強がっていても仕方がない。
彼女は前髪が目に刺さると言って、工作用ハサミでザクザクと切り出した。
――洗面所の鏡の前のこと。
時刻は午前零時を過ぎていて、お風呂から出たばかりの私――真山メグミは黙って横をすり抜けた。
「これ、切りすぎたよね。
短すぎる?」
切ったばかりの髪の先を指先でいじりながら、リビングに居た私に寄ってきた彼女。
――姉のアヤメである。
「……短いって言っても、もう戻らないでしょう」
それは確かに短いようにも見えたが、目に刺さるよりは良いのではないかと私は思う。
「そうなのよね……ま、良いか。
あ、飲む?ビール」
二つ年上の姉と私は二人で部屋を借りていて、お互いに仲は良いつもりだ。
「私半分あれば良いの」
そう言いながらコップに半分ついだ姉は、それを私の目の前に置き、自分は缶に直接口をつける。
「私、飲むって言ってないけれど、」
「まあまあ、付き合ってちょうだいよ」
姉はいつもこんな調子である。
「コップ、もうひとつ出せば良いのに」
「洗い物、増えるじゃない」
「一個も二個も、変わらないわ」
私と姉は全く似ていない。
顔も声も性格も。
好みすら違っていて、どこに行っても『本当に姉妹かしら』と疑われる。
そんな姉はとてもわかりやすく、お酒を飲みたい日は、機嫌がとても良い日と決まっていた。
だから私は、
「塩谷さんだっけ?うまくいっているの?」
なんて聞いてみる。
「塩谷?ああ、大地。
うまくいってるって、何のはなし?」
「え……付き合ってるんだと思ってたけど」
「……?たまにご飯行くだけだよ」
「じゃあ、成田さんは?」
「成田くんも、たまに一緒に出かけるだけ。
もちろん瀬川さんも、佐々木先輩もね」
次々と姉の口からは男性と思われる名前が出てきて、挙句の果てには、
「私、不特定多数にちやほやされているのが良いみたい」
なんて言ってしまうのだ。
私は聞くのをやめた。
「みんな、私がこういう人間だって知ってるのよ。
じゃなかったら誰も相手にしてくれないはずよ」
姉はポツリと言う。
だから私も、
「そんなものかしら」
とポツリ言う。
姉は少し考えてから、
「あんたそういうの、できないもんね」
とコップに手を伸ばすのだ。
半分じゃ、足りない日。
それはゆっくり話したい証だと、私は知っている。
愛想の良い、いつでも可愛い姉。
愛想の悪い、しかめっ面の私。
昔からそうだった。
姉は可愛がられるのが上手で、私はバカ真面目のバカ正直。
中学生の頃に、
『女の子は少しバカなくらいが可愛いのよ』
なんて、成績が中くらい(できたら中の上)になるよう計算している姉には驚かされたものだった。
バカはバカでも、私とは違いすぎる。
幼少期から今の今まで、いつ見てもキラキラとしている姉。
私だって彼女のように綺麗で在りたいと思う。
人に愛されたいと思う。
でも、
私はいつまでたっても、
彼女にはなれない。
いつまでたっても、
“姉妹の可愛くないほう”だから。
「先に結婚するだろうね。
あんたのほうが、」
「……え?」
その瞬間、私は戸惑った。
姉はなぜか、泣いている。
「私、壊れてるみたい」
「何がよ」
「恋愛感情、かな。
だって私、一人の人と付き合ったこともないのよ?」
そう言われてみれば、そうだったようにも思う。
それでも私から見れば、彼氏みたいな人はいくらでもいて、
いつでもみんなのアイドルみたいな存在だった。
「最近ね、本気で好きなんだって言ってくれた人がいたの。
叶わなくても、ずっと思ってるからって、
自分の気持ちをわかっていてくれればそれで良いからって。
そう言ってくれた人がいたの。
そういう風に気持ちを言ってくれた人は、今まで一人もいなかった……」
「その人とお付き合いしてみれば良いじゃない」
「ううん……。
それでもやっぱり、誰か特定の人と付き合うってことが、なぜだか考えられなくて……。
答えられない自分が苦しくて、悔しくて……」
私は思った。
姉は人に嫌われるのが、こわいのだと。
「いつからか、可愛い服を着たって。
念入りにお化粧をしたって。
全てが無駄に思えた。
……それが本当の私。
本当はずっと“つくられた自分”に……
疲れてたのよ」
そんな弱音を吐く姿も、
静かに涙を流す姿も、
落ち着いたトーンで話す姿も、
疲れた表情も、
初めて見たように思った。
彼女も決して特別じゃなく、
普通の女の子なんだということも。
そして気付いた。
強がってばかりじゃ、ダメなんだと。
だから言った。
「朝ごはん、パンケーキにしよう」
と。
「何よ急に。
珍しいこと言い出して」
「私ね、パンケーキはお姉ちゃんのものだと思ってたの。
エッグベネディクトはお姉ちゃんのものだけど、私は目玉焼き。
そんなふうに」
「私、目玉焼き好きだけど……」
「そうじゃなくて……。
こう、キラキラした世界は全部お姉ちゃんのもので、お姉ちゃんに似合うものは私には似合わないって」
「それ……、コンプレックス?」
驚いて言う姉に、私は黙って頷く。
「強がっていても仕方がないじゃない。
好きだと思うものは、好きでいれば良い。
色んな形の、色んな好きが、
いっぱいあったって良いじゃない」
姉は何も言わなかった。
まさかその一瞬で、眠りに落ちていたとは……。
さて、
私も寝ることにする。
起きたらパンケーキを焼く。
紅茶をいれて、フルーツを切ろう。
歯を磨きながらそんな事を考えていたけれど、姉が出しっぱなしにしていた工作用ハサミが目に留まった。
――午前三時。
私は伸ばしっぱなしの前髪を切る。