しょう子、異世界の食べ物を食べる 「なかなか味わい深くて美味しいです!」
「えええええ!?」
膝を抱えたままの姿勢で、しょう子は思わず叫んだ。
木。
樹。
草。
地面。
さっきまで自分の部屋──狭いワンルームながらも、今日は特に誕生日を迎えるのだと丁寧に掃除した──にいたはず。
なのに、時計の針が重なったと思った瞬間に、しょう子は森の中の開けた場所にいた。
少し冷たい風が春物のルームウェアを揺らし、太陽が真下に影を作っている。ザワリと木々の葉が波打ち、辺りには濡れた大地と草の香りが充満している。
「え、うそ、これ……なに……?」
地面から冷たい湿気が這い上がってきたので、しょう子は立ち上がった。
見渡す限り、森である。
芽吹いたばかりであろう新緑の中に、しょう子は呆然と立っていた。
お気に入りの水色の長袖長ズボンのダブルガーゼのルームウェア、つまりパジャマを着て、足元はこれもお気に入りの白いモコモコのルームシューズのまま。
しょう子のあげる声は、そのまま深い森に吸い込まれていく。
キョロキョロと何度も辺りを見回しても、ただただ森が広がるばかりである。
「え? もしかしてゲームの世界にでも来ちゃったわけ!?」
明らかに見たことのない植物ばかり。富士の樹海でもアマゾンでもなさそうだ。だって、足元や森の中に生える草の色が紫やピンク、黄色に青色と普通じゃない。
ついさっきまでゲームをしていたしょう子は思わずそう呟いた。けれどしょう子のやっていたゲームはバーチャルリアリティなんかじゃなく、ノートパソコンでカタカタとチャットをしながらするMMO。それも森の中にこんな奇妙な配色なんてなかったはずだ。
しょう子は、いくつか読んだ事があるファンタジー小説を思い出した。ある日異世界にいってしまう──ファンタジーに憧れていたから当然そういった小説をいくつも読んだ事がある。幼い頃からナル○アやネバーエ○ディングストーリーに憧れていたりもした。だから、もしも異世界に行くならなんて空想だってよくした。
それでも、さすがに怪しげな洋館のタンスを潜り抜けたわけでもなく、不思議な本を読んでいたわけでもなく、ただワンルームで座っていただけでこんな状況になるなんて思いもしなかった。ましてや部屋着のままだなんて。
真夜中だったはずが、日差しが広場に降り注いでいる。時間ですらも違うらしい。
遭難した場合、動いたほうがいいのか、それともその場でじっと救助を待つほうがいいのか。
でもこの場合はどうしたらいいのだろうか。
街?
あるとしても、方向もわからない。
救助?
一体、ここはどこで、そして誰が救助してくれるのだろうか。
そうして、見知らぬ森で途方に暮れることになった。
広場には小さな泉もあるが、飲んでも大丈夫なのかわからない。
喉の渇きをできるだけ唾を口の中に貯めては飲み込んでごまかすしかない。
頭上にいた太陽が少し傾いてきた頃、森の中で動けずにいたしょう子は物音がすることに気がついた。
ザッザッザッザッ。
ガサガサ。
足音がする。
森を掻き分けて歩く足音だ。
多分、人間の足音。
そうして、森から一人の男が姿を現した。
明るい茶色の髪にヒゲ。グレーのロングコートの下は、革製の鎧に脛まであるいかついブーツ。腰には長剣を佩き、右手には探索用なのか長い木の枝を持っている。そして口には煙草を咥くわえている。まさにファンタジーで出てくる冒険者のような格好をした男だった。どう見ても日本人とは思えない。
──考えられる可能性はコスプレした外国人というのもあるかもしれない。
男は、ずいぶん前からしょう子に気がついている様だった。だから、しょう子にもわかるように足音を立てたのだろう。
しょう子が気づいたことを見た男は、煙草を咥えたままで誰何した。かなり低い声だったが、その意味はしょう子にしっかりと通じた。
「よお、こんなところで何してるんだ?」
おお!
言葉が通じる!
しょう子はそれだけで飛び上がりたいくらい興奮した。
最悪、ここが異世界だとして、言葉がまったく通じない可能性も高いと思っていた。
「あ、あの! ここはどこですか!?」
「おおっと、その前に。お嬢ちゃん、両手を上げて武器があるなら足元に置いてくれ。……念のために確認するが、魔物……じゃないよな?」
「は、はいぃぃぃ?」
まさか普通に魔物かどうか尋ねられるとは思ってもみなかった。
きょとんとした後に、しょう子は慌てて両手を上げた。
「えっと、武器は持ってないですし、魔物じゃないです」
ジロジロとしょう子を男が眺めながら近づいてきた。その間に、しょう子も男を観察した。
多分、しょう子よりも年上? 彫りの深い外国人の顔はイマイチ年齢がわかりにくい。明るい鳶色の瞳は険しくすがめられている。すっきりした鼻筋。やや鷲鼻かな。無精髭がなければもう少し若く見えるかもしれない。
近くで見ると男は随分と大きかった。しょう子よりも20センチは大きいだろうか。だがそれよりも厚みが違った。がっしりと鍛えられた胸板、ゴツゴツとした両腕。これだけ筋肉があるのなら、腰にある長剣も易々と振り回せるのだろう。
近づいた男が咥えた煙草から、フワリと薄荷のような香りが辺りに漂った。
煙草なのにいい匂いだな、と思ったしょう子はスンスンと匂いを嗅いだ。
「どうやら魔物の類いじゃあなさそうだな」
「……えっ、あ、はい。魔物じゃないです」
「手を下ろしてもいいが、怪しい素振りをするんじゃないぞ」
「はいっ」
そして、しょう子は男にこの場所についてようやく教えてもらえた。
パチパチと焚き火が音を立てて燃える。男──ガイウスと名乗った──が熾してくれた火は、思っていたよりも体が冷え切っていたしょう子の緊張をゆっくりと解していった。
焚き火を中心にして、それぞれが倒木に腰掛けて向かい合う。ガイウスの話を聞いたところ、ここは西果ての森と呼ばれる場所だと教わった。大陸の西一面に広がる森らしい。
ここは森の中にいくつかある安全地帯と呼ばれる広場の一つ。森の中にいる獣や魔物は、どういったわけかこのいくつかある広場には決して侵入しないという。だから、ガイウスはしょう子が多分最初から人間じゃないかと思っていたという。
ガイウスは、この近くの薬草を採取するために来た探索者──多分、物語によく出る冒険者のようなものらしい。この広場の事も知っていて、休憩しようとしたところでボケーっと間抜けに突っ立ていたしょう子に気がついたということだ。
「え? だったら何で魔物かどうか聞いてきたんですか?」
「おまえのその格好、どう見ても森に入るには場違いだろう?それともなんだ、ショーコの世界ではそんな格好で森に入るのが普通なのか?」
「ま、まあ……確かに……」
くいっと顎でしょう子の服装を指してガイウスが言った。即座に言い返されて、しょう子は自分自身の格好を見て納得した。
どこの誰が好き好んでルームウェアで森に入るというのか。
確かに怪しまれてもしょうがない。
異世界から飛ばされたようだ、なんて突拍子もない話を信じてくれただけでもありがたい。
「で、だ。ショーコはどうしたいんだ?ここから一番近い村までは半日以上歩く事になる。今からだと森で夜を迎えるから、俺は明日の朝一で村へ帰るが……」
「連れて行って下さい!!」
かぶせ気味にしょう子は言った。
「こんな森の中に置いていかないで下さい、お願いします!」
ガイウスがスパーっと煙草の煙を吹き上げる。。
「ショーコの話──異世界から来たってのが本当なら、王都へ報告もしなきゃならんしなあ。まあ、報奨金も出るだろうしいいだろう」
「え? お金のためですか……?」
若干引き気味にしょう子がそう言うと、ガイウスは呆れた眼をしてしょう子を見た。
「あのなあ、森の中を足手まといを連れて歩くって、誰が好きでやるんだ? ああ?」
「も、申し訳ございませんでした」
社会人生活で培った反射で即座に頭を下げた。
いかつい男が出す低い声は、ヤンキーなんか目じゃないくらいにしょう子をすくみあがらせる。
「ああ、それ。すぐに頭を下げるなよ。視界を悪くして弱点をすぐにさらけるのは止めておけ」
どうしてか、なんて聞くまでも無かった。多分、この世界はしょう子のいた世界よりも危険が多いんだろう。
そして多分、このガイウスさんは意外にいい人だ。
あんまり口は良くない、ぶっちゃけ悪いけど、しょう子が少し震えていたら、あっという間に焚き火を熾してくれた。それにロングコートも貸してくれた──ちょっと臭いけど。
王都まで連れて行ってもらえたら何とかなるのかもしれない。
「ところで、何で私を王都に連れて行くと報奨金なんて出るんですか?」
「昔な、おまえみたいな異世界から来たって奴がいたらしい。200年以上前の話だがな。そいつが探索者協会を作った。
どうも異世界人はここでは死にやすいらしくってな。……まあショーコを見てたら納得もするが。
それで、だ。探索者協会を作った異世界人が、書き残したんだ。異世界人を保護しろって。探索者協会の本部にはそのための予算もあるらしい。
らしいらしいばっかりだがな、報奨金がついているのは確かだ」
随分と昔にも異世界人はいたらしい。そのことに、しょう子は期待しながらガイウスに聞いた。
「え、じゃあ、異世界人って他にもいるんですか?」
「いいや。協会に入るときに教わるお約束ってだけで、俺も本当にいるなんて思ってもいなかったさ」
「何で私が異世界人だって信じてくれたんですか……?」
しょう子がそう疑問に思うと、ガイウスはニヤリと笑って答えた。
「協会で教わる異世界人の特徴そのまんまだからだ。
まず、森の中で知らない人間に会ってすぐに武器を手にしない。そんな奴はまずいない。5才でも、森で知らない人間に会おうものなら、せめて身を隠すもんだ。おまけに街や村の外にいるのに武器すら持っていない。無警戒にも程があるだろ」
「は、はあ……」
前言撤回。この世界はかなり危険が多いみたいだ。無事に生きていけるのかと不安になる。しょう子は、焚き火に当たっているはずなのにぞくりと身体を震わせた。
「持ち物も何も無いんだろ、俺の食料をわけてやる。もちろんいずれ出世払いで返してくれよ」
そう言ってガイウスはポンっと袋を投げてきた。
「堅パンが3つに干し肉2切れ、それに水筒だ。明日の夜までそれだけしかないからな。
ああ、水だけなら途中で汲むことができるぞ」
「あ、ありがとうございます!」
思わずまた頭を下げようとして、慌ててしょう子はやめた。
「くっくっく。早く慣れるんだな」
意地悪そうに見てくるガイウスの視線を、袋の中をのぞくことで断ち切った。
しょう子は、少しワクワクしていた。堅パンやら干し肉やら、なんだかとってもファンタジーっぽいじゃないかと興奮していた。それに、焚き火に当たってほっとしたせいか空腹も感じていた。
まずは堅パンから。
しょう子の手のひらサイズの、黒っぽい堅そうなパンにかじりつく。
少し酸味があるけどガリガリしている歯応えも悪くない。噛んでいると、ほのかな甘みも感じられる。
続いて干し肉にもかじりつく。
黒っぽい干し肉は、ちょっと塩分が濃い目だけど、なかなか味わい深くて美味しい。かなり獣の匂いがして硬いけれど、それも面白いなと思いながらしょう子はもぎゅもぎゅ食べていた。
堅パンが1つに干し肉1切れを食べ終わったとき、しょう子は自分をジッと見るガイウスに気がついた。ガイウスがぽかんとした顔でしょう子を見つめていた。
「え、あれ? もしかしてこれ、ガイウスの分も入ってました?」
焦ったしょう子が聞くと、ガイウスはぎぎぎと音を立てそうな様子で首を振った。
「な、なあ、美味しいのか、それ?」
ガイウスが恐る恐るといった風に聞いてきた。
「はい! なかなか味わい深くて美味しいです!」
「そ、そうか……」