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界遊記外伝 ~ ファルガの父 ~  作者: かえで
滅びゆく権力からの復讐

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指輪の秘密5

 三人の高機動兵士は、各々の得意とする武器を解放する。

 シェラガも、右手に収まっている剣を握り直した。

 彼らは、対峙する怪物の腹部に攻撃を仕掛けるつもりだった。

 研究設備の槽を破壊して出現した、かつて人間であった化物は、全身から滴り落ちる粘液で、滑り光っていた。ほんの少しだけ残されていた人間としての表情も消え失せ、白濁した瞳からは、感情は何も読み取れない。鼻と口はせり出しては来ているが、皮膚がその変化に耐え切れず、口蓋は筋繊維がむき出しの状態で、大きく体躯の形状が変化する際には、骨がきしみ、へし折れ、砕かれ、無理矢理形状を変えている。もはや人間の体から想像しうる変形の限界を超えていた。

 ズブリ、という粘性のある音が周囲に響く。肩甲骨から二本の巨大かつ長い突起がせり出したのだ。

 シェラガははっとした。思わず眼前の敵から目を離し、テマに目配せする。

「……間違いない。トリカ卿の変化は、ガイガロス人のドラゴン化だ」

 ジョウノ=ソウ国先代皇帝にして、シェラガと同じく稀代の考古学者としても名高いテマ=カケネエ博士は、目の当たりにする事実を戸惑いながらも口にする。彼の類稀なる観察眼は、一見して何の共通点もないように見える二つの事象を、見事に結び付けた。これは、シェラガの仮説を結果的に裏付けることになった。

 古代帝国は、いくつかの研究を並行して行なっていたとされる。

 一つは、聖剣の研究。人間の生命エネルギーを効果的に増幅し、人間という生命体の根本的な力の引き上げを行なう為の研究だった。研究結果は、聖剣の大量生産とはいかなかったが、高機動兵士の持つ指輪の製造技術の確立。しかし、これは同時に、聖剣は誰が作ったのか、という根本的な疑問を一つ露呈させることになってしまった。

 もう一つは、ガイガロス人という、別進化形態をたどったとされる強力な人類の研究。

 圧倒的な生命力と戦闘能力は古代帝国の栄華の為には必要なものだとされ、強力な兵士部隊を作るために、人間との交配が行われた。だが、繁殖させるために受精をして、生まれ落ちることはあってもすぐに死ぬか、あるいは死産であった。それでも受精をする以上、他種他生物間の配合が可能である事は証明された。その延長として、溶液につかり、血液を含む体液をガイガロス人のそれと入れ替えることで、ガイガロス人の力に準ずる能力を後天的に手に入れる技術を確立した。その技術については明文化された資料は見つかっていなかったが、今回トリカの使っている設備と自身の変身とが、奇しくもそれを証明したことになる。

「この変化は、元来人間の持つ性質とは異なる。だが、トリカ卿がガイガロスの血を引いている訳ではなさそうだ。となると、彼が浸かっていたあの溶液が、何かしら彼の体の情報を書き換えた、としか考えられん」

 だが、その二つの研究の目的が見えてこない。

 世界を制覇している古代帝国が、一体何のためにさらに強い戦力を求めたのか。古代帝国の末期は、ほぼ技術のインフレにより、人間が制御できる能力を超えた技術が構築され、その技術によって大陸が墜落、滅びたとされる。

 研究を進めれば進めるほど、古代帝国は人間の欲する技術をすべて実現させた完璧な国家であったことが明らかになる。古代帝国の持ちえた技術は非の打ちどころのない物だった。そして、その技術が必要ないほどに古代帝国は栄華を誇っていたはずだった。

 では、一体何のために狂ったように技術を追い求めたのか。

 二人の学者の議論を聞いていたゴウトだったが、たまりかねたように叫ぶ。

「そんなことはどうだっていい! 口に放り込まれたとしても、まだ噛み砕かれたわけじゃねえ。奴の腹からカルミアを出しさえすれば、まだ助かる!」

 ゴウトは手にした手斧を、トリカだった怪物……とてもドラゴンと呼べる容姿ではないそれに投げつけた。怪物の腹部に刺さった瞬間、ゴウトとキマビンは飛び掛かる。怪物の背から伸びる何本もの触手を振り払うキマビン。そして、キマビンの援護を受けつつ、刺さった手斧の柄部分を両手で持ち、怪物の腹を裂こうとするゴウト。

 だが、トリカの体を取り巻く粘液は、思いのほか酸性が強いらしく、刺さった手斧の刃部分は腐食し、柄の部分からへし折れた。ゴウトは腰の剣を抜き放ち、再度腹に一撃を加えようとする。

「ゴウト、離れろ! 聖剣で斬ってやる! その後の救出は任せたぞ!」

 シェラガは、トリカだったドラゴンになりそこねの怪物の腹を薙ごうと、低い跳躍で滑るように懐に入り込もうと画策した。だが、そこで一つの事実に気付く。

 トリカはその場から動いていないのだ。

 俊敏性を得て、移動を開始したと感じていたが、実は単に体を膨張させ、先程まで入っていた培養槽の機械を押しつぶしただけだった。結果的に、培養槽の台の上から床に落ちただけということだ。事実巨大化するに従って、彼を支えていた足は自重によってつぶされ、原形を留めていない。この状態では移動することすら不可能なはずだ。

 速い動きは、実は触手だけだったということだ。

 触手の動きに幻惑され、巨体を保っているトリカが、俊敏ささえも保っているように感じただけだった。

 事実、ゴウトが手斧を飛び道具として用いたのは、攻撃対象が俊敏で、手に持った斧での一撃が当たらないと考えたためだ。だが、投擲より斬撃の方が強い。ならば、より強力な一撃の方が、まだ体内に入れられて間もないカルミアを確実に助けられるだろう。そして、今回刃を使った直接攻撃が、怪物の体から染み出す強酸の粘液によって効果を減退させられるとするならば、突破口は粘液の排除にある。

 その為の術を、シェラガは放つ方がよいと判断した。

 エネルギーを溜めるのに時間がかかるため、今までは戦闘の方法の選択肢としてはなかった気功術を用いた攻撃。聖剣の力を使ってやっと使用可能であった、氣功術最大の術。いや、氣功術を用いた攻撃はこれしかないと言っても言い過ぎではない。

 増幅された生命エネルギーを、指向性を与えて放出し、あらゆる属性を排除した純粋なエネルギーとしてぶつける。だが、その威力は無限大。

 人間として放つシェラガなら、人間としての術の威力の限界はあるかもしれない。だが、神の体を手に入れたシェラガならば、その生命エネルギーを限りなく絞り出し、相手を滅殺することも可能だ。

 『八大竜神王』。

 古文書には狂った竜の断末魔、と書かれていた。

 ドラゴン化したガイガロス人が口から放つ、全てを消滅させる力。光と熱と音の奔流。それを体現した術こそが、この術だ。

 圧倒的な生命エネルギーを持つガイガロス人。そのガイガロス人が、全ての力を絞り出して放つエネルギーは、個体差こそあれ、国を消滅させ、浮遊する岩山さえも塵と化す凄まじい威力。

 破壊の魔神と化したガイガロス人のその能力を、ガイガロス人ではない人間が体現するための方法。それこそが氣功術だ。それには、人間が氣をコントロールするための道具を入手しなければならない。そして、その氣を極限までコントロールし、増幅、収束させることが出来た時初めて放つことのできる術。

 単純といえば単純な術。だが、それゆえ汎用性は際立って高い。この術をコントロールできれば、怪物化し、鎧化した皮膚と内臓を消し飛ばし、カルミアだけをそこに残すことも可能なはずだ。逆に、極めて戦闘能力の高い三人が、これほどの狭い所で、高速の戦闘を繰り広げ、かつ粘液を排除してトリカの腹の中のカルミアを助け出すのは、ほぼ不可能だと言えるだろう。

 もちろん、初めて使うシェラガにそこまでの繊細なコントロールができるかは未知数だが、それしか方法がなかった。それに、この氣のコントロールは、何度か経験したことがある。

 一番顕著だったのは、飛天龍でフアルが誘拐されようとしている瞬間だった。まだ当時飛行できなかったシェラガは、跳躍で飛天龍に追いつこうとしたが、伸ばしたその腕は、飛び去る円盤に届くことはなかった。その後に、彼の腕からバーナーのように吹き出した青白い炎は、間違いなく放出された氣の塊だった。その時のコントロールでは、収束したりはできなかったが、今のシェラガならば気力体力ともに充分な筈だ。 

 怪物の懐に飛び込んだシェラガは、右手に聖剣を持ったまま、体の正面に突き出された両手の掌底を合わせた。

 主の体の傍を何となく漂っていた触手が、突然意識を持った大蛇のように、トリカの足もとで蹲るように術を発動し始めたシェラガに攻撃を仕掛ける。忌まわしき触手のその動きは、心なしか怯えているように感じられた。だが、触手の先端はシェラガに届くことなく、弾かれた。

 シェラガの体を包む、第三段階の青白い炎。その炎がより濃く輝いた瞬間、重ねられた掌底の中で、激しい稲光となって発現する。稲光はその数を増し、ついに光の玉を発動させた。

 生命エネルギーである氣を極限まで収束すると、光の玉が出来上がる。その光の玉が徐々に大きくなり、その光を強くしていく。

 ゴウトとキマビンは見た。

 ルイテウで起こった、一歩間違えば世界を滅ぼす厄災となる、ドラゴン化したガイガロス人の放つ全身全霊の一撃の再現を。

 触手は狂ったようにシェラガを叩く。だが、彼の周りには透明なバリアがあるようで、触手の一撃は全くシェラガには届かない。

「……シェラガおじ様、ありがとう。でももういいの」

 突然耳元で囁かれたシェラガは、思わず周囲を見回す。だが、聞き覚えのある美しい声の少女の姿はどこにも見えない。彼の背後の少し離れた所に立つSMGの戦士二人の耳には、少女の声は届いていないようだった。

「コーウト姉さまとケザン姉さま、あとテマ皇には、ここから退避するように伝えてください。私はこのままおじいさまと共に逝きます」

「な、何を言っている、カルミア! 君はまだ助かる!」

 声の位置はわからない。姿が見えない以上表情もわからない。だが、シェラガにだけ届くカルミアの声は、何となく彼女が微笑んでいるように感じられた。

 カルミアの意図はわからない。

 だが、このまま≪八大竜神王≫を放つことは、瓦礫に覆われた遺跡の研究室ごとダメージを与えることになりかねない。それだけはシェラガにもわかる。研究室が崩落すれば、高機動戦士三人は無事では済まないだろう。

 シェラガは、彼らが最初に侵入してきた梯子から、施設の外に出るようにテマやゴウト、キマビンに指示を出す。

 ゴウトは烈火の如く怒ったが、上司とは正反対で冷静なキマビンは、テマの先導の元、ゴウトを引きずり研究施設の中を突っ切り、退避をはじめた。

「君はどうする、シェラガ!」

 キマビンとともに退避をはじめたテマは、指輪を発動させ、薄紫のオーラ=メイルを発し、トリカの触手をいなしながら叫ぶ。

 カルミアは祖父とともに逝こうとしている。だが、それを彼らに伝える訳にはいかない。シェラガは微笑むしかなかった。

 三人の男たちが研究施設の奥の扉の外にある梯子を使い、登り始めたのを確認すると共に、再度耳元に声が届く。

「おじ様、ありがとう」

 シェラガは、カルミアの声を耳にしてなお、『八大竜神王』を放つための力を溜め続けた。

「……カルミア、勘違いするんじゃないぞ。俺は、まだ諦めちゃいない」

「どうして!? このまま生き続けても、私は心臓を求めて生き物を殺さなければいけない。自分が生きるために他の生き物の命を奪うのはもうたくさんなの!」

 心なしか、シェラガに届くカルミアの声は嗚咽が混じっているように感じられた。

「阿呆! 生き物の命を生きる為に奪うのは、人間であろうとそうでなかろうと同じだ! 人間であれば他者の命を奪わないで済むとでも思ったか! だからこそ、他者の命を奪うときは、その命を己の生命の糧にしなければいけないんだろうが! それこそが命を奪われる者の手向けになるんだろうが!」

 カルミアは絶句する。

 そうだ。コーウトは……女人化したゴウトは、それを教えてくれたのではなかったのか? だが、その絶句以後、シェラガの耳にカルミアの声は届かなくなった。

 シェラガは掌底の中の強い光の玉を、怪物の腹部に向けて開放した。

 光の玉は強く輝くと、大きく弾け、トリカであった怪物を光の渦に巻き込んだ。

 ありがとう……。

 ありがとう……。

 ありがとう……。

 カルミアの声とは違う、いくつもの声がシェラガに礼をいい、そのまま遠ざかっていく。

 シェラガの放った氣功術唯一最大の攻撃は、青白い光の帯となり、カルミアを口から取り込んだトリカだけでなく、研究施設内の無数の培養槽の中にいる数多の生物の破片をも飲み込んだ。

「……バカ野郎。どいつもこいつも死に急ぎやがって。残された者の気持ちは考えないのかよ……」

 凄まじいエネルギーを放ちながら、呼吸ひとつ乱さないシェラガの呟きは、カルミアにだけ向けられたものではなかった。

 己の過ちを償うために、自ら手塩にかけて育てた部下に葬送させた青龍戦士の王。祖父とともに、わずかな時間とはいえ共に過ごした、死ぬに死ねない異形の兄弟たちと逝った幼き貴族の娘。そして、胸の病に己の死期を悟り、愛の結晶をこの世に残そうとしている黄金の鬼子。

 聖勇者シェラガ=ノンは誰に充てたものでもない感情を吐露した。彼の目から流れる涙は、決して世界を救った歓喜の涙であるはずはなかった。




「多分、もう君とは会えないと思う」

 背を向けたまま、蹲るフアルの背は震えていた。精いっぱいの強がり。声こそ押し殺しているが、彼女が泣いている事にシェラガは気づいていた。

 シェラガは、ゆっくりと大きく息を吸い、目を閉じる。

「……気づいていたのね」

「何となくな。星辰体になってから、色々と分かるようになってきた。良くも悪くもな」

「そう……」

 フアルは上体を起こす。その艶やかな肢体は、とても齢四百歳とは思えない。黄金の髪に浮き通るような白い肌。そして、吸い込まれるような紅い瞳。シェラガは、改めて己の妻を美しいと思った。

「貴方は行かなければならない。行って、この世界を守って」

「ああ。なんとかやってみるさ」

「安心して。貴方との子は絶対に産んでみせる」

 冷静に考えれば、受精は事後に成されるわけではない。それはシェラガでも知っている事だった。だが、そんな不安を微塵も感じさせない調子で、フアルは小さく、しかし力強く呟いた。

「……多分、私は貴方が戻ってくる頃まで、ここにはいられないと思う。貴方は恐らく間に合わない。けど、貴方に寂しい思いはさせたくない。できれば、私と貴方の子をいっぱい抱きしめて欲しい」

 シェラガは、愛する妻の頭を抱え込み、頬に唇を寄せた。

「諦めるな。俺は必ずお前の胸の病を治す術を身に着けて帰ってくる。それまで何とか堪えてくれ」

 そういうと、彼は静かにベッドから出て、装束を身に纏う。剣を背負い、フアルの横をすり抜けていく。

 ゆっくりと扉の開く音がしたが、フアルは振り返らなかった。振り返れなかった。振り返れば、泣きながら縋り付き、シェラガを止めてしまうだろうから。

 そうなったらシェラガは行かないかもしれない。けれど、それで世界が滅んでは何もならない。自分の命が尽きようとも、この子は必ず育てる。そう誓った。だからこそ、必死に踏みとどまる事が必要だ。

 フアルは大きく咳き込んだ。

 彼女の口を押えた手からは、赤い液体が零れ落ちた。

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