電波塔の声
電波塔の声
人は隠すのが得意だ。正確に言うなら、隠すのは苦手だが隠したがる生き物だと言ってもいい。誰でも何らかを隠して生きている。少なくともひとつくらいは。こんな言い方をすると、隠すのが悪いと言っているように聞こえるかもしれないから訂正しておくけれど、そんなことは思っていない。わたしにも隠し事はいくつもある。
みんな隠しあっていること気がついている。騙しあいっこ。いや、気がついている時点で騙せていないのだけれど。まあだけれど誰もそこには手を出さない。そういう触れられたくはない弱った自分を保管している部分が誰にだってあるのだから。自分に危害が及ぶのを恐れているから。失礼、誰かのために何かを隠すこともあるね。でもそういう、いわゆる「優しい嘘」というやつをわたしは偽善だと思っている。
話を戻そう。わたしには隠し事がいくつもある。でも当然ながら隠している内容こそ隠せているものの、何かを隠しているということ自体は筒抜けなのだ。まあ別に筒抜けだからどうということもない。だからあえて公言しよう。
「わたしには隠し事がいくつもある」
この物語は、わたしの隠し事を巡ったお話である。
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わたしの町には、東京タワーによく似た大きな電波塔がある。もちろん東京タワーには敵わないけれど、普通の電波塔よりうんとすごい。
電波塔には螺旋状の外階段が頂上までずっと続いていて、しばらく上がったところに鉄筋の地面が敷かれている。東京タワーの展望台と似たようなつくりといったほうが早いかもしれない。そこには住居者もいる。…手入れがされているわけではない、というか使われてすらいない電波塔だからこそ住居者もいるのだ。俗に言う廃墟というやつだ。ここに住む人はそういう人なんだろうと他人事のように考える。他人事のように?他人事ではない。何よりそこに住んでいる住居者というのが、このわたしなのだから。
住居者というには、少し語弊があるかもしれない。だって、何もここで寝たりしているわけじゃないのだから。なんていうのかな、小学生のときにつくった秘密基地みたいな感じ。ここ一帯は静かで落ち着く。わたしの一番苦手なコミュニケーションをしなくて済む。
使わなくなった電波塔は、壊れたテレビのようにどこかへ持って行かれることはない。取り壊しの話が挙がってこないのは、この町のシンボルのような存在になっているからだと思う。だからこそ安心してここに住みついているのだ。使わなくなった原因は、きっと維持費にお金を費やしすぎたのだと思う。本当のところはどうかは分からない。
この電波塔には沢山のメールや電話が届いていたのだと思うと、世界の中心にいるような、不思議な感覚に覆われた。今はもう使われなくなったとはいえ、それでも電波塔の圧倒的な大きさは現役なんだし、そう感じるのは仕方がないと思った。
ある日、町長が複数の業者の人を連れて電波塔に訪れた。それを見てわたしは、すぐに電波塔の取り壊しが決まったのだと悟った。電波塔の修理なんかじゃない。いつかはこの日が来ると知っていた。目を背けていただけだ。利益を生まない電波塔なんて、いつかは廃棄される。分かっていたことだった。けれど、シンボルの存在になっているからと安堵していたことも否めない。この電波塔は、いや、わたしはこの町に忘れられたのだ。
わたしは一通のメールを受け取った。普段なら気にも留めないであろうメール。何気なく内容を確認してみると、匿名でひとりの少女を一方的にいじめていた。わたしはこのメールを見て、ひどく心を痛めた。こういうのを偽善と呼ぶのかもしれない。とりあえず、わたしにはそのメールを送信することはできなかった。何通もメールが届いては、似たようなことを繰り返すようになった。時には通話も切断したりしたのだ。その結果が電波塔の封鎖だった。
わたしのしたことは間違いだったのだろうかと、人間のように考える。電波塔としての役割を果たさなかったことで自らの首を絞めたのだ。後悔はしていない。誰かが幸せになったとも思わない。けれどなぜかわたしは満足感に浸っていた。これが俗に言う偽善なのだろうと、わたしはわたしを嫌った。
こうして3ヶ月もしないうちに、わたし、電波塔は取り壊された。
わたしには隠し事がいくつもあった。
「わたしは届けなくてはならないメッセージを隠していた」
この物語は、わたしの隠し事を巡ったお話である。
電波塔の声 終
廃棄されることになった電波塔を「電波塔からの目線」で表現しています。
とても分かりにくい表現になってしまっていますが、読んでいただけたら幸いです。