第3章38
「コゼット様、足元に気をつけてくださいね」
灯りが落とされ、屋敷中が眠りについた真夜中。
私たちはこっそりと部屋を抜け出して廊下を歩いていた。
料理長の部屋を譲り受け、屋敷内で暮らし始めてから三日が経過しているが、こんなにひと気がないのは初めてのことである。
「井戸に投げ入れた眠り薬がよく効いたみたいね」
「ええ……レミアス様が皆の気をそらしてくださったおかげで、意外と簡単にすみましたね」
来客で慌ただしくさせるために、わざと急にレミアスが来訪したのだ。
レミーエ様とエリオットさんの結婚によって縁戚になったばかりのため、リヨネッタ様が断りづらい状況だったのは幸運だった。レミアス自身をあんなに気に入っていたのはさすがに予想外だったが。
できる限り足音をたてないように気をつけて階段を登り、屋敷の主人のプライベートゾーンへと足を踏み入れる。
ここからは、厨房と自室の行き来がメインだった私にとって、全くの未知の領域だ。
あたりを見回しながらも、割に迷いなく進むアンジェは、前世でゲーム画面越しに見たことがあるのかも知れない。
「場所はわかる?」
「はい、任せてください。……ゲームと同じならば、ですけれど」
階段を登りきって屋敷の二階にあがり、コの字型になった屋敷の右側の棟へと進む。そしていくつかの扉の前を通り過ぎると、アンジェは突き当たりの扉の前で足を止めた。
その扉は重厚で木目が美しい木造りで、いかにも屋敷の主人の部屋といった雰囲気だった。
キィイ……
物音ひとつしない廊下に、扉の蝶番の軋む音が小さく響き、背筋がヒヤリとする。
普段は気にならない程度の音なのだろうが……
「油をさしたほうがいいわね」
「シッ……」
緊張のあまり、軽口を叩いてしまって、諌められた。
私は眉を下げ視線で謝ると、息すら止める!と決意して室内を覗き込んだ。
初めて足を踏み入れたリヨネッタ様のリビングルームには、薄く明かりが灯されていたが、人の気配は無かった。
室内には扉が左右に二つある。恐らく片方が寝室で、もう片方は部屋付き侍女の控えの間か何かだろうか。
「侍女はいないみたい……薬が効いたようですね」
「そうみたいね。……良かった。解毒剤を探しましょう」
「解毒剤はリヨネッタ様の寝室にあるはずですわ。こちらです」
顔を見合わせて頷きあい、寝室へと続く扉に手をかけようとした時……突然、部屋の明かりが灯された。
「リヨネッタ様の寝室に、料理人がなんの御用ですかな?」
頭から冷水を浴びせられたように、背筋を冷たい汗が伝った。
思わず身構えてバッと振り向くと、そこにはいつの間にか、キッチリと執事服に身を包んだダンヒルが腕組みをして佇んでいた。
「聞こえなかったですか?そこは、当家の主人のプライベートスペースです。いち料理人に何用があるのか、答えられるものなら答えてごらんなさい」
射すくめられたように動けずにいる私たちに、ダンヒルはスッと手に持っていたステッキを向けた。
「答えられないですか?ならば、後でゆっくり聞くとしましょうか。……あなた達、この不審な侵入者を捕らえなさい」
「ハッ!」
ダンヒルの命令を受けて、寝室に行く扉とは別の扉から衛兵があらわれ、私たちの方に手を伸ばす。
「コゼットさまっ……!」
「くっ……!ここまで来て……!」
あともう少しで解毒剤が手に入ったのに!
悔しさで歯噛みしながら、迫り来る衛兵に私とアンジェは身を固くした。
その時。緊迫する室内に聞き慣れた声が響いた。
「彼女に触るな。その汚い手を放せ!」




