恋なんて風邪と一緒でいつかは治る?
けたたましい音の中、貴司は立っていた。
ここは都内でもはずれとよんで差し支えないであろう地区にあるパチンコ屋だ。
貴司はそこでバイトしている。
断っておくがフリーターではない。
一応、都内でまあまあ有名といっても差し支えないであろう大学の経営学部に通っている。
別に経営に興味あるわけではない。興味があるものがないのだ。
周りの学生も同じような理由で選んでいる学科だ。
まれに自分をジョブスと勘違いしている奴もいるが、そんな奴とは仲良くなれない。
大学で一応友人は何人かいるが、話すことはスマホのゲームやなに学科のなになにがかわいいだの、そんなくだらないことばかりだ。
貴司は世間では敬遠されるであろう、このやかましくて煙たい空間が好きだった。ここにいれば将来のことをあーだこーだ言ってくる親やゼミで教授にペコペコしてるくせに学生にだけはやたら偉そうに頼んでもいないありがたい指導をしてくる講師やクリスマスは夢の国に行きたいとアピールしてくる彼女のことを考えないですむのだ。
バイト代もそこそこ良いし、へんぴな場所にあるからいつもガラガラ。おまけに店長は優しくて、たまに飲みに連れていってくれたりする。世間的には嫌われるバイトだろうが、貴史は満足している。
ただ、ここ最近は年々規制が厳しくなっており、この業界もいつまでもつか、貴史はそう言いながら焼酎を飲む店長の歪んだ笑顔を思い出す。店長の左手の薬指には光るものがはまっている。バツ2で前の奥さんとの間にはもう小学生になる女の子がいるそうだ。ちなみに今の奥さんは貴史とさほど年が変わらない女性で、系列の店舗で働いているスタッフだ。
世間ではだらしないと思われるような店長だったが、貴史はわりと好きだった。年齢の割に偉そうには決してしないし、いろいろ大変なはずなのに愚痴は全く言わない。たまに酔って頼んでもいない恋愛指南をしてくるのがウザいが、そんな話も肴にお酒と一緒に流し込んでいる。
そんな店長がよく言うことが、
「恋なんて風邪と一緒さ。かかっているときは熱にうなされるが、治ったらサッパリさ。」
そんなこと言ってるからバツ1、いや2なんだな、と貴史は思ったりするが、夢の国が大好きな彼女、楓のことを思い浮かべてみる。
付き合ったばかりの時はもっと楓のことを考えている時間が多かった。それが今では、むしろなるべく考えないようにしている自分がいた。
「俺の風邪も治ってきたのかな…。」
貴史は心のなかでつぶやきながら、常連が手招きする台に駆けていき、慣れた様子で台のエラーを解除するのだった。
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夏菜はハンドルを握りながらどこか休める場所を必死に探していた。さっきまでは絶好調だったのに、急に吐き気と悪寒が襲ってきたのだ。
「何かまずいものでも食べたかしら。」
そんなことをつぶやきながら気分をごまかそうとするが限界だ。へんぴな所なのに車の流れが早くて路肩に停めようにも逆に危ない状況だ。
「こんな所にこなきゃよかった…。」
夏菜は後悔した。
外資系の製薬会社の営業としてはや13年、いや今年で14年目か。
いわゆる世間でいうMRという職業だ。
担当してた地域の内科医が転勤したということで、その病院に挨拶に言った帰りだった。前からの付き合いもあり、内科医との話に手応えを感じつつルンルン気分で、のはずだった。
「今夜は圭佑、早く帰れるって言ってたのに。」
結婚してはや7年、いや今年で8年になる。圭佑は大学病院で講師をしている。大学は医学部、となると出会いはもちろん仕事の相手であった。
こどもは欲しいけどいない。いや、欲しいのかも最近は分からなくなってきた。圭佑は神経内科医で神経難病が専門。ここ最近は准教授になれるかも、なんて話してくれたけど、それもそのはず、自宅にはほとんど帰らず論文執筆と学会発表で日本だけでなく世界を飛び回っている。
そんな中、珍しく早く帰れそう、と今朝言われたので帰り道に圭佑が好きなワインを買って帰ろうと思った矢先…。
少し先にちょっとセンスがあるとはとてもいえない配色の看板を見つけた。スーパーか何かだと思うのだが、駐車場も広いしとりあえずあそこで休憩しよう。
夏菜はアクセルを少し強く踏んだ。
駐車すると気がゆるんだのか、吐き気が強くなってきた。急いで大きな建物に入った。
やかましい音、汚い空気、夏菜はもう我慢も限界、トイレに駆け込み嘔吐した。
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「貴史、トイレチェック行って休憩入ってちょ。」
インカムで店長からの指示。
「了解です。」
貴史は男子トイレに向かった。
すると扉が空いたままの個室が目についた。
扉を閉めようと近づくと、いかにも私仕事できます、みたいなキャリアウーマン風のスーツに身を包んだ女性が便器にもたれかかってグッタリしていた。
貴史は状況を整理できずにいたが、とりあえず女性に声をかけてみる。
「あのー、ここ男子トイレなんすけど…。」
返答がない。よく見ると顔が真っ青だ。
「こりゃやばいな。事件か何かだと面倒だな。」
インカムで店長に報告する。
「とりあえず事務所に運んでちょ。」
「俺一人でかよ…。」
と貴史はインカムを切った状態で事務所の座り心地が良い椅子でくつろぐ店長に悪態をつきながら女性を抱えた。
それが貴史にとって忘れられない、夏菜に触れることができた初めての日になるのだった。