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幸せにおなり、人魚姫  作者: 藍川朋子
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2021年3月2日 0時頃、記載整備しました。


さらに2021年3月14日 1時頃、微修正しました。

はじめての夜を迎えた時、明琳はその人に向けて月光のように滑らかで静かな微笑を浮かべながら、その実、心中はささくれだった真冬の指先のように、不安でいっぱいだった。

その人は、王族の覚えもめでたい将来を嘱望された若者で、生まれも良く一族の後継に相応しく優秀、彼の才覚に見合った地位に既に着いていた。また見目も、女性が一目見て騒ぐような浮ついた華やかさはないけれど、品よくととのった顔立ちの中、眼差しは野生のけもののように鋭く、相対する者の覚悟を問うように迫るところがある。それなのに、話してみると人当たりは思いのほか柔らかくて、度量広く誠実な人柄に、密かに恋心を募らせる乙女があちこちに隠れていそうな、そんな人だった。

その人が自分を好きだと言う。

好きであるのなら、こんな自分でも喜んでくれるだろうか。喜んでくれるなら、差し出してもいい。差し出して、喜んでくれる顔がみたい。こんな自分でも、その人が嬉しいと笑ってくれるなら―。

与えたいというその想いは、明琳の中で、少しずつ、与えて与えられたい、愛されたい、に変わって行った。

それは、与えることは知っていても、与えられることを望まなかった明琳にとっては、本当に特別なことだったのだ。

(でも)

(‥うまく振る舞えるだろうか)

(彼が望むように)

期待してしまう、愛されたいと願う、その想いが。

与えられたいと期待して、その人に差し出して、もし、もしも、

(こんな筈じゃなかったと)

(うまくできなくて、失望されたら)

神が絵筆を取ったように狂いなく描かれた輪郭。藍色の星のきらめくような瞳は、深遠なる夜空を映し込んで吸い込まれるよう。

天人の如き美貌と称賛される顔に、柔らかに微笑をたたえて、明琳はその人の答えを待つ。その下に、発狂しそうなほどの不安を抱えながら。

何をどうすればうまくできるのか、できたのか、明琳は未だにわからない。

けれど、その時その人は、確かに喜んでくれたのだ。

明琳のつたない振る舞い、縋りつく手に鋭い眼差しを優しく緩めて、苦し気にもれる掠れた声を甘く受け止めて、何度も明琳に口づけるその唇の端に浮かんだとろけるような笑みに、時折余裕をなくして明琳を狂おしくかき(いだ)き求めるさまに、それら全てに、明琳は安堵した。その人と過ごしたそのはじめての夜は、ひだまりの中でまどろむようにあたたかくて、大人びた月の女神の仮面の下に明琳が隠していた幼子のような不安はいつの間にか消失し、明琳は確かにその夜、その人と共に幸せだったのだ。

そして再び、まもなく明琳は妻としてはじめての夜(・・・・・・)を迎える。

望まれて嫁ぐことになった。明琳を得ることで、彼は高貴な姫を妻に迎え、夏国の支えを得る。秋国王お声がかりの婚儀でもある。たとえ明琳がどのような醜女(しこめ)であろうとも、多少傲慢で我儘な気立ての悪い女であろうとも、ろくに言葉も話せず教養のない三国外の庶民育ちであろうとも、夫となる周藍にとって、明琳を娶るということはそれなりに利益のある話だった。

だから拒まれる筈はないのだ。そう思いながらも、けれど明琳は、いままた再び、胸中には不安がみちみちている。

(彼の中に好意など、かけらもないのを()の当たりにしたら)

(こんな女など触れたくない、見たくもないと拒まれたら)

先日、秋国王陽梨の元で明琳は夫となる周藍に引き合わされた。

明琳が紗をとって顔を見せた瞬間、周藍は激昂した。あろうことか自国の王、秋国王陽梨に掴みかかる程だった。何とか場が収まり、周藍は結局は婚儀を受け入れながらも、彼の眼差しは明琳を許していなかった。明琳が怒鳴りつけられるようなこともなく、表向き謝罪があっても、その声の底流にはぞっとする程の暗い思いが込められていた。

(あれは私に向けた感情)

(あれこそが彼の本心)

何も気づかなかったと明るく振る舞ったつもりだったが、明琳はその眼差しに脅えた。

(その夜が来たとき、‥)

自分はどうなるのだろう、と明琳は思う。あの暗い瞳を向ける周藍と、灯りの消えた寝台の上に二人きりで共に横たわるとき、自分は一体どうなるのだろうかと。

その時を思うと、明琳は急に、足元の床がたちまち崩れて奈落へと落ちていくような心もとなさを感じる。

あの暗い眼差しがまさしく自分に向けられて、それに相対しなければならなくなったとしたら。その眼差しにはひとかけらの感情も浮かばず、それをまざまざと見せつけられたとしたら。

明琳の胸は締め付けられるように痛んだ。

でもそれでも、明琳はその痛みに耐えるしかないのだ。

三国に入り、夏国王の娘として周藍に嫁ぐこと。その提案に頷いたのは、他でもない明琳である。

秋国王陽梨の招きで、周藍に面会したときの彼の姿を明琳は忘れられない。

眼の下の(くま)、武人にしては細身の体躯。長らく満足に寝ていない、満足に食べていない、休んでいない人の姿だ。このままではそう長くもたない、そう感じるのに十分な姿だった。

(怖い。あの眼差しが)

(あの人の中に、自分がいないかもしれないことが。でも)

(私はどうなろうと)

(既に賽は振られた。私は選んだ。だから、私のすることは変わらない)

まさしく、心の臓に突き刺さるような眼差しだった。

だがたとえそうであったとしても、何も変わらない。その眼差しに胸が痛んでも、明琳は、まもなく彼に嫁ぎ、はじめての夜を迎えるのだ。

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