憂鬱のレベセス
「……で、リザードマンは全滅させたのか?」
「いや、戦意を喪失した奴らは、徐々にその場から逃げ出したよ。動ける者は、程なくして全ていなくなった。あまり傷ついた者を庇って撤退している、という印象はなかったな」
リザードマンとの戦闘終了後、群れの撤退を見届けた遺跡調査隊は、負傷した兵士と学者を庇いながら、第二宿営地候補地を後にした。
遺跡調査隊の息絶えた仲間達の亡骸については、撤退直前にある程度埋葬も行なった。死者を埋葬している時に、仲間を葬る兵士達から『死者もこんな所で過ごしたくない、地上に帰りたいだろうに違いない』という意見が出たのを受けて、戦死した高機動兵士の持つ指輪は、使用者がはっきりしているものに関しては、遺族に形見として渡そうということになり、残った兵士たちに回収された。
もはや、誰にも戦う気力は残っていなかった。
生きているが、負傷の為に動きの取れないリザードマンは、撤収作業を始めた遺跡調査隊のそばに何体もいた。
だが、第一宿営地への撤退時に、それらに構う兵士たちは皆無であり、手負いのリザードマンも眼前を撤退していく人間たちに対し、何かアクションを起こすことはなかった。
リザードマン側も、今このタイミングでなにかアクションを起こせば、その場で殺されるだろうことは理解しているようだった。
敵であった存在を眼前に捉えてなお、無行動。しかし、それは和解や降参を示すものでは決してなく、交わされる視線には憎悪が包含されていた。
その憎悪は、人間たちも持っていた。近しい人間の命を何人もリザードマンに奪われている。憎むな、というほうが無理な話だ。
そして、眼前にいるのは、仲間を屠ったであろう、身動きのとれない敵。殺せば殺せないことはない。一方的に思いの丈を晴らすことを考える人間がいてもおかしくない。
だが、それでもただ一方的に殺すだけでは終われないはずだ。
必ず、動けないリザードマンなりの必死の反撃をされるに違いない。例え動けないにせよ、彼らも死にたくはないはずだからだ。
その結果は、やはり命のやり取り。
だが、そこに意味などない。感情によって発生する憎しみは、それ以上でもそれ以下でもない。ただ一つ言えることは、無駄な犠牲が生まれ、新たな憎しみが育ち、半永久的にいがみ合い、殺し合う構造が出来上がるだろうということ。ここでの戦闘は、ただの不毛な消耗戦でしかない。
お互いにそれがわかっている。だから、極力その状況は作りたくない。だが、やられて黙っているわけにもいかない。何もされなければ何もしないが、何かされたら全力で抵抗してやる。互いにそんな気迫を発し、また感じていた。それはまさに、受動的な殺意の応酬といってよかった。
シェラガとコーウトは、撤退前の事前確認で、瓦礫の向こう側のギガント=リザード三体は、足手まといになると判断されたのか、既に逃走時のリザードマンたちによって処分されていた事を知ってはいたものの、撤退に緊張感が無くなってはまずい、と考え、仲間たちには不慮の襲撃もありうることを告げ、第一宿営地、そして地上まで緊張感を持続させつつ、何事もなく仲間たちを送り届けることに成功した。
遺跡調査隊は、実質の解体。
撤退時、リザードマンとの衝突は起きず、それ以上の死者を出すことはなかったのが不幸中の幸いだった。
兵士たちは一度第一宿営地に撤収後、先のリザードマンとの二回の戦闘によって落命した兵士や学者の遺体回収のために、再度遺跡に入る計画を立てていたらしかったが、それはあくまで自発的に行われる性質のものだったようで、遺体回収の指示は正式な命令としては発せられることはなく、公式には学者たちは解任、実質の放逐となった。
そして、戦闘での死者の形見として持ち帰ったはずの指輪も、犠牲者の遺族の元に届くことはなく全て没収された。また、生還した高機動兵士のもつ指輪も回収され、遺跡への再進入は実質不可能となった。
シェラガやテマを含めた学者たちも、兵士たちと共に、けが人の撤退のサポートをしながら第一宿営地に戻ったが、その後の労いや鎮魂を目的にした催しはおろか、何の指示もなく、他の兵士同様そのまま地上に戻され、三々五々の解散となった。ただ、テマの手に渡った指輪に関しては、回収の手が伸びてくることはなく、そのまま彼が持ち続ける結果となった。トリカ側からすれば、まさか学者が指輪を持っているとは思いもしなかったのだろうが、それはテマやシェラガにとっては数少ない幸運だったと言えるだろう。
第一宿営地に配属されている、リザードマンとの戦闘に直接関与していない兵士たちは、第二宿営地候補地から命からがら逃げかえった仲間たちの報告として、何度も同じ内容を耳にすることになる。しかしながら、本部からの正式な発表も指示も一切発せられることはなく、いつ襲い来るかわからないリザードマンの脅威に、兵士達は自主的に迎撃体制に移行するしかなかった。
だが、仲間の報告にも一貫性はなく、兵士たちには漠然とした危機感としか感じられなかったようだ。彼らの元に届いた情報のうち、共通のものはといえば、何人もの高機動兵士がリザードマンに殺され、第二宿営地候補地から皆逃げるように撤退してきた、という事実だけだったからだ。
コーウトとケザンは、高機動兵士の隊に戻っていった。もちろん、正体は隠したままで。具体的に彼らが、SMGに何を命じられ、トリカの隊に潜入したのかはわからないが、まだ彼らは任務を完遂していないということなのだろう。
テキイセ貴族の中でも屈指の権力を誇ったトリカの没落は、火を見るより明らかだった。貴族の私兵という、給金のみの契約は、雇い主の命令には従うが、決して忠誠心はなく、掌を返すことも多い。それ故、契約中も互いの関係が良好であればよいが、一度関係が損なわれたり、双方の心理的なバランスが崩れたりすると、途端に機能が停止することもままある。今回、本部から何も指示がないのは、雇用主であるトリカに何か問題が起きたか、トリカと兵士たちの間を取り持つ私兵集団の指揮系統に問題が起きたか、と言ったところだろう。
ただ、学者仲間伝に聞いた話だと、体勢を立て直し、もう一度遺跡に進入するための隊を組織することになるだろう、ということだった。既に次の進入の計画を立てているのは良いが、先だっての進入の経過報告や検討会が成されずに再進入を試みるなら、それは無策の無能集団の活動に他ならない。
そして、今回の件でこれだけの被害を出しながら、何の改善策もない状態で、戦闘経験のない学者たちが、どこまでこのリスクを抱えて再度同行するかは未知数であり、恐らく隊自体の編成が難しいだろうと、シェラガやテマは考えていた。
シェラガは、愚痴がてら今後の身の振り方を気にする学者たちの話を聞きながら、今回の件を振り返り、単身の遺跡再進入を決めた。すると、テマも同行する旨をシェラガに告げた。
最初は固辞したものの、テマはついていくと言い張ったため、結果承諾させられることになる。テマの知識や経験が、シェラガのそれを補えると主張されてしまえば、首肯せざるを得ないからだ。
だが、シェラガは遺跡再侵入前に調べておきたいことがいくつかあった。その為、既にデイエンへの異動が決定しているものの、残務処理の為にテキイセに留まっているレベセスの元を訪れたのだった。
「翼竜の件といい、今回のリザードマンの件といい、古代帝国の遺跡内には過去の怪物が随分いるようだな。絶滅したと言われているが、実際のところは絶滅していないのじゃないのか?」
「可能性がないとは言わない。
絶滅の定義は、非常に曖昧だ。目撃事例がないだけで生き延びている可能性は十分にあるしな。
ただ、ギガント=リザードに関しては、地層からの出土がある一定時期より前しかない。それを考えると、今回のギガント=リザードが生き延びていたものであるという可能性は非常に低い。目撃例も今回が初めてだし、化石が有史以前のもの以外にない」
「……つまり、どういうことだ?」
「新種? あるいは生き延びていた? 可能性は否定しない。
……俺は、別の可能性を考えている。それを裏付けるための作業は、集団より単独のほうがいい。それには、テマ様も同行してくれることになっている。テマ様なら、知識も技術も十分だしな。何よりヒマそうだし」
(一国の先帝を捕まえて暇人呼ばわりするあたり、不敬の塊だな)
そんなことを考えたが、眼前の破顔する男には、一生理解できない感情かもしれない、と思い直し、修正の言葉を飲み込むレベセス。
「……そうか。お前もいろいろ忙しいのだな。
申し訳ないが、今回もお前に力を貸すことはなかなか難しそうだ。俺もこの通りなかなか自由な時間がなくてな。お前がそのために、時間が掛からないように気を使ってくれているのはわかる」
一瞬の沈黙。
表情の変わらないレベセスの眉がほんの少し逆立ち、同時に少しシェラガの表情が引き攣り、眉間に汗が浮かぶ。
レベセスは、とって食わんばかりの勢いで男の胸倉をつかむと、部屋に引きずり込んだ。
「何度も言っているが、ここは五階だ。窓越しに話をするな。あと、訪ねてくるなら日中にしてくれ。それも何度も言っているはずだよな?」
「……その件は、毎度の事ながらすまなかった。ここに到着したのがこの時間だったものでな。どうしてもお前に会っておく必要があった」
言葉尻は反省しているような反応はするものの、その目は決して挫けておらず、どちらかというと楽しんでいる雰囲気さえ醸し出している。
「……おまえ、絶対申し訳ないと思ってないよな?」
彼が最も避けなければならないのは、『管理人』に見つかってしまうこと。説教も正論から始まり、感情論に移行するまでの長い間を、彼は耐え忍ばなければならないのだ。レベセスという男を私人として、最も容易に破滅させることが出来る人間かもしれない。
シェラガの格好は、遺跡調査隊で支給された装束のままだった。それを見る限りでは、トリカ邸から直接この地を訪れたのが本当だということがわかる。よく見ると、リザードマンの返り血であろう黒ずんだシミも散見される。本当に休憩なしでこの地を訪れたようだ。
(いつもながら、思い立ったらすぐ行動する人間だな)
そう考えたところで、ふと疑問に思う。
テマとはいつ合流する? その打ち合わせをする時間もなかったのではないか? 本当にトリカ邸を出たその足でここに来たのなら、どの段階で打ち合わせをしたのだろうか。まさか、第二宿営地からの撤退途中にそんな話などできるはずもない。
「……シェラガ、お前は何処でテマ様と合流するんだ?」
「合流? そもそも別れてないんだが……」
一瞬、言われている言葉の示す意味が分からず、レベセスは考え込んだ。
トリカ邸内の遺跡から、シェラガは直接ここに来た。ということは、行動は共にしているということだ。
しかも、今は深夜。開いている店もないだろう。
では、別れていない? 盟友国の先代の皇帝をどこかの店に待たせておくのは、非常識ではあるが、そもそも、シェラガの頭が『非常識なりに』相手のことを慮った行動を取るように動くはずもない。
レベセスは慌てて窓から頭を出し、外を確認する。
宿舎内の敷地は、よく手入れが行き届いており、下草もきちっと刈り込まれている。
シェラガを決して通そうとしない管理人の勤勉さの賜物ではあるのだが、その人間は敷地内にある、宿舎の背を越えようかというほどの一本の巨木にも良く手を入れていた。そのおかげか、その巨木は空に向かって枝を大きく広げ、夏は陽を遮り、冬は枝の隙間から程よく陽を通し、宿舎の中を適切な温度に保ってくれていた。それでいて落葉時の足もとの汚れもないのだから、管理人が如何に宿舎の維持に砕身しているかがわかろうというものだ。
その巨木の幹の傍に、一人壮年の男性が立っていたが、窓から顔を出したレベセスの気配に気づいたようで、思わず硬直するレベセスを見上げると静かに手を振りはじめた。月明かりだけでははっきりとは分からないが、なぜか、その壮年の男性は笑みを蓄えているように感じられた。
レベセスは、無言で窓から飛び降りた。
レベセスの突然の行動に驚いたのはシェラガだ。いつも、窓から出入りするなと、額に血管を浮かべ、顔を真っ赤にして怒るレベセスが、突然窓から飛び出していくなど。
シェラガが慌てて窓から下を見ると、飛び降りたレベセスが部屋着のまま、壮年の男性の前に跪いていた。
「先刻は大変な御無礼を致しました。この罪は償いきれるものではございませんが……」
片膝を付き、恭しい物言いで、自らの非礼を詫びるレベセスの言葉を、途中で制したテマ。
だが、レベセスからすれば、自らの不敬で国家の危機を招くわけにはいかない。
ジョウノ=ソウ国の皇帝といえば、国家社会的に重要な人物であり、その人物を蔑ろにすることは、例え知らなかったとしても許されることではない。
「いや、気にしないで欲しい。今の私はシェラガという考古学者の友人として、ここを訪れているだけであり、その友人のレベセス=アーグという人物とも交友関係を構築したいと思っているだけだ。政治的には私は過去の人間であり、今はなんの意味もない」
テマはそう笑うが、レベセスからすればたまったものではない。
言動は兎も角として、この場所に滞在中に、ほんの少しでもテマの身に何かあれば、それがそのまま国際問題に発展するのは容易に想像できる。
もっと言ってしまえば、先代皇帝という立場は、今上皇帝ですらそうそう意見できるものではない。彼の気分を少しでも害してしまえば、その先にあるのは、公人としても私人としても破滅だ。自身の地位は自己責任だとしても、脈々と受け継がれるアーグ家を没落させる訳にはいかない。
盟友国の先代皇帝を深夜護衛なく歩かせ、しかも一人でほんの少しの時間とはいえ、待たせる。不本意とはいえ、五階から見下ろす。普通に考えれば、シチュエーションとしては絶対にありえない。
思い返すだけでもぞっとする。
さらに、
「……そういえば、君には見覚えがあるな……。そうか。私がまだ公務に従事していた頃、ラン=サイディール国に訪れたことがあった。その時に、近衛兵として私を警護してくれたのは、君だったかな」
などと言われたものだから、いよいよレベセスは萎縮してしまった。
ジョウノ=ソウ国といえば、ラン=サイディールと発生時期を同じくし、海を隔てたもう一つの大陸に国土を構える軍事国家であった。ラン=サイディールとは、国土的な距離もあったため、何度か交戦状態にはなったものの、そこまで互いの領土に干渉することなく、双方の国家の狭間にある、小国ながら資源豊かな幾つかの国を保護する代わりに、産出物を上納させるシステムを協力しながら何世代かかけて創造することで、安定した関係を構築した。
ジョウノ=ソウ国は、技術に秀でた国家であり、所謂『術』の研究の最も進んだ国家だと言われている。ジョウノ=ソウ国でも、夜の街には明かりが灯るが、その明かりは、蝋燭などの炎ではなく、道具に《操光》の機能を持たせたものだという。また、移動には馬や牛といった動物を使うのではなく、絨毯などの非生物を乗り物として用いているという。いわゆる『術』を最大限用いているのが、この国家の特徴だ。あまりに技術の水準が高いため、古代帝国の末裔が即位している国家と言われているが、真偽のほどは不明だ。
いずれにせよ、ラン=サイディールが最も敵に回したくない国家の一つなのは間違いないだろう。
深夜の静寂の中、誰にも気取られずに執務室に移動をした三人。
当初は、レベセスの特権で、テキイセの最高級のホテルのスイートを準備するつもりだったが、テマはやんわりと拒否する。彼の言葉を借りれば、『友人を訪ねてきたのに、その友人にスイートを準備させるほどの非常識者にはなりたくない』のだそうだが、それはそれでレベセスも戸惑ってしまう。自宅に招待するわけにも行かず、苦肉の策として、執務室へと招き入れることにした。
執務室にシェラガとテマの二人を通すと、テマを上座の自分の席に座らせ、自身は縦膝をついて、礼を尽くそうとしたレベセスだったが、テマに今度は少しきつめに諭され、やっと通常の客人としてもてなす『覚悟』をした。
とはいえテマも、生きている限り自分の地位が消えることがないのは重々承知している。軽率に人目に触れる所に出れば、周囲の人間に自分の正体が気づかれただけで、色々問題が発生することもわかっていた。それゆえ、一般の人間のように生活したいという気持ちは未だあったが、もはやそれを実現するための、なにかアクションを起こすことはやめていた。今回のトリカ主催の古代帝国遺跡調査隊でのアクションを除いては。
応接セットに、部屋の主としてテマを通し直したレベセスは、念の為入国の手続きを確認したが、『テマ=カケネエ』という少し経済的に潤っている考古学者として正式に入国していた為、今度はテマを不法入国者として扱う必要もなく、そこでも胸をなで下ろす。先代皇帝が入国手続きを経ずに、ラン=サイディールの地に居ることは、ジョウノ=ソウ国の先代皇帝の亡命を意味し、友好国とはいえ互いに警戒をしている国家間でそれがなされたことは、それはそれで非常に面倒なことになる。ましてや、一瞬とはいえ、亡命してきている人間を公的な建造物である兵士の宿舎に匿ったとなれば、後の混乱は推して知るべし、だ。
コーヒーを落として、それを振る舞ったレベセスも席につくと、一拍置き、口を開いた。
「ラン=サイディールにようこそおいで頂きました。テマ様。以後は友人として最大限の敬意を払わせていただきます」
テマはニッコリと微笑んだ。
彼の笑顔は、酷く心を惹きつけられる。惹きつけられるというよりはむしろ、洗脳される、という方が正しいかも知れない。脳髄に食い込んでいくような、一種暴力的とも言える魅力は、例外なく人々を彼の前に跪かせる。
レベセスは、彼の笑みに答えながらも、あまり吸い込まれすぎてはいけない、という理性的な警告を再確認する。しかし、本能がテマに対して忠誠を誓おうとするから、抗うのは難しそうだ。
「で、俺に相談というのはなんだ?」
レベセスは、意図的にテマから視線を外し、シェラガに向き直る。
「俺とテマ様は、もう一度トリカ邸の遺跡から内部へと侵入し、調査を継続するつもりだ。指輪の件といい、リザードマンの件といい、なにか古代帝国の遺跡内では、とんでもないことが起こっているような気がする。
本当はそこに行って調査して、結論を得たいというのが本当の気持ちだ。
だが、その前に知っておきたい。なぜトリカ卿はなぜ、愛する孫娘を調査隊に同行させたのか。状況からしても今回のリザードマンの急襲のような事態は起きうる事は想定できる筈だから。
それでも同行させたのはなぜ?」
「古代帝国の遺跡に、まさか過去の獰猛な生物が屯しているとは思っていなかったのではないか?」
自分の落としたコーヒーに手をつけないシェラガに、ゼスチャーで勧めながら、自身もカップに口をつけるレベセス。
「いや、トリカ卿は知っているはずだ。古代帝国には過去の生物が跋扈していることを。それゆえ、屋敷周りに高機動兵士を配置していた。あれは、屋敷へ入ろうとする者の排除を目的とした配置じゃない。屋敷から出ようとする者を出さないための配置だ」
テマもカップを手にしながら、ソファの隣に座るシェラガを無言で見つめる。
「そして、先のデイエン大が主体となった遺跡調査の時も、トリカ卿は後援者、研究者の双方で参加している」
シェラガは以前、古代帝国の研究者を師事し、大学に勤務していたことがある。彼は古代帝国史専攻であり、二十代初の教授に就任した。だが、当時の古代帝国の遺跡調査時に翼竜の群れに襲撃され、死者こそ出さなかったものの大量の怪我人を出し、高価な機材を遺棄せざるを得なかった為、その責任を取って大学を去ることになった。だが、彼の下に集った者は、未だにシェラガを師事し、また仲間として交流を残している。
「遺跡の場所は多少ずれているが、双方浮遊大陸が墜落したと言われる箇所に被っている。遺跡に旧世界の怪物が出ないと判断する根拠がまるでないんだよ」
「……だが、護衛をつけているよな」
「だが、その護衛も奴らには役に立たないのも、彼は知っている筈」
稀代の考古学者の言葉を受け、二の句が継げず沈黙するレベセス。ややあって彼の口から零れたのは、反論の根拠ではなかった。
「高機動兵士でも無理なのか?」
「奴らで最も厄介なのは、リザードマンでも、翼竜でもない。奥にいるのはもっと恐ろしい奴らだろう。俺も現物は見たことがないけれどな。化石から推測するに、もっと大きくもっと速くもっと恐ろしい奴らはいる。それに、小さくても恐ろしい奴らもいる。
言ってしまえば、危機の種類が全くもって予測不能なのだ。
レベセス、お前に孫娘がいたとして、過去の生物のリザードマンや翼竜がいるのを知っていて、かつそれ以上の奴らがいるだろうことが容易に推測できて、それでも孫娘が行きたいと言ったら、お前は行かせるか?」
いよいよレベセスは沈黙する。
「……もし、それでも行かせるなら、それはもう殺されに行かせているようなものだよ。愛する孫娘に、一体何があったのか。
カルミア姫について、何か変わったことはないか調べて欲しい」
言われてみれば、シェラガの主張はもっともなのだ。
戦闘行為を起せば、劣勢になるのが解っている相手に対し、わざわざ戦闘を仕掛けるのは愚か者のすることだ。仕掛けるなら、それなりに勝算がなければ。そして、仮に敗北するにしても何かしら得るものがなければ……。
「そして、もう一つ気になっているのが、俺を誘拐しようとした下級貴族たち。彼らの死も、不慮の事故のように見えなくはないが、これは計画的な殺人だと思っている」
「……お前に言われて調べたトリカ卿の件だが、彼は好々爺を演じていたようだが、その実、相当に黒いな。
過去に何件かあった、歴史のある没落貴族の取り潰し。その殆どにはトリカ卿が関わっているようだ。貴族の爵位返還あるいは取り潰しが行われるには、様々な条件と状況が考えられるのだが、トリカ卿が関わったと思われる事案は、その全てが、本家当主の自害あるいは事故死による。相続者が居ればその者も巻き込まれている。そして、その理由は例外なく借金」
「俺が彼らに攫われた時、彼らは証文のようなものをトリカ卿から返却されることで、契約が成立したような事を言っていた。あれは借金の証文だったのだな」
「お前が持ち帰った証文の残りカスから、全文は読み取る事は出来なかったが、契約不履行の場合、借金のカタに土地の権利をトリカ卿に譲渡する旨が記されていたようだ。ここいらの土地は、恐らく借金のカタに取り上げた土地なんだろう。
まあ、これだけ周到なトリカ卿だ。土地の権利に関しては違う所に保管してあるだろうな。そして、殺された者たちに戻された書簡は、紙を模した燃えにくい素材で作っており、無理に燃やせば、人が吸うと呼吸困難に陥る気体を発するようだ」
一瞬、シェラガが苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた事に、レベセスは気づいただろうか。
油断はあった。だが、それにしてもお粗末だ。あの場でゴウト一味が扉を破ってくれなければ、シェラガは既にこの世の者ではなかった。
伝説の聖剣を限界まで使いこなせるようになり、人間が彼に与えるだろう危機はほぼ回避できる自信があった。だが、その自信故、様々な判断が遅れたのだ。もし、ガスの発生に気付いた時点で聖剣を発動させ扉を破っていれば、あの醜態はなかった筈だ。だが、その瞬間にできる全力の対応をしなかった。
その結果が、ガスによる失神。
ゴウトに助けられた事よりも、自分の判断ミスによって招いた失策である事が、彼自身許せなかった。
そんなシェラガに気付いたのか、一瞬言葉を飲み込み、科学者戦士の眼差しを確認するレベセス。だが、その後は何もなかったように言葉を繋いだ。
「トリカ卿は、テキイセ内の自身の領地を着実に広げようとしている。広げる理由はわからん。少し前ならば、その地の民衆からの徴税による収入アップを目論んでもいたのだろうがな」
「……手に入れた敷地には、古代帝国の遺跡への入り口があるはずだ」
コーヒーを飲み干したテマは、カップをソーサーに戻しながら呟いた。
テマに言われて、執務室にあった資料を調べるレベセス。すると、今回の事故で命を落とした下級貴族の土地の中で、古代帝国の浮遊大陸が墜落したとされる個所に、それぞれの領土が半分程度かかっているのが見て取れた。
「他者の土地であれば、遺跡調査をするにしても、権利関係の手続きがあり、非常に手間がかかる。ましてや、遺跡調査の結果、出土した様々な物の所有権はその土地の持ち主にある。『指輪』のような酷く危険なものが出土した場合や、翼竜の様な物が外に出てしまった場合のその後の対応を考えると、他人の土地で調査するのはリスクのほうが大きい。
当初は恐らく、遺跡にかかった部分の土地を、所有者から一部購入していたのだろう。だが、足元を見る貧困な貴族も少なくはなかったはずだ。その繰り返しのうちに、正攻法での土地確保よりは、現在の方法の方が出費も少なく、彼自身のストレスも少なく済んだのだろうな。
気の毒といえば気の毒だが……」
テマの言葉に、レベセスとシェラガは思わず顔を見合わせた。
自分たちの住む世界では考えられない話だ。
だが、友好国先代皇帝ともなれば、貴族の凋落も目の当たりにしてきていることだろう。身を落とす貴族の最後のあがきによって、他者が傷つくならば、それも為政者として処断せねばならない。例え、そこにどのような理由があったとしても。
シェラガは、再度遺跡に進入する前に、テマから二日の猶予をもらった。
レベセスとテマが、一度ラマの村を訪れてフアルに会ってきてはどうか、と提案したからだ。確かに、ラマのズエブの所にフアルを預けてから、既に二十日近く経過している。フアルの体調も気になる所だ。
ジョウノ=ソウ国の先代皇帝が、辺境のラマの地をいきなり訪れたら、ズエブはどんな表情を浮かべるだろうな、と妄想し、ニヤリとしたレベセスだったが、直後にどん底に突き落とされることになる。
「シェラガ、夫婦水入らずで過ごしてきなさい。
私はここで待つ事にするよ。テキイセもいろいろ見て回りたいからね。遺跡の調査が終わったら、デイエンも見ていこうかな」
お待たせしてます。
一応、話の大筋はできていますが、ちょっとした思い付きで微調整が入ると、そこから大筋に戻すのに、手間取ってしまっています。
でも手間取ったなりに面白くなっているかな、なんて自画自賛したりして。




