第3章32
「コーディ!今日はオムレツだ!」
「はいはーい」
料理長に呼びつけられ、私は手を拭きながら調理台の方に向かった。
「もう焼き台に立っただと?!」
「二日目にして?!今まで雇われた料理人の中で、最速記録を更新したぞ!」
「あわてるな。試されているだけだ!」
相変わらず、後ろの方でザワザワと騒がしいな。
朝食と昼食の準備の合間の時間で、暇なのかしら。
そういえば、アンジェは……
「きゃっ!手を切っちゃいました!」
「可哀想に!僕がやってあげるよ」
「じゃあ僕は手当てをしてあげる!」
うーん。なかなか上手くやっているようで何よりだ。昨日から働き始めた調理場だが、アンジェはその守ってあげたくなるような可憐な美貌と巧みな手管で、あっという間に周りを籠絡してしまった。
アルトリアの学園にいた頃よりも数段巧みになっているのは、各国を放浪した経験が生きているのだろうか……ホロリ。
これならアンジェのおかげで情報収集も楽に運びそうだ。
キョロキョロしながら調理台に着くと、料理長は私の前に小さな鉄のフライパンと卵を用意していた。
「今日は、焼き物のテストをする。これでオムレツを作ってくれ」
「はいはーい。んー……フォークはあるかしら?あと、玉ねぎとトマトとチーズ!ジャガイモもあると一層美味しいわ!」
「なんだと?!くっ……!やれるもんなら、やってみろ!」
「はいはーい」
何故か悔しそうな料理長の命令で、私の前に食材が並べられた。
野菜をさいの目に刻んで、塩胡椒で味付けしたら軽く炒め、私はマヨネーズを取り出した。
フォークで卵3つを軽く混ぜ……マヨネーズを投入!
「あの、魔法の調味料?!」
「美味しくなるのよ〜マヨネーズと卵の相性は抜群よ!」
熱したフライパンにバターを溶かし、ふわとろオムレツを作っていく。
濡れ布巾で熱を逃がすのがポイントだ。
もちろんチーズを挟み込むのも忘れてはいけない。
娘のお弁当やら朝食やらで鍛えた、私の卵料理テクニックがほとばしる!
こちとら主婦歴ウン十年!卵焼きからオムライスまで、お茶の子さいさいである。
「はーい、オムレツ一丁あがりい!」
黄金のように輝く、美しいふわとろオムレツをお皿に盛り付けて差し出すと……料理長が床に両肘両膝をついてうな垂れていた。
何故か、ザワザワと噂をしていた料理人たちも同様のポーズをとつている。
「料理長……?」
お腹でも痛いのかしら……せっかく作ったのに、冷めちゃうわ。
「こんな……こんな綺麗なオムレツ、見たことないよ……」
「もう俺、料理人辞める……」
「俺も、料理長辞める……」
「料理長?!」
いきなりどうしたのだろう。せっかく潜り込んだのに、辞められたら困るんだけど!
「いや、まだ味を見ていない!味次第だ!」
ガバリと起き上がって、料理長はフォークを引っ掴んだ。フォークがオムレツに突き刺さると……ふわふわの表面から、とろ〜りとした半熟卵が溢れ出す。
我ながら、自作のオムレツ史上、歴代最高クラスの出来である。
「う、ま、い……ガクリ」
からりとフォークを取り落とし、料理長が床に倒れ伏した。
「料理長ー?!」
聞けばこの世界では、美味しいオムレツを作れるのは一人前の証らしかった。
何故ならば、前世の現代日本と違い、簡単に火加減が調節出来るガスコンロなどがないからだ。
かまどに焚かれた火で調理を行い、火加減は炎からの距離で調節するのだ。
そのため火加減が難しく、トロトロして扱いも難しい卵と相まって、ふわふわで黄金色の美しいオムレツを作るのは難易度が高い。
それらを全てマスターし、まして具材をいれて美味しいオムレツを作れる料理人は、どこの調理場でも引く手数多である。
しかし私は、例えガスコンロがなかったとしても、ふわっふわでぷっくりの黄金オムレツを作れるのだ。
何故って?フフン!もちろん、我が家の料理長との、たゆまぬ料理研究の成果である。
我が家の料理長はアルトリア一の料理の腕の持ち主なのだ!
「なんて腕前だ……本当に、何者なんだ……」
料理長が涙目である。
いじめっ子みたいになっちゃったな。
私は料理長を慰めるために、この世界では画期的な料理を披露することにした。
「私はただの流れの料理人ですよ!あっ!そうだわ!今日は特別に、皆様にご紹介したいお品がございます」
私は懐から、四角いフライパンを取り出した。
完成まで随分かかった、こだわりのフライパンである。
「な、なんだ、これは……?四角いフライパン?」
「使いづらそうだが……あれが、特別な品なのか……?」
料理長をはじめとする料理人たちは、フライパンの周りに集まって、しげしげと物珍しげに眺めている。
「ふっふっふ〜!こちらの商品は、な、なんと!卵焼き専用フライパンでございます!」
ドヤ顔で言い放った私に、周りの反応はポカーンとしたものだ。
「タマゴヤキ?目玉焼きのことか?」
だがここまでは想定内! 卵焼きは愛すべき日本の文化だが、こちらの世界にはもちろんない。
「わかっております、わかっております!それではこれから、皆様に卵焼きを作ってご覧に入れます!アシスタントのアンジェさん!」
「はい!先生!」
いつの間か移動していたアンジェが、俊敏な動作で私の背後からあらわれ、ボウルにすでに作っておいた卵液を差し出す。
この卵液は、しっかりとった出し汁を加え、塩と砂糖で調味してある。醤油とみりんがない事が大変悔やまれる。
醤油とみりんについては、ゆくゆくは必ず手に入れたいと思っているが、あれらは味噌と同じく作るのに時間がかかるのだ。
「さあ、みなさま、よく、よーく!ご覧になっていてくださいね!あっという間ですからね!」
私はフライパンに油をしき、卵液を流し込む!娘のお弁当やら朝食やらで鍛えた、私の卵料理テクニックが……以下略。
間も無く、薄い卵が幾重にも重なる、黄金色の卵焼きが出来上がった。ほわりと立ち上る白い湯気に、周囲に集まっていた料理人たちがゴクリと喉を鳴らした。
「なんて……なんて……!ああ、もう言葉が見つからない!」
「まさに、神の技だ!」
「ハハッ!さすがデースね〜」
……ん?!
なんか、最後のほうに不審な口調が紛れていたような?
「コ、コーディ!食べてもいいか!?」
「はっ!?あ、どうぞ!」
気のせいかな……?この辺りには、あの黒いネズミっぽい方言の国があるのかな?
あれ……?ネズミーランド……?
「う、うまい! 深みのある味わいといい、この繊細な技、絹を折り重ねたような優美なかたち……宮廷の晩餐会に出せるほどの逸品だ……!」
「え、いや、ちょっと……晩餐会はどうかな……卵焼きだし。せいぜい朝食っていうか」
「料理界に革命が起こるでしょう!宮廷に献上するべきです!」
「いや、そりゃあ卵焼きは冷めても美味しいけどね。献上するほどのものかっていうとね」
「コーディ!いや、先生!」
「「「弟子にしてください!」」」
どうしてこうなった。




