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界遊記外伝 ~ ファルガの父 ~  作者: かえで
滅びゆく権力からの復讐

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指輪の秘密4

 カルミアが扉を開け放ったまさにその瞬間、眼前の事態に竦んで動けなかった二、三十名もの高機動兵士が、一斉にシェラガたち三人の方を振り返った。だが、彼らの視線は直ぐに培養槽に戻される。

 装束に身を包んでいたテマとシェラガは、格好だけはトリカに同行した兵士たちと幾分も変わらなかった為、大勢の高機動兵士たちに即座に敵と認識されることがなかったのは幸いだった。大人数の高機動兵士を相手に、この閉所で戦闘行為に及んだ場合、双方に怪我人が出るのは間違いなかっただろう。

 培養槽の中に留まるトリカは、一日前と全く姿勢を変えていない。

 口蓋に生じた裂傷も、治癒した様子はない。喉の亀裂もそのままだ。だが、出血は止まっているように見える。

 死んでいるのか?

 だが、そう判断するには、槽の中に若干動きが見える。何かが動いているのだ。

 大人数が入れる部屋ではないこの場所に、何十名も大男が屯していれば、中の様子はそう簡単に伺い知ることはできない。

 どうやらこの小部屋は、研究室のオペレーションルームのようだった。

 分厚い強化ガラス越しに見る、幾つもの培養槽の並ぶ実験施設は、まるで水族館の巨大な水槽を覗き込んでいるような錯覚を覚える。そして、その周囲に幾つも並ぶモニターは、その培養槽群の中の現象のデータを忠実に表示していると思われる複雑な文字列を延々と映し出す。その文字列は激しく下から上へと流れているところを見ると、主のいなくなった研究施設でも黙々と仕事をしているのだろうが、それはある種の悲哀を感じさせた。

 モニターの光と、ガラスの向こうの青白い実験施設の照明とが、オペレーションルームの中を漆黒の闇にすることを妨げていた。

 一番背の低いカルミアは、人の波の向こう側に何かがあるのは察していたが、直接それを目の当たりにすることが出来ず、その何かが培養槽内にいるトリカだとは、最初は気づいていなかった。だが、テマの呟きが、輪の中にいる人物が誰かを彼女に悟らせた。そして、その雰囲気から、尋常ならざる状況にあることも推したようだ。カルミアは幾重もの人の壁を掻き分け、潜るように高機動兵士の波に入っていく。

 シェラガ達も追おうとしたが、小柄なカルミアと違い、屈強な男たちの壁を押しのけることはできなかった。

 人の壁の中心で、培養槽内の愛する祖父を見たカルミアは、愕然とした。

 口蓋が切れているのは昨日と変化がない。喉が一見すると爛れているように見えるのも変わらない。だが、彼女が知っているトリカとは全く違っていた。面影はある。肖像画で見た若かりし頃のトリカ=サイディール。それが今、培養槽の中で苦悶とも取れる表情で身動き一つせずに、そこにいた。

 だが、それ自体は大した問題ではなかった。

 なぜなら、彼女自身は培養槽内から外を見たこともあったからだ。だが、彼女が培養槽内で感じた何とも言えぬ心地よさを、今培養槽に留まるトリカが感じているようには到底思えなかった。

 そして、決定的なのは、全身から生えた繊毛。水槽内で事切れたメダカを数日放置すると、メダカの全身にうっすらと毛が生えてくる。まさにその体だ。

 カルミアは、身動き一つせぬトリカと、その彼の体を覆う繊毛とで、トリカの異常を察した。取り乱した少女は、狂ったように祖父の名を呼びながら培養槽のガラスを叩き続けた。

 培養槽内のトリカに反応があった。だが、その反応は目を開けたり動いたり、といった生物的なものではなかった。トリカの体に生えた繊毛が、急激に震え始めたのだ。静電気の影響で震え始めた体毛、という動きをしていた繊毛同士が、互いに絡み始める。

 ある程度の太さになった繊毛たちは、驚くべき速さで成長を始めた。文字通り、ほんの数瞬でトリカの入る培養槽を埋め尽くすとほぼ同じタイミングで、あれだけトリカが暴れても傷つかなかった培養槽に何十もの白い模様が浮かび始めた。その模様は次第に大きくなり、それぞれの白い模様が繋がった次の瞬間、培養槽が弾け飛んだ。

「姫っ!」

 思わずテマが叫ぶ。だが、培養槽が弾けるまさにその瞬間、シェラガは広がる人の壁を飛び越えていた。

 弾けとんだガラスは、周囲の高機動兵士たちを傷つける。高機動兵士たちですら、至近距離でのガラスの破砕には対応しきれなかった。一部の兵士を除いては。

 細かいガラスの破片が、運悪く高機動兵士たちの頸動脈を傷つけたのだろうか。そこかしこで血柱が吹きあがる。運よく即死を免れても、かつての仲間たちの返り血を身に浴び、男たちは動揺し、悲鳴を上げた。

 血の匂いが充満するとともに、下水溝のヘドロのような、鼻を突く匂いが周囲に充満する。

 空中に躍り出たシェラガは、弾け飛ぶ培養槽の弾丸の様な破片を、結果的に跳躍で躱すことになる。だがそこで、培養槽であった機械の一部から攻撃を受ける。何本ものケーブルがシェラガに向かって放たれたのだ。

 傍目にはそう見えた。

 それがトリカの体から生える繊毛が束になり出来上がった触手であることに、即座に感づいたシェラガは、高速で接近する強固なケーブルを聖剣で切り落とした。だが、細かい触手が集まってできた太い触手は、斬られてもその都度、本体であるトリカに繋がっている触手同士、再度絡まり合い、中空のシェラガを狙って来る。

 シェラガは、抜き放った剣をそのままに、カルミアの保護に向かうが、ガラスの破砕に対応できた二人の高機動兵士がカルミアを小脇に抱え、かつてはトリカであった者から距離をとるまさにその瞬間だったため、その援護に回る。

 カルミアを保護した兵士たちは、シェラガも身覚えのある者たちだった。

 触手はシェラガとゴウト、そしてキマビンを狙っていたが、シェラガがトリカとゴウト達を直線で結んだ位置に入ったため、結果的に全ての触手がシェラガを狙っている形になる。だが、シェラガにしてみれば、その方が戦闘自体は楽になった。

「シェラガ! カルミア姫は確保した! 安心して戦え!」

 角刈りの男など、数いるはずなのに、その角刈りが圧倒的な個性となっている偉丈夫。その体躯からは考えられないほどに速く強い。彼と、もうひとりの色白の少年戦士は、圧倒的な身体能力を誇るはずの高機動兵士たちを蹂躙する何十匹もの『大蛇』の攻撃に追いつかれることなく、一気に爆心地から離脱する。

 シェラガは、何匹かの大蛇を刃で牽制しながら、はっきりと見た。

 爆発的に巨大化する触手の群れは、倒した全ての高機動兵士の左胸を貫いていた。

 その位置は心臓。触手の離れた兵士たちの胸には、血を噴出した後のぽっかりとした穴しか見えない。胸に巨大な穴が穿たれているにも拘わらず、鮮血が迸らないのだ。血を循環させるはずの心臓が触手によって削り取られた、と考えるべきだろうか。惨劇の状況に比べて出血が少ないのは、そのせいか。

「奴の狙いは、人間の心臓だったのか。そういえば、トリカ卿製の指輪を使って消耗した体力は、通常の睡眠や食事では回復できないと言っていた。そこで、心臓を食らおうとしていたという事か」

 そう呟くと同時に、シェラガは恐ろしい事に気づいた。

 この匂い。これは水が腐った臭い。ということは、トリカを包んでいた繊毛は、見立ての通りおそらくカビだったのだろう。だが、そのカビを自分の体の一部とし、攻撃手段として使い始めた。人間に、ほかの生物を瞬時にコントロールし、自らの体の一部とする能力はない。例え、神の能力の焼き直しといっても良い『術』が使えたとしても、古代帝国の遺物の指輪を使いこなせたとしても、だ。

 もはや、トリカは人間ではない……。培養槽内の溶液の問題か、はたまた指輪のせいなのか。

「……ぶはあ……いい気持ちだ」

 大蛇の中心で何かが呟く。だが、その声の大きさはおよそ呟きとは無縁だ。

 大蛇は突然萎縮、減少し、中心の人型の化物の中に吸収されていく。その周りには胸をえぐられた人間が、まるで花びらのように足元を化物の方に向けながら倒れていた。

 人花。

 無数に並ぶ人の死骸が幾何学的に並んだ、この紋様を誰かがそう呼んだとされる。

「シェラガ博士……。孫娘を、そして私を蘇らせる手伝いをしてくれて、どうも有難う」

 もはや老人ではない、トリカ=サイディールだった人物の喉元からは黄色い粘液がドロドロと流れ落ちる。

 シェラガが着地した瞬間、霧散したと思われた生臭い空気がまだ下に溜まっており、シェラガは、埃を払うように横の壁を破壊し、換気を図る。このままこの場所で戦うのは、劣勢を助長する以外の何者でもない。

 視界に、カルミアを抱えるゴウトと、彼らを守るように立つテマとキマビンを確認したシェラガは、改めて聖剣を構え直し、トリカに相対する。

「……どういう意味だ」

「孫娘は、半年前に命を落とした。不治の病だと言われたが、単純に医者のミスだった。

 儂はその医者を許さなかったが、それ以上に己が許せなかった。

 カルミアの死を、儂は受け入れることができず、まだ仄かに暖かさの残るカルミアの体に禁術を使った。いや、禁術であることを知ったのは、カルミアが蘇った後だったが。

 後悔の念は、儂に指輪をカルミアの体内に入れる手術をさせた。四肢の他、心臓、脳の部分に指輪の機構を組み込んだ。まさに消えかけた生命の炎にどんどん薪をくべ、燃料を足したのだ」

 思わず表情を歪ませるシェラガ。孫娘の前で、あえてその話をするのか……。

「儂の推測通り、指輪の機構は残されたカルミアの生命力の破片を吸収、生命エネルギーを体内に送り返し、蘇生が始まった。だが、脳だけはうまくいかなかった。人間の脳というのは計り知れぬ可能性を秘めているのだな……。

 カルミアの体に残されていた死後間もない生命の痕跡が、生命力を返し始めた反面、カルミアは日々やせ細っていった。生命活動は維持できるのだが、何かをカルミアは失っていたのだな。

 禁術を調べた儂は、指輪で失われた体力は、心の臟にのみ存在する酵素を摂取することでしか回復しないとわかった。わしはありとあらゆる方法で心臓を求めた。だが、牛馬の心臓は直ぐに底をつく。酪農をしているものに心臓を譲ってくれという話をしても、容易に断られたからだ。心臓の使用量に対して、生物の数が足りないのだ。

 ほどなくして、死刑囚に求めるようになったが、その欠乏も時間の問題だった。

 儂は、何らかの方法で人を集めるしかなかった……」

「今回の遺跡調査隊は、まさか……」

「リザードマンとやらの襲撃は予想外だったが、結果心臓は予定の倍以上の数集まった。さぞカルミアの腹も満たされたことだろうよ」

 シェラガの眉間に深くシワが刻まれ、顔が紅潮していく。

「……歪んでいるな。その話をカルミアのいるところでする所がな。

 研究のために、人の墓を暴くこともある。そんな俺が人の尊厳についてどうこう言うのは憚られる。

 だが、少なくともその話を当人の前ではしない。

 この話も、当人を目の前にしてそこまで得々たる表情で話す事かよ……」

 にたりと笑うトリカの表情が、徐々に硬直していくのがわかる。だが、その硬直は、ひきつったという感じではなく、白々しい笑みを蓄えたままその表情が崩せなくなる、といった感じだ。そして、その眼から徐々に生気が失われていく。

「カルミアは、心臓を摂取することでその命を繋げた。しかし、意識は戻らなかった。たまに意識を取り戻したように見えても、焦点の合わぬ目で何かを呻き、奇声を発して再度眠りにつく」

 硬直したかと思われた、冷笑を蓄えるトリカの口角が大きく開かれ、彼の発する声が鋭く響く。だが、その口角は形を崩すことなく、人間が生涯余り耳にしない音と共に、只裂けるだけだった。裂けた頬から覗くのは薄ピンク色の肉。体液なのか、血なのか判断に迷う薄赤い粘液が、頬袋の裂傷から滴り落ちた。

「いや、眠りにつくなどという生半可な物ではない! 強制的に何かしらの激烈な苦痛を与えられ、それに耐えきれずに意識を失っているのだ!」

 前屈みのトリカの体が大きくなる錯覚を覚えるシェラガ。思わずトリカの姿を見直す。

 見間違いなどではなかった。その変化は、カルミアを連れて戦線から離脱をしたゴウトとキマビンの目にも明らかだった。

 一度は姿を消したと思われたトリカの何本かの触手が、彼の背後から急激に伸び始め、まるで自身の明確な意思を持つかの如く、シェラガの左胸を狙う。回避措置を全くとらぬ稀代の考古学者の左胸を捕えた筈の触手は、なぜか先端を失い、驚いたようにトリカの背へと逃げかえっていった。

「儂は、遺跡で発見したこの研究施設を調べた結果、この施設が禁じられた技術を研究する場所である事を突き止めた。

 ……試験をしている時間はもはやカルミアにはなかった。先程まで儂が入っていた培養槽に、感情を持たぬ生ける人形となったカルミアを入れ、治療した。この技術が、生物の一部を培養し、全身を甦らせる技術であることはわかっていた」

 トリカの体が大きく弾けるように数周り大きくなる。だが、皮膚はその体躯の膨張についていけず、筋繊維に沿うように裂け始めた。ここからも赤がうっすらと混じる粘液が滴る。

「結果が今のカルミアだ。未だに少々心臓は必要とするが、知能も戻り、脳も活性化した彼女は儂の自信作だ……!」

 トリカの身に付けていた装束が、完全に弾け飛んだ。体の膨張は、全身に及ぶ。トリカの鼓動という物があるとすれば、その鼓動に呼応するように大きく体をゆすりながら膨張する四肢。臀部から突然長い棒状の物がつきだす。それはトリカの膨張した尾骶骨だった。その尾骶骨は極端にその長さを増し、剥き出しの尾骶骨をこれまた剥き出しになった筋繊維がかろうじて繋ぎ止めているだけだったが、その割には生きた蛇のように快活に動き回っている。

「古代帝国の技術を、儂はまた一つ蘇らせたのだ。

 伝承にあった、体の一部を培養することで別の体を作り出し、衰えた本体の部位と、培養した健全な部位を交換し、半永久的な不老不死を成立させたのだ」

「自信作……だと? 自分の孫を……!」

「失われた命を甦らせたのだ! これだけの喜びはあるまい……!」

 高らかに笑うトリカの咆哮は、徐々に狂気を含んでいく。

「儂は今、完全な生命体になっ……!」

 トリカの言葉は、最後呻き声に交じり、耳障りな高音の笑い声と共に消え、体はさらに膨張していく。

 悍ましい物を目の当たりにし、思わず立ち尽くすゴウトの腕から、カルミアが突然離れていく。再度トリカの背から伸びた何本もの触手が、彼女を捕え、引き寄せたのだ。

 一瞬の躊躇の後、カルミアを離さないように抵抗するも、最初の間が、ゴウトの腕に力を籠める直前の隙となり、カルミアを奪い去っていく。

 触手はカルミアを優しく包み、怪物となったトリカの右手に送り届けると、再び背に消える。

 次の瞬間、かつてはラン=サイディール国で栄華を誇った貴族であった怪物は、自身の愛しい孫娘を口腔内に放り込んだ。

元々怪物化させる予定はなかったんです。この後どうしよう……(笑)

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