第2話 入学式にて
私事ではあるが、私は高校生のとき、大学への強い憧れを抱いていた。大学生活を扱ったテレビドラマや小説は世に多く、私もその影響を強く受けていた。バラ色のキャンパスライフへの期待は大きく、栄光ある人生への第一歩を踏み出すことにいささかの不安もなかった。しかし、現実は私が思っているよりも厳しかった。
担任の教師の薦めに従い進学した国立大学の入学式で、初めて目にしたそのキャンパスは、私の知っているキャンパスライフの舞台からはかけ離れたものであった。端的に言えば、大層古かった。
ホームページに掲載されていた写真では正門、講堂、時計塔や図書館などは魅力あふれる素晴らしい場所であったのだが、現実に目にしてみれば耐震基準を満たしていることが嘘としか思えないような、ただの古い建物でしかなかった。優良誤認とはこのことではないか。国立大学というネームバリューに疑いを持たず、オープンキャンパスなどという洒落たものに参加しなかったことを私は激しく後悔した。
入学式は講堂で行われるという。私は両親に買ってもらったばかりのスーツと革靴に身を包み、他の新入生たちとともに講堂に入った。自分の席を探す。どうやら学籍番号で席が指定されているようで、私の席はずいぶんと後ろの方だった。
自分の席に座ってしばらくすると、だんだんと席が埋まり始めた。私の周りでは新入生同士で大学生活への期待や不安を互いに話しているようだった。私もぜひそんな話をしたかったのだが、右隣の席に座る女子学生はさらに右側に座る何人かのグループと話していたし、左隣の席はまだ空席だった。初対面の人間、ましてやすでに楽しく話をしているグループに「面白そうな話をしているね。私も混ぜてくれはしないか」と気軽に話しかけられるような度胸は持ち合わせていなかったので、ただ静かに入学式が始まるのを待った。
定刻となり、講堂の照明が暗くなる。緞帳が上がり、舞台に座る学長やお偉方の姿が見え始めた頃になって、私の左隣に男子学生がやってきた。
入学式から遅刻寸前とは恐れ入る。いったいどんな奴だと隣を見てみると、そこには爽やかという表現がぴったりの短髪の青年がいた。スーツに着られているような新入生が多い中、ばっちりと着こなしているように見える。
「朝ごはん食べ過ぎちゃってさ。腹壊しちゃったのよ。いや、ほんと大変だった」
目が合うなり、爽やかな見た目を台無しにするような説明をしてきた。呆気にとられた私は「そうか」としか言えなかった。
入学式はつつがなく終わった。司会を務めていた学生課の職員から、今から各学科に分かれてのガイダンスをするので移動するとの説明があった。しばらくすると、学科ごとに順番に呼ばれていき、担当の職員に引率されながらぞろぞろと新入生たちが講堂を後にしていく。
前方に座っている学科から順に呼ばれるようで、私の所属する学科が呼ばれるまでにはしばらく時間がかかりそうであった。
暇つぶしがてら配布資料に目を通していると、左肩を軽く叩かれた。
「俺、神崎。下の名前は健太郎。よろしく」
短髪爽やか青年、神崎がこちらに太陽のようなまぶしい笑顔を向けていた。わたしのそれとは雲泥の差があるように思えた。
「私は望月だ。下の名前は平仮名で『かなめ』だ。こちらこそよろしく」
私も自己紹介をすると、神崎は「珍しい名前だ」と言いながら何度も頷いていた。
私の所属する学科が移動する順番が来た。アナウンスに従い職員に先導されながら講堂を出る。すると、驚くべきことに講堂の前はおびただしい数の人で埋まっていた。その集団はサッカーや野球のユニフォームのように見慣れた姿の者から、いったい何の衣装かわからないような奇抜な姿をした者まで様々な人間で構成されていた。
ただ共通しているのは、掲げられたプラカードと手にしているビラに「新入部員募集」という旨の内容が書かれていることである。
「やっぱり大学はすごいな。高校の時とは全然違う」
私の隣で驚いた様子で神崎がつぶやいた。他の新入生たちも同様に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。無論、私もそうである。
講堂の前で半ば奇声じみた声を上げている彼らは、この大学の上級生達である。神崎の言う通りで、部活の勧誘にかける彼らの情熱は高校の時のそれとは別物である。
入学式が始まる前はまったく見かけなかったので、上級生たちが新入生にサプライズを仕掛けたか、あるいは互いの部が抜け駆けを禁止するために「勧誘は入学式終了後」という掟を作っていたのかのどちらかだろう。上級生たちの血走った目を見るに、おそらく後者であろうと思われる。
「……行きますよ」
私たちを先導する職員が、上級生の集団へと向かって歩みを進める。すると、まるでモーセが海を割るかの如く、上級生の塊の中に道ができる。私は奇跡を目の当たりにしたような気分であった。
ただ、その後はひどいものであった。
職員について歩いていくと、必然的に私たちも上級生達の集団へ突っ込んでいくことになる。こちらに受け取るつもりはなくとも、上級生たちは無理矢理にビラを押し付けてきた。さらに各々が勝手に部活の説明を始めるものだから、大変うるさい。ガイダンスが行われる教室についたころには、私を含めて学科の皆が疲弊しきっていた。
「いや、本当にすごかったな」
神崎は上着のポケット無理にねじ込まれたのであろう大量のビラを取り出しながら笑う。取り出しても、取り出しても次から次にビラが出てくるので、まるで出来の悪い手品を見ているような気分だった。
「よく笑っていられる余裕があるな。私はもうへとへとだ」
「俺も余裕があるわけじゃない。疲れたよ」
だが、ビラを手に取り眺める神崎の様子は、ちっとも疲れているようには見えない。
「疲れてはいるが、それ以上に気分が高鳴ってしょうがない。こんなにたくさん部活やサークルがある。しかも、あれほど一生懸命に勧誘してくる先輩がいるのだから、きっとどこに入っても充実した大学生活が送れるに違いない」
目が輝くとはまさにこのことである。その後も神崎は部活やサークルにかける情熱を熱く語り、私はそのほとんどを呆けたまま聞き流した。あまりに聞き流していたせいで、職員によるガイダンスも聞き流してしまったのは痛恨の失敗だったと言える。