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界遊記外伝 ~ ファルガの父 ~  作者: かえで
滅びゆく権力からの復讐

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26/39

ファルガ降臨

果たして、この章を明文化すべきだったのか、は疑問。

 まるで焼きごてを押し当てられたような激痛を左の頬に覚え、激しく頭を揺さぶられたシェラガは、気づいたら大地に転がっていた。

 彼の眼前には、仁王立ちで彼を見下ろす黄金の髪の女性。その眼差しは怒りと悲しみに満ちていた。

 我を忘れるほどの激しい怒りではなく、悲しみを伴う怒りの時には、彼女はその姿を変えることはないのだろう。彼を睨みつける双眸が、じわりと滲み、堰を切ったように光の粒が流れ出した瞬間、彼女は弾かれたように身を翻して走り去っていった。

 彼女のそばには、身重の女性が付き添うように立っていた。が、動揺を隠そうともしなかった女性を心配し、彼女の後を追いかけようとする。

 しかし、共にいた口髭の巨漢は、彼女に追うのをやめさせ、シェラガに手を差し伸べた。

「……お前が悪いわけじゃない。それは俺もミラノも、恐らくフアルもわかってはいるはずだ。だが、それでも抑えきれないものがあったのだろう。それも察してやれ」

 差し出されたズエブの、丸太のように太い腕は、シェラガの一人や二人は容易に抱え上げることが出来るだろう。手を掴んだ瞬間、簡単に引き起こされるシェラガ。

「大丈夫か? 奴も加減はしたのだろうが、黄金の鬼子の力でぶん殴られれば、並の人間なら骨の二、三本は軽くイっちまうだろう」

「『準備段階』を使っていてこのダメージだ。聖剣を発動させていなければ、確かに顎の骨は砕けていたかもしれない。だが、それ以上に……」

 頭を押さえつつ顔を左右に振ると、何かを呟きかけて、シェラガは口を閉ざした。ややあって、立ち上がる。

「後で、フアルのところにはミラノを行かせる。今の感情が高ぶっている状態では、フアルに何を言っても無駄だ。少し、奴にも気持ちを整理する時間が必要だ。居場所の見当は付いている」

「すまないが、フアルのことを頼む。

 本当は追いかけて何かを話すべきなのだろうが、今の俺にはかける言葉が見つからない。

 一晩こちらに留まって、明日テキイセに戻る。その前に一度会って話ができれば、とは思うが」

「父になる覚悟は、一朝一夕でできるものじゃない。ましてや、他の人間の子の父になり、全てを受け入れる覚悟は、それ以上に辛く厳しいものだったろう。その準備をしてきただけに、今回は正直、拍子抜けとは思う。

 だがな、今のお前はいつ父になってもおかしくはない。娶った以上はその覚悟は常にしておくことは、間違いではない」

「そうだな。俺もまだ心の整理がついていない。空回りしてしまったという感覚が半分、ホッとしているという気持ちも半分。だが、そんな気持ちで、奴にどう言葉をかけていいのか、俺にはまだわからない」

「まあ、そこは安心しろ。女性の気持ちはやはり女性でないとわからん部分も多い。ミラノならうまくやるだろう。お前は、とりあえず家で休め」

 シェラガは覇気なく頷くと、ズエブの家のフアルが借りている部屋に入る。その足取りは、隠そうとしても隠せない程に重々しい。

 テキイセからラマまで移動しようとすると、早馬を乗り継いでも七日はかかる。だがそれは、テキイセとラマとの間に物理的に距離があるのではなく、単に行程が困難なだけである。一度テキイセからデイエンまで街道を移動し、そこから折り返すように山に入っていく。地表を移動する事しかできない人間は、それがラマへ到達する最短ルートになる。V字の移動経路となり、実質大きく迂回を強いられることになるわけだ。

 だが、シェラガはそのV字の移動を拒絶した。

 人目につかないところで、聖剣の力を発動させ、体力の大きな消耗と引き換えに一気に移動した。

 山があれば駆け抜け、谷があれば一気に飛び越し、文字通りテキイセの宿舎から物理的に一直線で駆け抜けた。だからこそ、馬で七日の移動を、わずか一日で移動できたと言えるだろう。浮遊術《天空翔》をもっとうまく使いこなせれば、文字通り一飛びだったかもしれない。

 道中携行した食事を取るために何度か休憩を取ったが、それもほぼないに等しかった。

 ズエブの家に準備されたフアル用の部屋のベッドに横になり、目を瞑った次の瞬間には眠りに落ちていた。




 シェラガが、ラマ村のズエブ宅に身を寄せるフアルの元を訪れたのは、完全にサプライズだった。ズエブも、ミラノも、フアルですらも予想はしていないに違いなかった。当のシェラガすら、出立の前日に思い立ったのだから他の人間が知る由などあるはずもない。

 ラン=サイディール国親衛隊中将にして、新首都デイエンの治安維持を目的に設置された新隊の長として選任されたが、異動する前の残務に追われる親友のレベセス=アーグに、ほぼ無理矢理テマを預けてきた。

 言ってしまえばわがままだ。


 ここ数年で急激に発生した、各地にある古代帝国の遺跡の異常。

 それは、古代帝国以前、人間がこの地で人間として生活をする前に勢力を誇っていた古代生物群の大量発生。

 現在シェラガが遭遇したのは、翼竜、リザードマン、ギガント=リザードの三種。だが、決してそれだけではないに違いない。地上に出てはいけない程凶暴な生物の遺跡内での跋扈は想像に固くない。だが、それよりも恐ろしいのは、過去の時代の伝染病群や微生物群だ。これらは、種を簡単に絶滅に追い込むことができる。

 調査しなければならない。そういった危険な存在が、地上に出現する可能性があるのか。そして、なぜ地上では絶滅したはずの古代生物群が遺跡内で大量に出現しているのか。かつての地上は、大気の成分も違えば濃度も違ったという。もしその大気が遺跡内に復活しているとすれば、世界中の遺跡を封鎖しなければならない。大気の差は、それだけで生物の大絶滅の危険を孕んでいるからだ。

 それを解明するために、古代帝国の遺跡に再度潜り、異常を調べなければならない。しかも、その異常はおそらくトリカやカルミアにも関係があるに違いない。遺跡に隣接した場所に居を構えている以上、最初に何らかの影響を受けるのは間違いなく彼らだ。例え、その場所で生活はしていなくとも。恐らく、相当に早急な対応が求められるはず。

 だが、その一方で、フアルのことも気になった。いくら規格外の長寿とはいえ、子を孕むのが初めてであれば、その動揺も尋常ではあるまい。ずっと一緒にいるのは不可能でも、一度会って声をかけてやりたかった。

 ましてや、宿ってから一体どの程度の月日が経ったのだろう。母子ともに安全な出産をすることが果たしてできるのか。いくらガイガロスが胎児の成長を止めることが可能だといっても、無期限にではあるまい。それもシェラガにとっては心配事の一つだった。

 突如、友好国の先代皇帝の接待を申しつけられ、目を白黒させ、緊張し通しのレベセス。そんな彼に申し訳ないとは思いながらも、これからの長い行程を考慮すると、テキイセの自宅兼事務所で仮眠を取ってからラマを目指し、出来るだけ早く戻る事を優先すべきだと考え、シェラガはベッドに横になることにした。

 聖剣の第三段階を用い、人目のつかぬ明け方に移動を開始するシェラガ。常人の五十倍近い移動速度は、氣の輝きの軌跡さえ彗星の尾のように残らなければ、人の目に触れずに移動することも可能だった。

 シェラガは飛行することをせずに、大地を滑るように疾駆することで、他の人間の目に触れないようにした。実は当のシェラガが、現時点では飛行術がそれほど得意ではないだけなのだが、不得意な技術を鍛練がてら使う程の余裕は、今回の行程にはなかった。

 テキイセから少し離れると、途端に凹凸の激しい草原が広がる。

 腰丈まである葦のような植物の群生地は、普通に歩行するには非常に困難だ。だが、シェラガは、一歩を凡そ人の背丈の百倍はある大跳躍で進むことで、人の目に触れず、かつ進行しづらい草原を一気に駆け抜けた。といっても、意図的に大跳躍をしているつもりは全くなく、結果ストライドが大きいのは、聖剣を発動させることで瞬発力が上がっているため、通常走るのと同じように地面を蹴っていても、その一歩の移動距離が大きくなってしまうためだ。

 草原を抜けると、徐々に生い茂る植物の背も徐々に高くなる。いつの間にか草原は森林に代わり、大小様々な渓谷を飛び越えた。木々の間を駆け抜け、連れ添うように歩くクマの親子を飛び越えた。森林内を飛び回る小鳥たちを横目に、山林を疾駆する鹿の群れを追い越し、一陣の風となってラマへの道を駆け抜けた。

 ラマは、デイエンの更に北にある陽床の丘ハタナハの最上部にある。ハタナハは、丘とは言うものの、三方は切り立った崖であり、カモシカ以外の動物の移動はほぼ不可能である。もしラマ村に行こうとするなら、デイエンから伸びる一本道を登っていくしかない。

 だが、シェラガは陽床の丘をゆっくり道沿いに上っている時間はなかった。

 大きな跳躍で崖ギリギリを滑るように上昇し、所々にある岸壁のせり出した部分を足場にしては、更に連続して跳躍する。その様はまるで、カモシカが断崖絶壁を駆け上がっていくようだった。ただし、速度はその比ではないが。

 文字通り直線に進行したため、シェラガは、本来七日はかかるテキイセからラマへの道程を、僅か半日で走破することが出来た。

 だが、いくら聖剣の力を引き出し、パフォーマンスが上がっても疲れないわけではない。全力疾走をすれば、疲労を覚え、息も切れる。幾ら鍛え上げた人間であっても、体力はいずれ限界を迎える。ただ、彼はその全力疾走をした際の移動距離と移動速度とが、常人の何十倍にもなるというだけなのだ。

 彼がラマに到着する頃には、精も魂も尽き果てていた。

 汗で全身ずぶ濡れの男が、今にも息が止まるのではないかというほどに、全身で呼吸をしながら、地面に大の字になってひっくり返っている様は、どう見ても尋常ではない。

 異常を察して、丸太を組んで作られたズエブとミラノの家の玄関口に姿を見せたフアルは、思わず息を飲んだ。だが、それがシェラガだと気づいたフアルは、籠を投げ出して彼の元に駆け寄った。

「ミラノさん、水を!」

 フアルの異常を知らせる雰囲気に戸惑いながらも、ミラノは盆に乗せたコップと水差しを持ってきた。だが、眼前の大の字に横たわり、息も絶え絶えの男と、その男を膝に抱き起こすフアルを見て、思わず盆ごと取り落としそうになる。

 騒ぎを聞きつけたズエブも、自身の作業場から駆けつけてくる。

「一体何事だ?」

 動揺を隠せない女性陣から事情を聞き出そうとして、叢の影のシェラガの存在に気付くズエブ。彼も一瞬戸惑うが、その場にいる女性陣もこの様子では何が起きたかわからない筈だと察する。

「あまり芳しくないな」

 シェラガの喉元に手を当てた彼は呻くように呟いた。徐々に脈が弱まっている気がする。何か処置をしないといけないのだが、外傷がない。という事は内臓系の異常なのだろうが、今回の症状は、流石のズエブにも見当もつかない。

 今でこそ田舎の村で鍛冶屋を営んでいるズエブだったが、その過去はといえば、世界最大の武装商船団であったSMGをも脅かした一人海賊。SMGの技術を見ただけで自分の物にし、飛行円盤『飛天龍』さえ造ってしまう男だ。当然大学で医学を学んだ正式な医者ではないが、それなりには知識もノウハウもあった。下手をすると当時最先端であった技術以上のものを経験から持っていたかもしれない。その気になれば一人で手術もできるだろう。

 その彼が戸惑うのにも訳がある。

 何しろ、眼前に横たわるこの男は、伝説の聖剣の使い手、『聖勇者』なのだ。不可能とも言われた聖剣の第三段階を彼の眼前で発動させ、これまた伝説と言われたドラゴン化したガイガロス人をも圧倒する力を持ち、伝説にすらならなかった未知の力、『星辰体』さえも自分の一部にしてしまった。

 その男が何故、ここまで衰弱しているのか。その理由が全く見当もつかない。

 そんな状態のシェラガだ。フアルやミラノが焦ってコップ一杯の水を持ってきたところで、事態か解決するとはとても思えなかった。

 いつ爆発してもおかしくないくらいに波打つ心臓。装束の上からでも激しく踊り狂うのがわかるほどだった。呼吸は乱れ、気管は十分に開いているはずなのに、まるで狭窄しているように嫌な音が耳に着く。笛というよりはラッパの様な呼吸音。明らかに異常だ。

 と、シェラガの呼吸が突然ぴたりと止まる。それと同時に、風が吹き始め、彼の体を縁取るように青白い光が包み込む。

 シェラガの呼吸が止まったという事は、彼が息を引き取ったという事なのだが、不思議とそれが、彼の死に直結しない気が、ズエブにはしていた。と同時に、不思議な事に気付く。それは、あらゆる面において異常だった。シェラガを取り囲むようにしゃがむズエブ自身と、ミラノ、フアルの三人の背後から風が吹いているのだ。

 フアルは、黄金の髪が顔に掛からないように掻き揚げた状態で抑え込んでいる。ミラノは頭に髪留めをつけてはいるが、その後ろ髪はシェラガに向かって引っ張られているようにすら見える。そして、当のズエブも、背後からの風を感じる。それはあたかも、シェラガに向かって全方位から風が吹いているようだった。

 風がどんどん強くなっていく。と同時に、横たわるシェラガを包む光も強くなっていく。

 突如、突風が吹く。いや、突風などという規模ではない、何か巨大な柔らかい塊が、背中から衝突してきたような衝撃。

 思わず顔を伏せる三人。爆風と言っても過言ではない勢いではあったが、異なっているのは、中心から弾け出る巨大な力、ではなく、中心へと吸い込む巨大な力。それはまさに天空にあると言われる、万物を吸収する空の大穴そのものだった。その力は光すら直進を許さず、漆黒の闇を周囲に作り出す、ブラックホールと呼ばれるもの。

 だが、その力は一瞬だった。

 巨大な何物かの通過に、思わず顔を伏せていた彼らが、恐る恐る顔を上げた時には、眼前には座り込むシェラガがいた。先程までの汗はどこかに消し飛び、息一つ乱れていない。

「あ、あれ? 疲れて寝ていたような気もするけど、何が起きたのだ?」

 先程までの苦しそうな息遣いから、突然ののほほんとした物言いに、思わず失笑する三人。

 だが、これがシェラガなのだ。本人は途轍もないことをしでかしているのに、全くその意識がない。それは正に良しにつけ悪しきにつけ。

「……それは俺たちが聞きたい。

 まあ、よく戻った。取りあえずは全て終わったのか?」

 ズエブとフアルに肩を貸され、立ち上がったシェラガは、更に歩行介助しようとする二人に体の不調はない旨を告げた。

「意識が戻った時には一瞬自分の置かれた状況がわからなかったが、もう大丈夫だ。何ら異常はないよ」

 そんなはずはあるものか、とズエブは思う。

 ミラノやフアルに動揺を与えてはいけないので、敢えて口にはしないが、突風に煽られる直前、シェラガは確かに死んだ。人間としての生命活動は確かに停止したのだ。後ほどその状態に陥った理由が、敵に襲われたとか、急病だったわけではなく、単純に聖剣を使っているとはいえ、移動に体を酷使しすぎた故のショック死だったという事を知った時、彼も思わず失笑した訳だが。

 健康そのものの人間が突然過労死する程に移動するなど、そもそも正気の沙汰ではないのだ。いや、それほどの無茶が出来る人間だからこそ、≪星辰体≫を手に入れることが出来たのかもしれない。

 人間はみな星辰体を手に入れることはできる。それをシェラガは方法まで証明した。ただ、普通の人間はその過程で皆精神が崩壊するか、あるいは手に入れる行為をやめてしまうだけだ。そして、己への苦痛に対しても限りなく無頓着なシェラガだからこそ、神の体を手に入れることが出来たのかもしれない。

 ミラノに家に入るように促され、ゆっくりと立ち上がると、歩みを進め始めたシェラガは、先程のズエブの問いに答えた。

「いや、まだだ。むしろ謎は深まった。後ほど話すが、テキイセの地下にある古代帝国の遺跡では、何か非常にまずいことが起こり始めている。それを見極めるため、テマ様ともう一度遺跡に入るつもりだ」

 フアルとミラノは、先程までの異常事態はまるでなかった事のように、シェラガの突然の来訪を喜んだが、三人が家に入る直前、先程までシェラガが横たわっていた部分の地面が、異常に削れている事に気付いたのはズエブだけだった。


 三人にとっては少し早い昼食、シェラガにとっては少し遅い朝食は、長時間ではなかったものの、非常に楽しい時間として感じられた。

 シェラガは己の状況を説明し、今まさに考古学としての古代帝国の研究が佳境に差し掛かっていることに対して、自分が覚えている血沸き肉躍る感情を、身振り手振りを交えて三人に伝えた。また、ズエブは鍛冶の仕事の合間に飛天龍への改良を加え、恐らく本家の飛天龍の性能を上回っただろうことを告げ、何かまた必要な時には呼んでほしい旨をシェラガに伝えた。この申し出は、単身では間違いなく最強であろう海賊の最高の親愛の表現であり、シェラガは破顔して喜んだ。また、ミラノは、自身の体内に宿る子供が順調である事を告げ、シェラガはこれまた大層喜んだ。

 事件は、フアルの腹の子の話になった時に起きた。

 シェラガからすれば、血は繋がっていないが、自身の子だった。その覚悟もしてきたし、これからもその覚悟であることをフアルに告げた。

「俺は、お前のお腹の子の父親でいい。間違いない」

 フアルに異変が起きたのはその時だった。

 フアルの眉が心なしか逆立った。

「……俺はもう一度テマ様と遺跡に入る。そこで決着をつけ、もう一度迎えに来る。そうしたら、テキイセに帰ろう」

 そういうと、シェラガは立ち上がり、帰り支度を始める。帰り支度と言っても、背に剣を備えるだけだったが。

 玄関の扉を開け、外に出ようとするシェラガを呼び止めるズエブ。

「おいおい、日帰りのつもりか? 今日は泊まって行けよ。先日の酒の続きをしようぜ」

 ズエブは椅子から立ち上がり、シェラガの肩に手を乗せた。

 流石のズエブも、この移動は無茶だと言わざるを得ない。午前の陽が上がり切らないうちにテキイセとラマの間を走破し、その過労で一度は心臓が停止し命を落としたはずの人間が、いくら元気になったように見えるとはいえ、生き返って一刻も経たぬうちに、再びラマとテキイセの間の高低差の激しい道程を戻ろうというのか。

「すまないな、ズエブ。

 テマ様をレベセスに預けてきている。幾らレベセスと言え、先代のジョウノ=ソウ国皇帝を一晩預かってもらうというのはきつかろう。むしろ、社会的な地位のあるレベセスの方がつらいかも知れないな。

 だから、今日のうちに戻ろうと思っているよ。まあ、明日まで時間は貰っているのだけれどね」

 四人が囲っていた円卓には、まだ料理が残っていた。まだミラノもフアルも片づける体制にすらなっておらず、余りのシェラガの早急さに目を白黒させていた。

「フアル、元気な子を産んでくれよ。俺とお前の為に」

 フアルは立ち上がった。

 その眼はなぜか怒りに燃えているのが、シェラガにはわかった。なぜ怒っている?

 大股に近づいていくフアル。そして、次の瞬間には、シェラガの頬を握り拳で激しく打ち付けていた。

 フアルの拳の一撃は、真っ直ぐにシェラガの頬を捉える。殴り飛ばされたシェラガは、ズエブの家の木製の扉を突き破り、軒先にその体を投げ出した。

「今の私に子供はいない! 欲しいと思ったこともなかった! 私が欲しいのは貴方との子だけ! 幾ら私が四百年生きていようが、共に歩んでいけると思ったのは貴方だけ! 貴方ならすべて受け入れてくれる! 貴方なら……のに……!」

 最後の方は言葉にならず、口を真一文字に結び、シェラガを睨みつけるフアル。

 大地に倒れ込んでいたシェラガは、体を少しだけ起こし、フアルを見つめた。だが、何も言葉を発することが出来なかった。ただ、辛かった。目をそらすことも俯くこともできず、ひたすら彼女を見つめた。

 正直、シェラガは、彼の言動の何がフアルを怒らせたのかわからなかった。彼女の健康を気遣い、彼女の気持ちを尊重した。ただそれだけのつもりだったのだが。

 フアルが駆け去った後、シェラガは自分の力で立ち上がろうとしたが、そこに差し出された腕に気付く。立ち上がる事に手を貸そうというのだろう。シェラガはその腕を掴んだ。

「……俺は、フアルを傷つけてしまったのだろうか……」

 頬の痛みより、体の痛みより心の方が痛い。シェラガにとっては初めての気持ちだった。




 漆黒の闇の中に立ち尽くすシェラガ。上も下もわからない。暑いのか寒いのかもわからない。だが、酷く落ち着いた気分になっていた。そして、これが夢であることもわかっていた。しかし、夢の割には意識がはっきりしすぎている。夢の中で自分の思考を正確に理解することができた。明晰夢と呼ばれるものなのだろう。

 ふと、フアルのことを思い出す。

(ミラノはうまくやってくれただろうか)

 そう考えて、自分の考える『うまくやってもらう』状態がどのようなものを指すのか、自分なりの結論を持たないことに気づく。なぜなら、シェラガ自身が何故フアルを怒らせたのか、わかっていないからだ。

 最初は、子を宿している伴侶をおいて旅に出たことなのかと考えた。だが、普通の女性ならありうる話も、フアルでは考えにくい。フアルがマタニティブルーにならないというわけではなく、その類の不安には耐性を持っているような気がしたからだ。それに、最後の方は聞き取れなかったものの、彼女の口にした一種の不満は、彼女の持つ不安を分かってくれない、というものではなかったような印象だ。

「猿人類と竜人類では、繁殖における体の造りは異なっている。猿人類には受胎終了のような反応であっても、竜人類にとっては、体が受胎可能になったという反応なのだ」

 どこからともなく声が聞こえてくる。その声は重々しいものではあったが、決して威圧感を与えるものではなかった。これを神々しい声というのだろうか。だが、周囲は漆黒の闇。そして、声の出処はわからない。耳元で囁いているようにも、遠くで叫んでいるようにも感じられる。

「……つまり、人間であれば妊娠しているという体の反応であっても、ガイガロス人にとっては妊娠可能になった、という反応だということか。ということは、フアルは妊娠していなかったのか」

 シェラガのその言葉には、神々しい声は反応しない。その声の主にとっては、それほどの問題ではないということなのだろう。

「ガイガロスが最強の種族と言われる所以は、その類希な身体能力ではない。種を確実に残す能力だ。その生命活動ゆえ、一時は『界』を制したこともある。

 ガイガロスは、外的ストレスにより、卵生と胎生を使い分ける。ともすれば分裂も可能なのだろうが、これだけ複雑化した体を持つと、そのほうがむしろ手間だ。子とは、分裂よりもより周囲の環境に適応した自分自身。それ故、生物は己の子を愛する。それは変形型の自己愛であるといってもいい。種族愛や、種族を超えた幼体に対する愛もその延長にある」

 なんか説教臭い夢だな、と思わずつぶやくシェラガ。だが、声の主はそれに対しても特段怒りを感じるようなことはなかった。ただ、どこかで溜息をついているような間を感じた。

「シェラガよ。お前は神の体、≪星辰体≫を完全に手に入れた。そして今のお前は生物で言うところの死を迎えることがなくなった。通常の入手方法とは異なり、自らの体を≪星辰体≫に物質変換させるという、私でも難しい方法で手に入れたわけだが。

 お前は神になる資格を得たわけだ。

 どうだ、私の代わりに神になる気はないか?」

 声の物言いに少しイラッとするシェラガ。いきなり人の夢の中に現れて、偉そうに講釈たれた上に、いきなり人を人間扱いせずに、神になれ、だと? 

「いや、そもそもあなたは誰なのですか? 俺に声だけの知り合いはいないし」

 少し怒気を含んだ物言いに、声の主は一瞬鼻白んだようだったが、言葉を紡ぐ。

「私はザムマーグ。この星の神だ。といっても、創造はしていない。創造神は別にいる」

「で、その神様が俺に何の用ですか?」

「……そう邪険にするな。神になれば、お前の欲しい知識は全て手に入るぞ。古代帝国の成立から、有史前の世界の事象まで」

 古代帝国の成立を知ることが出来る。シェラガにとっては少し魅力的な条件だ。だが、少し考えて、シェラガはザムマーグと名乗る神に返答した。

「とりあえず、その話はいいです。神になるといろいろ面倒くさそうだし」

 一瞬の間の後、空間全域に響き渡る笑い声。含み笑いでもなければ策謀の笑いでもない、心の底から楽しそうな笑い方だった。笑われているシェラガ自身も、思わず頬が緩むほどに屈託のない笑いは、まるで楽しそうな子供のそれのようだった。

「いや、すまない。断られるのは予想の範疇だが、まさか、面倒くさいという理由で断られるとはな。まあ、神を交代する、というのは実はできないことなのだが、何となくお前になら神の座を預けられる気もする」

 神に推薦されたのが、冗談だというなら、現在神であるザムマーグという存在は何故自身の夢の中に出てきたのか? 

 だが、それすら正直どうでも良かった。そんなことより、フアルの怒りを解くことのほうが先決だ。

「本来、ガイガロスとお前たちの種では子は残せない。

 イン=ギュアバでは、それを何度も実験した。イン=ギュアバはハイブリッド兵士を欲したのだ。別界元からの巨悪と対するために。だが、うまくいかなかった。子を宿して、産んでもなぜかそれ以上成長をしなかった。そして、そのままイン=ギュアバは滅びた。だが、≪星辰体≫となったお前ならあるいは……」

 イン=ギュアバ? 聞いたことのない名前だ。そんな国があったか? 遺跡で見かけたガイガロス人と人間との子の遺体は赤子のものしかなかった。それが理由なのか?

 そう考えたところで、背を何かに引かれる気がした。漠然とした空間にいた自分自身が、徐々に実体化していく妙な錯覚を覚えた。

 これでこの明晰夢は終わる。シェラガにはなんとなくわかった。




 ふと気配を感じ、シェラガはゆっくりと目を開けた。

 窓の外の様子から、既に深夜帯であるのは直ぐにわかった。随分深く眠ってしまったらしい。シェラガは、顔を動かすことなく、目だけで気配の元を確かめる。

 部屋の中は完全な闇。窓の外の深夜の夜空の方が明るかった。

 扉を背に立つ気配からは殺気を感じない。だが、漆黒の闇の中にいる為か、シルエットすらも窺い知ることが出来なかった。その気配が、ゆっくりとした足音で近づいてくる。

 殺気はない。しかし、狂おしいほどの緊張感は伝わってくる。一歩間違えればその影は泣き出しそうなくらいに切実な気配を醸しだしていた。

 シェラガはゆっくりと体を起こす。

 だが、そのシェラガの唇に、柔らかい物が押し当てられた。と同時に両肩をがっちりと掴まれ、その手は首元へと移動していき、滑るように装束の襟元に指が移動していく。

 行動は若干荒々しいのに、その気配は心なしか戸惑っているように感じられる。いや、おっかなびっくりという表現の方が適切かもしれない。

 と、恥ずかしさを払拭するようにその両手は装束の襟元に指を掛けると、引き裂くぐらいに力強く左右に押し広げた。

 何かを口にしようとするシェラガの頬は激しく張られ、その直後に再度唇に柔らかい物が荒々しく押し付けられた。装束は音を立てて引き千切られる。恐らく装束の襟元の重ね縫いをしてある部分が指に引っかかり、結果引き裂かれたのだろうが、その音と少し荒々しい様子に、正体不明の相手に何をされるのだろうか、という恐怖感の中に、シェラガは心地よさと安堵とを覚えた。それは、シェラガ自身、何となく相手の正体を薄々わかっていたからかもしれない。

 贖罪? 憐憫?

 彼自身もそれはわからないだろう。しかしながら、その瞬間「受け入れよう」と確かに思った。

 漆黒の何者かは、そのまま貪るように、無頓着な考古学者を物色した。


「……とある王族の姫は、余りに長い期間幽閉されていたため、外界の情報を得ることはできなかった。それ故、彼女を見張る人間に、様々な書物を要求した。

 彼女は、書物から外界の様子が推測できるほどに賢明だった。

 その人間は渋々ながらも、その姫に書物を渡した。その種類は多岐に渡ったが、中には、ごく一部の変わった嗜好を持つ内容の物もあった。が、その姫はそれが一部の例外とは知らずに読み耽った為、それを一般常識と思い込んでしまった。

 それから幾ばくの時を超え、束縛から解放され、姫の知っていた内容は、所謂異常な性癖であることを知ったものの、あのとき感じた不思議な高揚感が忘れられず、もし実践に移すことがあったなら何となく試してみたい、と思っていたみたいだな」

 漆黒の影は、激しい息づかいを整えようとしていたが、動きを止めた。

「……相手が嫌がるのではないかと、恐る恐るだと物足りなかったろう。俺が無事に戻ってくることができたのなら、頑張って付き合ってやるよ。ちっと怖いけどな。」

 漆黒の影は、もう一度シェラガの頬を張った。だが、それは先程までの戸惑いながらものとは違い、完全に照れ隠しの一撃だった。当のシェラガからすれば、躊躇無い分、一番痛かったかもしれない。

 痛みに堪えきれず悶えるシェラガを見て、漆黒の何者は動揺するような仕草を見せるが、悶えるシェラガの口角が少し上がるのをみて、もう一度軽く叩きながら、微笑んだような気がした。


 翌日早朝、シェラガは再度テキイセへと旅立つ。

 彼の親友は、彼の行動を見越していたのだろうか。出立の間際、彼を外で待ち受けていた。

 皆待っているぞ。

 口角を上げ、そう告げる彼の笑みを見て、シェラガはほんの一瞬目を剥くも、ニヤリと笑みを返す。どうも、彼等には昨日の出来事はばれているらしかった。だが、シェラガは内心の動揺をうまくコントロールし、表に出さずに済ませた。ポーカーフェイスを決め込んだという表現は、あくまで本人の申告によるのだが。

 ちらりと窓の方に目をやったシェラガの視界の隅でカーテンがふわりと動き、黄金の何かが見えた気がした。

 結果的に、彼の長い間の勘違いは、現実のものとなる。だが、その元気な姿を見ることはなかった。

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