ガイウス、夢を見る 「がははと笑うおっさんの笑い声が聞こえた気がした」
目の前でパチパチと焚き火の炎が爆ぜる。
夜の暗い森、赤い炎がチラチラと踊っている。
おっさんが鍋を引き寄せて中身を確認している。干し肉を削って鍋に落としながらかき混ぜる。干し肉を摘まんで口に入れてしかめっ面をした。
そして鍋をもう一度火にかける。
「相変わらず干し肉は臭えな」
俺も一口干し肉をかじる。
「そんなに悪くはないって最近思うようになったけどな」
がははとおっさんが太い声で笑う。
出会った頃よりも、白くなった髪。深くなった皺。
おっさんも年をとったもんだな。
あれ、でも俺、この時には「確かにまずい」なんて言わなかったか?
「干し肉を悪くないだなんて、もうおめえも立派な探索者だな」
「……俺なんか、まだまださ」
おっさんが焚き火に長い枝を入れて空気を通す。
炎が一段と高く上がる。
沈黙が広がる。
ああ、もっと何か言わなくては。
嫌な沈黙ではないのに、おっさんに何かを話さなくてはならない。
そんな焦燥感が胸を渦巻く。
しかし、何の話をしなくてはいけないのかが思い出せない。
「ほらよ」
立ち上がったおっさんが、木のカップを手渡してくる。
ゴツゴツとして、血管が浮き上がった皺だらけのおっさんの手。
カップを受け取ると、また正面におっさんは座った。
「まあまあだな」
ずずっとスープをすすったおっさんが呟いた。
俺も慌ててスープを口にする。
じんわりと胃の中へ温かいスープが落ちていく。
すっかり冷え切っていたんだろう身体が、温もりに緊張をほぐしていく。
おっさんのスープを飲むのはずいぶんと久しぶりだな。
いや、おかしい。
今まで、10才になる前から17才になる今日まで、毎日のように飲んでるじゃないか。
「なあ、ガイウス。大事なもんはちゃんと大事にしねえと後悔すんぜ? 俺みてえにな」
おっさんがひどく真面目な顔をして話し出した。
「なあガイウス。俺はおめえに言い忘れたことがある。まあ今さらなんだがな、おめえはおめえの人生を楽しめ。俺みたいになろうなんざ、しなくていい」
「おっさん! 俺はまだおっさんに教えてもらいたいことがたくさんある! だから」
「うんにゃ。おめえはもう立派な一人前の探索者だ」
「違う! 俺は……俺のせいで……」
「違わねえよ。そりゃ、いつだってちょっと失敗するぐれえ当たり前だ。おめえも俺も神様じゃねえ。間違ってもいいんだ。楽しんでいいんだ。それが人生だ」
焦る俺を、おっさんが優しい目をして見ている。
なぜか胸がひどくきしむ。
「なあ、もうちっと肩の力抜けよ。そんで、大事な言葉をちゃあんと大事な人に言うんだよ。
──できたんだろ、そういう奴が?」
おっさんに言われて、俺は思い出した。
無防備に笑う顔。
すぐに顔を赤くしたり、慌てておろおろしたりする。
意外と根性があって、なかなか泣き言は言わない。
いつだって必死な奴。
最後に見たのは、どんな顔だったけか。
ああ、そうだ。
ずいぶん間抜けなポカンとした顔をしてたんだ。
「べ、別にそういうんじゃないよ」
「へえ、そうなのか? じゃあ他の誰かにかっさらわれてもお前は平気なんだな?」
あんなすぐに気持ちが表情に出るような奴が、他の誰かのものになる。
背筋に氷を突っ込まれたような気分になった。
干し肉よりもまずい物を食った後のように、口の中が苦くなる。
まるでニガ草を食ったときのような気分だ。
おっさんの口が、片方だけニヤリと上がった。
おっさんが煙草入れから煙草を出して口に咥える。
木の枝に移した火で、煙草に火をつけると、ふいーっと煙を吐き出した。
辺りに白い煙が広がり、スッとした煙草の匂いが広がった。
ああ、そうだ。この頃は俺はまだ煙草を吸っちゃいなかった。吸うのはいつも、おっさんだった。おっさんはマギライ草を見つけると、いつも嬉しそうに丁寧に採取してたんだ。俺が採取して渡すと「やるじゃねえか、ガイウス」なんて言って、いつも俺の頭をぐしゃぐしゃと撫で回すんだ。「もういい年なんだから、そういうことしないでくれ」って言っても、「そうかそうか」なんて言ってちっとも聞いてくれなかったんだ。
「ほれ、俺相手に練習してみな」
「えっ、やだよ。何でおっさん相手にそんな練習しなきゃいけないんだよ」
ニヤニヤしたおっさんが促してくる。
「ちゃあんと練習しなきゃあ、大事な言葉もうまく言えねえぞ?」
「…………」
「ほれ、言ってみな」
「おっさん、みんなには言いふらすんじゃねえぞ?」
「おうおう、大丈夫だ。俺はそんな男じゃねえ」
「……約束だかんな。じゃあ、言うぞ」
いつもどこか不安そうにしていたショーコ。
王都へ行った後の話を俺もショーコも避けていた。
マギライ草を採取できて、顔を赤くして喜んでいたショーコ。
仕掛けに気づかなかった俺を、ショーコは許してくれるだろうか。
マゴノミ草の群生地に狩猟探索者が罠を仕掛けるなんて当たり前のことを、あの時浮かれていた俺は忘れていた。
まずはショーコに謝らなくちゃいけないな。
俺は覚悟を決めて目を閉じて、その言葉を口にした。
「王都へ着いたら、俺と探索者としてパーティを組もう。ショーコと一緒にいたいんだ」
目を開くと、目の下に隈を作って青褪めた顔をしたショーコが、ぽかんと間抜け顔で俺を見つめていた。ボサボサになった髪が、汗で額に張り付いている。
どこかで、がははと笑うおっさんの笑い声が聞こえた気がした。




