第3章2
「空気の入れ替えって大事よね!ほら見て!風が草原を渡っていくわ!」
私は馬車の窓をバーンと大きく開けて、風の香りを吸い込んだ。
それと同時に開け放たれた窓から雪の混じった風が物凄い勢いで吹き込み、私の髪が一気に逆立った。
ぐあっ!め、目が開けられぬ……
「……お嬢様、寒いので閉めてくださいませ。ジュリア様がお風邪を召されてしまいます」
「ぐっ……はい……」
私は今、ルメリカに向かう馬車の中にいる。
私と同じ馬車にはジュリア様と彼女の侍女のドーラ、そしてシシィが乗っている。
私は乱れた髪もそのままに、ほんのりしょげつつ窓を静かに閉めた。
アルトリアを出発してからというもの、ずーっと季節外れの雪と雨で窓も開けられなかった。
ただでさえ閉塞感を感じる馬車の旅だ。
窓を締め切ってると気分まで暗くなってしまうと思い、強行的に開けてみたのだが大失敗だった。
まあ、風がものすご過ぎたお陰で空気の入れ替えは一瞬で完了したから良しとしよう。
……しかし最近のシシィさんのツッコミは鋭すぎやしないかね。
私に対するシシィの雑な態度に、最初こそ『あれ大丈夫なんですの?』という顔をしていたジュリア様ももはや慣れたのか動じなくなった。
私に一瞥もくれず、ピシャリと言い放ったシシィは黙々と書類仕事を進めている。
……あれは、シグノーラ関係の仕事だな。
シシィの手元をチラリと見た私はそっと目を逸らした。
ルメリカ行きを決めてからというもの、不在の間のシグノーラの仕事をあらかじめやれるところはやったのだが、まだやり残した事があったらしい。
特に狩猟会以降は、ザムス夫人と共同名義での服ブランドの創設と新店舗の進出から始まり、乗馬服とブーツの新しいデザイン、春物衣料及び靴の戦略会議などやることは目白押しで息つく暇もなかった。
そして各部門の折衝役を行ってくれているシシィは常に駆けずり回っていて、日を追うごとに鬼気迫る表情になっていくので本当に怖かった……いや、今も怖いけど。
「シシィ、ルメリカに着いたら、お肉をいっぱい食べようね。サーロインにする?それともやっぱりフィレかしら。シェフ!焼き加減はミディアムレアで!なんちゃって。それに肉汁を吸ったマッシュポテトも絶品よねえ。ああ、お腹すいた……」
「お嬢様、おにぎりをどうぞ」
「あら、気がきくわね。さすがシシィ。ジュリア様も如何ですか?」
シシィから渡された竹の葉に包まれたおにぎりを、私はジュリア様とドーラにグイグイ勧めた。
我が家の料理長が瓶詰めにしてくれた特製の佃煮いりの絶品おにぎりだ。
この佃煮は、私と料理長の共同研究によって作られた、血と汗と涙の結晶である。
「あ、ありがとうございます、コゼット様」
「いえいえ、たんとお食べ〜」
むぐむぐむぐ。
うーん、この甘辛じょっぱい感じがたまらんね。
やっぱり醤油を取り寄せて良かった。
そう、この佃煮……なんと醤油とみりんを使っているのである。
東国からの商人であるヨシヒーローさんに尋ねたところ、東国には醤油 (っぽいもの)やみりん(風調味料)があったのである。
これを知った時の私が受けた衝撃といったらもう……涙なしでは語れない。
この二つを手に入れてからというもの、私の料理のレパートリーは格段に広がった。
主婦としての本領を発揮したといっても過言ではない。
いやーー、やっぱりさ。
コッテリソースの洋食ばっかりじゃ飽きるのよ。
こっちじゃ当たり前だったから今までは耐えてこられたけど、一度思い出してしまうとやめられない止まらないわけで。
私とは別の意味で醤油とみりんに衝撃を受けた料理長と一緒に料理を開発しまくった結果、我が伯爵家では一大東国料理ブームが巻き起こっている。
「やっぱりおにぎりの具は佃煮ですわね。昆布の佃煮は特に最高ですわ。小魚も捨てがたいですけれど」
「そうですわね……佃煮もいいですけれど、私はウメボシが一番好きですわ」
おにぎりを食べながらニコニコと会話していると、がたりと揺れて馬車が停まった。
ほとんどそれと時を同じくして、外から御者の声がかかる。
「お嬢様方、国境の街、メディウスに着きましたよ」
おにぎりに夢中になっているうちに、随分と時間が経っていたみたいだ。
御者が開けてくれた扉の外は、雪の止んだ青空が覗いていた。
「メディウス……」
私は初めて訪れる街の名前に胸を躍らせながら、一歩足を踏み出した。




