廻る《マワル》
おはようございます。
良い天気です。
キリの良いところで100話到達です。
悧羅が目覚めたことで、里の重鎮達はほっと安堵した。朝議の刻にいつもと同じように現れた悧羅に、まずは、と三人が伏した。
「里をお守りいただいた事、深くお礼を申し上げます。長におかれましては、お身体の具合は宜しゅうございますか?」
「少しばかり長く寝てしもうたようだ。妾はなんということもない故案ずるでないよ」
顔をあげるように悧羅が言うと三人がゆっくりと顔を上げた。目に映った悧羅は柔らかな微笑みを浮かべている。もう一度安堵の息をつく重鎮達に、して、と悧羅が扇子を広げた。
「里と民達は如何しておる?」
はい、と荊軻が応えた。悧羅が休んでいた間に枉駕によって近衛隊隊士達と武官隊隊士達で状況の把握は済んでいる。
「長がお休みでございましたので結界内のみになりますが、山の火によっても里を移しましたことによりましても怪我人などは出ておらぬようです。欠けた者、取り残された者もおらぬ、と聞き及んでおります」
「それが一番であるな。里はどうじゃ?」
は、と枉駕が後を引き継いだ。
「これも又、結界内に留まりまするが、しっかと着いておるようです。里自体にも壊れた場もなく民達はいつもの暮らしをつつがなく行えておりまする」
うん、と悧羅は大きく頷いた。
「場が何処か分からぬ故、少しばかり戸惑うておる者もおるにはおりますが、そこは長に出ていただくが宜しかろう、と思うております」
「まあ、それが容易かろうの。何処であるかは妾にもしかとは分からぬが、大国に差し掛かっておるは違いないであろ」
苦笑する悧羅に、大国なの?、と紳が尋ねた。恐らくの、と悧羅は紳を見る。
「枉駕が先じて見つけてくれたは大国にあるは霊峰の境であった故。王母が治める地であれば、崑崙山の何処かであろうよ」
なるほどね、と紳も納得したようだ。
「確かに人の子の国とは違いまするな。肌で感ずる風も穏やかでございますれば。諍いの匂いもいたさぬしの」
伸びた白い髭を撫でながら栄州が目を細めている。何とも肌に馴染む場だ。
「どちらにせよ民達に下界との出入りの言の葉も教えてやらねばならぬし、この場も妾も巡ってみようと思うておる。危うさがなければ結界を解いても宜しかろうて」
扇子で自らを扇ぎながら、なれど、と悧羅は続けた。
「ここは妾らの先住の地。人の子の関わる場ではない故、何があろうと人の子を入れるはまかりならぬ。下界には倭の国にはおらなんだ妖もおるであろうから、そこも気を張らねばなるまいて」
人の子が容易く入れる場だとは思っていないが、迷いこむことはあるだろう。妖にしてもそうだ。力を持った妖が場に入り込めば、王母の治める土地に要らぬ血が流れてしまう。それらの抑止力として悧羅達が呼び戻された事も考えられる事だ。
であれば里の結界を強固にするよりも、この場への入り口への結界を新たに張らねばならない。どちらにせよ、王母の思っている事以上の事を考えておかねば、悧羅の背中の蕾は刈り取られてしまうかもしれなかった。
「でも入り口って霊峰と雲に遮られてるんでしょ?人の子や妖が簡単に入り込めるかな?」
考え込む紳に、容易くはないでしょうね、と荊軻が言う。枉駕から聞いた霊峰の入り口は山のかなり上にある。人の子が昇ってこれるような場ではない。
「入る可能性があるとすれば私共が下界で出入りする時でしょう。だからこそ用心せねばならぬのでしょう。出入りする際に判別して弾くような事が出来れば一番なのですが」
なるほど、と場の全員が声を発した。確かにそれが出来れば場の安寧は保たれる可能性が高い。悧羅が入り口という入り口に結界を張るよりも、その場のみで弾くような事が出来れば余程容易いだろう。
「…出入りする際に門にかける結界であれば妾でどうにかできよう。倖にも、まだ華は三つ残っておるでな。多少の無理はきくであろ」
「そうなりますかね。私共で張れる結界では弱いでしょう。ですが、それでは余りにも長のお能力とお身体への負担が大きゅうございましょう」
心配そうな荊軻に、大事ない、と悧羅は言うがそれには場の全員が、否、と言う。
「確かに華は三つ残っておりましょうが、全てを開いてしまうような事があってはならぬの。長のお身体に何かあってからでは困りますでな」
「そうだよ?里を動かしたばっかりでまたそんな大きな事したら、また寝込むでしょ。華だって一輪で終わるとは限らないよ?咲いた華は二輪だけど、よくよく考えれば右肩の華も数えなきゃいけないんだから。全部で三つ使って里を移したってことなんだ」
うん、と枉駕が大きく頷く。それだけ大きな事をやってのけたのだ。今思い出しても鳥肌が立つ。降り注ぐ山の怒りを難なく結界を強化して防いだばかりか、十万の民達を乗せたまま里を切り取り先住の地に移した。一介の妖に出来ることだとは思えない。
王母が、さすがは蓮の、自分の娘だ、と言った言葉は嘘ではないのだろう。王母のような神の能力までは及ばずとも、その片鱗を与えられているのだ。
「里にも結界術に秀でた者もおりますれば。その者達に礎となる結界を張らせた上に長の結界を上乗せする方が負担はお小さいのではなかろうか?」
提案した枉駕に、それは良いな、と栄州が微笑んだ。
「王母が我らを戻された、ということは他にも意味があるのだろう。その時に長にしか出来ない事が出るやもしれぬ。華が三つ残っておるからと慢心して長にばかり頼っておっては鬼の名折れというものだ」
「人の子の里にいた時も単なる大蛇騒動に悧羅が出ちゃったからね。隊士達を鍛え直すにも充分な理由だね」
隣の紳も枉駕の案に乗ったようだ。
「どうしても、の時は頼らないといけないんだから。少しは温存してもらわないと。民達が全部悧羅に頼っちゃったら悧羅の身がもたないしね」
ね?、と言われて悧羅は、わかった、と言うしかない。多少の無理ならきくのだ。紳も精気を分けてくれているし、何より王母から賜った玉に込められていた精気は身に余るほど悧羅の中に揺らいでいる。しばらくは枯渇する事もないとは思っているが、確かに栄州や紳、枉駕の言う事も分かる。
「では、まずはそれを試してみることとしようかの。術に長けた者たちを集めるは荊軻に任せるが良いか?」
「お受けいたしましょう」
恭しく頭を下げる荊軻に、出来るだけ早く、と悧羅は念を押した。里の出入りの言の葉や出入りの際の用心については悧羅が下知として下すことになった。
「朝議が終われば子ども達と共に場を確かめに行ってくるえ。枉駕、すまぬが今日まで近衛隊を頼めるかえ?…紳も共にゆかねばこれが案じるでな」
閉じた扇子で悧羅が紳を示すと、当然でしょ、と紳は頬杖をついている。腕白盛りの子ども達を連れて悧羅と妲己だけで行かせられるわけがない。それに子ども達とも約束している。悧羅が起きたらみんなで見て廻ろうと。
「お任せを」
頭を下げる枉駕に、ごめんね、と紳が笑いながら詫びている。なんの、と枉駕が豪快に笑って見せた。
「何であれ、まずは長が見て廻られねば先には進めませぬでな。新地を良くご覧になってきておいでくだされ」
では、と席を立つ枉駕に荊軻と栄州が続く。三人が部屋を出て、紳も立ち上がった。さあ、と悧羅に向かって手を伸ばす。
「行ってみようか、悧羅。俺たちの新しい住処がどんなところなのか、子ども達と見に行こう」
くすり、と笑って悧羅は伸ばされた手を取った。
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ふむ、と悧羅は結界で覆われた里を外から眺め見た。この結界の縁が倭の国での里が地と接していた部分のはずだ。揺らぐ薄紫の結界が接する部分にしゃがみ込んで、悧羅は地に掌を当てる。里が降りた時に巻き上がったのであろう砂や石が散らばってはいるが、里自体は強固に地面に繋げられている。
里自体の地も揺らいではいないし、ここまで翔けてくる間も里の民達や邸にも異変はなさそうだった。荊軻や枉駕の調べたことに間違いはないな、と思いながら、さてどうするか、と悩む。
結界を解くべきか解かざるべきか。
立ち上がって揺らぐ結界を見上げていると、母様ぁ!、と呼ばれて悧羅は振り返った。
「はやく、はやくぅ!」
大きく手を振りながら悧羅を呼ぶのは媟雅だ。里の正面に位置した湖の辺りで子ども達が走り回っている。見渡せば限りのない緑の野が広がっている。所々に大樹が見えるが、どれも青々と繁って、時折吹く心地の良い風に揺られて葉が擦り合う音が聞こえてきた。
風に舞う髪を押さえながら、悧羅は子ども達の元に歩を進めた。
「きれいなところだよ。びっくりするくらい広いよ!妲己と走ってきていい?」
手を引かれてねだられて悧羅は周囲に意識を向けた。すん、と匂いも嗅いでみたが危うい匂いもない。むしろどこまでも護られて包まれているような穏やかな匂いだ。何処かに仙桃の樹でもあるのか、甘い匂いも混ざっている。どちらにせよ、危険はないだろう。
「良いであろ。妲己、頼まれてくりゃるかえ?」
“もちろんでございますとも”
媟雅の頭を撫でて頼むと妲己が体躯を大きくする。身をかがめると忋抖と啝珈が乗り込む。媟雅が皓滓を抱えて乗り込むと、周りも見て参ります、と一言残して妲己が駆けだした。楽しそうな声を響かせて子ども達が歓喜しているのが見てとれた。
「おやまあ、楽しそうなことだ」
飛び回る妲己を目で追いながら笑ってしまうと紳が悧羅の手を取った。
「何だかすごく落ち着くんだけど…。これって俺だけかな?」
「いや?妾も懐かしい思いに駆られておるに。故郷を知らずとも流れる血が覚えておるのやもしれぬの」
うん、と紳が笑いながら周囲を見渡している。紳の目から見ても危険な香りはしない。悧羅が初めて王母に誘われた時のように、どこか戻った事を喜ばれている気持ちになる。やっと戻れた、という気持ちもどこかしらで湧いてきた。
それに何よりこの場所だ。
視線を湖に向けて紳はそこにも懐かしさを感じてしまう。里がどうしてここに降ろされたのか、そこにも王母の導きがあるように思えた。
「悧羅、ここさ…、」
似てないか?、と言う紳の言葉は悧羅が繋いだ手に力を込めて引き継いだ。
「そうさの。まるでそのまま移されたようだの」
目の前に広がる湖は紳と悧羅が初めて会ったあの場所に瓜二つだ。異なるのは周囲を樹々が覆っていないということくらいか。見つめていると初めて会った時のことも、最後にあった日の事も今正に目の前で起こっているかのように浮かんでは消えていく。
「うん…。忘れるなってことなのかな?」
鮮明に見える過去の自分達を見つめながら、紳が問う。王母が自分を戒めているのか、と言う紳に、悧羅は、いいや、と首を振って見せた。紳を仰ぎ見て柔らかに笑う。
「初めからやり直せ、ということであろうよ」
「初めから?」
紳も悧羅を見て空いた手でその頬に触れる。触れられた手に悧羅が手を重ねて更に微笑んでみせる。初めからやり直すにはあまりに長い刻だ。
「やり直すのは難しいよね?」
どこからか響く子ども達の声を聞きながら紳が困ったような笑みを浮かべた。やり直してしまったらあの声が聞けなくなってしまう。それにも悧羅は、くすりと笑う。
「そうさの。やり直すには妾は余りにもたくさんのものを紳にもらいすぎておる。…手放すには惜しい」
「だよね?俺も嫌だなぁ。だって、また悧羅を手に入れるまで頑張らなきゃならないじゃないか」
困ったように肩を竦める紳が可笑しくて声をあげて笑ってしまう。
「妾とて、また紳を手に入れるまで耐えるは堪えてしまうの」
笑い事じゃないよ、と頬を撫でられて悧羅は、すまぬ、とどうにか笑いを堪えた。けれど目の前の紳は悧羅に触れているというのに困った顔をしている。込み上げる笑いを堪えながら悧羅は紳を真っ直ぐに見つめた。
「では、これならどうであろ?」
「なに?」
首を傾げる紳の手に悧羅は頬を擦り寄せる。
「ここからまた始めよう」
一瞬目を見開いて、紳は擦り寄られた悧羅の頬を優しく包んだ。そうだね、と笑って悧羅を引き寄せる。
「せっかく新地に来たんだもんね」
「そうであろ?忘れてはならぬことやもしれぬが、そろそろ互いを赦しても良いのではないかえ?王母もそう言うておるのであろうよ」
紳を見上げて悧羅は笑う。
忘れる事など出来ようはずもない。
だからといって赦していないわけでもない。
悧羅が赦していても紳がそれを望まないだろう。
それも悧羅には分かっている。
だからこそ、王母はここに湖を作ったのだろう。
もしかすれば、本当にあの湖を移しただけかもしれないが。
本当にあの方だけは読めぬものだ。
笑う悧羅に、じゃあ、と紳が引き寄せる腕に力を込めた。
「もう一度、俺と契りを交わしてくれる?」
契ろう、と言って現れた初めての紳が重なって悧羅は微笑みを深めた。
「もちろんだ。幾度でも、紳が妾を望んでくれるのであれば」
「そんなの、何度生まれ変わっても悧羅だけを探すに決まってるじゃないか」
「それは妾も同じじゃな」
うん、と紳が破顔する。
「じゃあ、ここからまた始めよう」
囁くように言いながらどちらともなく深く口付けた。
思っていたよりも早く話がすすむなぁ、と思っていましたが程よく100話で一区切りです。
やるな、私と誉めていたら朝から包丁で指を切りました。…調子に乗るな、ということですね。
更新速度が遅くなってますが、新章に入ります。
よろしくお願いします。
ありがとうございました。




