第2章12
「あわわわわ!で、殿下、こちらをどうぞ!あらまあーこんなに濡れちゃって」
私は慌てて殿下にハンカチを渡し、芋もちを包んでいた手拭いで滴るお茶を拭き取った。
パンツまではしみてないよね。流石に替えのパンツは持ってないし。
ジュリア様とゲオルグも自分のハンカチで殿下の服やカバンを拭いている。
「ああっ!殿下!申し訳ございません……」
プリシラ嬢は真っ青な顔でよろめいて涙を流し、先ほど彼女を取り巻いていた令嬢達に支えられた。
「コゼット様を恐ろしく思うあまり、つい……決して殿下を害そうなどというつもりはございませんでしたの。お願いです。信じてくださいまし」
「……まあ、熱くはなかったし、この程度で罪に問うつもりなどない」
殿下はプリシラ嬢をチラリと一瞥すると、髪を拭きながら素っ気なく答えた。
「ああっ!お慈悲に感謝致します!」
「それより、コゼットに対する謂れ無い中傷の方が目に余る。ここに来るまでに随分と噂を耳にした。周りにいる者達も……よく考えることだな」
殿下のお言葉に、プリシラ嬢と彼女を取り巻いているメンバーはビクリと震え、顔色を悪くした。
「畏まりました……殿下がコゼット様をお気に入ってらっしゃるのは存じておりますが、過度のご寵愛はあまりいいとは思えませんわ」
取り巻きの中でも身分の高そうなご令嬢は悔しげにそう言うと、体調がすぐれないと言うプリシラ嬢を連れて教室から出て行った。
「はあ……なんだったのかしら」
殿下を拭きながらポツリと呟くと、ジュリア様の冷静な声が返ってきた。
「コゼット様はぼんやりしてるから気づかれなかったのでしょうけれど、彼女らは以前からあなたをよく思っていなかったようよ」
「え……」
「恐らくは嫉妬でしようけれど。忠誠を誓うなんて言ったのも、あなたを介して殿下とお近づきになれたらと思ってのことではないのかしら。焦りすぎたのか杜撰にも程があったけれどね」
「はあ……」
ジュリア様の言うことは当たっているのだろう。しかしなんだかガッカリしてしまった。
あの可愛らしい令嬢と友達になれると嬉しかったのにな。
「私のせいだな。すまない」
殿下が申し訳無さそうに眉を下げる。
「い、いえ、殿下のせいなどと!」
私は慌てて首を横に振った。
「そうですわ。まあの令嬢達は以前からコゼット様に対し嫌な目を向けていらっしゃいました。きっかけを探していたのかもしれませんわね」
ほへー。
そうだったのか。
いつもキャッキャと可愛らしいわねえとしか思っていなかった。
「それより芋もち食べようぜ!」
ゲオルグはどんな時でも通常運転だ。
恐らく脳には味噌の代わりに芋が詰まっているのだろう。
「あのう……」
そこに、おずおずと声がかけられた。
振り返ると先ほど遠巻きにしていたクラスメイト達が所在無さげに立っていた。
「どうかしまして?」
ゲオルグの脳味噌について考えていたことを悟らせないように、私はことさらにっこりと微笑んだ。
クラスメイト達は意を決したようにゴクリと唾を飲み込んで口を開いた。
「も、申し訳ありませんでした!コゼット様がそのような事をなさるなどと思ってもおりませんでしたが、あの、イザベラ様が恐ろしくて庇うこともできず……」
「イザベラ様……」
はて。このクラスにイザベラ様という方がいただろうか。
「イザベラ様……隣のクラスの侯爵家のご令嬢ですわね」
なるほど。隣のクラスだったのか。
あの偉そうな……じゃない、身分の高そうなご令嬢のことだろう。
彼女は豊かな深緑の髪をもつ美しいご令嬢だった。
ちなみにもちろん私はゴレンジャイの緑が現れた!としか思っていなかった。
「赤青黄色に、緑……あとはピンクか白ですわね」
「え?」
「い、いや、なんでもございませんことよ!おほほ……」
危ない危ない。心の声が漏れていた。
ピンクは現実にいたけど、なかなかねえ。
白はおじいちゃんとかならいるけど……おじいちゃんに戦いは無理よね。
いや、セバスチャンなら、あるいは……
「コゼット様……?」
「ハッ!あ、いえ、大丈夫ですわ。皆様もお気になさらず。皆様のそのお気持ちだけで嬉しく思いますわ」
ゴレンジャイの事を考えるとすぐに思考が逸れてしまう。
不安気に瞳を揺らすクラスメイト達に優しく微笑み、声をかける。
彼らは安心したようにホッと息を吐き、強張っていた表情を緩ませた。
「ありがとうございます。コゼット様はお優しいですね」
「いえいえいえ、そんな、おほほ」
誤解しないで頂きたいが、本当になにも考えていなかっただけだ。
焦ったせいで額に浮かんだ汗を押さえようとハンカチを探したが、緑茶でビショビショなことに気づく。
これで拭いたら抗菌効果がありそうね……
「あの!コゼット様!こちらのハンカチを……!」
「あら、このハンカチは……」
ハンカチを見ていたら、淡い金髪のご令嬢がきっちりと折り目のついたハンカチを差し出してくれた。
この見覚えのあるハンカチは……
「以前、タケノコ掘りの時にコゼット様が貸して下さったものですわ!機会を掴めずお返しするのが遅れてしまい、申し訳ありませんでした」
「まあ!すっかり忘れていたわ!わざわざありがとうございます」
こんなに綺麗にアイロンがかけられているということは、返せるように洗濯して持ち歩いていてくれたのだろう。
その律儀さが可愛らしくて思わず笑みが漏れる。
「い、いえ、そんな……!コゼット様……」
彼女は何故か顔を赤くしてもじもじし出した。
その様が可愛くて、私は彼女の手に芋もちをそっと握らせた。
「これは、ハンカチを返して下さったお礼ですわ。宜しければ召し上がって下さいまし。皆様も宜しければ芋もちをいかがですか?」
その後はクラスメイトみんなでワイワイと芋もちを囲んで楽しんだ。
随分たくさん作ってきた芋もちはあっという間になくなって、明日からはもっと作ってこようと決意した。




