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界遊記外伝 ~ ファルガの父 ~  作者: かえで
考古学者とガイガロス人
6/39

姫の正体

ガガロの追う姫の正体が明らかになります。

 シェラガとガガロが宿営地を後にし、遺跡に進入したのは結局翌日の日の出後だった。

 冷静に考えれば馬鹿馬鹿しいこと極まりないのだが、彼らは出立の準備をすると称して荷物の整理を始めたものの、シェラガの方は果実酒を飲みながらであり、ともすると過去の思い出話が始まり、当然準備は進まない。準備を進めれば進めるほど速度は落ちていき、酔いつぶれる直前にシェラガの言った一言は、

「明日行って死んでいたなら、今日行ってももう死んでいるよ。何年幽閉されていると思っている」

 だというから、ガガロも失笑を禁じえない。

 通常ならば怒り出しても誰も文句など言えない言い草ではある。

 だが、そもそも幽閉されたのが三百年近く前だとすると、生きていることを望むほうがナンセンスだ。

 シェラガにどんなに急かされようが、彼の中での姫の死は決定されたものだった。それが、高々数時間前に話を聞かされた人間の言葉が覆ろうが大勢に影響はない。それでも、たった一人の贖罪の旅を続けるガガロからすれば、道連れができたことは好ましいことだった。彼の青い髪の秘密、鮮血のような赤い瞳の秘密を知る仲間がそばにいるということが、どれほど心強いことか。

 そんなガガロではあったが、かつては王として敬った男のドラゴンへの変身は、未だにトラウマであった。実際、彼はその能力を未だ手に入れてはいない。

 シェラガの後の研究だと、確かにガイガロス人のドラゴンへの変身能力はあったようだ。だが、それは洗練された特殊能力というよりは先祖返りの結果であり、ドラゴンへの変身の結果、戦闘能力こそ上昇するものの、思考能力は著しく低下するとの結果も出ている。

 一度ドラゴンへの変身をしてしまうと、感情が高ぶると発作のごとく変身してしまい、ほぼ理性も失われるため、ガイガロス人の中では禁忌とされた。

 理性を失ったドラゴンは、自らの村を滅ぼす恐れもあるといわれ、ドラゴンに変身した者はほぼ例外なく一族より絶縁され、十中八九抹殺されたという。

 ガガロの生まれる遥か昔、ガイガロス人のドラゴンへの変身は伝染病の結果とされたこともある。また、ある時代には神隠しにあう前兆とされたこともあった。いずれにせよ、ドラゴンに変身したことによる大幅な戦闘能力の増加および理性の欠落は、一族を滅ぼすものとして扱われ、変身してしまった者は、一族から遠ざけられたという。ドラゴン化は、ガイガロス人の歴史の闇そのものとされていたようだ。

 そのせいか、古代帝国滅亡後のガガロの代のガイガロス人は、己のドラゴンへの変身能力については知らされることも無く、言い伝えとしてもほぼ消滅していた。

 そして、かつて王であった男が言った、『古代帝国自らがガイガロスと同盟を結んだ』という事実。これは、ある意味正しくもあり、間違いでもあった。

 古代帝国がガイガロス人の戦闘能力を欲したのは、支配力をより堅固な物にするためだったが、ガイガロス人がその申し出を受けたのは、古代帝国の持つ聖剣をはじめとするエネルギーを増幅する技術が、ガイガロスのドラゴン化を防ぐ技術として転用できることを知り、それを欲したからだと言われている。

 結果、古代帝国は最も武力による併合が難しいとされたガイガロス一族を、武力に頼らず話し合いによって併合することができ、それにより古代帝国の磐石の体制は確立されたとシェラガは後の研究で発表することになる。もともとも戦闘能力が高いガイガロス人は、ドラゴンに変身せずとも基本的な身体能力は人間よりはるかに上で、兵士としてはこの上ない人材であった。ガイガロスの戦闘能力の高さは、兵士としての戦力も五人以上として換算できた。それがドラゴン化により兵士五人の戦力が戦車に変わるのだから、軍国主義国家としての古代帝国からすれば、ガイガロスは垂涎の人材であったことは想像に難くない。

 そのドラゴン化の封印は古代帝国側からすれば非常に勿体ないことではあったのだが、制御できないとなれば致し方ないところである。ガイガロス人の無尽蔵の戦闘能力が敵に回るよりは数段ましだ。

 それに、史実としては伝えられることのない闇の歴史になるが、交渉での併合ができない敵国の本拠地に、死期を迎えたガイガロス人を単独で送り込み、人為的にドラゴン化させ壊滅的なダメージを与えさせたこともあったという。その後は敵国を武力制圧するケースもあれば、ドラゴンを退治する形をとり人道的に救済したことで併合への交渉の場に引きずり出すケースもあったというから、それなりに古代帝国側はガイガロス人の『ドラゴン化』を有効活用していたといえるだろう。その分、ガイガロス人側からすれば不満はあっただろうが、ドラゴン化の抑止という問題からすれば少々の犠牲は仕方ないという意見が大半を占めていた。

 ガガロが求める姫の父である真の王は、ガイガロス人のドラゴン化の法則を研究していた研究者でもあった。彼も自分の父である先代の王を、ドラゴン化で亡くしている。この時代はガイガロス人の隆盛の時代といわれ、ガイガロス人は他の世界にまで勢力を伸ばした時期であったといわれる。世界を譲ったとされるガイガロス人のその行き先は、かつて支配下に治めていた別の世界ではないかという説もあるが、具体的にそれがどこなのかを知る者は、おそらく姫を除いてはいないだろうとされている。


「我々ガイガロス人は、ほぼ全員が青髪だが、ごく稀に違う毛髪の子が生まれることがある。不思議と、髪の色でその子の種としての強さがわかるらしいのだ」

「へえ。そりゃ、体が丈夫とかそういう話か?」

「いや、身体能力らしい。赤い髪の子はひどく身体能力が劣る子で、さらに病弱であるため、幼くして死んでしまうケースが多い。緑の髪の子は術に長けており、銀髪の子は王の血統だということだ」

「王は髪の色で決まるのか?」

「というより、優れた者が王になるということだろうな。銀髪のガイガロス人など見たことも無いが、様々な能力に秀でていたようだ」

「つまりは、すげぇガイガロス人ってことだな」

「……まあ、その、平たく言えばそういうことだ」

 シェラガのあまりにあっけらかんとした物言いに思わず鼻白んだガガロだったが、気を取り直して説明を続ける。

 遺跡に入ってからというもの、最初こそ細かく区画が分かれ、人々が生活できるような空間が広がっていたが、奥に行くに従って、無機質な回廊が続く。進入当初は、予期せぬ敵の襲撃に備え、二人ともすぐに戦闘に突入できる状態だったが、敵の気配はおろか、生命の気配もしないこの空間を進み続けるにつれて、徐々に緊張感は削げていき、小さな声ではあるが、ガイガロス人についての話をする余裕も出てきていた。

 天井の高さも模様が観察できる程度となり、人が五人は並ぶ事のできるであろう幅の通路が延々と延びていく。回廊に埋め込まれた石が薄く青白い光を発し、決して明るくは無いが、特段照明は必要がない。

 ある程度進むと、広い部屋にぶつかるが、そこで行き止まりとなる。部屋に入る直前、回廊は右に曲がり、階段で階下に進めるようになっている。四角形を描くこの遺跡の回廊は、そのうちの三辺をなぞったところで、階下に移動し、また四角形のうちの三辺を描き、更に階下に移動する、という形状が延々と続いていた。

「まるで牢獄だな」

 シェラガは何度かの階段の手前で呟くと、持っていた松明に火を点した。そのまま、奥の部屋に足を踏み入れ、周囲を確認する。部屋に踏み入れたすぐの足元と天井を松明で照らすと、檻を構成する柵の部分が固定をされていただろう窪みが散見された。やはり、ここは牢獄だったのだと確信するシェラガ。それならば、遺跡に侵入してすぐの生活空間は、詰め所のような場所だったのだろうことも想像に難くない。

「しかし、この規模の檻でガイガロスのお姫様を幽閉できるのか? ドラゴン化せずとも、ただの鉄の柵だったら、ガイガロス人の力なら脱出できそうなものだが」

「何とも言えんな。元々古代帝国の牢ならば、収監されるのはガイガロス人だけとは限らん。それなら鉄でも十分だろう。それに、ガイガロスのドラゴン化を抑える技術がその檻に仕込んであれば、ガイガロス人もおいそれとは鉄の檻を破ることはできんさ」

 二人は徐々に階下に歩みを進める。すると、奥に進めば進むほど檻の保存状態がよくなってきていることに気づいた。更に進んでいくと、檻が原形を留めているものがいくつも姿を現した。

 檻の上下左右が鉄板のようなもので覆われている。柵も同じ材料を使っていると見て取れた。

「ちょっと調べてくる」

 シェラガが牢の中に入っても、特段変化はない。ところが、ガガロが足を踏み入れた瞬間、ガガロの体が大きく揺らぎ、彼は思わず立膝をついた。

「どうした?」

 あわててガガロのそばに駆け寄り、抱え上げようとするシェラガ。

「わからん。突然体の力が抜けた。もう大丈夫だ。意識すれば何ということは無い」

 ガガロはゆっくりと立ち上がり、周囲を調べるために歩き出すが、その足取りはとてつもなく重い。

「ガガロ、一度出ろ。おそらく、この機構がガイガロス人の力を無力化するものなのだろう」

 シェラガの読みどおり、檻の外に出たガガロは何事も無かったように復調した。

「シェラガ、お前は大丈夫なのか?」

 尋ねられたシェラガは左右を見回すが、特段変化無く、檻の中でも飛び跳ねることができた。

「ガイガロス人に効果があって人間には効果が無い。この牢に用いられている技術こそが、ガイガロス人のドラゴン化を防ぐ機能、というわけか。ただの鉄板にしか見えないけどなあ」

 シェラガは腰から聖剣を抜き放つと、第三段階を発動、柵の一本の一部を切り取った。その大きさは握りこぶし大の鉄の塊に等しい。落ち始める前に左手で掴んだその金属の塊をガガロに投げ渡す。

「持ってみてどんな感じだ?」

「……そうだな……。先ほどのような脱力感はないが、妙に心が落ち着いた気がする。今この場で必要な緊張感も少し欠如してきたようだ」

「なるほど、適切な説明だ」

 そういうとシェラガは、檻の断面を精査する。だが、金属を切り落とし、研いだような輝きを持つ切断面には、とりわけ加工されたような特徴があるわけではなかった。

「どういう理由かはまだ調べてみないとわからないが、どうもこれはガイガロス人をひどくリラックスさせる効果があるみたいだな。ガガロが檻に入った瞬間の急激な脱力は、おそらくいきなり体がリラックスしすぎて、平衡感覚が狂ったためだろう」

「なるほど、リラックスすれば戦いの意識は遠のく。更にそれが進めば体の自由を奪う、というわけだ。強制的な拘束とは違うが、それ以上の効果は期待できるわけだな。ドラゴン化も、そもそもは理性を著しく欠落させた、所謂興奮状態。興奮さえさせなければドラゴン化はないわけだ」

 二人はそのまま遺跡の奥へと進行する。そして、ついに最下層部へと到達した。そこで二人が見たものは、牢獄とはかけ離れた豪奢な造りの個室だった。

 回廊の行き止まりにある、一見木目調の扉を押し開けると、外に出たのではないかと思うほどの明るい一角に出た。明るさに目が慣れると、一流ホテルのスイートルームではなかろうかと錯覚するような部屋が目に飛び込んでくる。天井からは巨大なシャンデリアが二基吊り下げられ、床は薄いピンクのカーペットが敷き詰められている。照明の下には老木を丁寧に削り上げて作った応接セットが設置され、その下には足元を冷やさないようにとの配慮か、毛皮のカーペットが敷かれている。また、奥のスペースには本棚がいくつか置かれ、読書や書き物ができるような書斎風の造りになっていた。書斎の隣には、四隅をシルクの帳で囲まれた大きいベッドが設置されている。また、プライバシーも遵守され、部屋へ入る扉には内側から開閉できる目隠しも設置されている。

 唯一スイートルームと異なるのは、部屋に窓が一つもないことだった。

「……こりゃ、税金の無駄遣いだな。こんなところに金掛けているから帝国は滅ぶんだよ」

 部屋に入ったシェラガの一言目は、古代帝国に対する辛辣な言葉だった。

「まあ、そういうな。この部屋の造りからすると、ここに姫がいたのは間違いない」

 ガガロは苦笑しながらそういった。この造りだからこそ、ここに姫がいたことが証明されたのだから、それはそれでよかったではないか、ということか。

「それはそうだが……」

 中に入って見回したシェラガは、違和感を覚えたようで、しばらく部屋の中をきょろきょろしていた。

「どうした?」

 ガガロの問いにシェラガは視線をガガロに向けることなく答えた。

「いや、ないんだよ。女性がいた痕跡が」

「女性がいた痕跡?」

「鏡台だよ」

 シェラガはもっとも近い壁の周囲を調べ始めた。

「この部屋以外にこれだけ手が入れられている部屋が無いとすると、姫はここが生活の場だったに違いない。ということは、ここで着替え、寝泊りをしていた。目隠しがあるのも頷ける。それなのに、彼女が身なりを整える鏡がないというのはおかしくないか?」

「それを探してどうする?」

「……ここに幽閉されていたのは、姫なのかってことさ。これだけの設備だ。偉い人間に違いないし、つい最近まで使われていた痕跡はある。となれば、ここに幽閉されていたのは誰なのか」

「姫ではないというのか?」

「その可能性もある、ということだ」

 二人は暗黙の了解で、その部屋の主を特定するために部屋中を物色し始めた。だが、てきぱきと室内を検証していくシェラガに比べ、いささかガガロは物色に躊躇の色が見える。実はこれは、彼らのこの部屋に対する捉え方の差を示しているのだが、彼らは終始それに気づくことはない。

 シェラガからすれば、この部屋は単なる遺跡の一つであり、それがたまたま、女性の部屋っぽい場所だった、というだけだが、ガガロからすれば、この部屋は自分が求めていた姫が生活をしていたと思われる部屋だという思いがあった。仮に、この部屋の主が姫ではなかったにせよ、部屋全体的なイメージを見る限り、女性の部屋だという認識は拭えない。それが、女性が留守のうちに部屋を物色するという後ろめたさに繋がっていた。

 やがてガガロは部屋の探索に音を上げる。

「シェラガ、済まぬがこれ以上この部屋の探索は俺には無理だ」

「ん? そうか。まあ、こういう作業は向き不向きがあるからな……。わかった、ガガロ、お前は入り口から部屋の主が帰ってこないかを見ていてくれ。場合によっては戦闘に入らざるを得ない」

 ガガロのナイーブさなど微塵も理解する気が無いといった素振りでシェラガは調査を続けた。調査員とすれば、当然の反応ではある。遺跡から出た頭蓋骨をいちいち恐れないし、金の装飾品が出てもそれに胸踊りこそすれ、金銭欲に駆られる事はない。

 シェラガにすれば、やはりこの部屋は異常なのだ。

 この遺跡の存在場所は夜盗の巣窟だ。実際シェラガが瀕死の重傷を負ったのもこの砂漠のすぐ近くだ。かつて牢であった部屋を改修してアジトとして使っている夜盗の類がいないとも限らない。それならばこれらの設備が直近まで使われていた事実に説明がつく。

 もちろん、ガイガロスの姫が未だ生きているという可能性も捨てきれない。彼が考えていたより、ガイガロス人は相当に長寿であることがはっきりしている。だが、それにしては一見女性が好みそうな部屋の造りではあるのだが、そこで全てを充足できるかというとそれは衣食住の問題全てにおいて不可能だ。まず、水がここでは得られない。次に、食事が得られない。排泄の問題もある。それらが解決しない以上、いくら雰囲気が王女の個室であったとしてもそう判断するには足りない。

 そして、この部屋が牢獄だとすれば、プライバシーが保護されすぎていることに、シェラガは首を捻らざるを得ない。夜盗の長がこの部屋を快適に使っていたとするなら、無い話ではないが、その割には他の部屋の設備があまりに貧相だ。それに、生活の場として使っているのならばそれ相応の物品が部屋にあってしかるべきだ。だが、それらが足りなさ過ぎる。王城の一部屋、というならこれで十分に用が足りるのだが、ここだけを生活空間とする人間がいるならば、それは半ば監禁に近い。だが、監禁ならば当然見張りがあるはずだが、見張りが待機するような設備も空間も無かった。

 使用者を監禁に近い環境に置きながら、プライバシーは確保されつつ、衣食住の環境は不適切。そして雰囲気は女性のような部屋。本棚に並ぶ本の内容から、かなりの教養の高さは窺えるが、その中身は、政治論から民俗学まで幅広い内容であり、この書物群から読み手の情報を引き出すのはなかなか難しかった。

 結論からすると、誰かが直近までこの部屋を使っていたようだが、それが誰なのかは特定できない、という表現せざるをえない。もしこの空間を牢として直近まで使用していたとするならば、外出がある程度認められているという、軟禁とすら呼べない状況であったと推測される。生活の場というよりは、自分のものを置いておくためだけの使い道。

 だが、ただここに住んでいる、という状況であるとするならば、夜盗であれ、近隣の子供たちであれ、対象は拡大される。すると、この部屋の形状のみで、この部屋の居住者がガイガロスの姫であるということはますます断定が困難になる。

 ちらりとガガロのほうに目をやるシェラガ。

 ガガロはこちらに背を向け外に気を配っている。だが、その背中からは、少し失望感が滲み出していた。彼の中ではおそらくここは間違いなく姫が幽閉されていた牢。そこに姫がいないとなると、やはり彼が追い求めていた姫はこの世にはいないことになる。この場所が彼の中で姫と結びつけばつくほど、彼は失望せざるを得ないのだ。

 感情的には、シェラガもガガロと同じだ。だが、考古学者としての目がその決定を阻止する。まだそう判断するのは尚早だ。そして、シェラガはその目を信じ、違和感を覚えた心を信じた。

 と、シェラガはこの部屋で見慣れたものを発見する。

 見慣れたもの、というよりは、見慣れた名の記されている封筒の束だった。思わず眉をひそめるシェラガ。なぜ遺跡にこんなものが? しかも、それは大事にしまわれていた。この空間を使う者にとって、非常に大切な品だということなのか。

 しばらくその封筒を見て立ち尽くしていたシェラガだったが、思いついたように本棚に移動し、一番新しいであろう本を取り出し、ぱらぱらと捲ってみた。その次に新しい本を手に取り、ぱらぱらと捲る。更にその次に新しそうな本を手に取り……。

 やがてシェラガは搾り出すようにガガロに尋ねる。

「……ガイガロス人は、髪の色である程度種の強さが決まるといったな。白銀の髪を持つ存在は王だというが、黄金の髪を持つガイガロス人はいるのか?」

 ガガロはいきなりの問いに面食らったようだったが、黄金の髪という表現にどこか引っかかるものがあった。少し思い出すような素振りをしたガガロだったが、すぐにじろりとシェラガを見る。金色の髪のガイガロス人。それは、かつての言い伝えにあった。

 『鬼子』。

 ガガロは確かにそういった。

 鬼子とはどういうことだ? シェラガの問いに、ガガロはすぐには答えず、質問で返す。

「シェラガ、お前がなぜ鬼子のことを知っている?」

「知っているわけではない。色々総合した結果、ここに俺たち以外に足を踏みいれた者がいることがわかった。その者がガイガロス人かどうかを知りたいだけだ」

 ガガロはシェラガの言葉の意味を図りかねていた。

「……わかったよ。もう少しこの部屋を調査したら、あるところに連れて行ってやる」

 シェラガはそういうと、ガガロに背を向け、再び部屋の書斎部分を調べ始めた。


 翌朝、シェラガとガガロの二人は遺跡を出て、テキイセに向かう。だが、テキイセの町の傍に来たところで、ガガロはテキイセの町には入らない、ここで待つと言い出した。

 彼からすれば、人間と接することがトラウマであることは変わらない。青い髪と赤い瞳は人間からすれば恐怖の対象でしかないのはわかっているし、それ以上に髪の色と瞳の色で差別を受けてきたこともあった。どうしても人と会わなければいけないときには、髪を白く染め、自分はアルビノの人間であると言ったこともあった。だが、ガイガロスであることを隠すこと自体に彼自身が疲れ、辟易していたこともある。

「大丈夫だって。レベセスもいるぞ」

「そうか、なら安心だ。奴なら俺がガイガロスであると周囲に悟られないようなうまい方法を考えてくれるだろう」

 そうそう、安心してくれていいぞ、と言って、ガガロをテキイセの入り口の人目につかぬ所に待たせてレベセスを迎えに行くシェラガだったが、道中首を傾げる。

(ガガロの奴、俺が『うまい方法』を考えるとはこれっぽっちも思ってないな)


「そりゃ、お前という人間を知っていれば誰だってそう思うだろうよ」

 テキイセの詰め所の前で再会したレベセスが、ガガロの話を聞いたシェラガに言った一言がそれだった。レベセスにしてみれば、直近の食事処での一件もあるし、何をどうやればシェラガが物事を繊細に穏便にかつ正確に進められるのかと問い詰めたいところではあったのだが、戦士として、そして考古学者としては評価しているレベセスからすれば、全てを否定するわけにも行かない。

「考古学がらみのことだけだな」

 そんなはずはない。俺ほど色々なことに気を使う繊細な心の持ち主などいやしないだろう、という言葉を、否定はしなかったものの、言葉のニュアンスを若干修正するためにレベセスが付け足した一言だ。


「それは、あなたを知っている人間であれば誰しもそう思うわよ」

 二人を引き連れて、行きつけの食事処で昼食を食べようとした際、看板娘のフアルも同じことを言う。話の流れは、レベセスがガイガロスの話に触れずに、シェラガが様々なことに気を使って行動を起こせるかどうかを尋ねたわけだが、老マスターも含めた回答がそれだった。

 あからさまにむくれるシェラガだったが、先日の傭兵たちとのいざこざのことを考えるとフアルも半分仕返し的な意味合いで言ったに違いなかった。

 やり取りのあと、あからさまに不機嫌になるシェラガを宥めながら、レベセスと共に大笑いをする老マスターとフアルを見て、ガガロは、自分もこのような人間関係をどこかで構築したいものだと思ったものだった。

「ところで、ガガロさん、お食事のときくらい、フードをお取りになったら?」

 老マスターに料理の出来上がりを告げられたフアルが、目元を隠すようにフードを被り続けるガガロに言葉をかけた。一瞬驚いたガガロが固まったところに、シェラガが追い討ちをかける。

「取れよ、ガガロ」

 シェラガの言葉に完全に固まったレベセスとガガロ。

 確かにシェラガとレベセスの行きつけの店であり、結果傭兵とSMGに邪魔こそされたものの、今回の再会の場所もここを選んだレベセスとシェラガ。それほどに彼らにとって居心地のいい場所だった。

 彼らとの関係は、おそらくシェラガとレベセスが少年の頃からだろうか。彼らが青年になった今も足繁くこの店に通うのは、ひとえに老マスターの人徳だ。そして、老マスターが雇う者たちは皆気さくで、会ったその日のうちに長年の友人であるかのような錯覚に陥るほど楽しい者たちだった。

 ここで働いた者たちは皆、歳を経たり結婚して家庭を持ったりして、一度は店を去るのだが、必ずといっていいほどその後常連客として通い続け、盛況であればそのままエプロンをつけて手伝いに入ってしまう。そんな者たちを、老マスターは常に歓迎し、常連客も彼らを受け入れ続けた。店を去った従業員が、その後に常連になった者たちとの親交を深めるのを見ているのが、老マスターの数多い楽しみの一つでもあった。

 それほどの仲だとしても、ガガロの目と髪の事は別問題だ。レベセスはそう思った。だが、シェラガは頑として譲ろうとしない。場の空気が悪くなろうが、関係ない。なぜシェラガはそこまでガガロを追い詰めようとするのか、この時点ではレベセスはわからなかった。

(何がしたい、シェラガ……)

 強い視線でシェラガを見つめるレベセス。それはガガロも同じだった。ガガロはおそらくレベセス以上にそう感じていたはずだ。思わず目線を隠さずにシェラガを見つめるガガロだったが、そのシェラガの奥に、立ち尽くすフアルの視線を感じ、思わずガガロはその場を立ち去ろうと立ち上がる。

「座れ、ガガロ」

 シェラガは鋭い言葉でガガロを制すと、シェラガはフアルに尋ねた。

「聞かれてはまずいことは?」

 一瞬の間の後、言葉の意味を察したフアルは、無言で首を横に振る。

「目は……どうやって隠している?」

 突然変わった雰囲気と会話の流れに未だついていけていないレベセスは、言葉を発しようとしたが、何を質問してよいのかわからず、ガガロの顔とフアルの顔を見比べるだけだった。

 レベセスもガガロがガイガロス人であることは当然知っている。ガイガロス人の歴史も、ほとんどの人間がガイガロス人に対し恐れを抱いていること、そして、その恐れの象徴なのがガイガロス人の青い髪であり、鮮血のような赤い瞳であることも。

 それをシェラガはこのタイミングで、なぜガガロと面識の無いフアルと老マスターにガガロの正体を明かす必要があるのか。突然の禁忌の解禁にレベセスは戸惑いを隠せなかった。だが、シェラガは何か考えがあるのだろうか。自分の行動にまったく疑いの余地が無いようだった。

 ガガロは目を閉じると、一瞬の溜めのあと、ゆっくりとフードをはずす。そして、ゆっくりとその双眸を開いた。そこにはシェラガやレベセスが『美しい宝石のようだ』と評した鮮血の瞳がある。その瞳は恐れるでもなく威圧するでもなくやさしい光で二人を見る。

 それは、自分がガイガロスであることが白日の元に晒される恐怖は微塵も感じられず、むしろシェラガが自分のために何かをしてくれようとしていることを純粋に信じての行動だった。

 フアルは一瞬息を呑んだ。だが、ガガロが予想していたような悲鳴も罵声も発せられることは無かった。

「あなたも残ったのね。こちらの世界に……」

 押し出されるように口元からこぼれるフアルの言葉は、ガガロに深く刺さった。

 『こちらに残った』……。『あなたも』……。

 ガガロはフアルの顔をまじまじと見つめた。今度は、自らの目を隠すことなく正面からまっすぐに。その言葉の意味は何だと……。

 フアルは三角巾を頭からはずす。ウェーブのかかった黄金の髪がふわりと肩まで降りる。そのままゆっくりと瞳を閉じた。その様は、とてつもなく美しくはかなげで、食事処の看板娘とは思えないほどの高貴な印象を周囲に与えた。

「シェラガ、あなたはいつ気づいたの?」

 フアルは目を閉じたまま三角巾を手早く畳むと、エプロンの前のポケットに納めた。

「テキイセから西に少し行ったところの遺跡を探索していて、人の生活の痕跡を見つけた。そこで、よく知る人のものであろう物を見つけた」

「そう……」

 感情を押し殺した抑揚の無い言葉で呟くフアルは、ゆっくりとその双眸を開く。

 黄金の髪に負けず劣らず強い光を放つその瞳の色は、鮮血の赤だった。




「消えおった。やはりガイガロスの力は素晴らしい!」

 光の嵐が収まった後には、周囲にはもはや強力な軍事国家の面影など微塵も無かった。あるのはかつて城であった瓦礫の山。そして、遠くに望めるのは爆風から奇跡的に被害を免れた数軒の建造物だけだった。

「ガイガロスの力の前には、人間の造った物は無力だ。それは聖剣を使う者どもも同じ。そして、聖剣すら、我が一撃には耐えられまい。ガイガロスは神の力を持った偉大なる種族だ!!」

 かつて巨人であった竜は天に向かって、種の勝利の声を上げる。その声は恐ろしい木霊として、遙か遠くに住まうデイエンの人々に届く。だが、もはや彼の雄叫びは獣の咆哮でしかなく、彼方で聞いた者には雷鳴としてしか聞こえなかったという。

「ドラゴンは、ガオーって吠えている分にはなかなか精悍で見ごたえあるけれど、小さい声でガウガウ言っていると、歯の間に物が挟まったじいさんみたいな喋り方になるな。しかも、何を言っているかまったくわからないし」

 突然の声に、蒼いドラゴンは思わず周囲を見回す。だが、辺りには誰もいない。いるはずも無いのだ。周囲のものは全て瓦礫と化し、周囲の生きとし生ける者は全て死に絶えたはずなのだ。

 だが、この声には聞き覚えがある。自分の背を地に着けた忌まわしき男。

「まさか、生きているのか? どこだ!? どこにいる!?」

「しかし、神とはまあ大きく出たな。誇りたくなるほどの強大な力だって事は認めるが」

 この声は、自分の全力のチャージを受けてなお生き残ったタフな男。他のガイガロスですら、あの突進を受けて生き残ったものはいないのに、だ。

 忌々しい男達の声がする。

「おのれっ! どこにいる! でてこい!!」

 声はするが姿が見えない。それが蒼き竜を苛立たせた。自分の勝利の雄叫びをコケにしたどころか、自分の知らぬところでこちらの姿を見て嘲笑している。

「まだガウガウ言っているよ。まあ、こっちには通訳がいるから何を言っているかあらかたわかるけどね」

 足元か!

 ドラゴンは自らの足元に視線を落とす。その視線の先には、彼の足元、どちらかといえば股の間に、立膝を突きながらこちらを見上げる男たちがいた。彼らのすぐ横には彼らが身を隠すのにちょうどよい大きさの丸い大穴が掘ってある。おそらくはあそこに身を潜め、彼の破壊光線とその爆風をやり過ごしたに違いなかった。

 小さい。

 ちっぽけな男たち。

 自分が体をぐいとねじれば、消し飛んでしまうような小さな存在。それはまるで壊れかけの人形が足元に置かれているような錯覚を覚える。

 だが、その人形はドラゴンにとって、ひどく忌々しく邪魔な存在に思えた。思わず蹴り飛ばしたくなったが、『壊れかけた人形』をむしゃくしゃして蹴っ飛ばすには手前にありすぎる。踏みつけようと右足を上げたが、腹立たしい人形共は左右に分散したため、狙いも定めるのもままならない。彼の苛立ちは頂点に達する。

 思いのほか懐に入り込まれていた事に愕然としたドラゴンは、距離をとるためにその翼を大きく広げて、飛び立とうとする。足元に入られたのは不覚だが、飛び立ってさえしまえば奴らの攻撃はこちらに届かない。

「飛ぶ気かっ!?」

「逃がすかよ!」

 呪いの人形共が叫んだのと同時に、足元でキラリと何かが光り、背に激痛が走る。背後でズシッと何かが落ちたのがわかった。背後に落ちたのは皮膜の翼。背から伸び始めた節の部分が根元から切り飛ばされたのだ。

「い、痛え! 貴様ら、何てことをしてくれるのだ!?」

 翼を失っては、飛ぶことができない。背から青い血が吹き出す。だが、ドラゴンとなった今では背の傷を止血することもできず、痛さに悶えるしかできない。

「王……、いや、ガイロン! もう、諦めてください。我々と共にガイガロスの村で静かに暮らしましょう! 誰もガイガロスの世界制覇など望んではいません。

 あなたの夢は大きく、そして偉大だった。だが、もうガイガロスにはその力はない。身の丈にあった世界で生きていけばよいではないですか!」

 ガガロは、蒼きドラゴンの足元から少し離れたところで、かつての王に語りかける。

「あなたの夢という後ろ盾を持って、本能のまま好き勝手にやってきた奴らは、あなたの粛清を受けて消え去った。後は、心優しいガイガロスだけが残っています。この世界は、ガイガロスだけのものではありません。けれど、人間たちだけのものでもありません! 人間たちが世界で己のみの所有権を主張するならまた立ち上がればよい。ですが、今は、残された地で暮らしていけばいいではないですか!」

 今までいきり立っていたドラゴンが、初めて自ら動きを止めた。ドラゴンの大きな呼吸音だけが周囲にかすかに響く。

「……ガイガロスの民は望んでいないというのか? ガイガロスの世界を……」

 蒼きドラゴンの背を遠くに臨む瓦礫の上に降り立ったシェラガとレベセスは、ドラゴンになってからの王の言葉を、ガガロの通訳なしで初めて理解した。いや、彼らの耳には先ほどのドラゴンのうめきと変わらないものとしてしか届いていない。だが、そのうめきが彼らの心には言葉として届いた。

「これだけ強大な力を持ちながら、世界を支配せずとも奴らは満足だというのか……?」

 背後で立ち尽くすレベセスとシェラガの目には、巨大なドラゴンの精悍な後姿が、なぜかひどく悲しげに映った。そして、先ほどまでの破壊の限りを尽くした恐るべき巨体が、ひどく小さく感じられた。いや、事実徐々に小さくなっているようだった。戦意と野望とで膨れ上がったガイロンの身体は、狂竜の呪いから開放されていく。

「姫の言っていたことは正しかったのか……」

 人間の姿に戻ったガイロンの言葉が初めてシェラガとレベセスの耳に届く。それは、今までのような、ガイガロスの誇りという名で着飾った豪奢なものでもなければ、自らの目的を妨げる相手に対する憎悪という武装を施された刺々しいものでもなく、ガイロンという一人の個人から純粋に発せられたものだった。

 ガガロは、今ここで、生まれて初めてガイロンと話したような錯覚に捕われる。王という仮面を投げ捨て、制圧者という甲冑を脱ぎ捨てた、一人の同志、ガイロン。ガイガロスという民族を純粋に愛していた兄貴分。

「帰りましょう、ガイガロスの里へ」

 ガイロンの口元が緩む。

「ガガロよ、お前は、まだ俺を許そうというのか。お前の仲間を殺そうとし、お前を裏切り続けたこの俺を……」

 ガイロンの背の傷から一瞬血が吹き出る。両の拳が強く握られたのだ。

「だが……!」

 ガイロンはガガロに向かって跳躍する。ガイロンの鍛え上げられた肉体が、大きな力となってガガロを襲う。

「や、野郎!!」

 先ほどまで戦意がまるで失われていたガイロンが突然ガガロを攻撃することは、彼ら二人にとって予想外だった。あわてて抜刀し、聖剣の第三段階を発動させ、ガイロンに後ろから攻撃を仕掛けようとするが、到底間に合わない。幾ら手負いとはいえ、第三段階の聖剣の勇者二人を相手に互角以上の戦いをするガイロンと、普通のガイガロス人であるガガロがまともに戦えるはずがない。

「くそっ、間に合わない!」

 シェラガとガガロは、戦意を失った振りをしていたガイロンにまんまと騙された事を悔いた。二人がガイロンに到達して、巨人を切り倒したとしても、その前にガガロは倒されているに違いなかった。

「ガガローッ!!」

 どうにもならない絶望感に、二人の戦士は叫ぶしかできなかった。

 だが。

 大きく振りかぶったその拳がガガロに到達しようとした次の瞬間、ガイロンの背から一本の刃が突き出すのが見えた。ちょうどシェラガとレベセスが両方の翼を切り落とした際にできた傷から生えた形になる。刃の生えたところから、蒼い血液が一度飛び散り、そのあと強い流れでどくんどくんと溢れ出す。

 ガガロの前で動きを止めたガイロンを、背後から斬りつけようとしたシェラガとレベセスは、背から突き出した剣を見て、その突進を思わず止める。

「なぜ……、なぜなのですか……」

 ガガロは搾り出すように呟く。

 刃がガイロンの左胸を貫いたその瞬間、鮮やかな血液がガガロの全身に降り注ぎ、彼の体を蒼く染め上げていく。

 ガガロは、自分の刃がガイロンの胸を貫いた瞬間、はっきりと見た。

 かつてのガイガロスの王は、微笑みながら自らの手をガガロの腕に添えるように置き、刃を心の臓に流し込んだのだ。ガガロはその様を見ているしかなかった。だが、ガイロンがガガロの腕を強く握り、頷いた瞬間、いやな感触がガガロの手に伝わってきた。剣を通じて感じていた若干の抵抗がスッとなくなったのだ。そして、通常であれば人体から発するはずの無いゴボッという音が、剣が貫いた胸の少し上の部分でした瞬間、ガイロンは吐血と共に咳き込んだ。

 刃はガイロンの肺をも傷つけていたようだ。呼吸もままならぬガイロンだったが、その赤い瞳は意識を一時も混濁させず、ガガロの瞳を見据えていた。


「俺は……、人間にこの世界を譲った王が許せなかった。ガイガロスは最強の種族。それこそが誇りだった。それがなぜ、弱小の種族にこの世界を明け渡さなければならなかったのか……」

 大地にその巨躯を投げ打ち、力なく横たわる王を抱き起こすようにガガロは傍らにいた。

 レベセスの氣功術によって、既にガイロンの外傷はほぼ完治していたが、体力よりはむしろ気力を失いすぎていた王は、二本の足で大地を踏みしめることはもうなかった。

「人間が手に入れた科学の技術は、次第にその勢力を増していき、ガイガロスの生活をも脅かすようになっていた。真の王は決断を迫られていた。人間との確執はもはや修復できないほどに巨大化しており、共存はありえない状態になっていた。

 王はこの世界を人間に譲り渡し、ガイガロスを別の世界に移動させ、そちらで国を作るという選択をした。俺にはそれが理解できなかった」

 シェラガとレベセスは、ガガロの傍らに立ち、世界を席巻しようとしたガイガロスの王の最期を看取ろうとしていた。

 本人が、生きることを拒絶している今、体が万全であろうと、その体力が戻ることはない。それをガガロに告げ、覚悟をさせた上で王との時間を過ごさせていた。王は全てをガガロに伝えるつもりだった。

「ガイガロスの民の半数は真の王の選択に反対した。優れているガイガロス人がなぜわざわざ人間に世界を譲らなければならないのか、と。あるいは、なぜ我々が去らねばならないのか、と。

 ただ、反対者の中にも、共存すれば良いという意見の者と、滅ぼせばよいという意見の者がいた。

 王は賛同者半数を連れ、世界を後にした。王の意見に反対する者の中には、王の実の娘もいた。彼女も共存を望んだ。この世界を愛していたからだ。

 だが、情勢はガイガロスにとって不利になっていく。人間の席巻を止めることができず、ガイガロスは隠れるようにいくつもの集落を作り、人々に混じって暮らすようになった」

 シェラガとレベセスは驚愕した。ガイガロスの真の王がこの世界を後にしたのはほんの十数年前であったという。

 確かに、ガイガロス人の犯行かはわからないが、デイエンやテキイセで原因不明の事件が多発した時期があった。その時期と真の王が世界を後にした時期が一致するのは偶然ではあるまい。しかし、ガイガロスと人間の確執が生まれたのはそう近い過去の話ではない。

 相当の年月の間、あるいは一世紀近くは、真の王は情勢を窺っていたのだろう。そして、決断をした。これ以上の共存は無理だ、と。

 シェラガが生まれたときには既にガイガロスは過去の存在であり、知りうる限りガイガロスの国は存在しなかった。

 ということは、かなり昔から共存を図り、かつ目立たぬように生活をしつつ直前まで生活をしていたことになる。とはいえ、ガガロとガイロンの話を総合すると、半数のガイガロス人はまだ留まっている。場所によってはガイガロスの村もいまだ存在するかもしれない。そう考えると、特段驚くことではないのだと気づく。

 そして、その頃に、残った者たちのうちの穏健派、すなわち共存を望む者たちのリーダー的な位置づけであった王の娘、王女が急進派のガイガロス人に幽閉された。穏健派を押さえ込んだ急進派は、もともとガイガロス国家の王家を守護する一族出のガイロンを王として据え、武力によるガイガロス国家の成立を目指したのだった。

 穏健派も独立したガイガロス人の国家を望んだ。

 しかしながら、それは人間を廃してのガイガロスの覇権を望んでいるわけではない、との主張は覆さなかった。

 穏健派のリーダーにして、真の王の直系であり、王となるべき王女が幽閉されると、ガイロンが王になるくらいならば人に紛れて暮らす、とほとんどのガイガロス人が彼の元を去っていった。彼の元に残ったのは、彼の覇権確立を支持するように見せかけて私利私欲を満たそうとするようなならず者のガイガロス人がほとんどだった。だが、そんな中にもガガロのように、幼い頃からガイロンを師事し、ガイロンの思想に異論を挟まない純粋な支持勢力がいたのも事実だ。

 ガイロンは、自分の支持勢力を側近に置き、それ以外を兵士として送り込み、占領を始めた。ガイガロス人の将来を憂いての行動を謳ってはいるが、彼を受け入れなかったガイガロス人たちに彼を認めさせ、同時に彼もそれを許して、共にガイガロス人の国家を作って行きたい。ゆくゆくは、世界をガイガロスが支配する巨大国家を作りたい。

 それを目標に彼は非情になり、今回のテキイセとデイエン同時テロを起こしたのだという。

「だが、人間の中にも、我々の行動を阻止できる者がいたのは想定外だった。聖剣の勇者とは、かくも恐るべき力を持つ者共か。俺も聖剣を使いこなせれば、こうはならなかったはずだと思っていたが、まさか、俺についてこなかった者たちが、本当にガイガロスの国家を望んでいなかったとは。

 ……姫、数々の無礼をお許しください……」

 もはや、ガイロンの焦点は合わなくなっていた。ガガロの剣を自らの胸に送り込んだその傷は、ガイロンの心臓と肺を貫通し、致命傷となっていた。ガイロンの目から一筋の涙がこぼれる。

 ガガロは、ガイロンの瞼を優しく撫でた。

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