そして、ワンルームは、その主を失った。
──しょう子が異世界で堅パンと干し肉を食べる数時間前。
カタカタとキーボードを打つ音が響く。
ベージュとグリーンを主体とした配色のワンルームで、しょう子は座椅子に座ってノートパソコンに文字を打ち込んでいた。
画面にはいつものゲームが映っており、チャットウィンドウに文字が流れる。
「ショコラさんのくれた料理のおかげでバフ効果バッチリでボス戦も余裕でした~」
「お役に立てて良かった」
可愛らしい猫ミミの少女のミイナがペコリと頭を下げるモーションをした。
石畳の似合う煉瓦でできた町並みの一角に、ショコラと呼ばれた幼い魔女の少女の店がある。小さな持ち帰り専門の料理店。
生産スキルの一つ、料理スキルをMAXまであげたショコラの店である。
店の前の大通りを、大剣をさげた騎士やシャムシールを携えた戦士、白衣の方術士らが行きかう。
のどかなBGMが邪魔にならない音量で流れている。
ここは中級の街ガリレア。
MMORPGファンタジックワールドオンラインで最も人口の多い街である。
「これ新作なの。試してみてくれる?」
ショコラはそうチャットに表示させると、アイテムの中の一つをミイナへプレゼント送信した。
新作、ホラーホラー鳥の卵でできた三日月オムライス。
「え!? いいんですか???」
「うん! ミミイちゃんの動画を見て買いに来てくれる人が増えたから、ね」
「わあ、これ、攻撃力と防御力同時アップがついてるじゃないですか~。
ショコラさんありがと~~~!!!ショコラさんの料理だ~いすき!」
ミミイがピョンピョンと店先でジャンプする。
そうして早速試してくると、転移アイテムで消えていった。
「相変わらずミミイちゃんは行動が早いなぁ」
ギルドを率いて攻略の最前線にいるミミイは、ファンタジックワールドでも一、二を争う有名人である。動画を配信すればその視聴回数は万を超える。そんなミミイがショコラの料理でバフをかけて、ボスエネミーを双剣で薙ぎ払う。おかげでショコラもファンタジックワールドではそこそこの有名人になった。
ショコラはスキルで作成した料理を次々に販売準備していく。ファンタジックワールドでは、戦闘職のほかにも生産職が選択できる。錬金、鍛冶、料理。ほかにも様々なスキルを選択することができる。ショコラの選んだのは料理スキル。それは、食べた後に一定時間のバフ──攻撃力のアップや状態異常の耐性アップが得られる。唯一つ。スキルを上げるのに非常に精神を削られるが……。ひたすらに同じ料理を延々と作り続ける。その作業が面倒くさいし、ゲームとしての華やかさが欠片も無いことから、そこまで人気のあるスキルではなかった。
ただ、ショコラにはそのスキル上げですら楽しかった。
だから、ショコラの料理スキルはMAXまで上がっていた。
ショコラこと塩田 しょう子には、料理に対する強い憧れがあった。
しょう子が生まれて初めて作ったクッキーは、床に落としても叩きつけても割れない真っ黒な塊だった。
受け取った同じクラスのアキラ君は、とても優しい少年だった。小学3年生にして紳士だった。
ニッコリ笑って、期待するしょう子の目の前で彼はクッキーを口にいれた。そしてクッキーを噛もうとして…………奥歯を2本、失った。不幸中の幸いだったのは、彼の奥歯がまだ乳歯だったことだ。永久歯でなくて本当に良かった。
味見をしたしょう子本人は、少し焦げて苦味があるが美味しくできたと思っていただけにショックだった。
中学生になったしょう子は、バレンタインに手作りのチョコレートを憧れの先輩に渡そうと思った。とは言っても、思春期のしょう子に直接渡す勇気は無く、早起きして学校に行き、きれいにラッピングしたフォンダンショコラを先輩の机の中に入れた。
その日、学校でも人気者の先輩がひどい嫌がらせを受けたとうわさになった。異臭がする泥を机の中に入れられたらしい。しかも、ご丁寧にわざわざきれいにラッピングしてあったらしい。
「先輩、モテるから恨みも買ってたんじゃない?」
「でも先輩かわいそ~」
しょう子はそっと先輩のクラスを見に行った。
涙目の先輩がブチ切れながら、しょう子の贈ったラッピングの包みをゴミ箱に投げ入れていた。クラスメイトの何人かは、異臭に耐え切れずに早退したらしい。
当然これもしょう子本人は味見をしたのだが、そんなに悪い出来じゃないと思っていた。コーヒーとよく合うなんて自画自賛していただけに、すごくショックを受けた。
ここにきてしょう子は確信した。
「私に料理は向いてない……」
しょう子本人は自分が作ったものを美味しく食べられるのに、世間の評価はしょう子の思っていたものと全く違った。
思い返せば小学生の頃にみんなから不人気だった給食も、しょう子はいつも美味しく完食していた。
学生時代に夏休みに海外旅行をした友人のくれた怪しい色をしたお菓子も、もらった友人がみんな涙目になる中で、しょう子一人だけがもぎゅもぎゅと美味しく食べきった。ちょっと周りの友人がひいていた。
どうやらしょう子は料理が向いていないだけではなく、美味しいの幅も広いらしい。否、広すぎるらしい。
「さて、と。そろそろログアウトするかな」
自動販売にあらかた料理をセットしたしょう子は、ファンタジックワールドのメニューボタンからログアウトを選択した。
モニターがオープニングページを映し出し、街中の軽快な音楽から、ファンタジックワールドの荘厳なテーマミュージックに変わった。
ノートパソコンの前で、しょう子はふとため息をついた。
「ゲームの世界に行けたら、私も料理上手になれるのにな……」
ゲームの中では料理上手な幼い魔女の姿の少女。けれど、塩田 しょう子は今日30歳を一人で迎える。
現在、独身街道を驀進中である。
決してもてないわけではない。
平均よりも高いスラリとした細身の体。顔もわりかし整っている。肩より少し長い黒髪は歩くとサラリと揺れ、白い肌はしょう子の感情に合わせてすぐに赤く染まる。
性格だって、少しのんびりしたところもあるが素直で自己主張も強くない。最近は結婚や出産が続いて遊んでくれる友人が減ってきたが、月に一度か二度は遊びにも誘われる。たいていがショッピングやランチ、たまに合コンにも呼ばれる。
何度か告白されたことだってある。人数合わせに誘われる合コンに行けば、まだそこそこもてる。しょう子を気に入ってくれる男性もいないわけじゃない。
けれど今、しょう子は小さなワンルームで一人きりで誕生日を迎えようとしている。
部屋の中央には小さなテーブル。テーブルの上には電源を落としたノートパソコン、缶ビールとツマミのポテトチップス、それに愛用の目覚まし時計。時計の針はもうすぐ日付が変わる時間を指している。
しょう子はあきらめている。
何をかって?
恋愛にまつわる全てをだ。
学生時代にインターネットを徘徊しているときに、その言葉にしょう子は気がついた。しょう子は『メシマズ』なのだと。しかも、自覚の無い『メシマズ』は味見をしないらしいのだが、しょう子は味見をしても美味しいの幅が広すぎて、普通の人が不味いものでも美味しく食べられてしまう、性質の悪い『メシマズ』らしい、と。
そこでいっそのこと開き直れる性格だったならば、しょう子も恋人の一人や二人、作ろうと思えたかもしれない。けれど、ちょっといいなと思える男性が現れるたびに、初恋のアキラ君や憧れの先輩を思い出してしまう。
それに、仮に恋人ができてもしも結婚までして子供ができたときに、手料理を食べて子供がショック死でもしたらどうしようかと思う。人一倍想像力が豊かなしょう子にとって、それはあまりにもハードルが高過ぎた。だから、友達以上になりそうな雰囲気になると、しょう子はそっと自分の立ち位置を後退させてきた。
そうやって、今、しょう子はワンルームで一人、30歳の誕生日を迎えようとしている。膝を抱えて時計を眺めながら誕生日になる瞬間を待っている。
週末には友達がお祝いしてくれると言うけれど、なんとなくいつも通りにゲームをしながら30歳になるのに少しだけ抵抗があった。だから、こうしてじっと時計を見つめている。一人で乾杯するためにビールだって用意した。
カチコチカチコチ。
静かな部屋に、秒針が進む音だけが響き渡る。
ゆっくりと短針と長針が重なった。
そして、ワンルームは、その主を失った。