第3章5
しばらく時間が止まった。
いや違う、これがフリーズという状態か。
あまりに予想外なシシィの発言に、再起動するまでしばらくかかってしまった。
「お嬢様、お嬢様!大丈夫でございますか?……アンジェ様にはお引き取り頂きましょうか」
フリーズした私に、シシィはすぐさま踵を返そうとした。
シシィを含めた使用人達は、以前起こったクーデター事件の真相までは知らされていない。
私が誘拐された事はうちの使用人達はもちろん知っているし、それと関連した事件で何人もの貴族達が断罪された事はさすがに気づいているだろうが……
その為、シシィはアンジェがあの事件に深く関わっていたとは思っていない。
そうでなければシシィがアンジェを私に取り継ぐ訳がないのだ。
まあ、賢いシシィのことだ。
薄々は勘付いているのだろう。
アンジェを追い返すのに一瞬の迷いもない。
「違うの!まさかここでアンジェの名前を聞くとは思わなかったから、ビックリしただけ!もちろん会うわ!彼女とはもう一度お話ししたいと思っていたの」
私は縋り付くようにシシィを引き止め、アンジェを案内するように命じた。
「……突然の訪問、失礼致します、コゼット様。ご面会を許可いただきましたこと、ありがとうございます」
部屋に入るなり、アンジェは私を真っ直ぐに見つめてそう挨拶すると、深々と頭を下げた。
そしてそのまま頭を上げる気配すらない。
私は彼女のあまりの変わりようにはしたなくもポカンと口を開け、目を丸くするしか出来なかった。
え?アンジェ?これが?
彼女は以前とは全くの別人のようになっていた。
もちろん美しいピンク色の髪や可憐な顔立ちは以前のままだが、その立ち居振る舞いや声は驚くほど殊勝で、礼儀正しく洗練されていたのだ。
そもそも学園にいた頃、彼女にコゼット『様』などと呼ばれた事はない。
というか、睨まれた記憶はあるが直接会話した事はほぼない。
大概が虫を見るような目つきで睨まれるか、道端のぺんぺん草のように無視されるかどっちかだった。
この子、本当にアンジェ?
私の頭を疑問符が埋め尽くす。
しかも何故か宿の者たちが着ているお仕着せに身を包んでいる。
私の脳味噌が処理能力の限界に達したのかまたしてもフリーズしていると、隣でシシィが小さく咳払いをした。
「……お嬢様、顔を上げる許可を出してさしあげないと」
えっ!それ待ち?!
私、王様じゃないんですけど!
まるで庶民が王侯貴族に対するような最上級の礼を尽くした態度だ。
……いやまあ、よく考えたら彼女はもう庶民で私は貴族である。しかもここは身分差が取っ払われた学園ではないのだから、アンジェの対応は当然ともいえるのだが。
「か、顔を上げてちょうだい、アンジェさん。……ごめんなさいね、ちょっとびっくりしてしまって」
私が慌てながらそう告げると、アンジェはゆっくりと顔を上げた。
私をしっかりと見つめるその瞳は、不安げに揺れていた。
「コゼット様、私などに会っていただき、ありがとうございます。私、どうしてもコゼット様に申しあげたいことがあるのです。どうか、私に少しお時間を頂けないでしょうか」
何を言われるんだろう。
彼女にされたことを思うと、どうしても緊張してしまう自分がいた。
しかし、唇を噛み締め震える指先を白くなるほどギュッと手を握りしめている彼女に、悪意があるとはとても思えなかった。
「……ええ、もちろんよ。どうぞお掛けになって」
気がつくと私の口からはそんな言葉が溢れていた。




