第二次対蜥蜴男戦線 その2
少し短めです。戦闘シーンそのものを長く書こうとすると冗長になってしまったので、バッサリと切り捨てました。
シェラガとコーウトが弩弓の対応に向かった直後、テマはケザンに、とある指示を出した。
それは、弩弓の矢が飛来する際に描く動線に対して、完全に垂直になるように、高機動兵士たちの防御壁を作る事だった。高機動兵士たちの能力は一定ではないが、少なくとも全員が弩弓の矢に対して対応できるだけの身体能力を持っていることは、各人が矢の飛来に対して持てる武器で対応しきれている事実から推すのは容易かった。
だが、各人が自身と傍にいるペアの人間を守るだけのリアクションなので、彼らの行動が防御一辺倒になっていた。
テマはそれを、全体的に効率化することで、余力を生み出し、想定される弩弓の斉射終了後の、まだ見ぬ敵の突撃に対応するために、防戦一方の現在の状況を打開したかった。
弩弓の矢が止んだと同時に突撃はあるはず。矢が飛来している最中の突撃はまず考えられない。であれば、狭い範囲の防御を強化することで、矢の対応と、その直後の敵兵の突撃に対応できる陣を敷いておきたい。
だが、ケザンもテマの正体がわからない。幾らシェラガの指示とはいえ、何処の馬の骨ともわからぬ男の指示に従う事の危険性は、ケザンも十分に承知している。だが、拒絶するには、彼の指示はあまりに的確すぎた。
それが尚更ケザンを惑わせる。
他の高機動兵士たちは、テマは愚か、シェラガやケザンにまで不信感を持ち始めている。
一体何の権限があって自分たちの指揮を取ろうとするのか。
疲弊時の戦闘集団は、単純に弱者に力を誇示して心のバランスを取ろうとする。現状はそこまではいかないが、兵士たちの間でも、相当にストレスが溜まっているように感じられた。
部外者テマと、女で新参者のケザンの指示など、まともなはずはなく、聞く耳など持つ必要はない。
そんな空気が漂っていた。
そして、弩弓による多くの死者を目の当たりにしたこともあり、兵士や学者集団も平常心を保つのが難しくなってきていた。私兵集団であり、短期間の共同生活とはいえ、やはり仲間として、人としての繋がりは構成されていく。そこでできた『仲間』が死んでいく様は、やはり戦闘を第三者的に捕えている人間とは感じ方も異なってくるだろう。
シェラガは、コーウトともにこの地を離れる前に、テマには指揮を頼み、ケザンには指示の伝達を頼んだ。それは、シェラガのテマに対する気遣いにほかならなかった。それを重んじたテマは、己の行動をあくまで事態の把握とその打開策の策定にのみ留め、具体的な指示はケザンに任せていた。
だが、ケザンも高機動兵士の中では新参であり、他の高機動兵士たちにしてみれば、名も知らぬ新人に指揮を取られることは、侮辱行為にほかならない。仮に軍としての立場があったところで、年齢だの経験だの、大凡能力とは関係ないポイントを掲げては反発するのが、軍をはじめとする団体の常だ。
それが、後ろ盾の何もない状態での新人の指揮に従えるはずもない。
ましてや、過剰な攻撃の連続で高機動兵士たちも苛立っていた。あるきっかけで、高機動兵士たちが暴走しだすのは時間の問題だと言えた。
「……リタイアなど、何の意味もないのかもしれんな……」
テマは、徐々に悪化していく戦況と、周囲の雰囲気を敏感に感じ取り、まずは敵に対して一丸となっていく姿勢を立て直すために、ある決断をした。
弩弓の矢が、突然止む。
と同時に、猛獣のような雄叫びとともに、誰しもが見た怪物の群れが突進してくる。
リザードマンの大群。
日中に相手をした数の五倍以上はいるだろうか。それが、今回は明らかに怒りを自分たちに向けて突進してくる。
ましてや、高機動兵士は、弩弓の矢による奇襲で、その数を半分以下に減らしていた。日中の対リザードマン戦では高機動兵士が数で圧倒していた。しかし、今回は数もリザードマンの方が遥かに多い。それの意味することは火を見るより明らかだった。
絶望が雄叫びを上げながら爆進してくる。
彼らにとっては、あの容姿は既にトラウマだ。それも彼らの動揺に拍車をかけた。一部の高機動兵士は遁走を意識し始めたようだ。どこに逃げるなどというあてはない。だが、少なくともここにいることは間違いなく死を意味する。その状況を甘んじて受け入れる程、彼らは守るべき者に対して忠誠を誓っているはずもなかった。
高機動兵士部隊の崩壊は、もはや時間の問題だった。
眼前より迫り来る殺意の津波。後方に控えるのは自身の金蔓。しかし、それは脆弱。むしろ、指輪さえそのまま持ち去れれば、どこの私兵としても高額で雇ってくれるに違いない。
逃げるか……。
弩弓の矢が止んだ今こそがその決断の時。
だが、高機動兵士たちの中で膨れ上がる恐怖心が突然萎縮していく。まるで、温風を背後から当てられたように、指向性で恐怖心が拭われていくのは、そこにいた人間にとって初めての経験だった。
場の空気が変わる。
絶望と恐怖しかなかったこの空間に、突然闘争心と庇護心が屹立する。
カルミア姫を守らなければ! 仲間たちを守らなければ!
先程までの下卑た心は姿を消し、騎士の心を突然手に入れた高機動兵士たちは、背後からの言葉だけに鼓舞されたのだろうか?
「余は、貴国ラン=サイディールの盟友国、ジョウノ=ソウ皇国皇帝が父にして、先の文皇帝テマ=ズィカンカネ=モ=カケネエである! この度、盟友ラン=サイディール国要人トリカ=サイディール公との約束により、公女カルミア守護の為、そして公女を守護する他国の同志の為馳せ参じた! 公女カルミアを死守せよ! 貴殿らの騎士の心と怪物を凌駕する力、猛る虎の狩りの技にて、迫る憎き悪魔共を蹂躙し、この地に安寧をもたらしてほしい! 同志ケザンの指示は完璧である! 故に遵守は皆を守るであろう!」
テマの言葉で、突然変わった場の雰囲気が、限りなく安定する。まるで突然盛り上がった岩盤の防護壁に粉末化したダイヤが吹き付けられ、岩盤の防護壁が揺るぎない障壁として機能し出す。そんな圧倒的な安心感が高機動兵士たちの心に宿り、同時に闘争心が膨れ上がる。
いきなり背後から正体不明の存在に、このような言葉をかけられたところで、通常ならば蓄積された恐怖の前には何の役にもたたないはずだった。
だが、それは起きた。
高機動兵士たちは、自らの意思でケザンの指示に従い、テマを、そしてカルミアを守るために陣を敷いた。
統制さえ取れれば、例え迫り来るリザードマンの大群であろうが、問題とはならなかった。高機動兵士たちは損害をほぼ出すことなく、リザードマンの突進を凌ぎ、逆に押し返し始めた。
リザードマンの突進を背後から追うことになったコーウトとシェラガも、テマから発せられた謎の雰囲気にあてられる。彼らはその異様さに思わず足を止めた。
「なんだ、この雰囲気は? この異様な心の動きはなんだ?」
コーウトの呟きに、隣に立つシェラガは呻くように答える。
「『人たらしの覇気』……」
「な、何?」
「リーザの覇気はわかるよな? あの、人を萎縮させ闘争心を萎えさせる、彼女が持つ独特の雰囲気。あれの人たらし版だ」
身も蓋もない言い方ではある。だが、比較としてはまさにその通りだった。
テマは、その類い稀なる話術に加え、生まれながらに人を引き付ける独特の雰囲気があった。いや、雰囲気などと言う生易しいものではない。当てられた人間は防ぐことがほぼ不可能な、手術時の麻酔のようなものだ。シェラガとコーウトは、距離がある程度離れていたことと、ある程度耐性があったため、その違和を感じとることができた。だが、距離がほぼない状態で『人たらし』にあてられ、且つ言葉をかけられたら、ほぼ何の抵抗も出来ずに術中にはまっただろう。
数では圧倒的に劣る、高機動兵士軍だったが、過去に例がないほどに善戦した。
だが、物量差はいかんともしがたい。多勢に無勢だと、どこかに戦力のたわみが出てくる。
数頭のリザードマンが高機動兵士の防御壁を突破しカルミアへその刃を突き立てようとしたまさにその瞬間、コーウトとシェラガは追い付いた。
まさに紙一重だった。
カルミアに降り下ろされた刃の光が、白く美しいカルミアの顔を照らし上げるまさにその瞬間、コーウトは横から、そのリザードマンを渾身の力を込めて凪ぎ払った。
胴体を切断されたリザードマンの上半身は、くるくると回りながら弾き飛ばされる。だが、そのまさにその瞬間も、分断されたリザードマンはカルミアの目を狙って剣を突き立てようとしていた。
カルミアは息を飲む。目の前で分断されたリザードマンが、憎悪の眼差しを彼女に向けながら、回転しつつ彼女に刃を立てようとしているのだ。
彼女の視界に映るリザードマンの剣の先端が、徐々に近づいてくる。それは限りなくスロー。しかし、その分カルミアは長時間の恐怖を感じることになった。
当たる!
目を閉じることすらできぬカルミアの眼前を青白い光が横切り、刃を弾き飛ばした。
コンマ数秒遅れて到着したシェラガの聖剣が、カルミアを捉えていた刃の腹部を撃ち抜いた。
斬撃ではなく突撃。聖剣の切っ先がリザードマンの刃の先端に近い腹の部分を捉え、そのまま押しきったのだ。
そして、シェラガ自身もそのままリザードマンの切れた上半身をチャージで弾き飛ばした。
カルミアの前に残されたのは、上半身を無くし、目標物を無くした下半身であり、それは突進を続けたが、本来の目標とは異なる明後日の方向に突進を続けていった。
シェラガとコーウトは改めて武器を構え直すと、カルミアの前に立ち塞がり、僅かに障壁を越えてくるリザードマンを確実、かつ迅速に排除した。
「……ありがとう……、コーウトお姉さん、シェラガおじさん……」
これだけの戦闘が、自分を守るために行われている事を察したのだろうか。呟くように、ではあるが、カルミアの口から感謝の言葉が漏れた。それは、今までの傲慢で増長したカルミアからは考えられないことだった。
「お……おじ……? お姉……?」
思わず、自分とコーウトを交互に指さし、カルミアの言葉の真意を確認する。だが、こっくりと頷くカルミアに、思わず肩を落とすシェラガ。隣ではコーウトが勝ち誇ったような表情でシェラガを見下ろしていた。
「はっはっは。どうやらこの勝負はあたしの勝ちのようだね、シェラガよ」
このやりとりの後、リザードマンを屠るシェラガの剣に殺意が増したのだが、当の本人は気づいていない。
コーウトの正体はわかりましたが、カルミアとの関係については、まだ考えていません! なんとなく頭の中で描いてはいるのですが、どれも、『実は』的なありふれたものにならないようにしないとなあ……。




