第3章40
「上手く受け取れたみたいで良かった。開けてくれるかい?」
ミカエルに促され、アンジェが黒い布に包まれた包みを開けると、そこには液体の入った小さなガラス瓶があった。
ガラス瓶は濃い緑色で、特徴的な鳥の装飾が彫金されていた。とても美しく瓶だけでも価値のありそうだ。
「綺麗な瓶だけど……なにがはいっているの?」
首をかしげる私をよそに、アンジェは驚愕に目を見開いていた。
「これは、解毒剤……!どうして?!」
「えっ……本当に?!良かった……!ああ、ミカエル!これで助かるのね……!」
もう手に入れられないと、絶望しそうになっていたのに……
私の瞳から、安堵の涙が一気に溢れ出した。
アンジェも同じ気持ちなのか、小瓶を持った手を握り締めたまま、力が抜けたようにへたりこんでいる。
「良かった……良かったよお……」
子供のように泣きながら、私とアンジェは互いを抱きしめあった。今までの、緊張に張り詰めていた神経が一気に弛緩したせいか、涙が止まらない。
「ゲホッ……ハハッ……君のくれた情報を元に、レミアス君が絵を描いてくれてね。『モノ』と『場所』がわかっているなら、僕のニンジャにとってこられないものはないのさ」
咳き込みながら話すミカエルが、ベッドの上で身を起こす。
慌てて立ち上がり、その背を支えてさすりつつも……聞き逃せないワードが……
「ニ、ニンジャ……?」
物凄く詳しく聞きたい。
いや、そんな場合じゃないんだけど。
「ウン。僕の専属ニンジャが、さっきの騒ぎに乗じてリヨネッタの寝室に忍び込んでとってきてくれたのさ!とっても有能なんだ!ハハッ!」
「まさか……ハットリ様……」
「ちょっと待って。なんなのその名前」
ダメだ我慢できないっ!クッ……!
ぐるぐる渦巻きほっぺのアイツか?アイツなのか?脳裏に死んだ目をした可愛いキャラクターが浮かんでくるでござる。
しかし動揺している私を放置し、アンジェはほんのりと頰を紅潮させて瞳をキラキラさせている。
なにその反応……この世界のハット○君は超絶イケメンとかなの?
ナルトほっぺじゃないとかなの?
「よく知ってるね!」
「あ、はい……憧れだったんです!麗しのニンジャ、ハットリ様……コンサート、行きました!」
「ハハッ!あいつも喜ぶよ!」
「コンサート?!ニンジャなのに?!ぜんっぜん世を忍んでない!ツッコミどころ満載過ぎる!ねえ、アンジェ!その名前に違和感とかないの?!」
頭を搔きむしらんばかりの勢いで問いかける私に、アンジェはキョトンと首をかしげた。
「え?なにがですか?」
「いやだって、忍者ハッ○リ君なのよ?!」
「忍者といえば昔から服部じゃありませんか。私だって、服部半蔵くらい知ってるんですよ?」
そういうと可愛らしくプクッとほっぺを膨らませたアンジェは、無双でやったし……と小声で付け加えた。
いやむしろ無双ってなんだ。
おかしい。話が通じない。
落ち着け、落ち着くのよ、コゼット。そう、この覚えのある感覚……これは。
「ジェネレーションギャップってやつか!」
私は両手で顔を覆い、天を仰いだ。
「あのー、楽しそうなとこ、悪いんだけどサ」
「あっごめんなさい、ミカエル!ちょっと自分の(精神)年齢を思い出してしまって」
今の私はピッチピチの十六歳なんだから関係ないはずなのに、何故かダメージを受けてしまった。グギギ。
「ウン。ちょっと意味がわからないけど……取り敢えず、その薬をもらえるかな?」
「あっごめんなさい!どうぞ!」
ハッと我を取り戻したアンジェは、慌ててミカエルに薬の入った小瓶を手渡した。
もちろん私も同罪だが、解毒剤が手に入ったことですでにミカエルが治ったような気になってしまったのだろう。
ミカエルは小瓶を一気にあおり、コクリと小さく喉を鳴らす。
「ウーン、マズイ!」
「良薬は口に苦しって言うじゃない。きっとすぐに楽になるわ!ああ、本当に良かった……!あっ!お水とかあるのかしら」
目尻に溜まった涙を指で拭いながら室内を見回すが、ベッドサイドのチェストには水差しのようなものはない。
先ほどまでは室内を詳しく確認する余裕もなかったが、長く使われていない部屋なのだろう。一応の掃除はしてあるようだが、よく見ると少し埃っぽい。
「まあ、そこまで親切じゃないわよね。監禁されているわけだし」
「何かないか、探してきます!」
薬を渡すのが遅れたことを申し訳なく思っていたのか、アンジェはパッと身を翻すと続きの間に小走りで向かった。
「ミカエル、どう?すぐには効かないかもしれないけれど……少しは楽になった?」
ミカエルの背を支えながらゆっくりとベッドに身体を倒させながら問いかける。
やはり無理をしていたのか、ミカエルの額には大粒の汗が浮かんでおり、再び息が荒くなっていた。
「ハハ……ウン、楽になってきた気がしなくもないヨ。あとは、癒しの女神であり僕のビーナス、輝けるサンシャインハニーコゼットがそばに居てくれれば……」
「熱があるわね。少し寝たほうがいいわ」
「も、もう少し!もう少しだけ言わせてっ!」
「はあ……全く、ふざけてばっかりなんだから。でも、思ったより元気そうで安心したわ」
やれやれとため息をつく私に、ミカエルは嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔がやけに嬉しそうで、今にもとろけてしまいそうに甘くて……不覚にも、赤面してしまう。
「な、なによ?」
「いや……本当に心配してくれたんだなって思ってネ」
「あ、当たり前じゃない!普通、心配するわ!」
「ハハッ……ウン。いや、ウウン。当たり前じゃないヨ?普通は、出会ってから一ヶ月もたたない人間を、本気で心配なんてしないよ」
「そんな事ないわ。みんなあなたを心配しているわ。エリオットさんだって」
「エリオットは弟だからね。普通は、出会って間もない赤の他人のために心をくだかない。まして、命の危険をおかして貴族の屋敷に潜入なんてしない」
それはそうかも知れない。でも、助けられる手立てがあるのなら、私は何度だって潜入するだろう。結局、私の行動が役に立ったのかは疑問だけれど。
俯いて黙り込む私を、ミカエルが急に抱き寄せた。病人とは思えないほどの力に不意を突かれ、意外に広いその胸にギュッと抱き込まれてしまう。
「ミ、ミカエル?!離してっ……」
「やっぱり僕の目に狂いはなかった。コゼット、前回の求婚は取り消すよ」
「え……?」
レミーエ様の結婚式での、いきなりのプロポーズ。撤回して欲しかったはずなのに、何故か私は肩透かしをくらったような気持ちになって……そんな自分に驚く。
ミカエルは身体を少し離すと、そんな私の頰を両手で包み込み、揺れる瞳をじっと覗き込んだ。
「改めて、申し込もう。コゼット・エーデルワイス嬢。心から君を愛している。僕の生涯の伴侶となって欲しい」
「ミカ……エル……!」
仄暗い室内で光る、ミカエルの黒曜石のような瞳。瞳の奥で揺れる不思議な虹彩にとらわれた私は、金縛りにあったように身動きひとつとることが出来なかった。




