王太子視点
イザベラ嬢のドレスは無難なものだった。
もちろん精緻に施された装飾や、ふんだんに縫い込まれた宝石やそれを飾る刺繍、そしてドレスの生地はひと目でわかるほど上質なものであることは間違いなかったのだが。
だが、いくら素晴らしく手の込んだ作りのドレスであろうと、見慣れた形でしかないそのドレスはコゼットの姿を見た後では無難であるという感想に成り下がってしまう。
見慣れた形は安心感を産み、由緒ある侯爵家の令嬢に相応しいものだ。
その証拠に、年嵩の貴族たちは納得したような誇らしげな顔で頷いている。
これぞ伝統あるドレスとでも言いたげだ。
……しかし、それだけだ。
コゼットが現れた時のような、否応なく目を奪われ、既存の価値観の根底を覆すような衝撃はない。
若い貴族、とりわけ若いご令嬢方は目の色を変えてコゼットを凝視している。
それをイザベラ嬢自身も感じているのだろう、殺意すら感じるほど憎々しげな顔でコゼットを睨みつけている。
晴れやかで自信に溢れているように見えるコゼットとは対照的で、イザベラ嬢を見ていた貴族たちも次第に眉をひそめ出した。
二人を取り巻く者たちはいつの間にか口を噤み、奇妙な沈黙が流れた。
「……勝負、あったわね」
誰もが息を詰めるような異様な空気を破り、母上の声が滑り込むように会場に響き、皆が母上に目を向けた。
母上は満足げな表情で手に持った扇をはためかせると、チラリと父上に視線を送った後、大きく頷いた。
父上は難しい表情を浮かべながらも、口を挟むことはしなかった。
母上の言葉を、皆が固唾を飲んで待つ。
私も同様に、口を引き結んでそれを見守った。
「イザベラ嬢、あなたのドレスは素晴らしい品ね。ひと目で最高級とわかるあつらえ、見事です」
「……!光栄に存じます、王妃殿下」
淑女らしく礼をとるイザベラ嬢の顔に喜色が浮かぶ。
母上は鷹揚に頷くと、再び扇をひらめかせた。
「……けれど、狩猟をするにはあまりむかないわね。そんなに重く硬そうなドレスでは、馬の走りを邪魔してしまって狩猟など出来ないのではなくって?」
その言葉にイザベラ嬢はハッと目を見開いた。
母上のおっしゃる通り、彼女のまとうドレスは重く硬そうで、乗馬できないことは無いだろうが、ゴテゴテと装飾のついた裾は馬の足運びの邪魔になりそうなうえバランスも取りにくそうだ。
会場からも確かに……というようなささやきがいくつも聞こえてくる。
しかし彼女は動揺を押し隠すように胸を反らし、口を開く。
「そ、そんなことはございませんわ!私は普段から乗馬を嗜みますが、我が家の馬はいつも軽々と私を乗せて走っていますもの!」
その時。今まで沈黙を守っていた父上が、イザベラ嬢に視線を向け唐突に口を開いた。
「ふむ……侯爵家では随分といい馬をお持ちのようだ。余の馬など遠く及ばないのだろうな」
「そっ……そんな……ことは……」
会場に緊張感が走り、誰もが漂う不穏な空気に息を呑んだ。
まずいな……
父上は明らかに気分を害している。
多忙を極め、あまり自由時間のない父上の数少ない趣味のひとつが乗馬である。
もちろん馬に対してもひとかたならぬ思い入れがあり、この狩猟会もその趣味がこうじて父上の国王即位後に開催されるようになったのだ。
チラリと目を向けると、イザベラ嬢は真っ青な顔で小刻みに震えていた。
その細い顎に一筋の汗がつたっている。
そして、貴族たちの輪の中からイザベラ嬢の父上のゴドウィン侯爵が、人波をかき分けてこちらに向かって来るのが見えた。
「そもそも、そのような動きづらそうなドレスで馬に乗るなど馬にとっても迷惑な話だ。そなたは乗馬を楽しむのではなく、馬に乗った自分を見せびらかしたいだけではないか」
だからわしはこんな勝負は気に入らんかったのだ……と父上は嫌そうに呟いた。
ごもっともである。
ごもっともであるが、それを言ったらおしまいです、父上。
そもそもそんな勝負を指定したのはあなたの妻です。
父上に胸中で突っ込みながら、私は仲裁に入るために一歩前に踏み出そうとした。
その時。
鈴を転がすような美しい声が、気まずい空気を切り裂いた。
「異議あり!…………で、ござい、ます?」




