しょう子、眠くなる 「少しだけ、横になるだけだから……」
うう、寒い。
そう夢うつつに思って布団をたぐり寄せようとして目が覚めたら、そこは森の中にある広場で誰もいなかった。
「えっ!?」
慌てて飛び起きると、ずるりと灰色のロングコートがずり落ちた。
ぼんやりしていた思考から急速に昨日の出来事を思い出す。
そうだ、私、異世界に来ちゃったんだ。
ハッと気がついて広場を見渡しても、ガイウスの姿がない。
焚き火は砂をかけて消されている。
チチチ、チチチと聞いたことのない鳥の鳴き声だけが聞こえる。
どうしよう……置いて行かれた……?
さーっと血の気が引いていく。
ドクンドクンと自分の鼓動の音がやけに大きく聞こえる。
と、ふんわりと薄荷のような匂いが漂ってきた。
そして、森の中からぬうっとガイウスが出てくる姿が見えた。手には何かの葉を抱えて、咥え煙草で近づいてきた。抱えた葉は、大きくて丸い、まるで蓮の葉を大きくしたような形をしている。
「おう、目が覚めたか。飯食ったらすぐに出発するぞ」
置いて行ったなんて、一瞬でも疑った事が後ろめたい。何でもないような振りをして倒木に腰掛けて、昨日の残りの袋から水筒を出して水を飲んだ。
生ぬるい水だったけれど、寝起きで乾いた身体には美味しく感じる。
ガイウスが大きな葉っぱで何かを作っているのを眺めながら、そそくさと堅パンを食べる。たまに、ガイウスはこちらをチラチラと気にしているようだった。
食べ終わった事に気づいたガイウスが、葉っぱで作ったブサイクな袋のようなものを手にしてしょう子の足元にしゃがんだ。
「え、え、なななな何ですか!?」
昨日もあまり至近距離に近づこうとしなかったガイウスが、急にすぐそばに来てしゃがんだことにひどく動揺した。
しょう子は、これまでできるだけ異性を避けてきた。
社会人になってからは、すれ違うくらいしか近づいたことがない。
そしてガイウスはおもむろに座っているしょう子の足に手を伸ばし……。
「ひ、ひゃああああ」
すぽりと葉っぱでできた袋をしょう子の足に履かせた。
「お、サイズは大体良さそうだな」
そう言うと、持っていた紐でくるくると袋の上から巻きつけ始めた。
「なななな何なんですか!?」
動揺したしょう子が早口で言うと、ガイウスはあっさりと答えた。
「これか? これはズック草だ。まあ金のない奴がたまにこうして靴代わりにしたりする草だ。見た目はそんなに良くないが、森を歩くならその軟そうな靴よりかはずっとましだ」
そうして反対側の足にもズック草の袋が巻かれていった。
「よし、きつすぎないか立って確認してみてくれ」
「え、あ、大丈夫……みたいです」
厚みのある葉っぱ──ガイウスは草だと言ったけれど、しょう子にはどう見ても葉に見える──で出来た靴もどきは、意外と地面からの冷気や小石をしっかり防いでいた。
ニ、三度その場で軽くジャンプしてみても違和感はない。
脱いだルームシューズはガイウスの背負い袋にしまわれた。
「よし、じゃあ行くか」
しょう子がズック草の履き心地を試しているうちに、手早く荷物をまとめたガイウスが声をかけた。
「あ、ご、ごめんなさい、手伝わなくて」
慌ててしょう子がぺこりと頭を下げようとして、大きな手がしょう子の下がろうとするおでこを押し留めた。
「くっくっく。いいってことだ。それよりも早くその癖をどうにかするんだな」
ガイウスの手はゴツゴツとしていて温かかった。
急におでこに触れられたことで、しょう子の顔も急速に熱を持つ。
「は、はい! ごめんなさい」
また頭を下げようとしてしまって、さらにガイウスの手に額をこすりつける格好になってしまったしょう子はあたふたとした。
「ほらほら、頭をあげろ。それと、よっと」
ガイウスがばさりとロングコートをしょう子に巻きつけた。
「まあ、ちっとは臭うかもしれんが、ショーコのその服の色は森の中じゃ目立っちまう。森を出るまでは悪いがそれを着ていてくれ」
そう言ってくるりと背を向けて歩き出した。
「え、あ、待ってくださいよ~」
慌ててしょう子は後を追った。
ガイウスの肩が小刻みに揺れていた。
森の中は、思っていたよりも様々な音がした。
近くで、遠くで、がさっと音が鳴るたびに、しょう子はびくっと身体を震わせた。目の前を歩くガイウスは、時々立ち止まっては方向を確認してまた歩き出す。
そしてしょう子は気がついた。
この人、足場が悪くなるたびに少し立ち止まってくれてる。
しょう子が遅れそうになる、木の根がやたらに張り巡らされた地面が続く場所や、下生えの草が鬱蒼と茂る場所になるとガイウスは足を止める。そうして、しょう子が足場の悪いところを抜けるとまた歩き出す。
全然振り返らないくせに、やっぱり優しい人だ。
朝から歩き始めて陽が頂上に登った頃、ガイウスはようやく立ち止まった。
日ごろあまり運動しないしょう子──運動よりもネットゲームや読書のほうが好きだ──が息を切らしていると、ぼそりと「休憩だ」と呟いた。
「ふううぅぅぅ」
そこでしょう子は詰めていた息を吐き出した。
獣や魔物がいると聞いて、ずっと緊張しながら歩いていたのだ。ガイウスが手渡してきた水筒を受け取り、ごくりごくりと喉を鳴らしてからようやく人心地ついた。
「あの、まだかかりますか……?」
半日歩けば村だと聞いていたしょう子は、しゃがんだままでガイウスに尋ねてみた。こんな森の中から連れ出してくれるガイウスに文句はないけど……歩いても歩いてもまるで周囲の風景が変わらない、ずっと森の中というのはひどく心が疲れる。
「ん? ああ、ショーコの足に合わせてるからなぁ……残りは今歩いた距離の半分くらいってところか」
その言葉でしょう子はほっとした。
先の道のりがわからないことで消耗していた気力が回復する。半分以上、4分の3はもう終わったと知ったことで余裕が出てきた。
「今のうちに昼飯も食べておけよ。食べたら一気に村まで行くからな」
堅パンと干し肉をかじって──またガイウスはしょう子をちらちらと眺めてきたが、気にしないことにした──荷物を整えてから二人は歩き出した。
少しずつ木立が薄くなって大きな茂みを抜けたところで、急に眼の前が開けた。
さっきまで疲れてうつむき加減になっていたしょう子の顔に赤みがさした。
「ガ、ガイウス、見て! 森、抜けましたよね!?」
「くっくっく。ああ、抜けたな」
急にテンションの上がったしょう子を見て、ガイウスが肩を振るわせた。
「じゃ、じゃあ、早く行きましょうよ!
あ、これ、もう返したほうが」
そう言ってロングコートを脱ごうとしたしょう子の手を、ガイウスが握りしめた。
「え!?」
しょう子はぽかんとして、それから意外に近かったガイウスとの距離にぱっと顔をさっきよりも赤くした。
「ショーコの服は村でも目立つ。
宿に入ったら代わりの服を買ってくるからそれまでコートを脱ぐな」
そうしてようやくしょう子たちは森を抜けて村に入った。
木で出来た柵に囲まれ、中には幾つかの店がある小さな村だった。木造の家が立ち並ぶ。村という言葉から想像していたよりも大きな家が多い。屋根は茅葺かやぶきのようなものと、板でできた屋根が入り混じっている。ほとんどが平屋で、数軒だけ二階建てだ──店なんかはたいがい二階建てらしい。家々の脇に併設された小屋から煮炊きの煙が上っている。
キョロキョロしようとしたしょう子は、ガイウスの咳払いで慌てて大人しくついていった。出歩く人も少ない。たまに見かける人々は、ほとんどが茶色や暗い緑色の服を着ている。
しょう子達は、村に一軒だけある宿屋に部屋を取ることになった。
宿に入る前にガイウスはしょう子に念押しした。
「基本的に宿屋は男しか泊まらない。そもそも女は旅に出ないし、まして探索者にはならない……普通はな。下手にショーコが女だとわかると、いらんトラブルを招きかねん。だからおまえは王都に着くまで男の振りをしろ。……そうだな、俺の弟子ってことにしておけ。
それと、宿では一部屋しかとらない。探索パーティごとに一部屋が当たり前だ。部屋を分けると、場合によっては知らない誰かと同室にされることも宿によってはよくある。わかったな」
こくんとしょう子はうなずく。
さすがに声を出すと、しょう子が男じゃない事なんてすぐにばれてしまう。昨日会ったばかりの男と同室なんて日本にいた頃のしょう子だったらとてもじゃないが考えられなかった。でも、ここの宿賃を支払うのはもちろんガイウス。しょう子はこの世界の金銭はまだ目にしたこともない。とてもじゃないが文句なんて言える立場じゃない。
それでも、宿の一室に入りベッドが二つあることに気がついたしょう子は、ほっと安堵の息を漏らした。
別に、ガイウスを疑うわけじゃない。
もしもしょう子に何かする気なら、多分すでに森の中でしていたはず。
無防備で武器もない、そんなカモにするには丁度いいしょう子に、ガイウスはコートを貸してくれ、焚き火を熾してくれ、食料まで分けてくれた。ズック草の靴を作ってくれて、足場の悪い地面を歩くときにはさりげなく立ち止まって待ってくれた。
そんなことで簡単に信じてしまうなんて、人がいいと笑われるかもしれない。
けれどここでガイウスまで疑ってしまったら、しょう子は右も左もわからない異世界で、誰も何も信じられないまま一人ぼっちになってしまう。
それでも、ベッドが二つあったことにしょう子は安心した。
「俺は依頼の採取品を渡してくる。しばらく大人しく待ってろ。部屋からは出るなよ」
ガイウスは念押ししてから部屋を出て行った。
ポツンと取り残されたしょう子は、片方のベッドに腰掛けた。
そんなに広い部屋ではない。6畳程の部屋にベッドが二つに小さな机が入れば、もう他に家具を置けるようなスペースはない。でも、しょう子は安心した。
壁があるだけで、ずいぶんと人間らしい気分になる。
そのことをしみじみと実感していた。
ベッドは少し固かった。そっとシーツをめくってみると、干しわらが詰め込まれていた。
「あー、これもファンタジーらしいのか」
そう呟いて寝転がってみる。
うん。
倒木をベッドにするよりかは大分上等だ。
毛織の掛け布団まであるなんて、素晴らしい。
森を歩いた疲れで、まぶたがどんどん重くなってきた。
「少しだけ、横になるだけだから……」