第3章33
「えー、今日は、香り付きのオムレツを作ります!簡単に、いつものオムレツをワンランクアップさせる技なので、皆さん覚えて帰って下さいね〜!」
「「「はーい!」」」
焼き台の前で講義する私に、元気のいい野太い返事が返ってくる。
うむ、と頷いた私に、アンジェが大きな瓶を渡してくれる。
かたく閉じていた瓶を開けると、芳醇な香りがふわりとあたりに漂った……そこには、一週間ほど前からいれておいた、トリュフとたまごが鎮座していた。
その香りに中身を知っていたはずのアンジェどころか、生徒たち……厨房の料理人たちが目を見開く。
これは、トリュフオムレツ用に用意していた卵だ。
この国に来て間もない頃、エリオットさんと商談を進めているうちに偶然見つけたトリュフで、仕込んでいたのである。
なんのためかって?
もちろん自分で食べるためです。いや、でした……
卵料理の得手不得手が料理人の腕の評価を左右するとわかった今、リヨネッタ邸の厨房の掌握のために使うことにしたのだ。
まさに身を切る思いである。
しかし、この卵で作ったオムレツを差し出せば、確実に私の料理人としての評価はあがるであろう。食べたかった……全部食べたかった……
「ご存知の方もいると思いますが、この黒い物体は『トリュフ』というキノコです。香り高く味にアクセントをつけることができます」
「なんて香りだ!」
「あれは……そういえば、露店で見たことがあるな。知らない物だったから、使ったことがなかった」
「俺の故郷ではよく見かけたなあ。ブタがよく食べてたよ」
料理人たちはざわざわと話しているが、聞き捨てならないセリフが聞こえ、私は目をカッと開いた。
「なんですって?!いま発言した貴方!後で先生のところにくるように!」
「は、はいいっ?!」
「おい、お前……なにしたんだよ」
「知らねえよ!ブタかな……ブタがダメだったのかな……」
ビシリと指さされた料理人見習いは、何故か悲壮な顔つきで肩を落とし、周囲の仲間に慰められている。しかし、トリュフをよく見かけていたなどと、捨て置けるものではないのだ。是非とも産地を聞き出さねば!
この世界ではトリュフはあまり活用されていなく、エリオットさんも珍味としてごく稀に欲しがるお客がいるくらいだと言っていた。そのため流通自体も少ないのだ。
今回手に入れられたのは偶然だが、これからの私のクオリティ・オブ・食のためにはかなりの重要項目である。
「……先生!」
目を血走らせ、トリュフ……じゃなかった、料理人を凝視している私の背中を、アンジェがチョンチョンとつつく。
ハッ?!私ったら、また意識が……?
やだわ、やっぱり何かに取り憑かれてでもいるのかしら。
「……コホン、失礼しました。この卵は、トリュフと一緒に一週間、冷暗所で密閉保存していたものです。このトリュフの芳醇な香りがすっかりうつって、卵自体がとてもいい香りになっています」
私が取り出した卵に、料理人たちは目が釘付けになった。
「ふわりとしたオムレツを作るポイントは、かき混ぜすぎないこと。そのため、あえてフォークを使って、粗く軽く混ぜます」
チャカチャカと卵を混ぜ、オムレツを作っていく。仕上げに薄くスライスしたトリュフを散らすのも忘れない。
オムレツは慣れるまで難しいけど、慣れたら簡単なのよね。
綺麗にふっくらと膨らんだオムレツを差し出すと、料理長は恐る恐る口にし……次の瞬間、鬼神のようにカッと目を見開いた。
「うっまーーーーーーい!もはや神!いや、もう、なんなの?!なんなのこれ?!」
若干オネェっぽい。
くねくねする料理長からオムレツの皿を奪い取り、周りにいた料理人たちが次々とオムレツを口に運ぶ。
「あああああ!」
「うまいよーうまいよー母さーん!」
「ブタのくせに、こんなに美味いものを食べていたなんて!」
最後のセリフには、激しく同意する。トリュフを食べまくっているブタに対する嫉妬がとまらない……!
私は大きく息を吸うと、悶絶する料理人たちの前でパンパンと手を叩いた。
「はい、皆さん、試食はそこまでー!今日は私が卵を用意しました!こちらで練習してくださいね!」
「「「はい、先生!」」」
料理人たちはおのおの卵を混ぜ、順番に焼き台に向かっていく。
あらかじめオムレツの作り方を仕込んでおいたアンジェも料理人たちの指導にむかった。
ひとしきり指導を終えると、あとをアンジェに任せて料理長を呼び出し、厨房の奥に向かった。
そうして連れ立って歩く間、料理長はひたすら喋り続けていた。
「師匠!私、感動致しました!あの黒いキノコにあんな香りや風味があるとは、師匠のご慧眼はもはや神の領域に達していらっしゃいます!つきましては料理の神コーデリア様を讃える歌を作ることをお許し頂きたく……」
ヤバい。料理長が遠い国に解脱しそうになっている。いつの間にか先生から師匠になってるし。
ていうか歌?なんで歌?
「まーあるーい、ターマゴー♪コーディのターマゴー♪至高のーターマゴー♪」
「料理長!料理長!歌はいいから!戻ってきて!ていうかその歌、私じゃなくて卵を讃えてるから!」
「ハッ?!」
ガクガク揺さぶると、やっと料理長の目の焦点があってきた。
「し、失礼しました。あ、それで、お話というのは……?秘伝のレシピのお話ですか?」
「ごめんなさい、それはまた今度教えるわ。聞きたいのは、料理人用の宿舎とかはあるのかってことなんだけれど……」
子犬のように目をキラキラさせる料理長が眩しすぎて、若干目をそらしてしまった。
「宿舎ですか!もちろんありますよ!離れの寮みたいなやつなんですがね」
「離れ……そうなのね。私とアンジェもそこに入れるかしら」
「師匠が、ですか……」
料理長は眉根を寄せ、考えるように唸った。
むむ。怪しまれているのかな?
少し目立ちすぎたのかもしれない……
「師匠をむさ苦しい寮に入らせるなど、天罰が下ります!母屋の私の部屋を即刻明け渡します!」
「え?!ちょ……!」
「少々お待ちくださいねー!!」
ポカーンと口を開けたままの私を残し、料理長は快活な笑顔を浮かべたまま走り去っていった。
なんだろう、怪しまれるよりも、はるかに胸が痛い……
呆然としたまま、アンジェが呼びにきてくれるまで私はその場に立ち尽くしていたのだった。




