しょう子、走る 「ガイウス、ちょっとだけ。ちょっとだけ待ってて」
世界から音が消えて、視界がゆっくりとモノクロームになっていく。
「ガ、ガイウスっ!?」
崩れ落ちたガイウスに呼びかける。さっきまで笑っていた顔が、眉を寄せたまま目を閉じている。
死。
その一文字が脳裏に浮かぶ。
「やだっ、ガイウス! 起きてっ!!」
まだ何も返せてない。
うまく力の入らない身体を引きずるようにして、ガイウスにすがりつく。
「やだっやだっ」
腕から流れる血がガイウスの服を赤く染めていく。
え、なんで?
人って、こんな矢が腕に刺さったくらいで、死んじゃうの?
おかしいよ、そんなの。
トクン、トクン。
すがりついたガイウスから、鼓動が伝わってくる。
「生きて、る?」
手のひらをガイウスの鼻の前に当てると、幽かな呼吸が感じられる。
生きてる!!
──でも、何で反応しないの!?
その時、私は以前にも同じようなガイウスを見たことを思い出した。
マルシャさんの家で、私の料理を4回目に食べたときだ。
炒めた野菜を口にしたガイウスが、ゆっくりと机に突っ伏した。そしてぐったりしたことに慌てた私に、マルシャさんが事も無げに「眠りの症状だね、オキ草茶を飲ませればすぐに目が覚めるさ」と言って、オキ草茶をガイウスに飲ませたんだ。意識のないガイウスに飲ませるのには苦労したけど、でも飲んで数分もしたらガイウスは普通に起き出した。
矢に睡眠毒が塗ってあったのかもしれない。
シニ草──名前の割には仮死状態、つまり深く眠ってしまうだけの草。
シニ草のような睡眠毒なら、オキ草茶で目覚めるはず!
オキ草なら、広場で何度もガイウスが作ってくれたのを覚えてる!
「ガイウス、ごめんっ、勝手に開ける」
オキ草を入れてある袋は茶色の一番小さな袋。ガイウスの背負い袋の中の一番上に、茶色の小さな袋はあった。
後は、これをお茶にするだけ。鍋に水と共に入れてよく煮出すだけ……そこまで考えて、背筋がすうっと冷たくなった。煮出す、これって料理になってしまう……。袋の中身を触らないように鍋に入れることはできる。でも、煮出すとなったら『メシマズ』が発現してしまう。
ガイウスの様子を見ると、さっきよりも顔色が悪い。青褪めて見える。頬に手を当ててみると、やけにひんやりとしている。──いつもしょう子よりも温かい手をしていたはずなのに。
血を流しているから?
まずは、血を止めなきゃ。
急いで背負い袋から紐と布を取り出す。
ガイウスの左腕に刺さった矢。
そこでぶるりと身体が震えた。
これを、私が抜く。
抜かなくちゃいけない。
昔見たテレビのニュース。そこには矢が刺さった鴨が映っていた。
小学生になったばかりだった私は、その姿が悲しくて「痛そう、お医者さんに治してもらえわないと」なんて言った記憶がある。
医療技術なんて、ただの事務員だった私にあるわけがない。
よくナイフで刺されると、不用意に抜くと失血死するだなんて聞いたこともある。
だけど、ガイウスの腕からは血が流れ続けてる。
悩んでいる時間もない。
車の免許を取るときに習った応急処置で、圧迫法とかいう止血法があったのを思い出す。
いまいちはっきり思い出せない。
あの時は、まさか自分が誰かを止血することなんて来るはずはないだなんて楽観してた。
できる限りちゃんと思い出さないと。
覚悟を決めてから、私はガイウスの左腕、矢が刺さった上部を紐で圧迫する。
それから、小刀で服の袖を切り落とす。
腕に刺さった矢から、ジワリと血が流れ出ている。
思っていたよりはグロくないけど、それでもやっぱり痛々しい。
左腕でしっかりとガイウスの腕を押さえながら右手で矢を掴む。
「ガイウス、痛くしてごめん」
そう言ってから一息に矢を引き抜いた。
とたんに腕から溢れる血を、水筒の水で洗い流す。幸いにも矢はきれいな形を保っていたから、木片なんかは見えない。
紐で縛っているせいか、しばらくすると血が流れる量が減ってきた。
できるだけきれいな布──この世界に来た時に着ていたダブルガーゼの水色のルームウェア。これは最初の宿に着いた日から着ていないし、ガイウスが運んでくれるのに汚れたままじゃ悪いから、森に入って最初の休憩日に洗濯した。大好きだったルームウェアをザクリと思い切りよく断ち切っていく。できるだけ大きいものと細長いのを。
水色のガーゼを傷口に当てて、何重にも強めに巻く。それから細長く切ったガーゼで巻いて、端をキュッと結んだ。
圧迫しているせいか、そんなに血は滲んでこない。
しばらくは紐も外さない方がいいかもしれない。
それから、ガイウスの背負い袋から出したままの茶色の小さな袋と鍋を交互に見る。
<どうもね、ショーコが気合を入れて作るたびにガイウスの症状が酷くなるみたいだねえ。
8回目と9回目はもう嫌々作ってただろ? それで10回目で今度こそって気合を入れてなかったかい?>
マルシャさんの言葉。
気合を入れちゃいけない。
気合を入れなければ、うまくいけるかもしれない。
まずは火を熾さなきゃ。
周囲から枯れ枝を集める。
ガイウスから教えてもらった。
よく乾燥して細い枝、中くらいの枝、太い枝を集めていく。
焚き火の風下になると煙いから、指を湿らせてからガイウスが風上になる位置にする。
ガイウスから少し離れた位置に、太い枝を組んでから中くらいの枝を差し入れる。最後に細い枝をたっぷり入れる。そして枯葉を用意する。
ヒバナ草をパキリと割る。
このヒバナ草も、森のどこかに生えているものらしい。生のままだと使えなくて、よく乾燥させると黒っぽい色になってクルクルと丸くなる。見た目は黒いチョークみたい。少しでも湿気ってると使えなくなるけれど、しっかり乾燥させると折る時に火花が散る。
飛び散った火花が、枯葉に小さな赤い点を作る。それに粉にした枯葉を少しずつかけて火を大きくする。細い枝に炎が移り、やがて中くらいの枝も燃え始めてほっとする。
「大丈夫、気合なんていれない。無関心、無関心」
唱えながら鍋の上で茶色の小さな袋から茶葉を振り入れる。そこに水筒から水を入れ蓋をした。
「無関心、無関心」
柄の長い鍋を焚き火に差し入れる。
ガイウスは、いつもここから10分くらい火にかけていた。
「無関心、無関心」
呟きながらガイウスを振り返ると、まだガイウスの顔色は悪い。腕の血は止まっているのに。
そこで地面から這い上がる冷気に気がついた。
「あ、地面のせいで冷えすぎてるのかも……」
だいぶ日も傾いてきた。夜になればここはますます冷えるだろう。
ガイウスに、さっき刈り取ったばかりのマギライ草をどさっとかける。焚き火にも、ガイウスの煙草を一本くべる。
「ガイウス、ちょっとだけ。ちょっとだけ待ってて」
私はさっきまで歩いてきた道を走り出した。




