第3章9
「失礼いたします、エーデルワイス様。この度はアンジェが失礼致しました」
「え、失礼?」
部屋に入るなり、女将はアンジェを自分の隣に立たせて頭を下げた。
私はアンジェの気まずげに手をもじもじさせる様子を見つつ、驚いて問い返した。
「昔、知り合いだったからとお客様を訪ねて煩わせるなど……あってはならない事です。まったく……」
呆れたような視線をアンジェに向けつつも、女将のその目は母のように優しかった。
「すみません……どうしても謝りたくて」
アンジェはしょぼんと肩を落とした。その萎れた姿はなんだか小動物のようで可愛らしく、私はぷっと小さく吹き出してしまった。
「エーデルワイス様?」
女将がきょとんと問い返したので、私は笑いながら口を開いた。
「ふふ、すみません。なんだか可愛らしくって。……アンジェさん、あなた、一人なんかじゃないじゃない。お母さんみたいな方がいるじゃない」
「え……」
私の言葉にアンジェは目を見開いて女将を見つめた。
女将はやれやれ、と顔に書いてあるような仕草で肩をすくめると優しく微笑んだ。
「またあなたは一人なんて言っていたの?……まったく仕方のないわね、私の娘は」
「女将……さん……」
アンジェの青い瞳に、みるみる涙が浮かび、ぽろりぽろりと零れ落ちた。
女将はアンジェをそっと、抱き締めよしよしと頭を撫でる。
「私はあなたを娘だと思っているわ。少々年をとったお母さんだけれど……いいかしら」
「は、い……はいっ……お母さん……」
堪えきれずに泣きじゃくるアンジェを見て、私は心がほんわりと暖かくなったのだった。
「うっ……ぐふっ……い、いい話ですね……ずびっずびずばふっ」
後ろから、猛烈に鼻をすする音がする。
……シシィってクールそうに見えて意外と涙もろいのよね。
無言でシシィにハンカチを差し出すと、チーンと盛大に鼻をかまれた。
……おい。
「お嬢様、ありがとうございます」
「返さなくていいから。いやほんとに。シシィ、お願い。正気に戻って」
シシィは混乱している!
コゼットは全力でハンカチ(鼻水つき)を回避した!
「……ところで女将さん、アンジェさんをしばらく借りられないかしら。シシィ、いいから顔を洗ってらっしゃい。早く。一刻も早く」
私が涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたシシィを追いやりながら女将に話しかけると、女将は困ったように首をかしげた。
「借りる?なにかこの子に用事でもあるのですか?」
「ええ。私たちは友人の結婚式に向かう途中なの。その方はアンジェさんとも親しいから、一緒に行けたらと思って」
「まあ!もしかしてそれはレミーエ様のことでございますか?」
「そうなの。レミーエ様のことをご存知なのね。彼女の結婚式がルメリカで行われるのよ」
女将は顔を綻ばせると、嬉しそうに何度も頷いた。
「なんて素晴らしいことでしょう!……でもよろしいのでしょうか?それに招待も……」
一転して困り顔になった女将がアンジェの方を見やると、アンジェはもじもじと女将の顔を窺うように所在無げにしていた。
「……実は、招待状を頂いているの。でも仕事もあるし、お金も……」
「まあ!なんでそれを早く言わないの!まったくこの子はいつもいつも……」
ぶつくさとアンジェに小言を言う女将は、とこにでもいる娘想いの母親そのもので、アンジェは小言を言われながらもどこか嬉しそうに笑うのだった。
 




