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それは果てしない回廊  作者: 菅原やくも
2/3

#02

 ひとまず簡単にまとめると、老人は当時は若かった修行僧で、パーカーの女性は卒業間近だった大学生、少年は夏休み中の中学生だったということだ。それで、僕も含めて自分の名前は誰も覚えていなかった。ただ、僕だけは以前に何をしていたのか、自分がどういう人物だったのかということすらも、覚えていないという状況であった。


「それで、この路地裏みたいなところは変化するって、どういうことなんです?」

「そのままの意味よ」

 パーカーの女性はあっさりとした口調で答えた。

「それは、」

「道順が変わったりすんだよ。まるで生き物みてえな」

 少年が横から会話に入って言った。

「時々広場の場所も変わったりするから、気をつけないとね。おじいちゃんにいろいろ聞くといいわ」

 道順が変化する? 生き物みたいとは、この町の路地みたいなところは生きているというのか?僕にはそれがどういうことなのかすぐに分かりかねた。

 僕は深呼吸してから、違う質問をしてみた。

「その、壁の向こうには何が、というかどうなっているんですか?」

「オレ、何度か覗こうとしたことあるぜ」

 少年は得意げな様子だった。

「私が肩車してあげて、だけどね」

「まあいいじゃん細かいことは」

「あの、それでどうだったのです?」

「小窓を覗こうとしたんだ。低い場所でも大変だった」

「それで?」

「ざんねん。くもりガラスで中はみえなかった。他もカーテンが閉めてあったり、暗くてみえなんだ」

「そうなんですか……」

 それから僕はポケットの中の鍵のことを思い起こした。

「どこかに、ドアでもないんでしょうか?」

「そう言えば、見たことないわね」

 僕はポケットの中から鍵を取り出して見つめた。

「もしかして、ドアを探してみようって考えてるの?」

「ええ、少し考えていたところです」

「それでどうするのよ?」

「もしかしたら、戻れるかもしれないと、」

「戻るって、元居た世界のこと?」

「まあ、そういうことですね」

「そんなことしてどうするの?」

 彼女の問い返しに僕はぽかんとした。それはどういう意味なのだろうかと。それとも戻りたくないとでも言うのだろうか。

「どうするってなにも、僕は帰らないといけないような気がしているんです」

「へえ、なにも覚えてないのに?」

「まあ、それはそうですけど」

「私は、正直あんまりそんな風には思ないわ。時々、前の暮らしが懐かしく思うことはあるけど。ここにいる方が私は好き」

 彼女の考えは、僕にはちょっとわからなった。

「どうしてです?」

「なんていうか、ここにいると落ち着くのよ」

「でも、こんなところでずっと過ごすなんて」

 僕には、ここでずっと過ごすなんて、耐えられるか分からなった。

「まあ、飽きが来ないわけじゃないわよ」

「そういう時はどうしているんです?」

「そうね。気分転換というか、」

「あれだよ、じいさんに教えてもらった、めーそーってやつだっけ」少年が話に割って入った。

「瞑想ね。ふらっと歩き回って、壁の向こうやこの世界のことを考えて、疲れたらお気に入りの場所で休んで、たまに瞑想して、そうして過ごすのよ。慣れれば苦じゃないわ」

「そうなんですか……」

 それから僕はジャック少年にも聞いてみた。

「君はどう思ってるの?」

「オレはどっちでもいいよ。でも、ここなら口うるさいオトナとか親がいないからさ。カギ士の兄ちゃんが口うるさくするなら別かもな」

「また、あんたは失礼なことを言う」

「まあまあ、僕はそんな気にはしませんから」


 それから、ジャック少年の案内で僕はパンが置いてあるという場所へ向かった。とりわけ空腹を感じていたわけではないが、なにか気分を紛らわせる必要があると感じていた。それにこの世界についてなにか、知ることができるのではないかと思った。

 しばらく路地を進んでいると、壁際に小さな屋台のようなものがあった。人はいなくて、台の上にはパンが並べて置かれていた。ぱっと見はコッペパンのようなものだった。

「これが、その話に出ててたパンですか?」

「そうそう。でもこれ、ほんとにただのパンだぜ、なにも入ってないし、せめてジャムくらい欲しいよな」

 そんなことを言いつつも少年は一つ手に取っていた

 僕はその一つを手に取った。

「食べても大丈夫なの?」

「ああ、」

 さっそくパンにかじりついていた。僕も一口食べた。硬すぎず柔らかすぎず、味は食パンに近いような感じだった。

「いつも、きっちり五個が並べてあるんだよ」

「じゃあ、誰かが用意してるわけ?」

「わかんねー」少年はあっさり答えた「いつもそこにあるんだ。いつだったか、ずっと見張ってたけど、ちょっとでも目をそらすと、もうきちんと並び直されてんだよ」

「まるで超常現象みたいだね。怖くはないの?」

「今はどーでもいいかな。誰かに怒られるわけでもないし、そんなこと気にしてどーすんの? それにそもそもこの世界が超常現象みたいなもんだぜ」

「まあ、それもそうだけど」

 パンをかじりながら広場に戻ってみるとパーカーの女性と老人は地面に座って瞑想をしていた。

 僕らが戻ったことに気づいた二人は、目を開けてゆっくりと立ち上がった。

「そういえば」僕はふと思いついたことを聞いた。「皆さんは、普段はどこで寝ているんです?」

 僕の問にパーカーの女性は小さく笑った。

「厳密には寝る必要もないんだけど、」

 また驚かされる話だった。食べる飲む、それに寝ることまでもが必ずしも要しなくて何ともない世界なんて、ここはいったいほんとうにどうなっているんだ?

「でも一人になる時間も必要よね。私だってそうだし。まあ、しばらくは、広場のベンチで寝てもいいんじゃない? そのうちに自分のお気に入りの場所を見つけることになるわ」

「お気に入りの場所?」

「そのままの意味よ。自分がしっくりくる場所を見つけるのよ」

 そうはいわれても、どこもかしこも似たような路地だけなのに? まあ、それでもプライベートな領域というものは必要なのかもしれなかった。


 しばらくのあいだは、老人とともに広場の周辺の路地を歩いて見て回った。そして、ここでは理屈や常識が通用しないであろうことを見せつけられた。それに、物理的にあり得ないような短絡をしている道もあった。まるでだまし絵の中に入っているような、そんな気分になるときもあった。

 道順を覚えてもそれは無意味だった。老人が言うには、直感や無意識というもの方が大事だとのことだった。

 やっと一人で広場の周辺の道を歩けるようになったころに、僕はお気に入りになりそうな場所を見つけた。

 そこは同じような路地の、行き止まりなっている場所だった。ベンチがあって、壁には小さな街灯が一つ、灯っていた。そしてベンチの前の壁には、ドアがあったのだ。木でできていて上の方は半円になっている。明るい緑色に塗られていて、真鍮のドアノブの下には鍵穴があった。

 もちろん最初は開けてみようとした。けれども、開かなかった。もちろん、持っている鍵を鍵穴に差し込んでみたけど、ダメだった。戸を叩いたりもしたけど反応はなかった。

 でも、もしかしたら誰かが出てくるかもしれない。そう思って、一人で休むときはいつも来るようになった。


 ベンチの上で目を覚ました。相変わらず空は黄昏ような色合いで、壁にある弱々しい明かりの街灯の明かりもそのままだった。明かりの小さな炎がかすかに揺れていた。

 ここでは時間の流れというものの見当がつかなかった。どれほどの時間を過ごしているのか分からなった。もう何回もここで寝起きをしているのだから、長いこと過ごしてるはずだが、気分的にはまだほんのわずかな時間しかたっていないかのようにも思えていた。

 扉の方へ視線を向けた。なぜだか僕は、もう一度カギを鍵穴に差し込む気になった。前回ダメだったのだから今回もだろうと思ったが、試みを止める理由はなかった。それに時間も、たぶん無限にあるのだ。

 立ち上がって扉に近づいた。ポケットからカギを取り出して、鍵穴に差し込んだ。カチャリと、小さな金属音がして、なんと鍵が回った。鍵が開いた! 

 僕は恐る恐るノブを回した。何の抵抗もなく、なめらかな動きでドアが開いた。

 扉を開いた先は部屋だった。誰もいない、がらんとした部屋だった。薄暗くて、真ん中には木のテーブルと椅子が一組あった。明かりの灯っていない、ランタンのようなランプが置かれていた。そしてまっすぐ視線の先には、もう一つ同じような扉があった。僕は少しためらってから進んだ。こっちの扉には鍵穴は無くて、ドアノブに触れると簡単に動いた。

 開いたその扉の先は、同じような路地裏だった。だが、大きな違いがあった。空は赤、というかオレンジ色に近い赤色に染まっていた。まるで夕焼けを思わせる空だった。

 それで、これまでいたところは夜明け前の空なのだと思った。そして目眩に襲われた。


 ハッとした。僕はベンチの上で仰向けになって寝ていた。ジャック少年がのぞき込むようにして傍に立っていた。

「あ?あれ」

「よう、カギ士。こんなとこで寝てんだ」

「僕は、さっき、あれは夢か」

 多少僕の頭の中は混乱した。さっきの景色は夢だったのだろうか?

「なにがどうしたよ?」

「いや、そこのドアが開けることができて、」

「はぁ?」

 ジャック少年は怪訝そうな声を出した。僕は起きて、目の前の壁にあるドアを指さそうとして、唖然とした。ドアなんてなかった。

「そんな、そこにドアがあったのに……」

 慌てて起き上がって壁に近寄った。恐る恐る触れてみたが、ただの壁だった。

「ドアがあったはずだ。緑色で、真鍮のノブと鍵穴が、」

「まあ、落ち着きなって」

 少年の声は落ち着いた様子だった。「たぶん、移動したんじゃね?」

 僕は壁に顔を近づけてよく観察した。他と同じ、白っぽい色の壁だった。

「まあ、道だって動くし、窓も移動したりするからさ。それならドアも動いたとして驚かねーな」

「そうなのかい?」僕は壁をよく観察しながら答えた。

「そうだね」

 僕はわずかな痕跡を見つけた。ほんのわずかだが、壁の色に違いがあった。まるでドアのあった個所を埋めたような感じを受けた。

「ここを見てくれ、うっすらと跡があるじゃないか」

「はぁ?」少年は渋々といった感じで僕の横に並んだ。

「ドアはあった。ドアは壁に埋まってしまったんだ」

 僕は言ったが、少年は頭をかいた。

「わかんね」

 それから少年はプイっと向きを変えると「まあ、広場に行こうぜ」といって歩き出した。


 広場に向かう間に、僕は決意した。この世界を旅してみようと。そうだ、ドア探しの旅だ。言葉にするとなんとも間の抜けたような感じに思ったけど、とにかく決めた。

 広場に戻ってそのことを話すと、パーカー姉さんは訝し気な様子だった。それでいてどこか心配そうな表情を見せた。

「旅に出るって……どこへ行くつもりなの?」

「分からない」

「鍵士、どうかしちゃったの?」

 彼女は少年の方を向いて尋ねた。

「さっきもさぁ、ドアが消えたとか騒いでたよ」ジャック少年が答えた。

「えぇぇ、ほんとなの?まさか鍵士、本気なの?」

「まあ、そうかもしれないです」

「バカバカしいわ」

「別にいいですよ。自分一人で行くつもりですから」

「あなた一人で?大丈夫なの?」

「どうかな、でもたぶん大丈夫かもしれない」

 パーカー姉さんは呆れた表情をしながら首を振ると、広場を出て行ってしまった。

 老人にも伝えておきたかったが、まだ広場には戻っていない様子だった。それにここ最近は、長らく姿を見ていなかった。


 広場のベンチで座って、老人が戻ってくるのを待っているとジャック少年が小声で話しかけてきた。

「なあなあ、聞いてもいいか?」

「なんです?」

「パーカー姉ちゃんのことどう思うよ?」

 思わず周囲に視線を向けた。彼女の姿はなかった。

「急に何ですか?」

「たぶん姉ちゃんはまだ来ないよ。それでで、そっちょくな意見をだな」

「うーん」僕はなんと返すか少し迷った。「どう思う? って言われてもですね」

「パーカー姉ちゃん、カギ士のことが少し好きなんじゃねーかって思うぜ?」

「はあ?」

 そんなこと言われても、何とも言えなった。でも、ここが普通の世界だったのなら、もしかたら、まんざらでもない気分だったかもしれない。少なくとも嫌いなタイプではなかった。でも今は、恋にうつつを抜かすような、そんな状況ではないという思いの方が強かった。

「仮にそうだとしても、今は、それは重要じゃないように思いますけど」

 少し考えて、そう答えた。無難な回答。

「なんだあ、おもしろくないなぁ」

「それに、」次の言葉がすぐに浮かばなかった。

「なにさ? カギ士」

「それに、僕はここにずっといたいとは思わないんですよ」

「そうか……」

 少年はつまらなさそうに呟くと、歩いてそのまま広場を出て行った。

 僕は一人で、ぼんやりとベンチに座り続けた。

 どれくらい待っただろうか? 気が付くとうたた寝をしていたようだ。ハッと気がついて頭をあげると、横に並んで老人が座っていた。

「君は、」僕の様子に気づいて老人は声をかけてきた。「旅に出ようと考えているんじゃとな?」

「ええ、はい。そうです」

 そのときパーカー姉さんとジャック少年も、広場に入ってきてベンチのすぐ近くまで来た。

「僕は、ドアを探そうと思います。もしかしたら、元の世界に帰ることのできるものがあるかもしれません。あるいは、この、よくわからない世界のことをもっと見てみたいのかもしれません」

 老人は僕の言葉に小さくうなずいた。

「まあ、君がそうしたいと言うなら、それもいいじゃないだろうか」

「おじいさん、それちょっと無責任じゃない?」

 老人の言葉にパーカーの姉さんが口をはさんだ。どことなく非難を含んだような口調だった。

「そうは言っても、」老人はゆっくり立ち上がった。「彼自身のことは、彼が決めることじゃ。わしらが無理強いをしたところでそれになんの意味があろうか」

 彼女は何も言わず老人をにらんでいた。それから僕の方へ視線を移して「本気なの? 鍵士」と、聞いてきた。

「ええ、ここでずっと過ごすより、なにか行動を起こしたいと思うんですよ」

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