指輪の秘密1
一ヶ月に一部アップのペース、守れていません。
自分に課したルールでしかないのですが。
狂ったように吠え猛る、かつては老人であった怪物。
その怪物の右手には、かの化け物が愛した孫娘が。
少女は恐怖の余り、愛してやまなかった祖父の面影がほんの少し残る怪物の顔から視線を外すことが出来なかった。
人であった名残はある。だが、それは、目と鼻と口の数と、その配置のバランスだけ。それ以外のものは、おおよそ人間の物だとは思えなかった。
その異形の怪物の口には、ナイフ然とした歯が並ぶ。白く健康的な歯とは程遠い、黄色い汚らしい歯が、怪物の年齢を物語る。だが、年齢を経てなお、圧倒的な力は『衰えて』いないようだった。瞳孔のない白濁した目からは、感情は読み取ることが出来ない。まるで死んだ魚のような目、という表現が適切だろうか。
皮膚は破れ、ところどころ穴が開いているが、その隙間から覗く剥き出しの筋繊維が、さらに膨張をしていく。人体模型のような外見ではあるが、各筋肉の肥大具合は、常人の物とは明らかに食い違う。特に、人間と異なる体のバランスは、身長に対しての長い腕だった。あの腕から繰り出される攻撃は、常人なら一撃でバラバラにされるだろう。また、退化したはずの尾骨が巨大化し、むき出しの骨に、一部筋肉がへばりついているという、何とも醜い尾が元気に動き回る、不思議な状態だった。
あまりの体躯の変形に体そのものが耐え切れず、容姿が大きな変化を見せる度に、鮮血と黄色い謎の液体とが飛び散り、耳を覆いたくなるような硬い物が砕ける音と、水分を多量に含んだ柔らかい物が弾ける音が同時に耳に飛び込んでくる。それはもはや視覚・聴覚的拷問といっても過言ではなかった。
急激な肉体の破壊は、恐らく化物本体にも激しいダメージと苦痛とを与えているはずだ。だが、かつての老人であった禍々しい存在から漏れるのは、苦痛に耐える呻き声かと思いきや、狂気を孕んだ含み笑い声だった。
かつて栄華を極めた帝国の残骸は、周囲を灰色に染め上げる。だが、その後に出現した、古代帝国の術を用いて生まれた怪物は、その残骸をさらに赤く塗り潰すつもりでいるのだろうか。
大きな変化を見せる老人の体の中で、唯一微動すらしなかったのは、少女を握る右手だった。だが、その右手も大きく振られた次の瞬間、化け物の体から離れる。だが、その行き先は、怪物の醜く開けられた口蓋だった。
怪物の手から離れた少女の発した悲鳴は、怪物の喉を通り、内部へと消えて行った。
ラマへの訪問を終えた最強の考古学者は、親友の待つ古都へと戻る。
何故か、その道中は往路に比べ、格段に容易だった。
スピードを若干落としたこともある。往路が全力疾走だとするなら、復路は六割程度の力だ。小まめに休憩も挟んだ。だが、実は復路に要した時間は、往路の半分だったと言ったら驚くだろうか。
復路が下りだからではない。明らかに道中の移動速度が上がっているのだ。だが、そんなことをシェラガは意識などしない。ただただ、テマを預けたレベセスの待つテキイセへと急いだだけだった。
当初の計画では、テキイセでテマと合流した後は、そのままトリカの屋敷へと向かうことになっていた。そのまま、トリカの屋敷を守護する高機動兵士を退け、直接遺跡に進入するのか、はたまた再度トリカへの謁見を申し出、そこでトリカ領の遺跡の単独調査の許可を申請するのか。それとも、好々爺のトリカに、遺跡調査隊の再招集を掛けさせ、そこに所属するか。
選択肢は意外に豊富だ。
だが、シェラガの中では、方向性は決まっていた。聖剣の力を第三者に見られる恐怖が、遺跡調査隊の再招集により施される様々なメリットを上回っていたからだ。ただ、所詮は普通の考古学者ならば得られるメリット。聖剣の勇者足るシェラガにして見れば、アドバンテージなど皆無に等しい。
果たして、レベセスは首を長くして待っていた。
特段何かをすることはなかったし、何かがあったわけでもないが、気疲れのせいか一睡もできなかった、と稀代の名将は嘆息した。無論、テマの耳には届かないようにとの配慮は忘れない。
だが、テマはそんなレベセスに、出立の時に礼を言う。
「貴重な時間、快適な時間を奪って申し訳なかった」
まさか、隠密での入国とはいえ、友好国先代皇帝に頭を下げられるとは思ってもみなかったレベセスは、いよいよ度肝を抜かれた。だが同時に、自国の貴族がここまで腰が低く謙虚な人間ばかりだったなら、現在のラン=サイディールの疲弊はなかったはず、と思わずにはいられなかった。
シェラガとテマは、日没後の人目を避けるのが容易な時間帯を選んでレベセスの家を出立、テキイセの外れのトリカ邸の傍にいた。
「どうする?」
一瞬シェラガの表情を窺い見るテマ。
銀髪の紳士は、出来れば新しい装束を手に入れられればと思っていた。先の戦闘でリザードマンの返り血を大量に浴びた。無論、その後洗濯はしているが、血の臭いやしみは簡単に払拭できるものではない。少し異質なごわごわ感もある。
テマからすれば、ぜひ新品が欲しかった。新品を欲するだけの機能及び着心地をその装束は持っているという事だ。
シェラガはちらりとテマの方に視線を移す。だが、彼はそのまま遺跡に進入する事を選択した。その時間はないだろうとの判断だ。だが、友人足る先代皇帝の望みを無下にはできない。
だからといって、無断で借用し、あとで洗濯して返す、という選択になったのは如何なものか。テマが首を傾げ、少し困ったような表情を見せたのは至極当然の結果と言えるだろう。『前』とはいえ、友好国の国家元首に万引きをさせようというのだから。だが、そのような行動をとってなお、遺跡進入を急ごうとするシェラガの判断は、世界の崩壊を未然に防ぎたいという気持ちの裏返してあり、結果的にそこを急いでいなければ、取り返しのつかない事態になっていたのは、あくまで結果論でしかないとはいえ、神の必然を感じざるを得ない。
ついでに自身の装束も拝借したシェラガ。フアルにより引き裂かれた装束は既にラマで破棄し、ズエブの古着を借りてはいたが、サイズが合わない事と、何より強度において著しく装束に劣る点で、シェラガも何とか新しい装束を入手したいとは思っていた。だが、流石に盗る選択は彼の中にもなかった。そこで、無期限に無断で借用し後ほど返却する、という何とも玉虫色な解決案を自身で選択し、極力自身が傷つかないようにしたのだった。本当は、ズエブとミラノに託された鎖帷子も回収したかったが、恐らくその場所はわからないだろう。
だが、装束の借用は、直ぐに譲渡に代わる。
戦闘着である装束を保管してある部屋から出た瞬間、直ぐに二人の侵入がばれてしまったのだ。
眼前に立ち尽くす少女は、おろおろとしていたが、二人の顔を見るなり、わっと泣きながら駆け寄ってきた。
おじいさまがいないの。
彼女はそう言った。一度は共に旅をした少女。姫としてしか取り扱われたことがなく、道具を使うように人を使ってきた少女。無知も上流階級の教養とは別物だという事をまさに体現した少女。その彼女が、初めて叱られ、人としての大切さを学んだのは、ゴウト扮するコーウトであり、キマビン扮するケザンだった。そして、その仲間たちであったシェラガやテマにも全幅の信頼を寄せているのがみてとれた。
二人の男は、直ぐにピンときた。かの老人考古学者は、遺跡に向けて出立したのだということに。伴をつけたかはわからないが、年齢と立場とを考えると、伴は付けただろうと考えられる。
しかし、理解に苦しむ。
なぜ、今回の遺跡進入に少女を連れて行かなかったのか。
老人トリカが孫娘を目に入れても痛くないほどに可愛がっていることは二人も知っている。
だが、不思議なことに、伴をつけたとはいえ、彼女を命の危険のある場所に行かせた。まず、その行動の意図がわからない。
危険に晒したくない、というなら、前回の遺跡進入時に少女一人で行かせることは考えづらい。ならば、なぜ今回は連れて行かなかったのか。
いずれにせよ、少女をここに置いていくわけにも行かない。
この時間に、そもそも兵士たちに遭遇しないのだ。
まだ少女が起きている時間。それは即ち、夜とは言えまだ日が暮れて間もないということ。その時間に警護の兵士が一人もいないなどということがありうるだろうか。
何か、言葉では表現しきれない、不測の事態が起きていると考えるのが本来だろう。
シェラガは、無言で≪索≫を走らせる。遠慮などせずに、第三段階まで一気に力を引き上げ、その圧倒的な力で屋敷内を≪索≫で舐めた。≪索≫の膨張は爆発のごとく周囲を舐め、屋敷外の遺跡の入口から、遺跡の中へと流れ込んでいく。
「屋敷内には誰もいない。もぬけの殻だ。なぜ、トリカ卿はカルミアを置いていった?」
独り言のように呟くシェラガ。
「カルミア、悪いが、装束を借りていくぞ。二人分な」
≪索≫の直撃を受けたカルミアは、全身を検められたような気恥ずかしさと不快感とを覚えた。それが、得も言われぬ怒りとなって彼女の心を滾らせた。
先程までの不安なまでの面持ちの少女は既にいない。人こそ殺めていないものの、修羅場をくぐってきた戦士の面構えになっていた。それは、祖父を守らなければという義務感からかも知れない。
「いいですよ。持って行ってください。そのかわり、私も連れて行ってください」
思わぬ申し出に、シェラガは一瞬躊躇する。
何がいるかわからないところに、姫であるカルミアを連れて行くわけには行かない。そんな契約を結んだ覚えはさらさらないが、それでもカルミアは必ずトリカの元に無事に送り返す。そんな目標を暗に彼は立てていたようだ。無論、それすらも意識はしていないのだが。
だが、カルミアは指を見せた。左手の薬指。赤黒い、静脈流から染み出す血のような色。
そこには、見覚えのある模様が刻まれている。
それは遺跡から出た指輪。
なぜそれをカルミアがはめているのか。
この指輪を、トリカが齢十歳の孫娘に渡すとは思えない。実際、彼女は遺跡進入の際は身につけていなかった。
指輪は、まだ成長しきっていない少女が扱うのには危険が大きすぎる。
シェラガはなぜかそう思った。
「わかった。ここに女の子一人おいていくのも危険だ。一緒に行こう。ただ、指輪は絶対に使うな。いいな」
ややあって、カルミアは深々と一回頷いた。
だが、シェラガは何となく気づいていた。カルミアの指にある指輪は、外すことが出来なくなっていることに。指輪の妖力なのか。その体に深く食い込み絡みつく指輪は、まるで生きとし生けるもののエネルギーを全て吸い尽くしてしまいそうだった。
遺跡に進入した後も、シェラガは躊躇なく『第三段階』で増幅したエネルギーを、≪索≫では多用した。だが、一人たりとも生命反応は捕えられない。
すでに、テマにもカルミアにも聖剣の第三段階を使用している所は見られている。今更隠すほどの物ではない。出し惜しみする所ではなく、むしろその力をフルに使い、テマとカルミア、ひいては自身の安全を確保するに越したことはない。
「遺跡の中にもいないのか?」
思わず呟くシェラガ。このゴーストタウンは一体なんなのだろう。屋敷から、遺跡の中まで、全く人の気配を感じない。遺跡なのだから本来住人はいる筈がない。だが、遺跡を調査するために進入している人間は何人もいる筈だ。その気配すらまるで感じられないとは。≪索≫の届かない深部まで、老人とその一行は進行しているというのか。プロを集めた遺跡調査隊が、第二宿営地を建造できず撤退したこの地で。
誰もいない第一宿営地を通過し、進行する一行。人がいない理由はわからなかったが、直近まで寛いでいた人間たちが突然姿を消す、といった類の、怪談に出てきそうな廃墟とも違うこの地をどう評価していいのか、シェラガは少し困っていた。
延々と続く瓦礫の山は、彼らの視界一杯に灰色の世界を作り出す。上空も灰色なのは、この地が完全に蓋をされている場所だからなのだろうが、不思議と太陽光だけはある程度透過するようだ。
だが、その上空の様子をじっくり観察できるのも、少人数での行動だからだ。大所帯の遺跡調査隊は、物資には困らないが、自分のスピードで調査ができない。目的外の調査は、考古学では命とりだ。何しろ、その準備をしてきていない。内容もさることながら、予定外の調査は物資を余分に使ってしまう。そうなると、滞在期間も想定外となってしまい、結果、成果を何も持ち帰れなくなってしまう事もままある。
それよりは、同じ場所でも何度も調査に入り、調査すべき対象を絞って精度の高い調査を行うほうが、一見遠回りに見えて、実は最も成果を持ち帰ることが出来るのだ。
濃淡のない灰色の空に、シェラガは黒い点を幾つも見つけていた。シェラガは即座に≪索≫を放つ。氣を這わせる対象を意識しない≪索≫の場合は、自身を中心とする同心球状に広がっていく。≪索≫の膨張速度も以前とは比較にならない。遠くに点として見えている筈の物体の正体を、シェラガはあっさりと捕捉した。
「……翼竜の群れだ。近づいてくるようなら、あれを食料にしよう」
シェラガとテマの間で隊列を組み歩いていたカルミアは、歩みを止め、思わず表情をこわばらせた。だが、流石に先日のようには文句は言わない。彼女も、この短い遺跡調査の旅で、命の大切さと、人間の罪深さ、打算のない人のやさしさを学んでいた。命を奪う以上は、糧としてその者の分は生きなければならない。それが、彼女が何となく悟った道理だった。
灰色の中にぽつりと浮かぶいくつかの黒い点は、しばらく旋回していたが、徐々にこちらに近づいてくる。近づき始めると、旋回を止め一直線だ。向こうもこちらを獲物と認識したようだ。
如何に経験を積もうとも、初見の相手には緊張を覚えざるを得ない。それは当然の事。ましてや、前回が初調査だったカルミアにしてみれば、翼竜の存在は、空が飛べる分リザードマンよりも恐ろしい存在に感じられるはずだ。
カルミアは物陰に隠れ、様子を伺う。その小さな体は、意志に反して小さく震えている。テマも、今回の狩りには参加せず、カルミアの傍にいた。いざ翼竜がカルミアをターゲットにした時には、テマがカルミアを守るしかない。
思わずカルミアはテマの装束の裾を固く握っていた。
一方のシェラガは、細く天に伸びる瓦礫の上に移動した。そうすることで、より翼竜達の目を引くと同時に、周囲の様子も確認できるからだ。
上空の翼竜に気を取られて、他の敵の接近を許してはならない。上空と大地を来る敵ならば、接近が早いのは上空だが、真に攻撃の本体となるのは大地を来る敵の方だ。翼竜が連携を取って地上の生物と行動するとは思えないが、注意するに越したことはない。
シェラガは、足元で瓦礫に寄り添うように隠れるテマとカルミアを見ながら、一瞬ニヤリとする。テマが傍にいれば大丈夫だ。
黒い点が膨張し始める。そのスピードは先程までとは比較にならない。やがて殆どはばたかない皮膜の翼を蓄えた翼竜が目視できた。ゆっくりと近づいてきているように見えたそれは、シェラガの頭上を猛スピードで通過する。二頭目、三頭目もそれに続く。五頭の翼竜が上空を通過した時には、既に先頭の翼竜は身を翻し、攻撃態勢に入っていた。
猛禽類の様な容姿はしているが、尾が大分長い。巨大な翼の『骨』の部分は一部羽毛を持っているが、殆どは鱗に覆われていた。後頭部からは大きな角が一対伸びている。その角は平べったく、舵の役割を担っているようにシェラガには見えた。
ワニが川を泳いでいる時の足のように、脱力し風にあおられてぶらぶらしているように見えた翼竜の足に、突然力が篭められ、シェラガを捕まえに来ているのがシェラガの目に映る。その瞬間、彼は聖剣を抜刀し、自ら翼竜に飛びかかり、横薙ぎの一撃で翼竜の首を飛ばした。突然舵を失った翼竜はきりもみ状態で墜落し、カルミアたちのいる場所より少し離れた所に、地響きとともに墜落した。首を失った体は、暴れはしなかったが痙攣していた。
光に包まれたシェラガは、そのまま上空にいる残り四頭の翼竜に攻撃を仕掛けた。
体に纏う光が輝きを増し、シェラガの体は光に埋もれていった。
それはさながら光の玉が高速で飛行しているように見える。光の玉が直撃した翼竜は、首と体、あるいは上半身と下半身が切断され、大地に墜落した。
全ての翼竜の死骸が大地に落ち切る前に、シェラガは納刀した状態でテマとカルミアの傍に立っていた。
「巨体の割に、意外と食べられるところは少ないんだ。本当は残さないのが、狩った者の義務なんだが」
シェラガはそう言うと、一番近くに落ちた翼竜の死骸に近づき、皮を剥ぐために短刀をあてた。少しウロコを落とし、肉を露出させたところで、精度の高い≪索≫を首のない翼竜の死骸にかざす。この種は毒袋を持つのは知っていたが、どうやら、首から腹にかけての筋肉部に袋があり、そこに毒を溜め込んでいるようだ。その部分を切り分け、血抜きをする。同時に、削ぎ落とした内蔵は破棄し、骨を組み上げ、肉焼き場を作った。
テマはシェラガの手馴れた手つきを、感嘆の面持ちで見つめていた。何かを手伝おうとしたが、どう見ても邪魔にしかならない。だが、次の瞬間まじまじとシェラガの顔を見つめた。
肉を焼くために、火を起こすのはわかる。だが、炎で焼くために、翼竜から脂分を集め、それに火をつけるのかと思いきや、手から発した強烈な細い光を石に当て続け、石が赤黒く焼けるのを待ち、それをくべたのだ。確かに周囲には火を保つのに必要な枯れ木や枯れ草は見当たらない。石を焼くのもひとつの方法だろう。
だが、術の使用頻度が高すぎる。普段のシェラガならもっと体力を温存し、これからどの程度掛かるかわからない旅の行程で、体力を使いきらないように行動する。ましてや術の使用は体力の消耗を早めることがわかっている彼が、湯水のように術を使う行動をすることが、テマには信じられなかった。かと言って、焼きあがった肉に手をつける様子もない。
カルミアが就寝してから、火の当番をしようというテマは、何の変哲もないシェラガに尋ねる。
「この二日の間に、一体何があった?」
「……何がです?」
「ラマに行ってからの君が、以前の君からは考えられない行動ばかりとるからだ」
シェラガは首を傾げた。
テマは何を言っているのか。自分は今までどおりに行動しているだけだ。確かに、『準備段階』を身につけたことで、行動の幅は広がった。『準備段階』を多用することで、氣のコントロール技術も上がっているのは実感している。だが、それだけであり、特段激しい行動をしているわけではないし、そのつもりもない。
「……古代帝国が、聖剣の力を欲したのは君も知るとおりだ。そのために、様々な方向から聖剣にアプローチをしている」
「そうですね。
軍事力増強の観点から、聖剣を大量生産しようとするところから始まり、戦力管理の観点から、古代帝国人の中で聖剣が特にうまく使える人間同士を交配させ、聖剣の使用者のレベルをあげようとした。無数の聖剣使いよりは、一人の有能な聖剣戦士を育て上げ、本物の聖剣を四本、管理させようとした。便宜上、差別化を図るために、本物の聖剣を扱う戦士を、『聖勇者』と呼んだ。
そうすることで、戦力の一元化を図った……」
「そうだ。私やカルミア、トリカ卿の高機動兵士たちが持つ指輪が、その最終形態だといっていいだろう。『高機動兵士』たちを指揮する四人の聖勇者。この四部隊が東西南北を守る上で基軸となり、首都を守ったとされる。
指輪の戦士は、なぜか、聖剣ほどの力は出せないが、それでも常人よりは遥かに優れた身体能力を引き出す。そして、そんな兵士たちを管理するための責任者に、兵士たちよりも強い皇帝の血縁者を据えることで、強い力を持った兵士たちの謀反を抑える体制を作ったと言われている」
テマが何を言わんとするのか、シェラガには理解できなかった。
聖剣の代替品である、実現された技術の結晶が指輪であり、その技術がどういった形状をしているか、については知らなかったが、それ以外の知識は、シェラガも持ち合わせている。
それを、今ここでテマがシェラガに語る目的。
それを彼は見出すことができなかった。
「……それらの記述のある文献、そこに語られる聖剣の強さは、以前の君が用いた第三段階とほぼ同じだった。だが、力を供給する大元が人間である以上、瞬間的な力の発揮は凄まじいものではあったものの、時間制限があった。個人差はあれ、やはり第三段階の消耗は尋常ではなかったはずだ。だが、今日の君を見ている限りでは、第三段階の使用に全く躊躇がなく、さらに息切れすることもなかった。以前の君からは考えられない。見た目は変わっていないが、術を使う体力、という点で言えば、今の私から見て、シェラガ、君は完全に別人なのだよ」
「……第三段階? 俺は第三段階なんて使っていませんよ。翼竜との戦闘も、準備段階で処理できてよかったな、と……。え? 第三段階ですか? 使っていた? 道理で翼竜をあっさり倒せたわけだ。使った覚えはないけれど……。でも、なんで?」
混乱するシェラガに、テマは苦笑する。
「……まあいいさ。技術の成長も、その体感は急激に現れるものだ。今までの鍛錬が実を結んだ、と思う事にするよ」
まだ首をかしげ続けるシェラガを横目に、横たわるテマ。だが、シェラガにはそう言ったものの、彼自身その考えには全く納得していなかった。
(コントロールの技術の問題ではない。あれは、聖剣を扱うための個人の氣の保有量が爆発的に増えたが故の余裕だ。爆発的、などという緩い表現では当てはまるまい。氣の単位など正直解らんが、イメージとしては恐らく、一が数億に増加した位の変化だ。彼の体に、知らぬうちになにか変化が起きたと考えるべきだな……)
シェラガは、結局火の番を代わることはなかった。眠くなることもなければ、疲れを感じることもなかったからだ。そして、不思議な事に空腹感も覚えなかった。
シェラガの体には、常にエネルギーが流れ込んでいるような、得も言われぬ充実感があった。
(言われてみれば、準備段階にしては異様に相手の動きが遅く感じられたな。その気になれば、剣を振るその瞬間に、刃の軌道を変えて、一振りで翼竜五匹を仕留めることが出来たかもしれない)
そんなことを思いながら、シェラガは一夜を明かした。
翌朝、テマが起床した時も、シェラガは全く消耗している様子はなかった。実際本人もまったく疲れを感じていないようだった。
その半面、カルミアは起こすまで全く起きる気配がなかった。起きた時も、寝覚めがいい悪い以前に、やつれていた。とても眠っていた人間とは思えない。少女は多感になりつつあるこの時期、短時間に色々な事を体験しすぎたのだろう。その疲れが一気にでたのだろう。
二人の考古学者はそう結論した。
少女が起床し、準備を整えたのを見計らい、三人はさらに遺跡の奥を目指して出発する。
だが、数歩歩いたところで、カルミアは立ち止まる。カルミアの止まった歩みに気付いたテマは、優しく声を掛けた。
「どうした? 体調が優れないのかい?」
カルミアは、一瞬俯いた。だが、ややあって二人の顔を見、もう一度俯く。
何か告白しようとしている。そう思った二人は、カルミアの言葉を待った。
「おじいさまは、人を食べようとしています」
一瞬、理解に窮し、顔を見合わせる二人。だが、そのままカルミアの言葉の続きを待った。
「おじいさまが、古代帝国の研究をしていた事は、お二人ともご存じだと思います。恐らく、その熱の入れ様はデイエンの学校やテキイセの学校に比べても引けを取らないはずです。衰退していくテキイセ貴族の中で、おじいさまの手元に残った財産は、古代帝国の研究に費やされました。その成果が指輪の発見であり、古代帝国の技術を駆使して造られた布を使った装束」
「……なるほど。只の装束ではないとは思っていたが、そういう事か」
シェラガはそう呟いたが、カルミアの話の本筋とは関係ない事は容易に想像がつく。
「おじいさまは、研究の過程で、指輪の製造法にたどり着きました。最初は遺跡から発見された指輪を研究していましたが、その製造法に思い至ったのです。試行錯誤の結果、製法を確立しました。それが、これです」
カルミアは、そういうと自身の指輪をもう一度見せた。
「なるほど、高機動兵士の中にも、デザインの違う指輪をしている者が多数いた。古代帝国製かトリカ製かの違いなのか」
自身の指輪を見ながら呟くテマ。テマの指輪は、薄い氷の結晶の様な印象を受ける。また、それは酷く透き通っていて、放っておくと溶けてなくなってしまいそうだ。
「おじいさまの指輪は、遺跡から出土した指輪に比べて、引き出される力が大きいのですが、その分体力の消耗が激しくなります。そして、その指輪の発動によって失われた体力は、睡眠でも食事でも回復しないのです。しかし、ある動物のある臓器を食することにより、体力が回復するようになります」
「それが、人間だというのか?」
シェラガの問いに首肯するカルミア。
「そうです。厳密には、人間でなくともよいようですが、生物の心臓です」
テマが唸るように呟いた。
「聞いたことがある。心臓というのは生物のありとあらゆる臓器の中で、最も特殊な臓器である、と。
心臓が止まれば生物は死ぬ。だが、生きた生物から心臓を取り出しても、心臓だけが単独で動き続ける。心臓にだけ、特殊な能力があるとされていた。実は、生物としての根幹に関わる特殊なシステムの結果だ。
心臓が単独で活動することが出来るのは、心臓が動く源になる物質と、心臓が動いた結果発生する心臓自身が抱えることになる疲労を回復する物質を双方作っているからだといわれている。どの生物でも心臓が単独で活動できる以上、様々な進化の過程というよりは、大昔の生物が生物になる前の状態で持ちえた機能だろうと、ある高名な学者は結論付けていた」
「ということは、心臓が持つとされる、その特殊な酵素とやらを摂取しさえすれば、トリカ製の指輪で消耗した体力は回復するってことか」
カルミアは心底驚いていた。
恐らく、話してもわかってもらえないだろう内容。理解はしても、共感はしてもらえまい。そう思っていた。
これを祖父であるトリカから聞かされた時、彼女は恐ろしくて眠ることが出来なかった。何の気なしにその指輪を自身がはめてしまったことを激しく後悔した。
いつどこで指輪が発動するかわからない。もし仮に発動してしまった場合、そこで失われた体力は何をしても戻らない。そう、動いている心臓を食する以外は。
絶対に発動させてはならない。そう思ってここまで生きてきた。生きた動物の心臓を食らうなど、絶対にしたくない。気持ちが悪いし、何より自分が生きるために他の生物の命を奪うなど考えることもできなかった。
ところが、実は自分が屋敷の食事で食べていた物は、様々な生物だった。動物であったり、植物であったり。
形を変え、色を変え、味を変えて彼女の前に三食並んだ食事は、全て生物だったのだ。
それを伝えたのは、シェラガであり、テマであり、ゴウトであり、キマビンだった。特に、ゴウトは真相を知ったカルミアのショックも受け止め、昇華してくれた。
齢十歳にして背負った重い十字架。しかし、実はそれは誰しもが行う事であり、人間が生き物として生存する以上、やらなければいけないこと。それを罪というならば、その罪を償うために、相手に対して最大限の敬意を払い、全てを己の糧とする。
『いただきます』『御馳走様』。
この言葉の真の意味を、彼女は教わった。
だからこそ、話す気になった。決してわかってもらえずとも。人間が、指輪を持たずとも命を奪い、それを糧にして生きているのならば、自分も生きる努力をしてもいいのかもしれない。そう思うことができたから。
そして、この指輪の秘密こそが、姿を消したトリカとその兵士たちの行動理念を理解するのには不可欠だった。
「本当は、遺跡から出土した指輪は、テマ様が召されている指輪とあと数本です。後は、全ておじいさまが造ったもの。兵達が持っていた指輪も、全て私と同じ物です」
シェラガとテマは、顔を見合わせぞっとする。
リザードマンの来襲時、何となくシェラガは、幾つか転がる指輪のうちから、テマに預けた物をチョイスした。指輪の色が、単純に赤黒いものより涼しげな青の方がテマに似合いそうだ。ただそれだけの選択行動だった。
「……ということは、姿を消したゴウトとキマビンは、トリカ卿と行動を共にしている訳だな。指輪の疲労を回復するためにはトリカ卿についていくしか、自身の命を永らえる方法がないからな」
急ぐしかない。トリカが倒れる前に。ゴウトとキマビンが倒れる前に。なんとしても指輪の解除方法を探すしかないのだ。そして、それを知るからこそ、トリカはすべての兵を連れて移動を開始した。カルミアを置いていった理由は未だわからないが。
しかしどちらに行けばいい?
目的地ははっきりした。だが、その場所がわからない。
≪索≫を使っても、トリカやゴウト、キマビンの位置がわからない。辿りようがないのだ。
カルミアは、歩みを進め始める。
「ご案内します」




