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しょう子、夜の森に考える 「生存率を上げる」

 さっきまでよりも、ガイウスの顔に赤みがさしている気がする。

 焚き火の明かりだけではよくわからないけれど、呼吸も少し力強くなった気がする。

 ガイウスの頬に手を当てる。

 ひんやりしていた頬には、少し温もりが戻っている。


「よ、良かった……」


 安堵で泣きそうになるけれど、ここで泣いていてもしょうがない。

 ガイウスを守るのは、今、しょう子しかいない。


「ちょっと借りるね……」


 ズック草の掛け布団に手を入れて、ガイウスの腰にグルリと巻かれている剣帯を外す。そして、長剣を取り出した。

 

 シュキンッ


 硬質な音を立てて、鞘から剣が抜ける。

 ガイウスは出会ってから、一度も剣を抜くことがなかった。

 思えば、獣か魔物かわからないけれど、森で生き物に出遭ったのもこれが初めてだ。多分、ガイウスがいつも吸っていたマギライ草の煙草の効果だったんだろう。貴重だと言っていた。ガイウスが村の中で吸っている姿を見ることはなかった。けど、森を歩くときにはいつも煙をくゆらせていた。広場に入ると、新しい煙草に火をつけるなんてことはほとんどしなかった。


 つまりは、そういうことなんだろう。


 ガイウスは私と森を抜けるために、足手まといの私を安全に森を歩けるようにと、ずっと煙草を燻らせていたんだろう。


 背負い袋の中にあるガイウスの煙草入れを取り出す。

 20本程の煙草が入っている。

 1本取り出して、焚き火に近づけて火をつける。


 が、上手く煙草に火がつかない。


 いつもガイウスは軽く煙草を咥えて、すぐに火をつけていた。そのはずなのに、煙草はプスプスと焦げるだけだ。

 煙草に火をつけるのも、何かコツがあるのかもしれない。

 少し焦げた煙草を焚き火にくべる。

 辺りに、いつもの薄荷の匂いが薄く広がりだした。

 煙草として吸うともう少し濃い匂いがするけれど、焚き火にくべると薄くなる。


 右手で抜き身の剣を握り、左手で時折焚き火に枝を追加しながらガイウスの様子を見守る。

 時間と共に、呼吸もだいぶ力強くなってきた気がする。


 いつもは森の中では、広場でしか眠ったことがない。

 だから、決して油断してはいけない。

 ここは広場じゃない。

 獣も魔物も現れる。


 現にさっきだって、灰色の大きな狼のような獣が現れた。

 もしも、あの時に鍋の蓋を開けるのがもう少し遅かったら……最悪の想像が頭をよぎる。


 あんな鋭い牙は、しょう子の身体など簡単に噛み砕くだろう。あのサイズの獣──しょう子が今まで見た犬で最も大きくてもシベリアン・ハスキーだったが、その成犬よりも一回りも二回りも大きい──は、人間ですら簡単に捕食してしまうんだろう。

 今、ガイウスの長剣を借りて握っているが、襲い掛かられたならきっとすぐに噛み砕かれる。

 間近で獣を見たせいか、リアルにそれは想像できた。


 生臭い息だった。

 美味しそうな獲物がいると、よだれをぼとぼとこぼしながら、しょう子に気取られないように足音を殺して近づいたんだろうか。

 

 体育座りをして、膝を抱える。


 次にまた、あの獣が襲ってきたら、今度こそ本当に死ぬかもしれない。

 私を殺した獣は、ガイウスを無視するだろうか。

 ──するはずがない。獲物が無防備に転がっているんだから、喉元をガブリと鋭い牙で一噛みすればいいだけなんだから。


 

 左手を目の前で握ったり開いたりしてみる。

 今更だけど、あの獣は鍋の匂いを嗅いでのた打ち回っていた。そして、鍋の中身が偶然顔にかかってすぐに、息絶えた。

 生き物を殺した。

 罪悪感?

 そんなものは湧かない。

 それよりも、生き延びた、ガイウスを守ることができたという実感がやっと湧いてきた。


 茶色い小さな袋には、まだ数回分の茶葉が残っている。

 水筒にも水はまだある。


 目線の先には獣の死体。

 その手前に、長柄の鍋が置いてある。横には蓋が転がっている。



 こわばる右手を剣から引き剥がし、しょう子はゆっくり立ち上がった。


 周囲を確認して、それから鍋に駆け寄った。



 どろりとした液体を、点々とこぼしながら歩く。

 焚き火を中心として、5メートルほどの円。その3分の1を描いたところで鍋の中身は無くなった。


 茶葉を鍋に振りいれ、水を注ぐ。

 火にくべる。


 もしも、飲めそうなお茶ができたらガイウスに飲ませたい。いくら半日で抜けると聞いたことがあっても、本当に無事か確かめたい。起きて、目を開いて、最後に何か言いかけた言葉を聞かせて欲しい。

 あの時、倒れこみながらガイウスは何か言おうとしていた。

 

 それに、ガイウスが怪我をしたのは私のせいだ。

 あのカチリという音。

 あの音が、ガイウスが矢を受ける引き金の音だったはず。


 きゅっと唇を噛み締める。


 許してもらえないかもしれないけれど、謝りたい。

 私のせいだ。

 


 鍋を焚き火から引き出す。

 それから離れた場所で蒸らす。


 しばらく待ってから、鍋の蓋を開いた。

 酸っぱい匂いに黒い液体がそこにあった。



 ポトポトと滴が垂れる。

 酸性の匂いがする黒い液体が、地面に水玉模様をいくつも作っていく。

 自分にかからないように注意しながら、木の下で眠るガイウスを中心に円を描いていく。


 二回目はこぼさなかったから、無事に円を描くことができた。

 これがどれだけ効果があるかはわからない。

 それでも少しでも生存率を上げることができるかもしれない。


 焚き火とガイウスの間に座ると、私はまた右手で長剣を握り、焚き火に枝をくべた。


 パチリ、と小枝が爆ぜる音が夜の森にやけに響いた。

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