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第一話上

ピンチである。

 鈴木二尉は悩んでいた。重要施設たる原子力発電所に人民解放軍過激派のスパイが紛れ込んだのだ。そしてあろうことか、内部に時限式爆弾を仕掛けたのである。

 爆弾は設置後すぐに見つかった。原子炉のある施設の中でだ。だが、起爆を停めることが出来ない。

 なぜなら起爆装置のタイマーには、網膜識別装置が付属しており、特定人物の網膜パターン入力でしか停止出来ないからだ。他人の網膜パターンを入力してしまった場合は、その途端に爆発する可能性が高い。

「――さすがドイツ製の網膜識別装置。これがメードインチャイナなら、国内のATMみたいに偽物でも判別できずにどうにかなったろうにな……」

 戦闘用の迷彩服を着込んだ鈴木がぼやく。そんなに背は高くないが、がっしりとした体格。四角四面の輪郭に、意志の強そうな太い眉が印象的だ。

 鈴木は、海上自衛隊員であるが、防衛大臣直属の統合特殊作戦群に出向している。統合特殊作戦群は、陸海空自衛隊の垣根を越え、それぞれの特殊作戦部隊をリンクし円滑に活用するために新設された組織である。日本国内での非対称戦闘、テロへの即応部隊の小隊長であった。

 そして今まさに、原子力施設への爆弾テロに対し、総理大臣からの勅命により、部下を率いて出動しているのである。目の前には絶賛稼働中の爆弾がある。

 ただ、発電所内に設置されたとはいえ、この爆弾の爆発力では原子炉の圧力隔壁を破壊し、燃料たる放射能物質を爆散することは到底不可能なのは明白だった。電源等の制御系を破壊するものでもない。それでもこの爆破テロは、日中戦争の火種となるには十分な事件だ。

 鈴木は爆弾から睨みつけるような視線を移動させる。

 視線の先に、神妙な顔つきをした三名の制服姿の警備員が、背をぴんと伸ばした、気をつけの姿勢で並んでいた。誰もが屈強な体躯をした原子力施設警備のエキスパートであり、みな鈴木より頭一つ大きい。しかしこの中にスパイがいることは、明らかであった。

 なぜならスパイの潜入、破壊工作の情報をリークしてきたのは、人民解放軍を管轄している北京の「中国共産党上層部」であったからだ。 

 ついに中華人民共和国のバブル経済が弾けてしまい、共産党の求心力が低下。人民解放軍の若手将校の一部が軍区を越えて結託し、暴走したのだ。そう、軍の権力拡大のため、日本との戦争を望んだのである。

 昭和初期には、日本でも未曾有の経済不況や政財界の腐敗により、同じようにクーデターを企てた青年将校たちがいた。五・一五事件や二・二六事件を起こしたが、いずれも失敗している。当時の逼迫した社会状況は、今の中国と似ていたのである。

 若い世代のそのような心情を、共産党上層部は無視した。

 共産党上層部は、日本との戦争は日米安保の発動を招き、米軍との交戦を意味することを重々理解していた。

 正直言って、共産党上層部は、現在において米国との戦争を絶対に避けたかった。人民解放軍の全戦力をもっても、世界最強の米軍に対抗することは出来ないことは明らか。さらに米国と戦争状態に突入すると、中国の保有する一兆ドルを越える米国債が無効化されてしまうのだ。敗戦は失脚につながり、それはほとんど死を意味するものである。

 そして何より、共産党の幹部が米国に移し隠した、巨額の資産が凍結されてしまう危険があった。共産党幹部自らと親族の身、そして巨額の隠し財産の保証が確約されない限り、米国との戦争は絶対避けなければならない。

 すなわち共産党上層部にとり、日本との戦争は、すなわち藪をつついて蛇を出す行為そのものなのである。


「……休めっ!」

 鈴木が三人に号令をかける。

 同時に三人が一糸乱れぬキビキビとした動きで、気を付けから、左足を開き背中で両手を重ねあわせる休めの姿勢に移行する。動きに無駄がない。

 それはそうである。三人はともに、民間警備会社に入る前は、自衛隊もしくは警察に属していた経歴がある。どちらも、教育課程において、基本動作である敬礼や休め、回れ右などは、何日もかけ、文字通り体に染みこむまで徹底的に叩き込まれる。基礎の基礎なのだ。

「楽に休め」

 続けて鈴木が指示すると、三人は重ねた手を背中から腰の位置に下ろす。「休め」より、楽な姿勢だ。

 鈴木は三人の面をじろりと見渡した。

 共産党の迅速な通報により、容疑者たる三人が現場を離れる前に、その身柄を確保できたことは幸いであった。逃走しそこねたテロの実行犯は、忸怩たる思いであろう。

「それで、どいつが犯人だ?」

 鈴木は一歩足を進め、三人に近づき、見上げるようにして睨みつける。

 リークされた情報でわかっていることは、実行犯はひとり。


 三人の経歴は、ざっとであるが、ここに来る途中に目を通してきていた。

 向かって左に立つ背の高い痩せぎすの男。鶴巻真、三八歳、千葉出身。一昨年まで陸上自衛隊員として精鋭部隊の対馬警備隊に属していた。除隊後、すぐに警備会社に就職。

 真ん中のメガネの男は、上村昭建、四五歳。滋賀県出身。元大阪府警の機動隊員。一年前に起きた西成地区の暴動で目を負傷。上司の勧めで、国家資格である警備業指導教育責任者試験に合格後、警備会社に転職。

 そして右の小太りの男は、元海上自衛隊潜水艦乗りの山本大輔。東京都出身の三五歳。潜水艦特有の極秘裏な任務に疲れて除隊。八年前から警備会社に務めている。三人の中では古株だ。

 それから、鈴木は三人に同一の質問していった。

「お前らの内、人民解放軍のスパイは誰だ?」

 率直なものであった。

 その答えは三人三様であった。

「え、なぜそんなことを! 私は絶対に違います」 

 鶴巻は驚き、慌てて甲高い声で否定する。

「――もちろん俺はスパイじゃない。疑惑をもたれることも心外」

 上村の声には怒気が混じった。眼鏡の奥の目が釣り上がる。

「い、嫌だなあ。なんで僕が爆弾を仕掛けなくちゃいけないんだよ」

 俯いて、暗い声で否定したのが山本。少々、鬱の気があるようだ。

 言葉のイントネーションは、出身地域を見極める重要な要素だ。

 首都圏出身の鶴巻と山本は標準語。上村は標準語に近いが、関西特有のイントネーションがあった。ただそれで、彼がスパイと決め付けることは出来ない。もともと関西弁の抑揚は中国語の発音の影響を受けているともいわれている。

 誰からも中国語特有のイントネーションが聞かれず、さらに彼らが不得意といわれている「ば」などの濁音の発声にもおかしいところは見当たらない。

 そう、暴かなければならない相手は、人民解放軍のスパイなのである。しかも日本人になりきった超一流の。

 日本語はもちろん、日本の習俗習慣を学習、身につけているであろう。

 しかし不思議である。普通なら、中国国籍であるスパイが日本の公務員である自衛官や警察官になれるはずはない。

 それにはとある非合法な方法があった。背乗り(はいのり)という。

 北朝鮮の工作員も使っていた方法である。

 それは震災や事故などで死んだ日本人の戸籍を違法な手段で取得し、その日本人に成り代わるのである。中には、身寄りのない日本人を拉致し殺害した後にすり替わる例もあったと考えられている。

 人民解放軍で訓練を受けた青年期の兵士が、背乗りで日本人として国防の中枢に入り込んだのだ。入隊前の身辺調査も巧妙にすり抜けたのだろう。

 履歴からも判別はできない。もちろん履歴上の年齢も正確ではないだろう。

「……」

 スパイと見分けることが出来ず、鈴木は、ぐうの音も出なかった。

 ちらりと時計を見る。

「――爆発まであと、」

十五分か……

 タイマー停止を諦めての脱出を考慮すると、時間はなかった。

「……」

 鈴木は無言で振り返り、警備員たちに背を向け、顔をしかめる。

(こうなれば、賭けだ。無作為にひとりを選んで試すか。ええい、確立は三分の一だ)悪魔のささやきを頭を軽く振って否定する。(――いや、せめて、何かサインのようなものでも発見できれば……。そう、日露戦争当時、日本軍のスパイが、現地の作法とは異なる方法で顔を洗ったためバレて捕まった事例がある。水の貴重な大陸では、手に溜めた水の中で顔を動かすのだが、水を掬ってばしゃばしゃと洗顔してしまったのだ。また、フォーサイスの小説『ジャッカルの日』では、暗殺者ジャッカルが暗殺対象であるフランス人の慣例を知らなかったせいで失敗する。この場で一瞬にして露見する中国人独特の慣習、慣例。何か無いものか……?)

 鈴木はちょっとの間まぶたを閉じ、思索にふける。以前、VTRで見た北京での人民解放軍の軍事パレードの光景を思い出す。

 以前見た時、どこか違和感を感じていた。

 それは行軍ののちの、歩兵整列の場面。

「――そうか」

 鈴木はゆっくりと目を見開く。口元には笑みが浮かんでいた。

 思い至ったのだ。


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