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一人になると、真珠は手持ち無沙汰になってしまった。
いつもは学校の休み時間に読んでいた文庫本も今は手元にない。むしろ本を入れていた通学鞄ごと無くなっていたので、召喚された時に落とすなりして失くしてしまったのだろう。
せめて何かないかとベッド脇の引き出しを開けてみると、立派な装丁の本が一冊入っていた。
(本!……でも、読めないかも)
本を見つけてワクワクした気持ちはすぐにガッカリに変わる。黒っぽい表紙に金色のミミズのごとくのたうつ文字は、なんとか解読しようとしてみたが難しそうだった。
挿絵が無いかと適当に開いたページには、精巧な植物の絵とその名前を表しているだろう文字。パラパラとめくると同じようなページが続いている。
じっと見入った後におそらくこれは図鑑なのだろうと真珠が納得していると、コンコンとノックの音が響いた。
「マリ様、入っても宜しいですか」
「あ、どうぞ!」
応答すると扉が開き、ワゴンを押したリナに続いて何やら荷物を持ったデリスが現れた。
(わぁ、美味しそうな匂い。それと、デリスさんが持ってるのは何だろう。箱がいっぱい)
「しばらくはこちらで過ごすのだから、着替えや生活のための品が無いと不便だろう。ああ、誤解の無いように言っておくが俺はただの運搬係で用意したのはリナだ。安心してくれていい」
自分の持っている物を見られている事に気づいたのか、デリスは詳細に説明をしてくれた。着替えという言葉にサッと青ざめた真珠はリナが用意したと聞いて安堵のため息を吐いた。
箱を邪魔にならない位置に丁寧に置くと、逆にデリスが真珠の手元にある図鑑に気づく。
「植物図鑑か。マリ嬢はそれが読めるのか?」
「文字は読めないです。私の習ったものと違うみたいなので。でも絵がありますから」
絵を見るだけでも少しは楽しめそうだと言う真珠に、デリスは目を細めた。
「良ければ俺が解説するが――」
「いいんですか?!」
真珠は思わず出してしまった声にはっとなって手を口に当てたが、デリスもリナもきょとんとした顔でこちらを見ていた。
(やってしまった……!)
ただ眺めているだけの絵がどんな植物なのか教えて貰えるという事に、真珠は自分が予想した以上に浮かれてしまったようだ。
慌てた後に項垂れてしまった真珠の耳に「くっ」と息を詰めるような音が聞こえる。
「君の興味をそんなに引ける物がこの部屋にあったとは」
「何か心の慰めになるような物があればと思ってこちらで色々ご用意させて頂くつもりでしたが――そうですか、マリ様は読書がお好きなのですね」
顔を上げてみると、二人とも心なしか温かな眼差しを真珠に向けているように感じられた。
「マリ嬢、ここにいる間は君に少しでも快適に過ごして欲しいと俺たちは思っている。君が何か知りたいと思う事があるなら、教えられる範囲でだが教えよう」
「ええ、ええ。デリス様のおっしゃる通りです。簡単なものなら私も教えて差し上げられます」
「でも、迷惑なのでは……」
お二人とも自分のお仕事があるだろうし私何の変哲もない一般人だし、と申し訳なさそうにする真珠にデリスは首を横に振った。
「【鑑定】の結果が全てではない。【一般人】でも知識は大切だ。生きてゆく上での選択肢が格段に広がる。それに生活に必要な一般魔法は特殊な職でなくても覚えられる」
(あれ、今何か違和感が――)
デリスの言葉に引っ掛かりを覚えた真珠だったが、それが何なのかははっきりとわからなかった。ただ少しもやっとした感覚だけが残る。
「それに仕事ならある。俺は気が進まないが、王から君を監視しているようにと命じられているからな。マリ嬢に勉強を付きっきりで教えるのも監視の内に入るだろう」
「何ですか、それ」
冗談めかして言ったデリスに思わず真珠は噴き出していた。
監視命令は本当だが言葉通りに見張っているつもりはない、という事のようだ。
「さあ、まずはお食事に致しましょう。夜遅いので負担にならないよう軽いものをご用意させて頂きました。これを召し上がったらお休みになって下さいませ」
「ありがとうございます!」
二人が話をしている間にテーブルは整えられていた。
リナに声をかけられて、真珠はデリスと向かい合わせになる形で着席する。真珠の席には野菜のスープが入ったカップとパンケーキの乗った皿、デリスの目の前には5段重ねになった大きなパンケーキとチキンのソテーらしきものが乗った皿が置かれていた。
思わず目を丸くする真珠にデリスは照れたように頬を掻いた。
「その……意外と思われるかもしれないが、俺はパンケーキが好物なんだ」
「意外ではあるんですけど、それ以上に沢山食べるんだなぁって思ってます」
「職業柄食べなくてはもたないからな。これでも普段より少ない方だよ」
(この量で?!)
真珠は更にデリスの皿を凝視する。
デリスの手によって大きく切り取られたパンケーキはあっという間に口の中に消え、次の一切れがまたすぐに消えていく。
その光景を唖然と見つめていた真珠も、とりあえず自分の分を食べてしまおうと「いただきます」と小さく言ってナイフとフォークを手に取った。
まだ熱を持ったパンケーキは、溶けたバターの風味と生地自体のほんのりとした甘さで素朴な味だったが美味しかった。スープはコンソメ味で小さく切られた具材が柔らかく煮込まれている。
ゆっくり食べていたつもりだったがあっという間に完食してしまい、顔を上げるとデリスの皿も同じように空になっていた。すぐにリナが食器を片づけて食後のお茶を出してくれる。
「美味しかったです。ごちそうさまでした」
「ご満足頂けたなら、腕を振るった甲斐がありました」
真珠が声をかけると、リナは嬉しそうに笑った。