指輪の秘密2
ちょっと短めです。
次の章ががらりとシーンが変わるので、『指輪の秘密1』と分けたことを少し失敗してしまったかな、とも思っていますが……。
というわけで、後ほど少し編集をするかもしれません。ごめんなさい。
目の前の光景に、シェラガは思わず息を飲んだ。隣に立ち尽くすテマも、茫然自失の体だ。表情を変えないカルミアは、目の前に広がる光景を一度見たことがあるのだろうか。
遺跡を進んだ三人の前に突如として出現した、ぽっかりと口を開けた洞窟は、成人男性の足ですら止めるに十分な不気味さを醸しだしていた。だが、カルミアは何の躊躇もなく洞窟の中に入っていく。
外観の瓦礫の山は、何某かの巨大な建造物が完全に崩落してできた物だったが、洞窟の中はせいぜい少し大きめのかまくら程度の空間しかない。なぜこんなところに入るのだろう、という訝しげな表情を見せるテマだったが、シェラガは直ぐに、洞窟内のカルミアの向かうポイントの違和感を発見する。
地面を覆う瓦礫の粉末がそれを隠していたが、そこにあるのはマンホール大の円状の鉄板を流用したかのような扉。カルミアはその端にある取手の部分を引き上げ、回しながら引き上げる。少女の筋力では到底上がりそうにないように見えたが、意外な程にすんなりと持ち上がる。
円盤状の鉄の扉を引き開けた先に続く闇へは、これまた鉄製であろう梯子が続いていく。≪操光≫を用いて中の様子を確認しようとするシェラガだったが、カルミアの言葉に思わず口を噤む。
「梯子の部分は暗いのですが、降り立った先には明かりがあります。扉でその明かりが漏れるのを防いでいるので、一見すると地下は漆黒の闇のように感じられるかもしれません」
そういうと、カルミアは自ら先頭に立ち、梯子を伝って下降を始めた。
梯子はそれほど長いものではなかったはずだ。だが、慎重に降下し始めるにつれて彼らの緊張の度合いはピークに達しようとしていたのか。高々数十段の梯子を降りきった時には、カルミアを除く二人は荒れる呼吸を整えるために気を遣わねばならなかった。
カルミアは、息を整える二人の男を待つでもなく、正面にある重そうな観音開きの扉に近づく。だが、この扉に取手はない。どのように開けるのか、どちらの方向に開くのか、とカルミアの動向を注視する二人の考古学者は、次の瞬間、思わず歓声を上げた。
カルミアが右手の平を押し当てた瞬間、扉側がカルミアの手の輪郭をなぞるように青白い光を発し、その光は、放射状に放たれた稲光のように何百という数の光が屈折しながら扉の淵に向かって広がっていく。その光が扉の淵に届いた瞬間、今度は扉の淵が輝きだし、扉が消えた。次の瞬間、柔らかな風と共に青白い光が噴出してくる。
「消えた……のか?」
思わず呟き、扉があった所を検めようとするシェラガだったが、数瞬という短い時間での検分で何かがわかるとは、当のシェラガも思っていなかった。
進行方向を見据えていたカルミアは、振り返ると、いきましょう、とだけ言い、ゆっくりと歩みを進めていく。
なぜか歩幅の大きい大人のほうが小走りに少女を追いかけるという、なんとも不思議な構図だった。
青白い光の眩さに思わず目を伏せるシェラガとテマだったが、目が慣れて顔を上げた瞬間、先ほどまでとは比較にならない、興奮の坩堝に飛び込むことになる。
そこは、広大な空間。
全体的に青白い光に包まれたその空間の光源はわからない。だが、ひとつわかるのは、何かの実験施設であるということだった。
透明なガラスの様な物質でできた円柱形の、一抱えはありそうな槽が何百、何千という単位で並んでいる。その中は薄緑色の液体で満たされ、一つに一匹、何かの動物の胎児が浮かんでいた。その姿は、全ての臓器が極限まで退化した両生類のようにも見える。
胎児たちは何かの器具で固定されているわけではなかったが、槽の下部から細かい泡が均等な間で沸々と上っていき、ちょうどその中心にふわりと浮いているような印象。その泡が胎児を優しく撫でる度に、胎児はむず痒そうに体を動かしたり、泳ごうとしたり、固有の動きを見せている。
中に保管されている動物の胎児を検分したシェラガは驚愕する。
中の胎児は、すべて現在は絶滅した、過去の生物ばかりだったからだ。
かつてこの世界に存在した、大型爬虫類の胎児。大型両生類の胎児、そして、かつては大海原を泳ぎ回っていた甲殻魚や、生物発祥の段階では無限の可能性を持っていた異形の生物たち。それらが、卵の中の安寧を味わい、母体内の平和な宇宙を全身で感じ取っていた。
「……驚いた。これも古代帝国の技術の一つということか」
無言で胎児の姿に見入っていたテマも、溜息とともに言葉を吐き出す。
ぴくりと槽の中の胎児が動く。胎児の中にも相当に高い知能がある者もいるようだ。
見えているかどうかはわからない虚ろな眼差しは、突然の来訪者に対して、ほんの少し警戒の念を伝えているようだった。
母体にいても、母体が不安を覚えれば胎児も不安を覚える。周囲の胎児群が一匹でも不安を覚えれば、それが全体に伝播しても無理もないだろう。見えているかどうかわからない、黒目に薄く膜が掛かったような双眸は、シェラガとテマを認識していたのだろうか。
カルミアは再度歩み始める。恐らく、カルミアが歩き始めなければ、何時間でも、何日でもテマもシェラガもこの場所で胎児たちの観察を続けていただろう。
ゆっくりと歩みを進めながら槽を覗いていく考古学者たち。ずっと連なる胎児入りの槽。だが、その中身は徐々に変化していた。
思わず歩みを止めるシェラガ。その視線の先には、ひとつの槽が。その槽で泳ぐ胎児は、今までの物とは明らかに異なっていた。
その胎児は、明らかに改造されていた。体に機械がついているわけではない。だが、同種の他の退治に比べ、明らかにサイズが違う箇所があった。
それは頭。脳を納めるべき頭蓋骨が、明らかに他種に比べて大きいのだ。脳の大きい種族は、シェラガの気づいた個体に留まらなかった。シェラガが気づいたのは、これからリザードマンへと成長していく個体。それは、その胎児の持つうっすらと全身に生え揃う鱗が、かつて生死をかけて戦ったリザードマンのそれにそっくりだったからだ。
しかし、リザードマンへと成長していく胎児以外にも、頭部が特に巨大な者が多数いた。その種の胎児は、魚以外の全ての種に存在する様だった。
「頭脳を大きくすることで、生物の知能を上げようと図ったか。だが、生物の知能は、頭脳の物理的な大きさだけではない。その種の持つ様々な先祖の記憶もその知能に刻まれている。進化の過程を経ない生物に巨大な頭脳を与えた所で何になる!」
テマは若干怒っているようだった。古代帝国人は叡智の存在とどこかで思っていたが、彼らも欲望に任せて様々な実験を行ったという事だ。
「しかし、古代帝国は、何を焦っていたんだろうか」
シェラガの言葉に、テマの怒りは急速に萎えていく。
焦り、だと?
古代帝国の遺跡より出土する様々な道具は、それ単体ではこれ以上の改良が望めないほどに完成されたものだった。
道具だけではない。技も、術も、全てに近い物が研鑽され尽くされていた。文字通り、至高の物だと言っても差し支えないだろう。
かつてこの世を納めた古代帝国以外の文明では、術や技、道具のどれが一つは過剰なまでに研鑽され尽くされたが、他がどこか欠落していたために滅んだ。しかし、古代帝国は術や技、道具、政治の体制など、国家が国家として成立するための様々な要素が例外なく研鑽し尽くされていた。少なくとも、人間が知る限りの技術という点では。
だが、それでも古代帝国の民は常に何かを磨いていた。しかも、それは平和な世の中で磨くべき技術ではなかった。
一体何のために?
そして、滅びた。
なぜ?
「……進むしかあるまい。幼き案内人に着いて、な」
シェラガは頷き、小走りにカルミアとテマを追った。
シェラガ達は先を急いだために、見落としてしまっていた。数多く並ぶ槽の中には、胎児以外の物も収められていた。それは、毛髪であったり、鱗であったり、という体の一部。
そして、そこから生物は生え始めていた。
培養槽のあるフロアの突き当たりに扉があり、この扉を押し開けると、薄暗い長い廊下が伸びる。ここからはまた視界が効かない。シェラガは、また強力な≪索≫を走らせるが、背後の培養槽に入っている生物の気配をすべて拾ってしまい、思わず≪索≫を引っ込めた。シェラガの≪索≫は、気配だけでなく、培養槽の中の生物の心まで拾ってしまったのだ。
殺して……。
助けて……。
自由になりたい……。
外に出てみたい……。
姉さん、おかえりなさい……。
彼らは様々な念を持っていたが、皆共通して持っていた念があった。
それは、『カルミアを助けて欲しい』という言葉だった。
この言葉だけは、背後から大合唱のように聞こえたため、思わずシェラガは≪索≫で拾ってしまった声ではなく、直接聴覚に響いてきた声と錯覚し、背後に大量の人間がいるのではないかと振り返って確認してしまった。
「……いるわけない……よな」
不思議そうな表情を浮かべ、シェラガを見つめるテマ。だが、その一連の出来事にも、カルミアは歩みを止めることなく進んでいく。ただ、彼女の目からは涙が溢れていた。




