荊軻は淡々(タンタン)矜焃(キョウカク)に対して粛清(シュクセイ)という名の拷問(ゴウモン)(アタ)え続けている。岩肌(イワハダ)(トド)め置かれた矜焃(キョウカク)の両の四肢(シシ)の指はもう無く、両の(ヒジ)には矢が突き立っている。右目も閉じられているが、それも又荊軻が弓で射抜(イヌ)いたからだ。矢は貫通(カンツウ)しそのまま岩肌(イワハダ)()いつけられてしまっている。(クサリ)が無くとも矜焃(キョウカク)はこの場から動けないだろう。


自分の後であったり先であったりではあったが、そう遠くない場所から荽梘(スイカン)の声も聞こえてくるので矜焃(キョウカク)と同じような目に()わされているのは知ることが出来た。枉駕はともかく荊軻は男であろうが女であろうが態度(タイド)を変えることはしないだろう、と苦痛を受けながら矜焃(キョウカク)は感じていた。静かに燃える(イカ)りをもっと静かにぶつけられて、体躯(タイク)の良い枉駕よりもこの細身(ホソミ)の荊軻の方が不気味(ブキミ)仕方(シカタ)ない。視線を(ハズ)せない矜焃(キョウカク)を見ながら、荊軻は笑みを絶やさない。


「お前があんまり(イジ)めるから…。見てみろ、(オビ)えきって話にもならんではないか」


小さく笑いながら言う枉駕に、荊軻は、この程度(テイド)、と笑っている。


(イジ)めている内にも入りませんよ。でもまあそうですね。鬼としての能力(チカラ)は全て(フウ)じておりますから少しばかりは痛みましょうが。人の子ほどではないでしょう。何より(オサ)より強い、(オサ)より自分の方が(ヒイ)出ている、と思っておるようですから、この程度で()()げられても拍子(ヒョウシ)が抜ける、というものですよ」


「この程度ね」


枉駕が苦笑しながら矜焃(キョウカク)の姿を見る。鬼としての能力(チカラ)(フウ)じるどころか全て吸い取るように(マジナイ)を組み込んでいる(クサリ)だ。巨躯(キョク)に恵まれた矜焃(キョウカク)とは言え、苦痛は想像を()っするだろう。何より荊軻の()た弓には治癒(チユ)の力が低くなるように(マジナイ)が入っている。両の(ヒジ)と右目からはまだ新しい血が流れ出していた。日頃(ヒゴロ)大きく感情を出す荊軻ではないが(ユエ)に怒らせてはならんな、と枉駕は心に(トド)めることにした。


(オサ)であれば(マユ)一つ動かされることはございませんよ。この程度で(ワメ)()らすなど(ソコ)が知れるというものです」


ふん、と吐き捨てる様に言って荊軻は右手に鬼火(オニビ)を一つ出してそれを弓と矢に変えた。ぶるり、と震えだす矜焃(キョウカク)一瞥(イチベツ)を投げて、それで?、と荊軻が(タズ)ねる。


「何かお話があればお聞きしますが?何もございませんか?」


(カマ)えた弓で矜焃(キョウカク)の左耳を射抜(イヌ)きながら荊軻は静かに続ける。痛みと恐怖が一気に(オソ)って来て新たに弓を(カマ)える荊軻に、ちょっと待ってくれ!、と矜焃(キョウカク)はどうにか声を発した。何を?、と言いながら弓を(ハナ)つ荊軻の矢が右の(ホオ)(カス)めて背後の岩に突き立った。視線だけで矢を見つめて、新たに冷たい汗が背中を伝った。


「…話す!知っている事は何でも話すから!!」


震える声で(シボ)り出すように言う矜焃(キョウカク)に荊軻は弓を(カマ)えたままだ。納得のいかない(コタ)えであればいつでも射抜(イヌ)く、ということだろう。やれやれ、ようやくか?、と枉駕が苦笑した。


もう少し早く話す気になっていればここまで荊軻を苛立(イラダ)たせることも無かっただろうに。


「では聞くがお前の考えに同調(ドウチョウ)するものは?荽梘(スイカン)との(メン)(トオ)っているのか?」


荊軻の代わりに枉駕が(タズ)ねるが矜焃(キョウカク)は荊軻から目を離せずに大きく(ウナズ)いた。


「ある!…いえ、ありますっ!」


狼狽(ロウバイ)する矜焃(キョウカク)に、詳しいお話を、と荊軻が先を(ウナ)がす。


「仲間、と呼べるかは分かりません。同じような考えを持つ者たちで集まって鍛錬(タンレン)するようになったと言う方が正しいです。私と同じ考えで鍛錬(タンレン)していた者が数名を連れてきて、その中に荽梘(スイカン)もおりました」


「その連中(レンチュウ)はいつから集まり始めたのだ?」


「…五年ほど前からです。(オサ)という存在に疑念(ギネン)を持つ者が私の元に集まり始めました。私がいち早くそういった疑念(ギネン)を口に出していたからだと思います」


それで?、と弓を下ろさずに荊軻が(オダ)やかに聞く。震えが(フタタ)び身体を(オソ)って、鳴り出す歯を止められずに矜焃(キョウカク)は続ける。


「私はただそれらの者をまとめていたに過ぎません。集まった者たちの中には一本角もおれば二本角もおります。(トシ)の頃は私と同じ程度から若い者と様々(サマザマ)です。(オサ)御力(ミチカラ)絶大(ゼツダイ)であることは十年前に里をこの地に(ウツ)されたことでよく分かっているつもりです。ですが、強さというものだけで(オサ)というものが決められるのであれば(ダレ)であっても良いはずではないですか」


言い終わるや(イナ)矜焃(キョウカク)の左足に矢が突き立てられた。痛みと同時に血が流れていくのが分かるが岩肌(イワハダ)()い止められた身体では(ヒザ)をつくことさえ許されない。本当に()(モノ)ですね、と冷たい荊軻の声がした。


「あなた方は(オサ)()る者の資質(シシツ)が何であるのかさえ分からないのですか?強さだけで(オサ)(オサ)()りうるとでも?馬鹿馬鹿(バカバカ)しすぎてお話にもなりませんね」


もう一度弓を(ハナ)とうとする荊軻を、まあ待て、と枉駕が(トド)めた。まだ聞かなければならないことがあるのだが、このまま行くと荊軻は矜焃(キョウカク)の頭も射抜(イヌ)いてしまうだろう。


「集まる場や数、その者達の素性(スジョウ)などは分かっているのか?」


「名と顔くらいは…。集まる場は特段(トクダン)決めておったわけではありませんが、私の(キョ)の近くが(オオ)ございました。数名集まるとそこから移動して鍛錬(タンレン)をする、という流れがいつのまにか出来ておりました。数…、数も正しくは分かりかねます。そういったことには私は(ヒイ)出ておりませんので、友に(マカ)せておりました。友は私の(オサナ)い頃からの知り合いで姍寂(サンジャク)と申します」


それに聞けば分かるかと、と矜焃(キョウカク)が大きく嘆息(タンソク)する。


「集まる(ジカン)日取(ヒド)りなどは?」


(ジカン)…、と矜焃(キョウカク)(ボウ)っとする頭を()きつけた。気を抜けば意識を手放(テバナ)してしまいそうになるがここで意識を飛ばせば確実に頭を射抜(イヌ)かれるのは分かっている。荊軻は必ずそうする、というのはこれまでの事で分かっている。


()(コク)くらいから集まり始めます。(ウシ)(コク)には()りますが。日取(ヒド)りは月が丸い形から半分になるまで、としておりました」


なるほど、と荊軻が柔らかに笑った。少しばかりほっとした矜焃(キョウカク)に、では、と荊軻の微笑(ホホエ)みが深くなる。


「あなたはまだ(オサ)(キバ)()こうと思っておりますか?…ああ、遠慮(エンリョ)などは結構(ケッコウ)ですよ。本音(ホンネ)で語っていただけないなら無用(ムヨウ)ですから」


三度(ミタビ)ぶるり、と震えだす身体を荊軻は静かに見ている。弓は()ろされているが虚言(キョゲン)を言えばすぐに見透(ミス)かされるだろう。


(キバ)()こうとは思っておりません…。あれほどの力の差を見せつけられたのです。(カナ)うはずもない。…ですが(カナ)うならば手合わせをしていただけるのなら時々は、と願ってしまっております」


なるほど、と息をついたのは枉駕だった。良いことを教えようか、と笑われて矜焃(キョウカク)は枉駕に視線を(ウツ)した。


()()(オサ)の力の片鱗(ヘンリン)でも何でもないぞ?ただ(ワラベ)(タワム)れるかのように(アソ)んでおられただけだ。手合(テア)わせなどでもなんでもないのだよ」


は?、という矜焃(キョウカク)の頭に(スルド)い痛みが走った。(ヒタイ)に痛みと顔に流れていく生温(ナマヌル)い血の感触が伝わる。


「もうしばらく頭から血を抜いて冷やしておいた方が良かろうて」


枉駕の顔が間近にあるが何が起こったのかは見えなかった。荊軻の矢だけでも顔が動かせなかったのに、もっと動かせなくなっていることだけは分かる。またあなたは、と荊軻の嘆息(タンソク)が枉駕の後ろから聞こえた。


「いつも一番の楽しみを持っていくのですから。せっかくここまでとっておいた(ワタクシ)の立場がなくなってしまったではないですか」


「いやいや。お前は十分に楽しんだだろう?少しばかりは(ワレ)にも出番をくれねば。(ワレ)とて(イカ)っておるのだぞ?」


振り向きながら枉駕は矜焃(キョウカク)(ヒタイ)に突き立てた脇差(ワキザシ)から手を離した。頭を岩肌に()い止められてすでに意識を手放(テバナ)してしまっている矜焃(キョウカク)一瞥(イチベツ)を投げて荊軻が弓をしまう。(アカ)りを手に持って、ではあちらへ、と枉駕を(ウナガ)した。二人で格子(コウシ)を出て(ジョウ)を掛け直してから少しばかり奥に居る荽梘(スイカン)の元へと向かう。奥に進むにつれ暗くなる場に枉駕の鬼火(オニビ)が輝いた。冷たい岩肌に影を落としながら道を進むと、矜焃(キョウカク)(フウ)じているものと同じ格子(コウシ)が見えた。(ジョウ)(ハズ)して(アカ)りをおくがそれでも中は見えにくい。枉駕の鬼火が数を増して(アタ)りを照らし出してようやく荽梘(スイカン)の姿が目に映った。


矜焃(キョウカク)と同じように両の四肢(シシ)()(クサリ)岩肌(イワハダ)(ツナ)がれているが、身体に突き立てられた矢の数は(ハル)かに矜焃(キョウカク)(シノ)ぐ。()いている場所は(スデ)に首から顔だけ、という状態だ。荊軻にとっても枉駕にとっても矜焃(キョウカク)よりも荽梘(スイカン)の方が気に(サワ)ったからだ。あれほどの明確(メイカク)悧羅(リラ)への殺意(サツイ)。それが私怨(シエン)からくるものだと知れば余計(ヨケイ)(シャク)(サワ)るというものだった。


周囲に枉駕の鬼火(オニビ)が出ても、二人が格子(コウシ)の中に入っても顔を動かさない荽梘(スイカン)に表情一つ変えないまま、荊軻がまた矢を(ハナ)った。一寸(イッスン)ほど()いていた左の大腿(ダイタイ)に矢が突き立って荽梘(スイカン)(ウメ)いた。さっさと起きろ、と枉駕の冷たい声にようやくゆっくりと荽梘(スイカン)が顔を上げた。機敏(キビン)に動きたくとも動けないのだ。身体中に穿(ウガ)たれ突き立ったままの矢からは止まることなく出血し続けている。息をする事さえままならず、小さく速い呼吸を繰り返す荽梘(スイカン)に荊軻と枉駕は、やれやれ、と嘆息(タンソク)した。


自業自得(ジゴウジトク)本末転倒(ホンマツテントウ)という言葉はあなたのためにあるようなものですね、荽梘(スイカン)矜焃(キョウカク)からあなた方に面識(メンシキ)があり同じような考えを持つ者達をまとめる者もいる、という事は聞けました。何かほかに言いたいことがありますか?」


荽梘(スイカン)を見る荊軻の目は笑ってはいない。矜焃(キョウカク)に見せたような(オダ)やかさもどこかへ行ってしまっている。心底(シンソコ)侮蔑(ブベツ)の目で見られて荽梘(スイカン)は、ぎりっと歯軋(ハギシ)りするしかない。こんな(クサリ)などなければ、荊軻や枉駕など自分の敵ではないのに、と思うと(ハラワタ)千切(チギ)れるほどに屈辱(クツジョク)だった。


「まだありそうだな」


苦笑する枉駕に、まったく(オノレ)(カエリ)みないのですね、と荊軻も(アキ)れてしまう。


(クサリ)さえなければ自分は(ワレ)たちに勝てる、とでも夢を見ておるのだろうよ。滑稽(コッケイ)なことだ。自分と他者の力の差も分からぬとは、話にもならぬな」


荽梘(スイカン)の腕を(シバ)っている(クサリ)を揺らしながら枉駕が嘲笑(チョウショウ)する。


大方(オオカタ)、自分の美しさも(オサ)と変わらないなどと不届(フトド)きなことも考えておるのでしょう。この数日でよく分かりましたよ。その性根(ショウネ)もさることながら、(オサ)と同等であろうなどと…。笑いもでませんね。あの方に比べればどれほどの醜女(シコメ)か。目に入れるのも(オゾ)ましいといいますのに…」


嘆息(タンソク)する荊軻に、醜女(シコメ)だと?、と(カワ)いた声がかすかにした。真っ直ぐに荊軻を射るように(ニラ)みつける荽梘(スイカン)の目にはまだ(イカ)りが(トモ)っている。そうですよ、と視線を受け止めながら荊軻は吐き捨てるように言った。


「あなたは(オサ)が何たるかを知らない。(オノレ)の欲だけで動き、(シン)様を欲しがる。あのお二人を見て分かりませんか?(ダレ)にもあのお二人の間には入り込めないのですよ。特にあなたのように(オノレ)が一番(ヒイ)でている、などと勘違(カンチガ)いするような者など目にも入れようとなさらないでしょう」


「私のどこが(オサ)(オト)っているというのだ!」


(カワ)いた声を精一杯(セイイッパイ)に張り上げるが、同時に喀血(カッケツ)してしまう。それを(ヌグ)う事さえ許されず荽梘(スイカン)は続ける。


「私が先に見つけたんだ。闘技(トウギ)の場で、当時の近衛隊隊長(コノエタイタイチョウ)瞬倒(シュントウ)するあの方を。隣に立つのは私であったはずなのに、(オサ)夜伽(ヨトギ)の相手になど望まぬものに()かされ、運良く(オサ)懐妊(カイニン)したからと(チギ)りだと?ふざけるな!(オサ)なんてものがいるからそういったことが許されているのなら、(オサ)など()らぬ!いや、むしろ(オサ)にさえなれば欲しいものは何でも手に入れることができるのだろう?!()()()はたまたま(オサ)として産まれたに過ぎないのに、なぜ全てを持っていく権利(ケンリ)があるのだ!」


大口を開けて叫ぶ荽梘(スイカン)の口に荊軻の矢が(ハナ)たれた。かろうじて頭を起こしていた荽梘(スイカン)の顔が正面を向いたまま岩肌(イワハダ)()い止められる。口内一杯(コウナイイッパイ)に血が(アフ)れだすが飲み込む事さえできず、荽梘(スイカン)の口から鮮血(センケツ)が流れ出した。続け様に左目と左(ホホ)(ヒタイ)まで穿(ウガ)たれて開け放ったままの荽梘(スイカン)の口から叫びが(ショウ)じる。枉駕も止める事はしなかった。荊軻がやっていなければ枉駕がやっていた事だ。


「あなたは本当に(オロ)かですね」


抑揚(ヨクヨウ)のない荊軻の声に初めて荽梘(スイカン)は身が震うのを感じた。動かせない身体がかたかたと震えて何十と突き立った矢が音を立てる。


(オサ)がなんの苦渋(クジュウ)もなく今の地位におられるとでも言いたいのですか?あの(オサ)がどれほどまでに(ミズカ)らを押し殺して里を、民達(タミタチ)を護ってきてくださっているのかも知らないのですか?(オサ)であれば何でも手に入れられる!?思い上がるのも大概(タイガイ)にしていただきたいですね」


続けて二本の矢が(ハナ)たれて荽梘(スイカン)の首の左右に突き立った。気道(キドウ)(ツブ)さなかったのは荊軻がまだ言いたいことがあるからで、温情(オンジョウ)でも何でもない。声を荒げる荊軻に枉駕も少しばかり狼狽(ロウバイ)する。共に500年、悧羅に(ツカ)えているがこれ程までに感情的に怒りを表に出す荊軻を初めて見た。


自分が悧羅に(ツカ)え始める前に、何かあったのかもしれない。


そう感じたが今だろうが後だろうが荊軻は話してはくれないだろう。けれど目の前の荊軻は怒りでわなわなと震えている。余程(ヨホド)のことなのだろう、と枉駕は自分に言い聞かせた。とりあえず荊軻の隣まで行き弓を降ろさせる。あとは自分がやる、と言うと、申し訳ございません、と荊軻が大きく息をついた。


「…闘技(トウギ)といえば200年前が最後だな。紳様が近衛隊隊長に()かれたのもそこからだ。とすれば、お前の恋慕(レンボ)もそこからか。そこそこに根が深い」


(コタ)えることの出来ない荽梘(スイカン)に、ただ枉駕は話し続けた。


「だがお前は先代(センダイ)の事を知らないのだな。当代(トウダイ)(オサ)()かれるまで、民達がどのような辛酸(シンサン)苦渋(クジュウ)()めざるを得なかったのかを知らない。…学びが()りぬのではないか?」


枉駕の声も冷たく響いて荽梘(スイカン)の身体がますます震えだした。枉駕には目を閉じていても昨日の事のように思い出せる。先代(センダイ)暴挙(ボウキョ)荒廃(コウハイ)していく里と()(スベ)なく息絶(イキタ)えていく同胞達(ドウホウタチ)のうずたかく積まれた(シカバネ)の山。それはすべて荽梘(スイカン)の様に(オノレ)の事しか考えていない先代(センダイ)(セキ)だ。


(オサ)が今の里を(ウルオ)わせてくださるまで、どれほど自分を(ケズ)られたか分からぬか?お前のような(オノレ)の事しか考えぬ(ヤカラ)になど誰がついていこうと思うものか」


荽梘(スイカン)に近づきながら枉駕は鬼火(オニビ)の一つを短剣(タンケン)に変える。


「お前ももう少し血を抜いて頭を冷やした方がいいようだ」


言うなり枉駕は荽梘(スイカン)の首に短剣(タンケン)を突き立てた。荊軻が()けた気道(キドウ)の上から差し込まれて急激に荽梘(スイカン)は呼吸が出来なくなる。


「まがりなりにも鬼である以上、この程度では死なんだろう。痛みと苦しさにのたうちまわりながら(オノレ)(カエリ)みよ」


怒りのこもっていた荽梘(スイカン)の目にはすでに恐怖(キョウフ)の色しか映っていない。矜焃(キョウカク)にしろ荽梘(スイカン)にしろ(オサ)は荊軻と枉駕に(マカ)すと言った。ここで二人が息絶(イキタ)えようと、それで(ヨシ)と言うだろう。冷たい一瞥(イチベツ)を投げて小さく舌打ちすると、背後(ハイゴ)衣擦(キヌズ)れの音がした。荊軻が動いたか、と振り向いた枉駕の目に映ったのは悧羅と紳の姿だった。格子(コウシ)(クグ)って中に入ってくる悧羅に、こんなところにおいでになっては、と荊軻が(タシナ)めている。ちらり、と悧羅が荽梘(スイカン)の姿を見てくすり、と小さく笑った。


「…枉駕はともかくとして荊軻が心配での。()()日頃(ヒゴロ)(オダ)やかな分、歯止(ハド)めが()かぬようになることもある(ユエ)


微笑(ホホエ)まれて荊軻も大きく息をはいた。紳も荽梘(スイカン)の姿を見て、うっわぁ、と少しばかりたじろいでいる。


矜焃(キョウカク)の方も通りすがりに見て(マイ)ったが、こちらの方が荊軻の気に(サワ)ったようだの」


くすくす、と笑われて、面目次第(メンボクシダイ)もございません、と荊軻が肩を落としている。それに、良いよ、と悧羅は笑った。


「むしろ思っておったよりも軽い感じであったに。(ワラワ)のためであろ?礼を言わねばならぬようだ」


ぽんぽん、と荊軻の肩を悧羅が叩くと、(ワタクシ)もまだまだでございますね、とようやく荊軻が小さく笑った。十分でしょ、と紳に笑われて荊軻も肩を(スク)めるしかない。


「して、何故(ナニユエ)このような場に?」


枉駕が(タズ)ねると、()()に少し話があった、と悧羅が荽梘(スイカン)を指さした。


「妾の声は届くであろ?これら二人のことは其方(ソナタ)達に(マカ)せておるに、(ワラワ)が手出しはせぬ。()()もそのままにする(ユエ)、少しばかり紳と妾を残してくれぬか?」


荽梘(スイカン)の身体に突き立った矢や刀を示しながら苦笑する悧羅に、御意(ギョイ)のままに、と二人が軽く礼を取って格子(コウシ)から出、そのまま矜焃(キョウカク)の方へと歩いていった。背中を見送って、さて、と悧羅は荽梘(スイカン)に近づいた。


「あんまり寄ると血がつくよ」


紳が悧羅の手を引いて、ここまでね、と近づく距離(キョリ)を決める。分かった、と笑う悧羅を荽梘(スイカン)の視線が(トラ)えたが、その目には恐怖(キョウフ)の色しかない。まだ荊軻にしては甘いほうだがな、と小さく笑って悧羅は、荽梘(スイカン)、と声をかけた。


「話しとうても話せぬだろう。一つだけ其方(ソナタ)間違(マチガ)いを正しにきた(ユエ)、話だけ聞いておるが良い」


間違い?、と荽梘(スイカン)は声を出したつもりだったが言葉にはならなかった。代わりに口から血が(アフ)れだす。


其方(ソナタ)はたまたま妾が紳を手に入れた、と申したな。先に見つけたのは自分であった、と。200年も前から紳を想うておったに、妾が(ウバ)ったと言うた」


(ワズ)かに残った力を振り絞って荽梘(スイカン)の頭が動いた。()、という意味だろう。そこが違う、と悧羅は静かに伝える。


「妾と紳の(エニシ)は500年前から続いている。訳あって共におることが出来る様になったは子を(サズ)かったからだが、そうでなくとも紳は夜伽(ヨトギ)(ニン)()くな、と妾に()うた。(タト)え子を授からずとも紳は妾の(ソバ)を離れる事は(ヨシ)とせなんだ。これが何を意味するか其方(ソナタ)にわかるかえ?」


返事の代わりに荽梘(スイカン)咳込(セキコ)む音が響いた。まあ、分からぬとは思うがの、と小さく嘆息(タンソク)する悧羅を紳が引き寄せる。(ヨゴ)れるよ、と自分の腕の中に悧羅を収めた。


「妾は(オサ)として子を成すためだけに500年夜伽(ヨトギ)を繰り返してきた。なれどその間誰からも精気(セイキ)を受け入れてはおらぬ。そして紳もまた妾を手にするまでの500年の間、誰とも(ジョウ)()わしておらなんだ。なれど其方(ソナタ)(チガ)うであろ?一夜限(ヒトヨカギ)りの(ジョウ)()わし精気(セイキ)を分け合っておるのであろう?」


どういうことだ、と荽梘(スイカン)は頭の中で思った。鬼が精気(セイキ)を受け入れず、(ジョウ)()わさないなどあり得ない。紳とて自分ではなくとも(ジョウ)()わす相手はいるはずだと思っていた。


「500年は其方(ソナタ)が思うよりも長い。其方(ソナタ)が紳を想うておった年月の倍以上だ。それを耐え抜くのがどれほどのものか其方(ソナタ)にわかるかえ?」


聞いた悧羅は苦笑して、分からぬであろうな、と肩を落とした。


「紳は良い男だからの。恋慕(レンボ)する気持ちは分かるえ。なれど、妾から紳を(ウバ)わんとするならば、次はない。加減(カゲン)容赦(ヨウシャ)もせぬ(ユエ)、それだけは(キモ)(メイ)じや」


柔らかな声だったが(イナ)と言わせない何かがあった。笑いを含んだその声に荽梘(スイカン)はまた身体が震え出すのがわかった。


「それもここから出られれば、の話だがの。余程(ヨホド)荊軻を(タギ)らせたと見える。なれどまだ甘い方だのう…。元の形を(トド)めておるとは思うておらなんだ」


くすくすと笑う悧羅の声に、荽梘(スイカン)の身体がますます震えた。話はそれだけじゃ、と場を去ろうとする悧羅を紳が止める。俺だって言いたいことあるんだよ?、と腕の中に留め置かれて悧羅は笑う。


「あのな、荽梘(スイカン)闘技(トウギ)の場でも言ったけど俺にとって悧羅はこの世の全てなんだよ。悧羅に(アダ)なすものは全部俺の敵だから俺だって加減(カゲン)容赦(ヨウシャ)もしない。500年想い続けてやっと手に入れた女をそう易々(ヤスヤス)手放(テバナ)すつもりもない。あと一つ言っとくと、俺、悧羅以外抱けないから。誰に何言われても、どんなに(セマ)られてもそういう気持ちになれないんだよ。俺を男として(タギ)らせられるのは悧羅だけなの。そういうわけできっぱり(アキラ)めてくれ」


そんな、と哀願(アイガン)するような荽梘(スイカン)の視線に気づいて紳が悧羅に深く口付ける。目を見開く荽梘(スイカン)に、何だったら、と悪戯(イタズラ)に笑っている。


「何だったら俺がどうやって悧羅を(イツク)しむか、ここでやって見せようか?」


「やめておくれ。その様な趣向(シュコウ)はないであろ?」


悧羅に止められて紳は、残念、と笑っている。


「そんな事をしては紳にしかみせない妾を見せることになってしまうえ?よいのか?」


今度は悧羅から深く口付けて聞くと、そりゃ駄目だった、と紳が大笑いした。その姿を見つめる荽梘(スイカン)の目に涙が浮かんだ。


どうあっても届かないのだ。

例え自分が(オサ)になろうとも、悧羅を殺そうとも紳は自分のものにはならない。


ぼろぼろと泣き始める荽梘(スイカン)に紳と悧羅は笑って、共に格子(コウシ)を出た。荊軻、枉駕、と悧羅が呼ぶと先の(ヤミ)の中から(フタタ)び二人が現れる。


「お話はおしまいですか?」


冷静さを取り戻した荊軻が(オダ)やかに二人に聞いている。(ウナズ)く二人に笑う荊軻と枉駕に、あとは好きにしいや、と言い残して悧羅と紳は去っていった。

新章に入ってから一話が長いですね。

申し訳ありません。


それでもお楽しみいただけているなら幸いです。

ありがとうございました。

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