集う四聖剣2
未だかつて、自身の体を握り締められた経験はなかった。ましてや、そのまま中空に放り出されることなど。
いや、普通の人間ならば、一生生きていてもそんな経験を持つことは殆どないだろう。
だが、少女の僅か十年のその人生は、他の人間に比べて酷く色濃い物となっていた。ただ、それは本人にとっても、他人にとっても忌まわしき記憶としてしか残らぬものだった。
彼女は一度死を経験している。だが、それは本人の記憶によるものではない。彼女にとっては一時、眠っていて目が覚めなかったので記憶が抜け落ちている瞬間がある。それが若干人より長い部分あるという程度の認識だ。だが、彼女は己の死を類推により結論付けていた。
ある時、興味を持ってテキイセ国の国史を目の当たりにしたことがあった。ラン=サイディール国の一都市であるテキイセが、かつてはテキイセ国であったことを知る人間はそうはいない。だが、彼女は国史の書籍を目の当たりにすることで知っていた。ラン=サイディール国の都市テキイセの歴史として、しかし裏書籍として主体をテキイセ国として、ラン=サイディールよりの指示という名の脅迫でなされた変遷が綴られていた。
流石に、彼女にその裏のテキイセ国民の感情まで読み取る事は出来なかったが、その書籍の違和感は何となく覚えていた。
その書籍の最新刊に、己の葬儀の様子が描写されていた。それを目の当たりにした時、彼女は二の句が継げなかった。だが、それ以上に死という物の理解が甘かった。死とは、生物的には生命活動を停止すること。そして、死者に関わる全ての人間にとって、物理的にも精神的にも様々な影響を及ぼすこと。無論そんなところに彼女が思い至るはずもない。
今こうやって生命活動を続けているのだから生きているのには違いない。それに、誰も悲しんでいる様子もないし、余り大した問題ではないではないか。では、何のために生きている人間の葬儀をしたのだろうか? 葬儀という物は、一年に一回行われる豊穣祭の様なものなのではないか?
そんな事を考えたものだった。一年に一度やると思っていたが、やらない年もあるのだ。その程度の認識だった。
体に異物を埋めこまれたこともある。実はこの異物こそが、彼女が仮初の死の瞬間に埋め込まれた、復活のキーだった。祖父であるトリカは、この指輪を彼女の心臓の周囲に埋め込むことで、死した彼女の体内で作用し、心臓を再度動かす禁術を書物より見出した。
トリカは孫娘の死に失意のまま研究を続け、指輪を使った禁術を用い、死後数日たった少女の亡骸の、壊れ始めた細胞をも甦らせ、文字通り黄泉の国への片道切符を破棄したことになる。
そして、怪物に握られ、放り出される事。これも初めての事だった。そもそも、怪物に襲われるような危険度の高い場所に等、少女が行けるはずもなかったし、祖父が行かせるはずもなかった。なので、前述の二件よりは遭遇の可能性の高い事象も少女にすれば生まれて初めての経験だった。
空中に放り出された少女は、それほど滞空することなく、牙の生えた洞穴へと落ち込んでいく。妙に生臭い口腔だと気づいたのは、飲み込まれて直ぐだった。鋭い歯に体を貫かれなかったのは不幸中の幸いだったが、その分、彼女はかつての祖父の胃袋の中で、徐々に溶かされていく苦痛を味わうことになる。
「アーッ! イタイイタイイタイイタイ!」
カルミアは、漆黒の闇の中、腹部まで浸かった酸の中で、粘膜を焼かれる痛みと共に、吐き気を伴う悪臭に包まれることになる。
「臭い臭い臭い臭い!」
徐々に自分の体の周りの生暖かい粘液が、粘り気を帯びてくるのを感じた。気持ち悪い、と腕を掻いた瞬間、自分の皮膚がずるりと滑る不思議な感触を感じた。その瞬間、掻いた部分に真っ赤に焼けた鏝を押し付けられたかのような激痛が走る。思わず悲鳴を上げながらその部分を手で擦ろうとするが、痛みは増すばかりで、擦った掌も激痛に襲われた。悶えれば悶えるほど痛みが走る。痛みは熱さとも感じられ、熱湯に浸けられているような錯覚を覚えた。浸かっている物が溶けた溶岩なら、いっその事一瞬で苦しみから解放される分どれほどに良かっただろうか。漆黒の闇に視界を奪われ、嗅覚は不快で一杯、触覚では熱さと痛みに全身を焼かれ、聴覚は悍ましい唸り声に囲まれる。味覚も、直接は感じていないものの吐瀉物と同じ物が腹の底から逆流し、幼少期の嫌な感覚がよみがえる。
もはや今の彼女に救いはなかった。
「た……助けて……、お姉さま……オジサマ……」
ただ一つの幸運。それは、カルミアが気を失ったことだ。カルミアの意識は無くなり、激痛を感じる事もなくなった。
ただ、彼女の心だけは、その激痛を全身に受けた状態で固まったため、少女の心は受けた激痛を常に感じ続けることになる。
「あああああああああ!」
彼女の心の耳元には、常に自身の絶叫がこだましている……。
暴走する破壊の姫を追跡し始めた、ラン=サイディール国軍中将にして近衛隊長レベセス=アーグは、自身の一瞬の迷いを悔いていた。
赤く輝くカルミアが疾走しはじめた正にその瞬間、高機動兵士達が明らかに遅れていることに気付いた。
無理もない。
聖剣使用第一段階程度の身体能力上昇しかない高機動兵士が、第三段階まで引き上げた≪天空翔≫を用いたレベセスですら徐々に離されていくスピードで疾駆する赤黒い弾丸についていける筈はなかった。
だが、それでも一瞬その場に留まる事で、カルミアを遠くに置いてしまうことになった。
不幸中の幸いだったのは、カルミアが疾走した後には、大地が抉れ、溶けたような軌跡が残されている事だった。これを辿っていきさえすれば、カルミアの元に到達できるのは間違いなかった。だが、カルミアに追いつけるという事は、カルミアの何某かのアクションが終わったことを意味し、同時に何かの損失を意味した。一番考えたくないのは、カルミアの絶命だ。もっとも、トリカに飲み込まれ、何者かに変化したカルミアが一番望んだのは、自身の死なのかもしれない。
(理想は、カルミア姫が徐々に力を使い切り、スピードを落とすと共に、理性を取り戻してくれることではあるのだが、それを望むのは些か都合が良すぎるか。
しかし、カルミア姫のあの変化はなんだ? 衣服が溶けて落ちるのは、トリカ卿の体内の強力な酸が影響しているのはわかる。だが、彼女の周りを覆っている、蝋のようなもの。あれは明らかに人体では生成されない物だ。それが彼女の体を覆っていた。皮膚が変化したものならば、シルエットで姫だとわかる姿にはならんはず。彼女の中で一体何が起こっている……?)
「まあ、それは彼女に追いついてから聞くしかないな。ただ、一つ言えるのは、彼女の変身は、先人の研究結果に非常に近い物だ」
(彼女が疾走し始めた理由はなんだ? それが解れば、彼女の疾走を止められるかもしれない)
「変化してしまった自分の姿を、ゴウトに見られたくなかった、という事だろうな。だとするとその変化が無くなったと実感できるまで、カルミアは止まらんぞ」
(なぜ、カルミアは全身のエネルギーを放出すれば放出する程、苦痛が緩和され、理性が戻る? だが、エネルギーの放出を止めれば再び苦しみだす。一体彼女の中で何が起きている?)
「カルミアの体内にある、聖剣の機構や高機動兵士の装備している指輪の機構のせいだろう。トリカ卿は、一度死んだ……というか生命活動を停止したカルミアの身体に、生命エネルギーを発生、増幅する機構を埋めこむことで、疑似的に生命活動を再開させ、そこで発生したエネルギーを用いて体の腐食や崩壊を防ぎ、生き返らせることに成功した。
だが、それだけだった。本人の身体のスタミナや心のスタミナ、そういった微妙なバランスで成り立っているものをまるで無視し、生命エネルギーだけを異常なほどに過度に供給されたため、カルミアの身体は変化を起こした。彼女の体を覆った蝋のように見える物は、生命エネルギーが結晶化して体に付着した物。彼女から噴き出る赤黒い光のエネルギーは、供給され続ける生命エネルギーの結晶化が追い付かず、プラズマ化して彼女の体の周囲に漂っている状態だ。もっとも、あれだけ強力なエネルギーの集合体を『漂っている』と表現するのは滑稽だがな」
(では、彼女がエネルギーを放出することによって、少し苦しみが和らいでいるように見えるのは、どういうことだ?)
「いわば、彼女は『生命エネルギーの癌』に侵されている状態だ。通常は、体に見合っただけの生命エネルギーが体内の様々な臓器によって生成される。それを用いて人は生命活動を営むわけだが、本来体に見合っただけ生成される筈の生命エネルギーが、外的な機構を埋めこまれたことにより、異常に生成されることとなり、身体や精神のバランスを著しく崩し、異常をきたしている状態だと言っていい。無論、本人の身体向けに生成された生命エネルギーなので、体に直接害を与える性質のものではない。だが、薬も取り過ぎれば毒になるのと同じで、過不足ありすぎれば、体調は不良になる。
エネルギーを放出することで、体のバランスが少しだけ正常に近づくため、ほんの少しだが、苦しみは和らぐわけだ。
本当ならば、人間という生物は鍛錬し、修行を積むことで生命エネルギーの生成量を増やし、ほんの少しだけ身体能力や感受性、思考能力などを増すことで、達成感を味わう存在の筈なのだ。だが、いきなり外的な方法での過剰な能力の賦与は、本人の機能、能力の許容量を遥かに超え、体も心も本人の管理下から完全に逸脱してしまうということなのだろうな」
(よくわかった。それはいい……)
一瞬、瞳をきつく閉じるレベセス。その眉間には、いつも刻まれた皺よりもさらに深い物が刻まれるのと同時に、額には血管が浮かび上がる。
「シェラガ! 貴様、いちいち人の思考を読むんじゃない! そして、それに対して回答をするな! そもそも、なぜここにいる!」
高速飛行をしているはずのレベセスは、背面飛行をはじめると、ほんの少し上部を飛行する、聖剣の勇者シェラガ=ノンを思いきり睨みつけた。
全身汗だくで飛行しているレベセスは、全力疾走とはいかずとも、八割以上の力で走り続けているのと同じ状態だ。だが、その状態のレベセスと同じような巡航速度で飛行するシェラガは、驚くべきことに、額に汗一つ浮かんでいない。
当然、レベセスもその事実に気付く。
「シェラガ、お前の身体に一体何があった?」
「どうも、死んじまったらしいんだわ、俺」
深刻そうなレベセスの問いに対し、あっけらかんと答えるシェラガ。
「な、なに? 死んだ? 今ここにいるお前がか?」
「ああ、少なくとも死んだのだろうという自覚はある。その記憶もうっすらとある」
「何をバカな! ……と言いたいところだが、お前にはいろいろありすぎる。ない話ではないのだろう。で、何か変化はあるのか?」
「生きていようと死んでいようと俺は俺だ。ただ、どうやら全身『星辰体』になったようだ。氣のコントロールが異常に楽になった。聖剣の準備段階を使うよりも楽に、聖剣の第三段階が使えるようになっている。ひょっとすると、聖剣なしでも氣のコントロールだけで第三段階は引き出せるかもしれない。まだ試してないけどな」
「……文字通り、神になったというのか?」
レベセスの背に冷たいものが走る。だが、全身汗だくの彼の見た目には、まったく変化がないのは皮肉か。
「神、か。体の機能だけならそうかもしれん。さっき、お前は俺に『思考を読んで回答した』といったな。だが、俺はそのつもりは全くなかった。だが、お前の考えている内容がわかってしまったのは事実だ。話しかけられているように」
「人の心が読めるようになった、という事か。……あまり羨ましくない能力だな」
「俺もそう思う。この能力とやらも面倒臭そうでいやなものだ。夢で、自称神とやらに、神にならんかと誘われたが、面倒くさいので断った」
一瞬ハトが豆鉄砲を食らったように、驚愕の表情を浮かべたが、その後ニヤリとするレベセス。
(かねがね面白い奴だと思っていたが、ここまでとは。だが、それでこそシェラガだ。神の力すら物足りず、神を超えた存在を目指すというのか)
「神を超えたいとは思っていないよ。だが、皆が楽しく平和に過ごせる世界は、作れるものなら作りたいな」
「……いずれにせよ、俺はカルミア姫を何とか助けたい。シェラガ、手を貸してくれ」
「手を貸してくれ、じゃなくてメインでやれ、の間違いだろう。どのみち、カルミアを救う方法は恐らく一つしかない」
全く癇に障る男だ。
いちいち人の思考に過敏に反応する。
だが、その高い能力はうらやましくもあり、鬱陶しくもあり、心強くもある。
自分たちには到底及ばない世界に到達していながら、普通に自分たちと接しようとする。以前と同じように。想いに正直な分、ともすれば、自分たちより遥かに人間的だ。
だが、今はそれが頼もしく、そしてうれしい。
「……頼む」
力の及ばない自分に向けられたものなのか、はたまた手の届かない遥か先を行くようになってしまったシェラガに向けられたものなのか。対象のはっきりとしない怒りにも似たレベセスの思いに気付いていないかのように、シェラガは普通に頷く。
だが、その表情は、一瞬曇る。傍で見ている人間はだれ一人として気づかないだろう程に微かに。
レベセスはシェラガの事を無二の親友だといってくれるだろう。平等にも接してくれるはずだ。だが、やはり違う。
もう、自分は人間に戻る事はできまい。
力は欲しかった。自分や、自分が守りたい者を守る事の出来るだけの力が。その欲求は更に増し、世の中の全てを知りたいという好奇心にとって代わる。それは同時に、彼がその力を手に入れた瞬間、彼自身が人間でありながら人間でなくなってしまうという事を意味する。彼は人間であるという事と、力を際限なく求めることが相反するものであるという事に気付いてしまった。
踏み止まる事も考えた。だが、世界が。タイミングが。それを許さなかった。
彼はやがて人ならざる者に変わっていく。
だが、それも与えられた人生なのかもしれない。
人だった者が人でなくなり、人でなしの人より、人らしい人生を送る。
言葉の妙ではあるが、それもまた乙なものかもしれない。
そう思うしか、シェラガが気を紛らわせる方法はなかった。
「……先に行くぞ」
シェラガは、カルミアであった者が付けた大地の削り跡を辿り、一気に加速する。
後に残されたのは、第三段階で飛行するレベセス。
シェラガの遺す残氣の筋は、今まさに発せられたレベセスのそれより遥かに濃い。これこそが、同じ聖勇者でありながら、圧倒的な力の差をつけられた証。
「……くそっ……!」
レベセスは憎々しげに呟くと、自身の飛行に専念した。
同じ第三段階でもこんなに違う物なんですね。自分で書いていてびっくり。




