第二次対蜥蜴男戦線 その1
遅くなりましたが、更新します。
賞は落ちても、書き続けるぞ。
矢の雨の中を直進するコーウト。その巨体は、単身にして凄まじい突進力がある。
少し後方からコーウトを追うシェラガは、思わず見惚れた。
弩弓から射られた矢の雨の中、全く躊躇せずに進むその様は、歴戦の騎馬隊の突進の如き力強さだ。
彼女に直撃する軌道の矢は、全て弾かれる。飛来する矢が、彼女に直撃する直前、体をくの字に曲げて、飛び退っているようにさえ映る。
洗練された野生動物の動きとはこういう物なのか。
獲物を追うグリズリー。縄張りを争って戦う獅子。全ては躍動感あふれる生命力の美しさ。それと同じ力強さを、シェラガは彼女の背から感じ取っていた。
だが、その突進も、瓦礫の壁にぶつかり終了する。矢を射る存在は、眼前の瓦礫の向こう側だ。上空に矢を射て、瓦礫を越すように射撃を行なっているという事か。だとすると放物線を描いてなおこの威力。
人が射た矢の場合、距離があると当たっても刺さらず地面に落ちるだけ、ということはままある。それでもかすっただけで殺傷能力を得るために、矢尻に毒を塗るのが常なのだ。しかしながら、今回の矢の威力は、頭蓋骨を貫通するものだった。そして、これだけの長距離から矢を放っている。人の手では最早成し得ない技だ。やはり、台車を使っての弩弓の攻撃であるというコーウトの判断は正しかったのか。それとも、人間ではないとてつもない化け物が矢を射ているとでも言うのか。
「コーウト! 瓦礫を越えるぞ」
後から瓦礫の麓まで到達したシェラガは、そのまま瓦礫の突起部分を足場にして、全く速度を殺すことなく瓦礫を駆け上がっていく。瓦礫の向こう側から放たれる矢は、とてつもなく恐ろしい武器だが、瓦礫の直下は死角だ。
コーウトもそれに続いた。
瓦礫の高さは、凡そ五階建ての建築物程もある。だが、シェラガはもとより、コーウトも指輪の力を使い、跳ねるように登っていく。
瓦礫の最上部に到達した時点で、シェラガの足が止まった。やや遅れてくるコーウトも、眼前の光景を見て絶句する。
「……な、なんだ、あの化け物は」
小山だった。
おそらく丈は彼らが立つ瓦礫より高い。しかも、若干猫背であることを加味すると、上背はそれより更にあるだろう。
瓦礫の向こう側には、漆黒の闇が広がる。だが、目を凝らすと、闇の中、更に巨大な黒い影が踊る。何となく見覚えのあるシルエット。だが、彼らが見知った『それ』と比較しても恐ろしく大きい。
シェラガは、ほんの数日前に使えるようになった術≪操光≫を用いた。掌から延びるほぼ直線的な白い光が闇を分断し、その中に巣食う者たちを照らし出す。
いた。
彼らがかつて見知った『それ』よりも鮮やかで、ともすれば蛍光色と言われる類の色彩。
だが、それは同時に毒々しいイメージを与える。神がこの色彩を『それ』に与えたのならば、その理由は、『それ』の存在の警告。巨大な『それ』がここにいること。敵から身を隠す為の保護色ではない。『かの者はここにいる。他の者よ、避けて通れ』。そう伝える為の色彩。そう説明されても誰しも疑わない。
瓦礫の上からシェラガとコーウトが目の当たりにしたのは、とてつもなく巨大なリザードマン。瓦礫の頂点にいてなお、見上げるような体躯を持つ怪物が、弓を引き絞り、矢を放っている。
そして、彼らが何より違和感を覚えたのは、それほどに巨大な爬虫類であるにも拘らず、彼らの動きに依る音がないのだ。無声映画を見ているような錯覚。だが、そうでないとわかるのは、巨大なリザードマンが引き絞る弓、そして風を切る無数の矢が発する音が彼らの耳に届くからにほかならない。
矢の放ち方も、また異様だった。
機械を用いて放つ大きな弓の筈なのだが、それが巨大なリザードマンの手の中に入ると、駄菓子屋で売られる弓のおもちゃのようにしか見えない。
一本が成人男性の背の倍以上は長い筈の弩弓の矢が、そのリザードマンの手の中に入ると、まるで鉛筆サイズだった。
リザードマンは、その矢を指の間に一本一本挟み、射ることで四本同時射撃を実現していた。そして、矢をつがえる速度もまた速く、一秒間で四回も五回も発射していた。矢を射る姿勢は、弓を構えるそれというよりは、小さなウクレレを奏でているようにさえ見えた。
そんな巨大なリザードマンが三体。
ウクレレの弦を弾くと、死へと誘う矢が四本放たれる。
まさに悪魔の演奏だった。
「あれは……ギガント=リザードか。リザードマンも絶滅したはずだが、まさかそれよりも前に絶滅したはずのギガント=リザードまで現れるとは。一体、古代帝国の遺跡では何が起こっている……?」
コーウトの質問にやっと答えるシェラガ。
だが、その声色には期待の色は全くなく、どちらかというと、目の当たりにしたその現実に戸惑っている様子だった。マニアではない、研究者としての考古学者のシェラガの目は、明らかに事態の異常を感じ取っていた。
本来、リザードマンは絶滅が裏付けられているはずの種族だった。
リザードマンも、大元はガイガロス人と先祖を同じくする、爬虫類人。どの状態で種族的に分岐したのかは、まだ明らかになっていないが、リザードマンの化石とガイガロス人の骨格には、共通点が多々見受けられる。先祖が同じという事ではなく、もっと前の類人蜥の時点で進化系統を変えたという程度の共通点ではあるのだが。
哺乳類人である人類が、他の類人猿を滅ぼし、地上を支配したのと同様、ガイガロス人も他の類人蜥を駆逐し、爬虫類人として地上を支配したと言われるが、その過程で排除された他の類人蜥の一つが、リザードマンであり、その中の一種であるギガント=リザードだった。
だが、眼前には、ドラゴン化したガイガロス人並みの巨体を持つ古代の怪物が間違いなくいる。
ガイガロス人の先祖が、まだドラゴンマンと呼ばれる類人蜥だったころ、リザードマンを駆逐できたのは、一重に翼の存在、すなわち飛翔能力の有無だったといわれる。
そして、人間が類人猿から猿人になる過程で尾を失ったが、ガイガロス人も類人蜥から爬虫類人へと進化する過程で、尾以外にも皮膜の翼を失った。宿敵を滅ぼし、爬虫類人として地上を支配した彼らが生活するにあたって、必要のない体の部位として退化したそれは、肩甲骨に翼の関節の名残として突起が残っている。それが、ドラゴン化した際には、それがまた急激に変化し、ドラゴン化した人間の背に鎮座することになる。
「ギガント=リザードはその巨体故に絶滅したと言われているが、見る限りではその巨体のせいで動きが鈍っている様子もない。これはこれでいい研究材料になるかもしれないな」
そんな、学者としての探求心を思わずこぼすシェラガに、コーウトは失笑するしかない。
「まずは弓の破壊だ。弓さえ破壊すれば矢の射出はない。これ以上の被害は出さずとも済む」
「了解した」
弓の破壊。
この場合のシェラガの考えは、リザードマンの持つ弓の機能の破壊だ。弓は、長距離攻撃としては、矢を放てるが、矢が無くなれば、投石器として機能する。人の手で放たれるより、精度、飛距離共に高い武器として用いられるのだ。
近距離戦闘の武器としては、その長い本体を用いての打撃、刺突用に用いられた。上弭と呼ばれる、弦を掛ける部分に刃を設け、曲折した槍としても使用された。
まずは、飛び道具としての機能を殺す意味で、弦の破壊を主眼に置く。本当は接近して、弦を切断したいところだが、あれほどの大きさ、重さの矢を飛ばす弦だ。どれ程の張力で張られているのかは皆目検討もつかない。だが、裏を返せばその凄まじい張力の弦を切断出来れば、その弦がそのままギガント=リザードに致命傷を与える事も可能だろう。
だが、弦を切るにあたって、シェラガやコーウトは飛び道具を持っていない。いくら高機動兵士といえども、無策で接近するのは危険極まりない。
となれば、ギガント=リザードの射撃を止めさせる方法をまずは考えるべきだろう。
コーウトは、シェラガと作戦の打ち合わせもそこそこに、ギガント=リザードの足元に降り立つ。
あれほどの巨体であれば、足元を攪乱すれば射撃の精度も落ちるだろう、との予測は、ある意味間違ってはいない。恐らくコーウトは、見上げるような巨獣とも何度も対峙したことがあるのだろう。しかし、一体どこで……。
そんなシェラガの僅かな空想の時間も、コーウトの叫び声にかき消される。
「学者ぁ! 光を消せ!」
コーウトは、ギガント=リザードの足元を守る無数のリザードマンたちを蹴散らしながら、ギガント=リザードの足元への攻撃を仕掛ける。シェラガの≪操光≫を消させたのは、己の目に光が入るのを防ぐため。恐らく、指輪の効果によって、暗中視力が高まっているため、光によって視力を取り戻したリザードマンたちから、突然再度光を奪うことによって、乱戦のコーウトは更に奇襲効果を上げられると踏んだのだろう。その意図を汲み、シェラガは一度三体のギガント=リザードの目に≪操光≫の光を当て、そして消した。
実際、コーウトの手斧は、第一次の蜥蜴男戦線の時よりも、より速くより効率的にリザードマンを蹂躙した。
だが、持っていた二本の手斧でギガント=リザードの大木の様な足を切りつけようとも、びくともしなかった。
一見してダメージはないにように見えたのにも拘らず、コーウトは何度も同じところを切りつけた。何度も手斧で切りつける事で、徐々にギガント=リザードのウロコが剥がれ落ちていく。
ギガント=リザードは、足に受けている攻撃に、痛みを覚えているのかは不明だったが、少なくともコーウトの連続の斬撃を嫌がっているように見えた。
ギガント=リザードの一頭は、弩弓での射撃をやめ、足元のコーウトを気にし始めた。足踏みをすることでコーウトの攻撃を避けようとするのだが、その足に何頭ものリザードマンが掛かり、負傷をしているようで、ギガント=リザードとの間に若干の内輪揉めが起こり始める。
足元をかき混ぜたコーウトは、次のギガント=リザードの足元も同様にかき乱し、三頭の内二頭のギガント=リザードの射撃をやめさせることに成功する。
「すごいな、戦士って、ああいう戦い方もできるのか」
瓦礫の上で、シェラガはコーウトの戦い方に感心する。
だが、シェラガもその戦いの様をただ眺めていたわけではない。ギガント=リザードは、足元のリザードマン達と対等の信頼関係を築いているわけではなく、どうも無理矢理戦わされているようであることに気付く。
ギガント=リザードの動きに対して、リザードマンは苛立ち、暴行を加えることで優位性を取り戻そうとしている。だが、ギガント=リザードは自分たちの巨体がリザードマン達に比べて格闘において優位性を見出したのだろうか、最早三頭とも弩弓を使った射撃をやめ、足元のリザードマンとの戦闘に突入した。
「どうだ、学者よ。これが戦士の戦い方よ」
いつの間にか戻ってきた血みどろのコーウトに背後を取られ、驚くシェラガ。
だが、背後に立つコーウトには、傷が一つもない。すべてが返り血だというのか。
「さて、一度戻るぞ。あちらが心配だ」
コーウトは、自身の肩越しに親指で指し示す。それは、先ほどシェラガ達が野営を行っていた場所だった。
瓦礫の上から、先程まで自分たちのいた箇所を振り返ると、恐らく別動隊であろうリザードマンの軍勢が、弩弓の矢によってかなり消耗させられた調査隊の高機動兵士たちとの戦闘を繰り広げられていた。
「でかい蜥蜴と小さい蜥蜴の戦いは、しばらく放置していいだろう。同士討ちが終わった時点で生き残った方を改めて倒せばいい」
一気に攻め立てることで、ギガント=リザード三体を戦闘不能にし、その周囲にいるリザードマンを全滅させることも、時間さえかければできただろう。
だが、コーウトはその選択を取らなかった。
同じ時間をかけるなら、そして、同じ戦闘をするのならば、味方の損害が少ない方法をとる。その考え方がひしひしと伝わってくる。
被害を伴う早急な事態の収束より、被害の伴わない時間の掛かる事態の収束を取る。そういう事なのだろうとシェラガは思う。
そして、その思想は、シェラガの知る人間と同じものだった。一気に調査を進めるにしても、退路を確実に確保しておき、損害を極力抑えつつ確実に正解を持ち帰る。リーダーの資質になくてはならないものだ。
彼は、同じような資質を持つ、凄まじく能力の高い戦士を知っていた。ただ、残念なことは、最初の邂逅が、聖剣の噛ませ犬的な役を与えられた場面になってしまったことだった。それがその男のプライドをひどく傷つけているのは承知していたし、一方的にシェラガを嫌悪の対象とみているとしても仕方のない状況ではあったのだが。
「……ケザンも同じか? ゴウト」
先程まで、大勢の軍勢を相手にしても、巨大なリザードマンを見ても、驚きこそすれ、全く物怖じしなかったコーウトの動きが初めて止まった。
「……どこで気づいた?」
ややあって、コーウトは小さく吐き出す。事態は全てうまくいっている。そう思っていたようだった。
だが、シェラガは、彼女の正体に自身がたどり着いたこと自体には、さほど興味がなさそうに答えた。
「古代帝国には、性別を転換する術もあったと聞く。それで性別を変えて隊に紛れ込んだな」
「学者ぁ、てめえはどこで気づいたのかと聞いている」
ドスの効いた声で脅すコーウト。だが、シェラガは、既に眼下のカルミアを守ろうと奮戦するテマ達の方に注意を移していた。だが、あまりのしつこさにシェラガは不快そうな表情を隠さない。
「体は女性のものになったかもしれんが、個性は変わってない。どう見ても男の振りをしている女ではなく、男そのものなんだよ。術が不完全なのか、あんたの力が強すぎるのかは知らんが」
コーウトからすると、自分がSMGの人間だと気づかれたことは相当の問題だった。
任務を遂行するために、性別を変えてまで、トリカの私設部隊に紛れ込んだのだ。そして、調査隊に入ることも成功した。
だが、それがシェラガに気づかれたということが、今後の任務に支障を来す可能性は大いにある。そして何より、彼にとって相当にプライドを傷つけられる事態だったようだ。それは、前回彼から受けた侮辱を上塗りするものだからだ。
「このまま事故に見せかけて、てめぇを殺すことは容易い。いっそのこと始末してやろうか?」
どう見ても私怨としか思えぬ感情をむき出しにする彼女を見て、未だに自分は恨まれていることを知るシェラガ。だが、恨まれるのは慣れっこだ。そして、恨まれているからといって行動パターンを変える気もさらさらない。
元々は、自身もトリカの狙いを探るためにトリカ邸に潜入したのだから。
「別に、俺はあんたの任務を邪魔するつもりはない。敵対するつもりもない。
あんたらは、SMGの命令でトリカの隊に紛れ込み、トリカの狙いを掴んでくればいいんだろう? その邪魔をしないために、ケザンがあんたの仲間なのか違うのかを聞いておきたいだけだ。
どうしても戦いたいというなら、また改めて機会を作る。俺も不意打ちで常に命を狙われるのはゴメンなんでな。今は、カルミア姫とテマ様が心配だ」
一度、凄まじい憎悪の視線をシェラガに送るコーウト。
だが、その憎悪の視線が、彼女のシェラガに対する悪意の行動の最後となった。
「……あたしは、今はコーウトだ。それ以上でもそれ以下でもない。ケザンも、今はな。間違えるんじゃないぞ」
シェラガは、コーウトの言葉に一瞬頬を緩ませる。己の復讐の感情よりも任務を優先するコーウトに、僅かながらの尊敬の念を抱いたのだ。
二人は、滑るようにカルミアたちの元へと戻り始める。




