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界遊記外伝 ~ ファルガの父 ~  作者: かえで
SMG
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空中戦

聖剣をめぐるSMGとの戦いはSMGの本拠地へと移動します。

 フアルが店に出ていない。

 シェラガがその話を初めて耳にしたのは、十日程度の遺跡ガイドの仕事を終えて戻ってきた晩のことだった。

 いつものようにレベセスに声を掛け、食事処に向かおうとするシェラガ。だが、家庭を持ったレベセスはそう簡単に家を空けるわけにもいかない。

 やんわりと断るレベセスに、シェラガは残念そうな表情を隠さなかった。

「そういえば……」

 と、話のついでにフアルの件に触れるレベセス。

「老マスターが人手不足で困っている。どうも、フアルは数日の間、店に出ず休んでいるらしい。もし店に行くのなら、マスターを少し手伝ってやってはどうか。

 フアルも病に臥せっているかも知れんぞ。なんか届けてやれば喜ぶだろうな」

「鬼の霍乱だな……鬼子だけに」

 そんなことを呟き、食事処へ向かうシェラガの背に向かって、レベセスは嘆息する。

「余分なことを言うから遠回りになるのに。面倒くさい男だ」


 レベセスの情報どおり、食事処は老マスター一人で営業していた。

 フアルの欠勤は、食事処の若干の空席を作ってはいたが、それでも老マスター一人では切り盛りするのも大変なようだった。

 フアルとのやり取りを楽しむお客は確かに多い。しかし、食事処を訪れるお客は、老マスターの料理が目当てなのが大前提。愛嬌は商売繁盛の大切な要素だが、それだけでは店にこれほど固定客がつくことはないということなのだろう。

 フアルのいない現在、マスターは店の開店前には仕込みを行い、店を開けてからは注文を受け、料理を作り、客に出し、店を終えてからは後片付けをし、翌日の仕込みの準備をしなければならない。

 それらの作業を一人でこなすというのは、一人で店を切り盛りしていた若い時代ならばともかく、老マスターの労働量としては些か多すぎるように見受けられた。

 フアルが休み始めてから、何人かの元従業員が声を掛けあい、調整して店のヘルプに入って何とか凌いでいたようだが、シェラガが訪れようとしていたこの日だけは、たまたま誰もヘルプに入ることが出来なかったらしかった。

「マスター、手伝うよ!」

 マスターに声を掛け厨房に入ろうとするシェラガだったが、それは老マスターに固辞された。たとえ人手が足りなくとも、料理に手を出してほしくないのは、料理に対する老マスターなりのこだわりなのだろう。

 そこでシェラガはできた料理を席まで運ぶ役を買って出たが、もともとの横着な気質に加え、勝手の違う店内に苦戦するシェラガ。たかが料理皿を運ぶと高を括っていた彼だったが、着席している客やテーブルが、皿を持った自分の動きを思いの他阻害することに対して、徐々に苛々を募らせていく。その苛々は発奮されることは無かったものの、彼のサポート意欲を削ぐのには十分だった。

 腹を満たして、満足して帰るだけの予定だったシェラガが、何とか繁忙期を凌ぎきり、一服できたのは、日付が変わろうという頃だった。

「今日はすまんかったな。今日はわしがご馳走してやろう」

 マスターはいつもシェラガが頼む、豚肉をたまねぎとにんじんで炒めた料理を皿に盛り、シェラガの前に置きながらにやりとした。

 だが、シェラガはそれには反応せず、姿を一向に見せないフアルの所在を尋ねた。

「……実は、わしも彼女の家は知らんのじゃ。わしが来る頃には彼女はおるし、わしが帰った後も仕込みをやっておるしな」

 シェラガは一瞬難しそうな表情を浮かべたが、彼女の居所に心当たりがないこともない。

 翌日陽が昇るとすぐに、シェラガはテキイセ内で聞き込みを行なった。フアルを知らぬ者はほぼ皆無に等しかったが、店以外でフアルを見たことのある者もまた皆無であるという事実に愕然とするシェラガ。

 確かにテキイセは大都会ではある。いちいちすれ違う人間の顔かたちを覚えているとは到底思えない。だが、ここまで有名なフアルを、通勤なりプライベートなりの様子を見かければ、何人かの人間は気づいてもよさそうなものだ。ところが、誰一人として町で買い物をしている姿はおろか、町で彼女を見かけたことがないという。

「やっぱりあそこか」

 一人そう呟くと、大きく溜息をつく。

 彼の思っていた場所とは、かつてガガロと再会した遺跡。あそこは間違いなくフアルの部屋だ。あそこで寝泊まりをしているというのであれば、住人の目に触れないのもわからなくはない。ましてや、早朝から深夜まで食事処に入り浸りの状況であれば、なおさら人の目に触れる事はないだろう。

 テキイセ内にどこか部屋でも借りて寝泊りすれば、もっと生活も楽にはなるだろうが、ガイガロスであることを隠し続けての生活では、周囲に気を使って仕方ないだろう。そう考えると『遺跡との往復』という面倒くさそうな生活リズムも、必要なものなのかもしれない。シェラガはそう納得した。

 しかし、あそこまで行くのは時間がかかる。歩いて丸二日はかかるのだ。二日間の工程を休み無く歩くために、ある程度下準備をした上で出発したシェラガ。

 ところが、遺跡にもフアルが戻った形跡がない。

 失意の中、テキイセに戻ると、ズエブはシェラガがあまりうれしくない情報を持ってきた。

 聖剣を求めて動き回っていた新しいSMGの駐在員が、新たなる手を講じたというのだ。

 シェラガを目の仇にする新しい駐在員。シェラガと親交の深いズエブとは違い、非常に付き合いづらい相手だ。そして、やり方が陰険だ。

 まさか、とは思ったが、情報屋を使って調べてみると、聖剣を手に入れるためにシェラガと取引する材料を手に入れたとのこと。

 表立っては古代帝国の殊勝な研究家の体で、SMGの駐在員の事務所……表向きは普通の酒場……を日中訪れてみる。すると、夜から営業しているはずの店がどうも騒々しい。こっそりと覗くと、十数人のいかつい男たちが何かをしている。だが、それが何かを特定する前に男たちに見つかってしまい、つまみ出されてしまった。

 もともと聖剣を発動させずともその男たち全員を相手にしても十分戦うことはできたが、ここで揉めると後日動きにくくなると踏んだシェラガは、日中は大人しく立ち去った。

 同日の夜、もう一度そこを訪れたシェラガは、いかつい男たちに指示を出す駐在員の男の話を盗み聞きすることに成功する。

 その内容は驚くべきものだった。聖剣をSMGに譲渡させるための交渉の場に引きずり出すための取引材料を、駐在員は確保したという。しかも、SMGの本拠地に輸送する準備も整ったというのだ。

「聖剣なんて欲しけりゃくれてやるって。ただ、聖剣が離れないだけだって言っているのに何でわからないかな……」

 まだSMGが、というよりは新しい駐在員が、聖剣を取得するために色々画策していることを知り、いささかうんざりした様子で呟くシェラガ。

 だが、そんな彼の耳に飛び込んできたのは、SMGが人質をとる作戦を実行している、ということだった。

「人質って言ったって、思い浮かぶ奴等と言えば、どいつもこいつも俺より強い奴ばっかりじゃないか」

 頭に思い浮かべた人間をSMGの数名かの兵士が捉える様を想像してみたが、誰も彼もが、拐かそうとした人間を撃退する様しか思い浮かばない。

「俺の周りは超人と変人ばっかりか」

 思わず苦笑するシェラガ。だが、駐在員の一言でシェラガはかつて無い怒りを覚えることになる。

「あの女、考古学者の男の安全を保証するといったら、すんなりついてきたよ。もう、穏便に事を進めることは不可能だからな、あの男にも女にも消えてもらうさ。ただし、事故でな」

 フアルの失踪は、SMGの誘拐だった。己の昇進のため、聖剣を手に入れようとする新しい駐在員。だが、その方法は最も忌むべき脅迫へと推移していた。

 思わず酒場に怒鳴り込もうとするシェラガ。だが、それを無言で止める者がいた。ズエブだ。

「なぜ止める……!」

「頭に血が上っては冷静に動けんぞ。今ここで中の奴らを始末してみろ。フアルの居場所はわからなくなるぞ」

 ズエブの『始末する』という表現に急激に冷静になるシェラガ。感情のままに殴りこんでも、人を殺めるつもりは無かった。せいぜいぶちのめして終わるだけ。

 ところが、実際には聖剣を怒りに任せて奮えば死人は出るだろう。それに、相手は間違いなくシェラガを殺しに来る。運よく死者を出さずに今回の駐在員を諦めさせたところで、次の駐在員が聖剣やシェラガ達に対し、どのように接してくるかはまったく読めない。それどころか、アクションを起こすことによって、現状は悪化の一途を辿るに違いなかった。

 つまり、今この瞬間に、怒りに任せて酒場で暴れることは百害あって一利なしという事だ。状況は芳しいとは言えないが、むしろ現状を極力長く維持することが、次の一手が一番打ちやすい。シェラガとズエブはそう判断した。

「……殺さないよ。俺は戦士じゃない」

 しばらくの沈黙後、呻くように言葉を発するシェラガ。

 ズエブはシェラガの言葉の意味をどう受け止めたのだろうか。背中を軽くぽんぽんと叩くと、その場から姿を消した。俺は別の場所から探ってみる、との言葉を残して。だが、そこでの情報収集はその後何も進展無く、日の出と同時にシェラガは撤収した。


 翌日の夕暮れ時、レベセスの王城勤務が終わった頃に、一同は食事処に集結していた。レベセスも遅れて到着する。

 レベセスの到着を待たずして始まっていた会議は、既に食事会の様相を呈していた。といっても、食べるのはもっぱらシェラガとガガロだったが。

「本当は一番心配すべき人間がこの様だもんなあ……」

 ひたすら頬張るガガロを見て、呆れ顔のレベセス。

 テキイセの乱の時に、命を賭して探し続けていた真の王の娘フアルが誘拐されたというのに、まずは目の前の食事を平らげることを優先させているのだから無理も無い。確かに、本気でフアルが暴れだしたら誰も止めることができないという知識も既にあったから、別の意味で安心しきっていたのかもしれないが。

 『鬼子』。

 ガイガロス人の中でも鬼子伝説として伝わるほどの有名な話ではあるが、有史以後実在した記録は無い。少なくとも、ガイガロスの口伝の中でのみ聞こえる話であり、その伝承そのものが又聞きで構成されているような、ひどく曖昧なものでしかない。

 だがそこから聞こえてくるのは、ひどく獰猛で恐れを知らぬ気質、並々ならぬ身体能力を持ち、何より、ドラゴン化した時に自我を保ちつつ存在できる悪鬼のようなガイガロス人の存在だった。文字通り、身体能力の高いガイガロス人をさらに戦闘に特化させた存在。まさにそんなイメージだった。

 ガイガロス人の学者たちは、口伝でしかない黄金のガイガロス人の存在を否定し、世界を滅ぼしかねない力を持つ者からの恐怖を拭うことで安堵してきた。

 だが、鬼子はいた。美しく穏やかな、真の王の娘として。

 フアルの身体能力は、それは素晴らしいものだった。術や膂力、戦闘のセンスから体力、頭の回転に至るまで、ガイガロスのトップレベルに君臨する者たちを軽く凌駕しようというものだった。

 だが、それだけだった。決して伝説のような恐ろしい存在ではなかった。

 好戦的で殺戮を生業とし、血を見るのが好きなガイガロス。

 そんな存在はいなかったのだ。

 ガイガロスの歴史を紐解いていくとおそらく、黄金のガイガロス人の中には、ひどく好戦的で身体能力が異常に高い存在も一人や二人はいたのかもしれない。ひどい殺人鬼がいたのかもしれない。

 だが、黄金のガイガロス人が全てそうであるという裏づけにはならない。それを、フアルはその存在を以て証明したことになる。

 それでも、かつてガイガロスの人々は黄金のガイガロスを嫌悪した。妊婦は黄金のガイガロス人は生まれないと確信し、また願った。だが、実際は生まれていたに違いない。フアルが例外的に出現したとも考えづらい。おそらく、黄金のガイガロスが産み落とされたその瞬間、産婆かあるいはそれに準ずるガイガロスが赤子の息の根を止め、母に死産であることを告げたケースは確実にあったはずだ。

 ガイガロス人は高度な文明を持ちながら、ガイガロス人の頭髪の研究を禁忌にしているところがあった。それは、踏み込んではいけない神の領域。

 黄金のガイガロスが世に溢れかえれば世界は滅びる。そんな言い伝えがまともに信じられていたかどうかは定かではない。だが、髪の色の研究は、そのままガイガロス人の身体能力をはじめとする様々な能力をコントロールする技術に繋がりかねないと判断された。そしてそれは、ガイガロス人の生物としての尊厳をないがしろにし、兵士として最強の存在を数多く作り出すためだけの技術に繋がる恐れがあり、かつての支配者はそこから派生する差別や無益な殺戮を予測し、予め研究を禁じたという。

 但し、ガイガロスの髪の色が必ずその人間の特性を示しているという大前提があっての話であり、研究をしなかったためにその大前提が間違えていることを知りえず、実際に調べることをしなかったがゆえに消された命がまた多かったことも、後のガイガロス人たちは反省しなければならない。あくまで、髪の色が示しているのは体質であり、身体能力とは異なる。

 文化が稚拙であれば、知らないことが多いほうが良いのは事実だが、円熟してくれば、真実を管理、コントロールする力もつくはずだ。だが、残念なことに、そのレベルにまで円熟する前に文明は大抵滅んでしまっている現実がある。そして、その文明滅亡は、ほとんどが人間同士の争いが原因であり、自然災害がきっかけであれ、それが全てを滅ぼす元凶になることはほぼ無いといわれている。

 シェラガは自らの著書にて、存在としての人の限界はそこではないかと悲嘆しながら末尾を締めている。

 フアルが生き延びたのは、一重に真の王の娘として生まれたからに他ならない。本人ですら、成人するまで髪の色については告げられることは無かった。姫の沐浴なども、細心の注意が払われ、本人に髪の色が知られぬよう、また、外部にその情報が漏れぬよう、真の王は細心の注意を払った。

 黄金の娘と接していく過程で、ガイガロス人の身体的な特徴である瞳の色を変え、ガイガロスであることを隠す技術を真の王は確立する。

 髪の色が変えられないのであれば、ガイガロスであることを隠せばよい。それこそが、フアルが鮮血の赤の瞳を隠せた理由でもある。ガイガロスからの差別を避けるために開発した技術が、形こそ違え、人間から娘を守り続けることになる。結果、真の王が娘を守れたというのは皮肉なことかもしれない。

 鬼子が伝説ほど強くなくとも、少なくともガイガロス人トップレベルの身体能力を誇るフアルがやすやすと人間に負けるとはどうしても思えなかった。ましてや、トップレベルとはいえないガイロンですらあの戦闘能力だった。本気になってフアルが暴れれば町の一つや二つは容易に焼け野原になるだろう。

 SMGがフアルを連れ去れたのは、身体的拘束ではなく、精神的拘束だ。そして、フアルはシェラガを守るためならば、SMGから与えられる死も抵抗せず受け入れざるを得ないはずだ。

 後からズエブによってもたらされたこの情報は、一同の楽観ムードを断ち切った。

 フアルは殺されても抵抗しない。

 シェラガがSMGの駐在所で聞いた、駐在員の言葉は真実だった。幾ら強大な力を持つガイガロス人でも、精神的に拘束されていては抵抗するはずはない。誘拐という行為が、力を使わずにできることを、シェラガは改めて知ることになる。そして、集まってからのこの時間のロスが、事態をより長期化させるとは、この場にいる誰もが思ってもみなかった。


 シェラガとズエブはSMGの駐在所に奇襲をかけることにした。

 といっても、できるだけ静かに忍び込み、最低限の戦闘でフアルを取り返す作戦だった。

 レベセスはラン=サイディールの国家の人間という立場上、表立って彼らと共に行動を共にするわけにはいかない。そのため、今回はフォローに回った。

 ある晴れた夜。深夜に彼らは動いた。空には満月が浮かぶ。月明かりは潜入には不適だ。だが時間がない。

 ズエブのもたらした続報は、フアルをテキイセからSMGの本拠地ルイテウに移動させる、というものだった。

 何のために?

 一瞬考えたシェラガではあったが、その目的も聖剣がらみであろうというのは容易に想像できた。唯一ついえるのは、ルイテウに行かせてしまっては、手が出せなくなるということだった。こちらが手を出せなくなってしまえば、交渉とは名ばかりの、SMGの一方的な命令のみで事態が進むことは容易に想像がつく。

「浮遊しているんだよ、ルイテウは」

 ズエブの言葉を聞いて瞠目する一同。だが、もともとSMGのテキイセ駐在員として赴任していたズエブの言葉だ。嘘はあるまい。だが、通常では予測し得ない現象が起これば、そこに探究心をむき出しにするのはシェラガの研究者としての性だろうか。しばらくはズエブに食い下がったものだ。

「おまえ、自分の探究心とフアルとどっちが大切なんだ?」

 呆れ顔で尋ねるズエブに、シェラガは何を聞くんだ、といわんばかりの表情で答えた。

「そんなの決まってるだろ。両方だよ」

 そんなやり取りが終わって数時間も経たぬうちに、往来の反対側に建つ建造物の最上部から、三人の男はSMGのテキイセ駐在所を見下ろしていた。

「繰り返し言うが、俺は直接剣を振るえない。ラン=サイディールの中将が私的とはいえここで剣を振るえば、その後の国とSMGとの関係は壊れてしまうだろう。そうなれば、何十万の人間が窮地に立たされることになる。ただ、ここから状況を見極めてお前たちに伝えることはできる」

「少人数の斥候のメリットは、小回りが利くことだ。俺とシェラガで可能な限り戦闘を回避しつつ姫を救出する」

「ズエブの情報では、この酒場の地下にルイテウへと人を運ぶ何らかの方法があるらしい。まずは、そこに気づかれず到達すること。そうすれば嫌でもフアルはそこに現れる」

 それぞれが自分の行動を口にすることで、役割をはっきりさせる。

 三人の聖剣の勇者が戦闘のためにこの場に揃ったのは、テキイセでのガイガロスの反乱以来だ。だが、なぜかズエブは姿を見せない。それでもここにいる三人がズエブを疑うことは無かった。

「よし、行こう!」

 シェラガとガガロは潜入を開始した。

 建物の影からSMGの駐在所である酒場の様子を窺うが、深夜という時間帯のせいか、ほとんど人影はない。たまにふらりと出てくるのは、SMGとは何も関係ないただの酔っ払いのようだ。二人は裏に回り、進入路を探す。表立っては酒場であるはずだが、なぜか裏の通用口の警備が厳重だ。もっとも、素人目には警備されていることすら気づかないほどのレベルだが。それでも、そこを気づかれずに突破するのは少々難儀であるようだ。

 シェラガは一度表に回り、客を装い、店舗に入る。

 表向きは大衆居酒屋であるこの場所は、いくつもある円卓やカウンター席で溢れている。客の数は多いが、料理が揚げ物中心なので、手間はかかっていないようだ。私服にお揃いのエプロンをつけた店員は、若い女性が中心で、彼女たちはせわしなく厨房と客席を行ったり来たりしては、料理を運び、食べ終わった皿を片付けている。だが、その様は機械的であり、客に対して愛着があるようには到底見えない。また、客のほうも彼女たちは単なる店員であり、馴染みであるという感覚も無いようだった。

「あらー、今日はいっぱいだなー。出直してくるかー」

 さも、満員の客で自分の席が無くてがっかりして帰る労働者然として周囲を見回すシェラガ。

 奥のほうの人相の悪い男は、後もう少し飲めば歯止めが利かなくなる。窓際の細面の男は酒が入ると暴れる気がある。二人とも、数多い店員のうちの一人で、少し化粧の濃い女性店員を憎からず思っているらしい。男たちは互いに話す間柄には無いようだが、互いの存在は知っていて、意識はしているようだ。もっとも、当の女はそんなことなど全く気づいていないようだったが。そして、機械的に仕事をしているからこそ、客の常連度も気づいていない。

(どんな騒ぎを起こそうかと思ったけれど、ちょっといじれば簡単に騒ぎは起こせそうだな)

 シェラガはにやりと笑うと、女店員のそばにスッと近づき、耳打ちする。

「奥のあのお客さん、料理に何か入っていたって、ちょっと不機嫌気味でしたよ」

 最初は怪訝そうな表情を浮かべる女店員。だが、その男のほうをちらりと見ると、ずっとその男はこちらを睨み付けている。

 しまった! という表情を浮かべる女性店員。男の視線を、何か抗議の眼差しと勝手に解釈した女は、奥の男性のテーブルに謝罪のため駆け寄った。だが、女がそう錯覚するのも無理は無いかもしれない。人相の悪い男がじっと見つめれば、少なくともそれを好意と考える人間は皆無だ。むしろ、見つめられた人間は、彼の中の自分に対する憎悪の感情を認めるに違いない。それがあるはずのない物であったとしても。

 その男女の一挙手一投足を、少し離れた席から見ている男がいる。それが、窓際の細面の男。彼は女性が件の男に絡まれていると判断した。おそらく、酒が入っていなければそのような誤解はしなかったに違いない。だが、酒が彼の感覚を鈍らせた。そして、女に対する恋慕の想いが彼を突き動かす。

「おい、貴様ぁっ!」

 細面の男が、自分の席から立ち上がり、奥の男を怒鳴りつける。店が一瞬静寂に包まれた。奥の男は、突然立ち上がって大声を発した男が、自分に対して何かを言ってきていることに気づいた。女性が自分のところに来て何かを言おうとしている事に戸惑いを隠せなかったが、その戸惑いを見せることを是としていなかったこの男は、いい逃げ口実ができるという気持ちだったかもしれない。応じた人相の悪い男は、窓際の細面の男のところにつかつかと歩み寄り、胸倉を掴んだ。

 数名の女性客と、店員が悲鳴を上げる。

 シェラガは店内での騒ぎを尻目に、スッと店の奥に体を滑り込ませた。

 おそらくガガロもこの騒ぎに乗じて旨く潜入したはずだ。後は、奥へと侵入していくだけだ。

 シェラガは奥へと急いだ。

 

 地の底から響いてくるような低音が、微かな振動と共に通路内に不気味に響く。その低音と振動は妙にシェラガの心を掻き乱した。

 この通路の先には、地獄の底で亡者共が呻き、蠢きながら待ち構えているのではないか。そして、今まさにフアルはその真っ只中にいるのではないか。

 そんな、平常時ならば一笑に伏されかねない不安に耐えきれず、シェラガは走り始めた。最初は周囲を警戒しながらゆっくりと進行していた彼が、振動を感じた瞬間、嫌な予感を覚えたのは偶然ではあるまい。

 それにより、SMG内部に侵入者があることを気づかせてはしまったが、もしそこで敵から発見されることを躊躇し、ゆっくりと進行していたら、駐在所からフアルが移動させられてしまったことにすら気づかず、いたずらに時間を費やしていただろう。

 細い通路内を前から後ろから、人が押し寄せる。だが、元々SMGに駐在する人間はそこまで戦闘を得手としていない。聖剣を持ったシェラガからすれば御することはたやすかった。進行の速度をほとんど落とさず、更に彼に相対する人間を殺すことなく彼は容易に進行する。

 だが、それでも一足遅かった。

 彼が通路を抜け、広い空間に躍り出たときには、出発準備の整ったSMGの駐在員は、轟音響く円盤の上で、高らかに笑っていた。

 駐在所からどの程度地下を移動したのだろうか、円盤を収めたドックの広さは駐在所の大きさからは考えられないほどに広かった。ドック内で立ち尽くすシェラガを、後から追いついてきた追っ手が抑えた時には、その円盤は大地からその巨躯を浮かせていた。かすかに見える円盤の裏側では、三機のローターが轟音を響かせながら高速回転している。

「シェラガーッ!」

 ローターによって発生した風が豪奢な黄金の髪を弄ぶ。だが、両手を拘束されているフアルはそれを掻き分けることもできないまま、声の限りに自分を助けに来た者の名を呼ぶ。

「学者! やっと正体を現したな! 貴様の持つその聖剣、この女と引き換えだ。時はまた告げてやる。そのときまで臍を噛むがいい!」

 SMG現駐在員クマレーは眼鏡に妖しい光を蓄えながら叫んだ。それとほぼ同時に、ドッグ天井に突然夜空が映りこむ。天井にあるハッチが開き、円盤の進行ルートが確保されたのだ。

「逃がすかよっ!」

 シェラガの叫びと同時に、一瞬光り輝いた聖剣の光は、激しくシェラガを包み込む。シェラガを押さえつけていた駐在所の人間たちは、自分たちの腕の中や眼前で起きた光の爆発に耐え切れず、もんどりうって倒れこんだ。

「おお、これが聖剣の力……」

 歓喜のため息を漏らすクマレーの瞳の奥の妖しい光は、消えるどころか輝きを増す。その光が彼に見せるのは、SMGの頭領として権勢を振るい世界を牛耳った自身の姿か、聖剣の力でSMGすら排除し覇王となった自身の姿か。

 右手の聖剣を構え前方に跳躍、ゆっくり上昇し始める円盤を袈裟懸けに斬りつけるシェラガ。円盤を傷つけ、飛行能力を奪いさえすれば、その後のフアル救出のアクションが容易になる。

 だが、シェラガの渾身の刃はもう少しのところで空を切った。シェラガは中空に逃れようとする獲物を見据える。聖剣の輝きが爆発し、聖剣の勇者を上部に射出、上空の円盤を追撃させる。

 そこまでだった。

 彼の目に映る円盤は、彼の手元に飛び込んでくる所作を一度は見せたが、一瞬の停止の後、ゆっくりと彼の元から離れ始める。

 徐々に加速、上昇していく円盤を睨み付けるシェラガの体はやがて失速し、落下を始めた。地面に降り立つとフアルの名を絶叫する。彼は無意識のうちに、届くはずも無い左手を、遠ざかっていく円盤に伸ばしていた。

 自分の大事な存在が、訳の分からぬ存在により無理矢理むしりとられ、連れ去られていく。そして、自分はそれに対して何もすることができない。怒りと後悔、憎しみの感情が奔流となり、彼の理性を粉々に打ち砕く。

 次の瞬間、聖剣の炎に包まれたシェラガの左腕から、何かが噴射された。バーナーの炎のような青白い氣の塊は一瞬周囲を明るく照らし、霧散する。

 自分の体に一体何が起こったのか瞬時に判断はできなかった。ただ、聖剣を発動した時に感じていた、腕に取り巻いていた熱を帯びた不思議な弾力が抜け出ていった。不思議な感覚だった。

「氣功術だ、それは」

 背後からのガガロの呟きに振り返ることはせず、言葉を聞いて初めて掌をじっと見つめるシェラガ。

 その直後、先ほど遠ざかっていった円盤と同じ音が徐々に近づいてくる。

 円盤が戻ってきたのか?

 だが、乗っている操縦士が先ほどのクマレーの乗る円盤とは異なっていた。

「待たせたな! 乗れ!!」

 円盤の上で叫んでいるのは、潜入の時に姿を見せなかったズエブだった。


 テキイセが遠ざかっていく。

 最初は活気に満ち溢れた町の光が、建造物群を浮かびあがらせていた。

 それが眼下に広がり、徐々に小さくなる。やがて町は光の点になり、雲と山の陰に隠れた。

 深夜では空より大地の方が、遥かに闇が深い。それがそのまま人間の心の闇に思えて、思わずシェラガは身震いする。

 轟音の円盤の上、背後でガガロがズエブに矢継ぎ早に質問をしている内容になんとなく耳を傾けながら、シェラガは円盤の手すりを掴んだまま、無言で町が見えなくなるまで見送っていた。

 彼の眼前に広がる光景は、少し前までの彼の行動を思い返させた。

 以前であれば、ここまで必死に人のために戦うことはしなかった。

 降って沸いた聖剣を手に入れてからの波乱の日々。様々な人々との交流。命のやり取りを経験し、そこで更に大切なものを見出した。

 彼は心の中に不思議な感情が芽生えていることを薄々ではあるが気づいていた。それは今までに感じたことがない物。だがそれがなんだかはわからず、ここまで来ていた。

 守らなければいけないもの。守っていきたいもの。失いたくないもの。

 それが彼の中に間違いなく出来てきた。

「どうした、シェラガ?」

 全く無言で下界を見つめたままだったシェラガを、心配そうに見つめるガガロ。

「いや、なんでもない」

 物思いにふけりながらも、ガガロとズエブのやり取りをなんとなく聞いていたシェラガは、クマレーが使用したSMGの移動兵器『飛天龍』について、その概要はおおよそ理解した。

 『飛天龍』。

 現在の国際情勢において、SMGの影響力を大幅に補強する要の一つが、飛行円盤『飛天龍』である。

 通常の船に比べ高機動な鉄の円盤は、SMG加盟商船が海上の治安が悪化した地域を運航する際には、襲撃してきた海賊などを武力により排除し、加盟商船が異常気象時に運航する際には航路を先導するなど、円滑に交易が行われるための安全確保やサポートを行なっていたとされる。

 しかしながら、飛天龍は実際には戦闘機のような運用もされ、SMG支配海域を運航するSMG未加盟の商船に対しては、躊躇無く攻撃を仕掛け、船舶はことごとくその輸送物もろとも沈没させられた。また、SMG未加盟国と加盟国の間で揉め事が発生した場合、SMGは率先して加盟国の擁護に回り、戦術レベルでの活動において飛天龍の成果は計り知れない。無論、貿易に関係ない部分では直接手を下す行動は見られなかったが、不穏な事象の背後にSMGの影が見え隠れしていたのは否めない。そして、当然飛天龍もその一翼を担っていたに違いない。

 ある時、SMGの横暴に耐えかねた周囲の未加盟国家群は、火力に自信のある船舶を集め、SMGの影響力を払拭するために艦隊で戦闘を仕掛けたこともあった。だが、迎え撃つ数機の飛天龍は相手の砲の届かない上空から一方的に爆撃を行い、己に牙向く船舶を睥睨したという。

 飛天龍という名の制空権を手に入れたSMGが戦略面、戦術面において他国に対し抜きんでていたのは言うまでもない。

 飛天龍の推進力は巨大なローターだ。皿を伏せたような円盤状の鉄の塊の底の部分には、三つのローターが実装されており、そのうちの一つが逆回転をすることにより、円盤自体が回転する事を防いでいる。

 飛天龍の操縦は、床から生えている二本のレバーで行う。レバー操作である程度ローターを傾けることによって前進後退や右旋回左旋回を行い、レバーの握りの部分についているスイッチでローターの回転を調節する。それによってある程度の速度のコントロールを行うようだ。レバーの生える部分に風除けはあるものの、基本的に高速飛行を目的とした兵器ではない為、シートやベルトのような体を固定するための設備はなく、搭乗者は円盤上部を縁取るように巡らされた手すりに寄りかかるか座るかといった乗り方になる。取り外しが容易な固定用ロープを手すりとパイロットを繋いだ状態で運用することもあったようだが、それが搭乗者の安全面での基本形としての運用にはなっていなかったようだ。記録では、手すりを縁取るように横並びになったSMGの戦士たちが片手で手すりを持ち体を固定、もう一方の手で槍やボウガン、銃を用いて、陸路のキャラバンを護衛、奇襲をかけてきた大盗賊団の騎馬隊を退けたという。

 もともとは、海を走る船に接近し、横付けして干渉を行うための機体であるために、高速前進をするよりは、前後左右に動けるほうが目的を果たす。しかしながら、砂漠での数百の騎馬相手に飛天龍数機で戦闘を行ったという記録もある所を見ると、一部の飛行技術に長じたパイロットによりマルチに運用されていたようだ。

 SMGでは、飛天龍を古代帝国の技術をそのまま流用しているために、少し使い勝手の悪いマシンを用途から微妙に外れた運用を行っている、という印象を受ける。そのため、安全面には多少難があり、乗り手を選ぶのも事実だ。それはちょうど、戦闘機で大量の物資を輸送するという運用をしているようなものだ。

 長い期間、海上の権益争いが国家とSMGの間でなされ、いつしか国家の殆どがSMGに加盟している状況となり、海路の安全は確保されるようになっている。

 しかしながら、SMGの貿易に対する甚大な影響力は非常に脆弱なものでもあった。SMGはその圧倒的な科学力と軍事力の割に、SMGを構成する人材が少なく、ルイテウといわれる本拠地に特段産業があるわけでもなかったため、加盟国の契約金以外の収入源がなかった。そのため、SMGから全ての国家が脱退すればSMGを滅ぼすのは容易であるとも言われる。まともに他の国家と戦争をすれば、周囲の国家には甚大な被害が出るだろうが、確実にSMGを滅ぼすことはできただろう。だが、一つ一つの国家に、自分たちが犠牲となってSMGを滅ぼそうとまで思う人間がいなかったが故、この状況でバランスが取れているといったところか。また、同時にSMGによる世界支配がなされなかった理由でもある。

「これは、俺が見様見真似で作った模造品だ」

 レバーを操り、機体を操縦するズエブは言った。

 海賊を辞め、SMGの傘下に入ったズエブは、技工として飛天龍のメンテナンスに従事。もともと機械に強かったズエブはめきめきと頭角を現す。その一方、来るべき時のために飛天龍のノウハウを盗んだ。様々なメンテナンス部品を徐々に調達し、一機の飛天龍を自分用にカスタマイズし組み立てた。それこそがズエブの駆る飛天龍だ。

「本当はここから色々多機能なものにしていこうと思っていたのだがな。その前のお披露目となってしまったよ」

 ズエブは視線を中空から離さぬまま答えた。

 もともと翼があるわけではない。地表を滑るように飛行する分には安定しているが、それが高度をとる飛行になると、横風やら大気の乱れやらが操縦に多分に影響をする。一口に飛行といっても、気流の中で翼の無い機体を安定して飛行させることが、非常に繊細かつ困難な作業であることはシェラガの目から見てもはっきりわかった。

「こいつを使って、お前は何かするつもりだったのか?」

 シェラガは円盤とズエブを見比べながらたずねる。

「本当はそのつもりだったがな、毒気を抜かれたよ」

 シェラガとガガロは顔を見合わせる。まあ、確かに飛天龍一機で世界征服は無理にしても、様々な局面において相当優位な立場に立てることは明白であるにも関わらず、それをしないというのはどういうことなのか。

「……お前らを見ていたら、世界を手中に治めるのが馬鹿馬鹿しくなったからだよ」

 自分たちが痛烈な皮肉を言われていることにも気づかず、意味がわからない、とばかりに顔を見合わせるシェラガとガガロに、ズエブは失笑を禁じえなかった。

(ったく、自覚がないのだからたまらねぇよな)

 ズエブは一人考える。

 海賊時代、飛天龍と対峙したズエブは、完膚なきまでに叩きのめさされ、SMGの軍門に下った。水面に押しやられている船と空中を滑るように飛行する飛天龍とでは戦力面で天と地ほどの差がある。船からの攻撃は飛天龍には届かず、まさに一方的な戦闘になってしまうだろう。戦闘において上空を押さえるというアドバンテージはそれそのものが戦争の勝敗を決するほどに重要なファクターだった。

 SMGに勝利するためには制空権がいる。ズエブはそう結論付け、自らの飛天龍を手に入れるべく、得意ではあるが専門外のメンテナンス部門で飛天龍と接触した。もともとの身体能力、諜報活動能力を買われ、特派員としてテキイセに送り込まれた後も、飛天龍の研究を続け、独自に一機の飛天龍を組み上げた。

 だが、その過程でシェラガやレベセス、ガガロといった聖剣の勇者たちに出会い接する度、彼の研ぎ続けているはずの牙は徐々に鋭さを失っていく。飛天龍よりもはるかに高い戦闘能力を持つ彼らが、世界を自由にできるという夢のような快楽よりも、のんびりと生きることを選んでいる事実は、ズエブにとって衝撃だった。世界制覇には彼らを倒さねばならなかったが、それはまず不可能だろうし、それ以上に彼らとは、敵対関係を維持するよりも上も下もない仲間として共にいるほうが楽で心地よかったからだ。いつしか、ズエブ自身も特派員契約満了後は、かつての彼の親がそうだったように、田舎でひっそりと鍛冶屋を営みつつ暮らしていこう、と思うようになっていた。

 飛天龍は完成されたが、それは世界制覇の為ではなく、海や大地に縛られた者が持つ空への憧れを具現化する為の物として、ズエブはそれを捨てずにメンテナンスを続けていたのだ。

「まさか、もう一度飛天龍を駆ることになるとはな」

 ズエブは、自分が望んでいたものが世界ではなく、空であることを痛感し、思わず呟いた。

「捉えたぞ! 明かりを消せ!」

 ローター音にかき消されぬよう鋭く言い放つズエブ。

 マントを体に巻きつけ寒さに耐えていたシェラガとガガロはスッと立ち上がり、操縦桿を握るズエブの横に立つ。

「あそこだ」

 ズエブは操縦桿を離さず、旅人の道標として輝く中空の北方星の遥か下方の黒い点を示す。目を凝らす二人は、おそらく円盤上に置かれた照明であろう明かりの存在に気づく。

「良くあんなのを見つけられるな」

 シェラガの心からの感嘆の言葉には答えず、ズエブは今後の策について確認する。

「この場で戦闘を仕掛けるなら、撃墜前提になる。撃墜した後でフアルを助けるのは不可能だ。このままルイテウまで追跡するか?」

 シェラガはすぐには答えず、厳しい表情で黒い点を見つめる。

「追跡重視なら、見つからないように奴らの上方に回りこみ、こちらの照明が向こうに見えない状態で追跡するしかない。向こうは追われていると思っていないからこちらにはまだ気づいていないだろうしな」

 ズエブの言葉を受けて、ガガロはシェラガに提案する。

「姫はおそらく飛行術は身に付けている。撃墜でもいいのではないか?」

「いや、爆発に巻き込まれると色々と面倒くさい。それに、あの飛天龍が失われるとすると、SMGそのものを敵に回し、今この場でフアルを救出して連れ帰ったとしても今後SMGに怯えて暮らす日々になるだろうな。何とかこの場で全てを終わりにしたいが」

「ならばシェラガ、お前も飛行術を習得するか?」

 一瞬の間の後、思わず二人はガガロのほうを振り向く。フアル救出のための追跡中のこの瞬間にガガロはシェラガに新しいものを習得させようというのか。

「ズエブ! こっち見るな! 前見ろ、前!」

 シェラガは思わずズエブを注意するが、障害物の何も無い上空だ。ほんの数瞬目を離したところで、何かにぶつかる心配はない。もっとも、その瞬間に気流の流れが変わる可能性があるのは否めないが。

「……それって、空を飛べるようになるってことだろう? 俺でも可能なのか? それに、今使えなければ意味無いぞ?」

「無論、習得には今のこの時間を使う。戦闘に入るまでにはまだしばらくはかかるだろう。お前の習得は可能だ。お前は氣功術の素養がありそうだ。ならば、それほど時間はかかるまい」

「氣功術?」

 ズエブは中空の先行する飛天龍から目を逸らそうとしたが、再度シェラガに文句を言われると思い、後ろに注意を払いながらも操縦桿を握った姿勢を崩さない。

「おいおい、この船の上でドタンバタンはやめてくれよ? この船は微妙なバランスで浮いているんだ。上を歩くくらいなら大丈夫だが飛び跳ねられると、この上空の気流の流れを拾えなくなりかねない。それに聖剣を使う際の光なんかも気づかれる可能性があるからな」

 上空で大分風が強いにもかかわらず、飛天龍が安定して飛行していることに疑問を持っていたガガロは、その安定飛行が飛天龍の性能というよりはむしろズエブのバランス感覚によって成り立っていることを知り、驚きを隠さない。

「なんと、風が見えるのか? この不安定な気流の中これほど安定してこの鉄の塊を浮遊させられているとは」

「お、うれしいね。わかってくれる奴が居るとはね。飛天龍の操縦の難しさはむしろ長距離飛行にある。短距離の地表すれすれの飛行は、大気の乱れが少ないから操縦桿だけで扱えるが、気流が乱れる上空になると、操縦桿だけではうまく行かない。飛行士の微妙な体重移動が影響するのさ」

 ズエブは操縦桿を少し倒して風に対して機体を立てる。そうすることによって気流の流れを旨くやり過ごすことができるのだ。

「直進飛行も難しいんだぞ。上空にいるとどれだけ流されているかわからない。スピードを犠牲にして最短ルートを飛ぶか、迂回ルートでの高速スピードを取るか、はたまた風の影響を受けないための低空飛行をとるかはパイロットの感性次第だ」

 シェラガは、操縦桿を握るズエブを見て一瞬ぞくりとする。今のズエブはSMGの現役の駐在員としてテキイセに君臨し、まだシェラガと打ち解ける前の殺気の塊であった頃の目をしている。今ズエブに触れると斬られる。それくらいの迫力をズエブから感じていた。

「シェラガ。今ズエブが言ったとおり、飛行は非常に注意点が多い。まずは浮遊から鍛錬するぞ。浮遊であれば、飛天龍の飛行を妨げることもない」

 そういうと、ガガロは飛天龍の円盤状の床のほぼ真ん中に腰を下ろした。

「腹の下に力を入れ、神経を集中しろ。腹の下の部分が熱くなってくるのがわかるか? 熱くなってきたのは、体を巡る氣が下腹部に集中してきたからだ。その氣を体内で溜めつつ、一部を氣の増幅、洗練に使う。それを瞬時に行うことで体に大量の氣を供給、使用することが出来るようになるわけだ」

 そう言い終わると、腰を下ろしているガガロはゆっくり浮き上がる。

 シェラガは思わず目を見張った。聖剣の力で、常人よりもかなり高い身体能力を経験したシェラガでも、目の前で人が浮遊している様を目の当たりにしては驚かずにはいられない。

 これは、『浮遊』なのだ。身体能力が高い人間による大きな跳躍ではない。それが、シェラガには俄かに信じられなかった。

「レベセスの話だと、聖剣を使うときは、氣を聖剣に送り込むらしいな。聖剣は使用者の生命エネルギーの氣を吸収し、中で練りこみ増幅させて体に返すのだろう。氣功術はそれを自分の体内で行う作業の事だ。そして、その溜めた氣を使って体を宙に浮かす。俺は、溜めた氣を一点から下に吹き出すことでゆっくりと体を浮かすイメージを持っている。そのイメージは氣を溜め込む作業よりはずっと簡単だ」

 握り拳一つ分ほど体を浮かせていたガガロは、ゆっくりと飛天龍の床の上に降り立つ。その様もシェラガにとっては衝撃的だった。

「聖剣を使いこなせるお前らなら、ガイガロスである俺たちよりもずっと高速の飛翔が可能なのではないかと思っている。達人は聖剣が無くとも聖剣の勇者のような不思議な力を使えたと聞く。つまり、聖剣の効果を体現したものが氣功術であり、氣功術を道具の力で実現させたのが聖剣だと言えるかもしれないな」

「その理屈だと、聖剣の力を使うのに、聖剣って必要じゃないんじゃないか? そもそもそんなことできるのか?」

「だが、聖剣の力は実際経験しているわけだ。比較的イメージはしやすかろう?」

 シェラガは一瞬、目の前に山積みにされた宿題を発見した子供のような表情を浮かべる。

 やらなければいけないのはわかるが、結構面倒くさそうだ。だが、それを今ここで口にすると周囲にどやされるばかりか、後でフアルに何を言われるかわかったものではない。大体、本来そんな悠長なことを言っている場合ではないのだから。

 それに、氣功術とやらと聖剣の関係に共通点があるとするなら、そちらの研究をしてみたかった。

 氣功術とは、ガイガロス人特有のものなのではないか? 古代帝国は『氣功術』を道具化したかったのではないか? 古代帝国は氣功術のノウハウを手に入れる為にガイガロス人を欲したのではないか? そして、その最終生成物が聖剣だったのではないか?

 そんな仮説が頭をよぎる。

(いやいや、いくらなんでもそれに今頭を巡らせるのはダメだろう……!)

 二、三回頭を振った後、シェラガもガガロの向かいに腰を下ろす。そして、ゆっくりと双眸を閉じた。


「雲の切れ目から一気に下降し、やつらの機体に横付けする。そこでシェラガとガガロは飛び移り、フアルを回収しろ。その後奴らの機体は撃墜する」

 戦闘体勢に移行したズエブの言葉は端的かつ的確だった。

 ズエブは飛天龍を駆り、ガガロとシェラガが訓練と称していたわずか数時間の間に、クマレー機のはるか上空を押さえていた。戦闘機同士の戦闘では、どちらが相手の後ろにつくかで勝負が決まり、騎馬戦では交錯時に如何に相手の馬のバランスを崩すかで決まる。飛天龍同士の戦闘は古今例がないが、仮想SMGでのイメージを膨らませていたズエブが導き出した答えは、飛天龍同士の戦闘では、相手の上空を抑えることができれば勝利することができる、というものだった。

 飛天龍がもっともスピードが出るのは、前進でも後退でもない。落下である。自由落下にローターの逆回転を加え、自由落下よりも早く相手の機体の角に機体をぶつけ相手のバランスを崩す。そうすれば、ほとんどの操縦士は体勢を立て直すことができずそのまま墜落することになる。自由落下で落ちているほうは、ローターの回転を正常に戻すことにより、徐々に減速し、静止する。それの繰り返しになるため、飛天龍のベテラン操縦士同士の戦闘は上へ上へと上がりながら行われることになる。銃という装備が一般的でなかったこの時期は、剣や槍の戦闘がメインであったが、飛天龍同士だとそれも届かない。そうなると飛天龍同士をぶつけるしかないのだが、そもそも飛天龍という存在がSMGの占有技術であったため、その戦闘方法そのものが訓練されることは無かった。

 今回の戦闘では、フアル救出が優先されるため、上空から一気に降下しても飛天龍をぶつけることはしない。シェラガとガガロを飛び移らせ、フアルを救出、すぐにその飛天龍から飛び降り、下で待機するズエブ機が回収する。本当は、機体同士を実際に衝突させ、クマレー機を墜落させつつ、飛行できるガガロとシェラガが墜落中のフアルを回収しても良かったのだが、いささかシェラガの浮遊技術に不安が残るため、その方法は見送られた。

 無論、そんな操縦が誰でもできるわけはない。SMGでもズエブを含めて数名しかいないだろう。そして、歴の長さで考えると、ズエブほど就任期間が短くて飛天龍を乗りこなせた者は過去に例がない。

 そして、今回の作戦の実施は、数時間とはいえ、シェラガとガガロが飛行の訓練をし、目処が立ったのも理由の一つだ。操縦中のズエブは訓練現場を目にしていないが、シェラガも数分は浮いていられるようになったという。もっとも、空を飛び回るような芸当ができるわけではなく、あくまで床に体をつけなくとも平気になった、程度ではあるのだが。それでも人が空に浮くというのは非日常のことである。それを数時間の鍛錬のみで触り程度だができるようになったことそのものが、レベセスに言わせると奇跡なのだそうだが。

 満月の明かりが奇襲を邪魔していたが、移動するに従って徐々に雲が出てきた。雨雲ではないようだが、低気圧が近づいてきているため、その斥候として飛ばされている雲がぽつりぽつりと漂っている。雲はもはや、彼らの上空に悠然と浮かぶものではなく、目の高さや、それより下に存在する障害物でしかなかった。


 月明かりは、周囲を酷く重厚に照らす。質量感のある雲は、月明かりで黄金に輝き、眼下に広がる海は金色の絨毯のようにも見えた。そんな中、三人の戦士たちの目は、低空で進路を取るクマレー機を豆粒ほどに捉えていた。ズエブ機の高度は地上を歩く人間が点として確認できる程度。クマレー機は上空の気流の乱れに対応できず、海面に接触しない程度の高度で飛行しているのだろうか。海面にはそれほど大きなクマレー機の陰はできていない。

「思ったより奴ら、低く飛行しているな。接触直前の逆噴射のタイミングを間違えると、海にそのまま突っ込んでしまう。気づかれないぎりぎりまで近づき、一気にいくぞ」

 ズエブは目にゴーグルをかけた。強風で視界が奪われるのは飛天龍戦闘において致命的だ。

 ズエブの言葉に、ガガロとシェラガは無言で頷く。

「シェラガ、最終確認だ。

 飛天龍が奴らのそばによったら、クマレー機に飛び移る。その際、何人かの護衛はいるだろうが、倒すことは考えるな。自分の行動を阻害するのを阻止するだけにしておけ。姫はおそらく拘束されているはずだ。その拘束具を俺が断ち切る。お前は姫を回収したら、すぐにクマレー機から飛び降りろ。その間に下に回りこんでいるはずのズエブ機が回収してくれるはずだ。

 お前の浮遊にはまだ若干不安が残る。飛び降りる際の速度落下を軽減してくれる程度の認識でこちらはいる。万が一ズエブ機が空中で二人を回収できずとも、海面に落ちても死なない程度までは何とか減速してくれ。海に無事に下りられさえすれば、後はどうにでもなる」

 ガガロの言葉に無言で頷くシェラガ。だがその目は緊張のあまり周囲を泳いでいるようにも見える。

「あの大き目の雲は、よけずに突っ込む。雲に入った瞬間に接近を開始する。振り落とされるなよ!」

 ズエブはそう叫ぶと、巨大な岩山のようにも見える大きな雲の中へと飛び込んでいった。

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