聖剣と古代帝国
この単元から、過去と現在を併記し始めています。
読んでみて明らかに過去と現在との差がわかるようにはしていますが、その辺はまだ試行錯誤中です。
聖剣の聖剣たるゆえんが徐々に本単元から見えていきます。
強く生暖かい風が、無造作に垂らした前髪とその身に纏うマントを激しく躍らせる。
黎明の空に浮かぶいくつもの雲が、彼の視界の中、足早に右から左へと流れていく。
日の出まではまだ時間がある。
ちらりと右手の空に目をやると、黒く重たい雲が遠くに見えた。
嵐が来る。
だが、彼は遺跡への進行を止めるつもりはなかった。
遺跡を目の当たりにした時の彼は、血を滾らせながらその入り口へと向かうのが常だ。
だが、今日の彼は、大きく落ち窪んだ眼前の盆地で、かつての栄華を極めた文明の爪痕を目の当たりにしてなお、怒りにも似た不快感を払拭できずにいた。
確かにいつも通りの興奮はある。
未知の物に触れ、『知ること』の欲求を満たす感覚。パズルのピースが予期せぬ所で適切に収まり、シナプス間を沢山の電流が飛ぶ。生物としての快楽と違い、頭から全身へと迸る快感は、何物にも替え難い。それを得られる所に向かうこの瞬間、興奮を覚えないはずがない。
だが、最強の旧友は、それを聖剣と古代帝国の呪いだと言った。
「聖剣と古代帝国のことはいつも頭にはあるさ。けれど、それと俺が追い求める物とは別だ。今のこの環境は面倒くさいが、それを呪いとは思わないし、知りたいから調べているに過ぎない」
シェラガはあえて呟いてみた。だが、そうしてみたところで、今度は誰かに言い訳をしているような気分になり、更に滅入ってくる。
彼は両手で頬を叩く。
今日ばかりは不思議と、明け方の薄暗い遺跡の雰囲気が不気味に感じられた。
過去の人たちの営みの証。古の欲望の亡骸。
目の前の廃墟は、見る者の心の持ち様で、陽にも陰にも感じられる。
客観的な事実を捉え、そこから真実を導き出す。考古学者の仕事であり醍醐味であるはずのものが、今回ばかりは大きな負担としてシェラガの心に圧し掛かっていた。
彼が考古学者を目指したきっかけは、幼少期の小さな発見だった。
考古学上は既に明らかになっている事象。いや、常識といってもいいかもしれない。
かつては巨大生物が跋扈し、今は滅んでいるという事実。しかし、少年シェラガ=ノンはその結論に自らたどり着いた。
少年シェラガは、ラン=サイディール国の北西の僻地、ラマ村で生まれた。
標高の高いその地は、立地的には痩せた土壌であるはずだったが、不思議と農作物がよく取れた。それが村の特産品となり、他の村との交易により村を潤していた。村人たちは幼いうちに農作業を手伝うようになり、同時に町までの運搬も行う。そこで、農作物と魚介類や水を交換し村に持ち帰る。持ち帰ったものは、取れた農作物と同様、村人同士で均等に配分し、それぞれの家族が生活をしていた。
シェラガも多分に漏れず、農作物、そして水と魚介類を運搬する仕事に、齢五歳にして従事することになる。
シェラガ少年は、農作物を町に売りに出る以外は畑仕事を手伝っていたが、それ以外の空いている時間は、ある場所に通いつめていた。
その場所とは、ラマ村がある山、アルパ山の山腹にある崖だった。ラマ村から町に降りる際の山道には、途中地層がむき出しの場所が数箇所ある。そこで、彼は彼にとっての大発見をする。それは、運命的な出会いともいえるものだった。
絵の描かれたいくつもの石。
当初、その絵は誰かが描いたものだと思っていた。古代の人間か、あるいはつい最近の人間か。二枚貝の描かれた握り拳大の石。不思議な三角形の描かれた頭よりも少し大きい石。
しかし、あるときふと気づく。何気なく石を割った際、絵は石の中にまで入り込んでいる。石を割ることでしか見ることのできない立体の絵などあるわけがない。
これは、絵ではない何かだ!
注意して周囲をみてみると、崖のところどころに不思議な模様の描かれた石が埋め込まれている。
これは、人間が書いたものではないと直感的に思った。だが、村人は彼の問いに対し、誰も彼を満足させる答えを出せなかった。
彼は想像を巡らせ、興奮しながら石を眺めることが日課となった。
ある時、彼は町で野菜を売りがてら、とある紳士と話をする。
きっかけはその紳士が持っている鞄を地面に落としたことだった。その鞄から出た何冊かの本が少年シェラガの前にたまたま開いた状態で落ちたからなのだが、拾い上げ、渡そうとしたシェラガの目は紙面に釘付けになった。
そこには、崖で見慣れた石に描かれた貝の絵が載っていた。
化石に興味を持った少年の眼差しに気づいた紳士は、彼の研究所に少年を招き、いろいろなサンプルと共に、現在明らかにされていること、研究中の中身などを話した。少年シェラガの目の輝きはさらに増し、それ以降、崖で見つけた化石を持っては紳士の元に頻繁に訪れるようになった。
十五歳の時、彼は村を出、デイエンに移り住んだ。彼は当時大学の教授となっていたその紳士を師と仰ぎ、彼も大学に進学した。貧乏学生ではあったので、彼は町で様々な仕事をしながら学業に打ち込んだ。
大学を卒業し、彼はそのまま大学の研究室に、紳士の研究を手伝う形で残った。
紳士の専攻は古代帝国の歴史であり、シェラガはその研究に携わる者として、遺跡の調査に同行し、文献を集めた。
デイエンに出て十数年で、彼は大学の助教授になり、いくつかの講義も行うようになっていた。当時、ラマ村では、村から大学の助教授が輩出されたとして、ちやほやされたものだったが、彼自身は意に介さず、研究を続けた。
紳士の指導下から独立し、自分の研究を始めた彼は、古代帝国のいくつもの遺跡と呼ばれる場所に調査に訪れることになる。
その結果、カタラット国にある民間伝承『蜃気楼の針』を発見、古代帝国がその卓越した科学力によって大陸の一部を宙に浮かせていた伝承を実証し、更に文献にある『人民支配の為に大陸を浮かせた』のではなく、人口爆発により生活の場を失った人々の居住地を確保する目的で、当初は大陸浮遊の技術を確立させたことも突き止めた。
その過程で彼はデイエン大学の教授になった。その頃の遺跡調査で不思議な剣を発見する。
ラマ村の程なく近い遺跡内の祭壇らしき所に奉られていたその剣は、周囲の神殿と思しき建造物の痛み具合に比べて恐ろしく保存状態がよく、ともすると異時代の代物がたまたまその場に存在したかの様な錯覚さえ覚えたほどだった。そして、シェラガが簡単に鞘から抜くことのできたその剣は、同行していたほかのスタッフの誰も抜くことができず、抜刀したものを渡されたスタッフはまるで精気を吸い取られたようになり、とてもではないが剣を振るうことができなかった。
剣が得も云われぬ不可思議な力を持つことを確信したのは、剣を入手した翌朝のことだった。遺跡からの出土品と一緒に保管していたはずのその剣が、朝目覚めたシェラガの枕元にあったからだ。最初の一日目は寝ぼけてすぐ隣のテントの保管場所から剣を持ち出したのかと思っていたが、同じ現象が何日も続くと、流石にシェラガも気味悪くなり、ある晩寝ずに見張ることにした。見張り始めたその晩、深夜零時ちょうどに、剣がうっすらと光を帯びた状態で枕元に出現した。翌日は、枕元に剣を置いた状態で零時にテントの外に移動したところ、テントの外にいるシェラガのすぐ足元に出現した。テントの中が一瞬光に溢れたかと思うと、光の筋がシェラガの足元に突き刺さり、その場所に一振りの剣が出現したのだ。
剣に何か不思議な力が宿っていると推測したときから、彼は剣にまつわる話を周囲にすることをやめていた。それゆえ、剣が不思議な動きを見せていることはスタッフも誰も知らぬまま、そのときの調査は終了、彼はそれを研究室に持ち帰ることに成功した。
剣の不思議な力は、古代帝国の圧倒的な科学力の一部であると推測したシェラガは、それから古代帝国の剣との因果関係の調査を始めた。
そんなある日の事、彼の元を訪れた一人の兵士がいた。
兵士はその剣を聖剣と呼び、シェラガの持つ剣とはまた違う形状の剣を示しながら、剣についての話をした。その兵士こそ、現近衛隊隊長にして中将であるレベセス=アーグその人である。
「聖剣が目覚めるとき、世に動乱が起きる。それを収めるのが聖剣を持つ者、聖勇者の定めだ」
それに対するシェラガの答えは、
「なんで?」
であった。シェラガの言い分からすれば、剣を拾っただけでなぜ世界を救う戦いに身を置かねばならないのか、ということなのだが、兵士でもなければ傭兵でもない彼に、世界に影響を及ぼす戦闘に参加せよというのは唐突な話ではある。当時強大な軍事国家であったラン=サイディールに生まれた以上、多かれ少なかれ何かしら軍に絡んだ仕事をすることになるだろうとは思っていたシェラガであったが、まさかこういう形で戦いに巻き込まれるとは思いもしなかった。
元来争いごとが嫌いなシェラガは、そもそも戦いに身を置くことを嫌がった。
だが、レベセスと名乗った男は、剣は自分が教える、自分を除いて後二人いるはずの聖勇者と力を合わせて世界を救うのだ、とだけ告げ、その時はその場を去った。
その言葉の後も、シェラガは普通に遺跡の調査を続けていた。特段目立った動乱もなく、聖剣を持っていると思しき人間の出現もなかったからだが、元来無頓着であった彼はそんな事を言われていたことすら完全に忘れ去っていた。剣は相変わらず、研究室の倉庫にしまっても翌朝にはベッドの横にあることは続いていたが、もはや彼はそれに驚くこともなく、むしろ外出の際には持ち歩くようになっていた。彼の身から離すことによって生じる聖剣の不思議な力が、彼のいないところで発せられた際にはいろいろ面倒なことになるかもしれない、という予想があったからこそ、シェラガは自ら帯剣の選択をしたのだが、それすらも忘れ、日々服を着るのと同じ感覚で聖剣を身に付けていたのだった。
だが、それから数ヶ月も経たないうちに、聖剣の力の片鱗を垣間見ることになる。
デイエンにあるシェラガの大学の近所でも、町並みの整備が始まった。森を切り倒し、山を削り、大地を均して、巨大な首都を建造すべく様々な工事が行われた。新しい遺跡が発見されたのはそんな最中だった。
新しく発見された古代帝国の遺跡は、これまでより相当に規模が大きく、地表に残された物の他、相当に広い空間が地下に在ることが判明した。そのため、大掛かりな調査団を大学側は組織し、遺跡に進入する事になったが、彼はそこで地底に蠢く数多くの古代の生物を目撃することになる。
大掛かりな調査団とはいえ、あくまで学者の集団。彼も特別な訓練を受けたわけではない。暗がりを急襲する翼竜に何人もの学者が命奪われ、得る物は殆どなく、ほんの十数名が命からがら逃げ帰ったに留まった。軍を率いての大掛かりな調査を訴えた学者もいたが、現在のラン=サイディールではそれも難しく、止む無く遺跡の調査は中止となった。
だが、納得いかないのはシェラガだ。何人かの学者の命を救うために奮闘、彼は頬に大きな切り傷を作りながら翼竜たちを退けた。だが、人的にも大きな被害を出した今回の調査の失敗を国は許さなかった。調査団の長であった彼は大学の教授の座を追われた。しかし、失意の中でも彼は考古学に対する思いを捨てきれず、雇われ遺跡ガイドになった。そこで金を貯め、もう一度調査団を組織し、彼を一度は退けた遺跡への再挑戦を目指した。
だが、この当時のラン=サイディールはデイエンに遷都する直前であり、治安的には非常に悪かった。大の男であれ、人一人が個人で遺跡近辺をうろうろしていれば、山賊や追いはぎに目を付けられるのは当たり前だった。彼は身包み剥がされ、何度も荒野に打ち捨てられたが、その都度聖剣だけは彼の元に戻った。
「俺みたいな戦闘のいろはも知らないやつに、何でお前さんはそんなに付きまとうのだ?」
赤く顔面を腫れ上がらせたまま、苦笑と共に、一本の剣に対して人のように話しかける彼の様子を、後世の人は笑うかもしれない。だが、その時彼は聖剣との一体感を感じていた。この上ないパートナーとは違うかもしれないが、欠かすことのできない存在。剣を杖代わりにして立ち上がった時、彼の中で剣に対する思いが変わったことを、彼は気づいただろうか。
彼は一度ガイドを廃業し、町へ戻り、独学で剣術の勉強を始めた。
いまさら村へは帰れない。学者がだめで、ガイドもただのガイドがだめなら、ボディーガードも兼ねたガイドとして、遺跡に関わっていこう。そのためには、この無秩序の地で生き延びるための力を付けなければならない。翼竜を退けたとき、不思議な力で戦った記憶がかすかにある。それが剣の力なのかはわからないが、あの時の感覚を身に付けたなら、近隣の追いはぎや山賊にも負けはしない。そうなれば、遺跡の調査もできるようになるはずだ。
数ヵ月後、再び遺跡の地に戻った彼に逆らう者たちは存在しなかった。
テキイセの町の中に、ガイド事務所を開設したのは、彼が遺跡に戻って更に数ヶ月たった夏のある日のことだった。
テキイセは遷都の話が具体的に進み、政府が候補地をデイエンと掲げ、そこへの移住者を募り始めていた。貴族と呼ばれる無職集団の反応は様々で、現状に見切りを付けたい者は進んで移住を申し出た。早いうちの申し出であるので、高待遇が期待できたからかもしれない。その反面、政府に対して反発を持つ貴族たちは、断固として移住に応じず、また政府の遷都にも応じていなかった。貴族たちの中でも過激な思想を持つ者達は、クーデターを画策しさえしていた。もっとも、そのクーデターの中身も、単にベニーバグループに従わぬ人間が言葉を合わせているに過ぎず、クーデター後の具体的な展望などない、お粗末極まりないものであったが。
ガイド事務所を開設はしたものの、これだけ国が荒れていると、平和に遺跡を探検しようとする物好きなどいないのも道理だ。連日、シェラガの事務所に来客はなかった。
ガイドとして働こうとするシェラガに対し、既に山賊も手を出すことはなく、いい意味でも悪い意味でも平和な日々が過ぎていく。
そんなシェラガの元をレベセスが訪れたのは、夏も半ばを過ぎた頃だった。
レベセスが事務所内に入ってきたとき、事務所の中は無人だった。事務所で待つこと数十分、少し額に汗を浮かべたシェラガが食料を手に戻ってきた時、以前出会った時の彼とはまったく別人ではないかと思うほどの変わり様にレベセスは驚いた。
半年ほどの間で、こうも人は変われるものかと唸った。レベセスから見て、シェラガの肉体は重くないしなやかな筋肉を持つ良い体に仕上がっていた。
「あれ、どこかで遭いましたっけ?」
当のシェラガはレベセスのことはまったく覚えていないらしく、一向に遺跡探索の話をしない上流階級の剣士然としているこの男が客ではないかもしれないという疑問をちらりと持ったに過ぎなかった。
レベセスは腰の剣を抜いて見せようと、剣に手をやろうとした次の瞬間、レベセスののど元に剣の切っ先が突きつけられた。地面に買ってきた食材が散らばる。
「悪いけど、俺はあんたに狙われる覚えはないよ」
レベセスは、シェラガの切っ先の動きが威嚇であるため、斬ってはこないことがわかっていた。それゆえ防御行動は起こさなかった。だが、その抜刀の早さには驚きを隠さなかった。シェラガの切っ先がレベセスの喉元に到達してからしばらくして食材が床に落ちる音がした。一瞬の出来事ではあるが、これは天賦の才なしにはありえないほどの剣速だ。
「お前は確か、剣術は未経験だったはずだよな? この半年でこれほどになっているとは」
「戦う気はなさそうだな。剣を向けてすまない」
シェラガはまた一瞬の滑らかな動きで剣を鞘に戻した。
「シェラガ、だったな。手合わせを願いたいがどうだ?」
レベセスの誘いに、シェラガは目もくれなかった。
「悪いが、俺は戦士じゃない。腕試しならよそを当たってくれないか」
そういい終わらぬがうちに、激しい金属音が周囲に響く。
「悪い冗談だぜ。本気でやったら俺があんたに勝てるわけがないだろう。俺は考古学者だ。兵士じゃない。戦闘訓練はやってないよ」
レベセスの抜刀とシェラガの抜刀の、各々の速度はほとんど変わらなかった。お互いに鞘から剣を抜き放ち、構える前にお互いの刃同士が互いを押さえ込むという、双方の切っ先が斜め下を向いている状態での奇怪な鍔迫り合いの形となっていた。
「すまなかった。しかし、すごい人材だな」
レベセスはこれ以上の戦闘継続の意志がないことを体で表現した。それと同時に殺気を収め、剣を鞘に戻す。
「あ、思い出した。一年位前、まだ大学にいた頃に訪れた戦士の人だ!」
「やっと思い出したか。しかも、人の顔ではなく、剣の形を見て思い出すとは失礼な男だな」
今まで心中を全く窺わせなかったシェラガが本気で『しまった』という表情をしたのを目の当たりにして、思わずレベセスは大笑いをしてしまった。その後、剣は独学であることを聞き、特殊な斬撃であったことに合点するレベセス。我流剣術は、よほどの身体能力がない限り、初見の相手には効果があるが、複数回対峙すると大抵弱点が看破され、敗れる傾向にあることを経験上知っていた彼は、シェラガに剣術を改めてきちんと学ぶことを勧めた。
「いいよ、俺は。自分の身とお客さんの安全が図れれば」
「そういうと思ったよ。だがな、お前の性格上、多分退けた相手にとどめは刺さんだろう? お前に負けた人間が、命を救われたことをお前に感謝する人間だとは、俺には到底思えないのだよな。そうなった時、お前は結果的に憎しみをお前に向けた相手と何度も対戦することになる。……わかるよな?」
シェラガは一度苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた後、ふっと息を吐き出した。
「わかったよ。で、俺は何をすればいい?」
「難しいことは言わないよ。三日に一回くらいテキイセの城の詰所に俺を訪ねてきてくれ。俺も基本的には外出はないから、そこで剣術と聖剣の使い方を教えるよ」
「聖剣の使い方?」
レベセスは、無言でついて来いと促すと、彼をテキイセの外れの広場に連れて行く。
そこは周囲を林に囲まれ、人目に触れそうもない場所だった。真夏の太陽光線が二人の男の肌をちりちりと焼き、周囲では蝉が喧しく吠え立てる。歩くのには負担にならない程度の下草しか生えていないが、それでも草原独特の沸き立つような青臭さが二人の鼻を突く。何気なく仰いだ空は青かったが、山脈の向こうには白い雲が沸き立っている。あの雲の下は嵐に違いない、確か山脈の向こうは海だったはずだ、となんとなくシェラガは思った。
レベセスは腰から聖剣をゆっくりと抜く。夏の太陽光線を受け、獲物を狙う野獣のようなぎらぎらした光が刀身に瞬く。だが、その光が太陽光のものではないのは、すぐにわかった。刀身から発せられた光が、レベセスを縁取るように広がっていったのだ。そして、その光の膜からは、湯気のようなものが立ち上がる。
「これが、聖剣を開放した状態だ。俺の体から光の湯気のようなものが立ち上がっているだろう? この状態が聖剣の第二段階」
そういうと、レベセスは後方に一気に跳躍する。
もう、人間のそれではなかった。一気に二十メートル以上後方に飛んだのだ。そのまま、剣舞を披露するレベセス。だが、それももはや人間の所作ではない。剣の動きを捕らえていたのは最初の数秒だった。どんどん速さを増していくレベセスの動きに、シェラガは唖然とする。最後の方は、踊り狂う光の玉にしか見えなかった。だが、ある一瞬、弾がはじけた次の瞬間、周囲は静寂に包まれ、レベセスは姿を消していた。
蝉が徐々に鳴き始めたことで、シェラガは我に返る。先ほどまで狂ったように啼き続けていた蝉たちが、レベセスが聖剣を抜き、力を引き出し始めた瞬間にぴたりと鳴き止んでいたのだ。
そんな中、シェラガはまだ一人動けず、先ほどまで光の玉が踊り狂っていた場所を凝視していた。あまりの出来事に、開いた口が塞がっていないことにも彼は気づいていない。
「驚いたろう? これが、聖剣の力を引き出した者の力だ」
シェラガが飛び退くように後ろを振り返ると、いつの間にか、レベセスはシェラガの後ろに立っていた。常軌を逸するあれだけの動きをしていながら、レベセスは息一つ乱れていないのと、先ほどまでびっしょり掻いていた汗がいつの間にか無くなり、シェラガの後ろに立ってからはじめて掻き始めたような珠の汗が額に浮かび始めているだけだったのが、シェラガの目には異様に映る。
「……なんなんだ、その剣は。それとも、あんたの力なのか?」
レベセスはにやりと笑い、意味深に呟く。
「これは、俺の力であり、剣の力だ。だが、お前もこの力は引き出せるようになるだろうし、引き出せないと困る」
レベセスから剣を受け取ったシェラガは、それを太陽に透かしてみたり、手に持って振ってみたり、いろいろと試してみたが、装飾が小奇麗であることと、シェラガの持つ剣に比べて刀身が細いという特徴しか見ることができなかった。
これだけの力が発揮できれば、遺跡内での不慮の出来事にも対応できるはずだし、彼を大学から追いやる原因となった翼竜の襲撃をも退けることは可能だろう。次に調査団を組織した時には、調査団のメンバーを守ることもできるだろう。思わず剣を握る手に力が篭る。だが、そんなシェラガの心中を見透かしたかのように、レベセスは釘を刺す。
「断っておくが、聖剣は私利私欲のためには発動しないぞ。聖剣が聖剣といわれる所以だ。これが、所有者の目的の如何を問わずその能力を発揮するようならば、その剣は聖剣ではなく、魔剣と呼ばれるだろうな」
その言葉を聞いたシェラガの落胆ぶりは、当の発言者であるレベセスが罪悪感に刈られるほどのものだった。無論、レベセスはシェラガが私利私欲で剣を振るうとは思っていない。だが、彼の遺跡に対する思い入れはわかっている。その彼が、聖剣の力を使って遺跡の調査をしようと考えるのは至極自然のことだといえる。それを考えての軽い牽制のつもりであったが、その効果が予想以上であったがゆえ、レベセスは苦笑せざるを得なかった。
実際、シェラガの噂というのは、レベセスの耳に届いていた。齢二十歳にしてデイエン大学の助教授となり、古代帝国の研究の第一人者の弟子。何件もの業績を上げ、今までカタラット国の伝承でしかなかった遺跡の存在を確認した。浮遊大陸の存在の証明と、その意義にまで言及した考古学者は古今例がない。だが、そんな高名な考古学者でありながら、その実像は、限りなく少年に近い無垢な青年だった。
それがレベセスにとってこの上なく意外性を持った喜びとして感じられた。
落ち込みを隠すようにすっと立ち上がるシェラガ。腰から剣を抜き放つ。
「レベセス、だったな。コツを教えてくれ」
先ほどのレベセスの動きを自分が再現できるかを試してみたいシェラガは早速先ほどレベセスがしたように、剣を天に掲げてみた。だが、当然何も起きない。
「コツ、か。そう簡単なものでもないのだがな。まずは、『氣』の概念から教えよう。
俺たち動物をはじめ、植物も全て生命エネルギーを持っている。それを『氣』と呼んでいるのだが、聖剣はこの氣を、所有者から吸い取り、剣の中で増幅しているのだろう。そして所有者にそれを送り返してくる。それを繰り返したら?」
「……生命エネルギーが増える?」
「そうだ。生命エネルギーが増加すれば、怪我をしていれば怪我の治りは早くなり、あらゆる身体能力が高まる。視力も聴力も筋力も瞬発力も。全てだ」
手にした聖剣を見つめるシェラガ。
「力を吸わせる?」
「なに、難しいことじゃない。手に持った聖剣に意識を集中してみろ」
シェラガは握った掌に力を込め、右手に神経を集中する。次の瞬間、シェラガは全身のエネルギーを一気に吸い取られたようなショックを受け、思わず跪いてしまった。だが、次の瞬間、聖剣から体内にすさまじいエネルギーが流れ込んでくるのが感じられた。全身の毛が逆立ち、毛穴が広がる。体が激しく熱を持ち、全身に力が漲る。一振りで森の巨木を全て切り倒せそうなほどの圧倒的な力が体に宿ったのを感じた。
「そのまま一振りしてみろ。感覚がつかめるはずだ」
シェラガはそのまま大きく跳躍すると、彼が我流で学んだ剣の型を高速で演じてみた。
すると、不思議な現象が起きた。自分の周囲の動きが急激に遅くなり始めたのだ。先ほどまでざわめいていた森がゆっくりと波打っているように見え、飛び立つ鳥がとてもゆっくりと羽ばたいているように見えた。跳躍した飛距離もさることながら、落下を始めた際も落下速度が非常に遅く感じられた。
地面に降り立ってから、剣に対する集中を解くと、急に時間の流れが速くなり始めた。
「一回の説明で聖剣の力を引き出せるようになるとは、さすがだな」
だが、シェラガは聖剣を発動させた際の周囲の時間の流れが遅くなった感覚が妙に気持ち悪くて、思わずレベセスに問い詰める。
「何だ、今の感覚は。時間が一瞬止まったように感じたぞ」
「時間が遅くなったのではない。お前の感覚が研ぎ澄まされ、視覚からの情報の処理能力が上がり、更に、おまえ自身の動きの早さも格段に向上しているため、単純に周囲の動きが全てにおいて遅く感じられるのだろうな。これは正直人それぞれ感じ方が違うようだぞ。俺は周囲の時間が遅くなるというより、自分の動きがとてつもなく早くなったように感じる」
剣を腰に戻したレベセスは続ける。
「文献によると、今お前が再現したのが聖剣発動の第一段階。俺は第二段階。その上もあるようだ」
レベセスの説明の直後、新しい聖剣の剣士は、空腹の野犬が肉片を見せびらかされた瞬間のように、本能により近い所の欲望の光を目に宿した。だが、その対象は万人が興味を持ちそうな聖剣の発動の型に対してではなく、『聖剣』という名の、古代帝国と深く関係のありそうな兵器について多く記されているであろう文献の所在に対してだった。
そんなシェラガを見て、彼は思わず仰け反り、その後苦笑した。
この少年のような青年は、聖剣の圧倒的な力を目の当たりにしてなお、支配や権力やその他ありとあらゆる力の探求よりも、自分の知的好奇心の充足を選ぶというのか。
彼は詰め所に同行したシェラガに、聖剣と古代帝国の文献を貸したのだった。